ノルブリンカとダライ・ラマ14世【青蔵鉄道で行く冬のチベット(4)】
ノルブリンカは、ダライ・ラマの夏の離宮です。冬の間は迷路のように入り組んだポタラ宮で過ごしますが、4月から9月のあいだは風通しのいいノルブリンカに滞在したようです。18世紀にダライ・ラマ7世が造営を開始してから、歴代のダライ・ラマがここに離宮を造りました。2001年にはユネスコの世界遺産に追加登録されています。
ダライ・ラマ14世が実際に住んでいたタクテン・ポタンです。金ぴかの建物が、どこか現在のダライ・ラマ14世の雰囲気と似ています。ダライ・ラマ14世は、1935年7月6日に青海省のタクツェルで生まれました。ぽん太の参加したツアーでは、当初このダライ・ラマの生家を訪れる予定でしたが、中国政府の非公式の圧力で中止となりました。ダライ・ラマ14世は、2歳の時にダライ・ラマ13世の「転生」と認められました。
え、「転生」って何かって? チベット密教の考え方では、生きとし生けるものは六道の輪廻転生を繰り返します。六道とは、天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄です。ですから、人間が死んで生まれ変わったとして、人間に生まれる確率は少ないわけで、六道のどれか、場合によってはタヌキのぽん太のような畜生道に生まれ変わるわけです。そしてこの六道輪廻から外れて解脱することがチベット密教信者の願いであり、その可能性があるのは人間界だけなのですが、この点については省略いたします。一方観音菩薩は六道を輪廻せず、生きとし生けるものを救うために、人間から人間へと転生を繰り返します。これがダライ・ラマなのです。
ダライ・ラマが死去すると、その生まれ変わりの探索が始まります。それについては、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサイトに詳しいです。転生者は、血筋や地位で選ばれるのではなく、先代の遺言、遺体の状況、神降ろしによる託宣、聖なる湖の観察、転生者候補が先代の遺品を見分けられるかどうかなどによって決められるそうです。
チベット密教を信仰していないぽん太から見ると、このような方法で国の宗教的・政治的指導者を決めるのはあまりにも大胆に思えるのですが、でも実際に選ばれたダライ・ラマ14世を見てみると、彼らの鑑識眼のすごさを認めざるを得ません。
さて、転生と認められたダライ・ラマ14世(当時はラモ・トゥンドゥプ少年)は、1940年1月14日(4歳)にポタラ宮で即位し、ダライ・ラマ14世となりました。1949年、中国共産党がチベット侵攻を開始します。1950年(14歳?)には政治的な全権を与えられました。ちなみにダライ・ラマが死去すると摂政が選ばれ、摂政は、転生したダライ・ラマの探索と、新しいダライ・ラマが成人するまでのあいだ国を治める責任を負います。1950年ダライ・ラマ14世は、摂政から全権を受け継いだわけです。
さて、タクテン・ポタンに話しを戻すと、ダライ・ラマ14世のためのこの夏の離宮は、1954年に建てられました。1959年のチベット動乱で、法王はチベットを脱出し、ヒマラヤを徒歩で超えてインドに逃れます。ですから法王がタクテン・ポタンで過ごしたのは、わずか5年間ということになります。このチベット脱出の舞台となったのが、ここタクテン・ポタンです。写真はタクテン・ポタンの玄関から庭を見たところですが、玄関を出たダライ・ラマは、噴水のある庭を抜けて、突き当たりのやや右にある門(不鮮明ですが、写真の中央あたりにやや明るく写っているところ)を入ります。
そして、ダライ・ラマ7世の夏宮であるケルサン・ポタンにあるこの写真の門を出て、ラサ河に逃れたそうです。
ちなみにぽん太は十数年前、日本に来たダライ・ラマ14世の講演を聴きに行き、法王に握手していただいたことがあります。タヌキのぽん太は、完璧に人間に化けたつもりだったのですが、法王は一目で見破りになり、小声で「来世は人間に生まれ変われますように」と言って下さったのが印象に残っております。
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