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2005年1月の10件の記事

2005/01/30

『歎異抄』における善悪を超えた境地

 以前に「悪人正機」の悪人とは我々のことであるで書いたように、私たちは善を行いたいと願っていながらも、善を行うことはできないのでした。
 その理由は、第一に、わたしたちはしばしば欲望に負けて悪をおかしてしまうからでしたーー「考えてごらんなさい。この世において煩悩や悪障をすっかり断ってしまうのはたいへんむずかしいので、真言や法華を行ずる清い坊さんですら、即身成仏とか六根清浄とかいいながら、やはり来世において悟りを開こうと祈るのであります」(『歎異抄』第十五条、梅原猛訳、講談社文庫、以下の引用も同書による)。
 第二に、わたしたちは動物を殺して食べるなど、生きているかぎり悪を行わなければならないからでしたーー「また、海や川に網を引き、釣りをして魚をとって世を渡る人々も、野や山に獣を追い、取りを殺して命をつなぐ人々も、商いをしたり田畑を耕して生活をしている人々もみんな同じ人間であります」(第十三章)。
 第三に、しょせん人間の知恵では、なにが善でなにが悪かがわからないからでしたーー「しかし親鸞上人がおっしゃられるには、『私は善悪の二つについては全く知りません・・・』」(後序)。

 そこでわたしたちは、善悪という道徳的な基準を超えたよりどころを見つけなくてはならなくなります。そのような境地はひとつだけではなくいろいろあるのでしょうし、どれが優れていてどれが劣っているというものでもありません。ここで浄土真宗が提案するのが、「阿弥陀さまの悪人救済という本願を信じて、ただ念仏をすることによって、極楽往生を遂げる」という考え方です。それが科学的に正しいかどうかを論じるのはナンセンスなのであって、おそらくは正しくないのでしょうけれど、試しにそう考えたばあいにどういう心境になるかが大切なのです。宗教的な考え方は、家を建てるときの足場のようなものです。足場を使って家を建てるけれども、家が建ってしまえば足場は不要になり、取り壊してしまいます。阿弥陀さまが・・・という考え方も、それによってもたらされる境地が大切なのであって、その境地が得られれば、そういった考えにこだわる必要もないとぽん太は思うのです。
 ではその境地とはどういうものか・・・ということになりますが、それを言えれば苦労はないのですが、そういった境地は言葉では言い表せないものでしょう。しかしあえて言えば、善悪といった道徳的、理性的な判断を捨て、大いなるものによって生かされていることをつねに感じつつ、自分があれこれと作為することをやめる、「自分」と「作為」とを同時に消し去るような境地でしょうか・・・。人間という存在のいたらなさを少し恥じて悲しみつつも、それを許して慈しむような心持ちのような気がします。

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2005/01/29

統合失調症の再発率は?

 統合失調症の再発率はどの程度なのか? ぽん太はおおよその数字は知っていますが、恥ずかしながら正確なエビデンスを知りません。患者さんに説明するときには、ついつい服薬を止めないように、脅しというわけではないですが、大きめの数字を言いたくなります。しかしこれからはインフォームド・コンセントの時代ですから、エビデンスに基づく正確な情報を伝えるべきでしょう。
 とはいえ調べるにしても、ぽん太のように開業してしまうと、医学の学術誌を参照するのがとても難しくなります。医学論文がインターネットで簡単に見れるようになるといいのですが。
 そこで手元にある、日本精神神経学会監訳『米国精神医学会治療ガイドラインー精神分裂病』医学書院、1999(現在は絶版。もうすぐ新版が翻訳されると思います)を見てみました。以下に引用いたします。

 「多くの研究が、安定期に入っても薬物療法を継続した患者とプラセボに変更した患者について、その再発率を比較している。最初の1年間は、薬物療法を継続した患者は薬30%しか再発しなかったが、プラセボに変更した患者では薬65%が再発している。
 一方、デポ剤を使用して薬物療法のコンプライアンスが保証されていた場合でも、1年間に24%の患者が再発している。Hogartyらは、抗精神病薬を2-3年にわたって継続投与され、安定期で再発の危険性が低いと判断された外来患者の66%が、薬物療法を中止したその年のうちに再発することを見いだした。Kaneは、十分に安定していた患者の薬物療法を中断した研究をレビューし、75%の患者が6-24ヶ月以内に再発すると報告している。
 多くの研究は、統合失調症の初回エピソードから回復した後の抗精神病薬の使用に焦点をあてている。入念に設定された二重盲検試験では、初回エピソードから回復して治療を受けなかった場合には、回復後1年間のうちに40-60%の患者が再発することを示している。」(前掲書、32ページ。病名など一部改変)。

