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2006/06/05

【ラカン『精神分析の倫理』】カタルシスとカタリ派

 前回に続き、『精神分析の倫理 下』を読んでいきましょう。今日は118ページの冒頭から、5行目までです。

 カタルシスという言葉の歴史を振り返っているラカンですが、次にあげるのはカタリ派という中世キリスト教の異端です。ラカンは、「カタリ派について最近述べたことを取り上げたい」と言っておりますが、最近述べたのはどこかというと、本書の75ページから76ページにかけてです。その部分にはさらに「以前少し触れたカタリ派」と書いてありますが、それは『精神分析の倫理』の上巻の185ページから188ページだと思われます。しかし、この2カ所にみちくさしに行くのは止めましょう。
 カタリ派に関する本はいろいろあるようですが、手に入りやすく良くまとまっているのは、フェルナン・ニール『異端カタリ派』渡邊昌美訳、白水社(文庫クセジュ)、1979年、です。ただ、訳者あとがきに書いてありますが、ニールはカタリ派を、キリスト教の異端ではなく、キリスト教とは無関係な宗教の一派として捉えたいようですが、そのような考え方は少数派のようです。
 ラカンは、カタリ派という名前はカタロス(καθαροs)というギリシア語から来ており、その意味は、邦訳に従えば、「純粋であるということ」だと述べています。
 この事実に関しては、ニールの本の48ページに、カタリ派という名前は「『清浄』を意味するギリシア語の『カタロス』から出た語である」と書いてあります。
 そこでκαθαροsという語を、オンラインのギリシア語ー英語辞典で引いてみると、このような結果となります。辞書的には「純粋」でも「清浄」でもよいようです。しかし、カタリ派がどういう宗教だったかを考えてみれば、ラカンの原文のpurは、「純粋」ではなく「清浄」と訳す方がよいとぽん太には思われます。

 カタリ派がどういう宗教だったかは、ググればいろいろ出てきますが、簡単にまとめておきましょう。
 カタリ派は中世キリスト教の異端のひとつです。キリスト教も、長いあいだ人から人へと伝わるうちに、さまざまな考え方や解釈が生まれてくるわけですね。そうすると、俺の解釈が正しい、いや、お前の考え方が間違っている、と争いが生じてくるわけです。ここで日本だと浄土宗だの真言宗だの曹洞宗だのが共存していったわけですが、西洋では、自らを正統とする教皇庁が他の宗派を異端と見なし、改宗を勧め、応じない場合は弾圧したのです。
 で、カタリ派は、南フランスから北イタリアの地域で、諸説はあるようですが11世紀頃に出現し、14世紀前半には壊滅させら、地上から消え去りました。教義としては二神論が特徴です。二神論とは、善の神と悪の神の闘争として世界を捉えるもので、ゾロアスター教、マニ教やグノーシス派もこれにあたります。われわれの住む地上世界を創造したのは悪の神であり、それゆえ現実世界には悪が絶えないのだと考えます。それゆえ現世否定の傾向を持ち、信者は殺生や肉食をせず、欲望を断ち、「清浄」な生活を求められました。贅沢三昧の生活をしていた「正統」キリスト教の聖職者たちを快く思っていなかった民衆が、禁欲的な生活を送るカタリ派に引かれたのも、ちょっとわかる気がします。ただ、正統キリスト教にとって許しがたい考え方も出てくるわけで、例えば、善なるキリストが悪なる肉体に宿るはずがないので、キリストの実在は否定されることになります。
 教皇側はカタリ派に改宗を勧めましたが、それが功を奏さないのを見て取ると、とうとう軍勢を差し向けました。それがアルビジョア十字軍で、1181年を皮切りに、3回行われました。十字軍というとキリスト教側がイスラム世界に向けて派遣したものと思い込んでいたぽん太はびっくりです。このアルビジョア十字軍の所業は凄惨を極めたようで、信者であるなしに関わらず村人全員を虐殺した例もあるそうです。
 1229年には有名な異端審問制度が作られ、13世紀末には恐るべき弾圧機関に成長します。カタリ派には「誓約をしてはいけない」という教義があるのですが、イッケルトとシックの『「バラの名前」百科』(谷口勇訳、而立書房)には、誓約するように強いる異端審問官と、あたかも誓約をしたように聞こえるように言葉をひねくって逃れようとする被告の興味深いやりとりが書かれています(ぽん太の持っている1988年版では231-235ページ)。
 こうした弾圧の結果、14世紀になると徐々に異端が発見されるのは稀となり、ついにカタリ派は地上から永遠に消え去ったのです。

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