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2008年6月の16件の記事

2008/06/28

【歌舞伎】映画のようなスピーディーな展開『夏祭浪速鑑』(2008年6月コクーン歌舞伎)

 ぽん太とにゃん子がBunkamuraに行く日は雨が降るというジンクスは今回も健在。
 コクーン歌舞伎は今回で3回目。これまでは2階席でしたが、今回は平場のチケットが取れました。期待通り、役者さんたちが周囲を歩き回って演技をし、まるで舞台の上で観ている感じというか、演じられている世界のなかに自分がいるかのような臨場感でした。
 勘三郎の九郎兵衛と橋之助の徳兵衛のコンビは、若々しくて元気一杯。展開もスピーディーで、映画の「俺たちに明日はない」とか「明日に向かって撃て!」を思い出しました。
 串田和美の演出ですが、まずは恒例の「池」が舞台上にしつらえられ、もちろん平場のかぶりつきはポンチョ着用。父殺しの場面では、歌舞伎の昔の照明の面あかりが効果的に用いられ、それに火がついて燃え上がった瞬間ににぎやかなお祭りの場面に転換したところは見事でした。ラストのアレもアメリカ公演の噂は耳にしていましたが、悪くはありませんでした。
 ただ、普段歌舞伎を見ていないお客さんを対象にするのなら、江戸時代は父親殺しが、斬首獄門(つまり斬られた首を晒される刑)に匹敵する重罪だったことを、どこかの台詞に入れた方がいいのではないでしょうか(江戸時代の死刑制度)。そうでないと、なんで義父の理不尽な仕打ちをあそこまで我慢しなくてはならないのか、現代のお客さんにはわかりにくいのではないでしょうか。
 迫力ある太鼓と笛の熱演も加わり、いつも見慣れているはずの歌舞伎の立ち回りや見得が、まったく別のパフォーマンスであるかのように、とても新鮮に感じられました。客席の真ん中で行われた梯子に上るタテも、平場から見るとすごく高さが感じられました。観客もノリノリ。最後は全員がスタンディング・オベーションでした。
 歌舞伎もちょっと工夫するだけで、現代の観客をこれだけ熱狂させる力があるのだな、と思いました。
 とはいえぽん太が伝統的な歌舞伎を嫌いかというとそんなことはなく、実は先日見た「三人笑」のような芸も大好きなのです。

2008年6月コクーン歌舞伎
「夏祭浪花鑑」
シアター・コクーン
演出:串田和美
団七九郎兵衛・・・中村勘三郎
一寸徳兵衛・・・中村橋之助
玉島磯之丞・・・中村勘太郎
徳兵衛女房お辰・・・中村七之助
三河屋義平次・・・笹野高史
大鳥佐賀右衛門・・・片岡亀蔵
釣船三婦・・・坂東彌十郎
団七女房お梶・・・中村扇雀

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2008/06/26

【歌舞伎】「三人笑」の芸に感動(2008年6月歌舞伎座昼の部)

 歌舞伎座昼の部を観て参りました。歌舞伎初心者のぽん太は、『新薄雪物語』は初めて観る演目ですが、とても感動いたしました。
 序幕はどこかで観たような。先月に観た『白波五人男』の序幕が、この『新薄雪物語』のパロディでした。歌舞伎らしく華やかで豪華な舞台です。
 この狂言の見所は、なんといっても最後の「三人笑」。三人がそれぞれ笑うだけのシーンで、これだけの時間(計ってないけど10分近くか)を持たせ、観客を引きつけるのは、芸そのものです。特に芝翫の名演技に思わず涙がこぼれました。久々にいいものを観たという感じで、ぽん太とにゃん子は大満足でした。
 不満があるのが幸四郎。陰腹を切って、痛そうな苦しそうな表情をしたら、すべてが台無しです。ここは痛みを押し殺し、決意を秘めた表情をして欲しいところ。
 本日は女子高生とおぼしき団体が観に来てましたが、一幕目の華やかな舞台と男女のやりとり、染五郎の立ち回りなどは楽しんでいただけたと思うのですが、三幕目の「三人笑」の演技や、子供を思う親の気持ちは、どれほと伝わったでしょうか。ぜひ、歌舞伎ファンになってほしいです。歌舞伎教室というとよく『勧進帳』をやりますが、あれは松羽目物の渋い演目で、問答なども何を言っているのかわからず、ぽん太はちっとも初心者向きとは思いません。『新薄雪物語』のような、お姫様も出て、立ち回りもあり、美しい舞台の方がいいと思うのですが。
 また「三人笑」では、「虎渓の三笑とも名高き、唐土の大笑い」という義太夫が入りますが、中国の故事「虎渓三笑」に関しては、以前の記事で書いたことがあります。
 芝雀、錦之助かわいらしく、富十郎は堂々たる風格。

 最後は福助と染五郎の所作ごと。染五郎、よかったです。もうひとつ色気と愛嬌が出て来たら最高です。

平成20年6月歌舞伎座、昼の部
一、新薄雪物語(しんうすゆきものがたり)
  序 幕 新清水花見の場
  二幕目 幸崎邸詮議の場
  三幕目 園部邸広間の場
      同 奥書院合腹の場
             梅の方  芝 翫
            園部兵衛  幸四郎
             薄雪姫  芝 雀
             腰元籬  福 助
           園部左衛門  錦之助
             奴妻平  染五郎
            腰元呉羽  高麗蔵
           花山艶之丞  由次郎
            役僧雲念  錦 吾
            渋川藤馬  桂 三
             来国行  家 橘
             奴袖平  友右衛門
            刎川兵蔵  歌 昇
             団九郎  段四郎
             松ヶ枝  魁 春
            秋月大学  彦三郎
           幸崎伊賀守  吉右衛門
       葛城民部/秋月大膳  富十郎
二、俄獅子(にわかじし)
              芸者  福 助
              鳶頭  染五郎

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2008/06/24

【歌舞伎】『義経千本桜』「すし屋」の深い仏教理解に感動する(2008年6月歌舞伎座夜の部)

 今月は月末に歌舞伎が集中。今日は夜の部でしたが、このあと昼の部とコクーンがあります。
 夜の部のお目当ては、吉右衛門がいがみの権太を演じる『義経千本桜』の「すし屋」です。前回に観た仁左衛門の権太は、やんちゃな兄ちゃんという感じで、ちょこっとかわいくちょこっと格好良かったりしましたが、吉右衛門の権太は根っからの小悪党。その分、物語の筋立てが明確に見えました。
 『義経千本桜』は義太夫狂言三大名作のひとつと言われていますが(ほかの二つは『菅原伝授手習鑑』と『仮名手本忠臣蔵』)、ぽん太も大好きです。竹田出雲、三好松洛、並木千柳の合作ですが、仏教、特に浄土系の仏教に対する深い理解が感じられます。「無常」や「因果」は『義経千本桜』全体の根底にありますが、「すし屋」のテーマは「善と悪」。いがみの権太は悪であったのが善に心を入れ替えます。母のおくらは夫に内緒で、店のお金三貫目を息子に与えます。弥左衛門は、実の息子を我が手にかけます(しかも息子は無実でした)。維盛は、お里をだまして関係を結んでいたことになります。梶原景時も、歌舞伎では悪役と決まっているのに、この狂言では善人として登場します。善と悪は相対的なものであり、誰もが浮き世の因縁のなかで、善行を積み悪行をなすのです。
 いがみの権太のように、悪人に見えていたのが実は善人だったというのを、歌舞伎では「もどり」というそうです。一種のどんでん返しですが、この狂言ではさらにもうひとつどんでん返しがあり、善人となった権太が行った行為が、実はすべて無駄であったということが明らかになります。善行が報われないのは救いがないように思われますが、いいことをした人が幸せになるという安易な教訓話にしないところが『義経千本桜』のすごさで、観る者に「無常」の思いを突きつけます。
 維盛は、自分で自らの身を決することなく、周囲に流されて生き延びて来たというキャラクターです。「すし屋」のなかでも、一時は腹を切ろうと決意しますが、内侍に止められてまた上市へ落ち延びてゆきます。維盛がついに出家を決意したのは、表向きには頼朝の心根によってですが、実は取るに足らない市井の人である権太が自分のために無駄死にしたことで、自分が落ち延び続けることによって、この先さらに他人を不幸にすることを理解したからです。そしてまた、権太の無駄死にを通して無常を悟ったからでもあり、ここではすべてを見通していた頼朝が、まるで仏のように描かれています。
 芝雀のお里、かわいいです。染五郎は弥助と維盛をうまく演じ分けていましたが、やはり身体の線が細い感じで、も少し年とって身体に丸みが出て、色気がにじみ出てきたらいいのですが。おくらの吉之丞、年老いたお母さんをやらせたら絶品。高麗蔵も内侍の品格がありました。歌六と段四郎は好演。

