【歌舞伎】七之助大活躍。2012年1月平成中村座夜の部

 1月の平成中村座は、夜の部のみ観劇。公式サイトはこちらです。
 まずは「寿曽我対面」、正月らしい華やかな舞台でした。昨年の「伊賀越道中双六」や「松浦の太鼓」では生き生きとした表情を見せていた勘三郎ですが、今日はちょっと表情が硬い感じがしました。橋之助の曽我五郎が大きくて勢いがありました。
 続いて「於染久松色読販」。昨年2月にル・テアトル銀座で観ているはずですが、ほとんど記憶ににゃい!自分の過去の記事を読んでみても、あんまり感想が書いてありません。さては寝倒していたに違いない。
 「お染めの七役」は前回は亀治郎でしたが、今回は七之助が大活躍。亀治郎が陽なら七之助は陰。亀治郎は芸達者で客を意識した派手な演技でしたが、七之助は美しさと格式がありました。お六は、亀治郎はおきゃんでシャキシャキしてましたが、七之助は侠気があってカミソリのような鋭さがありました。道行きの狂乱の舞いも、鬼気迫るなかに色気がありました。亀治郎のは「猿之助四十八撰」で、今回の七之助のは玉三郎監修という違いがあるのかもしれませんが、ぽん太にはよくわかりません。梅枝と萬太郎の女猿回しと船頭も雰囲気が出ており、特に萬太郎が姿といい表情といいイナセで美しかったです。橋之助の喜兵衛は凄みがあり、また油谷のゆすりの最中に久作がやってきたときの「やっべ〜」という惚けた表情がよかったです。

 ところでこの「於染久松色読販」、大阪が舞台の物語を江戸に移し替えたものですが、出てくる場所を、東京に棲んでいながらぽん太はちっとも知らなかったので、調べてみることにしました。

より大きな地図で 於染久松色読販 を表示
 まずは序幕の舞台の柳島妙見。東京都墨田区にある柳嶋妙見山法性寺ですね。場所は地図の青印です。逆さスカイツリーで有名な十間橋の近くのようですね。日蓮宗のお寺で、御本尊は久遠実成本師釈迦牟尼佛(大曼荼羅)だそうですが、境内の妙見堂には開運北辰妙見大菩薩が祭られており、こちらが人々の信仰を集めていたようです。
 「北辰妙見大菩薩」というのはぽん太は初めて聞いたのですが、Wikipediaの妙見菩薩を見てみると、毘沙門天などと同じく、仏教の天部に属する仏様だそうです。ただしインド由来ではなく、中国から来たもので、北極星を神格化したものだそうです。
 日本で重要文化財に指定されている妙見菩薩像は1体だけだそうですが、なんとそれがある場所はよみうりランドの中にある聖地公園とのこと。こちらが(公式サイト)ですが、こちらのサイトが詳しいです。なんでよみうりランド内に宗教施設があるのか、歴代の読売の重役の中に仏教信仰が厚い人がいたのではないかと推測されますが、少しググってみましたがよくわかりません。
 また千葉氏は妙見菩薩を守り神として信仰していたそうで、そういえば「於染久松色読販」において久松と竹川の父は、千葉家の侍という設定でしたね。千葉家に伝わる剣術「北辰」一刀流も関係があるようです。
 ところで「仮名手本忠臣蔵」の現行の斧定九郎の演出が、江戸時代に初代中村仲蔵が、土砂降りのなか蕎麦屋にやってきた浪人の姿を見て考えついたものだということは、ぽん太も知っております。実はこれが、仲蔵が妙見様にお参りに行った帰りのできごとだったということは、ぽん太は初めて知りました。ただ出典は三遊亭円生の落語なので、どこまで史実かはわかりません。
 さて、「於染久松色読販」の序幕第二場の舞台となっている「橋本屋」は、大変有名な料理屋だったそうで、妙見様の北隣にあったようです(地図の赤印あたり)。こちらのサイトが、浮世絵などもたくさんあってわかりやすいです。
 お六の家がある「小梅」ですが、江戸切絵図を見ると、スカイツリーのちょうど北側の、業平橋駅から押上駅にかけてのあたりが「小梅村」となっております(地図の緑印あたり)。江戸切絵図は、たとえばこちらの古地図(goo地図)で見ることができ、右下の方にこのあたりが乗っております。現在でも向島二丁目、三丁目あたりには「小梅小学校」や「本所消防署小梅出張所」という名前が残っております。
 お六と喜兵衛がゆすりに出かけた油屋は「瓦町」にあるようです。これも江戸切絵図を探してみると、隅田公園(当時の水戸家下屋敷)の北十間川を挟んで南側のあたりに、「瓦町」という地名が見えます(地図の黄色印あたり)。川沿いは「瓦焼場」となっており、このあたりに瓦職人が住んで、瓦を焼いていたようです。


