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2008/05/29

【歌舞伎】怨霊そのもの・海老蔵の碇知盛(2008年5月歌舞伎座・昼の部)

 ぽん太の今回のお目当ては、海老蔵初役の碇知盛です。ただでさえ目一杯気合いが入る碇知盛を、エネルギー爆発の海老蔵がどう演じるか。これは目が離せません。
 結果から述べると、とてもよかったです。これまで海老蔵は、変なところで力を入れすぎたり、妙な台詞回しをしたり、声が『千の風になって』状態になってしまったりして、「顔はかっこいいのに、なんでかにゃ〜」という感じだったのですが、今回は笑いどころがありませんでした。
 特に「大物浦」の知盛は、凄まじい妖気が漂っていました。これまでぽん太は、碇知盛は「怨霊」を装った「人間」だと思ってましたが、海老蔵演じる知盛は、義経に対する復讐心によって「人間」から「怨霊」に変化したのだと感じました。「大物浦」が、義経が怨霊を鎮める物語であることが、初めてわかりました。
チケットぴあ
 「碇知盛」と呼ばれる『義経千本桜』の「渡海屋/大物浦」は、『平家物語』(あるいは『吾妻鏡』『義経記』など)の物語と、それを下敷きにして造られた能の『船弁慶』とを、両方踏まえて創られた狂言です。
 『平家物語』の「能登殿最後」では、壇ノ浦の合戦に敗れた知盛は、鎧を二枚重ね着して、乳母子(めのとご)の家長と手を取り合って入水します([1]p.179)。一方、碇を背負って海に飛び込むのは、教盛と経盛の兄弟です([1]p/168)。また「判官都落」では、大物浦から九州に向って漕ぎ出した義経一行は、突然の西風によって住吉浦に打ち上げられてしまい、味方の武将の多くを失います。怨霊に関しては、「忽ちに西の風ふきける事も、平家の怨霊のゆゑとぞおぼえける」と書かれているだけです([2]p.78)。
 能の『船弁慶』はこの物語を踏まえて創られた謡曲です。場面は大物浦から義経一行が漕ぎ出すところ。漕ぐにつれて波風が荒くなり、やがて海上に壇ノ浦で滅んだ平家一門の悪霊が現れます。その中から知盛の怨霊が、「自分と同じように海に沈めてやる」と長刀を振って襲いかかってきます。一行は慌てふためきますが、義経は少しも驚かずに、生きた人に対するかのように、刀を抜いて立ち向かいます。弁慶は「相手は亡霊だから生きた人と同じように戦ってはうまくいかない」と、数珠を押し揉みながら不動明王に祈ります。これによって怨霊は、次第に消え去っていきます([3]p.502-505)。『船弁慶』には知盛の怨霊は出てきますが、碇を担いで入水する場面はありません。
 歌舞伎の「碇知盛」では、ご存知の通り、実は知盛や安徳天皇は壇ノ浦の戦いで死なずに生き残っていたという設定です。身を隠して再起の機会を伺っていた知盛らは、大物浦から船で西国へ逃れようとする義経一行を襲うことにします。そのさい頼朝を油断させるため、知盛らが生きていたことがバレないように、幽霊に化ける計画を立てます。『平家物語』と『船弁慶』を踏まえて、巧みなストーリーを作り上げているのがわかります。しかし戦いは義経らの勝利となり、満身創痍となった知盛は、大物浦で義経と再び対面します。

知盛 あら珍しや、いかに義経(ト思い入れ)。
 〽思いぞ出ずる浦波に、知盛が沈みしその有様に、また義経も微塵になさんと長刀取り直し。
 ここは謡曲『船弁慶』の詞章を踏まえた部分ですが、歌舞伎の設定では知盛は壇ノ浦で海に沈んでいないわけですから、ちょっと変な気がします。つまりこの段階では知盛は、まだ幽霊の振りをしているわけですね。このあと義経が「実はとっくに知盛らの計略は見抜いていた、安徳天皇は自分がお助けしよう」と伝えます。知盛はそれでも義経に切り掛かろうとするので、弁慶は数珠を押し揉んで知盛の首に掛けます。『船弁慶』では弁慶の数珠の威力で知盛の悪霊は退散したのですが、「碇知盛」では知盛は、首に掛けられた数珠を引きちぎり、かえって逆上して悪霊の本性を現します。
 〽思い込んだる無念の顔色、眼血走り、髪逆立ち、この世から悪霊の相を現すばかりなり。
 このあと安徳天皇のお言葉と、典侍の局の自害によって、知盛は仏教の無常と因果を悟るのですが、詳細は省略。その後の六道の苦しみを述べる部分は、海老蔵が演じると、さながら怨霊が自らの苦悩を独白しているかのようでした。
いま、この海に身を沈め、末代に名を残さん。大物の浦にて判官に仇をなせしは、知盛が怨霊なりと伝えよや。
 知盛は、怨恨から義経に復讐しようとした自らを恥じ、自分の名誉を守るために、今回のことは怨霊のしわざだったことにしてほしいと義経らに頼みます。その結果、後世へ伝わったのは、『船弁慶』に描かれた物語になったことになります。最後に知盛は、碇綱を体に縛り付けて、自ら海の底に沈んで行きます。先に書いたように、『平家物語』では知盛は鎧を二枚着て海に飛び込んだのであって、碇を抱いて入水したのは教盛と経盛でした。しかし知盛が碇とともに海に沈むというアイディアは歌舞伎のオリジナルではなく、もっと以前からあったようです。たとえば金春禅鳳が室町後期に創った謡曲の『碇潜』(いかりかづき)でも、知盛は碇を担いで入水します。
 幕外で弁慶が吹く法螺貝も、知盛の霊を鎮めるためというより、怨霊に触れたことよるケガレを払う儀式と思われました。
 知盛が悪霊に化身するというのが、海老蔵が意図してやったことなのか、気合いが入りすぎてぽん太にそう見えただけなのか、よくわかりません。魁春は、渡海屋の女房役も大物浦の典侍の局役もよかったです。