 『身替座禅』は仁左衛門の右京がでれでれで情けなくてよかったです。段四郎の玉の井は怖すぎ。
 『生きている小平次』は駄作。脚本がお怖くも面白くもなんともなし。福助がへんてこな声の調子で笑いを取っていたのは、つまらない芝居を少しでも盛り上げるためか? 小幡小平次というのは伝統的で有名なモチーフのようですが、こんかいはみちくさは省略。
 『三人形』は、箱のなかから出てきた人形が踊り出すという趣向ですが、歌昇、錦之助、芝雀の三人が、ちまちまと人形らしくかわいらしくてよかったです。

平成20年6月大歌舞伎(歌舞伎座)
夜の部
一、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
  すし屋
          いがみの権太  吉右衛門
              お里  芝 雀
         弥助実は平維盛  染五郎
            梶原の臣  由次郎
               同  桂 三
               同  種太郎
             おくら  吉之丞
            若葉内侍  高麗蔵
            弥左衛門  歌 六
            梶原景時  段四郎
二、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん)
            山蔭右京  仁左衛門
            太郎冠者  錦之助
            腰元小枝  隼 人
            腰元千枝  巳之助
           奥方玉の井  段四郎
三、生きている小平次(いきているこへいじ)
           那古太九郎  幸四郎
           小幡小平次  染五郎
             おちか  福 助
四、三人形(みつにんぎょう)
              傾城  芝 雀
              若衆  錦之助
               奴  歌 昇

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2008/06/22

【登山】梅雨の晴れ間に那須連山最北端の展望の山・甲子山へ(付:甲子温泉大黒屋)

P6190051 今回は日本秘湯を守る会のスタンプ帳のご招待で、甲子温泉(かしおんせん)大黒屋さんに宿泊しました。こちらがぽん太が以前に泊まったときの記事です。
P6180041 宿の裏手には、宿の名前の由来と思われる大黒天があります。大黒天に関しては、以前に少しみちくさしたことがあります。西郷村教育委員会の立て札によると、「甲子山大黒天霊験垂跡之記」という文字は松平定信、絵は谷文晁だそうですが、ホントでしょうか?

 宿泊当日は梅雨の合間の快晴の天気。7月の幌尻岳登山のトレーニングを兼ねて、宿から簡単に往復できる甲子山に登ってきました。往復4時間程度の山ですが、トレーニングのために重りを4キロほど仕込んで登りましたので、けっこう疲れました。「甲子山」と書いて何と読むのか? 山と渓谷社のアルベンガイドには「かっしやま」と書かれていますが、ググってみても「かしやま」「かしざん」「かしさん」「かっしさん」「かっしざん」など、わけがわかりません。

【山名】甲子山(1549m)
【山域】那須
【日程】2008年6月19日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】快晴
【コース】甲子温泉大黒屋(11:40)……甲子山山頂(13:36)……甲子温泉大黒屋(15:54)
【見た花】コケイラン、ササバギンラン、サラサドウダン、ベニサラサドウダン、ギンリョウソウ、ウラジロヨウラク、タニウツギ、ツクバネソウ、マイヅルソウなど
【マイカー登山情報】登山口は甲子温泉大黒屋さんの奥にあります。宿の隣りに空き地があるので、登山の場合はそちらに車を停めます。くれぐれも宿の駐車場に停めないように。ちなみに国道289号線のトンネルは甲子温泉のところまでで通行止めになっていますが、今年の7月には会津まで通じるとの表示が出てました。ところで既に開通している289号線には、既存のトンネルを掘り直したようなあやしい部分が! 帰ってからググってみると、「山行が」のサイトを発見!! 先に開通したトンネルの地盤が地滑りを起こし、掘り直したものだそうな。
【参考リンク】
http://www.h4.dion.ne.jp/~yamataro/kasizan-atama.htm
 「福島県の山」というサイトのなかのページ。甲子山の情報が詳しいです。

P6180043_1 大黒屋を出て登山道を歩いて行くと、国道289号の案内が……。タモリ倶楽部にも出たという登山国道です(YouTubeの動画、3分14秒くらいから)。木に取り付けられたオニギリがキュートです。ちなみに津軽にある階段国道(339号線)も有名ですネ。
 しばらくはつづら折りの道が続きますが、両側のブナなどの落葉樹の林が美しいです。
 尾根の上に出ると、道は比較的平坦になります。最後は少し岩が多くなって、山頂に飛び出ます。
P6180017 山頂は見晴らしがいいです。南には旭岳を越えて稜線が那須岳の三本槍岳へと続きます。北には二岐山が見えますが、この東側の谷がぽん太が以前に行った二岐温泉です。そのやや西の遥か彼方に、飯豊山の白い嶺々が見えました。
P6180031 花はあまり多くなかったですが、サラサドウダンとベニサラサドウダンが満開で美しかったです。写真はコケイランです。ぽん太は北海道の雄阿寒岳で見て以来2回目です。ほかにササバギンランの白い可憐な花も咲いていました。

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2008/06/21

【蕎麦】那須茶寮はナチュラル・モダンが素敵だね(★★★★)

 福島県の甲子温泉大黒屋で一泊したぽん太は、生まれて初めて那須甲子有料道路を走り、那須に抜けました。美しい広葉樹林のなかを走るこの道路は、紅葉のときはさぞかし美しいことでしょう。天気は曇りで、那須の茶臼岳がようやく見えました。
 那須ではいつもよる月井商店でおいしい栃木の地酒を買い込みました。
 
P6190061 さて、月井商店で情報を聞いて、那須茶寮でお蕎麦をいただきました。こちらが那須茶寮の公式サイトです。場所は那須街道沿いで、看板がちょっとわかりにくいのですが、戦争博物館の向かいあたりです。とても現代的で洒落た建物です。
P6190063 建物の内装もナチュラル・モダンという感じで、落ち着いていて、かつ洗練されています。メニューは、正確には忘れましたが、蕎麦とあんみつ、蕎麦と天ぷらとあんみつ、もちょっといろいろついたものの、3種類です。太り過ぎのぽん太は蕎麦とあんみつを注文。
P6190114 蕎麦は細打ちながら腰が強く、そば粉の香りが強いです。おつゆは甘くはないけどけっこう濃くてしっかりした味。薬味には本ワサビと、シチリア産の岩塩と、地元産の唐辛子をお好みで。塩で食べるのも意外に美味しかったです。あんみつはぽん太の好きな黒蜜でした。ぽん太は大満足です。
 夜は予約制でお食事もできるようです。
 同系列で那須茶寮・雪月花という旅館もあるそうです。1日2組の限定で、有名人も利用しているとか。ぽん太にはちと高級すぎるかも。
 