平成中村座 壽初春大歌舞伎
平成24年1月 夜の部

一、寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)
                曽我十郎祐成  勘三郎
                曽我五郎時致  橋之助
                  大磯の虎  七之助
                 近江小藤太  萬太郎
                 化粧坂少将  新 悟
                鬼王新左衛門  亀 蔵
                 小林朝比奈  獅 童
               工藤左衛門祐経  彌十郎

二、於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)

  序 幕 柳島妙見の場
      橋本座敷の場
      小梅莨屋の場
  二幕目 瓦町油屋の場
      同 座敷の場
      裏手土蔵の場
  大 詰 向島道行の場

  油屋娘お染/丁稚久松/許嫁お光/後家貞昌
      奥女中竹川/芸者小糸/土手のお六  七之助
                女猿廻しお作  梅 枝
                  船頭長吉  萬太郎
                鬼門の喜兵衛  橋之助

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【バレエ】ちと期待はずれだったマラーホフのニジンスキー・ガラ

 ううう。雑用が多くて、ブログが書けません。だいぶ日数がたってしまいましたが……。

 ぽん太の大好きなマラーホフのニジンスキー・ガラを、「牧神」を踊る日を選んで観てきました。こちらが公式サイトです。
 ぽん太にとってマラーホフの魅力は、哲学的な精神性と、ゆっくりとした動きでの彫像のような身体の美しさです。「牧神の午後」では、耽美性やエロティシズムは影を潜め、造形的な美しさが際立っていました。ただマラーホフ以外のダンサーたちは、それなりのポーズは取っているけども、見とれるような美しさがないのが残念でした。
 「ペトルーシュカ」は、マラーホフがどのように踊るのか楽しみにしていたのですが、ちょっと期待はずれでした。きっちりと踊っていたのですが、無機質な感じで、ペトルーシュカの切なさ、悲しさ、哀愁が伝わってきませんでした。「人形」を強調しようとするあまり感情表現を抑制しすぎたのか、そもそもマラーホフがそういった具体的感情よりも一段高いレベルのものを表そうとしていたのか、ぽん太にはわかりません。
 この「ペトルーシュカ」でもうひとつわからないのは、最後に屋根の上に現れたペトルーシュカが、ぐったりと崩れ落ちるところ。ペトルーシュカはすでに殺されていて、屋根の上に現れたのは亡霊なのだから、何もまた死ななくてもいいような気がします。
 バレリーナの小出領子は愛らしく、ムーア人の後藤晴雄も悪くありませんでした。
 「薔薇の精」。ディヌ・タマズラカルは、「マラーホフの贈り物」やベルリン国立バレエ来日公演で観ているはずですが、記憶に残ってませんでした。ジャンプ力もあり、大きくてのびやかな踊りで、なかなか良かったです。申し訳ないけど、やはり相手役が見劣りしました。
 「レ・シルフィード」は初めて見ましたが、ちと退屈でした。フォーキンの振付けばかり続けて観ていると、少し物足りない気がしてきます。「ペトルーシュカ」の雑踏なんかも、ごった煮みたいでひどい感じがします。もう少しテクニックの見せ場や、現代的な動きがあればおもしろいのに、と思いました。そうすればマラーホフの良さをもった楽しめたような気がします。
 音楽はワレリー・オブジャニコフ指揮の東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。ガラ公演は録音テープが多いけど、やはり生のオケはいいです。


東京バレエ団
<ニジンスキー・ガラ>
2012年1月12日 東京文化会館

「薔薇の精」
薔薇:ディヌ・タマズラカル
少女:吉川留衣

「牧神の午後」
牧神:ウラジーミル・マラーホフ
ニンフ:上野水香

「レ・シルフィード」
プレリュード:吉岡美佳
詩人:木村和夫
ワルツ:高木綾
マズルカ:田中結子
コリフェ:乾友子-渡辺理恵

「ペトルーシュカ」
ペトルーシュカ:ウラジーミル・マラーホフ
バレリーナ:小出領子
ムーア人:後藤晴雄
シャルラタン:柄本弾

指揮:ワレリー・オブジャニコフ
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
ピアノ:尾崎有飛(「ペトルーシュカ」)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【拾い読み】歴史上の真実の義経とは?五味文彦『源義経』

