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2006年4月の8件の記事

2006/04/30

妙義山中之岳神社、大国神社

 妙義山石門めぐりのハイキングコースから下山してくると、中之岳神社に出ます(公式ホームページ地図)。公式ホームページでは「中之嶽神社」という漢字があてられています。
 御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)とほか十柱だそうです。日本武尊は景行天皇の息子で、九州や関東、東北を平定したことや、草薙の剣の話しで有名ですね。この神社には神剣が祀られているそうですが、草薙の剣の話しと関連があると思われます。
P1010027 これが社殿です。新しい建物のようです。
 一般的な神社建築は、本殿と幣殿と拝殿から成り立っています。神社を訪れたときまず目に入る、賽銭箱がおいてあって祈祷をするところは拝殿です。そして一番奥には、御神体を祀った本殿があります。よく御神体を神様だと思っているひとが多いようですが、御神体は神様そのものではありません。神様が降りてくる場所、神様と交流するための装置です。神様は必要なときに御神体に降りてきて、祈祷やお祓いが終わるとまた神様の国に帰っていくというのが神道の考え方です。本殿と拝殿の間には幣殿があり、ここには幣帛(へいはく)と呼ばれるお供え物が祀られます。
P1010028 中之岳神社では、本殿と幣殿はありますが、その後ろは岩壁にめり込んでいていて、本殿がありません。その理由は、中之岳神社の御神体が、神社の背後にある轟岩と呼ばれる岩峰そのものだからです。
 神社建築に関しては、たとえばこちらをどうぞ。
P1010029 となりには柵で厳重に囲われた構造物があります。奥に石碑がありますが、ぽん太には読めません。古くはここにも神社があったのかもしれません。
P1010031 中之岳神社の狛犬です。ぽん太的にはかなり得点が高いものです。シンプルでアルカイックな形象が古さを感じさせます。後日書くつもりですが、軽井沢の熊野神社にある長野最古の狛犬に通じるものを感じます。

P1010032 中之岳神社の参道の石段の左側に、大国神社があります。公式ホームページによると、御祭神は大国主神(おおくにぬしのみこと)ほか十柱です。ここには大黒様が祀られているのですが、普通の大黒様は木槌を持っているのに、この神社の大黒様は剣を持っているそうです。その理由に関しては、不動明王と大黒様が習合したという説や、中之岳神社の神宝が剣であることから大黒様も剣を持っているという説などがあるそうです。
P1010035 新しく作られた「日本一のだいこく様」だそうです。金色の巨大な笑うセールスマンみたいで俗悪です。妙義山やさくらの里の景観をぶちこわしており、センスを疑います。
 大国主神(一般には大国主命と書きます)は言わずと知れた出雲神話の主役。因幡の白ウサギを助けたひとです。兄弟によって神の国から追われて、出雲の地に降り立ちます。そこで出会った素戔鳴命(すさのおのみこと)のふっかける無理難題を解決し、娘の須勢理比売命(すせりひめのみこと)と結婚し、国造りを行います。
 大黒様は、七福神のひとりとして、五穀豊穣や商売繁盛の神様として信仰されています。典型的な姿では、頭巾をかぶって小槌を持ち、袋をかついで米俵の上に乗っています。色が黒い場合もあり、またニタリと不気味な笑顔を浮かべている場合もあります。というのも、もともと大黒様は、サンスクリット語でマハー・カーラというインドの戦いの神様が仏教に取り入れられたもので、色が黒いことから大黒天と呼ばれるようになったのです。グーグルのイメージ検索でわかるように、もとはかなり怖い神様です。大黒様の色が黒かったり、怖い顔で笑っているのは、マハー・カーラのイメージを引きずっているのです。
 川口謙二編著『日本の神様読み解き事典』(柏書房、1999年、387〜388ページ)によれば、大黒様にはもうひとつの系譜があり、中国の南部の寺院で、廚(くりや)の神様として祀られているものがあるです。これを最澄が日本に持ち帰り、各地の寺の庫裏に袋を待つ像を安置する風習が生まれたそうです。いつも台所にいる奥さんのことを大黒様というのは、ここから来ているのですね。
 さらに「ダイコク」という発音から、大黒天と大国主命が習合されて、現在の大黒様信仰が作られたわけです。
 不動明王はサンスクリットでアチャラと呼ばれ、ヒンズー教のシヴァ神と関係がある神様だそうです。憤怒の表情を浮かべ、火炎を背後に、剣を持つ姿でよく知られています(グーグルのイメージ検索はこちら)。
 先に述べたように、中之岳神社の公式ホームページの解説では、この神社の大黒様が小槌ではなく剣を持っている理由について、不動明王と大黒天が習合したという説と、中之岳神社が神剣を祀っているからだという説をあげています。しかし大黒天は元来が戦いの神様だったため、中之岳神社以外でも、剣を持った大黒様はしばしばみられるようです。

