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2008/05/21

【ウズベキスタン旅行(2)】多種多様な人種が平和に共存?

 ぽん太がウズベキスタンを訪れてまず驚いたのは、さまざまな民族の人たちが共存していることです。
P4300018 タシケントのチョルスー・バザールですが、多種多様な民族の人たちが思い思いの服装で歩いています。伝統的な服装に身を包んだウズベク人の女性がいるかと思えば、東欧風な顔立ちの人、朝鮮系の人、モンゴル系の人、そして背の高いロシア人がミニスカートでハイヒールをカツカツいわせて闊歩しております。
P5010073 アトラスという伝統的な模様の服を着た、ウズベク人の土産物屋のご夫人たちです。ウズベクの女性は年配になるとこのような体系になるようです。まんなかの女性は東欧っぽい顔立ちですね。場所はヒヴァです。
P5060081 サマルカンドのパン売りのおばさんです。眉毛の化粧が濃いです。両方の眉をつなげる化粧をしている人もいます。ウズベク人はこのようなテュルク系の人たちです。
P5030682 ブハラのナディール・ディヴァンベギ・メドレセで行われる民族舞踊ショーに登場したロシア人です。スタイルがいいです。
P5020183 ブハラではちょうどお祭りが行われていました。子供たちがかわいらしい民族衣装に身を包んで、広場に集まっていました。ウズベキスタンの人たちは、写真に撮られるのを嫌がりません。かえって向こうから「撮ってくれ」と言ってきます(もちろん言葉は通じませんが)。また、ウズベキスタンの田舎から来ている観光客には東洋人が珍しいのか、ウズベキスタン人から「一緒に写真に入ってくれ」と声をかけられることも多かったです。そういえば、ぽん太が田舎の高校の修学旅行で京都に行ったとき、友人の一人は、外人さんに声をかけては一緒に写真を撮っていました。それと同じですね。
P5030219 ブハラの店先でゲームを楽しむおじさん。バックギャモンでしょうか?
 ウズベキスタン(O'zbekiston)という国の名前は、ウズベク人(O'zbek)の国(-istan)という意味です。外務省のサイトによると、ウズベキスタンの民族構成は、ウズベク人(80%)、ロシア人(5.5%)、タジク人(5.0%)、カザフ人(3.0%)となっています。しかしガイドさんの話しでは、ウズベク人と分類されているひとの中にも、他民族のひとが多く混ざっているのだそうです。ウズベキスタンでは、パスポートに民族が記載されているのだそうですが、ガイドさんも「自分のパスポートのはウズベク人と書いてあるが、ほんとうはタジク人だ」と言っていました。ガイドさんはちょっと東欧っぽい顔立ちでした。
P5030007 夕暮れのブハラ旧市街のお母さん。すごく派手な衣装を着ていますが、普段着です。
 バルカン半島などでは、さまざまな民族が血みどろの抗争を続けていますが、ここ中央アジアでは多民族が共存していることにぽん太は驚きました。ガイドさんの話しでは、民族による差別意識や、貧富の差はないそうです。シルクロードの中継地として古来さまざまな民族が行き来してきたから、いろいろな民族の人たちが仲良く平和にくらしているのかな……などとぽん太は想像しておりました。
P5020441 アヤズカラからブハラへ向かう街道の途中で出会った、羊を追う農夫たちです。
 帰国後に高橋巖根の『ウズベキスタン—民族・歴史・国家』(創土社、2005年)を読んでみたところ、多民族の共存の理由はそんなロマンティックなものではなく、ウズベキスタンという国の成り立ちはソビエト連邦を抜きにして考えられないということがわかりました。ウズベキスタンは社会主義のイデオロギーに従って人工的に造られた国であり、ソ連から独立したために、また新たな観点から国家の歴史や文化や民族意識を再構成することになったわけです。そういえばぽん太が旧ソ連邦を旅行するのは、今回が初めてです。ですからぽん太は今回の旅で、初めて中央アジアに触れると同時に、初めて旧ソ連邦に接したことになるわけです。
 そもそもウズベキスタン共和国は、ソビエト連邦のウズベク共和国が1991年に独立したものです。しかしソ連時代の1924年に行われた中央アジアの共和国の線引きは、かなり恣意的だったようです。そういえばウズベキスタンの北西部のカザフスタンとの境界は、アフリカ諸国の境界と同じように、一直線になっています。
 「ウズベク」という名前も、14世紀頃初めて現れたもので、ウズベクと称する遊牧民族が中央アジアに流入してきて、先住民族と融合して「ウズベク」という名称をもたらしたのだそうです。
 ソビエト社会主義では、公式には民族は解消に向かうものとされており、民族差別は否定されていました。しかし現実には、ナチス・ドイツとのつながりを疑われた中央アジアの少数民族が別の地域に強制移住させられたり、極東で日本軍部との内通が疑われた朝鮮系住民が、突然中央アジアに移住させられたりしたそうです。ウズベキスタンに住む朝鮮系のひとたちも、ひょっとしたらそうした人たちの末裔なのではないかなどと考えると、見方が変わってきます。
 ソビエト時代の末期の1989年には、メスメチア・トルコ人をウズベク人が襲撃する事件が起きました(フェルガナ事件)。数百人から数千人の死者が出たそうですが、メスメチア・トルコ人は移送されたり他の地域に逃げたりし、事件前は15万人いた彼らの人口は、事件後には1万人程度に減少したそうです。

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