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2007/11/06

【神様】そもそも『古事記』と『日本書紀』ってなに?

 日本各地の有名な神社を訪れては、そこに祀られている神々を調べ、『古事記』や『日本書紀』と照らし合わせたりして喜んでいるぽん太ですが、先日ふと「で、『古事記』とか『日本書紀』ってなんだっけ?」という疑問がわいてきました。高校時代に習った記憶では、奈良時代に作られた神話だか歴史書だったと思いますが、それ以上はわかりません。『古事記』と『日本書紀』は似ている部分も多いのですが、神様の名前や神話的なエピソードなどがかなり食い違っています。たしか『古事記』の方が少し早かったと思いますが、『古事記』をもとに『日本書紀』を書いたのか、それともまったく別のものなのか、ちんぷんかんぷんです。
 ちょっとググってみると、成立年代は『古事記』が712年(和銅5)、『日本書紀』が720年(養老4)でした。しかし、両者についてそれ以上ネットで調べようとしても、かなり怪しいカルト的な説が飛び交っていて、調べようがありません。ということで、正攻法を使って、何冊か本を読んでみました。

 『古事記』の成り立ちに関しては、その序文から、天武天皇の命令によって稗田阿礼(ひえだのあれ)に誦み習わせたものを、元明天皇の時代の712年(和銅5)に太安万侶(おおのやすまろ)らがまとめたものだそうです。この「誦み習わせた」という意味が、暗唱させたのか、書き留めて何度も誦んだのかは意見が分かれるようですが、当時の神話は祭りや儀式で実際に唄われていたのでしょうから、天才的記憶力を持つ稗田阿礼がこれらの唄を収集して暗記したと考える方が、ぽん太はワクワクします。
 『日本書紀』の方も天武天皇の命令により681年(天武10)に編纂が開始され、こちらは元正天皇の時代720年(養老4)に舎人親王によって完成されたそうです。
 このように『古事記』と『日本書紀』は、どちらも天武天皇の命令で作り始められ、完成したのもわずか8年しか違わないので、似ている点が多いようです。話しの内容や神様の名前の多くが一致し、天皇の名前は完全に一致しているそうです。
 しかし両者は異なる点も多く、『日本書紀』が第40代持統天皇まで扱っているのに対して、『古事記』は第33代の推古天皇までしか書かれていません。また天皇の在位年数や寿命がほとんど異なっています。『古事記』はひとつの物語して書かれていますが、『日本書紀』は本書とともに複数の説が注記されています。『古事記』は漢文と、漢字を使って音を表記した部分からなる和漢混交文体で書かれていますが、『日本書紀』は漢文体で書かれています。
 で、両者の関係ですが、『古事記』を参考にして『日本書紀』が書かれたという説や、両者は別個に作られたという説などがあり、定説はないようです。両者の比較はさまざまな観点からなされているようです。
 『日本書紀』は、中国の陰陽思想に基づいて書かれており、中国を意識した日本の公式の歴史書として編纂されたようで、それを使って貴族たちが勉強会を開いたそうです。『古事記』に関しては、元明天皇の私的な本であるとか、(当時の)近代化によって失われつつある古を懐かしんで作ったのだとか、諸説があるようです。
 ですから古来、もっぱら『日本書紀』が重視され、『古事記』は一参考文献程度に扱われていたそうです。中世には『日本書紀』が本地垂迹説に基づいて仏教的に読み替えられていたことは、【宗教】神仏習合について勉強してみた(2007/10/30)で書きました。江戸時代に本居宣長は『古事記伝』という『古事記』の注釈書を書き、『日本書紀』よりも『古事記』を重視し、そのなかに外国文化に汚される以前の本来の日本の心を見出そうとしました。明治以降、両書は皇国史観の根拠とされていましたが、津田左右吉(1873-1961)は文献批判学的方法によって、『古事記』や『日本書紀』は、皇室による日本の統治を正当化するという政治的意図に従って作り上げたものだと主張しました。そのほか、さまざまな観点から研究、読解が行われているようです。
 いずれにせよ『日本書紀』と『古事記』は、当時の日本という国家の始まり、天皇制の起源、天皇とはどういうものであったかといった、とても重要かつ難解な問題につながっているようです。このあたりは現在のぽん太にはまったく歯がたちません。

【参考文献】
・倉西裕子『「記紀」はいかにして成立したか -「天」の史書と「地」の史書』、講談社選書メチエ、2004年。
・神野志隆光『 古事記と日本書紀ー「天皇神話」の歴史』、講談社現代新書、1999年。
・ 工藤隆『古事記の起源ー新しい古代像をもとめて』、中公新書、2006年。

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コメント

 神避さん、コメントありがとうございました。
 実はぽん太は、まだブログに書いてないのですが、昨年秋に熊野に行ってきました。イザナミの埋葬地が熊野にあると『日本書紀』に書かれているとは、初めて知りました。
 お暇があったら、またぽん太のブログをお訪ねください。

投稿: ぽん太 | 2010/01/09 14:23

弥生時代、圧倒的青銅器文化を誇ったのは出雲だったことは考古学的にゆるぎないでしょう。世界史的にみて四大河文明の周辺文明圏では青銅器時代は女権社会が多く女王が祭司権を行使する社会がしばしばあった。それが鉄器時代になると好戦的男王社会に変わったと思われる。日本は世界史的にみて青銅器時代が短すぎて女王国がなかなか形成されなかったが出雲には女王が君臨した形跡が感じられそれがイザナミの埋葬地が出雲にあると古事記には書かれている。日本書紀は全くべつの熊野にしているが、日本書紀の作者が日本神話の霊性の根源を自覚していた証拠で、埋葬地を改変し出雲神話の記述量を削減したと思われる。

投稿: 神避 | 2010/01/05 00:40

 ちーぼ−さん、コメントありがとうございます。
 せっかくコメントしていただいたのに、長く放置してしまってすみませんm(_ _)m。なにかと慌ただしくて、しばらくわけがわからない状態になっておりました。
 ぽん太も「神話学」というのうはどういう学問なのかよく知りません。機会があったらみちくさしてみたいと思います。
 今後もおたちより下さい。

投稿: ぽん太 | 2009/09/14 13:38

こんにちわ。
ぽんたさんはいろんなコトを勉強してるんですねー。読ませていただいて、勉強になります^^
ところで、神話学とかいう分野があるじゃないですか(よく知りませんが)。そんな角度から眺めたらどうなりますかねぇ、トカ思いまして。

投稿: ちーぼー | 2009/08/28 17:48

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