【佐久】龍岡城五稜郭と新海三社神社
快晴の霧ヶ峰と美ヶ原を堪能したぽん太とにゃん子は、佐久へと車を走らせました。先日、山仲間から、なんと佐久に「五稜郭」があることを聞いたからです。これは隠れお城ファンのぽん太としては、捨て置くことはできません。
こちらが、その龍岡城五稜郭です。堀の一部ですが、実際に見ると独特の形がよくわかるのですが、写真だとちと分かりにくいかも。
こちらは看板に描かれていた図ですが、これを見ると星形をしていることがよくわかります。またこちらのGoogleマップの航空写真を見ていただくと、星形をしていることと、この城跡の場所がわかるかと思います。
五稜郭というと、榎本武揚が立てこもって戦った函館の五稜郭が有名ですが、日本にあるもう一つの五稜郭が、ここ龍岡城なんだそうです。 なかは現在は小学校になっております。ぜひとも建物を復元して名所にして欲しいところですが、このような歴史ある地の小学校の卒業生は、きっとすばらしい思い出になることでしょう。
パンフレットによれば、龍岡城は、藩主松平乗謨(のりかた)によって1864年(元治元年)に着工され、1867年(慶応3年)に完成したものだそうです。五角形のかたちは、もともとは実戦上の理由から考えられた者だそうですが、洋学に関心の深かった松平乗謨「西洋風」の城を作りたかったのだろうとぽん太は思います。 当時の建物のひとつ「御台所」が復元されています。
さて、龍岡城を作った松平乗謨は、明治になって大給恒(おぎゅうゆずる)と改名したとのこと。まてよ、どっかで聞いたことがあるぞ。日本赤十字社の設立者ではなかったか? Wikipediaを見てみると、大給恒と佐野常民が西南戦争のおりに、敵味方なく救護を行う「博愛社」を設立し、これが1886年にジュネーブ条約に加盟したことによって、翌1887年に「日本赤十字社」になったのだとか。むむむ、激しく勉強になりました。
だらりと掛けられたしめ縄が珍しい鳥居ですが、近くにある新海三社神社に寄ってみました。公式サイトはなさそうなので、神社に詳しい玄松子さんのページにリンクを張っておきます。
御祭神は東本社に興萩命(おきはぎのみこと)、中本社に建御名方命(たけみなかたとみのみこと)、西本社に事代主命(ことしろぬしのみこと)、相殿に誉田別命(ほんだわけのみこと)を祀っているようです。
興萩命という神様は初耳で、ぽん太が調べたところでは、『古事記』や『日本書紀』にも載っておらず、手元の神様事典にも出ていません。佐久の氏神あるいは土地の神様なのかもしれません。興萩命の父とされている建御名方命は、諏訪神社の御祭神であり、佐久が諏訪の勢力の支配下にあったことを示すのかもしれません。建御名方命と事代主命は、『古事記』では、二人とも大国主命の子どもということになっております。誉田別命は応神天皇であり、ぽん太には、どうも明治以降に祀られるようになったような気がします。 これが興萩命が祀られている東本社で、国の重要文化財に指定されております。
こちらは、やはり重要文化財に指定されている三重塔です。神社に三重塔があるのは不思議な気がしますが、昔の神仏習合の時代の名残で、廃仏毀釈の被害を免れたようです。解説によると、明治以降に宝庫として利用することで、破壊されずに残ったそうです。
| 固定リンク
「旅・宿・温泉」カテゴリの記事
- 【温泉】玉子湯再訪(福島県高湯温泉)(★★★★)(2020.04.15)
- 【スキー】快晴の蔵王スキー場。樹氷ニョキニョキ外人いっぱい。(2020.03.06)
- 【温泉】和モダンに生まれ変わった湯治宿。峩々温泉(★★★)宮城県(2020.03.05)
- 【温泉】歴史ある宿がワイナリーもオープン。中棚荘(長野県小諸市)(★★★★)(2019.12.26)
- 【温泉】こんなところに秘湯中の秘湯が!赤滝鉱泉@栃木県矢板市(★★★★★)付:八方台のレンゲツツジ(2019.06.12)
コメント
石山みずかさん、コメントありがとうございます。
返事が遅くなって申し訳ありません。
なるほど、ゴシック建築が森のメタファーという考え方があるのですか。勉強になりました。日本の鎮守の森も、明治以降に破壊されようとしましたが、たしか南方熊楠が反対運動をしたんでしたっけ。
投稿: ぽん太 | 2008/12/18 16:59
五稜郭を見ようと行きましたら、新海三社神社に出会っただけです。ゴシックと鎮守の森を対比したいと思い探しています。
ゴシックは森を破壊して石の森を造った 森のメタファーだそうです。日本では鎮守の森として森を残しつつ開発して今でも森が70%近く残されていますので、その文化的対比をしたいということです。空撮写真で見ると良く分かると思っているのですが。
投稿: 石山みずか | 2008/12/05 19:39
石山みずかさん、コメントありがとうございます。
とってもお詳しいですね。神社の来歴などを本気で調べようと思ったら、古文書などをひもとかないといけないのでしょうか、もちろんぽん太にはとてもできません。今のところ、わかる範囲の情報で、あれこれ想像して楽しんでおります。
今後もたまにお立ち寄り下さい。
投稿: ぽん太 | 2008/12/04 15:42
新海とは元は新開のようです。
佐久地方の開発の先駆け、大元となる祖先の神社のようです。
神社の奥山の方に古墳が三カ所5基ほど有ります。
今ではその関係は分からなくなっている様子ですが、
ご神体の山と古墳、神社、神宮寺、参道、社叢が揃っている
由緒有りそうな神社です。
神名は後付のようなことがあるようですから。
近くに大宮諏訪神社 薙鎌が有るようで と併せて、三社神社は諏訪大社との関係は深そうです。
投稿: 石山みずか | 2008/12/04 12:36