« 【バレエ】ザハロワ目当てに『ライモンダ』新国立劇場バレエ | トップページ | 【バレエ】ノイマイヤーの豊かな才能に感服『人魚姫』ハンブルク・バレエ »

2009/02/23

【歌舞伎】「蘭平物狂」は精神科医ぽん太の領域じゃ(歌舞伎座2009年2月夜の部)

 「蘭平物狂」は初めて観る演目でした。ストーリーはいろいろあって複雑ですが、要するに奴蘭平の、前半では物狂いでの踊り、後半では大立ち回りを楽しむという趣向のようです。蘭平役の三津五郎は、もちろん所作ごとはお手の物、後半の梯子を駆使した立廻りもすごい迫力と体力で、これまでぽん太が見たことのないタテもあり、おもしろかったです。
 さて、物狂(ものぐるい)といえば、精神科医の端くれのぽん太の領分です。今回の舞台の台本とはちょっと違うところもありますが、『名作歌舞伎全集〈第4巻〉丸本時代物集』[1]に収録されている「蘭平物狂」を参照してみましょう。
 蘭平は、抜き身の刀を見ると気を失うという奇病を持っています。

〽枕刀をおっ取って、すらりと抜いて振りあげ給えば、アッと叫んで倒れ伏す、気も絶え入ると見えければ……
 蘭平は、抜き身の刀を見た瞬間に気を失います。
〽呼生け介抱するうちに、むっくと起きてあたり見廻し、
蘭平 なんじゃなんじゃ、おりゃこゝへなにしに来た。……オオ、そうじゃそうじゃ、コレコレコレ嫁入りじゃ嫁入りじゃ。ハハハなるほどなァ、一世一度の祝言にこの形(なり)でも行かれまい。なにかそこにないかしらん。……あるわあるは、幸いこゝに裲襠(うちかけ)、綿帽子もありがたい。
〽これを着ましょというまゝに、しどろもどろに引き纏い、
 ト烏帽子装束を着て、中啓を持ち、しゃんと立ち
 介抱をすると蘭平は意識を取り戻しますが、もうイッてしまってます。自分がこれから結婚式に参加するお嫁さんだと思い込み、置いてあった烏帽子装束を打ち掛けに綿帽子と見間違えて着込みます。
りく アコレコレ、なにを見つけてきょろきょろと、どこに人がいるぞいな。
蘭平 アレアレアレそこに。
りく どこに人がいるぞいのう。
蘭平 ソレそこに。
りく ありゃ松じゃわいなア。
蘭平 なんじゃ、松じゃ。……ドレ。
 今度は蘭平は松の木を人と見間違えます。でも、りくに指摘されると、人ではなくて松の木であることに気づきました。
 次いで蘭平は踊り出しますが、その唄の歌詞は滑稽で、妙に韻を踏んでいます。
〽浮かんせ浮かんせ辛気な顔を、浮かせ浮いたるものにとりては、鵜川の鵜舟に魚が浮いて鵜を呑んだ。竜田川には紅葉がうけば、吉野川には桜を浮かし、桂川には筏を浮かす、まだも浮かずば瓢箪腰にかっ附けて、鯰川に飛び込んで、エヽぬるりぬるりぬるり、ぬるりとすべる。こっぽり浮か浮か浮いて来た。誰も浮かれたおかしのやつさ。
 踊っているうちに蘭平は、再び気を失います。これを見た行平が、「生まれついたる難病とはいいながら、思えば不便(ふびん)なものじゃなア」と言って刀を鞘に納めると同時に、蘭平は正気にかえりますが、これまでのことは覚えておりません。
 実は蘭平の発狂は仮病(精神医学用語では「詐病」といいます)で、ホントの物狂いではなかったのですが、それでおこの芝居から、当時の人たちが狂気をどのように理解していたかを推測することができるでしょう。まず抜き身の刀を見て失神するという点。いわゆる先端恐怖と呼ばれる、尖った物に恐怖を感じる病気もありますが、蘭平は恐怖や不安は示さずに意識を失うので、その診断は否定的です。意識を回復するとすでに正気を失っており、自分が花嫁と思い込んだり、烏帽子装束を花嫁衣装だと思って着込んだり、松を人と見間違えたります。やがてわけのわからぬ踊りをし始めます。そして再び気を失って正気を取り戻すと、発狂していた間の記憶を失っています。こうした病状から推察すると、現代の診断でいえば解離性障害が思い浮かびますが、するとこれが生まれつきの病と言われていることには矛盾します。解離性障害は生まれつきの病気ではありません。ぽん太が以前の記事(「水天宮利生深川」と狂気、2006/03/15)で書いた「水天宮利生深川」に出てくる狂気とも似ているような気がします。ちなみに「蘭平物狂」が書かれたのは1752年(宝暦2年)、「水天宮利生深川」は1885年(明治18年)と、100年以上の隔たりがあります。こうした狂気の表現が、当時の一般の人々の狂気に対する理解を反映しているのか、それとも芝居における狂気の描写の常套手段なのか、無学なぽん太には判断がつきません。いずれにせよ、行平がこの病状を見て「思えば不便(ふびん)なものじゃなあ」と言って無礼を許し、狂人を排除しようとせずに気の毒に思っていたことは、ほっとするところです。
 「蘭平物狂」でもうひとつ気になったのは、「気違い水をこぼさず」(差別的表現ですがご容赦下さい)ということわざ。当然ながらぽん太は初耳です。2カ所で出てきで、まず最初は、蘭平が自分でくせ者を捕まえたいと行平に訴える場面。行平が、「お前は刃物を見ると発狂する難病なのに、くせ者を捉えることができるのか」と非難すると、蘭平は「アイヤそれは一途の御了簡、そこが世俗に申す通り、気違い水をこぼさずとやらの譬え、刃物を見たりとも、一心に討とうと思えば仕果せぬ事もござりませぬ」と答えます。もう一カ所は、与茂作が親の敵とばかりに行平に斬り掛かる場面。行平は蘭平に自分の身代わりとして与茂作と決闘するように言いつけますが、蘭平は自分は刃物を見ると気が違うので無理だと断ります。それに対して行平は、「コリャ欄平、そのまた役に立たぬものが、気違い水を滾(こぼ)さず、一心に討とうと思えば、仕果せぬ事はないと、そちゃ最前申したではないか」と叱責します。
 このことわざは辞書で引いてもでておらず、ネットではこちらのサイトがヒットするだけです。このサイトには「世に狂人と言われる者であっても意外と自分の手にしたグラスの水をこぼさずに持ち歩く。自分で思いつめた事だけはたとえどんな人間でも忘れぬ。」と書かれていますが、「蘭平物狂」での用例も、「一心にやろうと思えば、気が違っていてもやり通すことができる」という意味であるように思われます。