 ということで、初回のエピソード後の1年間で、薬物療法を受けていても約30%が再発し、薬を中断すると再発率が2倍の60%程度に高まるという認識で、ほぼ問題はなさそうです。
 複数回のエピソードを経験しているひとは、再発率は当然高まると考えられます。安定した状態が数年続いているひとは、再発率は低くなるでしょう。

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2005/01/25

『べてるの家の「非」援助論』を読んでみた

 『べてるの家の「非」援助論』(浦河べてるの家、医学書院、2002年)、を読んでみました。
 知るひとぞ知る「浦河べてるの家」のひとたちが書いた本です。
 ご存じない方のために書いておくと、浦河べてるの家は、北海道のえりも岬の少し西の浦河(うらかわ)にある、精神障害者のための有限会社・社会福祉法人です。自分たちで昆布を売る会社を作ってしまい、さらには介護用品の販売などにも手を広げています。精神障害者のひとたちが運営している会社は、おそらくここだけでしょう。
 このように書くとべてるの家のひとたちは病気もよくなって、一生懸命がんばって社会適応をしているように思われるかもしれません。ところがとんでもありません。病気が重いひともいっぱいいて、警察のお世話になったりもしているようです。
 べてるのひとたちは、病気を悪いものと見なして治したり隠したりしようとせず、病気を受け入れて共存し、症状について話し、さらには病気を「売り物」にさえしています。彼らのキャッチフレーズのひとつに、「昆布も売ります、病気も売ります」というのがあります。また年一回開かれる「幻覚&妄想大会」には地域住民が招かれ、その年のもっともすごい幻覚・妄想を持ったひとを表彰するのだそうです。
 一般に福祉施設を利用している精神障害者は、病的体験を隠してなんとなく恥ずかしそうにもの静かにしているイメージがあります。しかしこの本に描かれているべてるのひとたちは、みな生き生きとしており、自分に自信を持ち、自己主張し、病的体験を語ります。ぽん太も「病気を受け入れる」などと気軽に口にしてきましたが、こういう前向きな受け入れ方があるとは驚きです。
 また、地域が精神障害を受け入れると言う問題に関しても、べてるのばあいは反対に、精神障害が過疎で沈滞した浦河の町を活性化しているのです。べてるのキャッチフレーズのひとつに、「精神病でまちおこし」というのがあります。
 たしかにべてるのやり方が、どこでもうまくいくというわけではないでしょう。でも、べてるの実践は、これまでの精神障害者医療・福祉の考え方を揺り動かす力を持っています。
 さらに精神障害者だけでなく、健常者にとっても、 べてるは新しい生き方のモデルとして注目されています。「右肩下がりの人生」「安心してサボれる会社づくり」とべてるは言います。ひたすら右肩上がりを目指して苦しんでいる人たちにとって、べてるの生き方は何かを示唆しているのでしょう。

