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2006/05/29

【ラカン『精神分析の倫理』】カタルシスとモリエール

 前回からだいぶあいだが空きましたが、ラカンの『精神分析の倫理 下』の117ページ13行目から読んでいきましょう。

 これまでのところで、ラカンは、精神分析とギリシア悲劇が、「カタルシス」という言葉によって結びつけられていることを指摘しました。続いて、「カタルシス」という言葉が歴史的にどのように使われて来たかを、ざっと素描します。
 117ページ最後の段落の部分を原文と照らし合わせながら読んでみると、ラカン述べているのは次のような内容です。

 カタルシス(catharsis)という言葉は通常は瀉出(purgation)と訳されているけれど、この瀉出(purgation)という言葉にはモリエール風の古い医学的な響きがある。そのモリエール風の古い医学的な響きとは、モリエール自身の言葉を借りれば、有害な体液の除去(l'élimination des humeurs peccantes)である。

  l'élimination des humeurs peccantesという言い方を、モリエールがどこで使っているかを、原文にまであたって調べる気にはなりません。
 モリエール(Molière, 1622~1673)は、言わずと知れたフランスの古典喜劇の完成者です。彼の作品は痛烈な風刺で有名ですが、とりわけ医者は恰好の攻撃対象でした。モリエールの作品は、臨川書店から出ている『モリエール全集〈1〉』全10巻で簡単に読むことができます。医者にまつわる作品は、『トンデモ医者』、『恋こそ名医』、『いやいやながら医者にされ』、『プルソーニャク氏』、『病は気から』などがあり、また『ドン・ジュアン』にも医者を皮肉る一節があります。
 これらの作品のいくつかでは、一般人が医者になりすまし、でたらめなラテン語や訳の分からない理屈で患者をけむに巻き、めちゃくちゃな治療をします。また他の作品ではホンモノの医者が、立ち振る舞いは偉そうですが、学問とは名ばかりのあやし気な理論に基づき、患者の無知と弱みに付け込んで、患者が治ると治るまいと金を巻き上げるペテン師として描かれます。
 こういった医者攻撃の裏側には、実はモリエール自身が病気を患っていて、しかも治療を受けてもいっこうに良くならなかったという事実があるそうです(パトリック・ダンドレー「モリエールと医学」、『モリエール全集5』に所収)。
 上記の作品のなかに出てくる主な治療は、瀉血(血を抜くこと)、下剤や吐き薬の投与です。
 モリエールの活躍した17世紀は、ハーヴィーの血液循環説が1628年に出版されるなど近代医学も芽生つつあったものの、まだローマ時代のガレノスの医学が力を持っていました。その基本となるのは四体液説で、いかなる生体も血液・粘液・胆汁・黒胆汁の四種類から成り立っており、そのバランスが崩れることで病気が発生するので、瀉血や下剤によって体液のバランスを回復させることで病気が治る、というものでした。
 ちなみに、現代ではうつ病を意味するメランコリーが、黒胆汁のことであることはよく知られています。
 ぽん太はガレノスの医学や、中世からルネッサンスにかけての医学史の知識は乏しいのですが、機会があったら勉強してみたい分野です。

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