 歌舞伎や旅行を通じて、源義経に関してはかなり詳しくなってきたつもりのぽん太ですが、先日ふと、伝説ではなくて歴史上の義経というのはいったいどうなのかしらという疑問がわいてきて、五味文彦の書いた岩波新書の『源義経』(2004年、岩波書店)を読んでみました。
 源義経に関する歴史的資料としては、同時代の公家九条兼実の日記である『玉葉』(ぎょくよう)や、鎌倉末期に作られたとはいえ、当時の記録や文書に依拠している『吾妻鏡』などがあり、『平家物語』や『義経記』(ぎけいき)は歴史的資料としては信頼性が劣るそうです。もちろん『玉葉』や『吾妻鏡』も、筆者の立場や意図などを考慮しないといけないそうです。
 鞍馬山で童としての教育を受けたことや、その後みずからの手で元服し、秀衡を頼って奥州へ行ったことなどは事実と推測されるそうです。奥州下りの手引きをした金商人の吉次に関しては、元になる人物として院や摂関家の馬を管理する厩舎人(うまやとねり)などの存在が推測されますが、のちの創作と考えられるそうです。
 奥州から再び京に舞い戻り、鬼一法眼から兵法の極意を伝授されたり、弁慶と出会って従者としたというあたりも、創作のようです。
 頼朝の蜂起の知らせを聞いて奥州から駆けつけ、獅子奮迅の働きによって壇ノ浦で平家を滅ぼしたものの、次第に頼朝から遠ざけられ、やがて都を追われるあたりは、細かい部分を除けば大筋では史実と考えられます。
 義経らが吉野山に一時潜伏し、そこで静が捉えられ、鎌倉に送られて頼朝の前で舞いを舞ったことなどは『吾妻鏡』に書かれていることで、伝説の影響を受けているという指摘もありますが、史実に基づいている可能性が高いそうです。
 京を脱出した義経が、奥州の平泉に逃れたことも確かですが、『義経記』に書かれているその間のコースや出来事に関しては、科学的な裏付けはありません。
 泰衡が頼朝の脅しに屈して、義経を討ったことも史実のようです。大陸に渡ってジンギスカンになったというのは、もちろん伝説ですね。

 あとは恒例の、ぽん太が興味深かった所のご紹介。
 まず『義経記』で、義経と伴に東北に逃げた女性は、ぽん太は静御前だと思い込んでいましたが、正妻である大納言平時忠の娘とのこと。静御前はあくまでも「妾」扱いなんですね。『吾妻鏡』でも、義経が奥州で藤原泰衡に襲われて自害したとき22歳の妻と4歳の女の子がいたとされ、妻は河越重頼の娘と推測されるそうです。ということで、結局誰かはよくわかりませんが、妻を伴って奥州に逃れたという可能性は高いようです。それにしては歌舞伎の『勧進帳』では、一行のなかに義経の妻がおらんな〜。
 お次ぎは、吉野山を逃れた義経一行が次に赴いた先が、『吾妻鏡』によれば、多武峰(とうのみね)の妙楽寺で、現在の談山神社とのこと。う〜ん、談山神社は行ったことがあるのに、知りませんでした。
 『吾妻鏡』によれば、静御前が頼朝の前で舞いを披露し、有名な「しづやしづしづのをたまきくり返し 昔を今になすよしもかな」の歌を吟じたときに、伴奏で鼓を叩いていたのは、曽我物語の敵役で有名な工藤祐経だったとのこと。ただ、それだけですが……。
 以前の記事に書いたように、ぽん太は、義経が死なずに北海道に渡ったという伝説を、幕府が蝦夷支配のために利用したのではないかという仮設というか妄想を持っているのですが、本書によれば、寛文10年(1670年)に成った林春斎の『続本朝通鑑』(ぞくほんちょうつがん)に、義経が死なずに蝦夷に渡ったという「俗伝」があると書かれているそうです。この時期に蝦夷地への関心が高まったことや、寛文8年〜9年のアイヌのシャクシャインの蜂起(Wikipedia)との関連を指摘しておりますが、幕府の蝦夷支配との関連については書かれておりませんでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【美術】つげ義春「ねじ式」の原画が見れる「石子順造的世界」府中市美術館