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2005/01/22

親なきあとの子の財産は?/成年後見制度

 精神障害者の子を持つご両親にとって、自分たちが亡きあと子供はどうなるのか、というのは切実な問題です。なかでも、子どものためになにがしかの財産を残してやれそうだが、それを子どもがちゃんと管理できるのか、という不安があると思います。近頃はいろいろな詐欺も流行っていますから、せっかく苦労して残した財産をだまし取られてしまうかもしれません。土地や家を残しても、税金などの必要な手続きができるのか? あるいはお金に困ったときに売却して生活費にあてたりするなどの判断はできるのか? さまざまな福祉サービスを受けるための申請をできるだろうか?
 こうした問題を解決する方法のひとつが、「成年後見制度」です。
 現在精神障害の分野では、まだ成年後見制度はあまり利用されておらず、むしろ痴呆老人など高齢者の利用が多いようです。しかしぽん太は、精神障害に対しても、この制度は今後ますます大切になっていくと考えています。
 愛するお子さんのために財産を残すことができたら、もうひといき、成年後見制度の申請もしておきましょう。後見制度はご本人の判断能力に応じていくつかの種類がありますが、たとえば「保佐」に該当するばあいは「保佐人」が任命されます。そして保佐人が、どのように財産を使うとお子さんが幸せに暮らせるかを考えて、もちろんお子さんご本人とも相談しながら、財産を管理し、必要な申請や手続きを行ってくれるのです。お子さんが保佐人の許可なく勝手に財産を処分することはできませんし、詐欺商法などでお金をだまし取られそうになったとしても、保佐人が契約を取り消すことができます。また、さまざまな福祉サービスの利用の手続きなども、必要があれば保佐人にやってもらうことができるのです。
 こうしてこれまでご両親が一生懸命援助をしてきたお子さんが、親なきあとも、保佐人が財産を管理してくれて、生活面ではホームヘルプサービスなどを利用し、作業所などの社会資源を利用しながら、社会のなかで暮らしていくことができるのです。
 ただ問題もあって、まず後見人や保佐人には報酬を払わなくてはいけません。「定価」はないようで、どの程度の援助をお願いするかによって値段も違うようですが、だいたい月2〜3万にはなるようです。それから、信頼して任せられる後見人や保佐人が見つかるかどうかという問題もあります。後見人には資格はありませんが、実際上は弁護士、司法書士、社会福祉士などがなるばあいが多いようです。裁判所で探してもらうこともできますが、できれば精神障害に関する経験が豊富で、地域の事情に詳しいひとにお願いしたいものです。
 成年後見制度の窓口は自治体によって異なるので、地元の社会福祉協議会や役所などで、まず相談してみることになります。
 この制度は、みんなで育てていかなくてはなりません。ぽん太もこの制度をもっと勉強し、今後もときどきここで書いてみたいと思っています。

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2005/01/18

年をとると睡眠時間は?

 患者さんに、「年をとると睡眠時間が長くなるんですか?」と聞かれました。友達に聞いたそうです。ぽん太は、「睡眠時間は年齢とともに短くなる」と覚えていましたので、「反対ですよ、年齢とともに睡眠時間は短くなるんですよ」と答えました。
 あとで資料を渡そうと、昼休みにぐぐっていたら、次のような加齢とともに睡眠時間が長くなるというデータが出てました。NHKが2000年に行った国民生活時間調査のデータらしいですが、日本人全体の平均睡眠時間は7時間23分ですが、年代別には以下のようになっています。
10~15歳 8時間10分
16~19歳 7時間02分
  20代 7時間16分
  30代 6時間57分
  40代 6時間59分
  50代 7時間07分
  60代 7時間34分
70歳以上 8時間20分
 20代がちょっと惰眠をむさぼっているように見えますが、それはさておき、確かに高齢になると睡眠時間が長くなっております。
 一方こちらのデータでは、睡眠時間は加齢とともに短くなると書いてあります。これはいったいどうしたことでしょうか?
 後者のページをよく読んでみると、「夜間」睡眠時間は加齢とともに短くなり、一方、「昼間」の睡眠時間は加齢とともに増加すると書いてあります。その結果、高齢者の「総」睡眠時間は、確かに長くなっているのでしょう。
 しかし、「総」睡眠時間のうち、どれが必要な睡眠で、どれが不必要で無駄な睡眠なのか、どうやって区別しているのでしょうか? ぽん太は睡眠の専門家ではないので、よくわかりません。しかし、高齢者の夜間の睡眠時間が短くなって朝早く目が覚めるというのは、臨床経験からそのとおりだと思います。
 ぽん太も年をとるにつれ、夜の眠りも浅くなり、昼間起きているときもぼんやりしていて、寝てるときと起きてるときの差が小さくなってきました。寝ているときと起きているときが全く同じになるときが、死ぬときなのでしょうか?

