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2006年6月の6件の記事

2006/06/29

飯坂温泉の鯖湖湯が熱すぎると、観光客から苦情

P2210033 福島県の飯坂温泉にある共同浴場「鯖湖湯」が熱すぎると、観光客から苦情が出ているというニュースがありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060628-00000047-mailo-l07

 ぽん太は、今年(2006年)の2月に鯖湖湯に行ってきました。そのときの感想は、こちらの@nifty温泉のぽん太のクチコミをどうぞ。
http://kuchikomi.nifty.com/onsen/kk/KuchikomiInfoDet.do?Element_ID=7000623&kuchikomi_id=00000018
 ぽん太は以前のブログ「飯坂温泉と松尾芭蕉」(2006/02/27)に書きましたが、鯖湖湯は松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の途中で立ち寄ったという言い伝えのある歴史あるお湯です。平成5年に改築されていますが、以前の明治22年に造られた建物のデザインを取り入れた、風情のある建物です。飯坂温泉といえば、以前は福島駅から近いという地の利を生かし、宴会・歓楽街温泉として栄えましたが、バブルが崩壊した今は衰退して廃墟と化していることで有名です。しかしこの鯖湖湯の付近には古い趣きある建物が残っており、飯坂温泉も古いものの価値にようやく気がついたらしく、鯖湖湯の前の道を石畳にする工事をしておりました。

 さて、鯖湖湯は確かに熱いので有名です。またぽん太は近くの旅館に泊まって、鯖湖湯に入りに行ったのですが、宿の仲居さんから、一番風呂は地元の人でいっぱいで、しかも誰が湯船のどこに入るかも決まっているような状態なので、朝食後に入りに行った方がいいとアドバイスされました。幸い温度もそれほど熱くなく、また空いていてゆったりと入れました。

 さてニュースの内容は、46度という熱い湯を好む地元住民と、「熱くて入れない」という観光客のあいだに、問題が生じているというものです。
 温泉ファンのぽん太の意見は、結論から言うと、地元住民の好みを優先すべきだと考えます。
 歴史的に考えて、共同浴場というものはもともと地元住民のためにあるもので、観光客はあくまでも「入れさせていただく」立場にあると、ぽん太は思っています。実際、観光客お断りの共同浴場はあちこちにあります。観光客が「お金を払っているお客様だ」という気持ちで温度を下げろと主張するのはおかしいと思います。「鯖湖湯の有名な熱い湯」に入りたい人が利用すべきであり、熱くてイヤだという人は他のお湯に行くべきでしょう。観光客の好みという「平均値」に合わせて、特色がなくなっていくのは哀しいことです。タイ料理屋に行って、辛いから甘くしてくれというのと同じです。辛いのがいやなら、タイ料理屋には行かないことです。
 消費者の好みに合わせるということは、すべてが平均化されていくということです。平均から外れた変わったもの、面白いものを大切にする必要があると、ぽん太は思います。ぜひ福島市観光課は、「熱いお湯こそが鯖湖湯の特色です。普通の温度に慣れた人には熱いかと思いますが、ぜひこの温度を味わいに来て下さい。ぬるめの温度が好きな人は○○へ」という対応をしていただきたいです。
 でも、せっかく改築したときに、熱い源泉の浴槽と、水で埋めた浴槽と、二つ造ればよかったような気もします。

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2006/06/27

【登山】レンゲツツジ満開の甘利山

P6210011_1 ここのところ重い話題が続いたので、こんかいは楽しい登山の報告です。
 体調不良で今年はなかなか山に行けないぽん太ですが、梅雨の合間を縫って、山梨県の甘利山に行ってきました。甘利山は、この時期レンゲツツジの大群落が有名です。