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2008/06/17

【温泉】地獄温泉清風荘に天国を見た(付:熊本城)

P6040100_2 地獄温泉清風荘は、阿蘇山の南山麓にある人里離れた温泉です。こちらが宿の公式ホームページです。
P6050113 地獄温泉とは恐ろしい名前ですが、名物の混浴露天の「すずめの湯」などでは、泥のように濁ったお湯の底から沸々と泡が湧いており、硫黄の臭気が漂うので、「地獄」に見立てたのでありましょう。最近なにかと話題の硫化水素ガスが含まれているそうですが、浴場はどれも開放的になっており、もちろん危険はありません。すずめの湯以外にも、広い敷地のなかに、家族風呂、仇討ちの湯、新湯、元湯などたくさんのお湯が点々とあり、全部入るのに苦労するほどです。
P6050118 お部屋は新しい別館もありますが、古い建物が好きなぽん太とにゃん子は本館を指定。歴史を感じさせる建物です。
P6040236 夕食は別棟のお食事処でいただきます。ホームページにあるようにいくつかのコースから選択できますが、ぽん太とにゃん子は野鳥いろり焼コースを頂きました。新鮮な肉や野菜をいろりで炭火焼にしていただきます。ヤマメはまだピクピク動いていました。とてもおいしかったです。
P6050256 朝食はバイキングです。種類も豊富で大満足でした。これで宿泊料もリーゾナブルですから、なかなか得点が高い宿です。

P6050139 その後、熊本城を見学しました。こちらが熊本城公式ホームページです。熊本城は、加藤清正の築城により1607年に完成したもので、大阪城・名古屋城とともに三大名城と呼ばれています。写真のとおり思わず見とれるような非常に美しい姿をしておりますが、実はこれはコンクリート製の復元です。実物は1877年の西南戦争のおりに焼失しました。
P6050147 焼失を免れたのは宇土櫓や、東側にあるいくつかの櫓、そして写真の不開門などで、これらは重要文化財に指定されています。しかし観光客のほとんどは、天守閣に登り、同じく復元されて今春から公開されている本丸御殿を観て帰って行くようで、駐車場から遠い東側にある重要文化財を観る人はほとんどおらず、閑散としていました。

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2008/06/16

【温泉】霧島湯之谷山荘(★★★★)(付:霧島神宮)

 篤姫の跡を訪ねたぽん太とにゃん子は、鹿児島県は霧島湯之谷温泉の霧島湯之谷山荘に泊まりました。こちらが公式ホームページのようです。
P6040078 場所は、霧島の観光客で賑わう霧島温泉郷の中心地を過ぎて、国道223号線を少し霧島神宮方面に行ったところから、細い山道に入って行きます。すると、木立に囲まれて静かな雰囲気の建物が見えてきます。部屋は新しく改装されてこぎれいな和室ですが、古めかしさや秘湯ムードはありません。
P6030073 なんといってもこの旅館の目玉は、冒頭の写真の、ムード溢れる温泉です。一番手前の小さい浴室はぬるめ(30度)、一番奥の白濁した浴室は熱め(46度)と、二つの源泉があり、両方が混ざった真ん中の浴槽は、いつまでも入っていられるほどよい温度です。実際ぽん太は、この真ん中の浴槽に使ったままいびきをかいて眠っているお客さんを目撃しました。
P6030074 小さな浴槽は、バルブの操作で打たせ湯にもなります。お湯は白濁した硫黄泉で、ぬるめの方は炭酸系で入っていると泡が着きます。泉質、発想、造形、どれをとっても満点の温泉です。
P6030070 露天風呂はひとつしかないので、貸切方式になっていました。あまり広くなく、開放感もないので、内湯のすばらしさにはかないません。
P6030172 夕食は地元の食材を使ったおいしい郷土料理を、別室でいただきました。とてもおいしかったです。
P6040174 こちらが朝食で、ボリュームがあります。おいしゅうございました。なお、朝食後になると地元のひとたちが続々とお風呂に入りにきて、大混雑となります。

P6040080 翌日、天気がよかったら高千穂山にでも登ろうかと思ったのですが、風が強く、山の方からは霧雨が吹き下ろしてきます。そこで霧島神宮でみちくさしてみました。こちらが霧島神宮の公式ホームページです。大きなお社です。御祭神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)とのことですが、神仏分離以前はどうだったのでしょう。瓊瓊杵尊は、初めて天上から地上に降臨した神様として有名で、その降臨した場所が高千穂山です。奥様は名前からしてかわいらしい木花之開耶姫(このはなのさくやひめ)。富士山で祀られています。授かった三人の子供は、火照命(ほでりのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほおりのみこと)です。火照命は海幸彦、火遠理命は山幸彦と呼んだ方がなじみがあるでしょう。
 また霧島神社は、坂本龍馬が1868年(慶応2年)、日本初の新婚旅行で訪れたところとしても有名です。

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2008/06/15

『コーラン』と『コーランを読む』を読む

 海外旅行の行き帰りの飛行機では宗教書か哲学書を読むことに決めているぽん太です。今回は行き先がイスラム教のウズベキスタンだったので、『コーラン』にしてみました。
 イスラム教は言わずと知れた世界三大宗教のひとつで、いろいろ話題になることも多いのですが、『コーラン』を読むのはぽん太は初めてです。ところが仏教の経典や、キリスト教の聖書が、一般に物語のようになっていて読みやすいのに比べ、コーランは断片的な詩句のような文章の連続で、とても読みにくいのです。おかげで行き帰りの飛行機では十分な睡眠時間が確保できましたが、イスラム教について理解を深めることはできませんでした。
 何事にも先達はあらまほしけれ、ということで、帰国後、井筒俊彦氏の『コーランを読む』を読んでみました。ところがこの先達さんがなかなか大したもので、市民セミナーをまとめたものだそうですが、とてもわかりやすくてよかったです。