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2005/01/17

「悪人正機」の悪人とは我々のことである

 「悪人正機」と聞くと、「なんで悪いことをしたやつが救われるんだ! おかしいじゃないか!」などと、つい他人事のように考えがちですが、この悪人とは自分自身のことなのだと理解すべきです。われわれこそが「悪人」なのです。第一条には「阿弥陀さまの本来の願いは、この罪深く、心にさまざまな煩悩を抱くわれらのごとき衆生をたすけようとするためだからであります」と書かれており、「われらのごとき衆生」が悪人であることを示しています。また第九条でも「われらはそういう凡夫ゆえ、極楽往生することは絶対に間違いないと思うのであります。」と書かれています。ですから、「悪人正機」だからといって、わざわざ悪行を積む必要はなく、われわれは今のままで十分に悪人なので安心していいのですね。
 われわれは聖人君主ではありません。誰だって善い行いをしようとは思っていますが、実際は性欲にかられて不倫をしたり、名誉欲にかられて他人を蹴落としたりしてしまいます。われわれはついつい悪行を働いてしまいます。
 かりにとても立派な人がいて、不倫も出世競争もしなかったとします。しかしそのひとだって、食事をすることで動物や植物の命を絶っているわけだし、地球という環境を汚染しているわけです。だからわれわれは、いわゆる「悪いこと」をしてなくても、実は日々悪業を重ねているのです。たとえば道元の曹洞宗の禅寺では、修行僧たちは食事を最小限に切り詰め、そして食事のたびにその一部を野鳥や動物たちに分け与えます。少しでも悪業を減らすためでしょう。しかし親鸞にしてみれば、「それは偽善やろ。けっきょく殺して食っとるやん」ということになるのではないでしょうか? 修行をすることによって少しでも仏に近づこうという禅宗や密教に対して、親鸞は、自分はそれができるほど賢くもなければ能力もないと謙遜しますが、実際は彼らの偽善を厳しく批判していたような気がします。
 さらに、「なにが善でなにが悪なのか、われわれには判るのか?」と問うこともできます。善かれと思ってやったことが、悪い結果になることは多々あります。反対に、嘘から出たまことではありませんが、悪行がよい結果を産むこともあります。たとえば広島に原爆が落ちたことは悪いことだと思いますが、私の知人は、原爆の被害から逃れるために疎開した先で両親が知り合って結婚し、その結果として産まれたのです。ですから、原爆が落ちたことは悪いことだと思いますが、原爆が落ちなかったらその知人は産まれなかったのであり、「原爆が落ちなければ良かった」と言うのは、その知人に「あなたが産まれなければよかった」と言っているのと同じことになるのです。
 仏教には「因縁」という考え方があります。これは一般には、「親の因果が子に報い」じゃないですけど、先祖の悪行の祟りみたいに思われているところもありますが、そうではなくて、ものごとの起きる原因に対する、仏教的な考え方を言い表した言葉です。近代科学的な因果論では、ある原因があって、それによって結果が生じるというモデルで考えます。しかしそれは単純化であって、実際は、過去のあらゆる出来事の結果として現在があるわけだし、しかも現在起きているあらゆる出来事は互いに関係しあっていることになります。さらに言えば、未来によっても現在は影響されているということすらできるのです。
 この考えに従えば、ひとつの行いは、ほかのすべての行いとつながっていることになります。過去のすべての出来事、現在のすべての出来事、未来のすべての出来事と関わっているのです。こうした視点に立つと、これが善でこれが悪だなどと言えないことになります。すべては結びついているのですから。
 後序で唯円は次のような親鸞の言葉を引用しています。「私は善悪の二つについては全く知りません、というのは、私が仏様のような明晰な判断力を持ち、善悪をはっきり認識できるならば、善と悪とについて知っていることになりましょうが、実は私は煩悩を一ぱい持っている凡夫で、私の住む世界は不安に満ちた無情の世界。そういう私が、どうして善悪について確かな認識を持つことができましょうか。およそこの世界で人間がすることは、すべて空しいこと、ばかばかしいこと、真実のことは全くありません。ただ念仏のみが真実である。」
 結局、「善い行いをしたい」というわれわれの願いは、どう考えても実現しないことになります。では、われわれはいったいどうしたらいいのでしょうか?

