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2005年11月の11件の記事

2005/11/27

【演劇】だいぶ前だけど錬肉工房+龍昇企画の『女中たち』を見た

 錬肉工房の岡本章の演出でジャン・ジュネの『女中たち』が上演されると聞いて、見にいってきました(錬肉工房+龍昇企画、2005年8月24日〜8月28日、麻布die pratze)。
 ジャン・ジュネ(1910〜1986)は、いわずと知れたフランスの作家で同性愛者フゥ〜!『泥棒日記』などの作品で有名で、サルトルなどにも強い影響を与えました。一方の岡本章(1949-)は演出家にして俳優、たしか明治学院大学の芸術学科の先生もしているはずです。能や舞踏を取り入れた独特の身体表現を追求した演劇は高く評価されています。
 これまで岡本の舞台は、「んま」とか「がぁ」とか声とも叫びともつかない断片的な発声からはじまって、それが徐々に音節となり、単語となり、やがて意味を持つ言葉をなしてゆくところから始まるのが普通でした。今回の舞台でもそのつもりで待ち構えていたら、いきなり濃〜い言い回しのセリフから始まったので、ぽん太は不意打ちをくらって度肝を抜かれました。また岡本の脚本は、原作のテクストを一度断片にまで解体し、それらを並べ替えたり反復したりして再構成されている場合が多かったのですが、今回はジュネの脚本がそのまま使われていたようです。
 その理由は、おそらくジュネがこの劇に持ち込んだ仕掛けを生かそうとしたからでしょう。テクストの解体と再構成によってプロットを破壊してしまうと、ジュネの目論見がわからなくなってしまいます。
 『女中たち』のあらすじは次のようなものです。ぽん太の書棚にあったのは「ジャンジュネ全集4」(新潮社、1968年)に収められた『女中たち』(一羽昌子訳)ですが、『女中たち バルコン ベスト・オブ・ジュネ』(渡辺守章訳、白水社、1995年)の方が手に入りやすいかもしれません。今回の演劇の脚本は渡辺守章訳となっていますから、後者を使ったと思われます。
 登場人物は女中の姉妹ソランジュとクレール、そして二人が仕えている奥様です。劇が始まると舞台上には「奥様」と「クレール」がいます。「奥様」は尊大な態度で「クレール」を口汚く罵ります。一方で「クレール」は慇懃な態度をとりつつも「奥様」を心理的に支配しようとします。ところが劇が進むにつれて、「奥様」と思っていたのは実はクレールで、「クレール」は姉のソランジュが演じていたことがわかってきます。姉妹は奥様が留守のあいだに奥様ごっこをしていたのです。現実の奥様は優しく、女中たちは奥様にあこがれを持ちつつも慎み深くかしづかえています。しかしさらにその裏で、姉妹が偽の手紙を書いて旦那様を陥れようとしていることがわかってきます。事の発覚を恐れた二人は奥様を睡眠薬入りのお茶で毒殺しようとして失敗します。最後は再び奥様ごっこのなかで、クレールは「奥様」を演じつつ睡眠薬入りのお茶を飲み干そうとします。
 ジュネの時代の一般的な演劇は、俳優が登場人物になり切って迫真の演技をするというものでした。しかしそれはウソで、俳優は登場人物ではありません。俳優と登場人物のあいだには、つねになんらかのズレがあるはずです。ジュネは演劇のなかに奥様ごっこを持ち込むことで、演劇が持つウソくささを告発したのです。
 さらにこの告発は、個人というもののウソくささにまで及んでいるのです。あなたはそのように振る舞っているけれど、それは本当にあなた自身なんですか?この問いかけは、「自己と他者」、「自己の複数性」といったきわめて現代的な問題につながっています。
 岡本の演出は、四人の男優が役を途中で入れ替えたり、役とは無関係に順番にセリフを言うことによって、ジュネの仕掛けの上にさらにもうひとつ仕掛けを重ねるというものでした。それによって重層性がいっそう強調され、「自己」の問題を浮かび上がらせるのに成功していたように思われます。
 ところで訳注によると、『女中たち』はパパン姉妹の犯罪をヒントにして書かれたのだそうです。パパン姉妹の犯罪は、1933年にフランスのルマン(24時間レースで有名ですね)で実際に起きた事件で、女中の姉妹が些細なことをきっかけに、女主人とその娘の目を生きたままえぐり出し、ハンマーでめった打ちにするなどして惨殺したというものです。この事件は社会的なスキャンダルになっただけでなく、思想家やシュールレアリストにも大きな影響を与えました。ジャック・ラカンも「パラノイア性犯罪の動機 パパン姉妹の犯罪」という文章を書いています。だいぶ以前に読んだけど、久々にみちくさしてみようかな、でもあんまり訪ねたくない人だな。