 まず『コーラン』に関する覚え書き。皆さんには常識かもしれませんが、ぽん太の読書ノートだと思ってお許し下さい。
 『コーラン』は、ムハンマド(570〜632)が神から受けた啓示をまとめた聖典です。ムハンマドはアラビア半島のメッカで生まれ、幼くして両親を亡くして苦労もしたようです。長じて商人となり隊商にも参加したそうです。裕福な寡婦と結婚したりもしているようです。ムハンマドが初めて神の啓示を受けたのは40歳のときで、意外と遅いです。その後死ぬまで折に触れて啓示を受けたそうで、それらは口伝されたり、さまざまなかたちで書き留められましたが、ムハンマド自身が『決定版コーラン』を作ることはありませんでした。第3代カリフウスマーン(在位644年〜656年)が、ムハンマドの没後訳20年後、さまざまなかたちで読誦されていた『コーラン』の統一を試みますが、最終的なかたちで『コーラン』が成立するまで、3世紀かかったそうです。
 『コーラン』は114章からなり、おおむね長いものから短いものへという順番で配置されています。古い預言に短いものが多いことから、晩年の啓示が前の方、初期の啓示が後ろの方に位置します。
 一読してわかることは、アダムとかモーゼとか旧約聖書の話しが出てくることです。イスラム教の考え方では、神は何人もの預言者を地上に使わしたのであり、キリストもその一人であるが、多くの人たちは神の真意を誤解して理いる、そのため神が最後に使わした預言者がムハンマドであり、『コーラン』は正真正銘の神の教えの啓示である、ということのようです。
 もうひとつ目を引くのは、戦争が出てくることです。キリストも仏陀もいろいろと迫害を受けたりはしましたが、自らが指揮して戦争することはありませんでした。歴史的には624年、メッカ軍がムハンマドのいるメディナを攻撃しましたが、メディナ軍は劣勢にもかかわらずこれを撃退します(バドルの戦い)。翌年再びメッカ軍がメディナに侵攻しますが、こんどは大敗してムハンマド自身も負傷します(ウフドの戦い)。その後もムハンマドはメッカ軍と戦ったり、遠征を行ったりと、生涯戦争と縁が切れませんでした。このことと、イスラム教徒の一部が戦闘的なことと関係があるのかどうか、ぽん太にはまったくわかりません。
 ぽん太が『コーラン』を読んでわかったのはこれだけです。

 で、井筒俊彦の『コーランを読む』ですが、これがたいへん読みやすくていい本です。『コーランを読む』という題なので、コーラン全体を解説してくれるのかと思ったら、なんとたった7行からなる第1章を10回に分けて読むのだとのこと。ちょっとびっくりしますが、7行を理解するためにコーランの他の部分を参照するので、コーラン全体のエッセンスを知ることができます。そもそもイスラム教の考え方でも、第1章がコーランすべての思想を凝縮していると考えられているのだそうです。井筒氏の読み方は、コーランの一語一語が、当時のアラビア世界の文化的・宗教的・政治的状況においてどういう意味を持っていたかを描き出してくれるので、コーランが当時の時代背景のなかに浮き彫りになったかたちで理解できます。
 いつものように、この本に興味を持った方は自分で読んでいただくことにして、ぽん太が興味深かった点をいくつか取り上げます。
 まず『コーラン』はつねに声を出して誦むものだということ([2]p8-9)。もちろんキリスト教の聖書も仏教の経典も声に出して読まれますが、繰り返し声に出して読むことは本質ではありません。一方『コーラン』は繰り返し読誦されるべきものであることが、『コーラン』自身に書かれています。
 『コーラン』はサジュウと呼ばれる独特の文体で書かれています。これは文章を脚韻でリズミカルに句切って行くもので、純粋な詩とも違う、独特の散文形式だそうです([2]p.261-274)。これはイスラム以前のアラビアでは、神託とか予言とか呪詛、祝福などで使われる独特の文体だったそうです。『コーラン』のなかには、合戦の歴史的な記述や、結婚・離婚などの諸規則を述べた部分もあるのですが、こうした部分もサジュウで書かれているのだそうです。ちなみにムハンマド自身も、いわゆる神がかり状態、トランス状態で、アッラーの預言を語ったのだそうです。
 『コーラン』の詠唱を聴いてみたい方には、CDがあります。記事の末尾にリンクを張っておきます。節をつけて誦んでいるので、脚韻まではわかりませんが、日本の民謡のようなこぶしがきいていて、非常に神秘的です。
 ユダヤ今日では神の名は軽々しく口にしてはいけないことになっていますが、イスラム教では神の名を口にすることに宗教的意義を認めるのだそうです(p.80-84)。神は本来絶対不可知ですが、神が我々に姿を表す形態のひとつが「名前」なのだそうです。イスラムでは神が視覚的に姿を現すことはないそうです。このことは、イスラム教が偶像崇拝を禁じることと関係があるのでしょうか? またムハンマド自身が、視覚的な体験よりも聴覚的な体験に勝ったひとだったのでしょうか? 想像が膨らんで行きます。
 アッラーは99の名を持っているそうで、それらの名前は「ジャマール」と「ジャラール」という2つの系統に大別できます。「ジャマール」は慈悲、情け深いといった優しく穏やかな側面、「ジャラール」は怒り、復讐、審判、処刑などの恐ろしい側面を表しているそうです。
 イスラムが名前を重視することに関連して、第2章第30節以降でアッラーがアダムを作る話しがでてきます。天使たちは地上に災いをもたらす人間を造ることに反対しますが、アッラーはこっそりとアダムにものの名前を教えます。アダムがものの名前を言うのを聞いて、天使たちは降参します。
 イスラム教の考え方では、この夜のありとあらゆるものは神を賛美しているのだそうです([2]p.120-131)。人間が言葉で賛美するのはもちろんのこと、鳥は飛ぶことによって、地上のあらゆる存在が神を賛美し、その声に地上は満ちているのです。ぽん太は仏教でいうと、法華経の世界を思い出します。法華経の世界では、わたしたちの現実は現実そのままで、仏性に照らされて神々しく輝き渡ります。イスラム教の考えでは、あらゆる存在は神を賛美していますが、人間だけが、自分が神を賛美していることを知っています。つまり神を自由意思で賛美することができるのですが、裏を返せば自らの意思で神を賛美しないことができます。ここにあらゆる存在のなかで、人間の特殊性が認められるのです。ぽん太は、仏教の六道輪廻を思い浮かべます。六道輪廻においても、輪廻を解脱して成仏しようと考えることができるのは人間だけです。人間の上に位置する天でさえ、その何不足ない境遇に安住するあまり、六道輪廻から解脱することはできないのです。
 イスラムでは「終末論」がとても大切な概念なのだそうです。われわれの世界にはやがて恐るべき終末がおとずれます。われわれは終末が刻々と迫る恐怖のなかに生きています。そのあとには「復活」があり、すべての死者が蘇ります。輪廻転生という仏教ではなじみの考えは、イスラムの考え方とは相いれないものであり、人が死ぬと肉体は墓のなかで朽ち果てますが、魂は生まれ変わらずにどんどん蓄積して行きます。やがて復活の時、魂は生きていた頃の肉体と一つひとつ結びついて、地上に蘇るのです。そして彼らは神の審判を受け、そこで自分の人生にふさわしい恩賞と罰とを受けるのです。そして新しい世界秩序が始まることになります。
 そういえばキリスト教でも最後の審判とか復活とかの考え方がありますが、キリスト教の場合はどうなっているのでしょうか。ぽん太はまったくわかりません。機会があったらみちくさしましょう。
 この終末論は、葬式仏教徒のぽん太からすると「荒唐無稽」ですが、でも六道輪廻の考え方だって「荒唐無稽」ですよね。
 「荒唐無稽」な終末論ですが、当時のアラビアでは「人間死んだら終わり、ただそれだけさ」というペシミスティックな考え方が一般的だったそうで(]2]p.306)、この「終末論」は逆に来世への希望を持たせるものだったようです。
 イスラムは、商業が発達するにつれて古い部族制度が崩壊して行くなか、新しい共同体秩序を提示するものでもありました([2]p.329-332)。そこでは神と人間が一対一で向かい合うのであって、部族や血縁といった古いつながりは否定されました。そのことが因習的な人々の反発を買う原因になったようです。
 イスラムでは、神を崇める、神に帰依するということは、神を主人とし、自分は奴隷として仕えるという意味合いなのだそうです([2]p.339)。この考え方も、奴隷ば恥ずべき卑しむべき存在で人間ではないと考えていた当時、誇り高いアラブ人には受け入れがたい考え方でした。この感覚が、キリスト教の神への帰依や、浄土真宗の絶対他力と比較してどうなのかまでは、よくわかりませんでした。
 井筒氏は「存在の夜」と表現していますが、当時のイスラム世界は、悪霊とか妖気とかが闇でうごめくような独特の世界感があったそうです([2]p.371)。たとえば「ささやく」というのは呪詛することを意味するそうで、『旧約聖書』にもみられるそうです。「詩編」の「第41篇」の「すべて我を憎む者、互いにささやき、我をそこなわんとて相はかる」というのは、ひそひそ話で悪口をしているのではなく、呪詛の言葉を集団で唱えて害そうとしているのだそうです。とはいえ日本でも昔は、滅ぼした相手の怨霊が世界を漂い、それを鎮めるために寺社を造ったりしていたから、同じことかもしれません。これについてはぽん太も以前にちとみちくさしました(【宗教】神仏習合について勉強してみた)。

