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2005年4月の10件の記事

2005/04/27

内田樹の『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』は「し」と「し」がキーワード

 内田樹の『死と身体』を読んで多いに感激し、パソコンの辞書に「樹」(たつる)という人名まで登録したぽん太は、『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』(海鳥社、2004年)をひも解くことにしました。しかし書かれている内容はというと、ぽん太にはちっとも解けないのである。内田自身がまえがきで「レヴィナスが『ほんとうは何を言いたいのか』よく分からない」し、ラカンについては「レヴィナスよりさらに何が言いたいのか分からない」と告白しています。しかし内田は、この「ゴルディオスの結び目」を「アレキサンダーの剣」によって一刀両断しようとせず、わからないものはわからないままに反対に話しを複雑にすることによって、何かがほぐれてくるのではないかといいます。このような内田の考え方は、「西洋的」なものに対する「東洋的」なもの、「知的」なものに対する「身体的」なものと言えるでしょうが、いずれにせよ内田の「武道」の体験に深く根ざしているようにぽん太には思われます。
 さて、「他者」を論じるこの本のキーワードは「し」と「し」だとぽん太はタイトルで書きましたが、最初の「し」は「師」です。内田は、「わたし」と「他者」との関係を、「弟子」と「師」の関係になぞらえることができると言います。師は、弟子とはレベルの異なる知を持っています。師は、弟子が知らないことを知っているのではなく、弟子のもつ知とは違うレベルの知を持っているのです。ですから師が弟子を導くということは、師がたんに知識を弟子に教えることではありません。師は、自分が持っている知を弟子が求めるようにしむけます。だから師の言葉は、情報を伝達するものではなく、電話で「もしもし、聞こえていますか」と聞くときのような働きをするものであり、言語学者のローマン・ヤコブソンの用語でいえば交話機能を担うものなのです。レヴィナスがタルムードの師から学んだことは、聖句の解釈の知識ではなく、聖句をどう解釈するかという作法です。またラカンの難解な言葉も、ラカンが「知っている想定される主体」と呼ぶ師が「分析者」である弟子を導く言葉なのです。
 ぽん太は武道はやったことがありませんが、仏教は好きで、永平寺に3泊4日で修行に行ったりもしましたから、こうした「師」と「弟子」の関係というのはよくわかります。「禅問答」というものも情報を伝達するものではなく、師と弟子の一対一のやりとりのなかで、弟子をあらたな境地に引きずり上げようとする行為です。また道元は『正法眼蔵』のなかで、自分が仏陀の直系の弟子であることを代々の師の名前を上げて説明していますが、それは決して正当性を誇示しようというものではなく、師が弟子を直接導くことによってしか仏教の真理が伝えられないことを言おうとしているのだと思います。
 精神科医を「師」になぞられるのはおこがましいですが、ぽん太が患者さんの考え方や生き方を変えようと一生懸命話しても、患者さんはそれを「理解」してしまい、実際にはちっとも「変わらない」ことがよくあります。これはぽん太が患者さんの「師」の位置を占める技術がまだまだ足りないからでしょう。
 さて二つ目の「し」は「死」です。ラカンもレヴィナスも、第二次世界大戦で多くの親族や知人を失っています。特にユダヤ人であるレヴィナスは、フランス兵と見なされて「恵まれた」収容所生活を送っている間に、多くの同胞たちがアウシュビッツで虐殺されたのです。こうした「生きのびた」ことに対する有責性を、ラカンもレヴィナスも背負っているのだと内田は言います。彼らの「他者」の概念の背後には、つねに「死者」がいるのです。
 ぽん太は戦後生まれなので、自分自身の心のなかを探しても、このような感情を見つけ出すことができません。しかし内田の指摘は、ぽん太の心に深く響きました。やがてぽん太の大切な家族が亡くなったとき、ぽん太は内田の言うことが少し「わかる」のかもしれません。

