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2006年2月の5件の記事

2006/02/28

医王寺と松尾芭蕉

P2220053 前回のブログで、松尾芭蕉が飯坂温泉に泊まった話を書きましたが、その日の昼に芭蕉一行が訪れていたのが医王寺です。
 医王寺は飯坂温泉のやや南にあります。公式ホームページはなさそうですが、福島交通株式会社のこちらのページが比較的詳しいようです。
 で、この医王寺がなぜ有名なのかというと、佐藤継信・忠信兄弟の墓があるからです。
 で、彼らは誰かというと、藤原秀衡のもとにいた源義経が旗揚げをし、鎌倉の頼朝のもとに向かったとき、秀衡の命で義経に付き従った兄弟です。彼らは目覚ましい活躍で義経を支えましたが、結局は二人とも討ち死にしてしまいます。ほら、昨年の大河ドラマにも出てきましたよね。
P2220055 松尾芭蕉は「おくのほそ道」のなかで「またかたはらの古寺に一家の石碑を残す」(『おくのほそ道』角川文庫、1967年、25ページ)と書いていますが、この「古寺」が医王寺です。さらに「寺に入りて茶を乞へば、ここに義経の太刀・弁慶が笈(おい)をとどめて什物とす」と書き、「笈も太刀も五月に飾れ紙幟(かみのぼり)」という句を残しています。ちなみに笈とは、山伏が旅をするときに背負う箱です。たとえばこちらのサイトに笈の写真と解説があります。
 『おくのほそ道』に書かれた笈は、医王寺の宝物館にあり、いまでも実際に見ることができます。ところがこの笈は弁慶のものではなく義経のものだそうです。そして太刀はなく、代わりに弁慶が写経したお大般若経があります。実際にあったのは義経の笈・弁慶の写経なのですが、それを芭蕉が義経の太刀・弁慶の笈としたのは、間違えたのではなくフィクションでしょう。笈と太刀を五月の節句の飾り物として晴れ晴れしく飾り、その武勇を伝えよ、という発句に見事につながって行くのです。そしてこの句のあとに、前回のブログで引用した「五月朔日(ついたち)のことなり。その夜、飯塚に泊まる」という文が来ます。本当は5月2日のことだったのですが、歯切れよく5月1日と言い切ったのも、間違えたわけではなく、文章に勇ましさと爽快感を与えるためでしょう。

 ところで義経と弁慶といえば、先日、勧進帳で有名な安宅の関をみちくさしてきました。その話はまたあらためて書くことにしましょう。

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2006/02/27

飯坂温泉と松尾芭蕉

 自立支援医療費の書類かきもようやく下火になり、やっとブログを更新する時間ができたぽん太です。

P2210025 さて、先日ぽん太は福島県の飯坂温泉に行ってきました(飯坂温泉オフィシャルホームページへのリンクはこちら)。
 飯坂温泉は、福島駅からほど近いという立地を生かし、かつては観光バスの団体客や会社の宴会などでにぎわいましたが、いまではすっかり寂れていることで有名です。そんななかにあって、こんかい泊まったなかむらや旅館(公式ホームページはこちら)は、江戸末期に造られた土蔵造りの3階建てという美しい建物を現在に伝える宿です。この宿についてのぽん太の感想は、@nifty温泉のぽん太のクチコミをご覧下さい。
P2210034 で、この宿の近くに鯖湖湯(さばこゆ)という共同浴場があります。平成5年に改築された新しい建物ですが、改築前の明治22年に造られた木造建築のデザインを生かした、とても風情のある温泉です。鯖湖湯についてのぽん太の感想は、@nifty温泉のぽん太のクチコミをご覧下さい。また鯖湖湯の公式(?)ホームページはこちらで、立ち寄り温泉みしゅらんのこちらのページも詳しいです。
 で、この鯖湖湯は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征のおりに立ち寄ったとか、松尾芭蕉が奥の細道の旅の途中で入浴したと言われているそうです。ということで、話しは松尾芭蕉の『おくのほそ道』に移ります。ぽん太の手元にあるのは、『おくのほそ道』潁原 退蔵他訳注、角川文庫、1967年ですが、現在は角川文庫ソフィアで出ているようです。ここの26ページに飯坂温泉が出てきます。