 以上、まとまりのない雑感でしたが、『コーラン』に入門できてよかったです。また機会があったら『コーラン』をみちくさしたいと思います。
【参考文献】
[1] 『コーラン〈1〉 (中公クラシックス)』、藤本勝次他訳、中央公論社、2002年。
[2] 井筒俊彦著『コーランを読む (岩波セミナーブックス 1)』、岩波書店、1983年。

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2008/06/14

篤姫ゆかりの地を訪ねて・鹿児島市内編(付:仙巌園・尚古集成

 指宿に続いて、鹿児島市内の篤姫ゆかりの観光地を訪れました。こちらが「観光かごしま大キャンペーン推進協議会」が作成した「篤姫」観光キャンペーン公式ホームページの鹿児島市の観光ルート案内です。またこちらから、同協議会が作成した
P6040088 まずは鶴丸城跡。島津家代々藩主の居城で、島津斉彬の幼女となった篤姫が、松坂慶子扮する幾島に行儀作法の特訓を受けたのがここです。鶴丸城は西南戦争によって1974年(明治7年)に焼失し、その跡地は一時は第七高等学校として使われましたが、現在は図書館や博物館などが置かれています。
P6040090 今泉島津家本邸跡です。篤姫が生まれたところですね。現在は屋敷は残っておらず、個人の住居となっております。ガイドブックには石垣が「当時を偲ばせ」ると書いてありますが、ホントに当時のものなのかどうかは不明です。

P6040094 そのあと仙巌園を訪れました。こちらが仙巌園の公式サイトです。島津家の別邸跡とその庭園だそうで、桜島を築山、鹿児島湾を池に見立てた壮大な景色が特徴です。
P6040098 日本の国力の遅れを痛感した島津斉彬は、西欧の産業を取り入れて日本の近代化を企てます。そのために造られたのが集成館で、製鉄、造船、紡績、写真、電信、ガス灯の実験、ガラス・陶器の製造などが行われました。写真の尚古集成館は、1865年(慶応元年)に造られた集成館機械工場の建物を利用して造られた博物館で、国指定の重要文化財です。
 2007年8月の歌舞伎で勘太郎が『磯異人館』を上演しましたが、その舞台となっているのがこの集成館です。勘太郎が尚古集成館を訪れたときの「歌舞伎美人」のニュース記事はこちらです。

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2008/06/13

篤姫ゆかりの地を訪ねて・指宿編

 桜島を観光し海乃屋のラーメンを食べたぽん太とにゃん子は、指宿に向かいました。大河ドラマの篤姫にゆかりの地を訪れるためです。ミーハーだと笑わば笑え、こうした機会でもなければ篤姫に興味を持つこともないですから、絶好のチャンスです。
 そういえば次の大河ドラマの「天地人」は戦国時代、さらに次は「龍馬伝」でまたまた幕末とのこと。ぽん太はもう飽きました。ぽん太としては、あんまりよくわからない南北朝の時代とか、もう平成になったので、明治時代とかを希望します。
 指宿の篤姫関連観光案内に関しては、こちらの指宿観光協会のサイトをご覧下さい。詳しい情報を得ることができます。指宿とはいっても、薩摩今泉周辺がポイントです。JR薩摩今泉駅に篤姫観光案内所があり、マップをもらえます。また、そこで申し込むと、ガイドさんが案内をしてくれるそうです。
P6030053 まずは豊玉媛神社です。1695年(元禄8年)に創られたというこの仁王像は、明治の廃仏毀釈運動で壊されたそうですが、民家の石垣として使われているのが発見され、篤姫放映を機に2007年6月に豊玉媛神社に戻されたものだそうです。
P6030055 この神社は今泉島津家の領地の郷社でした。ちっちゃくってピンク色でかわいらしいお社です。拝殿と本殿の間の幣殿でしょうか、広く造られているのが特徴です。御祭神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)だそうですが、江戸時代は中宮大明神と呼ばれていたそうです。
 『古事記』では豊玉毘売(とよたまひめ)は、海の神である綿津見神(わたつみのかみ)娘です。有名な海幸彦・山幸彦の話しで、兄の海幸彦からあずかった釣り針を無くしてしまった山幸彦は、釣り針を探して海の宮に辿り着きます。豊玉毘売は山幸彦に一目惚れし、二人は海の宮で三年間暮らします。山幸彦は探していた釣り針を見つけて地上に戻りますが、既に身ごもっていた豊玉毘売は、山幸彦を追って地上にやってきます。子供を産むところをけっして見ないようにという約束を破って山幸彦が覗いてみると、豊玉毘売は大きなワニの姿となっていました。恥ずかしい姿を見られた豊玉毘売は、子を残して海の宮に戻ってしまいます。『日本書紀』では豊玉姫と表記され、同様の物語がみられますが、一節にはワニではなく竜になったとも言われています。
P6030057 豊玉媛神社の近くには、今泉島津家の隠居屋敷跡があります。現在は民家となっているようです。
P6030060 光台寺参道跡です。このお寺は今泉島津家の菩提寺でしたが、明治の廃仏毀釈で壊されてしまったそうです。
P6030062 今泉島津家墓地にある今泉忠剛のお墓です。忠剛は篤姫の実のお父さんですね。NHKの大河ドラマでは、目を泳がせたら日本一の長塚京三が演じていました。
P6030065 今泉島津家の別邸跡は、小学校になっております。海岸側に当時の石垣が残っています。小学校の敷地内に、井戸と、篤姫も使ったという手水鉢が残されているそうですが、学校の敷地に立ち入るなどという、犯罪者と疑われるような危険な真似はできません。
P6030068 松の間から遠く桜島が臨めます。鹿児島から見る迫力ある姿とは異なり、遠くから見守っているかのようです。篤姫もこの風景を見ながら育ったのでしょうか。

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2008/06/12

【バレエ】今は亡きベジャールの世界を堪能(モーリス・ベジャール・バレエ団)

