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2008年10月の17件の記事

2008/10/31

【オペラ】ウィーン国立歌劇場『フィデリオ』

 横浜までウィーン国立歌劇場の『フィデリオ』を観に行ってきました。指揮者は日本が誇る小澤征爾。昨日に文化勲章の授章が決まったばかりです(こちらが毎日新聞の記事です)。カーテンコールのときに小澤征爾に大きな花束が渡され、小澤も「え?なんで」という感じでしたが、字幕の電光掲示板に書かれた「文化勲章授章おめでとうございます」との字を見て、「あ、な〜んだ」という素振り。会場も拍手喝采でした。
 『フィデリオ』は大昔にテレビで見たきりでほとんど覚えておらず、生で観るのは初めてです。
 セットはいたってシンプルでオーソドックス。その分、音楽に集中することができました。オーケストラは、最初ちょっと足並みが揃わない感じもしましたが、とてもすばらしい演奏でした。
 第2幕第1場が終わると、幕が閉まったままオーケストラの演奏が……。これは『レオノーレ』序曲第3番ではないか。し、知らなかった、こんなところで演奏されるとは……。ところがこれがまたすばらしい演奏で、何度も聞いている曲のはずなのに初めて聞くような音が次々と聞こえてきて、ベートーヴェンの曲も音楽的にすごく濃密で豊かだし、まさに心を奪われました。これが聴けただけでも来た甲斐があると思いました。
 しかし長くて重い曲ですから、劇全体としてはちょっとアンバランス。そのあとの第2幕第2場の万歳万歳という場面がユルく感じられました。帰宅してからググってみると、Wikipediaによれば、ここで『レオノーレ』序曲第3番を入れるのは、1904年にマーラーが初めて試みたことで、当時は賛否両論がわき起こったのだそうです。1930年代にはこの形式が定着し、フルトヴェングラーも賛同したそうです。現在では第3番を入れることも入れないこともあるそうですが、ウィーン国立歌劇場では伝統的に入れることになっているのだそうです。
 歌手は体型的にはやや太めの方が多かったですが、歌はとてもすばらしかったです。

 しかし、台本についていえば、「暴君に抑圧されている民衆が、レオノーレの勇気ある行動によって解放されて万歳!」というのは、なんかよくある設定というか、ちょっと気恥ずかしくてまともに感情移入できないところがあります。先日観たモーツァルトの『コシ・ファン・トゥッテ』について、ベートーヴェンは、「こうしたものには嫌悪感を感じるのです。このような題材を私が選ぶことなどありえません。私には軽薄すぎます」(1825年5月、Ludwig Rellstabへの手紙)と書いたそうですが、『フィデリオ』の物語を本気で観る観客は、まさに貞節を本気で信じている『コシ・ファン・トゥッテ』の冒頭の恋人たちと同じではないでしょうか。モーツァルトとダ・ポンテは、時代を先取りして19世紀的な思想を批判していたのでしょうか? たぬきのぽん太には難しくてわかりません。

L.v.ベートーヴェン
『フィデリオ』
2008年10月、神奈川県民ホール

指揮:小澤征爾
演出:オットー・シェンク
美術:ギュンター・シュナイダー=シームセン
衣装:レオ・ベイ
合唱指揮:トーマス・ラング

フロレスタン:ロバート・ディーン=スミス
レオノーレ:デボラ・ヴォイト
ドン・フェルナンド:アレクサンドル・モイシュク
ドン・ピツァロ:アルベルト・ドーメン
ロッコ:ヴァルター・フィンク
マルツェリーネ:イルディコ・ライモンディ
ヤキーノ:ペーター・イェロシッツ
第1の囚人:ウォルフラム・デルントル
第2の囚人:伊地知宏幸

ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン国立歌劇舞台上オーケストラ
合唱協力 藤原歌劇団合唱部

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2008/10/30

【オペラ】ウィーン国立歌劇場『コシ・ファン・トゥッテ』と「フェルメール展」

 ウィーン国立歌劇場の『コシ・ファン・トゥッテ』を観て来ました。ぽん太は、ウィーン国立歌劇場を生で観るのはおそらく約20年ぶりのこと。そのとき観た演目は『魔笛』でしたが、指揮者も歌手も覚えておりません。また、モーツァルトの『コシ・ファン・トゥッテ』を観るのは初めてです。
 オペラ初心者のぽん太としては、ただただすばらしかったという感想しかありません。チケット代は高かったですが(どうせ葉っぱで作ったお金で買ったものだし)、大満足であっという間の3時間でした。
 舞台美術も、回転する壁を組み合わせてスピーディーに場面展開するという斬新なアイデアを使いながらも、奇をてらわず伝統的で落ち着いた雰囲気となっており、さすがウィーン国立歌劇場という感じです。解説によると、背景のナポリの風景はフィリップ・ハッケルトの風景画を用いているとのこと。誰それ? ググってみてもよくわかりません。ドイツのWikipediaには詳しく書かれているようですが、残念ながら読めません。自動翻訳で見てみると、1937年生まれ1807年死去、ドイツ古典主義の有名な風景画家で、ゲーテとおともだちだったようです。絵のいくつかはこちらのサイトで見ることができます。

 オペラ初心者のぽん太には、いろいろと疑問に思うことがありました。まずこのオペラが、19世紀を通じて、不道徳であるとか真実みがないとかいう理由で二流の作品とみなされて来たことです。貞節の誓いを破ることが不道徳なら、先日観た『こうもり』の方がよっぽど不道徳です。また姉妹は、手を変え品を変え心変わりするようにしむけられているのであり、彼女たちの方が被害者に思われます。男たちは内心大笑いしながら恋人たちをだましているわけで、「男だってそんなもの」と言うこともできそうです。第1幕のデスピーナの「男なんてどれも同じ、どれも何の価値もない」という台詞には、髪の毛の薄くなった男性の多い客席から、ため息ともうめき声ともとれる低いどよめきが起こりました。
 また真実みがないというのなら、ワグナーの楽劇のストーリーだって真実みがありません。われわれの感覚からすると、ごく普通の楽しいコメディに思われます。19世紀のひとたちの感性はどのようなものだったのでしょうか? そちらの方が不思議です。真面目で崇高な「ゲイジュツ」しか受け入れなかったのでしょうか?
 ぽん太は、『コシ・ファン・トゥッテ』で描かれている「哲学」もたいへん気に入りました。二組の恋人たちは、貞節を固く信じています。しかし結局婚約者の姉妹は、一晩で心変わりをし、他の男たちとの結婚を決意します。しかも二人が選んだ男性は、最初の婚約者とは入れ替わっています。普通なら修羅場となるところですが、アルフォンソは「あなたたちは賢くなった、さあ、笑いなさい」と恋人たちを抱擁させます。姉妹は「忠実と心からの愛でつぐなって、一生お慕いします」と誓い、男達は「君を信じよう、でももう試したりはしたくない」と言います。二組の恋人たちは、結局は劇の冒頭と全く同じように、貞節を守って暮らして行くことでしょう。このオペラはハ長調で始まり、そしてまたハ長調で終わります。ただ違っているのは、最初は恋人達は貞節を信じていましたが、今や彼らは貞節などありえないことを知りながらも、貞節に従って暮らしていくことです。
 ジジェク風にいえば、恋人達は最初は貞節を「リアル」だと思っていたけれど、最後には貞節が「幻想」であることを理解した上で貞節に「従う」、とでもなりましょうか。たとえば私たちも、民主主義がリアルに最高のシステムだなどとは思っていませんが、民主主義に従って生活をしております。民主主義を本当に最高のシステムだと思い込んでいるひとがいたら、逆に怖いです。
 「信じる」というのは理由なしに信じるのであって、それが正しいかどうかを「試す」ということは意味がありません。聖書の「神を試してはならない」という言葉が思い浮かびます。『コシ・ファン・トゥッテ』の副題は「恋人たちの学校」ですが、まさしく彼らは大きな成長をとげたようです。
 終幕の全員の合唱の歌詞には、ちょっとびっくりしました。「ものごとすべてを理性でかたづけ、良い面だけを見ている者は幸せだ」といった内容でしょうか。ぽん太は、理性とは、良い面も悪い面も客観的に見ることだと思っていました。モーツァルトの時代の人々が「理性」をどのようにとらえていたのか、とても気になります。