 「喜撰」は踊りの達人三津五郎でしたが、日頃の疲れから意識喪失。

 「幡随長兵衛」は、歌舞伎初心者のぽん太がぜひ観たいと思っていた演目でした。團十郎扮する幡随院長兵衛は貫禄といい男気といい立派。妻が長兵衛の羽織袴の仕付け糸を抜くところ、長兵衛がみすみす罠にはまりに行くことを子分に納得させるところ、子供との別れ、水野の座敷における腹のさぐりあいなど、見所満載です。しかしストーリーはあまりおもしろくなく、劇中劇で始まり観客席から俳優が登場するのは、珍しいといえば珍しいですが常套手段といえば常套手段です。最後に長兵衛が、早桶を持って迎えにくるよう子分に言いつけておいたということで「あっぱれ」となるのですが、観客は、2幕目の最後で長兵衛が子分に言いつけるのを見ていてネタワレしているので、あんまりオチがききません。筋書の解説によると、この芝居の眼目は、「長兵衛が水野邸で殺されるところを劇化した」ことだったようです。ご存知の通り幡随院長兵衛は実在の人物で、水野十郎左衛門の屋敷で惨殺されたのも事実ですが、それを劇化するのはタブーだったそうです。江戸時代が終わって明治14年(1881年)となってようやく河竹黙阿弥は、皆が知っているけど公にはできなかった惨殺シーンを、劇化することができたのです。当時の観客達にとっては、「をひをひ、こんなの舞台でやっていいの?」という感じだったのでしょう。ちなみに幡随院長兵衛と幡随院の関係に関しては、以前にちらっとみちくさしたことがありますが、その後新しい情報は得ていません。
 ところで幡随院長兵衛の子分で松江が演じた「小仏小平」ですが、先日観た『東海道四谷怪談』の「薬くだせ〜」の人と同じ名前ですね。どういう関係があるのでしょう。歌舞伎初心者のぽん太にはわかりません。

團菊祭五月大歌舞伎 平成20年5月 歌舞伎座 昼の部
一、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
  渡海屋/大物浦
   渡海屋銀平実は新中納言知盛  海老蔵
             源義経  友右衛門
            相模五郎  権十郎
            亀井六郎  男女蔵
            片岡八郎  亀 寿
            伊勢三郎  亀 鶴
            駿河次郎  松 也
            入江丹蔵  市 蔵
           武蔵坊弁慶  團 蔵
            典侍の局  魁 春
二、六歌仙容彩
  喜撰(きせん)
            喜撰法師  三津五郎
              所化  秀 調
               同  松 江
               同  亀 寿
               同  松 也
               同  萬太郎
               同  新 悟
               同  小 吉
               同  巳之助
               同  梅 枝
               同  亀 鶴
               同  男女蔵
               同  高麗蔵
           祗園のお梶  時 蔵
三、極付 幡随長兵衛(ばんずいちょうべえ)
  「公平法問諍」
          幡随院長兵衛  團十郎
         水野十郎左衛門  菊五郎
           出尻清兵衛  三津五郎
            極楽十三  権十郎
            雷重五郎  松 緑
            神田弥吉  海老蔵
            小仏小平  松 江
            閻魔大助  亀 寿
            笠森団六  亀 鶴
            地蔵三吉  松 也
          長兵衛倅長松  玉太郎
            坂田公平  市 蔵
             柏の前  右之助
           渡辺綱九郎  家 橘
           伊予守頼義  萬次郎
           近藤登之助  彦三郎
           唐犬権兵衛  梅 玉
         長兵衛女房お時  藤十郎
【参考文献】
[1]『平家物語〈11〉』杉本圭三郎訳、講談社学術文庫、1988年。
[2]『平家物語〈12〉』杉本圭三郎訳、講談社学術文庫、1991年。
[3]『新編日本古典文学全集 (59) 謡曲集 (2)
[4]『義経千本桜 (歌舞伎オン・ステージ (21))』原道生編、白水社、1991年。

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