 ぽん太とにゃん子がモーリス・ベジャール・バレエ団を観に行くのは初めてですが、残念ながら昨年の11月22日にベジャールは死去。現在は芸術監督のジル・ロマンが率いているようです。ちなみにこちらがNBSの2008年日本公演のサイト、そしてこちらがBejart Ballet Lausanneの公式サイトです。
 あれれ、ぽん太はベジャールのバレエ団といえば「20世紀バレエ団」だとばかり思っていたら、1987年に本拠地をスイスのローザンヌに移し、「ベジャール・バレエ・ローザンヌ」になっていたのですね。あ〜無知はやだやだ。
 『これが死か』は、2008年2月の「マラーホフの贈り物」でやる予定だったのに、上演許可が下りずに変更されてしまった演目です。「死」とはいっても、死につつある男が、生涯に愛した3人の女性を思い出すというストーリーで、リヒャルト・シュトラウスの歌曲にのせた踊りはどこまでも甘美です。ジュリアン・ファヴローは、陰りや憂いにはちと欠ける気がしましたが、しなやかな動きがすばらしく、他の演目も出ずっぱりで大活躍でした。
 『イーゴリと私たち』は、2007年4月に製作が開始されたものの、ベジャールの死によって未完に終わった作品を、ジル・ロマンがベジャールの意思に沿うかたちで完成させたものだそうです。指揮者役のジル・ロマンは、背も高くなくて体も華奢な感じですが、雰囲気と存在感があります。ストラヴィンスキーの独特の変拍子に乗った踊りはおもしろかったです。次々とカワイイ男の子が登場し、にゃんこは「バレエのジャニーズだにゃ〜」と大喜びです。
 『祈りとダンス』は一転してトルコ風・イスラム風。男性の白いスカートのような衣装は、トルコのメヴレヴィー教団の旋回舞踏を思い起こしますが、思った通り途中でくるくると回ってくれました。家に帰ってNBSのサイトの解説を読んでみるとそれもそのはず、副題は「“ルーミー”、ダンス組曲」ですから、メヴレヴィー教団そのもので、途中で出てくる台詞も教団の創始者にして詩人のルーミーの言葉だったのですね。ちなみにぽん太がメヴラーナ教団の本拠地コンヤを訪れルーミーの墓を見た記事はこちらです。そこでもリンクしてありますが、こちらが旋回舞踏の動画(YouTube)です。
 日本人の那須野圭右がソロを踊り、カーテンコールでひときわ大きな拍手を受けていました。
 最後の『ボレロ』はカトリーヌ・ズアナバールが「メロディ」。黒人系(?)の彼女は背は高くないと思うのですが、手足が長くて手のひらや足先が大きく、とても存在感がありました。ベジャールの『ボレロ』の祝祭の儀式的な雰囲気にぴったりでした。感動しました。「リズム」のなかに日本人らしき人たちが何人も混ざっていましたが、東京バレエ団の助っ人でしょうか?
 今日もらったチラシによれば、来年の2月に東京バレエ団でギエムの『ボレロ』が観られるとのこと。これは今から楽しみです。
 今は亡きベジャールの世界を堪能した夜でしたが、斬新さやインパクトに欠ける面があるのも確かで、コンテンポラリーのスタンダードという位置づけか? 今後ジル・ロマンがどのようにオリジナリティを加えてくのかが楽しみです。
 
モーリス・ベジャール・バレエ団 2008年日本公演
2008年6月11日(火)19:00 開演 会場:東京文化会館
これが死か SERAIT-CE LA MORT?
    ジュリアン・ファヴロー
    カテリーナ・シャルキナ
    カトリーヌ・ズアナバール
    エリザベット・ロス
    カルリーヌ・マリオン

イーゴリと私たち IGOR ET NOUS
    シェフ:ジル・ロマン
パ・ド・カトル:カテリーナ・シャルキナ、カルリーヌ・マリオン
        ダリア・イワノワ、エミリー・デルベ
パ・ド・トロワ:ティエリー・デバル、ジュリアン・ファヴロー、ダフニ・モイアッシ
 パ・ド・ドゥ:マーティン・ヴェデル、カトリーヌ・ズアナバール

祈りとダンス LA PRIÉRE ET LA DANCE
   ルーミー:男性全員
  3つのバラ:ルイザ・ディアス=ゴンザレス、エリザベット・ロス、
        ダリア・イワノワ
      炎:ダヴィッド・クピンスキー
    デュオ:カテリーナ・シャルキナ、ジュリアン・ファヴロー
  ゴレスタン:男性全員
 パ・ド・ドゥ:ヨハン・クラプソン、アレッサンドロ・スキアッタレッラ
パ・ド・トロワ:ジュリアーノ・カルドーネ、エティエンヌ・ベシャール、
        ニール・ジャンセン、アルトゥール・ルーアルティ
パ・ド・カトル:ガブリエル・バレネンゴア、ティエリー・デバル
        マーティン・ヴェデル、エクトール・ナヴァロ
   ソロ 1:那須野 圭右
   ソロ 2:ドメニコ・ルヴレ

ボレロ BOLÉRO
  カトリーヌ・ズアナバール
  ティエリー・デバル、アレッサンドロ・スキアッタレッラ、
  ジュリアン・ファヴロー、マーティン・ヴェデル、
  エクトール・ナヴァロ、ヴァランタン・ルヴァラン、
  バティスト・ガオン、ガブリエル・バレネンゴア、
  那須野 圭右、オクタヴィオ・デ・ラ・ローサ、
  アドリアン・シセロン、ヨハン・クラプソン、
  エティエンヌ・ベシャール、ダヴィッド・クピンスキー、
  ジュリアーノ・カルドーネ、ニール・ジャンセン、
  シャルル・フェルー、アルトゥール・ルーアルティ

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2008/06/11

初めての桜島(付:海乃屋のラーメン)

 妙見温泉おりはし旅館を満喫したぽん太とにゃん子は、大隅半島に車を走らせ、桜島を訪れました。桜島を訪れるのは生まれて初めてです。

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P6030036 まずは黒神埋没鳥居。1914年(大正3年)の大爆発で、桜島は大隅半島と陸続きになったのですが、この噴火で上部を残して埋まってしまった鳥居が、そのまま保存されています。しかし鹿児島県民は、こんな火山の近くでよく平気で住んでいると思います。指宿の砂むし風呂などは、要するに「地面が熱い」のですから、まずいのではないでしょうか?
P6030038 次に訪れたのは有村溶岩展望所です。こちらは1946年(昭和21年)の爆発で流れ出た溶岩原で、天気が悪くて桜島山頂こそ見えなかったものの、隆々たる溶岩は迫力満点です。
P6030042 林芙美子文学碑です。林芙美子の出生地は山口県下関市とされていましたが、実は福岡県北九州市門司区であるといわれています。ここ桜島の古里温泉は母親の実家で、芙美子も幼児期にここで過ごしたことがあるそうですが、細かいことはぽん太はわかりません。ちなみに林芙美子が戦時中に疎開した長野県の角間温泉にある林芙美子文学館を訪れたことは、以前の記事に書きました。また、林芙美子が定宿としていた上林温泉湯宿せきやの宿泊記はこちらです。
P6030047 海抜373m、桜島岳の4合目に位置する湯之平展望所です。こちらの山と高原地図webのサイトにあるように、桜島は山頂火口から2km以内が立ち入り禁止になっております。火山特有の荒々しい地形を見ることができます。びっくりしたのは、鹿児島湾の桜島以北の部分が、実は姶良カルデラ(あいらかるでら)と呼ばれるでっかりカルデラということ。ふ〜む、初めて知りました。
P6030050 桜島港からフェリーに乗って鹿児島港へ。
P6030116 鹿児島市の南部の海乃屋ラーメン(かいのやらーめん)で昼食です。メニューは、らーめん、大盛りらーめん、餃子、めしの4種類のみで、お客も常連さんばかり。雑誌に寄ると長渕剛もその一人だそうです。
P6030115 スープからは濃厚な豚の香りがいたします。スープは豚骨ながら脂ぎっていなくて意外とあっさりしていて美味しいです。ごちそうさまでした。