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2005/01/16

『歎異抄』が知られるようになったのは明治後期

 正月に海外旅行をしたとき、飛行機の中で『歎異抄』を読んでみました。ぽん太は旅行のときには宗教書や哲学書を持っていくことにしています。小説だと読み終わったら終わりですが、宗教書や哲学書は一部を拾い読みすることもできるし、何度も繰り返して読むこともできるので、旅行中の読書にはもってこいです。ぽん太は特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、精神医学と宗教は、ともにこころの安らぎを求めるという点で重なっている部分があると考えています。読んだのは梅原猛の現代語訳(講談社文庫)で、以下の引用もそれを参照しています。
 『歎異抄』は、親鸞の弟子唯円(ゆいえん)の書いた、浄土真宗の聖典です。親鸞の死後数十年が経ち、師の教えが乱れてさまざまな異説が広まったのを嘆いて書いたとされています。浄土真宗とは、簡単に言えば、南無阿弥陀仏という念仏を唱えることによって極楽浄土に生まれ変わろうという宗派で、「善人すら極楽浄土に行けるのだから、悪人が極楽浄土に行けるのは当然である」という意味の「悪人正機」という言葉で有名です。
 ぽん太がこの本を読んでまず驚いたのは、現代では多くのひとが『歎異抄』を知っていますが、この本が一般の人々に知られるようになったのは意外と最近だという事実です。浄土真宗の宗門のなかで注目されるようになったのが、ようやく徳川時代の中期になってからであり、広く世間に広まったのは、明治時代後期だそうです。ぽん太はてっきり、古くから読み継がれてきた本だと思っておりました。
 この本が長いあいだ世に出なかった理由はいろいろ議論されているようですが、ひとつには「悪人正機」という教えが一般のひとに間違って理解されるのを恐れたからでしょう。
 たとえば冒頭の第一条でいきなり「それゆえ、この阿弥陀さまの本願を信ずるためには、他の善をなす必要は毛頭ありません・・・あなたがかつてしなしたであろう悪業や、いま現にこれからするであろう悪業をおそれる必要はありません」などと、善行を否定するかのようなことが書いてあります。また第十三条では、親鸞が唯円に「じゃ、どうか、人を千人殺してくれ。そうしたらおまえは必ず往生することができる」と迫ります。もちろんこれは親鸞が唯円を試して言った言葉であり、唯円は自分はそのようなことはできないと断ります。それに対して親鸞は、「しかしおまえが一人すら殺すことができないのは、おまえの中に、殺すべき因縁が備わっていないからである。自分の心がよくて殺さないのではない。また、殺すまいと思っても、百人も千人も殺すことさえあるであろう」と答えます。唯円は、親鸞が言いたかったことは、「われわれの心がよいのをよいと思い、悪いのを悪いと思って、善悪の判断にとらわれて、本願の不思議さに助けたまわるということを知らないこと」だと書いています。これなども、善悪にとらわれるなと言っており、道徳そのものを否定していると取れないこともありません。第三条の「もともと阿弥陀さまの願いを起こされるほんとうの意思は、この悪人を成仏させようとするためでありましょうから、自分の中に何らの善も見出さない、ひたすら他力をおたのみするわれらのごとき悪人のほうが、かえってこの救済にあずかるのに最もふさわしい人間なのです」などは、善よりも悪を勧めているようにさえみえます。
 しかし、もちろん「悪人正機」は、道徳の否定でも、悪のススメでもありません。そこを勘違いすると、オーム真理教のようなことになってしまいます。ですから、浄土真宗中興の祖である蓮如がこの本を見つけたとき、次のような奥書を付け加えたのでした。
 「この聖なる教えの書は、わが念仏の一門の大切な聖書であるが、前世から善根のない者には、むやみに見せてはいけないのである。」
 では、悪人正機とはどういうことなのか、次回以後に考えてみたいと思います。

