【鎌倉】日蓮ゆかりの寺々を巡る(その2)ぼたもち寺・本覚寺・龍口寺・光則寺
さて、前回のブログでは、日蓮が鎌倉で宗教活動を開始してから、松葉ケ谷(まつばがやつ)の法難に会うまでの間の、日蓮ゆかりの寺々を紹介しました。今回はその続きです。
1260年(文応元年)の松葉ケ谷の法難を逃れて下総に戻った日蓮ですが、転んでもただでは起きず、地方で精力的な布教を行ったのち、早くも翌1261年(弘長元年)5月に鎌倉に戻ります。しかし、待ち構えていた幕府は直ちに日蓮を捉え、伊豆の伊東に流罪とします(ぽん太は、伊東の日蓮ゆかりの寺々を訪れたことがありますが、ブログを始める前だったので記事はありません)。約2年後に流罪を許されたものの、1264年(文永元年)、安房の小松原で念仏信者の地頭・東条景信らに襲われます(小松原法難)。日蓮は左腕を折られ、眉間に刀傷を負いながらも、間一髪で難を逃れます。小松原法難ゆかりの寺は、末尾のリンクから千葉県の鏡忍寺・日蓮寺の記事をご覧下さい。
さて、数々の苦難に会いながらも、日蓮は布教を止めようとしませんでした。1271年(文永8年)幕府によって捕らえられ、今度は佐渡流罪の判決が下ります。このとき、護送されて行く日蓮に「桟敷の尼」がぼたもちを差し上げたという伝説があり、その地に建てられた常栄寺は「ぼたもち寺」と呼ばれています。鎌倉南東部に位置し、こじんまりとした、かわいらしいお寺です。
しかし実は幕府は、護送の途中、江ノ島の近くの龍口(たつのくち)処刑場で日蓮の首を切って殺してしまうつもりだったのです。真夜中になって、役人たちは斬首の手はずを整えます。ところが日蓮の首があわや切られようとした瞬間、突如、輝く光の玉が空に現れて渡っていき、役人は目がくらみ、すっかり怖じけずいて、処刑どころではなくなってしまいます(龍口法難)。結局、処刑をあきらめた幕府は、日蓮を佐渡流罪とします。
ここ龍口には、日蓮の死後、龍口寺(りゅうこうじ)が建立されました。江ノ島駅のほど近くにあり、そのような恐ろしい出来事があったことを感じさせない、広々として落ち着いた境内です。
鎌倉の西部、大仏の南西あたりに、光則寺(こうそくじ)というお寺があります。日蓮が佐渡に流されたとき、日蓮の高弟・日朗は捉えられ、宿谷光則の邸宅の土牢に監禁されます。しかし毅然とした日朗の態度に心を打たれ、やがて日蓮に帰依し、自宅を日蓮宗の寺としました。現在は、樹齢200年のカイドウを始め、花の寺として有名だそうです。裏にまわると、日朗が閉じ込められた土牢も残っています。
1274年(文永11)年、日蓮は佐渡流罪を許されます。鎌倉に戻った日蓮が滞在したのが、本覚寺の夷堂(えびすどう)です。また本覚寺には、身延山から分骨した日蓮の遺骨を納めた「日蓮聖人御分骨堂」があります。
過去の記事へのリンク
・【仏教】千葉県の日蓮ゆかりの寺々を巡る(その1)誕生寺・清澄寺(2006/12/23)
・【仏教】千葉県の日蓮ゆかりの寺々を巡る(その2)鏡忍寺・日蓮寺(2006/12/24)
・【鎌倉】日蓮ゆかりの寺々を巡る(その1)妙法寺・安国論寺・長勝寺・辻説法跡(2007/04/16)
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