ここでチベットの歴史と対中国問題をおさらいしときましょう【青蔵鉄道で行く冬のチベット(2)】
さて、前回の記事では、楽しい青蔵鉄道の旅についてご報告いたしました。次はポタラ宮などのラサ市内の観光をご報告したいのですが、その前にチベットの歴史と、中国との間に抱える問題について、ざっとお勉強しておく方がわかりやすいかと思います。
とはいえ、このブログですべてをまとめるのはめんどくさいので、たとえばこちらのwikipediaの「チベット」の項目などをご覧下さい。かなり詳しく書いてあります。
チベットの最初の統一王朝は620年頃に成立した吐蕃王朝(とばんおうちょう)で、その王ソンツェン・ガンポが唐から文成公主を妻として迎え入れたことは、TBSの世界不思議発見!でやってました。彼はまた、ネパールも打ち破り、ネパールのティツン王女をめとりました。この二人の妻は、ラサのジョカン(大昭寺)とラモチェ(小昭寺)にゆかりがありますが、今回は省略いたします。吐蕃王朝は9世紀には分裂し、チベットは群雄割拠の時代となります。
14世紀、ツォンカパ(1357-1419)は仏教界の改革を目指し、ゲルク派を興しました。戒律の厳しい宗派でしたが、次第に信者を増やして行きました。ノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世もゲルク派です。
ダライ・ラマといえば、この称号は、モンゴル人によって与えられたものです。16世紀のモンゴルの支配者アルタン・ハーン(1507-1582)は、チベット方面に侵出したおりに仏教に帰依し、チベット僧ソナム・ギャンツォに「ダライ・ラマ」という称号を贈りました。ダライとは、モンゴル語で「大海」を意味します。ソナム・ギャンツォはダライ・ラマ3世を名乗り、現在の14世にまで至っています。一方これがきっかけで、モンゴルにも仏教が広がりました。ぽん太は、以前にモンゴルに行ったとき、モンゴル人もチベット密教を信仰していることを知りましたが、モンゴルがチベット密教にこんな大きな役割を果たしているとは知りませんでした。またダライ・ラマ4世は、アルタン・ハーンの孫で、モンゴル人だそうです。
17世紀、ダライ・ラマ5世(1617-1682)はチベットを統一し、ラサを首都とする政教一致の政権を打ち立てました。文化も発展し、ポタラ宮を建設したのもダライ・ラマ5世の時代です。しかし彼の死後政権は弱体化し、清の干渉を受けるようになりました。
1911年に始まる辛亥革命をきっかけに、ダライ・ラマ13世率いるチベットは独立を試みましたが、当時のどの国にも承認されず、以後、中華民国とのあいだに緊張関係が続きました。
そんななか、ダライ・ラマ14世が
1939年(1940年でした)に即位。第二次大戦後にチベットも独立の機運が高まりましたが、1949年に建国された中華人民共和国はチベットは中国の一部分であると主張。1950年には圧倒的な軍事力によってチベットを制圧し、1951年にはチベットが中華人民共和国の統治下に入ることを認める十七か条協定を結びました。
チベットはなおも抵抗を続けましたが、1959年にはラサの暴動に発展し、ダライ・ラマ14世はラサを脱出してヒマラヤ山脈を徒歩で越え、インドに亡命しました(チベット動乱)。
1965年にチベットは中華人民共和国の西蔵自治区となり、続く文化大革命時代には、寺院や仏像の破壊、僧侶の投獄・殺害が行われました。
改革開放政策になってからは、中国政府はチベットに対し、アメとムチの政策で対応しています。ダライ・ラマ14世への信仰を禁止して徹底的な弾圧を加える一方で、ラサへの漢民族の移住や資本の投入を行い、チベット人の信仰心や民族意識を崩壊させようとしています。ぽん太が前回ご報告した青蔵鉄道も、中国本土とラサを直結することで、一方ではチベット文化破壊の役割を担っているのです。青蔵鉄道で旅をなさる方は、ぜひともそういった問題があることを考えながら乗って欲しいと思います。
【関連リンク】
・中国兵がヒマラヤを徒歩で越えてインドに逃れようとするチベット人を射殺する事件の報道の動画(残酷な映像がありますのでご注意下さい)
・超入門 チベット問題:チベットに詳しいサイト「I LOVE TIBET!」のなかのページ
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