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2005/01/17

「悪人正機」の悪人とは我々のことである

 「悪人正機」と聞くと、「なんで悪いことをしたやつが救われるんだ! おかしいじゃないか!」などと、つい他人事のように考えがちですが、この悪人とは自分自身のことなのだと理解すべきです。われわれこそが「悪人」なのです。第一条には「阿弥陀さまの本来の願いは、この罪深く、心にさまざまな煩悩を抱くわれらのごとき衆生をたすけようとするためだからであります」と書かれており、「われらのごとき衆生」が悪人であることを示しています。また第九条でも「われらはそういう凡夫ゆえ、極楽往生することは絶対に間違いないと思うのであります。」と書かれています。ですから、「悪人正機」だからといって、わざわざ悪行を積む必要はなく、われわれは今のままで十分に悪人なので安心していいのですね。
 われわれは聖人君主ではありません。誰だって善い行いをしようとは思っていますが、実際は性欲にかられて不倫をしたり、名誉欲にかられて他人を蹴落としたりしてしまいます。われわれはついつい悪行を働いてしまいます。
 かりにとても立派な人がいて、不倫も出世競争もしなかったとします。しかしそのひとだって、食事をすることで動物や植物の命を絶っているわけだし、地球という環境を汚染しているわけです。だからわれわれは、いわゆる「悪いこと」をしてなくても、実は日々悪業を重ねているのです。たとえば道元の曹洞宗の禅寺では、修行僧たちは食事を最小限に切り詰め、そして食事のたびにその一部を野鳥や動物たちに分け与えます。少しでも悪業を減らすためでしょう。しかし親鸞にしてみれば、「それは偽善やろ。けっきょく殺して食っとるやん」ということになるのではないでしょうか? 修行をすることによって少しでも仏に近づこうという禅宗や密教に対して、親鸞は、自分はそれができるほど賢くもなければ能力もないと謙遜しますが、実際は彼らの偽善を厳しく批判していたような気がします。
 さらに、「なにが善でなにが悪なのか、われわれには判るのか?」と問うこともできます。善かれと思ってやったことが、悪い結果になることは多々あります。反対に、嘘から出たまことではありませんが、悪行がよい結果を産むこともあります。たとえば広島に原爆が落ちたことは悪いことだと思いますが、私の知人は、原爆の被害から逃れるために疎開した先で両親が知り合って結婚し、その結果として産まれたのです。ですから、原爆が落ちたことは悪いことだと思いますが、原爆が落ちなかったらその知人は産まれなかったのであり、「原爆が落ちなければ良かった」と言うのは、その知人に「あなたが産まれなければよかった」と言っているのと同じことになるのです。
 仏教には「因縁」という考え方があります。これは一般には、「親の因果が子に報い」じゃないですけど、先祖の悪行の祟りみたいに思われているところもありますが、そうではなくて、ものごとの起きる原因に対する、仏教的な考え方を言い表した言葉です。近代科学的な因果論では、ある原因があって、それによって結果が生じるというモデルで考えます。しかしそれは単純化であって、実際は、過去のあらゆる出来事の結果として現在があるわけだし、しかも現在起きているあらゆる出来事は互いに関係しあっていることになります。さらに言えば、未来によっても現在は影響されているということすらできるのです。
 この考えに従えば、ひとつの行いは、ほかのすべての行いとつながっていることになります。過去のすべての出来事、現在のすべての出来事、未来のすべての出来事と関わっているのです。こうした視点に立つと、これが善でこれが悪だなどと言えないことになります。すべては結びついているのですから。
 後序で唯円は次のような親鸞の言葉を引用しています。「私は善悪の二つについては全く知りません、というのは、私が仏様のような明晰な判断力を持ち、善悪をはっきり認識できるならば、善と悪とについて知っていることになりましょうが、実は私は煩悩を一ぱい持っている凡夫で、私の住む世界は不安に満ちた無情の世界。そういう私が、どうして善悪について確かな認識を持つことができましょうか。およそこの世界で人間がすることは、すべて空しいこと、ばかばかしいこと、真実のことは全くありません。ただ念仏のみが真実である。」
 結局、「善い行いをしたい」というわれわれの願いは、どう考えても実現しないことになります。では、われわれはいったいどうしたらいいのでしょうか?

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