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2005/04/09

プリニウスの記述について/EBMによる帝王切開の語源

 プリニウスが「カエサルが帝王切開で生まれた」みたいなことを書いたという説が、ぽん太が「帝王切開の語源」のネット上の生態学(下)で書いたように、ネット上に流布しております。
 しかしまたもや細かいところが食い違っておりました。小プリニウスというひともいれば(大)プリニウスとひともいるし、「ポンペイの噴火を記録した小プリニウス」だというひともいました。
 まず、岩波の『広辞苑』第5版で、プリニウスについて整理しておきましょう。

 プリニウス【Gaius Plinius Secundus】大プリニウス。ローマの将軍・官吏。騎兵隊長・属州総督・海軍提督を歴任。軍事・歴史・修辞学・自然学を研究。79年8月ヴェスヴィオ火山の爆発の際、科学的調査を試み有毒ガスのため窒息死。現存著作「博物誌」37巻。(23〜79) 
 プリニウス【Gaiusu Plinius Caecilius Secundus】小プリニウス。大プリニウスの甥で養子。法律家・政治家。その書簡は、公表を予期して書いたもので文学的香気が高い。(61頃〜113頃)

 カエサルの産まれのことが書かれているのは『博物誌』ですから、大プリニウスが正解です。また、ポンペイの噴火を記録(しようとして窒息死)したのも、大プリニウスです。(★2005年4月18日追記:小プリニウスは、ヴェスビオ火山が噴火して大プリニウスが死んだいきさつを、書簡に記録していました。プリニウス『プリニウス書簡集』(國原吉之助訳、講談社学術文庫、1999年)の230ページから236ページにわたって書かれていますが、噴火の様子が生き生きと伝わってくるすばらしい記述です。したがって「ポンペイの噴火を記録した小プリニウス」という表現自体は間違っていませんでした。申し訳ありませんでした)。
 さて、そこでプリニウス『プリニウスの博物誌』(中野定雄他訳、雄山閣、1986年)を見てみましょう。短いので該当個所を全文引用してみます。第7巻九[47](邦訳第1巻305ページ)です。

 手術による出産
 九 分娩の際母親が死ぬのは凶兆としてはましな方だ。その例は大スキピオ・アフリカヌスとカエサル1世<ユリウス>の出生である。カエサルはその名を母親に施された外科手術から得たのであり、彼の家族名カエソの起源も同様である。軍を率いてカルタゴに入城したマリニウスも同様の方法で生れた。

 なんか意味がわかりにくいですな。訳が変なんじゃないの? 邦訳の「凡例」を見てみると、Loebの英訳版をもとに邦訳したものらしい。ラテン語から直接訳したものではなさそうです。
 プリウスの『博物誌』と帝王切開の語源に関しては、「雑記」というブログが詳しく、ラテン語の原文も書いてあります。そこからリンクが張ってあるシカゴ大学のサイトから、原文を引用してみます。

ix 47  Auspicatius enecta parente gignuntur, sicut Scipio Africanus prior natus primusque Caesarum a caeso matris utero dictus, qua de causa et Caesones appellati. simili modo natus et Manilius, qui Carthaginem cum exercitu intravit.

 にゃ〜〜〜、読めんばい。ぽん太は学生時代に1年間だけラテン語を勉強したことがありますが、ラテン語は単語の性とか格変化がやたら多かったような。だいたいの意味はわかっているわけだから、1日かかれば訳せるかもしれないが、さすがにそこまでみちくさする気にはならんがね。
 とにかく、「カエサルは母親の腹を切って産まれたので、カエサルという名前になった」というようなことが書いてあるとしておきましょう。
 ここで注意すべきは、「雑記」というブログにも書いてあるように、原文がa caeso matris uteroになっていることです。sectio caesareaではありません。
 またネット上の説では、「カエサルが切開切除法で産まれたのなら、彼の変人のような性格も説明がつく」と書いてあるとしたものが複数ありましたが、そのような記載はありませんでした。むしろ反対に、『博物誌』第7巻25[91]以下ではカエサルを誉めたたえています。「もっともいちじるしい内面的精神力の例は独裁官カエサルだと思う。わたしはここではその武勇と決断力のことにも、天空のすべての内容をも包容していた精神の高さについても問題にせずに、その生来の精力と、いわば、火によって羽を与えられたような迅速さを問題にする」(邦訳第1巻314ページ)。
 しかし、プリニウス(23〜79)はスエトニウス(70〜?)やプルタルコス(46頃〜120頃)とあまり違わない時代の人なのに、どうして言っていることが全然違うのでしょうか。カエサルという名前がカエサル誕生以前からあった家名であることを、プリニウスは知らなかったのでしょうか?『博物誌』という本がどういうたぐいのものだったのか、検討してみる必要があるように思います。事実を集めた本ではなく、珍談奇談を集めた読み物のようなものだったのかもしれません。これは興味が湧いてきたぞ。
 しかし、本日のとりあえずの結論は、

 プリニウスが『博物誌』に「カエサルがa caeso matris utero(切られた母親の胎内から)産まれたので、カエサルという名前になった」と書いたということには、エビデンスがある!

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