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2005/11/22

『オデュッセイア』を読むーーこの登場人物には「共感」が可能です

 『イーリアス』でギリシア神話に入門したぽん太は、余勢をかって『オデュッセイア』(ホメロス著、松平千秋訳、岩波文庫、1994年)に取りかかった。今度は読みやすい松平千秋訳の岩波文庫板である。
 あらすじはすごく大雑把に言えば、トロイア戦争で勝利した英雄オデュッセウスが、数々の苦難を乗り越えて故郷イタケに戻り、妻に群がる求婚者たちを成敗するまでの話しです。
 一読して『イーリアス』とのあまりの違いに驚きました。『イーリアス』に描かれた英雄たちは、神々の意向に従って戦いを繰り広げるロボットのような存在でしたが、『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスは、自らの知恵と策略とで苦難を乗り越えて行きます。
 『イーリアス』と『オデュッセイ』の世界が非常に異なるので、ホントに両方ともホメロスが書いたのかいな、という疑問が当然浮かんでくるわけですが、訳者の解説によれば、後者はホメロス老年期の作とも、ホメロスの息子あるいは高弟の手になるとも、あるいは別の流派の詩人が書いたとも言われているそうです。研究によれば両者が書かれた時代には数十年から半世紀ぐらいの開きがあるそうです。
 『オデュッセイア』のテーマは、なんといってもオデュッセウスの知略でしょう。以前の記事に書いたように、『イーリアス』の英雄たちは神々の意のままに行動し、内省も、善悪の判断も、未来を見通して計画を立てる能力もありません。ですからジェインズのように、当時の人間は「意識」がなくて幻聴の命令に従って行動していたという珍説まで飛び出すわけです。一方オデュッセウスは、自分の頭で考え、未来に向かって計略を練り、問題を解決します。これは現代人の「意識」にかなり近いように思われます。『オデュッセイア』の著者にとって、「知恵を絞れば問題を解決できる」ということが珍しくて面白くて仕方なかったように思えます。一休さんのトンチ話じゃないですが、オデュッセイは困難に陥るたびに知恵を絞り、逆境を切り抜けます。例えば第九歌で一つ目の巨人キュプクロスに捉えられたオデュッセウスは、名前を聞かれて「誰もおらぬ」という名だと答えます。やがてオデュッセウスはキュプクロスの目に丸太を打ち込むのですが、キュプクロスが苦しむ声を聞いて洞窟の外に仲間が集まって来て、「誰がお前を殺そうとしているのか」と聞きます。ところがキュプクロスは「おれを殺そうとしているのは『誰もおらぬ』」と答えたため、みんな「な〜んだ、誰もいないのか」と帰ってしまいます。今どき小学生でも喜ばないような話しでが、ホメロスには面白く感じられたのでしょう。
 『オデュッセイア』で次に目につく点ですが、「引き延ばし」とでも申しましょうか。そもそもこの叙事詩は、オデュッセウスの帰還がさまざまな困難によって引き延ばされる物語です。また故郷イタケに戻ったオデュッセウスは、彼の屋敷で狼藉を働く求婚者たちを直ちに打ち取ろうとせずに、まずは乞食のふりをして機会を伺い、復讐を引き延ばします。引き延ばしが可能になるためには、時間の流れのなかに自分を位置づける能力が必要になります。そして未来における効果を考慮して、現在の自分の行動を抑制しなければなりません。『イーリアス』がまさにキレやすい子どもの世界だとすれば、『オデュッセイア』は我慢を覚えた大人の世界と言えるかもしれません。
 また、「気づき」というのも目につきます。乞食のふりをしたオデュッセウスの足を洗っている乳母は、足の傷痕から彼がオデュッセウスであることに気づきます。物事の意味を読み取るという心の働きが見られます。
 そのほか、夢の話しや冥界の話しもあって、興味もつきませんが、長くなるので省略しましょう。
 以上のように『オデュッセイア』の登場人物は、『イーリアス』の英雄たちと違って、われわれに近い意識の働きを持っているようにぽん太には思えます。でもその分『イーリアス』の崇高さは影を潜め、小賢しい人間界のちまちました話しになってしまったのはいた仕方ないのでしょう。