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2005/04/19

「世帯」の範囲が見直されるようです/自立支援医療費

 自立支援医療費の自己負担額は、「世帯」の収入によって決まる仕組みになっています。この「世帯」の解釈に関して、2005年4月13日に以下のようなニュースが流れました。
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所得控除受けなければ免除 障害福祉利用料の家族負担
 政府・与党は13日、今国会に提出中の障害者自立支援法案に盛り込まれた福祉サービス利用料の親やきょうだいなどの家族負担について、税制度で所得の障害者控除を受けないなどの条件で、負担を免除する方針を固めた。現在、親やきょうだいは成人障害者の扶養義務者から外れており、制度変更による大幅な家族負担増を懸念する障害者団体などの声に配慮した。
 法案ではサービス利用料の1割を本人が負担し、負担能力は世帯単位で決まる。本人が払えない場合は実質的に同一世帯の家族負担となる。
 この家族負担について、障害者控除を受けない場合や本人を医療保険の被扶養者にしないことなどを条件に、親、きょうだい、子どもの負担を免除。控除などを受けている場合は負担を求め、どの制度を使うかは選択できるようにする。配偶者にはこうした条件にかかわらず負担を求める。
(共同通信) - 4月13日19時10分更新
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 「世帯」の範囲を少し狭める方向で考えているようです。ただそのかわり家族の障害者控除を認めなかったり、医療保険を別々にさせるなどするようで、どちらが得になるのかの判断が非常に複雑になるような気がします。

 「世帯」の収入によって医療費の自己負担額が決まることは、以前から問題にされてきました。なぜならそれは、実質的には障害者の家族に負担を強いることであって、たとえば複数の障害者を抱えた家族は大きな負担となるからです。
 障害者の家族の負担を減らし、社会全体で支えていこうというのが、福祉の大きな流れです。老人の「介護保険」は、これまで家族が担ってきた介護を、保険で助け合って社会全体で支えて行こうという制度です。同じ流れのなかで精神障害の「保護義務者」も平成5年には「保護者」と改められ、「自傷他害防止監督義務」も平成11年になくなりました。
 ところが自立支援医療費を「世帯」で決定するということは、この流れに逆行し、再び家族の負担を増加させるものです。たしかに福祉にもある程度のコスト意識を持ってもらうことは大切だと思います。しかし、小泉さんの「自己責任」の考えを福祉の分野に広げ、障害者に過大な「自己責任」を要求したり、さらには家族の「連帯責任」を強いるのは間違っているとぽん太は考えます。

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2005/04/17

あなたの自立支援医療費を簡単に判定します!

 障害者自立支援法が成立したら自分の医療費の自己負担はいったいどうなるのか、という質問をよく受けます。表を見ても複雑でなんだかよくわかりません。そこでぽん太は、はい・いいえで答えるだけで、自分の自己負担がどうなるか簡単に判定できる装置を開発しました。これは新機軸で、はい・いいえ方式を応用したものです。

 まず質問1からはじめ、あとは、はい・いいえに従って進んでいってください。「市町村民税」と「所得税」を混同しないように気をつけてくださいね。

1あなたは精神障害のために外来通院治療を継続的に受ける必要がありますか?(ここでは神経症も精神障害に含まれます。また現在32条を使っているひとは全員「はい」へ)。
  はい  → 2に進む
  いいえ → 自立支援医療費は使えません。
        健康保険による3割負担です。
2あなたは生活保護を受けていますか?
  はい  → これまでどおり無料です。
        自己負担はありません。
  いいえ → 3に進む
3あなたの世帯は、市町村民税が非課税ですか?
(2005.4.19追記:「世帯」の範囲は不確定のようです→「世帯」の範囲が見直されるようです/自立支援医療費を参照。)
  はい  → 4に進む
  いいえ → 5に進む
4あなたの世帯全体の年間収入は80万円未満ですか?
  はい  → 自己負担は1割で、
        1ヶ月の限度額は2500円です。
  いいえ → 自己負担は1割で、
        1ヶ月の限度額は5000円です。
5あなたの世帯の所得税額は30万円未満ですか?
  はい  → 6に進む
  いいえ → 8に進む
6あなたは、統合失調症、躁うつ病(狭義)、難治性てんかんですか?
  はい  → 7に進む
  いいえ → 自己負担は1割で、限度額はありません。
7あなたの世帯は、所得税が非課税ですか?
  はい  → 自己負担は1割で、
        1ヶ月の限度額は5千円です。
  いいえ → 自己負担は1割で、
        1ヶ月の限度額は1万円です。
8あなたは、統合失調症、躁うつ病(狭義)、難治性てんかんですか?
  はい  → 自己負担は1割で、
        1ヶ月の限度額は2万円です。
  いいえ → 自立支援医療費は使えません。
        健康保険による3割負担です。

 いかがだったでしょうか? 
 ちなみに現在の32条の自己負担率は0.5割です(自治体によっては無料のところもあります)。また、たとえば「1ヶ月の限度額が5000円」というのは、医療費の1割を負担していくけれども、1ヶ月あたり5000円以上は払う必要がないということです。
 ちなみに1割負担のばあい、病院に1回行くと、診察料が約500円、薬代はひとによって違うとしても、両方あわせて1回1000円ぐらいと考えればいいでしょう。だから2週間に1度通院しているひとなら、月に2回で2000円程度ですみます。問題はデイケアに通っているばあいです。これは1日で700円程度の負担となりますから、週5日で月20日とすれば、それだけで14000円となり、1ヶ月あたりの限度額が重要となってきます。