【山名】甘利山(1731m)
【山域】南アルプス前衛
【日程】2006年6月21日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】曇り
M0606251【コース】広河原駐車場(11:21)…甘利山(11:44)…大西峰近くの分岐点…奥甘利山(13:41)…広河原駐車場(15:03)
【マイカー登山情報】登山口の広河原駐車場までの道は所々狭くてすれ違い困難なところがあります。駐車場は広く、ぽん太の行った平日は余裕でしたが、週末はどうでしょう?
【見た花】レンゲツツジ大群落、アヤメ咲き始め、スズラン、ササバギンラン、ベニバナツクバネウツギ、ツマトリソウ、チゴユリ、グンナイフウロ、アマドコロ、ヤマツツジ、マイヅルソウ

P6210036 ゆっくりと自宅を出たので、登り始めはお昼近く。駐車場のまわりにもレンゲツツジが咲いています。大部分が軽装の観光客のようです。
 花のあいだの登山道を登って行くと、あっという間に到着する頂上付近は、レンゲツツジの大群落。とてもきれいでした。アヤメはまだ咲き始めです。
P6210018 ここで引き返すのではあまりに軟弱なので、さらに西に進んで、大西峰近くの分岐点まで行きました。本当は千頭星山まで行きたかったのですが、時間が足りませんでした。ところで千頭星山は「せんとぼしやま」と読みます。ちょっと素敵な名前で登ってみたくなりますが、「田園調布に家が立つ」のギャグで有名だった星セントルイスを思い出すのはぽん太だけでしょうか?

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2006/06/17

ハンガリーは自殺が多い?

 自殺に関する統計を見ていて思い出したのですが、ゴールデンウィークに中欧を旅行したとき、ハンガリーの現地ガイドさんが、「ハンガリーは自殺が多い」と言っていました。ところが、こちらの自殺率の国際比較というページを見てみると、ハンガリーの人口10万人あたりの自殺率は28.0人で、世界7位です。この数字は、世界10位の日本の24.1人と大差なく、また世界1位のリトアニアの44.7人には遠く及びません。ということで、ハンガリーの自殺率は確かに高い方であるが、飛び抜けて高いとは言えないようです。
 しかし、こちらの主要国の自殺率長期推移というデータを見てみると、1980年代のハンガリーの自殺率がダントツに高かったことがわかりました。なんと約45人です。ガイドさんはこの頃の印象から、「ハンガリーは自殺が多い」と言ったのでしょう。
 同じデータは、厚労省の自殺死亡統計の概況のなかの諸外国の自殺死亡率というところでも、ちょっと見にくいですが、見ることができます。
 1980年代のハンガリーで自殺率が高かった理由を分析する能力はぽん太にはありません。この時代は、1989年のベルリンの壁崩壊に向けて、社会主義の限界が次第に明らかになってきた時代で、これも自殺率増加の要因の一つでしょうけれど、社会主義国家のなかでもハンガリーの自殺率が高かったわけですから、別の理由があるのでしょう。

P5080130 写真は、ブダペスト市内を流れるドナウ川にかかる橋の一つ、「自由橋」です。ガイドさんの話しでは、この橋はブダペストの自殺スポットになっていて、ここから真冬の凍てついたドナウ川に飛び込む人が毎年数人いるそうです。その人たちが自由を求めているのか、それとも自由から逃げ出したかったのかは、ぽん太にはわかりません。

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2006/06/16

自殺対策基本法が成立

 昨日(2006年6月15日)、「自殺対策基本法」が成立しました。
 日本の自殺者数はかつてないほど増加し、ここ数年間は年間3万人を超えています。自殺の苦しみは、自殺したご本人に留まりません。残された家族も、病死や事故死と違って、「何で気づいてあげられなかったのか」「私たちが死に追いやったのでは?」といった自責感に苦しむことになります。自殺が社会にとっても大きな損失であることは言うまでもありません。こうした状況で、国が自殺対策に乗り出したことは、歓迎すべきことでしょう。