五月朔日のことなり。その夜、飯塚に泊まる。温泉あれば湯に入て宿を借るに、土座に筵を敷て、あやしき貧家なり。灯もなければ、囲炉裏の火かげに寝所を設けて臥す。夜に入て雷鳴、雨しきりに降りて、臥る上より漏り、蚤・蚊にせせられて眠らず、持病さへおこりて、消え入るばかりになん。短夜の空もやうやう明くれば、また旅立ちぬ。なほ夜のなごり、心進まず。馬借りて桑折の駅に出づる。遥かなる行末をかかへて、かかる病おぼつかなしといへど、羇旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路に死なん、これ天の命なりと、気力いささかとり直し、道縦横に踏んで、伊達の大木戸を越す。

 『おくのほそ道』の旅は、元禄2年(1689年)、芭蕉46歳のときに行われたとされています。「五月朔日(ついたち)のことなり」と書かれていますが、芭蕉のお供をした曾良(そら)の『曾良随行日記』(同書に収録されています)によれば5月2日とされており、そちらが本当の日付と考えられているようです。また「飯塚」と書かれていますが、当時も飯坂という地名だったそうで、芭蕉が飯坂の古い呼び名と聞き伝えて書いたのだろうという注釈があります。
 で、肝心の芭蕉が鯖湖湯に入ったかどうかですが、「温泉あれば湯に入りて宿を借るに」と書いてあるだけで、どこの場所とは書いてありません。芭蕉ドットコムというサイトの飯坂温泉についてというページでは、椎野健次郎著『飯坂散歩道』(飯坂温泉協会発行)を参照しながら、当時の飯坂には鯖湖湯、透達湯、滝の湯、波来湯の4つの温泉があったが、「湯に入りて宿を借る」と書いてあることから、近くに宿のない露天風呂であった滝の湯と波来湯は除外され、鯖湖湯か透達湯のどちらかだろう、としています。
 またこのページでは、芭蕉がなぜ「あやしき貧家」で一夜を過ごさなくてはならなかったかについて、わけもなく村に立ち入る者に宿を貸してはならないという厳しい藩令が村人の心に強く残っていたのではないか、と説明しています。しかし飯坂は、鎌倉時代から湯治場としてにぎわっていたといいますから、宿ぐらいなかったのかという疑問が残ります。江戸時代の温泉事情をいつかみちくさしてみる必要があるでしょう。『おくのほそ道』の文庫本の解説には、宿での苦難の記述はフィクションの可能性もあると書かれています。

 ということで結論は、松尾芭蕉は1689年5月2日に確かに飯坂温泉で入浴したが、その場所は鯖湖湯か透達湯と推定される、といったところでしょう。

 さて、残るは日本武尊ですが、これは『古事記』にも『日本書紀』にも、温泉に入ったという記述はないので、地元の伝承と考えていいようです。

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2006/02/20

自立支援医療費(精神通院)の東京都の助成が決定しました。

 みなし認定の診断書と意見書かきで、ブログを更新する暇もないぽん太です。
 さて、これまで東京都は、住民税非課税の患者さんに対して、通院医療費公費負担制度(32条)の5%の自己負担分を独自に補助して参りました。これによって住民税非課税の患者さんは自己負担なし(0%)で通院医療を受けることができました。
 この東京都の独自の補助が2006年4月1日からの自立支援医療費ではどうなるのか、という点が問題となっておりました。そこでぽん太は本日、東京都に電話をして問い合わせてみたのですが、ようやく決定したようです。その結果は次の通りです。

