青柳いづみこの『ピアニストが見たピアニスト 名演奏家の秘密とは』(白水社、2005年)を読んでみました。リヒテルやミケランジェリ、アルゲリッチなどの6人のピアニストの演奏と人となりを描いた本ですが、とてもおもしろく読めました。「ポリーニの場合はひとつひとつの音をダイヤモンドのように輝かせるが、リヒテルは一ブロックの音をわしづかみにして弾く。タッチは手前に引く。グローブのような掌全体で走句をつかみとってしまうような弾き方だ」(20ページ)というような記述は、著者自身がピアニストであるからこそ書けるものだと思います。この本を読むと、これまで何度も聞いていたCDに新たな発見をすることができるでしょう。
またアルゲリッチのドキュメンタリー・フィルムの撮影の下りでは、「アルゲリッチは昼夜逆転しているから、撮影は真夜中だった」(105ページ)などとさらりと書かれています。精神科で「昼夜逆転」などと言おうものなら上を下への大騒ぎですが、さすがに天才芸術家の世界はすごいな〜とぽん太は感動しました。
さて本書には、リヒテルが後年になって聴覚障害を起こしたことが書かれています。1974年頃、リヒテルの絶対音感に狂いが生じて、音程が1音から2音高く聞こえるようになったそうです。またこの頃リヒテルはあるフレーズが頭の中で鳴り続けるという症状に悩まされていて、薬を飲んでも改善せず、逆に薬を止めたことによって次第に治まったそうです。
リヒテルの聴覚異常の原因がなんだったのか、ぽん太にはわかりませんが、みなさんは薬の副作用でも聴覚異常が起きることを知ってますか?では、ちょっとみちくさしてみましょう。
カルバマゼピン(商品名テグレトール)という薬があり、てんかんや躁病、統合失調症、三叉神経痛などの治療などで使われるのですが、この薬の服用によって、音階が正確につかめなかったり、音が大きく聞こえたりすることがあるのです。それは、当時の厚生省が出していた、医薬品副作用情報のN0117(1992年11月)に書いてあります。
そこには症例が2人あげられています。一人目はてんかんの11歳の女性ですが、カルバマゼピンを投与して2週間後ぐらいから、「ピアノのレッスン時にキーを間違えても気づかない、音階を正確につかめない」という聴覚異常が現れ、薬を減量したところ改善したそうです。二人目はてんかんの10歳の女性で、耳鳴りやチャイムの音が大きく聞こえるなどの聴覚異常が出現しましたが、そのまま薬の投与を続けたところ、数週間後に改善したとのことです。カルバマゼピンと聴覚異常との因果関係は明らかではないけれども、薬の減量で改善したケースもあるので関係は否定できないとしています。
現在のテグレトールの添付文書の副作用の項には、「聴覚異常(耳鳴、聴覚過敏、聴力低下、音程の変化等)」と書かれています。
医学雑誌にあたってみると、紺野衆の論文(紺野衆:カルバマゼピン投与により半音低下の聴覚異常が出現したてんかんの一例.日本内科学会雑誌 94(4): 759-762, 2005.)が、過去の報告例25例のレビューもあげていて便利です。25例中23例が日本の報告だそうで、日本人において絶対音感に対する関心が高いからだろうと述べています。25例中18例が音程が低く聞こえ、1例では高く聞こえたというので、音程が高く聞こえたリヒテルとは反対の傾向が認められます。またカルバマゼピン以外の薬によるこのような副作用の報告は見つからなかったそうです。
専門的になりますが、カルバマゼピンによって音程が変化する機序に関しては、1、聴覚異常をきたした症例のABR所見が正常なことから、抹消の聴覚伝導路の障害ではなく、認知レベルの障害ではないかという説、2、カルバマゼピンが大脳辺縁系に作用して知覚の失調を引き起こしたのではないかという説、3、コルチ器官の外有毛細胞に影響するためではないかという説などがあると書かれています。
また藤本らによると(藤本礼尚、他:カルバマゼピンの副作用である聴覚異常の電磁図による3例の検討. 日本生体電磁気学会誌 18(1): 254-255, 2005. )(学会抄録のpdfファイルはこちらの「一般演題06」を見て下さい)、カルバマゼピンによって音程の低下が見られた患者3人にABRとMEGを行ったところ、ABRに変化は認められなかったが、MEGでN100mが外側前方に偏倚していたといいます。これは一次聴覚野の局在において、音程の低下に合致する現象です。これらの結果から藤本らは、カルバマゼピンが一次聴覚野に作用して聴覚異常を来したと結論しています。
しかし、ホントのところどうなのかは、まだまだ検討が必要でしょう。ぽん太もカルバマゼピンを処方した患者さんに今後は注意深く聞いてみたいと思っています。
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