リチャード・クロッグ『ギリシャの歴史』と桜井万里子編『ギリシア史』を読む
正月にギリシア旅行をしてきたぽん太は、以前の記事に書いたように、ギリシアの歴史に疑問を持ったのです。
すなわち、ギリシアは約400年間オスマントルコに支配され、地理的にはバルカン半島の南端にあり、トルコなどのイスラム圏に接している。それなのにギリシアは西洋諸国に属している。また、長年トルコに支配されていながら、現代のギリシア人の95%はギリシア正教であり、モスクやイスラム建物がない。
そこでぽん太は近くの本屋にあった、リチャード・クロッグ『ギリシャの歴史』(高久暁訳、創土社、2004年)(アマゾンへのリンクはこちら)を買ってきて読んでみました。残念ながらこの本は18世紀後半以降しか扱っていませんでした。また細かいところはぽん太には理解しきれませんでしたが、それでもとてもおもしろかったです。
またもう一冊、桜井万里子編『ギリシア史』(山川出版社、2005年)(アマゾンへのリンクはこちら)もネットで購入して読んでみました。こちらは古代から現代に至る通史ですが、前書よりは学術度が高く、やや読みにくいです。
いくつか興味深かった点を挙げてみたいと思いますが、その前に基本的な年代を確認しておきましょう。
ギリシアはビザンチン帝国(東ローマ帝国)に属していましたが、オスマントルコがビザンチン帝国の首都コンスタンチノープルを陥落させたのが1453年。その後、ギリシアは基本的にはオスマントルコの領土となります。その後長い年月を経て、ギリシアの民族運動が出現したのが18世紀後半。ギリシアがいつ独立したとするべきかぽん太はよくわからないのですが、1830年のロンドン議定書と考えてよいのでしょうか?
まずいわゆるギリシア人が、自分たちが古代ギリシア文明の継承者だという自覚を持ったのは、やはり最近のことであって、オスマントルコ時代にはほとんど見られなかったそうです。18世紀後半から19世紀前半にかけて、西洋では古代ギリシャ文明の崇拝熱が高まり、それが外部からギリシアに輸入されたのです。建国間もないアメリカ合衆国では、古代ギリシア語を公用語にしようという動きさえあったそうです(『ギリシャの歴史』5ページ)。当時のフランス在住のギリシア人思想家コライスは、ギリシア人の古代ギリシアへの回帰を説き、ギリシア古典を次々と出版しましたが、そうした本がギリシアに持ち込まれたそうです(『ギリシア史』274ページ)。ギリシアを西洋文明の起源と見なすこのような考え方は今日でも続いており、1980年にイギリスの外相は、ギリシアのEC加盟を擁護して、「今日のヨーロッパの政治・文化があるのはすべて三千年前のギリシャの遺産のおかげだ。ギリシャの加盟はそのギリシャへの恩返しになる」と述べたそうです(『ギリシャの歴史』6ページ)。
やはりギリシアが「西欧」に属しているのは、ワケアリだったようです。
とはいえギリシアは、歴史的にさまざまな民族、さまざまな国家が現れたところであり、6世紀から7世紀にかけてスラブ人が侵入・定住したという事実もあり、ホントに現代のギリシア人が古代ギリシア人の末裔なのかという議論もあるそうです(『ギリシア史』167ページ)。
さて、時代は遡ってオスマントルコによるギリシアの支配ですが、オスマントルコが武力で強引にギリシアを支配したというようなものではなく、一定の権利と自治が与えられていたようです。ビザンチン帝国の末期、ルカス・ノタラス大公は、都にカトリックの大司教の冠がはびこるよりも、トルコ人のターバンがはびこる方がましであると述べたそうです(『ギリシャの歴史』13ページ)。
『ギリシャの歴史』によると、オスマントルコはミレット制と呼ばれる統治法をとっていたのですが、それは宗教による分割統治であり、その実態はほとんど自治に近かったそうです。ギリシアはオスマントルコ支配下でも、ギリシア正教の信仰やギリシア語の使用が認められました。『ギリシア史』でも、旧ビザンチン帝国の臣民が強制的にムスリム化されたという記録はないと述べていますが、いわゆるミレット制の存在は否定し、ムスリム優位のもとでキリスト教徒の共存が許されるというズィンミー制度によるとしています。といはいえ、不平等に耐えられず、イスラム教に改宗するキリスト教徒も多かったそうです(『ギリシャの歴史』18ページ)。
さて、ぽん太の疑問のひとつは、なぜギリシアにはモスクやイスラム建築がないのか、ギリシア正教徒がほとんどを占めるのかというものでした。
いくら自治が認められていたとはいえ、当然ギリシアに住み着くムスリムもいたはずだと思います。オスマントルコ支配下のアテネは、寂れた寒村だったそうなので、たまたまアテネにはイスラム建築がなかっただけで、ほかの都市にはあるのをぽん太が知らないだけなのかもしれません。また独立後ギリシアが、イスラム建築を破壊したという考え方もできますが、そのような記述はどちらの本にも見当たりませんでした。宗教に関しては、ギリシアの国土が確定していく過程で、何度かギリシアとトルコで宗教に基づく強制住民交換が行われたそうなので、それによってギリシア正教以外の人たちが減ったのかもしれません。
結局真相はわかりませんでしたが、そろそろ飽きて来たので、この問題に関するみちくさはこの辺にして、巣穴に戻りたいと思います。
ただ考えてみると、民族、宗教、言語、国家が複雑に入り乱れたバルカン半島の先端で、ギリシアがほとんど単一民族、単一宗教であるということは奇跡だとぽん太は思いました。
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