参考資料:「長野英子のページ」の「障害者自立支援法案」関連資料というページからダウンロードできる、2005年3月18日厚生労働省の社会・援護局障害保健福祉部の全国課長会議における制度改正関係資料(PDFファイルです)の79ページと87ページ。

精神科通院医療費公費負担制度(32条)が障害者自立支援法でどう変わるにかについて、ぽん太は2005年2月26日の記事で、その時点で明らかになっていたことをまとめてあります。

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2005/04/16

吾妻ひでお『失踪日記』を読む

 吾妻ひでおと言えば、かわゆい女の子とわけのわからぬSFをぽん太は昔から好きだったが、失踪してホームレスや配管工をやっていたり、アルコール依存症で入院したりしていたとはまったく知りませんでした。吾妻ひでおの『失踪日記』(イースト・プレス、2005年)、おもしろくて一気に読んでしまいました(マンガが一気に読めなくてどうする!)。
 アルコール病棟の雰囲気が、とてもリアルに書かれています。
 巻末のとり・みきとの対談で吾妻は、「あのころアル中と自称してたけど、本当のアル中ではなかったんだ。あのあといろいろありまして」(199ページ)と書いているが、これはアル中特有の「否認」なのか、それともなにか深いわけがあるのか? 
 隠しページもあります。
 入院後半を描いた続編が出るというので、楽しみです。

 ちなみにアルコール依存症について知りたい方は、たとえばこちらの赤城高原ホスピタルのサイトなどをご覧下さい。自分がアルコール依存ではないかと思ったら、病院に行きましょう。また本人は自覚がなく、ご家族が心配しているばあいも多いようです。そういうばあいは、ご家族が近所の保健所や、精神保健センターなどに相談してみるといいでしょう。

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2005/04/15

やっぱりプリニウスの『博物誌』はあやしい本だった

 澁澤龍彦の『私のプリニウス』(河出文庫、1996年)を読んでみた。というのもぽん太はプリニウスの記述について/EBMによる帝王切開の語源で書いたように、『プリニウスの博物誌』にカエサルが帝王切開で生まれたと書いてあるのを読んで、プリニウスに興味を持ったというか、ホントはとんでもないひとなのではないかと疑ったからである。
 で、プリニウスといって思い出したのが、澁澤龍彦のこの本である。澁澤龍彦と言っても若い人は知らないかもしれないが、SMで有名なサドの作品を日本に紹介したので有名で、あやしい世界の専門家である。ちなみにぽん太は、あやしい世界の専門家としては生田耕作も好きである。
 で、本題に戻って、『私のプリニウス』は、『博物誌』の一部を訳しながら澁澤がコメントを加えるというかたちで書かれています。オタクというか、トリビアの泉というか、こうした枝葉末節の知識にこだわるのはすごいな〜という感じです。プリニウスに興味を持った方は、一読をお勧めします。
 で、澁澤は、『博物誌』をやっぱりあやしい本だと見なしているようです。「かように、プリニウスの記述をあまりに真面目に受けとると、とんだ徒労を味わわされる羽目になることがあるから用心しなければならない」(15ページ)。「あんなに嘘八百やでたらめを書きならべて、世道人心を迷わせてきた男のことだ。私たちとしても、そういう男にふさわしい付き合い方をしてやらねばならぬ」(17ページ)。「結局のところ、ここでもプリニウスは先人の説を無批判にアレンジして、ちょっぴり自分の創作をつけ加え、自分なりに編集し直したにすぎないもののようである。独自の科学的な観察眼と私は書いたが、どうやらそんなものは薬にしたくも『博物誌』のなかにはないと思ったほうがよさそうだ。あきれてしまうくらい、プリニウスは独創的たらんとする近代の通弊から免れているのであった」(28ページ)。「なんとまあ、見てきたような嘘を書くものだろうかと、私たちはつくづくあきれてしまう。けつを捲っているのか、とぼけているのか、それとも本気で信じているのかは、だれにも分からない。なんという無責任! すでにこれは文学である」(37ページ)。
 たとえばプリニウスは、女が男に変わることもありえない話ではないと言い、「私自身も、コンシティウスと呼ばれるアフリカのティスドルスの一市民が、その結婚式の日に男に変わったのを見たことがある」(35ページ)と、自分で見たと言い張っています。
 だから、カエサルが帝王切開で生まれたというのも、当時広まっていたウワサを書いただけかもしれません。ここで一句……