 オペラ初心者ぽん太の次の疑問は、「オーストラリア人のモーツァルトが作曲してウィーンで初演されたのに、なんでイタリア語なのか?」というものです。
 これはちょっと調べたらわかりました。当時のヨーロッパの文化の中心はイタリアとフランスで、それ以外の国の宮廷でもイタリア語やフランス語が話されていました。オペラに関しても、フランスやイタリアのオペラが主に上演されていました。啓蒙君主として名をはせたヨーゼフ2世は、ウィーンにヨーロッパ一随一のイタリア・オペラ劇団を作ろうとしたのでした。その劇場に、モーツァルトや、台本を書いたダ・ポンテがかかわったわけです。ヨーゼフ2世はドイツ劇場も創設しましたが、そちらは新たな試みであり、これからフランスのコメディ・フランセーズに匹敵するような劇場に育てていこうというもくろみでした。
 モーツァルト自身も、辞書なしで台本を読めるくらいイタリア語に熟達しており、イタリア語のオペラを作曲したいという強い望みをいだいていたそうです。

 ところで、デスピーナ扮する磁石で治療を行う医者は、メスメルの磁気療法のパロディですね。メスメルについては、以前の記事で触れたことがありますが、彼とモーツァルトの関係も有名です。モーツァルトが若かった頃、メスメルは有力なパトロンのひとりであり、ジングシュピール『バスティアンとバスティエンヌ』(K50=46b)は、ウィーンにあるメスメルの庭園音楽堂で上演されたなどとも言われています。フランスで名をあげたメスメルですが、1784年にはフランスの科学アカデミーによって科学的根拠を否定され、翌年パリを去ります。『コシ・ファン・トゥッテ』が初演された1790年には、メスメルは一時ウィーンにいたとも言われています。


 オペラ鑑賞のついでに、上野の東京都美術館でやっていた「フェルメール展」を見てきました。こちらが公式サイトのようです。フェルメール以外の絵は無視。フェルメールだけゆっくり二回見ました。おもったほど混んでなかったです。ぽん太が個人的に気に入ったのは、「小路」と「リュートを調弦する女」です。「小路」はマチエールがとても美しく、絵自体が工芸品のようです。こればかりは写真ではわかりません。「リュートを調弦する女」は、落ち着いた色調と淡い光、どことなく幻想的な雰囲気がよかったです。


ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト
『コシ・ファン・トゥッテ』
2幕のオペラ・ブッファ
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ
2008年10月23日、東京文化会館

       指揮: リッカルド・ムーティー
       演出: ロベルト・デ・シモーネ
       美術: マウロ・カロージ
       衣裳: オデッテ・ニコレッティ
     合唱指揮: トーマス・ラング

フィオルディリージ: バルバラ・フリットリ
    ドラベッラ: アンゲリカ・キルヒシュラーガー
    グリエルモ: イルデブランド・ダルカンジェロ
   フェッランド: ミヒャエル・シャーデ
    デスピーナ: ラウラ・タトゥレスク
ドン・アルフォンソ: ナターレ・デ・カローリス

ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン国立歌劇場舞台上オーケストラ


「フェルメール展」
2008年8月2日〜12月14日
東京都美術館
フェルメールの出展作品
「マルタとマリアの家のキリスト」「ディアナとニンフたち」「小路」「ワイングラスを持つ娘」「リュートを調弦する女」「ヴァージナルの前に座る若い女」「手紙を書く婦人と召使い」

【参考文献】
[1] アッティラ・チャンパイ他編『モーツァルト コシ・ファン・トゥッテ (名作オペラブックス)』音楽の友社、1988年。
[2] リヒャルト・ブレッチャッハー『モーツァルトとダ・ポンテ―ある出会いの記録』小岡礼子訳、アルファベータ、2006年。
[3] 茅田俊一『フリーメイスンとモーツァルト』(講談社現代新書)、講談社、1997年。

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2008/10/29

【ダイビング】初物のマクロがいっぱい・慶良間3日目

Pa150011 慶良間のダイビングも3日目、あっという間に最終日です。シーサー阿嘉島店のみなさん、ありがとうございました。
 1本目のポイントは白(シル)。座間味島と安室島のあいだにあたりで、通常は名前の通りの白い砂地を、ゆったりと潜るポイントですが、こんかいは足を伸ばして「なかもとさん家」を訪れました。水深約36mのところにビンがサークル状に沈めてあり、そこにナカモトイロワケハゼが棲んでいます。伊豆でも見かけるミジンベニハゼに似ていますが、背中が白いのが特徴です。かなり近くまで寄らせてくれました。とてもかわいいです。
Pa150019 浅瀬に戻ってくると、シロブチハタがいっぱいいました。伊豆で幼魚をみたことはありますが、成魚は初めてです。
Pa150031 2本目は佐久原奇岩(さくばるきがん)。地形もすばらしいポイントですが、ウミウシやエビなどのマクロ系も充実していました。写真はイソカクレエビの一種(初)です。
Pa150037 トサカリュウグウウミウシ(初)です。深緑とエメラルドクリーンの配色がとてもシックですが、樹木のような鰓は派手はでしく見事です。
Pa150043 ひっくりかえした石の裏に張り付いていたダンゴイボウミウシ(初)です。大きさは2mmくらいでしょうか? 何枚か写真を撮ったら、ピントが合っているのがありました。見つけたガイドさんもすごいです。
Pa150046 ソリハシコモンエビ(初)です。おもいっきりピンぼけですが、初めて見たので写真を載せておきます。
Pa150052 クロスジリュウグウウミウシです。
Pa150053 クロメガネスズメダイの幼魚です。
Pa150057 イボウミウシの一種ですが、フリエリイボウミウシでしょうか? ちとわかりません。いずれにせよ初めて見るウミウシです。
Pa150058 アンナウミウシです。名前も姿も可愛いですね。初めてお目にかかりました。
Pa150064 モザイクウミウシも、初めてです。
Pa150076 今年の慶良間のラストダイブのポイントは、アンツタワーです。ベビースターラーメンを固めたようなヒメアナサンゴモドキに棲息しているのは、黒い腹巻きをしたようなクロオビアトヒキテンジクダイと、鰓の後ろに暗褐色の斑があるスミツキアトヒキテンジクダイです。どちらも初めてお目にかかりました。
Pa150080 見事なパラオハマサンゴです。これが蟻塚に似ているのでアンツタワー(ant tower)と呼ばれているそうですが、蟻塚の英語はホントはanthillですね。
Pa150089 写真が天地逆になっているのではありません。アンツタワーの根本の穴に棲息するハナゴンベの幼魚ですが、穴の天井近くで、逆さになって泳いでいます。とってもきれいな魚ですが、ピンぼけです。
Pa150091 サラサハゼ(初)です。
Pa150094 夕食後のログ付けのとき、船長さんが、素潜りでとってきたシャコガイの刺身と、タカセガイの煮たのをもってきてくれました。シャコガイは見ても美しいですが、食べてもとてもおいしいです。独特のえぐみがあります。タカセイガイは、1時間以上煮込まないと美味しくないそうです。船長さん、ありがとうございました。
 こんかいはちょっと水温が低くて寒かったですが、のんびりできて、小物も楽しめ、すばらしい時間を過ごせました。