 さて、自殺対策基本法が成立したという報道はあちこちでなされていますが、肝心の法案そのものが、いくらググってみても見つかりません。ようやく参議院法制局のホームページのなかに自殺対策基本法(案)のpdfファイルを見つけました。
 全部で21条しかない短い法案です。自殺対策の大枠を提示したもののようで、国がどこまで本気で自殺対策をする気があるのかは、今後を見守っていく必要がありそうです。

 自殺志望者に関する統計は、厚生労働省ホームページの自殺死亡統計の概況で見ることができ、こちらに自殺死亡数の年次推移の図があります。いくつかのピークを持ちながら次第に増加し、平成10年以後は3万人近くを維持していることがわかります。
 自殺率の国際比較は、上記の統計のなかにもありますが、こちらの自殺率の国際比較というページが見やすいです。1位はリトアニアの人口10万人あたり44.7人というのがダントツに多く、以下ロシア、ベラルーシなどの東欧諸国に続いて、10位に日本が入っています(人口10万人あたり24.1人)。ちなみにアメリカは10.4人です。

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2006/06/14

大和茶屋の蕎麦と富岡製糸場

 群馬県の富岡は、上信越道を利用するときによく通るのですが、ぽん太とにゃん子は通過するばかりで訪れたことがありませんでした。
P6070003 こんかいは丁度お昼頃通りかかったので、蕎麦を食べに寄ってみました。ガイドブックで見た大和茶屋という蕎麦屋です。場所は上信越道の富岡インターから車で5分ほど。地図はこちらです。公式ホームページはこちらです。建物は古い武家屋敷風で、ひなびた雰囲気。注文はもちろん十割蕎麦。見た目、ちょっと角がシャープじゃなくて膨らんだような感じでしたが、食べてみるとけっしてゆですぎとかではなく、そば粉の香りがしておいしかったです。

 みちくさはしませんでしたが、近くには小幡の武家屋敷があります。たとえばこちらのページをご覧下さい。大河ドラマでも活躍中の織田信長の次男、信雄が藩主を務めた城下町で、美しい街並が見られますが、観光地としてはあまり知られていません。

P6070009 で、ぽん太とにゃん子は、富岡製糸場を訪ねてみました。ガイドブックにはちっとも載っていないのですが、富岡のあちこちで「富岡製糸場を世界遺産に」という立て札を見かけるので、行ってみる気になったのです。地図はこちらですが、表示は「片倉工業工場」となっています。ホームページは群馬県庁のこちらのページが詳しいかもしれません。
P6070011 正門から入って行くと、正面にレンガ造りの美しい建物がありますが、それを右から回り込んで反対側に行くと、駐車場があります。正門の事務所に戻って入場料を払い、案内板に従って、外観を見学するしくみになっています。古い建物がきれいによく保存されています。建物の中には、製糸の機械もそのまま残っていました。
P6070020 ぽん太とにゃん子は勘違いしていたのですが、製糸場での労働というと「あゝ野麦峠」とか「女工哀史」のイメージで、貧しい農家の娘が劣悪な環境で働かされていたのかと思っていたのですが、実際は旧藩士や華族の子女によるエリート集団だったそうです。
 なかなか感動しましたが、世界遺産登録はちょっと無理な気がしました。