  プリニウス、見て来たような嘘を言い

 ところで、ふと思ったのですが、プリニウスが『博物誌』で帝王切開で生まれたと書いたカエサル1世というのは、ほんとにあのカエサルのことなのでしょうか? 実はカエサル家の初代ということはないのでしょうか。だって、ほかのところでカエサルに言及したときは、「独裁官カエサル」と書いてありますもん。でも、そんなことは、ローマ学者がとっくに検討しているでしょうから、やっぱりあのカエサルのことなんでしょうね。

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2005/04/10

カエサルがユリウス暦を制定したことが『プルタルコス英雄伝』に書いてありました。

 帝王切開の語源を訪ねる「みちくさ」を続けているぽん太ですが、みちくさの途中で、ぽん太が以前に2月だけ28日なのはアウグストゥス皇帝のわがままのせいで触れた、カエサルがユリウス暦を制定したことを描いた文章が見つかりました。ちょっと長いけど、さらに「みちくさ」をして、引用しておきます。出典はプルタルコス『プルタルコス英雄伝』村川堅太郎訳、ちくま学芸文庫、1996年の下巻の253ページです。

 一方、暦法の規定や、歳時の計算にあたりでてくる不整合性の是正は、カエサルの手によってみごとに学問的に考究されて完成し、全く渋滞することのない働きを示すことになった。というのは、ローマ人は、極めて古い時代には一年を定めるのに月の周期に拠っていたが、年と月の関係が混乱してしまったため、犠牲の式や祭りの時がすこしずつずれて、遂に本来の時期とは反対の季節のときに行われるようになってしまったほどだったのである。
 そればかりでなく、その当時(前46年)の真の太陽年の長さについても、祭司以外の普通の人たちは全く計算するすべを知らず、ただ祭司たちだけが正確な時を知っていて、突然予期していないときにメルケドニウスという名の閏月を挿しはさむことにしていた。この月をはじめて挿入したのは、王のヌマだといわれ、そのようにして二つの天体の周期的回帰(太陽の周期と月の運行)に関する不整合に対して、長くは保たないにせよ、また僅かではあるが、矯正の策を見出したことは、彼の伝記に記したとおりである。

 注によれば、ずれた季節をもとにもどすため、前46年は、全部で445日となったそうです。ずいぶん長い1年ですね。

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2005/04/09

プリニウスの記述について/EBMによる帝王切開の語源

 プリニウスが「カエサルが帝王切開で生まれた」みたいなことを書いたという説が、ぽん太が「帝王切開の語源」のネット上の生態学(下)で書いたように、ネット上に流布しております。
 しかしまたもや細かいところが食い違っておりました。小プリニウスというひともいれば(大)プリニウスとひともいるし、「ポンペイの噴火を記録した小プリニウス」だというひともいました。
 まず、岩波の『広辞苑』第5版で、プリニウスについて整理しておきましょう。

 プリニウス【Gaius Plinius Secundus】大プリニウス。ローマの将軍・官吏。騎兵隊長・属州総督・海軍提督を歴任。軍事・歴史・修辞学・自然学を研究。79年8月ヴェスヴィオ火山の爆発の際、科学的調査を試み有毒ガスのため窒息死。現存著作「博物誌」37巻。(23〜79) 
 プリニウス【Gaiusu Plinius Caecilius Secundus】小プリニウス。大プリニウスの甥で養子。法律家・政治家。その書簡は、公表を予期して書いたもので文学的香気が高い。(61頃〜113頃)

 カエサルの産まれのことが書かれているのは『博物誌』ですから、大プリニウスが正解です。また、ポンペイの噴火を記録(しようとして窒息死)したのも、大プリニウスです。(★2005年4月18日追記:小プリニウスは、ヴェスビオ火山が噴火して大プリニウスが死んだいきさつを、書簡に記録していました。プリニウス『プリニウス書簡集』(國原吉之助訳、講談社学術文庫、1999年)の230ページから236ページにわたって書かれていますが、噴火の様子が生き生きと伝わってくるすばらしい記述です。したがって「ポンペイの噴火を記録した小プリニウス」という表現自体は間違っていませんでした。申し訳ありませんでした)。
 さて、そこでプリニウス『プリニウスの博物誌』(中野定雄他訳、雄山閣、1986年)を見てみましょう。短いので該当個所を全文引用してみます。第7巻九[47](邦訳第1巻305ページ)です。