【データ】
慶良間、10月中旬(3日目)
1本目 白(シル)・なかもとさん家
ナカモトイロワケハゼ(初)、シロブチハタ成魚(初)、コブシメ、ネッタイミノカサゴ幼魚、コウワンテグリなど

2本目 佐久原奇岩
イソカクレエビの一種(初)、トサカリュウグウウミウシ(初)、ダンゴイボウミウシ(初)、ソリハシコモンエビ(初)、クロスジリュウグウウミウシ(初)、クロメガネスズメダイ幼魚、キイロイボウミウシ、イボウミウシの一種、アンナウミウシ(初)、モザイクウミウシ(初)など

3本目 アンツタワー
ヤッコエイ、スミツキアトヒキテンジクダイ(初)、クロオビアトヒキテンジクダイ(初)、ハナゴンベ幼魚、サラサハゼ(初)など

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2008/10/27

【歌舞伎】玉三郎の八重垣姫、菊五郎の直次郎・2008年10月歌舞伎座夜の部

 千穐楽に歌舞伎座夜の部を観て来ました。本日の菊五郎の千穐楽のお約束は、「直侍」の「入谷大口屋寮の場」の花道の出で、雪で滑って転んだところか?
 『本朝廿四孝』は今年の4月に時蔵の八重垣姫で観たばかり。今回は玉三郎です。時蔵演じる八重垣姫は表情豊かで、ついつい蓑作に魅かれてしまうかわいさ、濡衣に仲立ちを頼む積極さと恥じらい、自害するときの覚悟などがひとつひとつきっちりと表現されていました。玉三郎の八重垣姫は、表情は抑制されており、身体表現も様式的で、人間ではなく文楽人形のようでしたが、あらゆるポーズや動作がひとつひとつ美しく気品があり、感動したぽん太は口をあんぐりあけて見とれていました。菊之助も、いつの間にか恰幅がよくなって貫禄がでてきて、すばらしい勝頼でした。
 八重垣姫のモデルが、武田信玄の娘で上杉景勝に嫁いだ菊姫であることは、以前の記事に書きました。
 「狐火」を観るのは初めてでした。恋しい勝頼を救いたいと願う八重垣姫が、諏訪明神の使いの狐と一体化する様子は、妖しくもあり神々しくもあり、鬼気迫る名演技でした。
 ところで、何で「狐」? 狐といえばお稲荷さんですが、諏訪大社(諏訪明神)はお稲荷さんではありません。諏訪大社のホームページを見ても、狐のことは書かれていません。しかし、例えばこちらの早稲田大学図書館のページをみると、十返舎一九の作品に『諏訪湖狐怪談』(すわのうみきつねかいだん)というのがあるようです。ちなみに『本朝廿四孝』の初演は1766年(明和3年)、『諏訪湖狐怪談』の出版は1807年(文化4年)ですから、十返舎一九の方が後です。またこちらの怪異・妖怪伝承データベースには、「狐、諏訪のまわたし」という項目があり、「諏訪湖氷結期、明神の輿を守護して、狐が行列をつくり渡る。人々の目には、狐火のみ見えて、形は一向に見えない。これを諏訪のまわたしという」と書かれています。諏訪湖に張った氷が割れて盛り上がる御御渡りに関連して、狐にまつわるなんらかの伝承があったようです。明治初期の神仏分離では、各地で土着の神々の信仰が禁止され、記紀に載っている神様への信仰が強制されたといういきさつがあるので、ひょっとしたら江戸時代には、諏訪明神と狐信仰に関係があったのかもしれません。
 さて10月歌舞伎に話しを戻して「直侍」ですが、菊五郎の直次郎は、このような役をやらせたら絶品ですね。菊之助の遊女三千歳も、恰幅がよくなったためか、濃艶な女らしさがあってよかったのです。だけど演技がちょっとリアルというか生々しすぎるように思われ、もう少し様式的な方が歌舞伎らしくてよかった気がします。今回は清元がよく聞こえる席でしたが、語りが主体の義太夫とは違って、清元が音楽としての表現力を持っていることに初めて気がつきました。再会した直次郎と三千歳のさまざまな感情の動きを、清元が見事に表現しておりました。黙阿弥はホントに天才です。
 精神科医のぽん太が気になったのは、直次郎が訪ねて来なくなったために三千歳が患っていたという「ぶらぶら病」(ぶらぶらやまい)です。初めて耳にした言葉です。「直侍」を含む『天衣紛上野初花』の初演は1881年(明治14年)ですから、この頃には使われていた言葉と思われます。ぽん太の手元にある江戸や明治の病気に関する本を見ても出ていません。医学用語ではなく、民衆の間で一般に使われていた言葉と思われます。芝居の文脈と「ぶらぶら」という名前からすると、落ち込んでなにも手につかずぶらぶらと日々を過ごす状態と推察され、現代でいえば「うつ病」にあたるように思われます。明治時代にはやった「神経衰弱」とも近いのかもしれません。あれあれ、goo辞書に出てました。「特にどこが悪いというわけではないが、何となく調子の悪い状態が長びく病気」とのことで、徳富蘆花の『不如帰』の用例が挙げられています。ちなみに『不如帰』が「国民新聞」に連載されたのは1898年(明治31年)から翌年にかけてです。ほかにググってみても、あまり情報がありませんが、松井高志の『人生に効く!話芸のきまり文句 』(平凡社新書、2005年)で「ぶらぶら病」に触れているという情報があるので、こんど読んでみます。
 『英執着獅子』は、福助の濃さと華やかさが生きていて、美しく豪華でダイナミックでよかったです。こんかいはどの演目も大満足でした。


芸術祭十月大歌舞伎
平成20年10月、歌舞伎座
夜の部 
一、本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)
  十種香
            八重垣姫    玉三郎
            武田勝頼    菊之助
           白須賀六郎    松 緑
            原小文治    権十郎
            長尾謙信    團 蔵
            腰元濡衣    福 助
  狐火

            八重垣姫    玉三郎
            人形遣い  尾上右 近
二、雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)
  直侍
  浄瑠璃「忍逢春雪解」
           片岡直次郎    菊五郎
             三千歳    菊之助
           寮番喜兵衛    家 橘
           暗闇の丑松    團 蔵
              丈賀    田之助
三、英執着獅子(はなぶさしゅうじゃくじし)
        傾城後に獅子の精    福 助