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2008/06/10

【温泉】風呂・建物・料理が三拍子そろった宿/妙見温泉おりはし旅館(★★★★★)

P6030032 今回の南九州旅行の最初の宿は、妙見温泉おりはし旅館です。こちらが公式ホームページです。場所は、鹿児島空港の西の山間です。妙見温泉自体はさして特徴のない田舎の温泉といった風情ですが、橋をわたったところにあるおりはし旅館は、広い敷地を持った風情ある宿です。
P6030024 本館は大正時代の建築だそうで、古い木造建築が好きなぽん太とにゃん子の好みにぴったりです。
P6030030 泊めていただいた部屋は、三方に縁側のあるすばらしい部屋でした。ガラス窓越しに見える雨に濡れた樹々の緑がとても美しかったです。
P6020015 お風呂は、キズ湯、貸切の藤の湯、露天風呂、本館の内湯、自炊棟の内湯があり、それぞれに風情があります。もちろん、ぽん太とにゃん子はすべて制覇。緑褐色でやや濁ったお湯で、入っていると皮膚に泡がついてきて、飲むと炭酸味があります。湯量は豊富で、どの風呂も贅沢な掛け流し。泉質は、ナトリウム・マグネシウム・カルシウム・炭酸水素塩泉とのこと。う〜ん、やっぱりぬるくていつまでも入っていられるキズ湯が一番いいかな。
P6020053 部屋食でいただいた夕食は、どれもぽん太には珍しい郷土料理で、どの旅館でも出るようなキュウリとイクラみたいなのはまったくなく、とてもおいしかったです。鹿児島の料理というと、キビナゴとさつま揚げと豚の角煮ぐらいしかないとおもっていたのですが、見直しました。
P6020056 特に妙見温泉を流れる天降川は鮎の宝庫。6月1日に釣りが解禁されたばかりで、釣りたての天然鮎の塩焼きは、生まれて初めて体験する強い香りで、背脂もまったくなく、とても美味しかったです。
 古い建物よし、お湯よし、食事もよし、三拍子そろったすばらしい宿で、ぽん太の評価は満点です。もちろんおもてなしも最高です。

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2008/06/09

カトリーヌ・クレマン『フロイト伝』雑感

 『ジャック・ラカンの生涯と伝説』を書いたクレマンの『フロイト伝』の邦訳が出たということで、買って読んでみました。
 フロイトの伝記は、アーネスト・ジョーンズやピーター・ゲイなど既にいろいろ出てますが、これまで通読したことはありませんでした。クレマンの本は手軽なので一気に読むことができ、いろいろと勉強になりました。
 例えばフロイトとブリットの共著で『トーマス=ウッドロー・ウィルソン』という本があって、そこでアメリカ大統領ウィルソンが痛烈に批判されていることなど、ぽん太はまったく知りませんでした。もちろん1967年に出版されたこの本は、フロイトがどこまで関与しているかという問題があるようです。
 しかしこの『フロイト伝』には、取り上げられているエピソードの出典がまったく書かれていないので、事実確認に苦労します。たとえばフロイトがノーベル賞を夢見ていたと書いてあるので([1]p.185)、へ〜、ホンマかいな、と調べてみると、フロイトの1929年10月31日の日記に「ノーベル賞見送られる」と書いてあるのがみつかったりします([2]p.2)。こんなのばかりで、いちいち調べるのが大変ですが、フロイト検定を受験する人には(もしあればの話しですが)恰好の問題集でありましょう。
 さらに間違いもあるようです。ブロイアーがアンナ・Oの治療後に授かったとされる娘に関して、「その後夫との間に生まれた子どもは、ヴェネチアでできたのではありません。もっと後に、別のある場所のことでした」([1]p.63)と書いてあります。これは、エランベルジュやヒルシュミュラーの調査を踏まえているのだと思いますが([3]p.79の原注53)、ブロイアーの娘が生まれたのは、アンナ・Oの治療が終結した1882年6月より以前の1882年3月11日であり、「もっと後」ではなく「もっと前」のはずです。これが原著の間違えなのか、翻訳の間違えなのか、原著に当たって調べる元気はありません(それともぽん太の誤解でしょうか……)。
 クレマンのフロイトに語りかけるような文体もあいまって、本書はフロイトの伝記ではなく、クレマンが抱いているフロイトのイメージ、クレマンのフロイトへの思いを書いた本であると思われます。ですから『フロイト伝』という邦訳のタイトルよりも、原作のPOUR SIGMUND FREUD(フロイトのために)の方が適切であるように思われます。
 解説を書いた十川孝司氏もクレマンに釣られたのか、同じようなミスをしています。フーコーの『知への意志』を引用して、フーコーが「精神分析こそがファシズムと理論的にも実践的にも対立する立場にあったと論じている」([1]p.246)と書いているので、「へ〜、フーコーがそんなに精神分析を買っているの?」と疑問に思って原文を読んでみました。するとA cela la psychanalyse doit d'avoir été - à quelques exceptions près et pour l'essentiel - en opposition théorique et pratique avec la fascisme.ですから、精神分析「こそ」などとは言っておらず、精神分析が反ファシズム陣営に属することを述べているだけです。十川氏がフロイトを持ち上げたい気持ちはわかりますが……。
 どうも概してラカン派のひとたちは、あれこれ難しい概念を振りかざして理知的で科学的な装いをしていますが、実のところけっこう感情的であって、「見られていることを知らない」ひとが多いようにぽん太には思えます。
 ラカンの言っていることは難しくてよくわからないのですが、ラカン派のひとたちに聞いても「分析を受けてない人にはわからん」などと言って教えてくれません。ですからせめて、分析を受けた人の言動を観察してラカン理論の価値を判定するしかありません。同じくよく理解できない「禅」のお坊さんの生き方を見ると、「立派な生き方だなあ」と思ったりするのですが、どうもラカン派の人を見て「自分もこのように生きてみたい」という気には、ぽん太はならないのです。え?精神分析は立派な生きた方をするためのものではないですって? はいはい。
【参考文献】
[1] カトリーヌ・クレマン『フロイト伝』吉田加奈子訳、青土社、2007年。
[2] ジグムント・フロイト『フロイト最後の日記 1929-1939』小林司訳、日本教文社、2004年。
[3] ピーター・ゲイ『フロイト1』鈴木晶訳、みすず書房、1997年。