 手術による出産
 九 分娩の際母親が死ぬのは凶兆としてはましな方だ。その例は大スキピオ・アフリカヌスとカエサル1世<ユリウス>の出生である。カエサルはその名を母親に施された外科手術から得たのであり、彼の家族名カエソの起源も同様である。軍を率いてカルタゴに入城したマリニウスも同様の方法で生れた。

 なんか意味がわかりにくいですな。訳が変なんじゃないの? 邦訳の「凡例」を見てみると、Loebの英訳版をもとに邦訳したものらしい。ラテン語から直接訳したものではなさそうです。
 プリウスの『博物誌』と帝王切開の語源に関しては、「雑記」というブログが詳しく、ラテン語の原文も書いてあります。そこからリンクが張ってあるシカゴ大学のサイトから、原文を引用してみます。

ix 47  Auspicatius enecta parente gignuntur, sicut Scipio Africanus prior natus primusque Caesarum a caeso matris utero dictus, qua de causa et Caesones appellati. simili modo natus et Manilius, qui Carthaginem cum exercitu intravit.

 にゃ〜〜〜、読めんばい。ぽん太は学生時代に1年間だけラテン語を勉強したことがありますが、ラテン語は単語の性とか格変化がやたら多かったような。だいたいの意味はわかっているわけだから、1日かかれば訳せるかもしれないが、さすがにそこまでみちくさする気にはならんがね。
 とにかく、「カエサルは母親の腹を切って産まれたので、カエサルという名前になった」というようなことが書いてあるとしておきましょう。
 ここで注意すべきは、「雑記」というブログにも書いてあるように、原文がa caeso matris uteroになっていることです。sectio caesareaではありません。
 またネット上の説では、「カエサルが切開切除法で産まれたのなら、彼の変人のような性格も説明がつく」と書いてあるとしたものが複数ありましたが、そのような記載はありませんでした。むしろ反対に、『博物誌』第7巻25[91]以下ではカエサルを誉めたたえています。「もっともいちじるしい内面的精神力の例は独裁官カエサルだと思う。わたしはここではその武勇と決断力のことにも、天空のすべての内容をも包容していた精神の高さについても問題にせずに、その生来の精力と、いわば、火によって羽を与えられたような迅速さを問題にする」(邦訳第1巻314ページ)。
 しかし、プリニウス(23〜79)はスエトニウス(70〜?)やプルタルコス(46頃〜120頃)とあまり違わない時代の人なのに、どうして言っていることが全然違うのでしょうか。カエサルという名前がカエサル誕生以前からあった家名であることを、プリニウスは知らなかったのでしょうか?『博物誌』という本がどういうたぐいのものだったのか、検討してみる必要があるように思います。事実を集めた本ではなく、珍談奇談を集めた読み物のようなものだったのかもしれません。これは興味が湧いてきたぞ。
 しかし、本日のとりあえずの結論は、

 プリニウスが『博物誌』に「カエサルがa caeso matris utero(切られた母親の胎内から)産まれたので、カエサルという名前になった」と書いたということには、エビデンスがある!

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2005/04/08

カエサルは帝王切開で産まれてない/EBMによる帝王切開の語源

 ぽん太は以前に「帝王切開の語源」に関してどのような説がネット上に広まっているかを検討しました。その時は、どの説が正しいかは論じませんでした。そこで今回は、「どの説が正しいか」をEBMの観点から検討してみましょう。
 EBMというのはEvidence-Based Medicineの略で、「根拠に基づいた医療」とでも申しましょうか、経験や感だけに頼るのではなく、科学的な裏付けを重視しようとする考え方であり、方法論です。もちろんこのブログはそのパロディですが、EBMをまじめに知りたい方はたとえばこちらのサイトをご覧下さい。
 さて、帝王切開の語源の雑学は、「カエサルが帝王切開で生まれたのでこのような名前になったと言われているが、実はそうではなくて……」というところからうんちくが始まることになっておりますが、カエサルの帝王切開で生まれていない理由が書いてあるサイトは、前回書いたように23のサイトのうち4つでした。いずれのサイトも、当時の医学で腹部を切開して母子ともに健康ということはありえないことと、カエサルの母親が出産後も生きていた証拠がある、という2段階で論証しております。