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2006/04/29

【登山】妙義山さくらの里、石門巡り

 連休も間近の4月下旬、登山の足慣らしもかねて、ぽん太とにゃん子は妙義山に行ってきました。

M05042601【山名】妙義山(1104m)
【山域】西上州
【日程】2006年4月26日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れ
【コース】大国神社前駐車場(11:45)…さくらの里…石門めぐり…大砲岩…中間道の稜線下る鉄階段までピストン…中之岳神社…駐車場(14:25)
【マイカー登山情報】無料駐車場多数。ただし桜の時期は混雑。

P1010001 まずはさくらの里です(地図)。東京の桜はとっくに終わっていますが、ここはちょうど満開でした。植栽されたものだそうですが、妙義山の峨々たる稜線と、柔らかな桜の衣の取り合わせが見事です。

P1010017 石門めぐりに入ります。妙義山独特の奇岩を見ながら、鎖を登ったり、石門をくぐったりします。昨年秋に左膝を痛めたぽん太は、膝の様子を伺いながらゆっくり歩きました。

P1010020 アカヤシオがとてもきれいでした。この花はなぜか足場の悪い岩場によく咲いています。葉っぱが出る前に、とても清楚なピンク色の花を咲かせます。

P1010025 はるか荒船山に狙いを定める大砲岩の図です。妙義山にはこのような奇岩がいっぱいあります。
 その後リハビリのために中間道を途中までピストンしました。今回は山頂は目指しませんでした。ぽん太は以前に登頂したときの恐怖感が、いまだにトラウマとして残っています。にゃん子が懸垂を20回できるようになったら、山頂まで連れて行ってあげると約束しました。

P1010037 下山してきたらタンポポが咲いていたので花をひっくりかえしてみたら、ニホンタンポポでした。最近はセイヨウタンポポに押されて、とんと見かけなくなりました。顎が反り返っていないのが特徴です。区別がつかないというひとは、たとえばこちらのページをどうぞ。

 このあと見た、中ノ岳神社、大国神社、妙義神社については、日を改めて書くことにします。

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2006/04/23

旭川飲み屋情報

 以前のブログで書いたように、旭山動物園で元気な仲間たちを見て幸せになったぽん太は、夕暮れになると、月に浮かれて腹鼓を打ちながら旭川の街にくり出していったのです。
P3220107 まず訪れたのが「花まる亭」です。創作料理系のちょっと上品な日本料理のお店です。活ボタンエビがおいしゅうございました。新鮮でコリコリしていて、ぽん太の好物の頭の中身を吸えないほどでした。ペロンタン汁というカボチャ団子の汁があり、てっきりアイヌ語かと思って仲居さんに聞いてみたら、食感がペロンタンとしているので名付けたとものだそうです。いっぱい食わされました。あいにく宴会が入っていて忙しそうで、板さんとの会話が楽しめそうもなかったので、ぽん太とにゃん子は次の店に流れることにしました。
P3220112 辿り着いたのが「ふらりーと」という路地。場所は5条7丁目です。こちらの旭川新聞の記事に「ふらりーと」が取り上げられています。
P3230125 「ふくろう亭」という居酒屋に入ってみました。木のテイストの店内で、ジャズが流れていて小粋な感じです。酒よし肴よしのくつろげるお店です。
P3230123_1 さらに流れて、同じ「ふらりーと」にある焼き鳥屋「ぎんねこ」に入りました。狭い店内にカウンターとちっちゃな座敷があり、おばさん、いえおばさま、もとい奥様方が店を仕切っています。お客さんはおじさんばっかり。
P3220121 焼き鳥は、脂がのっていない外国風。ぽん太とにゃん子は、運動不足で脂が蓄積した日本の焼き鳥は好きではありません。中東やアジアで食べられる、放し飼いで肉が締まった鶏肉が好きです。
P3220115 日本酒のお燗は、ちょっと珍しい容器で出てきます。鳩燗(はとかん)というそうで、直接ガス火にかけてお燗をつけるのだそうです。ぽん太もにゃん子もすっかり出来上がってしまいました。
 翌日は、「ぎんねこ」のお客さんに教えてもらった拓殖市場(地図)の今津で、冷凍していない浜ゆでの毛ガニや地元のアスパラガスを買って東京の巣穴に帰りました。おかげでその日の夕食も、北海道フェアでした。