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2005/11/20

『イーリアス』の訳者の呉茂一は呉秀三先生の息子だった

 ところで『イーリアス』(平凡社ライブラリー、2003年)の訳者、呉茂一は、呉秀三先生の息子なのだそうです。呉秀三(1866〜1932)といえば精神医学の世界では泣く子も黙る大先生でして、元東京帝国大学教授であり、東京府立松沢病院(現在の都立松沢病院ですね)の院長でもありました。日本の精神医療の基礎を築いた人のひとりです。呉秀三先生の名は、なによりも「我邦十何万ノ精神病者ハ実ニ此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外ニ、此邦ニ生レタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云フベシ」(日本の何十万人の精神病患者は、精神病にかかってしまったという不幸に加えて、日本に生まれたという不幸が重なっていると言うべきである。ぽん太訳)という言葉で有名です。日本の精神医療・福祉が世界に比べてはるかに遅れていることを嘆いたこの文章は、日本で精神医療・福祉に関わる人なら、正確に覚えているかどうかは別にして、誰もが知っております。来年4月の障害者自立支援法の施行で、さらに日本に生まれた不幸が重ならないよう祈るばかりです。
 この有名な言葉が書かれているのは、呉秀三と樫田五郎の共著である『精神病者私宅監置の実況及び其統計的観察』(1918年)です。現在は復刻版が手に入りますが、アマゾンのデータベースで、「其」統計学的観察が、「某」統計学的観察になっているのはご愛嬌です。当時の日本では、多くの精神障害者がいわゆる座敷牢に閉じ込められ、治療も受けずに劣悪な環境に置かれていることを、この本は告発したのです。これを受けて1919年精神病院法が公布され、公立精神病院を作ることで私宅監置の現状を改めようとしましたが思うような成果は上がらず、その後も私宅監置がますます増えたという事実はよく知られています。
 この本は、長らく失われて幻の本と言われていましたが、都立松沢病院の栄養科長であり、精神医学に関する資料の蒐集家であった鈴木芳次が古本屋で見つけたことによって、再発見されたものです。そのことは金子嗣郎の『松沢病院外史』(日本評論社、1982年)にも、「この書は、永らく幻の本として入手困難であったのを、畏友鈴木芳次が苦労の果て入手し……」(14ページ)と書いてあることからもわかります。
 そういえば夢野久作の『ドグラマグラ』の主人公、呉一郎という名は、呉秀三先生からとられたと言われています。
 ちなみに呉秀三先生のお墓は多磨霊園(地図はこちら)にあるようです。機会があったらお参りに行ってみようかと思います。