 区市町村民税が非課税の世帯の場合は、東京都が10%の窓口負担分をを負担上限範囲内で全額補助し、医療機関や薬局での窓口負担は無料になる。

 まだ東京都のホームページなどでは告知していないとのことです。書類も送られて来ていません。
 ぽん太の予想では、東京都の補助は廃止か、良くても5%だろうと思っておりましたので、10%全部を負担するというのは「頑張ったな」という感じです。東京都のお役人さんたちを誉めたたえたいと思います。
 とはいえ、これまでは「患者さん本人」が非課税ならば無料でしたが、4月1日以降は「患者さんが属する世帯」が非課税である必要がありますので、対象者は減ることになります。
 とりあえずお知らせまで。また書類かきに戻ります。ぜいぜい。

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2006/02/07

「観無量寿経」と「阿弥陀経」も読んでみた

 以前に浄土三部経のうち「無量寿経」を読んだぽん太は(無量寿経を読んでみたが……)、せっかくなので残りの二つの「観無量寿経」と「阿弥陀経」も読むことにしました。テクストは中村元他訳注『浄土三部経(下)』(岩波文庫、1964年)です。

 まず「観無量寿経」ですが、あらすじを書くのは面倒なので、たとえばこちらのサイト(無盡燈、観無量寿経の大意)をご覧下さい。
 このお経でまず目につくのは、ラージャグリハ市の大王一家に起きた悲劇の生々しい描写から始まる点です。お経のなかに殺すの殺さないのという血なまぐさい話しが出てくるとは驚きです。
 太子であるアジャータシャトル(阿闍世=あじゃせ)は悪友にそそのかされて、父である大王ビンビサーラ(頻婆娑羅)と母である大夫人ヴァイデーヒー(韋提希=いだいけ)を幽閉します。悲しみに沈んだヴァイデーヒーの願いに応えてお釈迦様が姿を現し、教えを説きはじめる、という次第です。
 ん?阿闍世?どっかで聞いたぞ。そういえば昔、小此木啓吾が「阿闍世コンプレックス」とか言っていた気がする。小此木啓吾(おこのぎけいご)は荻野目慶子(おぎのめけいこ)と発音がちょっと似ていますが無関係です。小此木啓吾といえば『モラトリアム人間の時代』(1978年)という本で有名になりました。今を去ること30年くらい前、どう生きてよいかわからず決定を先延ばしするという、ニートの先駆けのような人たちがいて、モラトリアム人間と呼ばれていたのでした。モラトリアム人間とニートはどう違うのか!などという問題はあんまり興味がわかないな。で、この小此木啓吾が阿闍世コンプレックスなどということを言っていたのだが、この概念を最初に取り上げたのは古澤平作だそうです。古澤平作と小此木啓吾は、日本の精神分析において重要な人物です。フロイトのオイディプス・コンプレックスがギリシア神話に題材を取り父子関係に焦点を当てていたのに対し、仏典に題材を取り母子関係を重要視する阿闍世コンプレックスという概念を提唱するというのは、わかりやすいと言えばあまりにわかりやすすぎます。しかしこのあたりは今回はみちくさを控えましょう。
 で、「観無量寿経」に書かれている阿闍世の話に戻りますが、これだけ聞くとひどい子供の家庭内暴力に苦しめられた両親の話に聞こえますが、実はこの話には前段階があるのです。それは例えばこちらの「無盡燈」の「伝導:舎衛城と王舎城」のページに出ています。まだ大王と大夫人のあいだに子供がいなかった時分、占い師に相談したところ、山中に仙人がいて三年後に死んで王子に生まれ変わるという預言をうけました。ところが三年待つことができなかった大王は仙人を殺してしまいます。仙人は死に際に「大王が私を殺したのだから、私も大王の子となって大王を殺そう」と言い残します。そこで大王と大夫人は、出産のときに高楼から子供を産み落として殺そうとしますが、子供は小指を損なっただけで命に別状なく成長していくのです。
 この部分は観無量寿経には書かれていませんが、おそらく当時は誰もが知っている話だったのでしょう。この部分を考え合わせると、阿闍世の両親もまた無実ではないのです。
 さて観無量寿経に戻ると、お釈迦様はまず最初に阿弥陀仏と極楽浄土を観想する十三の段階を説きます。日本の浄土教は、ただ念仏を唱えることを勧め観想などは否定していますから、少し気になるところです。
 ついでお釈迦様は、極楽浄土に往生することを願う人にも上品上生から下品下生まで9種類のレベルがあるとし、最悪の下品下生の人も「南無阿弥陀仏」と唱えることで極楽往生できると説きます。
 阿弥陀仏の仏像の手の形で、上品上生だのなんだのがあることは知っていまいしたが、この仏典に書いてあったことでしたか。そして先ほど阿闍世の話には前段階があることを書きましたが、浄土教におけるこの経典の解釈では、自分の子供を殺そうとした過去がある大夫人ヴァイデーヒーがお釈迦様に極楽浄土への成仏を願ったという点を重視するようです。彼女に自分の罪を自覚させ絶対他力の信仰に導くために、お釈迦様は下品下生のための念仏を説いたと考えるようです。浄土教を広めた僧たちはみな、自らを下品下生の罪ある者と考えたことはいうまでもなく、ぽん太は以前の記事(「悪人正機」の悪人とは我々のことである)でそのことを書きました。