 つげ義春の「ねじ式」の原画が展示されているということで、府中市立美術館に行ってみたら、「石子順造的世界」という展覧会でした。こちらが公式サイトです。
 無学のぽん太は石子順造と聞いても名前を知っている程度。高度成長にマンガ、学生運動にアングラといった1960年代・70年代に、美術評論家として様々なジャンルの芸術に関与し続け、その射程は現代芸術からマンガ、果ては銭湯の背景画にまで及んだとか。赤瀬川原平や横尾忠則らの名も見られるこの展覧会からは、こうした時代のパワーが伝わってきます。政治性や社会的メッセージが感じられるところが、なんだか懐かしいです。
 「ねじ式」の原画は、なんと全ページが展示されておりました。ううう、感動。印刷ではつぶれてしまうペン画の美しさが、よくわかりました。とても細かく緻密に描き込まれておりました。
 同時に小山田二郎の特別展示が行われておりました。府中に住んでたことがある人なんだそうですが、ぽん太はまったく初めて耳にした名前でした。グロテスクで見ていて痛みを感じるような絵ですが、ちょっとユーモラスなところもあり、けっこう引き込まれました。小山田二郎はスタージ・ウェーバー症候群(yomiDr.)を抱えて生まれたため、痣や下唇の腫れと生涯つきあわねばなりませんでした。また突然失踪をしたこともあるなど、画家自身も闇を抱えた人だったようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【歌舞伎】吉右衛門と鷹之資の「連獅子」にうるうる。2012年1月新橋演舞場夜の部

 今年の歌舞伎初めは新橋演舞場から。1月は歌舞伎公演が多いので、夜の部だけの観劇です。東京だけでも新橋演舞場、浅草歌舞伎、平成中村座、ルテアトルの玉三郎、国立劇場と5つ。実際ちょっと空席も目立ちました。
 「矢の根」は歌舞伎十八番のひとつ。ぽん太は初めての観劇で、これで歌舞伎十八番は9/18見たことになりました。いわゆる曽我物で、祝祭的な色合いのつよい様式的な演目でした。三津五郎の曽我五郎は、まことに達者でそつがないですが、荒事のバカっぽさには欠けます。曽我十郎で田之助が出演。
 「連獅子」は夜の部の目玉か?昨年の1月に逝去した富十郎の息子の鷹之資が、後ろ盾を託された吉右衛門と踊りました。鷹之資はまだ12歳ながら、実に素直で大らかな踊りで、お父さんを彷彿とさせます。明るい芸風の吉右衛門に教わっていけば、将来がますます楽しみです。「連獅子」は、親子や、祖父と孫で演じられることが多いですが、それだと何かそのまんまというか、家族の写真が貼られた年賀状をもらったときみたいに、親ばかを見せつけられたような気になります。こんかいの吉右衛門と鷹之資の共演は、幼くして養子に出され、その養父も10歳のときに他界した吉右衛門の思い、11歳で父を亡くして吉右衛門に託された鷹之資の思いが頭に浮かび、目がウルウルしてしまいました。
 「め組の喧嘩」は、文化2年(1805年)に実際におきた事件が題材で、め組の鳶職と相撲取りが、江戸の花とよばれる喧嘩を繰り広げるという、粋でいなせで、正月らしくおめでたい(?)演目です。初演は明治23年(1890年)桐座で、明治中期に失われた江戸を懐かしんで作られたものなので、描写がちょっと薄っぺらな感じもします。しかし河竹黙阿弥が補作したという「浜松町辰五郎内」の、腹を見せずに酔った振りをする辰五郎と、意気地のない夫に愛想をつかす女房お仲の、息子又八を交えてのやりとりなどは、さすがに引き込まれます。菊五郎と時蔵のコンビは、安心して見てられます。藤間大河くんの息子又八が父辰五郎の真似をして、尻をはしょってちょこんと座る仕草が可愛らしく、お父さんが大好きな気持ちが伝わってきました。


新橋演舞場、
壽 初春大歌舞伎
平成24年1月 夜の部

一、歌舞伎十八番の内 矢の根(やのね)
                  曽我五郎  三津五郎
               大薩摩主膳太夫  歌 六
                馬士畑右衛門  秀 調
                  曽我十郎  田之助

  五世中村富十郎一周忌追善狂言
二、連獅子(れんじし)
          狂言師右近後に親獅子の精  吉右衛門
          狂言師左近後に仔獅子の精  鷹之資
                   僧蓮念  錦之助
                   僧遍念  又五郎

三、神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)
  め組の喧嘩

  品川島崎楼より
  神明末社裏まで
                 め組辰五郎  菊五郎
                    お仲  時 蔵
              尾花屋女房おくら  芝 雀
               九竜山浪右衛門  又五郎
                 柴井町藤松  菊之助
                伊皿子の安三  松 江
                  背高の竹  亀三郎
                 三ツ星半次  亀 寿
               おもちゃの文次  松 也
                御成門の鶴吉  光
                 山門の仙太  男 寅
                   倅又八  藤間大河
                 芝浦の銀蔵  桂 三
                神路山花五郎  由次郎
               宇田川町長次郎  権十郎
              島崎楼女将おなみ  萬次郎
               露月町亀右衛門  團 蔵
                江戸座喜太郎  彦三郎
                 四ツ車大八  左團次
                焚出し喜三郎  梅 玉

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«【ニュージーランド旅行(5)】オークランドへ