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2005/11/19

ホメーロスの『イーリアス』を読むーー登場人物たちの行動には違和感を覚える

 正月ににゃん子とギリシアに行くことにしたぽん太は、予習としてホメーロスの『イーリアス』(呉茂一訳、平凡社ライブラリー、2003年)を読んでみました。本書はギリシアとトロイアの戦い、いわゆるトロイア戦争の最後の49日間を、英雄アキレウスの活躍を中心に描いた壮大な叙事詩です。『イーリアス』はヨーロッパ最古の文学なのだそうです。ホメーロスは紀元前8世紀頃のひとだそうですが、ホメーロスは『イーリアス』を創作したのではなく、当時のギリシアに語り伝えられていた物語を文字に書き留めた人と考えられているそうなので、これらの物語が創られた時代はさらに過去に遡ることができるようです。
 ちなみに「世界」最古の文学はなんだろうかとぐぐってみたら、メソポタミアのシュメール文明の時代を描いた『ギルガメッシュ叙事詩』だそうで、現存する最古の写本は紀元前8世紀頃、物語が成立したのは紀元前2000年頃と考えられているそうです。
 余談ですが検索にかかった新しい歴史教科書をつくる会のサイトには、「源氏物語は世界最古の文学」と書かれており、新しい歴史教科書をつくる会の歴史認識の一端が伺われます。
 本題に戻って『イーリアス』ですが、とても劇的で躍動感に満ちており、わくわくしながら読み進むことができます。けれど、どこか物語に浸りきれないところがあるのです。というのはアキレウスを初めとする登場人物は、悩んだり迷ったり反省したりすることがなく、ただただ神々の意図に従って行動しているのです。
 第一書でアキレウスが会議を招集したのは「白い腕の女神ヘーレーが こういう気を起こさせた」からであり(54-56)、アキレウスがアガメムノーンを殺そうとするのを止めるのも女神アテーネーです(193-)。アテーネーはアキレウスの後ろに立ち、彼の髪の毛をつかみます。アキレウスはびっくりして振り向き、恐ろしい顔をしたアテーネーを認めるのですが、その姿はアキレウスにしか見えないのです。そしてアキレウスはアテーネーの言葉に素直に従って刀を鞘に納めます。 
 こうした例は本書のあちこちに見られるのですが、ぽん太はとても違和感を覚えました。また神々の方も、キリスト教や仏教とは違って、人間と同じようにけんかもすれば嫉妬もし、あっちの味方をしたかと思えばこっちの手助けをしたりします。ぽん太は西洋といえばキリスト教の一神教と思い込んでいましたが、西洋の歴史の最初にこのような神概念の時代があったことを初めて知りました。

 『イーリアス』に描かれた英雄たちのこのような行動特性から、当時の人々は意識を持っておらず、幻聴の命令に従って行動していたのだと主張したのが、ぽん太が以前の記事(ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』を読むーーなんとピラミッドは幻聴の命令で造られた!?(2005.9.5))で取り上げたジェインズの『神々の沈黙ー意識の誕生と文明の興亡』(柴田裕之訳、紀伊國屋書店、2005年)です。
 ジェインズの第一の論拠は、『イーリアス』には意識や精神活動を指し示す言葉が使われていないということです。現在では「魂」を意味するpsycheや、「精神」を意味するphrenなどの言葉が、『イーリアス』の用法ではそれぞれ「血」や「息」、「横隔膜」といった具体的なものを指しているといいます。この点を確認するには、ギリシア語の原文で、そうした単語の用法を検討しなければなりませんから、翻訳からは真偽を判定することはできませんでした。
 第二の論拠は、『イーリアス』の登場人物には意識や主観が認められず、つねに神々に従って行動しているという点です。登場人物と神々の関係は、われわれ現代人と意識の関係にそっくりだと言います。この点に関しては、先ほど述べたように、ぽん太も翻訳を読んでそう感じました。
 実際は『イーリアス』のなかにも、意識があると思われるような記述があるのですが、ジェインズは、そういう部分は『イーリアス』のなかでも比較的新しく付け加えられたもののだと言います。この点も、ぽん太は各部分がいつの時代に造られたのか知りませんから、確かめようがありません。またジェインズは、アゲーノールが長い独白のなかで(第21書553-)、「だが全く、何故こんなことを 私の心は談(はな)しかけたか」とびっくりしたように自問するの部分に着目し、このような独白が本人が驚くほど異常だったことを示していると言うのですが、確かに目を引く部分です。
 けっきょく翻訳を読む限り、ギリシア人が幻聴に従って行動していたというジェインズの主張が正しいかどうかは、判断がつきません。しかしギリシア人にとって意識というものが、われわれとは違って外在的なものだったのだろうな〜と推測できます。われわれは意識はわれわれのなかにあり、自分の思考や行動は、自分が決めて自分の意思で行っていると考えています。つまり意識は内在的なものです。しかしギリシア人にとっては、思考や行動は、自分の外からもたらされ、押し付けられるものだったように思われます。ぽん太はギリシアの考え方が間違っていて、われわれの考え方が正しいとは思いません。意識が内部にあるというわれわれの考え方は一面的であり、ギリシア的な考え方のなかに、現代人の心理の袋小路を抜け出す可能性が隠されているように感じました。