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2006/04/17

桜をもとめて山梨の旅

 東京の桜はすっかり散ってしまった2006年4月、ぽん太とにゃん子は山梨の旅をしました。この時期、山梨は桜と桃の花盛りです。

P1010003 まず向かったのは、勝沼インターからすぐ近くの大善寺です(公式ホームページ地図)。 桜は満開でした。ひとつひとつは大きくありませんが、境内を埋め尽くした桜は見事です。
P1010008 大善寺には国宝が二つあります。ひとつはこの薬師堂です。1286年(弘安9年)に造られたもので、山梨県では一番古い建物だそうです。内部には国宝の厨子がありますが、これは撮影禁止でした。

P1010030 次にちょっと足を伸ばして清白寺に行ってきました(地図)というのも、ここの仏殿も国宝だからです。文化庁の国指定文化財等データベースから、「国宝・重要文化財(建造物)」の「山梨県」を見るとわかるように、山梨県の建造物で国宝なのは、さっきの大善寺の薬師堂と、この清白寺の仏殿の二つだけです。そんな貴重な建物なのに、畑のなかの、車も入れないようなあぜ道の奥に、ぽつんとあります。国宝をこんなに邪険に扱っていいのかと思いました。1333年(正慶2年)に夢窓疎石が開山したと伝えられています。そういえば、ぽん太が以前のブログで書いた、同じく夢窓疎石の開山による多治見の永保寺の開山堂(国宝)にちょっと似ています。

P1010035_1次に向かったのは大法師公園(おおぼしこうえん)です(地図)。甲府盆地の南側、身延方面に向かう国道52号線の途中の鰍沢(かじかさわ)にあります。日本の「さくら名所百選の地」に選ばれているそうで、とても見事でした。

P1010057 桜を堪能したぽん太とにゃん子はさらに南下し、もう葉桜になっている身延山久遠寺は割愛して手前で西に折れ、南アルプス街道に入りました。角橋トンネルを抜けたところをさらに左折し、車のすれ違いも困難な細い道をうねうね行くと、赤沢の集落があります(地図)。
P1010051_1 早川町役場振興課のホームページによれば、かつて日蓮宗総本山の身延山と、修験霊山と伝えられる七面山を結ぶ参道があり、その途中に位置する赤沢宿は、参詣客の宿場としての性格を持っていたそうです。国の重要伝統的建造物保存地区に山梨県でただ一カ所指定されています。急坂の参道の両側に、斜面にへばりつくように古い家並みがあります。静寂そのものの隠れ里のような雰囲気で、アプローチの道路が拡幅されない限り、観光客で賑わうことはなさそうです。

P4120072 その後、さらに南アルプス街道を登り、今夜の宿、奈良田温泉白根館に到着しました(公式ホームページ@nifty温泉のぽん太のクチコミ)。素朴で落ち着く宿です。

P1010073 翌日はわに塚の桜を見て帰りました(地図)。田んぼのなかの一本の桜ですが、写真で観光客と比べると、その大きさがわかるでしょう。とても立派で姿の良い桜です。
 甲府盆地の桃の花は、一番低い中心部のあたりが満開で、盆地が桃色に染まっていました。桜に桃と、山梨の春を堪能した旅でした。

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2006/04/16

カタルシスとは

 前回に引き続き、ラカンの『精神分析の倫理 下』を読んでいきましょう。
 116ページ10行目以降は、カタルシスの概念の説明となります。
 カタルシスを『広辞苑第五版』で引いてみると、次のように出ています。