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2008/10/26

【ダイビング】のんびりゆったり・慶良間2日目

Pa140120 2日目の1本目は嘉比です。斑紋のある白い砂地が美しいポイントです。砂地にはおなじみのヤシャハゼやヒレナガネジリンボウがいますが、ちょっと暗くていい写真が撮れなかったので省略です。写真はホシテンス(初)です。テンスと似ていますが、名前の通り星があるのが特徴です。
Pa140129 ツユベラはありふれた魚で、キュートな幼魚の方が人気ですが、親もとても美しいです。ちょこまか動くので写真が撮りづらいのですが、たまたま真横からの写真が撮れたので、載せておきます。
Pa140132 トカラベラの幼魚ですね。これもよくみかけますが、やはりたまたま撮れたのでアップ。
Pa140133 小さな根に群がるフタスジリュウキュウスズメダイです。青いナンヨウハギの幼魚が混ざっていて、とてもかわいいです。
Pa140136 2本目のポイントは儀名。珊瑚礁が美しく、カメ狙いのポイントです。期待にたがわずアオウミガメが睡眠中でしたが、写真は省略。写真はキツネアマダイです。ちょっと大きくて、クネックネッと泳ぎます。
Pa140147 ツノキイボウミウシ(初)です。一見ありふれた姿形ですが、初めてのお目見えでした。
Pa140154 キビナゴの群舞です。沖縄の方言では「スルル」ですね。沖縄民謡の谷茶前(たんちゃめ)に「たんちゃめのはまに、スルルぐゎがゆてぃてぃんどぅ」と歌われています(Youtubeの動画はこちら)。
Pa140230 本日の三本目のポイントは唐麻No.2です。なだらかな砂地に根が点在するポイントです。チンアナゴやミナミホタテウミヘビがおりますが、写真は省略。始めて見たのは、写真のシャープスノートスネークイールです。砂地から垂直に頭を出しておりますが、ミナミホタテウミヘビよりはスマートです。
Pa140182 次はオニハゼ君。色は出ませんでしたが、けっこう近くまで寄れたのでアップしておきます。
Pa140190 ヤマブキスズメダイ(初)です。全身黄金色に輝く美しいスズメダイです。
Pa140205 最後の写真はハナアイゴ(初)。黄色い斑点があり、尾びれが三日月型に切れ込んでいるのが特徴のようです。こうみえて毒があります。

【データ】
2008年10月中旬(2日目)
1本目:嘉比
ヒレナガネジリンボウ、ヤシャハゼ、チンアナゴ、ホシテンス(初)、ハダカハオコゼ、ツユベラ、トカラベラ幼魚、フタスジリュウキュウスズメダイ、ナンヨウハギ幼魚……
2本目:儀名
キツネアマダイ、アオウミガメ、ツバメウオ、ツノキイボウミウシ(初)、スルル(キビナゴ)……
3本目:唐馬No.2
ミナミホタテウミヘビ、シャープスノートスネークイール(初)、テンス幼魚、オニハゼ、ヤマブキスズメダイ(初)、チンアナゴ、ハダカハオコゼ、ジョーフィッシュ、ドクウツボ(初)、ハナアイゴ(初)……

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2008/10/25

【ダイビング】1年ぶりの慶良間はやっぱりいいね(慶良間1日目)

 10月中旬、ぽん太とにゃん子は沖縄県は慶良間にダイビングに行ってきました。お世話になったサービスはシーサー阿嘉島店。けっこう大手のサービスですが、昨年に引き続き2回目なので、ちょっとなじみになってきました。

Pa130005 本日の1本目のポイントは、慶留間洗石です。ギザギザのリーフの縁を巡る感じで、小さなトンネルもあります。まずはウルマカサゴ(初)。まん丸目玉と大きな口が、なんとなく沖縄のシーサーを思い出させます。
Pa130029 次はシライトウミウシ(初)です。青い筋のウミウシは良く見かけますが、これは初めてでした。
Pa130033 コクテンフグは時々見ますが、このような色のものは初めてです。黄色が絵の具のような色です。顔を正面から見ると、アザラシのように見えます。
Pa130043 アカフチリュウグウウミウシ(初)です。深緑とオレンジのコントラストがとてもきれいです。
Pa130050 2本目は安慶名敷島アダン下。砂地のなかに根があります。写真はヤクシマキツネウオの幼魚。よく見る魚ですが、ブルーと黄色の島がとても目立ちます。これまで図鑑には「キツネウオの一種」としか書かれていませんでしたが、今年の8月に出た『日本の海水魚 (山溪ハンディ図鑑 13)』(山と渓谷、2008年)には、「ヤクシマキツネウオ」という和名が載っています。記念に写真を載せました。ピンぼけお許し下さい。
Pa130064 名前のわからないきれいなヒラムシです。ヒラムシはまだウミウシほど人気がありませんね。
Pa130078 ケラマハナダイ(初)も初めて見ました(とゆーか、これまでも見てたけど認識してなかっただけかも)。暗かったので色があまり出てませんが、背びれのところの赤いシミがチャーミングです。

【データ】
2008年10月中旬
水温27度、5mmウェット、ウェイト3kg
1本目:慶留間洗石
ウルマカサゴ(初)、オドリカクレエビ雄、タカサゴ、セジロクマノミと卵、シライトウミウシ(初)、コクテンフグ、アカフチリュウグウウミウシ(初)など
2本目:安慶名敷島アダン下
クマザサハナムロ、ヤクシマキツネウオ幼魚、コガネキュウセン、ハダカハオコゼ黒、クモウツボ(初)、ヒラムシの一種(初)、ウコンハネガイ、ハダカハオコゼ緑のペア、ケラマハナダイ(初)など


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2008/10/24

【歌舞伎】仁左衛門の加古川本蔵・平成中村座「仮名手本忠臣蔵」2008年10月Cプログラム

Pa220004  浅草寺では、10月15日から11月16日まで本堂落慶50周年記念大開帳が行われており、お前立ご本尊を拝観することができます。こちらが公式サイトです。浅草寺のご本尊である聖観世音菩薩像は絶対の秘仏で公開されることはありません。秘仏の前に安置されている仏は、お前立ご本尊と呼ばれ、こちらは時おり公開されます。平成中村座も、この本堂落成50周年の行事のひとつとなっているようです。
 さて、本日はCプログラム。加古川本蔵のドラマに焦点があてられております。その加古川本蔵を演じるのが、ぽん太とにゃん子が御ひいきの仁左衛門。とってもよかったです。
 特に二段目は、原作に忠実の上演は34年ぶりとのこと。八段目の道行きも初めてで、「山科閑居」の意味が初めて分かりました。
 勘三郎の戸無瀬と七之助の小浪もよかったです。二段目での力弥と小浪の出会い、八段目で力弥と夫婦になることを楽しみにしながら小浪と戸無瀬が東海道を下って行く様子があって、「山科閑居」やりとりに込められた心情の深さが理解できました。
 橋之助は風格があり立派。孝太郎は顔世のような美女系よりも、お石のような武家の女房が合っているように思いました。勘太郎の塩冶判官が、高師直を憎し討ちたしと思いながらも、お家のために我慢をして頭を下げる、その悔しさがにじみ出ていてよかったです。彌十郎の高師直はとっても憎たらしくてよかったです。
Pa220006 芝居が終わって時間があったので、歌舞伎ではおなじみの吉原跡まで歩いてみました。こちら(Yahoo!地図)が吉原の大門があったところです。現在の地図と江戸時代の古地図との重ね合わせは、たとえばこちらのサイトで見ることができます。しかし実際に訪ねてみると、吉原の面影はまったく残っていません。吉原大門の交差点に植えられた柳の木には、「見返り柳」という碑がもうけられており、わずかに当時を思わせます。

平成中村座十月大歌舞伎
通し狂言仮名手本忠臣蔵
平成20年10月
【Cプログラム】
  大 序 鶴ヶ岡社頭兜改めの場
  二段目 桃井館力弥上使の場
      同 松切りの場
  三段目 足利館表門進物の場
      同 松の間刃傷の場
  八段目 道行旅路の嫁入
  九段目 山科閑居の場

           加古川本蔵  仁左衛門
   大星由良之助/桃井若狭之助  橋之助
         顔世御前/お石  孝太郎
  塩冶判官/大星力弥(九段目)  勘太郎
              小浪  七之助
  足利直義/大星力弥(二段目)  新 悟
             高師直  彌十郎
             戸無瀬  勘三郎

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2008/10/22

【違法】診療所がエリミンを大量に横流し……えっ!エリミン?

