【佐渡】日蓮の足跡を辿る
佐渡といえば島流し。日蓮や順徳天皇、世阿弥などが佐渡に流刑になっています。こんかいの旅では、日蓮の足跡を訪ねてきました。
日蓮(1222-1282)は1271年(文永8年)、腰越龍口で処刑されかかったところを謎の光に救われ(いわゆる龍口の法難)、結局佐渡に流されることになります。10月に新潟の寺泊を出発した日蓮が佐渡に上陸した地が、この松ヶ崎です(地図)。はるか彼方に見える山は新潟です。日蓮は松ヶ崎に三日三晩留め置かれ、その際ケヤキの木の下で雨露をしのいだそうで、そのケヤキの木が「おけやき」と呼ばれて今でも残っています。その後、背後の山を越え、流刑地である塚原へと向かいました。
日蓮が歩いた山道の途中に、「御梅堂」という伝説の地があります(地図)。日蓮はこの場所で一泊したそうですが、杖にしていた梅の枝を地面に突き刺し、「我が妙法が広まるならば、この杖が根付いて花を咲かすだろう」などということを言ったそうで、その梅の木が見事に根付いて今でも残っており、その名を「星降りの梅」といいます。ほかに宝物として、日蓮が腰掛けた石や、食事に使ったお椀などもあるそうです。
「星降りの梅」というと、神奈川県の厚木市にも同じ名前の梅があります。龍口法難ののち佐渡に向かう途中、日蓮は、佐渡守護代・本間重連の屋敷があった相模の依智(現・厚木市)に宿泊しましたが、その夜、満点の星が庭の梅に降り掛かったそうです。この日蓮の「星降し伝説」は、厚木市の妙純寺・蓮生寺・妙元寺(地図)に伝わっているそうです(たとえばこちらを参照のこと)。
日蓮が佐渡に持って来た杖が、この時の梅の枝だったのかどうかは、ぽん太は知りません。 さて、話しを元に戻して、山道を越えて日蓮がようやくたどり着いた配所が、塚原にあった三昧堂という小さなお堂です。その地は現在根本寺というお寺になっております(地図)。写真は境内の三昧堂で、雰囲気のあるお堂ですが、江戸時代の天保年間に作られたもので、もちろん日蓮が住んでいた建物ではありません。ここで日蓮は「開目抄」を執筆しました。原文と口語訳を上記の根本寺のサイトで読むことができます。またここはいわゆる「塚原問答」が行われた地でもあります。
1272年(文永9年)、日蓮の配所は一谷に移されます。ここは現在妙照寺というお寺になっております(地図)。境内も広く、茅葺きの立派な本堂があります。この地で日蓮は「観心本尊抄」を記し、「法華曼荼羅」を完成させたとされております。
1274年(文永11年)、日蓮は赦免となります。日蓮が佐渡を立ち去った場所が、この真浦だと言われています(地図)。どういう理由で日蓮が斜面となったのか、あるいは当時佐渡流罪だったひとが赦免になるということが普通だったのかどうか、ぽん太はまったくわかりません。そのうちみちくさしてみたいものです。
道路沿いに立派な石碑があります。
小さな案内に従って細い道を入ると、小さなお堂があります。「日蓮堂」と呼ばれているそうですが、荒れ果てております。
こちらは「日蓮洞窟」。この洞窟で日蓮は一夜を明かしたそうです。赦免となって江戸に戻ることになった日蓮が、一夜の宿も得られずに洞窟に泊まったというのは信じがたい気がしますが、そのことは置いておきましょう。
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