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2005/01/15

ノロウイルスの名前の由来

 ノロウイルスの胃腸炎が、世間の話題になっております。
 精神科医のぽん太は、ノロウイルスのことは専門外で知らなかったので、これを機会に調べてみました。ちょっとぐぐってみると、病気の原因や症状、治療や予防などについて、必要な知識は得られるようです。ここではそうしたことは繰り返しません。
 それよりぽん太が気になるのは、「ノロウイルスって変な名前。どうしてこんな名前がついたの?」という疑問です。ノロウイルスの語源は何でしょう。それは非常にノロいウイルスなのか? それとも、野呂さんが発見したのか?
 厚労省のホームページにある「ノロウイルス食中毒の予防に関するQ&A」という文書を見てみると、1968年にアメリカのオハイオ州のノーウォークという町の小学校で集団発生した患者の糞便からウイルスが検出されたため、発見された地名をとって「ノーウォークウイルス」と呼ばれていたと書いてあります。その後1972年になって、電子顕微鏡によってウイルスの形態が明らかにされると、その形態から小型球形ウイルスと呼ばれるようになりました。しかしその後、ノーウォークウイルスに似た小型球形ウイルスが多数見つかり、これらを総称して「ノーウォーク様ウイルス」とか「小型球形ウイルス」とか呼ばれていたそうです。さらに遺伝子の研究により、急性胃腸炎を起こす小型球形ウイルスは2種類あることがわかり、2002年8月、国際ウイルス学会で正式に「ノロウイルス」と命名され、もうひとつは「サポウイルス」と呼ばれるようになったそうです。
 これではやはり、何で「ノロウイルス」なのかわからないのです。でも、ちょっとひらめいて、英語のNorvirusで検索をかけてみたらすぐわかりました「横浜市衛生研究所>ウイルス性食中毒の検査」 。ノーウォークのスペルはnorwalk、つまり「ノールウォーク」だったんですね。だからNorovirusと命名されたわけです。これで納得です。
 ところが、またひとつ疑問がわいてきました。このページによると、「サポウイルス」(Sapovirus)はもともとサッポロウィルス(Sapporo virus)だったというのです。ちょっとぐぐってみましたが詳しい由来がわかりません。

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2005/01/08

試しに始めてみた。

試しに始めてみた。

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2005/01/06

【海外旅行】メキシコ遺跡巡りで大事件発生(2004.12.31〜2005.1.6)

 ぽん太とその妻にゃん子の次なる目標はメキシコである。
 しかしそこに恐ろしい事件が待ち受けていることを、ぽん太とにゃん子は知るよしもなかった・・・


 今回の旅は、世界遺産に指定されたマヤやアステカの遺跡を訪ねる旅である。
 しかしそこに恐ろしい事件が待ち受けていることを、ぽん太とにゃん子は知るよしもなかった・・・

 メキシコと聞いてもタコスとソンブレロとミル・マスカラスぐらいの知識しかないぽん太夫妻は、期待に胸をふくらませながら、12月31日の朝8時過ぎに都内の自宅を出て、成田空港に向かったのである。
 しかしそこに恐ろしい事件が待ち受けていることを、ぽん太とにゃん子は知るよしもなかった・・・


 新宿から成田エクスプレスで約1時間。成田空港第一ターミナルに到着したのが午前11時頃である。飛行機はアメリカン航空675便で、13時25分の出発である。
 しかし、くどいようだが、そこに恐ろしい事件が待ち受けていることを、ぽん太とにゃん子は知るよしもなかったのである。

 ぽん太とにゃん子は旅行会社の受付カウンターで手続きをしようとした。


 が・・・・・・・・

パスポート忘れた。

 ぽん太は15秒ほど静止た状態となり、頭のなかで考えた。「そういえば、よく夢でこういう場面にでくわしたことがある。約束の時間に間に合わないとか、バスをのり違えてしまうとか・・・。そうだ、これは夢だ! 夢に違いない。な~んだ夢だったのか。ああよかった♪」


 そこでぽん太は10秒ほど目を閉じ、再びゆっくりと目を開けた。そうすれば、寝室にいる今朝の自分に戻るはずだった。

 だがそこにあったのは

 怒りでトラと化したにゃん子の顔だった。


 とりあえずぽん太は、にゃん子にスーツケースを預けて空港で待たせ、パスポートを取りに自宅に戻ることにした。途中で道を聞いて来た外人に「アイ・ドント・ノ~オ~」と叫びながら、エスカレーターを地下まで一気に駆け下りた。はじめにJRに行ったが次の成田エクスプレスまで40分ほどあるので、今度は京成電鉄に行き、10分後の特急に飛び乗った。電車が発車してからようやく落ち次いで状況を考えてみるに、どう考えてもパスポートを取ってきて予定の飛行機に間に合いそうもない。ぽん太はにゃん子に電話をして、旅行会社に相談して便を遅らせてもらうか、だめならキャンセルをするように頼んだ。

 目をつぶると頭に浮かぶのは、メキシコに行けずに、家でK-1の曙の試合を見ている自分の姿である。いまから北海道のスキーツアーの予約とかとれるかな、などと気持ちはほとんど負けている。