 先日、大阪の診療所で、睡眠薬「エリミン」が約30万錠不明になり、暴力団に流れた可能性があるという新聞記事を目にしました。たとえばこちらの毎日新聞の記事をご覧下さい。
 「えっ、なんでエリミン?」というのがぽん太の正直な感想でした。というのもエリミンは睡眠剤の中では地味な存在で、ぽん太もほとんど使ったことがなく、特別にトリップしやすい薬と思われません。
 しかしググって見ると、エリミンが不正使用されている実態があるようです。以前によく不正使用された某睡眠剤と同じように、アルミ箔の包装であることが、好まれる理由のひとつかもしれません。
 そういえば何年か前、ぽん太のクリニックにも、エリミンの処方を希望して来た患者さんがいました。ちょっとワケアリの雰囲気の青年で、ハルシオンでも希望したら断っていたでしょうが、エリミンだったので、ちゃんと用量を守って定期的に通院していたから、ぽん太は処方しておりました。ひょっとして横流ししていたのでしょうか? 複数のクリニックで処方を受けていた可能性も否定できません。転売目的だったとしたら裏切られた気分です。
 ちゃんと自分で服用していたのか転売目的だったのか、いまやぽん太は知る由もありませんが、いずれにせよ、診察での会話の流れから、ぽん太と彼のあいだには何らかのつながり(ラポールなどという精神医学用語を使いたくありません)ができたと思っています。何かのときには、ぽん太をまた訪ねて来てくれるといいのですが……って、ぽん太の思い上がりでしょうか?

 ついでに、上にリンクした毎日新聞の記事の間違いを指摘しておきます。「エリミンは依存性の強い睡眠導入剤」→睡眠導入剤のなかで、特に依存性が強いというわけではありません。「大量に服用すると幻覚や妄想などの症状が出る」→「症状がでることがある」が正しい。幻覚や妄想といっても、統合失調症や覚せい剤による幻覚や妄想と異なり、睡眠作用による朦朧状態(薬が効いてぼーっとして、寝ぼけたような状態)において生じるものです。

 ちなみに、睡眠剤などを他人にあげたり売ったりすると、麻薬及び向精神薬取締法違反となりますので、ご注意下さい。

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2008/10/21

【温泉】20分歩かないと行けない大平温泉滝見屋は自然に抱かれたくつろげる宿だにゃ(★★★★)

Pa030085 米沢観光のあとに宿をとったのが、大平温泉(おおだいらおんせん)滝見屋さんです。宿の公式サイトはこちら。駐車場から20分歩かないと行けない、ホントの秘湯です。舗装はしてありますが、このような急なつづら折りの坂道を、谷底までくだらなくてはいけません。
Pa030082 こちらが宿の建物です。川に面してというか、張り出して立っています。お部屋は落ち着いた和室で、簡素ですが清潔です。雪深いところなので、11月中旬から4月中旬までは休業だそうです。
Pa020067 お風呂は、男女別の内湯、男女別の露天風呂、貸切家族風呂、露天打たせ湯、足湯があり、充実しております。もちろんすべて、加水・加温なしの源泉かけ流し。写真は内湯。宿の名前の通り、窓から滝を眺めることができます。泉質は含硫黄ーカルシウムー硫酸塩泉とのことで、透明で柔らかいお湯ですが、白い湯の花がかすかに舞います。
Pa030078 こちらが男性用露天風呂です。川沿いにあり、開放感満点(丸見え)です(もちろん女性風呂はまわりから見えないようになっておりますので、ご安心を)。対岸の樹々が、色づき始めていました。
Pa030074 実はこの渓流が、最上川源流です。写真の左に写っているのが、最上川源流の碑です。最上川の源流がこんなところにあるとは知りませんでした。
Pa020069 こちらが夕食です。地元の食材を使った美味しい郷土料理です。岩魚の塩焼きは言うまでもなく、もちろん米沢牛もいただけます。
Pa030070 朝食も、地元の食材がおいしくいただけます。
 秘湯といっても「秘湯風」の宿が多いなか、歩かないと行けないこの宿は、自然に囲まれたホントの秘湯と言えましょう。

Pa030090 翌日は、紅葉を楽しもうと、磐梯吾妻スカイラインを走ってみました。山頂付近はすでに紅葉していて、どの車も景色を楽しんでいるのかゆっくりと走っていました。
Pa030104 帰りに二本松の菊人形を観ました。ぽん太もにゃん子も生まれて初めてだったので、とてもおもしろかったです。写真は大河ドラマ「篤姫」の一場面です。
Pa030107 にゃん子は思わず菊の苗を買っていたようですが、はたしてちゃんと育てることができるのやら?

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2008/10/20

【歌舞伎】芝居小屋の雰囲気がいいね!(平成中村座「仮名手本忠臣蔵」2008年10月Dプログラム)

Pa220002 浅草まで「平成中村座」を観に行ってきました。浅草寺裏に仮設テントを建てての公演です。平成12年に始まった「平成中村座」は、今年で5回目の公演だそうですが、ぽん太とにゃん子は初めてです。
 仮設テントの内部は、以前に見た四国の金丸座に似ていて、江戸時代の芝居小屋の雰囲気があります。二階の前方の席は、舞台の幕がしまると、内側に入ってしまう位置にあります。江戸時代の羅漢台や吉野に倣ったものでしょう。「羅漢台」とは、舞台の下手奥に、正面客席と向かい合う形で作られた下級の桟敷席です。ここに観客が座った様子が、まるで五百羅漢のように見えるので、そのような名前がついたのだそうです。羅漢台の2階が「吉野」です。たとえばこちらのサイトにある江戸時代後期の劇場の絵に、羅漢台や吉野が描かれています。(2011.11.30付記:ぽん太は勘違いしておりました。羅漢台や吉野は舞台の下手奥に作られた席です。上にリンクした劇場の絵(こちらにもっと大きな画像があります)の、左奥に描かれています)。テントのため、ヘリコプターの音や、近くの遊園地のアトラクションの叫び声などが聞こえて来ました。ま、これも芝居小屋らしくていいのかもしれません。
 出し物は「仮名手本忠臣蔵」の五段目から七段目。勘太郎の勘平、七之助のおかるの組み合わせは、平成18年の新春浅草歌舞伎で観たことがあります。すると話しの順序としては、前回に比べて今回はどうかということになるのですが、悲しいかなぽん太の狸脳、歌舞伎の初心者であることも加わって、前回の芝居をあまり覚えておりません。
 で、今回の感想に限らせていただけば、敢闘はしているけどいま一歩、という感じでしょうか? 勘平を演じる勘太郎も、頑張ってきっちりと演じているのはわかりましたが、勘太郎が演じると、素直で真面目で素朴で、まるで忠犬柴犬のような感じになってしまい、女にうつつを抜かして大事な場に立ち会えなかったり、誤って撃ち殺した人から奪ったお金を御用金として献じて意気揚々と帰ってくるような、ダメ男の味が出てきません。懐から縞の財布を取り出して見る場面も、取り出した財布と床の上の財布をしげしげと見比べてしまい、義太夫狂言らしいリズムが出てきませんでした。また、切腹をしてからのセリフ回しも、あんまり苦しそうに聞こえませんでした。平右衛門役でも、人のいい真面目なお兄さんという雰囲気になってしまい、奴らしい色気や粋さが感じられませんでした。
 七之助はきれいでよかったです。ただ一力茶屋の場で、二階から鏡に映して手紙を読む姿が、ずれ落ちたみたいに見えたのが気になりました。
 橋之助の由良之助も健闘。頑張って風格を出していましたが、自然と風格がにじみ出てくるには、もう少し年月が必要なのかもしれません。彌十郎の斧定九郎は、あんまり色気がありませんでした。定九郎は、ゾクゾクするような美しい悪人であって欲しいものです。おかやの歌女之丞が、勘平を引き回す時の迫力は少し欠けましたが、大健闘でした。仁左衛門が出ると、芝居が数段引き締まります。大拍手でした。