 なお、『イーリアス』の翻訳は岩波文庫でも出ています(ホメロス『イリアス』松平千秋訳、岩波文庫、1992年)。ぽん太は岩波文庫よりも平凡社のほうが訳が新しくて読みやすいだろうと思って買ったのですが、実は反対で、岩波文庫は新しく訳し直されたものであり、岩波文庫の以前の古い訳を平凡社が出版しているようです。お買いになるのなら、読みやすさの点から岩波文庫のほうをお勧めします。

 ところで平凡社版の訳者の呉茂一は、なんと元東大精神科教授、都立松沢病院院長の呉秀三大先生の息子だとのこと!この点に関しましては、また日を改めてみちくさすることにいたしましょう。

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2005/11/13

『般若心経』『金剛般若経』を読む

 ぽん太は前回の法華経に引き続き、今度は般若経を読んでみました。具体的には『般若心経・金剛般若経』(中村元他訳注、岩波文庫、1986年)で、現在は品切れですが、ワイド版岩波文庫で手に入ります(同書のアマゾンのリンクはこちら)。
 いわゆる「般若経」は、ただひとつの経典ではなく、多数の経典群の総称なのだそうです。般若経は大乗経典のなかではもっとも早期に創られたものであり、西暦1世紀前半頃に南インドで成立して、その後次第に発展していったそうです。『金剛般若経』は空の思想を説いていながら「空」という言葉を使っていないので、空の思想成立以前の早い時期に創られたと考えられます。文庫本の「解題」によれば、紀元後150年から200年頃までに成立したと推定されるそうです。一方『般若心経』はかなり遅れて成立したと考えられているそうです。
 さて『般若心経』といえば「色即是空、空即是色」という言葉で有名です。要するにその教えは、あらゆるものが空である、あらゆるものにとらわれてはいけない、ということらしいです。『般若心経』や空の思想についてはさまざまな人がさまざまに論じているので、浅学なぽん太が付け加えることはございません。
 『金剛般若経』は、先に述べたように「空」という言葉を使わずに空の思想を説いているので、現在のわれわれから見るときわめて回りくどい言い方になっています。引用してみましょう。

 「スブーティよ、もしも、ある求道者が、『わたしは国土の建設をなしとげるだろう』と、このように言ったとすれば、この人もまた同様に(求道者ではないと)言わなければならない。それはなぜかというと、スブーティよ、如来は『〈国土の建設〉、〈国土の建設〉というのは、建設ではないことだ』と説いているからだ。それだからこそ、〈国土の建設〉と言われるのだ」(101ページ)。

 「空」という言葉を使えば「〈国土の建設〉もまた空である」と一言ですみそうに思えますが、『金剛般若経』は、あらゆるものにとらわれてはいけないということを、このような回りくどい言い方で延々と説いていきます。
 このような『金剛般若経』を読むと、『法華経』がどれほどストーリーやイメージに満ちているかが改めてわかります。でも『金剛般若経』は、とても重要視されてきた経典なのだそうです。
 『金剛般若経』に「心の流れ」について述べているところがあり、「スブーティよ、過去の心はとらえようがなく、未来の心はとらえようがなく、現在の心はとらえようがないからなのだ」(105ページ)と書かれています。この一節は、同書の鳩摩羅什訳によれば、「過去心不可得。現在心不可得。未来心不可得」となります。ここは道元が『正法眼蔵』第八「心不可得」で論じている部分ですね。そのうちみちくさしてみることにしましょう。