 「船橋競馬場」だの「堀切菖蒲園」だのの駅を通るにつけ、メキシコに行くはずの自分が、なんでこんなところにいるのか情けなく思えて来る。

 にゃん子から連絡が来て、なんとか19時頃の便に遅らせてもらったとのことだった。最初旅行会社に交渉したところ、いまさら便の変更は難しいということで、あきらめてキャンセルの手続きをし始めたらしい。ところが正月休みだというのにあまりの哀れな状況を見るに見かねたアメリカン航空の職員が、特別に便を変更してくれたのである。

 ありがとう、アメリカン航空。皆さんのおかげで楽しい正月が過ごせます。このご恩は一生忘れません。

 しかし、急いでパスポートを持って成田に戻らなくてはいけないことに変わりはない。電車を乗り継いでようやく自宅の最寄りの駅に着き、タクシー乗り場に向かった。しかし本日は2004年12月31日。そう、東京に大雪が降った日である。

 待てど暮らせどタクシーが来ない。やっとのことで自分の番が来てタクシーに乗り込むが、今度は道路が大渋滞で動かない。さらにす進んでも時速20キロのノロノロ運転である。タイヤがつるつるすべって歩道の縁石に衝突しながら、ようやく自宅に着いた。雪で滑って転びながらようやく家に入ってパスポートをゲットし、再び大急ぎで成田に戻った。

 成田空港に戻ったのが夕方の5時頃。朝の8時に家を出てから9時間かけて、自宅と成田の間を3回移動したことになる。

 これから旅行に出発するというのに、もうへとへとである。これではまるで、K-1でリングに登場して試合のゴングが鳴るまでに、体力の90%を消費してしまうという曙状態である。

 パスポートを忘れるバカの笑い話は聞いたことがありましたが、まさか自分がそのバカになるとは思ってませんでした。

 成田空港がちょっと遠すぎるんじゃないの? いえいえ、パスポートを忘れた私がすべて悪いんです。

 しかしぽん太は今度のことで、いかに自分というものが他人の情けのおかげで生きているかということを、あらためて実感したのである。合掌。


 さて、今回の旅のクライマックスは終わりましたので、あとはかいつまんで説明したいと思います。

Mex01
 便を遅らせたために、メキシコシティーのホテルに到着したのが12月31日の夜遅くになったので、ホテルのレストランも閉まっていました。町へ出ても開いているレストランはありません。仕方なしにセブンイレブンで買ってホテルの部屋で食べることにしました。
 これが2004年を締めくくる大晦日の晩餐のメニューです。

Mex02
 翌日はまずグアダルーペ寺院の観光です。16世紀にファン・ディエゴという男の前に現れたマリアが、彼の着ていたマントに写り込んだという奇跡で有名です。そのマント実物が教会の正面に掲げられています。
 これがそのマントですが、まるで絵のようです。でも絵ではなく奇跡のマントなので、色あせたりしませんからフラッシュ撮影オーケーです。

Mex03
 次にメキシコシティー郊外の遺跡、テオティワカンに向かいました。アステカやマヤ文明以前、紀元前2世紀から紀元後8世紀頃まで栄えた都市で、一時は20万人以上の人口がいたと言われています。当時のコンスタンティノープルでさえ人口が2万人にすぎなかったそうです。
 有名な「太陽のピラミッド」です。


Mex04
 エジプトのピラミッドとは違って墓ではなく、神殿の土台部分だそうです。ダライ・ラマもこの上で瞑想したことがあるそうです。すごい大勢のひとです。太陽に手をかざしてパワーを受けようとしている人がいます。変な格好でなにやら儀式をしている集団もいます。しかし羽飾りをかぶったこの衣装はアステカ人のもので、この遺跡とは時代が違いますから~~~残念!