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2006/06/05

【ラカン『精神分析の倫理』】カタルシスとカタリ派

 前回に続き、『精神分析の倫理 下』を読んでいきましょう。今日は118ページの冒頭から、5行目までです。

 カタルシスという言葉の歴史を振り返っているラカンですが、次にあげるのはカタリ派という中世キリスト教の異端です。ラカンは、「カタリ派について最近述べたことを取り上げたい」と言っておりますが、最近述べたのはどこかというと、本書の75ページから76ページにかけてです。その部分にはさらに「以前少し触れたカタリ派」と書いてありますが、それは『精神分析の倫理』の上巻の185ページから188ページだと思われます。しかし、この2カ所にみちくさしに行くのは止めましょう。
 カタリ派に関する本はいろいろあるようですが、手に入りやすく良くまとまっているのは、フェルナン・ニール『異端カタリ派』渡邊昌美訳、白水社(文庫クセジュ)、1979年、です。ただ、訳者あとがきに書いてありますが、ニールはカタリ派を、キリスト教の異端ではなく、キリスト教とは無関係な宗教の一派として捉えたいようですが、そのような考え方は少数派のようです。
 ラカンは、カタリ派という名前はカタロス(καθαροs)というギリシア語から来ており、その意味は、邦訳に従えば、「純粋であるということ」だと述べています。
 この事実に関しては、ニールの本の48ページに、カタリ派という名前は「『清浄』を意味するギリシア語の『カタロス』から出た語である」と書いてあります。
 そこでκαθαροsという語を、オンラインのギリシア語ー英語辞典で引いてみると、このような結果となります。辞書的には「純粋」でも「清浄」でもよいようです。しかし、カタリ派がどういう宗教だったかを考えてみれば、ラカンの原文のpurは、「純粋」ではなく「清浄」と訳す方がよいとぽん太には思われます。

 カタリ派がどういう宗教だったかは、ググればいろいろ出てきますが、簡単にまとめておきましょう。
 カタリ派は中世キリスト教の異端のひとつです。キリスト教も、長いあいだ人から人へと伝わるうちに、さまざまな考え方や解釈が生まれてくるわけですね。そうすると、俺の解釈が正しい、いや、お前の考え方が間違っている、と争いが生じてくるわけです。ここで日本だと浄土宗だの真言宗だの曹洞宗だのが共存していったわけですが、西洋では、自らを正統とする教皇庁が他の宗派を異端と見なし、改宗を勧め、応じない場合は弾圧したのです。
 で、カタリ派は、南フランスから北イタリアの地域で、諸説はあるようですが11世紀頃に出現し、14世紀前半には壊滅させら、地上から消え去りました。教義としては二神論が特徴です。二神論とは、善の神と悪の神の闘争として世界を捉えるもので、ゾロアスター教、マニ教やグノーシス派もこれにあたります。われわれの住む地上世界を創造したのは悪の神であり、それゆえ現実世界には悪が絶えないのだと考えます。それゆえ現世否定の傾向を持ち、信者は殺生や肉食をせず、欲望を断ち、「清浄」な生活を求められました。贅沢三昧の生活をしていた「正統」キリスト教の聖職者たちを快く思っていなかった民衆が、禁欲的な生活を送るカタリ派に引かれたのも、ちょっとわかる気がします。ただ、正統キリスト教にとって許しがたい考え方も出てくるわけで、例えば、善なるキリストが悪なる肉体に宿るはずがないので、キリストの実在は否定されることになります。
 教皇側はカタリ派に改宗を勧めましたが、それが功を奏さないのを見て取ると、とうとう軍勢を差し向けました。それがアルビジョア十字軍で、1181年を皮切りに、3回行われました。十字軍というとキリスト教側がイスラム世界に向けて派遣したものと思い込んでいたぽん太はびっくりです。このアルビジョア十字軍の所業は凄惨を極めたようで、信者であるなしに関わらず村人全員を虐殺した例もあるそうです。
 1229年には有名な異端審問制度が作られ、13世紀末には恐るべき弾圧機関に成長します。カタリ派には「誓約をしてはいけない」という教義があるのですが、イッケルトとシックの『「バラの名前」百科』(谷口勇訳、而立書房)には、誓約するように強いる異端審問官と、あたかも誓約をしたように聞こえるように言葉をひねくって逃れようとする被告の興味深いやりとりが書かれています(ぽん太の持っている1988年版では231-235ページ)。
 こうした弾圧の結果、14世紀になると徐々に異端が発見されるのは稀となり、ついにカタリ派は地上から永遠に消え去ったのです。

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