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2005/11/12

能登半島の旅ーー妙成寺、阿岸本誓寺、總持寺祖院

PA270047 ぽん太とにゃん子は能登半島を北上し、妙成寺(みょうじょうじ)(公式ホームページはこちら、地図はこちら)を訪ねました。北陸地方の日蓮宗の本山で、建立は1293年とのこと。PA270055建物は江戸初期のものだそうで、それらの多くが国の重要文化財に指定されています。
 なんといってもすばらしいのは壮麗な五重塔五重塔です。塔マニアのにゃん子も大満足です。日蓮宗らしく華やかで荘厳なお寺でした。

PA270067 おまけ(その1)−ー世界一長いベンチです(地図はこちら)。ギネスブックに認定されているそうです。

PA270070 阿岸本誓寺(あぎしほんせいじ)です(地図はこちら)。本堂の巨大な茅葺き屋根が特徴です。PA270077柔らかさと重々しさを兼ね備え、見る者を安心させる建物です。浄土真宗という宗派に似合っているような気がします。寺の壮健は鎌倉時代まで遡るそうですが、建物が造られたのは1792年頃だそうです。境内のアギシコギクザクラは花見の名所にもなっているようです。

PA270079 三つ目は總持寺祖院(そうじじそいん)です(公式ホームページはこちら、地図はこちら)。こちらは禅宗の曹洞宗のお寺です。境内は凛とした雰囲気が漂い、修行僧が作務に励んでいます。PA270087均整の取れた本堂のまわりは、紅葉が少し色づき始めていました。開創は1321年で、福井県の永平寺と並んで曹洞宗の大本山とされ、隆盛を極めたそうです。ところが明治31年に伽藍の多くを焼失したため、それをきっかけに大本山は神奈川県鶴見市の大本山總持寺(公式ホームページはこちら)に移されました。

PA270090 おまけ(その2)ーー道を走っていると「三重塔」の案内看板が! 塔マニアのにゃん子が見逃すはずがありません。案内に従って進むと、ありました、コンクリートの土台の上の三重塔です。PA270091近くには真新しい大仏が! 「真和園」というところのようですが、新興宗教ではないようですし、ネットでしらべてもよくわからない施設です。

PA270108 その夜は和倉温泉に宿泊しました。有名な加賀谷はぽん太の好みに合わないので(本当は値段が高くて敬遠しました)渡月庵にとまりました(公式ホームページはこちら、@nifty温泉ぽん太のクチコミはこちら)。木造二階建てのムードある宿で、なかなかよかったです。

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2005/11/07

能登半島の旅ーー渚ドライブウェイ、気多大社、折口信夫の墓

 膝の調子が改善せず山に行けないので、ぽん太とにゃん子は能登半島を旅してきました。

PA270018 千里浜の渚ドライブウェイです(地図はこちら)。砂浜が固いので、波打ち際を車で走ることができます。観光バスも走っています。漁師さんも海辺にトラックを停めて地引き網をしています。とても不思議な光景です。

PA270019 この交差点の名前!にゃんと「猫の目」です(地図はこちら)。猫好きのにゃん子は大騒ぎです。ぐぐって見ましたが、この地名の由来はわかりませんでした。

PA270024 気多大社(けたたいしゃ)です。なかなか立派なお社です。御祭神は大国主神(おおくにぬしのかみ)で、またの名は大己貴命(おおむなちのみこと)です。奥宮には素戔鳴命(すさのおのみこと)と奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)が祀られています。第十代崇神天皇の頃に創立されたと伝えられています。
 『古事記』(『口語訳古事記 完全版』三浦佑之訳、文藝春秋、2002年)によれば、素戔鳴命と奇稲田姫命は夫婦で、大国主神はその子孫にあたります。また大国主神の妻のひとりである須勢理毘(すせりひめ)は、素戔鳴命の娘にあたります。
 まだ大己貴命と呼ばれていた大国主神は、須勢理毘と出会った瞬間に互いに一目惚れし、たちまち結ばれてしまいます。そこで素戔鳴命は大己貴命に数々の試練を課すのですが、夫婦で力を合わせて乗り切ります。ついに素戔鳴命は大己貴命に大国主という名を与え、国を造って主となるように言うのです。
 この話しにあやかって、気多大社は縁結びの神様とされていますが、さらにキレイになれる神社として若い女性たちに人気があり、雑誌でも取り上げられているそうです。こちらの気多大社の公式ホームページをご覧ください。まるでエステの宣伝のようです。