カタルシス【katharsis(ギリシア)】(浄化・排泄の意)
1.古代ギリシアの医学で、病的な体液を体外へ排出すること。瀉血{しゃけつ}。
2.オルフェウス教・ピタゴラス学派・エンペドクレスなどにおける、罪からの魂の浄{きよ}め。
3.アリストテレスは悲劇の目的をパトス(苦しみの感情)の浄化にあるとした。最も一般的な理解では、悲劇を見て涙をながしたり恐怖を味わったりすることで心の中のしこりを浄化するという意味。
4.精神分析の用語。抑圧されて無意識の中にとどまっていた精神的外傷によるしこりを、言語・行為または情動として外部に表出することによって消散させようとする精神療法の技術。浄化法。

 さすがに天下の『広辞苑』。よくまとまっています。
 で、ラカンは4番目の意味から始めます。「カタルシス」という用語はフロイトとブロイアーの共著『ヒステリー研究』(1895)に出てきます。ぽん太が持っているのは人文書院の『フロイト著作集 第7巻 (7)』(懸田克躬訳、1974年)で、以下の引用はそのページですが、最近ではちくま学芸文庫の『ヒステリー研究 上』(上下、金関猛訳、2004年)のほうが手に入りやすいようです。
 『ヒステリー研究』は精神分析の出発点に位置づけられる著作です。本書には「カタルシス療法」を行った5つの症例が治められておりますが、カタルシス療法とは次のようなものです。
 「……われわれは、誘因となる事象の回想を完全な明白さで呼びおこして、それによってこれに随伴していた感動をも呼びさますことに成功し、そのうえで患者が自らその事象をできるだけ精細に述べてその感動に言葉を与えるようにすれば個々のヒステリー症状はたちどころに消滅し二度とは起こる物ではない、ということを発見した……」(12ページ)。
 ブロイアーは患者に催眠をかけることによってこの操作を行いました。フロイトも当初はブロイアーにならって催眠を使いましたが、次第に催眠を放棄して自由連想法を用いるようになったことは、よく知られています。カタルシス療法がなぜ有効なのかについて、フロイトは次のように説明しています。
 「われわれの療法は、最初のときに除反応を受けなかった観念の作用力を、押しこめられているこの観念に言葉によるはけ口を与えることによって、取りのぞくのである。そしてその観念を(軽い催眠状態の時に)正常な意識に引きこむことによって、連想にもとづく訂正を受けるようにするか、あるいは医師の暗示によって、健忘を伴う夢遊の間に起こるのと同じく、その観念を無効にするのである」(22ページ)。
 ここには「除反応」という言葉が出てきます。ラカンは、除反応というのはそう簡単な概念ではないと言っています。
 『精神分析の倫理 下』邦訳117ページ3行目の「行為がそれを語るパロールに放出される」というのも意味がわからないですね。原文はl'action peut être déchargée dans les paroles qui l'articulent.ですから、actionは「行為」ではなくフロイトがここで書いている「観念の作用力」のことですね。

 次にラカンは、『広辞苑』の3番目の意味に移ります。アリストテレスの『詩学』は、岩波文庫版があります(『詩学』松本仁助他訳、岩波文庫、1997年)。第六章の冒頭付近に次のような文章があります。
 「悲劇とは、一定の大きさをそなえ完結した高貴な行為、の再現(ミーメーシス)であり、快い効果をあたえる言葉を使用し、しかも作品の部分部分によってそれぞれの媒体を別々に用い、叙述によってではなく、行為する人物たちによっておこなわれ、あわれみとおそれを通じて、そのような感情の浄化(カタルシス)を達成するものである」(34ページ)。
 

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2006/04/11

登録有形文化財とは?

