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2005/11/19

ホメーロスの『イーリアス』を読むーー登場人物たちの行動には違和感を覚える

 正月ににゃん子とギリシアに行くことにしたぽん太は、予習としてホメーロスの『イーリアス』(呉茂一訳、平凡社ライブラリー、2003年)を読んでみました。本書はギリシアとトロイアの戦い、いわゆるトロイア戦争の最後の49日間を、英雄アキレウスの活躍を中心に描いた壮大な叙事詩です。『イーリアス』はヨーロッパ最古の文学なのだそうです。ホメーロスは紀元前8世紀頃のひとだそうですが、ホメーロスは『イーリアス』を創作したのではなく、当時のギリシアに語り伝えられていた物語を文字に書き留めた人と考えられているそうなので、これらの物語が創られた時代はさらに過去に遡ることができるようです。
 ちなみに「世界」最古の文学はなんだろうかとぐぐってみたら、メソポタミアのシュメール文明の時代を描いた『ギルガメッシュ叙事詩』だそうで、現存する最古の写本は紀元前8世紀頃、物語が成立したのは紀元前2000年頃と考えられているそうです。
 余談ですが検索にかかった新しい歴史教科書をつくる会のサイトには、「源氏物語は世界最古の文学」と書かれており、新しい歴史教科書をつくる会の歴史認識の一端が伺われます。
 本題に戻って『イーリアス』ですが、とても劇的で躍動感に満ちており、わくわくしながら読み進むことができます。けれど、どこか物語に浸りきれないところがあるのです。というのはアキレウスを初めとする登場人物は、悩んだり迷ったり反省したりすることがなく、ただただ神々の意図に従って行動しているのです。
 第一書でアキレウスが会議を招集したのは「白い腕の女神ヘーレーが こういう気を起こさせた」からであり(54-56)、アキレウスがアガメムノーンを殺そうとするのを止めるのも女神アテーネーです(193-)。アテーネーはアキレウスの後ろに立ち、彼の髪の毛をつかみます。アキレウスはびっくりして振り向き、恐ろしい顔をしたアテーネーを認めるのですが、その姿はアキレウスにしか見えないのです。そしてアキレウスはアテーネーの言葉に素直に従って刀を鞘に納めます。 
 こうした例は本書のあちこちに見られるのですが、ぽん太はとても違和感を覚えました。また神々の方も、キリスト教や仏教とは違って、人間と同じようにけんかもすれば嫉妬もし、あっちの味方をしたかと思えばこっちの手助けをしたりします。ぽん太は西洋といえばキリスト教の一神教と思い込んでいましたが、西洋の歴史の最初にこのような神概念の時代があったことを初めて知りました。

 『イーリアス』に描かれた英雄たちのこのような行動特性から、当時の人々は意識を持っておらず、幻聴の命令に従って行動していたのだと主張したのが、ぽん太が以前の記事(ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』を読むーーなんとピラミッドは幻聴の命令で造られた!?(2005.9.5))で取り上げたジェインズの『神々の沈黙ー意識の誕生と文明の興亡』(柴田裕之訳、紀伊國屋書店、2005年)です。
 ジェインズの第一の論拠は、『イーリアス』には意識や精神活動を指し示す言葉が使われていないということです。現在では「魂」を意味するpsycheや、「精神」を意味するphrenなどの言葉が、『イーリアス』の用法ではそれぞれ「血」や「息」、「横隔膜」といった具体的なものを指しているといいます。この点を確認するには、ギリシア語の原文で、そうした単語の用法を検討しなければなりませんから、翻訳からは真偽を判定することはできませんでした。
 第二の論拠は、『イーリアス』の登場人物には意識や主観が認められず、つねに神々に従って行動しているという点です。登場人物と神々の関係は、われわれ現代人と意識の関係にそっくりだと言います。この点に関しては、先ほど述べたように、ぽん太も翻訳を読んでそう感じました。
 実際は『イーリアス』のなかにも、意識があると思われるような記述があるのですが、ジェインズは、そういう部分は『イーリアス』のなかでも比較的新しく付け加えられたもののだと言います。この点も、ぽん太は各部分がいつの時代に造られたのか知りませんから、確かめようがありません。またジェインズは、アゲーノールが長い独白のなかで(第21書553-)、「だが全く、何故こんなことを 私の心は談(はな)しかけたか」とびっくりしたように自問するの部分に着目し、このような独白が本人が驚くほど異常だったことを示していると言うのですが、確かに目を引く部分です。
 けっきょく翻訳を読む限り、ギリシア人が幻聴に従って行動していたというジェインズの主張が正しいかどうかは、判断がつきません。しかしギリシア人にとって意識というものが、われわれとは違って外在的なものだったのだろうな〜と推測できます。われわれは意識はわれわれのなかにあり、自分の思考や行動は、自分が決めて自分の意思で行っていると考えています。つまり意識は内在的なものです。しかしギリシア人にとっては、思考や行動は、自分の外からもたらされ、押し付けられるものだったように思われます。ぽん太はギリシアの考え方が間違っていて、われわれの考え方が正しいとは思いません。意識が内部にあるというわれわれの考え方は一面的であり、ギリシア的な考え方のなかに、現代人の心理の袋小路を抜け出す可能性が隠されているように感じました。

 なお、『イーリアス』の翻訳は岩波文庫でも出ています(ホメロス『イリアス』松平千秋訳、岩波文庫、1992年)。ぽん太は岩波文庫よりも平凡社のほうが訳が新しくて読みやすいだろうと思って買ったのですが、実は反対で、岩波文庫は新しく訳し直されたものであり、岩波文庫の以前の古い訳を平凡社が出版しているようです。お買いになるのなら、読みやすさの点から岩波文庫のほうをお勧めします。

 ところで平凡社版の訳者の呉茂一は、なんと元東大精神科教授、都立松沢病院院長の呉秀三大先生の息子だとのこと!この点に関しましては、また日を改めてみちくさすることにいたしましょう。

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