PA270025 巫女さんですハアハア。ぽん太にも恋が芽生えそうです。

PA270040 近くに折口信夫(おりぐちしのぶ)のお墓がありました。折口信夫は民俗学者であり、釈超空(しゃくちょうくう)という名で歌人としても有名です。その彼がこんなところに眠っているとは知りませんでした。案内板によると、生涯独身だった折口信夫は、後に門弟の藤井春洋を養子にしました。それで春洋の生地であるここに、信夫と春洋の墓が建立されたのだそうです。
 しかし折口信夫が同性愛者だったことは有名で、とうぜん春洋とも同性愛関係にあったわけです。そうしてみると、二人が一緒に眠るこのお墓が違ったふうに見えてきます。
 けれど折口信夫は、同性愛に対する強い偏見を持っていた戦前の社会において、あえて同性愛というスタイルを貫いたのです。それは自らを異端として位置づけることであり、また社会に対する異議申し立てでもあったわけです。そうしてみると、二人が一緒に眠るこのお墓は、さらに違った思いを抱かせます。

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2005/11/06

福満虚空蔵尊はまさに「虚空」だった

 すっかり旅行記のブログになってしまいました。みなさんお元気ですか?ぽん太です。

PA200013 福島県の奥土湯にある幕川温泉の水戸屋旅館(@ニフティ温泉のぽん太のクチコミはこちら)をあとにしたぽん太とにゃん子は、会津の柳津(やないづ)に向かいました。
 柳津には圓蔵寺(えんぞうじ)というお寺があり、福満虚空蔵尊が祀られています(地図はこちら)。日本三大虚空蔵尊のひとつだそうです。PA200008虚空蔵尊が祀られている菊光堂は、只見川に臨む断崖の上に建ち、日本離れした奇観をなしています。
 絶壁に造られた石段を登ると、立派な山門があります。
PA200009 山門をくぐると、なぜか牛のお出迎えです。なんでも菊光堂を建立するおり、どこからともなく現れた牛が手助けをし、完成の暁には姿を消してしまったという故事が伝わっているそうです。会津の民芸品として有名なあかべこは、ここが発祥の地だそうです。
PA200355 牛だけでなく虎もおりました。十二支守り本尊の信仰では、虚空蔵菩薩は丑年と寅年の守り本尊と言われています。守り本尊の信仰の由来はぽん太はよく知りませんが、昭和になってから流行した俗信だと書いてあるホームページがありました。
 さて、三大虚空蔵尊のひとつとはどんな立派な仏さまなんだろうかと思いながら菊光堂に入りましたが、おやおやどこにも見当たりません。祭壇の奥の箱のなかにいらっしゃるのだと思いますが、扉は固く閉ざされていました。なんだか拍子抜けです。まさに「虚空」といった感じです。
 ところで虚空蔵尊って何だ?疑問に思ったぽん太は、さっそく本屋に行って瓜生中『知識ゼロからの仏像鑑賞入門』(幻冬社、2004年)を買ってきました。
 それによりますと、虚空蔵菩薩はサンスクリット語でアーカーシャ・ガルバ。アーカーシャは「虚空」すなわち「どこまでも広がる空間」の意味で、広大無辺な仏の智慧と慈悲を表し、ガルバは「蔵(母胎)」で、それを優しく包み込んでいることを示すのだそうです。密教で発達した菩薩だそうで、この菩薩を本尊として、例えば弘法大師も若い頃行ったという求聞持法(ぐもんじほう)という修法を行うと、超人的な記憶力を得ることができるそうです。
 三大虚空蔵尊の残り二つは、茨城県東海村の大満虚空蔵尊、千葉県天津小湊町の能満虚空蔵尊だそうです。圓蔵寺の言い伝えによれば、唐の高僧から霊木を授かった弘法大師が帰国後それを三つに分けて海に投げ入れたところ、茨城、千葉、柳津に流れ着いたといいます。しかし、海沿いにある茨城、千葉はわかりますが、山の中の柳津になぜ霊木が流れ着いたのか、ぽん太にはどうしても理解できません。
 また「三大虚空蔵尊」は他の説もあるようで、伊勢朝熊、京都嵐山、静岡県焼津市と書いてあるものもあります。