P3020035 近頃、登録有形文化財に指定された古い建物の温泉に、よく行っているぽん太です。古い建物は落ち着くにゃ〜。
 ぽん太がここ数年に泊まった登録有形文化財の宿の@nifty温泉のクチコミはこちらです。

 向瀧(福島県)よろづや(長野県)なかむらや旅館(福島県)富士屋ホテル(神奈川県)旅館いな葉(静岡県)積善館(群馬県)凌雲閣(新潟県)

 ところで、登録有形文化財ってなんだ?
 ぐぐってみると、どうやら平成8年10月1日の改正で文化財保護法に付け加えられたものだそうです。文化財保護法は法令データ提供システムで見ることができます。こちらの文化財保護法のなかの第三章第二節(第五十六条ー第六十九条)が「登録有形文化財」となっております。しかしここにはおおざっぱなことが書かれているだけで、登録有形文化財の趣旨や指定基準などは細かく書かれていません。
 さらにぐぐってみると、こちらの田中建築研究所のページによくまとまった記載がありました。登録基準は、築後50年を経過している建造物で、1.国土の歴史的景観に寄与している、2.造形の規範となっている、3.再現することが容易でない、だそうです。支援措置は、「改修のための設計料50%を国が補助、法人が行う改修の資金を低利で融資、文化財登録を表示するプレートを交付、家屋の固定資産税の税額を軽減」と書いてあります。税額の軽減がどれくらいなのかわかりませんが、改修の「設計料」の半額の補助ですから、実質的なメリットよりは、名誉のほうが大きいのかもしれません。
 実際にどの建物が登録されているのかについては、こちらの国指定文化財等データベースから見ることができます。このデータベースでは全国で5126件登録されています。ちなみにぽん太の生息地の東京は191件です。見てみると、雰囲気良さそうなお店などもあるようで、ちょっと行ってみたい気がします。それにしてもこのデータベース、いかにもお役所が作ったような素っ気ないものです。せめて写真を載せたり、地図のリンクを張ってくれてもいいのでは?
 試しに「温泉 登録有形文化財」で検索すると、いろいろと良さそうなところが出てきます。「登録有形文化財」をひとつのキーワードにして、温泉や食べ物屋に行ってみようと思います。

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2006/04/10

ラカンの『精神分析の倫理』(の一部)のみちくさ開始

 以前のブログでアンティゴネをキーワードに、ラカンの『精神分析の倫理 下』(小出浩之他訳、岩波書店、2002年)へのみちくさを高らかに宣言したぽん太ですが、いまとなっては心から後悔しております。とはいえ、ひとたび宣言したからにはみちくさせざるをえません。いざ、進めや進め!

 このセミネールの19章から21章が、「悲劇の本質 ソフォクレスの『アンティゴネ』への注釈」という表題でまとめられています。19章から読み進めてみることにしましょう。
 まず115ページ。『アンティゴネ』と倫理という問題は、古来多くの学者たちによって論じられてきたが、それらをつぶさに検討した結果、ろくな意見がなかった、とラカンは偉そうに言っております。
 116ページに移りましょう。フロイトは『オイディプス王』を初めさまざまなギリシア悲劇に言及しているけれども、『アンティゴネ』にははっきりとは言及していないそうです(真偽不明)。しかしラカンは、『アンティゴネ』がソフォクレスの悲劇のなかで最も傑出していると言います。
 ここでちらっとヘーゲルの名前が出てきます(116ページ5行目)。ヘーゲルは古代ギリシアが好きだったそうで、アンティゴネに関しては『精神現象学』、『美学講義』、『法の哲学』で言及しているようですが、ラカンはもう少しあとでヘーゲルを詳しく論じるようなので、ぽん太もそのとき改めてみちくさすることにしましょう。
 次の10行目の翻訳はなんだか変です。

 「この悲劇は、単にエディプス・コンプレックスとの位置関係において分析経験にとって重要であるという以上に、分析経験の根源にあるものです。そのことは「カタルシス」という要となる語が証言しています」

 「この悲劇」というのは『アンティゴネ』を指していると思われますが、『アンティゴネ』とオイディプス・コンプレックスとはあんまり関係ありませんし、また『アンティゴネ』がほかの悲劇に比べて「カタルシス」と関わっているわけでもありません。原文を見ると次のようになっています。

  Plus originellment encore que par son lieu au complex d'Œdipe, la tragédie est à la racine de notre expérience, comme en témoigne le mot clé, le mot pivot de catharsis.