 そこでまず「当時の医学で腹部を切開して母子ともに健康ということがありえない」という点ですが、小川鼎三(ていぞう)の『医学用語の起り』(東京書籍、1990年)には次のような記述があります。「リスターの石炭酸防腐法の発表が1867年だから、それ以前の開腹手術では生命をとりとめるのが至難のことであった。19世紀の前半では、帝王切開の死亡率はおよそ75パーセントであったという(A.Castiglioniの医学書による)」(19ページ)。また立川清編『類語対照 医語の語源』(国書刊行会、1979年)(絶版?)には、「昔は開腹分娩は死んだ妊婦の胎児を救うための手術であって、生きている妊婦に開腹分娩が行われるようになったのは16世紀になってからのことである」(96ページ)と書いてあります。以上から、紀元前のローマで帝王切開をして、カエサルとカエサルの母親が二人とも健康ということはありえないと言ってよいと思います。
 次にカエサルの母親が、カエサルを産んだときに死んでいなかったことのエビデンスです。スエトニウスの『ローマ皇帝伝』(国原吉之助訳、岩波文庫、1986年)には、次のような記述があります。「……選挙の当日の朝、カエサルは民会場に下って行くとき、母に接吻しながら、こうきっぱり言ったと伝えられている。『もし大神祇官長になれなかったら、これきり家に戻りませぬ」(上21ページ)。カエサルが大神祇官長の選挙に臨んだのは前63年、カエサルが37歳のときと言われております。また別の個所には、「ガリアで戦っていたと同じ期間に、カエサルはまず母を、ついで娘ユリアを、ほどならずして孫も失った」(上33ページ)と書いてあります。ガリア戦争を始めたのは前58年、娘ユリアが死んだのは前54年とされているから、この5年の間に母親が死去したと考えられます。ちなみにこの本の付録としてついている系図を見ると、カエサルの母親のアウレリアは前54年没と書かれています。
 プルタルコスの『プルタルコス英雄伝』(村川堅太郎編、ちくま学芸文庫、1996年)も、大神祇官の投票当日のエピソードに触れています。「さて、いよいよ投票の当日になって、カエサルの母が戸口で涙を流して彼を送り出そうとすると、カエサルは母を抱いて、『母上、あなたの息子は今日大神祇官職につくか、それとも亡命者となるか、そのどちらかです』と言った」(下180ページ)。こちらには母親の死去に関する記述は見つかりませんでした。
 S1やS6は、カエサルが大きくなってから母親に手紙を書いたことがわかっていると述べておりますが、「手紙」に関するエビデンスは見つかりませんでした。もちろんそれを否定するエビデンスもありません。またS18に書かれていた「カエサルの母親が54歳で死んだ」ということに関するエビデンスも見つかりませんでした。ただ、カエサルが産まれたのは前100年ですから、前54年にカエサルの母親が54歳で死んだとすると、カエサルの母親がカエサルを産んだ年齢は8歳ということになります。これはいくら何でも若すぎるのではないでしょうか? 「紀元前54年頃に死んだ」というのが「54歳で死んだ」に間違えられたのでは、などと推測できますが、あくまでも推測です。
 ちなみにカエサル自身が書いた『ガリア戦記』(國原吉之助訳、講談社学術文庫、1994年)には、母親の死のことはまったく触れられていません。
 最後に、「すごく珍しいことだが、カエサルの母親は帝王切開をしたのに生き延びた」という可能性もないわけではありませんが、そのような珍しいことがあったら本に書かれていると思うのですが、『ローマ皇帝伝』にも『プルタルコス英雄伝』にもそのような記述はないので、否定していいでしょう。

 以上から、「カエサルは帝王切開で産まれてない」ことのエビデンスはある、ということになりました。

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2005/04/03

「帝王切開の語源」のネット上の生態学(下)

