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2009/01/13

【バレエ】女たらしのアルベルト・レニングラード国立バレエ『ジゼル』(付:20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代)

 年末年始恒例のレニングラード国立バレエを観に行って来ました。演目は『ジゼル』、キャストはシェスタコワ、コルプです。2年前にルジマトフとのコンビですばらしい「白鳥」を見せてくれたシェスタコワが、どんなジゼルを踊るのか、そして初めて観る奇才コルプやいかに?
 こちらの光藍社の公式サイトによると、今回の『ジゼル』は「新演出」とのことですが、どこがどう違うのかよくわからないところが、バレエ初心者ぽん太の恐ろしいところ。前回レニングラードの『ジゼル』を見たのは数年前だったし……(言い訳)。

 シェスタコワのジゼルは、ノックを聞いて家を飛び出たとこから、もう観客を魅了します。背が高いし手足も長いので、「可愛らしい」という感じとはちょっと違うのですが、清楚でどことなくはかなさが漂います。
 コルプは、野性的な雰囲気があって、ノーブルな貴族という感じではありませんでした。しかし独特の存在感があって、切符を買ってある『海賊』の切符を買が楽しみです。コルプはマイムを様式的にあっさりとこなし、細かい小芝居はしないようです。例えば、「ハンスに切り掛かろうとして剣を抜こうとするが、剣を差していないことに気づく」といった芝居も、淡白に流してました。
 今回の舞台では、アルベルトがなんだかとっても悪いヤツに思われました。ジゼルの座っている長椅子に腰掛ける場面では、抱きついてキスしたりしました。これって普通は、アルベルトがにじり寄って行くとジゼルが逃げるという演出ではなかったですか?また、婚約者とかち合う場面でも、普通はジゼルを気にかけながらも、仕方なしに婚約者にキスするという感じだと思うのですが、コルプのアルベルトはすっごく嬉しそうな顔をして婚約者の手を取っていました。横にジゼルがいることなど忘れてしまったかのようです。アルベルトがジゼルを本当に愛していたのか、それとも単なる遊びだったのかは、さまざまな解釈があるようですが、コルプのアルベルトは目の前にいる女に気を奪われるどうしょうもない男に思えました。さらに発狂するジゼルを尻目に、小屋の中に逃げ帰ろうとします。またジゼルが死んでしまって、アルベルトがハンスに「お前のせいだ」と詰め寄ると、反対に「俺じゃない、お前のせいだろう」と言い返される下りでも、普通は「ああ、そうだ、俺のせいだ」となるのに、コルプのアルベルトはさらに剣を取ってハンスに切り掛かろうとしました。こんなバカな男に騙されたジゼルがかわいそうでなりませんでした。ちなみにシェスタコワの発狂シーンはすばらしかったです。
 2幕は、イリーナ・コシェレワが踊ったウィリの親玉(ミルタ)が、気品と冷酷さと美しさを兼ね備えてすばらしかったです。前にレニングラードの『ジゼル』を見たときも、この人だったような気がします。シェスタコワのウィリも、軽くて柔らかくて静謐で気品があってすばらしかったです。ただ、リフトされたときのふわふわという浮遊感がいまいちだった気がするのですが、これはコルプの問題なのかもしれません。
 アルベルトが女たらしに見えただけに、こんなヤツをウィリになっても守ろうとするジゼルのけなげさに、ぽん太は目がうるうるしました。しかし考えれば考えるほど第2幕は、アルベルトにとって話しがうますぎます。騙した女に許され、助けてもらうわけですし、またジゼルを奪われてしまった森番ハンスが、何の罪もないのに、ウィリに殺されてしまうのも気の毒です。むむ〜にっくきアルベルト、許せん!などと思っているうちに、精神科医ぽん太の頭にむくむくと妄想が浮かんできました。
 それは、2幕はすべてアルベルトの夢だったというものです。女好きの性格ゆえにジゼルを殺してしまったアルベルトは、頭では自分の非を認めませんが、無意識的には罪悪感を感じます。さて、精神分析の創始者フロイトは「夢は願望充足である」と言っておりますが、アルベルトは自分の罪悪感をやわらげるような夢を見ます。まず、恋敵でもあり、自分がジゼルの死を招いたことを指摘したハンスを、ウィリの呪いで葬り去ります。次に、死んでしまったジゼルが、ウィリという姿ではありますが、ふたたび甦ります。そしてひどい仕打ちをしたジゼルは、アルベルトの夢のなかで、彼を許し、救うのです。夜明けがきて、夢のなかのウィリたちは立ち去り、アルベルトは目を覚まします。そのとき彼は、2幕のすべてが夢だったことに気づき、やっと己の罪に気づいて泣くのです。