 このla tragédieというのは、『アンティゴネ』ではなく、一般的な悲劇のことでしょう。ですから、タヌキ語訳すると、次のようになります。

 「悲劇は、オイディプス・コンプレックスにおける悲劇の位置によってよりもさらに当初から、われわれの経験の根源にあります。そのことは『カタルシス』という鍵となる言葉、要となる言葉が示しています」

 で、この文章が意味するところですが、「われわれの経験」というのは邦訳が意訳しているように「精神分析の経験」のことですね。悲劇と精神分析とのつながりといえば、『オイディプス王』とオイディプス・コンプレックスが有名ですが、実はもっと以前にもつながりがあるのです。それは悲劇の「カタルシス」という概念と精神分析の「カタルシス」という概念とのつながりです。
 フロイトがオイディプス・コンプレックスという用語を初めて使ったのは1910年の「男性にみられる愛人選択の特殊な一タイプについて」という論文です。オイディプス・コンプレックスという考え方は、もう少し以前にフロイトが自己分析のなかで見出したもので、1897年10月15日のフリースへの手紙で『オイディプス王』に言及しています。一方カタルシスという用語は、1895年の『ヒステリー研究』ですでに使われており、その概念が作られたのは1880年から1885年頃と考えられています。『ヒステリー研究』はフロイトの出発点、すなわち精神分析の出発点に位置する論文ですから、こちらの方が時期も早いし、精神分析にとって根源的なわけです。
 あれれ、よく見ると邦訳は「鍵となる言葉」という部分が抜けてますね。ちょっと邦訳の信頼性が疑わしくなってきましたが、かといって原文で読む元気はありませんから、邦訳を読みながらたまに原文を参照することにしましょう。

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2006/04/01

【テレマーク】高峰高原寒すぎ!

 昨シーズン、今シーズンと、一回も歩くスキーをしていないぽん太は、コタツで丸くなっているにゃん子を無理やり引っ張って、高峰高原に向いました。上野の桜は満開だというのに、大寒波が日本列島を襲い、天気は吹雪です。この時期に真っ白な新雪はよかったのですが、寒くて閉口しました。

【山名】ーーー
【山域】高峰高原
【日程】2006年3月29日〜30日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】(3/29)吹雪、(3/30)曇りのち大雪
【コース】(3/29)高峰温泉(12:08)<<林間コース<<高峰温泉(15:00)
(3/30)高峰温泉(9:52)<<池ノ平湿原入り口<<雲上の丘〜池ノ平湿原<<高峰温泉(13:40)
(凡例:<<はスキー歩行、〜は滑降です)
Map060401

P1010051 宿は高峰温泉です。公式ホームページへのリンクはこちら、そのホームページのなかの冬のハイキング・コースガイドはこちら、@nifty温泉のぽん太のクチコミへのリンクはこちらです。自然と温泉が好きなひとには最高の宿です。写真は高嶺の湯です。湯気でレンズが曇って天然ソフトフォーカスになりました。
P1010052 冬期は、宿への林道がスキー場の一部となって閉鎖しているので、雪上車での送迎となります。トトロのネコバスのような雪上車のお出迎えです。高峰温泉はとっても親切な宿で、11時前なのにもう部屋に通してくれました。お茶を飲んで一服し、ゆっくりと着替えて出発です。
P1010014 強い風を少しでも避けるため、カラマツ林のなかを行く「林間コース」を選択です。スキー場のゲレンデを横切って、目印の赤いビニールテープに従って、カラマツの林のなかへと入って行きます。林間コースから北へ延びるルートに行きたかったのですが、分岐点がよくわからず、けっきょく林間コース一周になってしまいました。
P1010047 翌日は風はおさまり、時おり日が射す天気となりました。林道を歩いて池ノ平湿原に向いました。湿原入り口から北西の丘を登り、湿原の西側の「雲上の丘」まで来ると、絶好の大斜面が広がります。誰のシュプールもない新雪を、湿原に向って滑降です。写真はにゃん子のフォームですが、遠目には決まっているようです。久々のテレマークスキーですが、なんとか転ばずに滑れました。湿原の端の木陰で昼食です。コンロでパスタを煮ていたら、鍋をひっくり返して中身を雪の上にぶちまけてしまい、にゃん子にえらく怒られました。寒くてすっかり凍えてしまい、ビールもうれしくありません。こんな日は調理などせずに、おにぎりにテルモスのお茶ぐらいで済ませば良かったと後悔しました。
 とっても寒い二日間でしたが、今シーズン最初で最後ののテレマークを楽しむことができました。これからは春の低山遊歩に入る予定です。

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