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2008/06/08

【書籍】また筒井康隆がバカな小説を!『ダンシング・ヴァニティ』

 鹿児島旅行の行き帰りの飛行機のなかで読むために購入しました。
 また筒井康隆がバカなことをやっております。冒頭から同じシーンがぐるぐると何度も反復します。こ、こ、これは、まさかコピペして枚数を稼ごうという魂胆では、とも思いましたが、よく読むと細部が微妙に変わっています。なんと、これでは斜め読みができないではないか……。
 仕方がないので、ぽん太としては珍しく、端からきちんと読んでいくも、その後も諸々のシーンが微妙に変化しながら何度も繰り返されます。白いフクロウも要所要所で出現。主人公の妻は、寝ているとき以外は顔を降り続ける強迫行為症と、筒井お約束の精神障害も登場。何度も鍵を確認したりする強迫行為は、この小説の繰り返しと重なります。
 「匍匐前進」というかけ声に従って、主人公は何度も地べたを這いつくばります。しかしいつのまにか「匍匐前進」とかけ声をかける隊長に役割を変え、さらには意識的に「匍匐前進」と叫ぶことで人々を思いどおりに動かせるようになります。
 コーラスでもあるコロスも登場。コロスは本来はギリシャ悲劇の合唱隊ですが、「正面のドアを開けて功刀さんがコーヒーをトレイに載せてあらわれると、またコロスが喋りはじめる。『まじめな顔ね』『緊張してるわ』『何緊張してるのかしら』『何緊張してるのかしら』『コーヒーを零しちゃいけないからでしょ』『上役がいるからでしょ』『きんちょうしてるわ』」。これではコロスというより、統合失調症の幻聴である。
 ぽん太の好きな歌舞伎の「傾城反魂香」もでてきます。この話しは「吃り」の絵描きが主人公ですが、同じ場面が何度も繰り返されるこの小説とマッチしています。
 主人公は浮世絵の研究のために武士となって江戸時代にも行きます。武士として振る舞いながらも、一方で「その宿屋たるや、なんと木造四階建てではないか。あきらかに建築基準法違反だが昔はこんな建物もゆるされたらしい」と客観的に眺めている自分もいます。半分夢だとわかりながら観ている夢にそっくりでです。おまけにこの武士、寝ようとするが寒いので酒を買いに行くことにします。やがて遠くにコンビニの灯りが見え、「酒を置いてあるコンビニでありますようにと祈りながら近づいていくと」(あははは、その気持ちぽん太もよくわかります)、嬉しいことにいつも酒を買っているコンビニに辿り着き、店を出ると武士だったことを忘れてうっかり(現在の)自宅に戻ってしまいます。ぽん太は飛行機の中で大笑いして、すっかり周囲の顰蹙を買いました。
 同じシーンの反復というと、ルイス・ブニュエルの映画『皆殺しの天使』(1962)を思い出します。人々が夜食会のために邸宅を訪れるシーンが2回繰り返されます。また乾杯のシーンも2回あるのですが、2回目は客が演説を聞こうとしません。
 筒井康隆の反復する世界は、パラレルワールドのようでもあり、また何度もリセットを行うロールプレイイング・ゲームのようでもあります。またクラシック音楽では、いくつかの主題が変形されたり順序を変えたりしながら繰り返されるのが普通で、そういう意味では『ダンシング・ヴァニティ』は音楽的だな、さすが自らクラリネットをものする筒井氏、文章に音楽的なリズムがあるよね、他の作家が真似してもこのリズム感は生まれないだろう、などと思っていたら、筒井康隆自身がインタビューに答えて「交響曲にもジャズにもポップスにも繰り返しがあり、いいなと思ったメロディーが反復されると大きな充足感をもたらす。モダンダンスにも繰り返しがある。他の芸術ジャンルにはあるのに、小説には反復がない」と言ってるやんか(asahi.com、2008年2月14日)。

 小説の終わりに近づくと、全ては死の床にある主人公の混乱した記憶のように思えてきますが、それもホントかどうかわかりません。とはいえ過ぎ去った時間を慈しむ郷愁が胸を打ちます。しかし小説としてのまとまりを出すためにとって付けた「オチ」のようにも思え、むしろ理屈抜きの反復に身を任せる方が気持ちいいような気もしてきます。
 死を前にした老人の非合理的な意識の流れというと、アラン・レネの映画『プロビデンス』(1977)が思い出されます。博覧強記の筒井氏、きっと意識しているに違いありません。
 さらに巻末の参考資料をみると、新宮一成の『夢と構造−フロイトからラカンへの隠された道』があげられています。フロイトやラカンの精神分析の夢理論や反復強迫も踏まえているようです。
 こちらの新潮社のサイトでは、表紙の写真にある小池隆のバニーちゃんのフィギュアがくるくる廻ってくれます。フィギュアの愛読者プレゼントの応募券がないかと、カバーや帯の裏をめくったりしてみましたが、残念ながらありませんでした。
 筒井先生、また次も、ばかばかしいの一丁お願いします。待ってます。

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2008/06/07

【登山】梅雨のさなかに開聞岳(付:魚将さかなちゃん、牧開神社、池田湖の大うなぎ、知覧)

P0806061 ぽん太とにゃん子は、九州にぽつんとひとつだけ登り残した百名山の開聞岳に行ってきました。薩摩富士とも呼ばれる美しい円錐形の山ですが、登山道がうずまき状についているのがキュートです。
【山名】開聞岳(922m)
【山域】鹿児島
【日程】2008年6月2日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】雨
【コース】登山口(9:20)…開聞岳山頂(11:25)…登山口(13:10)
【マイカー登山情報】開聞中学校の横を通って開聞岳に向かって車で進んで行くと、道が細くなるところで道路は右折し、少し行くと左側に登山者用駐車場があります。しかし、右折せずにまっすぐ細い道を入って行くと、右側にグラススキー用の駐車場があります。空いていれば感謝しつつここをお借りすることもできると思います。往復20分ほど歩行時間が短縮できます。
【見た花】ハナミョウガタツナミソウの一種
【地図】

大きな地図で見る
【参考リンク】
http://yamachizu.mapple.net/mt01-0099/
 登山地図でおなじみ昭文社がお届けする「山と高原地図web」。開聞岳の地図と簡単な登山情報があります。

P6010006 前夜は鹿児島市の天文館にある魚将さかなちゃんで、名物華アジの活き造りを初めとする美味しいお魚と、本場の焼酎を十二分に堪能。市内のビジネスホテルで一泊して目を覚ますと、思いっきり雨です。しかし、標高1000メートル足らずの開聞岳に登るために、何度も九州まで足を運ぶわけにはいかないので、予定通り登山を決行することにしました。
 鹿児島は何度か来ているので、海から円錐状にそびえる開聞岳の美しさは頭に染み付いていますが、今回はまったく姿が見えません。

P6020021 開聞岳にタヌキのお化けが出現! 違う、わしだっちゅ〜の。低山の雨ということで、以前にも使ったことがある秘密兵器「ポンチョ」を着用。雨具を着込んで「暑い、暑い」と言うにゃん子を尻目に、快適に登って行きます。ところが途中から風雨が強くなり、ポンチョがぱたぱたとあおられ、膝から下はびしょぬれです。おまけに下りでは、ポンチョの裾を引きずる始末で、何度も木の根に引っ掛けたりしました。ポンチョは登山には向かないという結論に達し、以後は登山では封印することに決めました。今後は雨の日のスポーツ観戦にでも使うつもりです。
 山頂からの展望もまったくありません。風雨に堪えかね早々に下山しました。
P6020024 ランのような花、大きな葉が特徴です。ハナミョウガです。
P6020016_1 この時期、あちこちに群落を作っていたので、ありふれた花かと思いましたが、タツナミソウの一種のようですが、変種が多いようで、はっきり同定できません。

P6020002 帰りがけに牧聞神社によって無事登山のお礼参り。「ひらききじんじゃ」と読みます。本殿・幣殿・拝殿の手前に、唐破風のついた勅使殿があるのが特徴で、「あれあれ、どこで拝むのかな」という感じですが、拝殿ではなく、鈴の下がっている勅使殿で拝むようです。

P6020004 池田湖のお土産屋で大うなぎを見ました。車のキーと比べてみると大きさがわかると思いますが、この個体はまだまだ小さい方です。残念ながらイッシーの姿は見えませんでした。

P6020008 知覧は昔ながらの武家屋敷と、特攻隊の基地として有名です。ぽん太が研修医の頃、今は亡き獅子先生と学会のついでに訪れたことを思い出し、しばし感慨にふけりました。

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