 前回の続きです。
【結果(続)】
◆カエサルが帝王切開で生まれていない理由
 カエサルが帝王切開で生まれていないと主張するサイトは9つあったが、これらのうち理由を示しているものはS1、S6、S17、S18の4つである。いずれもカエサルの母親がカエサル出産後も生きていたことを指摘し、当時の医学では腹部を切開して母子ともに健康ということはありえないから、カエサルが帝王切開で生まれたはずはないという結論を導いている。ただし微妙な違いはあり、S1は、カエサルが中年のときに母親に宛てた書簡の記録が残っているという。S6は、カエサルが大きくなってから母親に宛てた手紙の存在が確認されたという。S17は、カエサルが「青年」になるまで生きていたと主張する。S18は、母親は、カエサルが青年になるまで生きて、「54歳で死んだ」という。
◆カエサルという名前について
 カエサルCaesarという名前の由来や意味に関する情報も千差万別であった。
 Caesarという名前自体が、切るという意味のラテン語caedereから来たものであり、「分家」という意味であるというサイトが3つあった(S1、S6、S17)。S9は他人の文章に書いてあったと断ったうえで、「切る」から来たという説と「象」から来たという説を上げている。S6によれば「カエサルとは、当時家柄のよいローマ人のみが持つことのできたあだ名」であるという。
 「カエサル」という言葉が次第に「皇帝」を指すようになったとするサイトは3つである(S1、S17、S19)
◆プリニウスに関して
 プリニウスがカエサルの生まれ方について書いたという情報を書いてあるサイトは多く、全部で6つあった。
 S1によれば、「小プリニウス」が「カエサルは切開切除法sectio caesareaで産まれたのでカエサルというあだ名がつき、それが定着した。切開切除法で産まれたのなら、彼の変人のような性格も説明がつく」ということを書いたという。S7は、小プリニウスではなくてプリニウス(小プリニウスとは別人で、大プリニウスとも呼ばれる)が『博物誌』において、カエサルはa caeso matris utero(切られた母親の胎内から)産まれたと書いた、とする。S8も、カエサルの名がcaeso matris uteroで産まれたことに由来するとプリニウスが伝えている、という。S12はプリニウスの伝えることによれば皇帝カエサルは「帝王切開」で生まれたといわれる、と述べている。S17は、「ポンペイの噴火を記録した歴史家である小プリニウス」が自著のなかで、「ユリウス・カエサルの家名は、ガイウスが切開切除法で生まれたためにカエサルになったのではないだろうか? それなら彼がずいぶん変わっていたことも納得だ」という冗談を書いた、という。S18は、「帝王切開カエサル語源説」はプリニウスの著述に書かれているという。
◆死にかけた母から子どもを救う施術
 S1は、出産間際になって母親が死にかけてしまったとき(または急に死亡してしまったとき)新生児だけは助けるために、腹部を切開して新生児を取り出す手法が、カエサルの時代にはすでに広く知られていたという。S6も同様の内容を述べている。S18は「古代エジプト」やローマの紀元前からこうした手術が行われていたというが、S17は古代エジプトや「古代インド」でも行われていたという。
◆死んだ母から胎児を取り出す法律
 S2は、ローマ時代に妊婦が死亡したとき胎児を取り出して埋葬する法律があったという。S7は、lex caesarea(カエサル法)というローマ時代の法律があったが、これは、妊婦が死亡したばあい胎児を腹部切開によって取り出して、なるべく胎児を生かす努力をするように命じたものだ、という説を紹介している。S18はlex caesareaでは、妊婦が死亡したとき子宮から子どもを腹部切開によって取り出すことが義務づけられ、それ以前に埋葬することを禁じていた、と書いている。S20も、妊婦が死亡した場合子を胎内から取り出さなければならないというカエサル法があったことを紹介している。
◆ドイツ人間違い説の原因は広辞苑
 ドイツ人が間違えたという説を否定するサイトは3つあったが、そのうち2つは広辞苑第4版がその誤りに関わっているという。S1はドイツ人の間違い説の「感染源」であるといい、S11は広辞苑が「最初に間違えた」とする。
◆少数意見
 肯定しているわけではなく単なる紹介ではあるが、S18には「中国の占いでは生まれた日によって運命が決まるので、皇帝になれる日に生まれるように、お腹を切って生ませたりしたのが帝王切開の語源」というものや、「帝王切開で生まれたのはカエサルではなくナポレオンである」という珍説を主張する人がいたと書かれている。S7はフランス語圏の辞書で、「帝王切開で生まれた胎児」を意味するラテン語caesarがsectio caesareaの語源であるとするものが多いと指摘している。

【考察】まさに百花繚乱、諸説入り乱れているという感じですな〜。こんなにいろいろな説があるとは思いませんでした。カエサルCaesarという名前自体がラテン語の切るcaedereと似ていることや、カエサルが帝王切開で生まれたという伝説、ローマ時代のlex caesareaが主なキーワードとなり、そこにさまざまな因果関係が設定されているようです。さらにカエサルは帝王切開で生まれたのでそういうあだ名がついた、というプリニウスの記載、そしてa caeso matris uteroというラテン語も、いくつかのサイトに記載されています。「帝王切開の語源」の生態は、なかなか複雑です。
 ところで、生態学ではなく「系統発生学」の視点から、どの情報からどの情報が発生したかを考えてみるのもおもしろいかと思います。あるサイトに書かれている情報は、いくつかのサイトに書かれた情報を取捨選択し、それらを書き間違えたり、あるいは勝手に付け加えたりして、誕生しているようです。ほ乳類の場合は、2人の両親の遺伝情報から子どもの遺伝子が作られ、その際に遺伝子の変異が起こります。サイト情報の場合は、1つないし複数のサイトの情報から子どもサイトの情報が生じ、しかも変異の度合いが大きいようです。また、あるサイトの情報をうのみにして書いたと思われるサイトもあり、絶対違っていると思われる情報が繁殖していたりします。
 したがってネット上の情報に関しては、信憑性をよく検討することが大切になります。あちこちのサイトに書かれているから正しいとは言えませんし、検索で上位にヒットするからといって正しいとも言えません。
 典拠を明確にして正確に引用すること、引用した部分と自分の考えをはっきり区別できるように書くこと、こうした基本的なルールの重要性を改めて認識した次第です。