 その日のうちに飛行場でビジャエルモッサに飛びます。メキシコシティーでプロレスが見れなかったことだけが心残りです。

Mex05
 3日目はパレンケの遺跡です。メキシコというと荒野にサボテンという風景を思い浮かべますが(ぽん太だけか?)、パレンケのあるメキシコ南東部はジャングル地帯です。


 7世紀に繁栄したマヤ古典後期を代表する遺跡です。その後800年のあいだ人知れずジャングルのなかに埋もれていましたが、18世紀にスペイン人によって再発見されました。

Mex06
 「碑文の神殿」です。さきほどメキシコのピラミッドは墓ではないと書きましたが、この神殿は例外で、1952年に内部にパカル王の墓室が発見されました。


Mex07
 「天体観測塔」と呼ばれる四重の塔を持つ「宮殿」は、とても美しい建築です。

 飛行機でメリダに飛んで宿泊です。

Mex08
 4日目はウシュマルです。7世紀初頭に栄えた「プウク様式」と呼ばれるマヤ文明の遺跡です。プウク様式の特徴は、複雑な彫刻のモザイクで構成された壁面装飾です。


Mex09
 この地域には河川がないので、雨乞いの神様「チャック」像が目立ちます。たてに三つならんだ図案化された顔がわかりますでしょうか?


Mex10
 鼻を上に向けて雨乞い中です。


Mex11
 マヤ・アーチと呼ばれる建築技術です。いわゆるローマ・アーチと違って、両側の石をせり出させて造られています。

 5日目はチチェン・イツァーです。ここは6世紀頃の「旧チチェン・イツァー」と、10世紀以後の「新チチェン・イツァー」の二つのエリアからなっています。マヤ人は暦に従って定期的に都を遷す習慣があったため、時期的に隔たった二つの遺跡が同じところにあるのだそうです。

Mex12
 旧チチェン・イツァーは、マヤ独自の特徴が目立ちます。写真の「カラコル」は、窓や台座が天文学的な方角を正確に向いており、天文観測台だったといわれています。


Mex13
 ここでもチャックが雨乞いしてます。


 新チチェン・イツァーは、トルテカ人の影響を受けた新しいマヤ文化に属します。建物の保存も良く、現代のわれわれに近い感性を持っているように感じますが、一方で人間を生け贄に捧げたことで有名です。

Mex14
 「球技場」です。2チームに分かれ、ゴム製の硬いボールを、手を使わずに肘や足だけで、壁に取り付けられた環をくぐらせた方が勝ちです。


 ところがこのゲームは遊びではなく、宗教的儀式であり、勝ったチームのリーダーが聖なる生け贄として神に捧げられたそうです。

Mex15
 なぜ勝った方が生け贄になるのか納得できず、ガイドを問いつめる外人さんです。


Mex16
 球技場の隣には「ツォンパトリ」と呼ばれる台座があり、側面は骸骨のレリーフで覆われています。生け贄にされた人の骸骨をさらすところだったと考えられています。


Mex17
 「エルカスティージョ」、スペイン語で「城」と名付けられた神殿です。


 内部に隠された部屋があり、見学することができます。発掘時に側面に開けられた穴から入ると、一人がやっと通れるほどの狭くて急な階段が続いています。蒸し暑くて息苦しい階段です。そこを登って行くと隠し部屋に着きます。

Mex18
 生け贄の人間の心臓を置く台です。とても気持ち悪いです。

Mex19
 その奥には、ヒスイの目を持つ赤いジャガーがあります。これは、はっきりいってヤバすぎます。

Mex22
 そして極めつけは「聖なる泉セノテ」です。この一帯は石灰岩質の土壌でできているため、雨水が地下にしみ込んで空洞を造ります。その空洞が陥没してできる池がセノテです。しかしそんなことよりも、ここのセノテが何に使われたかが問題です。干ばつが続いたとき、最後の手段として生け贄や財宝が投げ入れられたといいます。実際調査の結果水のなかから、21体の子供、13体の成人男子、8体の女性の骨、黄金やヒスイなどが見つかったそうです。

Mex20
 チチェン・イツァーの見学を終えたぽん太とにゃん子は、バスで最後の宿泊地カンクンへ向かいました。カリブ海に面したカンクンは、メキシコではアカプルコと並ぶ一大リゾート地で、ヒルトンだのシェラトンだの豪華リゾートホテルが並んでいます。先ほどの怪しい雰囲気とは打って変わって、にぎやかなビーチリゾートです。


 ぽん太はこういう派手やかな雰囲気は苦手です。タヌキであることがばれてしまいそうな気がします。

 翌朝は早朝4時半にホテルを出発。7時の飛行機で帰途につきます。ここまで来て日の光に輝くカリブ海を一度も見ずに帰るのは、とても残念です。

Mex21 飛行機の窓からちょっとだけ夜明けのカリブ海が見えました。

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