PA200012 圓蔵寺の近くにある元祖岩井屋のあわまんじゅうは、とてもおいしいです。お店を埋め尽くすレトログッズに店主のこだわりが感じられます。

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2005/11/05

JR峠駅はヤバイです−−付録:中野不動尊

 山形県を旅するぽん太とにゃん子は、あこがれの姥湯温泉枡形屋に泊まりました(@nifty温泉のぽん太のクチコミはこちら)。荒々しい断崖に囲まれた、硫黄が臭う真っ白な湯は、秘湯中の秘湯という感じでした。

 温泉に行く途中で、ぽん太とにゃん子は、近くのJR峠駅にみちくさしました(地図はこちら)。
 すれ違うのも苦労する山道を走っていくと、二、三軒のお土産屋があるちいさな駅前広場に着きます。

P9220138
 駅の入り口です。絶句するしかありません。

P9220135
 駅の構内?に入って行くと、なにやら零戦工場の廃墟に迷い込んだような気がしてきます。

P9220129
 峠駅のホームです。蒸気機関車が煙をはきながら走っていそうな雰囲気ですが、実際は山形新幹線が走っているかと思うと、気を失いそうになります。
 なお、駅前にある盆栽で埋め尽くされた峠の茶屋では、有名なお土産峠の力餅を販売しております。

P9230159 翌日、東京への帰り道、福島・飯坂インター近くの中野不動尊にみちくさしました(公式ホームページはこちら)。成田山不動尊(千葉県成田市)、菅谷不動尊(すがたにふどうそん)(新潟県新発田市)と並んで日本三大不動のひとつだと言い張っておりますが、建物もコンクリート造りで、大したことないです。
 日本三大不動というのも、成田山不動尊、目黒不動尊(東京都目黒区)、木原不動尊(熊本県下益城郡)という説など、他にもいろいろあるようです。

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2005/11/04

安久津八幡神社は、神社なのに三重塔がある。

 山形県を旅するぽん太とにゃん子は、次に高畠町にある安久津八幡神社地図はこちら)に行ってきました。

P9220120 ここは神社でありながら三重塔があるので有名です。とはいえ、明治に神仏分離令が出されるまでの日本では、仏教と神道は渾然一体となっていたわけですから、ホントはちっとも不思議ではありません。手前に池を配したあたりがしゃれていて、こじんまりと落ち着いた塔です。
P9220122 手水舎(てみずや)ですが、とてもアヤシイ格好をしております。子宝に恵まれそうな気がします。
P9220123 拝殿です。こちらも素朴で落ち着いた雰囲気です。
P9220125 本殿は改修中でした。
P9220127 棟の両脇の部分の造形が絶妙です。この建物は1765年に再建されたものだそうです。
P9220128 高畠町では、ついでに浜田広介記念館にも立ち寄りました。浜田広介(はまだひろすけ)って誰かって?この名前に聞き覚えはなくても、彼が書いた「泣いた赤鬼」という童話はご存知でしょう。浜田広介は高畠で生まれたそうで、記念館のなかに生家が保存されていました。

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2005/11/01

山形県南陽市の熊野大社は日本三熊野のひとつだって

P9220111 長井市で「あけがらし」を買ったぽん太とにゃん子は、次は南陽市の熊野大社地図はこちら)に向かった。茅葺きの拝殿は素朴かつ重厚な雰囲気でした。
P9220112 この熊野大社は、日本三熊野のひとつだそうです。もちろんひとつは有名な紀州の熊野三山(本宮、速玉、那智)ですが、もうひとつはどこかと思ったら熊野皇大神社というところで、なんと軽井沢にあるそうです(地図はこちら)。軽井沢にそんなものがあるとは知りませんでした。長野県最古の狛犬もあるとのこと。こんど行ってみようと思います。

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