 「阿弥陀経」はとても短いお経で、般若経仏典群における般若真経のように、浄土教のエッセンスをまとめた経典と思われます。このあらすじも、たとえば「無盡燈」の阿弥陀経の大意というページをご覧下さい。

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2006/02/06

自立支援医療費(精神通院)のドロナワ

 通院医療費公費負担制度(32条)から自立支援医療費(精神通院)への更新手続きは、ますます混乱をきわめて来たようです。
 先日調べてみたら、ぽん太のちっちゃなクリニックでも、32条を利用している患者さんが約200人おりますので、おおよそ100人分の診断書と、100人分の意見書を、2ヶ月の間に書かないといけないことになります。これは大変な労力が必要ですし、制度の性質上、診断書料も安く設定しておりますから、書けば書くほど赤字です。コノウラミ、ハラサデオクベキカ〜〜。

 と思っていたら、3日ほど前、東京都から新たな書類が届きましたので、アップしておきます。パソコンが苦手のぽん太は、デジカメで撮ってpdfファイルに加工したので、読みにくいのはご勘弁を。

 1ページ2ページ

 まず1ページ目ですが、診断書を書く手間を軽減してやろうということのようですが、実際のところたいした時間の節約にはなりそうもありません。

 2ページ目はQ&Aになっております。
 手帳と同時更新する場合に必要な診断書に関しては、手帳の有効期間が2年なのに、自立支援医療費は毎年更新なので、かなり複雑なようです。また「重度かつ継続」も絡んできてわけがわかりません。
 さらに患者さんに直接送った申請書や、手続き案内の訂正が書かれています。
 ところでこれらの内容は、患者さんにも送ってあるんでしょうか。ぽん太に言われても困ります。行政の責任を医療機関に押し付けないで下さい。

 ぽん太の住むタヌキの世界では、こういった状況は「ドロナワ」と呼ばれ、カチカチ山の「ドロブネ」とともに忌み嫌われております。
 ぽん太は、今回の制度変更をきっかけに、行政がやるべきことは行政にやってもらい、医療機関が尻拭いをしないという、小泉さん得意の「自己責任」の原則を貫こうと思います。医者の本来の役目は、診断書を請求されたらお書きすることだけなので、諸々の手続きや、自立支援医療費や障害者手帳の有効期限を管理して、期限が来る前に更新するよう促すことなどは、市役所にやっていただくつもりです。
 厚労省と東京都に苦情のメールを出すつもりなのですが、診断書を書くのに追われて、苦情メールを書く暇もありません。ヤレヤレ。

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