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2007/01/22

【南イタリア旅行】ゲーテ『イタリア紀行』とシチリア

 日時は前後しますが、日本に戻ってから、ゲーテに『イタリア紀行』という本があったのを思い出し、書棚から引っ張り出して読んでみました(『イタリア紀行 上 (1)』(相良守峯訳、岩波文庫)。上・中・下の3巻きになっていますが、中巻にシチリア旅行がおさめられています。
 ゲーテ(1749-1832)がイタリアに旅立ったのは1786年、ゲーテ37歳の時でした。日本では翌年の1787年に松平定信の寛政の改革が始まったのですね。その頃ゲーテはワイマールで政治家として煩雑な事務に明け暮れ、さらに既婚者のシャルロッテ・フォン・シュタイン夫人との恋の悩みもあり、創作活動も停滞していました。ゲーテのイタリア旅行は、そうした環境からの逃避行でした。この旅行をきっかけにゲーテは政治的な公職から退いて芸術家として生きる決意を固め、『ファウスト』を生み出す古典主義時代が始まったのです。
 ちなみにゲーテは躁うつ病だったと言われていますが、詳しいことはぽん太は知りませんし、みちくさする気にはなりません。ぽん太は、通院している患者さんがどういう病気で、どのような治療ができるかを考えるのは好きですが、過去の偉人の病気を限られた資料から推測するゲームにはあまり興味がありません。
 さてここからは、こちらのニッポンレンタカーのホームページのシチリア島の地図を見ながらお読みください。ゲーテのシチリアの行程は以下の通りです。ナポリから船でパレルモにわたり、そこから南西に下ってセリヌンテあたりを通ってアグリジェントに行き、そこから内陸を通ってカターニアにで、北上してメッシーナから船に乗り、ナポリに戻りました。
 ゲーテのシチリアに対する名文句として、「シチリアなしのイタリアというものは、われわれの心中に何らの表象をも作らない。シチリアにこそすべてに対する鍵があるのだ」というものがあります。どこに書かれているのか探してみたら、中巻の98ページにありました。1787年4月2日にゲーテはパレルモに上陸しましたが、この言葉を書いたのは、まだパレルモに留まってた4月13日です。ゲーテに詳しくもなく、『イタリア紀行』を熟読する根性もないぽん太が、この言葉の意味を推測するのはまことに恐れ多いことです。しかしぽん太のシチリアの印象を含めて推測すると、ゲーテはイタリアで西洋文明のルーツのローマ文明に出会うことができたのですが、シチリアでさらに遡ってギリシア文明に出会えたことに感動していたのではないかと思うのです。同書の95ページでゲーテは、「われわれの青年時代を、形態のないパレスティナや、形態の混乱しているローマに限定したということは、なんと悲しむべきことであろう!シチリアと新ギリシアとが、今やふたたび私に新しい生命を期待させる」と書いています。ぽん太が以前の記事「(リチャード・クロッグ『ギリシャの歴史』と桜井万里子編『ギリシア史』を読む」(2006/01/12)で書いたように、西洋で自分たちの文明のルーツとしての古代ギリシアに対する崇拝熱が高まったのは、18世紀後半から19世紀前半といわれており、ゲーテがイタリア旅行をしたのはまさにこの時期です。ゲーテが、現代のギリシアのあたりまで足をのばしたとしたらら、どのような印象をいだいたでしょうか。しかし、ギリシアの独立戦争が始まったのは1821年で、ゲーテがイタリア旅行をした頃は、ギリシアはまだオスマントルコの支配下でしたから、簡単に旅行はできなかったのかもしれません。

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