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2005/04/02

「帝王切開の語源」のネット上の生態学(上)

【はじめに】ぽん太は以前にカエサルは本当に帝王切開でうまれたのかという疑問を抱いた。そこでネット上での検索をしてみたところ、実にさまざまな矛盾した情報が入り乱れていることを発見した。今回ぽん太は、ネット上に生息する「帝王切開の語源」に関する情報を、生態学の観点から分析することにした。つまり「どの説が正しいか」ではなく、「どのような説が流布しているか」という観点からの分析である。この作業によって、ネット上の情報が持つ問題点が、はからずも浮き彫りとなるだろう。
【方法】ある検査エンジンで「帝王切開 カエサル」というキーワードで検索を行い、上位30のホームページに書かれている説明を調査し、比較検討を行った。具体的なサイトのURLについては、本年4月1日施行の個人情報保護法の観点から、記載しないことにした。
【対象】検索にひっかかった30のサイトのうち、ぽん太自身のホームページは除外した。検索では引っかかったが、帝王切開の語源に触れていないページも除外した。また同じサイトが重複して検索されたものもあり、最終的には23個のサイトが調査対象となった。本論文では、これらのサイトををS1,S2,……S23という名で呼ぶことにした。
【結果】
◆各サイトが主張する説
 まず帝王切開という言葉の由来に関して、各サイトがどういう説を主張しているかを調べた。サイトが何らかの説を主張せず、たんにいくつかの説を紹介しているだけのものは6つあった(S4、S5、S8、S9、S10、S13)
 最初の説は「カエサルが帝王切開で生まれたのは事実であり、その結果「帝王」切開と呼ばれるようになった」というものである。この説をとるサイトはS14、S15、S20の3つであり、そのうちS14とS15の2つはさまざまな説があることを論じずにこの説を述べているが、S20はほかの説を否定したうえであえてこの説を主張していた。
 一番多かった説は、「帝王切開はもともとラテン語でsectio caesareaと呼ばれ、このcaesareaは「切る」という意味であってカエサルとは関係なかったが、ドイツ人がドイツ語に訳すときにカエサルと間違えてKaiserschnittと訳した。それを日本語に翻訳して「帝王」切開となった」というものである。この説を肯定するサイトは7つであった(S6、S16、S18、S19、S21、S22、S23)。
 次に目についたのは日本人間違い説とでもいうべきものである。「ラテン語sectio caesareaのcaesareaは「切る」という意味であり、ドイツ語のKaiserschnittのKaiserも「切る」という意味を持っていたが、日本人が訳すときにカエサルと間違えて、「帝王」切開と訳した」というものである。この説を主張するサイトは3つであった(S1,S11,S17)。
 以下はひとつのサイトだけが主張する説である。S2は「ローマ時代には妊婦の死亡時に胎児を取り出して埋葬する法律があり、これと混同されてできた」という。S3は、「カエサルは(帝王切開では生まれなかったが)難産だったから」だという。またS7は、「sectio caesareaというラテン語は実は比較的新しく16世紀頃にできた言葉であり、このcaesareaという語が作られるにあたっては、カエサルが帝王切開で生まれたという伝説が意識されていた」という説をとっている。最後にS12は「sectio caesareaという語はcaeso matris utero(切開された母体の胎内から)というラテン語に由来する」と述べている。

「帝王切開」の由来
○:説を肯定、×:説を否定、△:説を紹介
010203040506070809
カエサル帝王切開説×× ××
ドイツ人間違い説×  ×  
日本人間違い説        
lex caesareaと混同     × 
カエサル難産説        
caeso matris utero      ×  
カエサル伝説による        

1011121314151617181920212223
×× ××   ×
 ×   ××
            
        ×     
              
             
              

「帝王切開の語源」のネット上の生態学(下) に続く。

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