 忠臣蔵も何度も観たので、今回は台本を読んで予習してから行きました(服部幸雄編著『仮名手本忠臣蔵 (歌舞伎オン・ステージ (8))』1994年、白水社)。おかげで台詞や義太夫の細かい部分が多少よく理解できました。
 特に腹を切った勘平の疑いが晴れた部分。不破数右衛門の「仏果を得よや」という言葉に対して勘平は、「ヤア仏果とは穢らわしや。死なぬ死なぬ。魂魄この土に止まって、敵討ちの御供なさで措くべきか」と答えますが、これは、「オレは成仏などしないで、魂は地上に止まり、敵討ちの手助けをするのだ」と、成仏を拒否して怨霊になることを宣言した恐ろしい台詞です。台本に従えば、勘平はそのまま果ててしまいます。ちなみに台本では塩冶判官も切腹に際して、「生まれ変わり死に変わり、鬱憤を晴らさで措くべきか」と、呪いの言葉を口にします。
 本日の芝居では、勘平の呪いの言葉を聞いた数右衛門(仁左衛門)は「これはいかん」とばかりに頭を振り、「そうだ、いい方法があった」と連判状を取り出して勘平を義士に加えます。これによって勘平は、悪霊とならずに成仏することができた、という救いのある結末になっていました。

 ところで余談ですが、以前にちょっと書いた「ひらかな盛衰記」に「武士道」という言葉が出てくる件、岩波書店の『日本古典文学大系〈第51〉浄瑠璃集』(1960年)でも、やはり「武士道」という言葉が使われています。凡例によると、底本は七行本と書いてありますが、この「七行本」がいつの時代のものなのか、タヌキのぽん太にはちっともわかりません。


平成中村座十月大歌舞伎
通し狂言仮名手本忠臣蔵【Dプログラム】
平成20年10月
  五段目  山崎街道鉄砲渡しの場
       同 二つ玉の場
  六段目  与市兵衛内勘平腹切の場
  七段目  祗園一力茶屋の場
          大星由良之助  橋之助
     早野勘平/寺岡平右衛門  勘太郎
             おかる  七之助
          一文字屋お才  孝太郎
           千崎弥五郎  亀 蔵
            斧定九郎  彌十郎
            判人源六  勘三郎
          不破数右衛門  仁左衛門

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2008/10/18

【米沢】「次の大河ドラマは直江兼続?知らね〜な〜」ということで予習してみました

Pa020030 米沢で時間が余ってしまったので、「前に観たことあるけれど、仕方ないにゃ〜」と上杉神社を訪問。するとなにやら、妖しげなのぼりがいっぱい立っているではないか。ナント、平成21年のNHK大河ドラマは米沢が舞台とのこと。主人公は直江兼続(なおえかねつぐ)! 知らないにゃ〜。
 ちなみにNHK大河ドラマ『天地人』の直前情報はこちら。楽しみ……だけど、また戦国時代か〜。しかも渋い主人公だにゃ〜。「風林火山」のとき、いつ見ても、山本勘助が女性にひれ伏して「ううううう」と鼻水をたらしながら泣いているシーンばかりで、途中で見る気がなくなったという、いやな記憶が甦ってきます。ぽん太は、南北朝時代のドラマを希望します。
 そしてこちらが「大河ドラマ『天地人』米沢市推進協議会のサイトで、直江兼続の情報や、ゆかりの観光地を知ることができます。
 上杉神社は、上杉謙信を祀った神社だそうです。一角には稽照殿(けいしょうでん)と呼ばれる宝物殿があります。国指定重要文化財を含む刀や甲冑などが展示されておりますが、兜に「愛」という文字のついた直江兼続の甲冑「薄浅葱糸威最上胴具足」が展示してありました。「愛」を掲げながら戦をするとはすごいと思われるかもしれませんが、「愛染明王」を意味するなどと言われています。
Pa020036 上杉神社の隣りにある松岬神社(まつがさきじんじゃ)です。上杉鷹山や上杉景勝、さらに直江兼続などが祀られていますが、直江兼続が合祀されたのは昭和13年とのことです。
Pa020046 林泉寺にある、直江兼続とその妻お船の方のお墓です。
Pa020048 この墓地にあるお墓は、小人の家みたいでちょっと変わっています。ぽん太はこのような墓石は初めて見ました。
Pa020050 こちらは、同じく林泉寺の境内にある甲州夫人菊姫のお墓です。武田信玄の娘ですが、甲越同盟の証しとして、敵であった上杉家の上杉景勝に嫁ぎました。菊姫は、歌舞伎の「本朝廿四孝」の八重垣姫のモデルだそうです。八重垣姫は謙信の娘で、武田勝頼の許嫁という逆の設定になっています。「本朝廿四孝」の「十種香」と「狐火」が今月の歌舞伎座夜の部で上演されます。八重垣姫は玉三郎。楽しみです。
Pa030087 今宵の宿に行く途中にある、龍師火帝の碑(りょうしかていのひ)に立ち寄りました。龍師は水の神、火帝は火の神で、洪水や干ばつがおきないようにとの願いをこめて、直江兼続が置いたものだそうです。
 このくらい予習しておけば、来年の大河ドラマを面白く見れることでしょう。
Pa020055 米沢の北部に広がる水田地帯では、稲穂がたわわに実って、まさに黄金色に輝いていました。とても美しかったです。

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2008/10/11

【山形】出羽屋のきのこ料理・慈恩寺・佐竹家住宅・白鷹ヤナ公園

Pa020010 ぽん太とにゃん子が生息する多摩にも、足早に秋が訪れました。そこで、どうしてもおいしい茸料理が食べたくなり、山形県は月山の近くの出羽屋に行ってきました(こちらが出羽屋の公式サイトです)。出羽屋は、昨年の春においしい山菜をいただき、次はぜひキノコの時期に来たいと思っていたところです。
Pa010004 ご覧下さい、この美味しそうなキノコ料理の数々! いろいろな種類のきのこが、さまざまな調理法で、少しずつ出てきます。すべて地元と採れたものだそうで、名前も教えてもらったのですが、覚えきれませんでした。ひとつ印象深かったのは、アケビの皮です。ちょっと苦みがありました。
Pa020025_1 こちらは朝食。山菜など地元の食材がおいしく、昨夜のキノコ尽くしで疲れた胃袋を休めてくれました。

Pa020015 さて、腹もくちくなったので観光です。まず、近くにある寒河江市の慈恩寺を訪ねました。1618年(元和4年)に再建されたという本堂は、茅葺き屋根が美しく、国の重要文化財に指定されています。内部の拝観は省略したのですが、国指定重要文化財を含む貴重な仏像群があったようで、拝観しておけばよかったです。
Pa020014 お寺の傍らの彼岸花が満開でした。

Pa020021 次いで、朝日町にある佐竹家住宅をみちくさ。1739年(元文4年)頃に建てられたという古い上層農家の建物で、国指定重要文化財です。人が住んでいるので、外観しか観ることができません。
Pa020024 最後は、道の駅・白鷹ヤナ公園でヤナを見学。間近でヤナを観るのは初めてです。ヤナがほぼ川幅いっぱいに広がっており、一網打尽という感じで、ちょっと鮎がかわいそうな気もしました。言っていることが矛盾しているようですが、鮎の塩焼きのニオイがとてもおいしそうでした。しかし、今夜の夕食に備えてがまん、がまん。

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2008/10/10

【歌舞伎】芝翫・菊五郎・小吉(2008年10月歌舞伎座昼の部)

