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2007/03/15

【南イタリア旅行】カプリ島とベンヤミン

 ぽん太とにゃん子がのんびり観光を楽しんだカプリ島ですが(「【南イタリア旅行】カプリ島・青の洞窟、ソレント」2007/01/12)、この島は、ヴァルター・ベンヤミンが、彼に非常に大きな影響を与えた女性アーシャ・ラーツィスに出会った場所であるということが、三原弟平の『ベンヤミンと女たち』(青土社、2003年)に書いてありました。第5章のあたりです。ベンヤミン(1892〜1940)は超有名なドイツの思想家ですが、ぽん太の狸脳では、ベンヤミンの思想とその価値がちっともわかりません。そこで、「え?ベンヤミン君もカプリ島に行ったことあるの?ぽん太も行ったよ〜。なんだ、仲間じゃん」ということで、ベンヤミンと少しでもお近づきになろうというのが、今回のぽん太の魂胆です。
 ベンヤミンの思想は、ユダヤ神秘主義とマルクス主義が結びついた、とっても難解なものですが、ベンヤミンがマルクス主義に関心を持つきっかけは、他ならぬアーシャとの出会いだったのです。アーシャ・ラーツィスは1891年にラトビアで生まれました。ギムナジウムを卒業したアーシャは、ペテルブルグの精神神経医学研究所に入学しました。「精神神経学研究所」と聞くと、精神科医の端くれであるぽん太の興味がかき立てられますが、彼女は医者になるつもりだったのではなく、当時この研究所は女性にも門戸を開いていて、ここで2年間一般教養を学ぶと、どの大学のどの学部にも進むことができたのだそうです。
 この研究所の所長はヴラディーミル・ベーフテレフという神経学者・精神医学者だそうです。ぽん太には初耳の名前ですが、ググってもあまり情報が出てきません。本書には「彼は条件反射の研究を行い、『反射学』の名のもとに人間行動学をうち立て、その立場から人間の社会生活の面にも研究領域を広げていった。また児童教育にも深い関心を有していたという。彼の講義にはマヤコフスキーも顔を出していたそうだ……」(150ページ)と書かれています。ぽん太はこれを読んで、ヴィゴツキーを思い浮かべました。ベーフテレフは1857年に生まれ1927年に死去、ヴィゴツキーは1896年に生まれ1934年に死去していますから、ベーフテレフが約40歳年上だったものの、同時代に活躍していたように思われます。ぽん太の書庫にあったヴィゴツキーの『心理学の危機』(明治図書、1987)をめくってみると、「行動の心理学の問題としての意識」という論文で批判されている「ベヒテレフ」という人が、ベーフテレフのようです。そこでベヒテレフでググってみると、リウマチ性疾患のひとつである強直性脊椎炎が、ベヒテレフ病(Bechterew病)という別名で呼ばれていることがわかりました。このあたりをみちくさしているとキリがなさそうなので、元の道に戻ることにしましょう。
 さて、アーシャは学生時代に出会った演劇に魅せられ、演劇の世界に飛び込んで行くとともに、マルクス主義思想に染まっていきます。アーシャがカプリ島を訪れたのは、1924年でした。肺炎になった娘ダーガの療養のために、夫のライヒとともに春と夏をイタリアに滞在しましたが、そのうちの数ヶ月をカプリ島で過ごしたのです。
 このときカプリ島には、未来派のマリネッティが住んでいて、ソレントにはゴーリキーが結核の療養に来ており、さらにブレヒトが妻とともにカプリ島を訪れたといいますから、役者がそろっています。
 ところでまたみちくさですが、『ベンヤミンと女たち』の175ページには、「モーターボートで彼らの行ったポジティアーノは、カプリ島からは南東にあるイタリア本土にあったが、まったく特別なところで、蜂の巣のような外観をしていた。人びとは岩山をくりぬいて、その小房のなかで暮らしていた。当時まだそこはまったく野生のままで、快適さなど必要とせず、いやそれどころかそうしたものは軽蔑しているわずかな数の芸術家だけが住んでいた」と書いてあります。岩山に穴を掘って住んでいるとは、ぽん太も観光したマテーラの洞窟住居(「【南イタリア旅行】世界遺産マテーラの洞窟住居サッシに感動」2007/01/14)のようです。洞窟住居はマテーラだけではなかったんですね。なお先の引用に出てくるポジティアーノというのは、ポジターノPositanoのことだと思います。現在はすっかり高級リゾート地になっているようで、岩穴に住んでいる人はいないようです。
 アーモンドを買いに行ったアーシャがイタリア語がわからずに困っているところにベンヤミンが通りかかり、通訳をした上に荷物を持ってあげたのが、ふたりの出会いだそうです。
 ベンヤミンが自分の著作のなかでアーシャに触れているのは、『一方通行路』(1928)(『ベンヤミン・コレクション〈3〉記憶への旅』ちくま学芸文庫、1997年に所収)だけのようです。この本の巻頭には「この道の名は/アーシャラティス通り/この道を著者のなかに/技師として/切り開いた女性の名に因んで」という言葉が掲げられています(18ページ)。そして「中国陶磁器・工芸品」で、「門があって、そこから一本の道が始まる。下ってゆくと、ある女性の家に至るのだが、私はその人を毎晩訪ねていったのだ。彼女が引っ越してしまったあと、門のアーチ型の入り口は、聴覚を失った耳介のように、私のまえに開いていた」(28ページ)という文章がありますが、この女性がアーシャだそうです。またそこに、裸で挨拶に出てくる女の子が書かれていますが、これがアーシャの娘ダーガだそうです。ベンヤミンはショーレム宛の手紙のなかで、カプリ島での生活について書いているそうです。書簡集を収録した晶文社の『ヴァルター・ベンヤミン著作集』を注文してみましたが、在庫があるのかないのか、まだ手元に届きません。
 ベンヤミンとアーシャは恋に落ち、お互いにさまざまな影響を受けたようですが、その辺は省略。アーシャは9月にカプリ島を去ってパリに向い、遅れて10月10日にベンヤミンもカプリ島を去ったようです。

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