 『ジゼル』といえば、昨年のエトワール・ガラで見たルンキナのジゼルは、テクニックがす完璧なだけでなく、崇高さすらかんじるすばらしい踊りでした。しかしこれは、ガラ公演だからこそのここ一番の集中力だったと思います。全幕ものとしては、シェスタコワのジゼルは大満足でした。
 『ジゼル』といえば、アイススケートの中野友加里のジゼルもよかったですね。どうせなら、発狂して死ぬ場面と、ウィリの場面も入れて欲しかったです。

 バレエを観る前に、Bunkamura ザ・ミュージアムで、「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代」を見てきました。公式サイトはこちらです。20世紀初頭の、良く聞く名前の画家の作品が多かったですが、ぽん太の好きなクレーの絵がたくさんあったのがよかったです。「直角になろうとする、茶色の△」というヘンテコな名前の水彩画があり、クレー独特の色彩で塗り分けられたさまざまな長方形のなかに、ひとつだけ茶色の三角形が描かれていました。△が「直角」になろうとするというのは、なんか変だなと思って英語の表記を見ると、たしか「Brown △, striving at right-angulars」となっていました。right-angularという単語は知りませんが、△と対比するなら、長方形(rectangle)のほうがふさわしい気がしますし、striving atで「〜になろうとする」という意味はあるのでしょうか?「四角形のなかで奮闘する、茶色の△」という気もしますが、原題はなんなのでしょうか(ドイツ語かもしれません)、図録を買ってないのでわかりません。もともと文法的に正しくないシャレなのかもしれません。書庫にあった1990年の回顧展のカタログ「パウル・クレーの芸術」には載っていないようです。あさって『海賊』を観に行く時、可能ならもう一度チェックをしてみたいと思います。
 ところで、Wikipediaなどを見てみると、晩年のクレーは難病の「皮膚硬化症」にかかったとのこと。「皮膚硬化症」という名前の疾病はありませんが、「強皮症」のことでしょうか?難病情報センターの「強皮症」のページはこちらです。英語のwikipediaのPaul Kleeを見てみると、sclerodermaと書いてありますから、おそらく「強皮症」で間違いなさそうです。美術関係者のみなさん、アップデートしておいて下さい。


レニングラード国立バレエ
『ジゼル』
2008年1月8日 Bunkamuraオーチャードホール
音楽:A.アダン
振付:J.コラーリ/J.ペロー/M.プティパ
改訂演出:N.ドルグーシン

ジゼル:オクサーナ・シェスタコワ
アルベルト:イーゴリ・コルプ
ミルタ:イリーナ・コシェレワ
森番ハンス:アレクサンドル・オマール
ペザン・パ・ド・ドゥ:タチアナ・ミリツェワ、アントン・プローム
ベルタ(ジゼルの母):アンナ・ノヴォショーロワ
バチルド(アルベルトの婚約者):オリガ・セミョーノワ
公爵:アンドレイ・ブレグバーゼ
アルベルトの従者:ロマン・ペトゥホフ
ドゥ・ウィリ:マリア・グルホワ、ユリア・カミロワ

指揮:カレン・ドゥルガリヤン
管弦楽:レニングラード国立歌劇場管弦楽団

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