 歌舞伎座十月の昼の部の目玉は、芝翫の「藤娘」でしょうか? 菊五郎や菊之助を観るのも久しぶりな気がします。
 「重の井」は初めて観る演目。家橘演ずる本田弥三左衛門は、着物から刀まで全身真っ赤のいでたちで、なかなかキャラが立っています。通称「赤じじい」と呼ばれているそうな。一方の調姫(しらべひめ)は「いやじゃ、いやじゃ」というセリフが多いので「いやじゃ姫」と呼ばれているそうです。そういえば「ぶって姫」などという方もおりましたな……。その「ぶって姫」じゃなくて「いやじゃ姫」を演じていたのはかわいらしい女の子。まだ月の前半なのにちょっと声がかすれていましたが、千穐楽まで声がもつかしら? 衣装が重いのか、なかなか立ち上がれなくて照れ笑いしていたのもかわいらしかったです。なんと亀蔵のご長女とのこと。
 もう一人の子役の三吉と、福助演ずる重の井との親子の情のやりとりが、この芝居の眼目。三吉がとってもよかったです。演じていたのは坂東小吉くんで、二代目坂東吉弥のお孫さんとのこと。あらら、今年の八月の納涼歌舞伎の『つばくろは帰る』で見ていたはず。三津五郎演ずる大工を慕っていた子供か……。福助の重の井も見事でした。悲しみに沈む三吉を近習がゲンコで叩いて、強いてお祝いの馬子唄を歌わせようとする場面で、三吉が歌いだすの客席がシーンとなって待っている時、携帯を鳴らした人がいたのは残念(しかも2回)。全体に今日は着メロが多かったです。みなさん、気をつけましょう。
 『奴道成寺』は申し訳ありませんが、昼食後だったので半睡。松緑のいなせな元気良さはあいかわらずですが、ちょっと柔らかさがなかったような……って、半分眠ってたので御免なさい!
 「魚屋宗五郎」は、悪が滅び酔っぱらいが栄えるという、ぽん太とにゃん子には嬉しくもあり、身につまされるお話。菊五郎の気っ風の良さはあいかわらず。玉三郎、権十郎、團蔵とのかけあいは、いまひとつ息があっていないような。菊之助、少し太ってませんか?
 そして『藤娘』。舞台に近い席で観ていたせいか、一生懸命頑張っているのがよく見えてしまい、ゆったりと楽しむことはできませんでした。あどけいない娘に見せようという媚びは感じられず、傘寿(80歳)の芝翫がありのままを出しているような、不思議な舞踊で、迫力がありました。

歌舞伎座
歌舞伎座百二十年・芸術祭十月大歌舞伎
平成20年10月、昼の部
一、恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)
  重の井
           乳人重の井    福 助
           自然薯三吉    小 吉
              調姫  片岡 葵
         本田弥三左衛門    家 橘
二、奴道成寺(やっこどうじょうじ)
    白拍子花子実は狂言師左近    松 緑
              所化    松 也
               同  尾上右 近
三、新皿屋舗月雨暈 魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)
           魚屋宗五郎    菊五郎
           女房おはま    玉三郎
          磯部主計之助    松 緑
           召使おなぎ    菊之助
            娘おしげ    松 也
            小奴三吉    権十郎
        菊茶屋女房おみつ    萬次郎
            父太兵衛    團 蔵
          浦戸十左衛門    左團次
四、ご贔屓を傘に戴く
  藤娘(ふじむすめ)
             藤の精    芝 翫

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2008/10/09

【舞踏】山海塾『降りくるもののなかで―とばり』

 ぽん太とにゃん子は10月5日、三軒茶屋まで「山海塾」を観に行ってきました。「山海塾」を観るのは今回が2回めで、2年前に『金柑少年』を観てすっかりとりこになり、次の公演を心待ちにしていました。今回も、できればすべての演目を観たかったのですが、時間の制約で一つしか観れなかったのが残念! でも、新作の『降りくるもののなかで―とばり』を観れたのでよかったです。
 こちらが山海塾の公式サイト。こちらにはダイジェスト映像もあります。

 砂、風化した塑像のような身体、流れに揺れる水草のようなゆらめき、苦悶するかのような四肢の捩じれ、それでいて洗練された舞台はあいかわらず。今回は背景と床に無数の星がきらめき、ユーモアや演劇的な要素は抑制され、無限の宇宙と悠久の時を感じさせる静謐な舞台でした。
 前回は3階席だったのですが、今回は2階に進出。よく見えたのはもちろんのこと、前回は聞こえなかったダンサーの息づかいが聞こえました。息をひそめたり、時々「ハーッ」と吐いたりするのがわかり、より深く山海塾の世界を味わうことができました。
 それから今回もうひとつ良かったのが、天児牛大の踊りを観れたこと。前回の『金柑少年』では、天児がもはや肉体的に最後の逆さ吊りに耐えられないということで、出演しておりませんでした。で、今回、天児の踊りを初めて見て、彼の舞踏が他の踊り手とはまったく違うのに驚きました。他の踊り手は、表情も夢遊病者のようで生気がなく、動きも「人間」の意思や感情といったものを感じさせない、人形あるいは植物のようなものでしたが、天児の舞踏は、目もしっかりと開いて何かを見つめており、表情にも身体の動きにも人間の意思や感情の存在が感じられました。

 公演終了後には、天児牛大によるポストパフォーマンス・トークのオマケ付き。対するは歌舞伎評論でご活躍の渡辺保氏です(こちらが渡辺保の公式サイト)。ナマ保を初めて観ました。もっと老大家風の人かと思っていたら、意外と若々しくて会社の部長みたいな雰囲気だったのに少しびっくり。会場からの質問に天児が答える趣向もあり、とても興味深かったです。
 背景の星は、北極星を中心とする実際の星を、踊り手が自ら暗幕に穴を開けて作ったものだそうで、また床の楕円の星も、これもまた日本の夏の星座の通りに踊り手がひとつひとつ発光ダイオードを埋め込んで作ったのだそうです。

 そういえば、昔、「へらちょんぺ」とかいう全身白塗りの芸人がいたようなきがしたのでググってみたら、なんと現在は早脱ぎ王になっていた(こちらが動画)。


新作『降りくるもののなかで―とばり』 東京初演
2008年10月、世田谷パブリックシアター

虚空から/夢の中の闇/写しあるものたち/闇の中の夢
夜の青/降りくるもののなかで/虚空へ
ポストパフォーマンス・トーク(天児牛大、渡辺保)

演出・振付・デザイン:天児牛大
音楽:加古隆、Yas-Kaz、吉川洋一郎
舞踏手:天児牛大、蝉丸、岩下徹、竹内晶、市原昭仁、長谷川一郎、松岡大、浅井信好
共同プロデュース:パリ市立劇場、北九州芸術劇場、山海塾
世界初演:2008年5月パリ市立劇場

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2008/10/08

【登山】武尊山でついに百名山完登!!(付:八海山純米大吟醸「金剛心」!!)

 梅田屋旅館で英気を養ったぽん太とにゃん子は、翌日、武尊山を目指しました。実はこれが百名山の百座目です。

【山名】武尊山(2158.31m)
【山域】群馬
【日程】2008年9月25日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】曇り
【コース】武尊牧場スキー場最上部(8:35)…武尊山(11:36)…武尊牧場スキー場最上部(14:53)
【マイカー登山情報】武尊牧場スキー場手前から東俣沢に沿って東俣駐車場に行く道は、土砂崩れのため通行止め。武尊牧場スキー場は、この時期土日祝日は夏山リフトが運行していますが、平日は運休で、代わりに往復1,000円で車でピストン輸送してくれます。登山の前に現地に確認することをお勧めします。
【参考リンク】
片品観光協会/武尊高原
山と高原地図Web/武尊山

P9250278 当初は東俣駐車場から登るつもりだったのですが、いざ行ってみたら土砂崩れのため通行止め。それなら武尊牧場から、と行ってみると、夏山リフトは止まっています。これは延々とスキー場を登らないといけないのか、と暗澹たる気分になりましたが、なんと車でスキー場最上部まで連れて行ってくれるとのこと! ありがたやありがたや。リフトよりよほど楽でした。
 実は、武尊牧場スキー場の最上部から武尊山へ向かう尾根は、ぽん太が以前、テレマークスキーのスノーハイクでよく行ったコースです(もちろん途中までですが)。シラカバに始まり、映画『眠る男』のロケにも使われたブナ林やダケカンバ、シラビソなど、次々と移り変わる美しい樹林を眺めながら、なだらかな尾根を登る快適なコースです。
P9250281 稜線に出る直前には、岩場もあります。ちょうど紅葉が始まって、錦に彩られていました。あいにくと天気は曇りでしたが、雲が高かったせいか、皇海山、日光白根、燧、至仏など周辺の山々がが見渡せました。
P9250209 山頂です。ついに百名山完登!おめでとうございます。ちなみに写真に写っているのはぽん太とにゃん子ではありません。
P9250275 山は秋で、もう花も少なかったですが、途中で見かけたものをひとつ。ツリガネニンジンはありふれたはなですが、真っ白なのは初めて見ました。シロバナツリガネニンジンというそうです。
P9250288 オオバタケシマランの実です。実をぶらさげている柄の部分が、くるりんちょと捩じれているのがかわいいですね。

P9250214 帰宅してから、この日のためにとっておいた八海山純米大吟醸「金剛心」で祝杯です。皆さんは見たことありますか?ぽん太は新潟の酒屋で見つけて死んだ気になって買っておいたのですが、こんかい初めて飲みました。八海山公式サイトの「金剛心」紹介ページはこちらです。2年熟成させたお酒だそうで、まろやかでこくがあり、それでいて山の湧き水のように雑味がなくのどごしがいい、すばらしいお酒でした。

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2008/10/04

【温泉】片品村の梅田屋旅館はとても落ち着く和風の宿(★★★)

 霧ヶ峰と美ヶ原で百名山の98、99座目を制覇したぽん太とにゃん子は、百座目の武尊山を目指して群馬に移動しました。前夜の陣を張ったのは、片品村鎌田温泉の梅田屋旅館です。公式サイトはこちらになります。
P9240261 こちらが宿の門構え。旅籠風の風情がある落ち着いた和風旅館です。場所は、沼田インターから尾瀬や日光に向かう国道120号線の途中、鎌田の集落にあります。
P9240263 こちらがお部屋の様子。落ち着く民芸調で部屋数も多く、最近リフォームしたようで新しくきれいでした。
P9240268P9240269 お風呂は、男女別にそれぞれ内湯と露天があって時間交代制になっており、また貸切の家族風呂があります。内湯の浴槽は、戸を開けて入った瞬間「ながっ」という感じで、とても長いです。露天は岩風呂風で落ち着きますが、展望は広くありません。
 お湯は無色透明で、泉質は単純アルカリ性温泉とのこと。お肌に優しい柔らかいお湯ですが、温泉力は強くありません。源泉温度は40.5度で、循環加熱はしていますが、加水はしていない掛け流しです。
P9240164P9250274 こちらがもう一方の内湯と露天。内湯は六角形(?)の建物がおもしろく、露天は脱衣所と浴槽が木枠のガラス戸で仕切られているのが珍しいです。
P9240272 貸切家族風呂です。無料で使うことができます。
P9240166 夕食は、地元の食材を使ったおいしい郷土料理です。ぽん太が気に入ったのは、ニジマスの薫製。薫製とはいえ、とってもジューシーで、旨味があっておいしかったです。
P9250185 朝食も地元の新鮮な食材がいっぱいで美味しかったです。
 おちついた上質の和風旅館ですが、ちょっと温泉力に欠けるかも。なんかもうひとつアピールポイントがあると最高なのですが……。

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2008/10/01

【佐久】龍岡城五稜郭と新海三社神社

 快晴の霧ヶ峰と美ヶ原を堪能したぽん太とにゃん子は、佐久へと車を走らせました。先日、山仲間から、なんと佐久に「五稜郭」があることを聞いたからです。これは隠れお城ファンのぽん太としては、捨て置くことはできません。
P9240247 こちらが、その龍岡城五稜郭です。堀の一部ですが、実際に見ると独特の形がよくわかるのですが、写真だとちと分かりにくいかも。
P9240242 こちらは看板に描かれていた図ですが、これを見ると星形をしていることがよくわかります。またこちらのGoogleマップの航空写真を見ていただくと、星形をしていることと、この城跡の場所がわかるかと思います。
 五稜郭というと、榎本武揚が立てこもって戦った函館の五稜郭が有名ですが、日本にあるもう一つの五稜郭が、ここ龍岡城なんだそうです。
P9240245 なかは現在は小学校になっております。ぜひとも建物を復元して名所にして欲しいところですが、このような歴史ある地の小学校の卒業生は、きっとすばらしい思い出になることでしょう。
 パンフレットによれば、龍岡城は、藩主松平乗謨(のりかた)によって1864年(元治元年)に着工され、1867年(慶応3年)に完成したものだそうです。五角形のかたちは、もともとは実戦上の理由から考えられた者だそうですが、洋学に関心の深かった松平乗謨「西洋風」の城を作りたかったのだろうとぽん太は思います。
P9240244 当時の建物のひとつ「御台所」が復元されています。
 さて、龍岡城を作った松平乗謨は、明治になって大給恒(おぎゅうゆずる)と改名したとのこと。まてよ、どっかで聞いたことがあるぞ。日本赤十字社の設立者ではなかったか? Wikipediaを見てみると、大給恒と佐野常民が西南戦争のおりに、敵味方なく救護を行う「博愛社」を設立し、これが1886年にジュネーブ条約に加盟したことによって、翌1887年に「日本赤十字社」になったのだとか。むむむ、激しく勉強になりました。

P9240259 だらりと掛けられたしめ縄が珍しい鳥居ですが、近くにある新海三社神社に寄ってみました。公式サイトはなさそうなので、神社に詳しい玄松子さんのページにリンクを張っておきます。
 御祭神は東本社に興萩命(おきはぎのみこと)、中本社に建御名方命(たけみなかたとみのみこと)、西本社に事代主命(ことしろぬしのみこと)、相殿に誉田別命(ほんだわけのみこと)を祀っているようです。
 興萩命という神様は初耳で、ぽん太が調べたところでは、『古事記』や『日本書紀』にも載っておらず、手元の神様事典にも出ていません。佐久の氏神あるいは土地の神様なのかもしれません。興萩命の父とされている建御名方命は、諏訪神社の御祭神であり、佐久が諏訪の勢力の支配下にあったことを示すのかもしれません。建御名方命と事代主命は、『古事記』では、二人とも大国主命の子どもということになっております。誉田別命は応神天皇であり、ぽん太には、どうも明治以降に祀られるようになったような気がします。
P9240250 これが興萩命が祀られている東本社で、国の重要文化財に指定されております。
P9240252 こちらは、やはり重要文化財に指定されている三重塔です。神社に三重塔があるのは不思議な気がしますが、昔の神仏習合の時代の名残で、廃仏毀釈の被害を免れたようです。解説によると、明治以降に宝庫として利用することで、破壊されずに残ったそうです。

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