 ゴホン、さ、さて、話しをもとに戻して今月の歌舞伎ですが、二番目の演目はご存知『勧進帳』。吉右衛門の弁慶は大きいながらも抑制された古典的表現が良かったです。梅玉の義経に華があるのは当たり前。判官御手では高貴さだけでなく、慈しみの心情がもっとにじみ出るといいのですが(この点では一昨年の芝翫の義経が絶品でした)。菊五郎の富樫は、一昨年團十郎が弁慶を演じたときにも見ましたが、心理の移り変わり(頼朝の命に従って山伏は一人も通さない → ひょっとしたらホントに偉い山伏か? → やっぱり義経一行だ、ひっとらえよ → 自分が鎌倉勢に罰を受けてもいいから義経を助ける決心をする)が見事に演じられておりました。
 最後は「三人吉三」。さすがの玉三郎もこうした男に変わる役は無理。いっそのこと女の声のまま演じきったらいかがでしょうか。染五郎も容姿は美しいけれど、セリフ回しで観客を酔わせるにはいたらず。さすがに松緑のセリフは聞かせますが、三人による河竹黙阿弥独特の七五調の掛け合いの美しさは残念ながら感じられず、客席からも笑いがおこっていたのはちと無念。
 でも、歌舞伎座さよなら公演らいしい豪華メンバーの競演で、ぽん太は大満足でした。

歌舞伎座
歌舞伎座さよなら公演・二月大歌舞伎
平成21年2月・夜の部

一、倭仮名在原系図
    蘭平物狂(らんぺいものぐるい)
        奴蘭平実は伴義雄    三津五郎
            在原行平    翫 雀
           水無瀬御前    秀 調
            一子繁蔵    宜 生
       与茂作実は大江音人    橋之助
      女房おりく実は妻明石    福 助

二、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
           武蔵坊弁慶    吉右衛門
             源義経    梅 玉
            亀井六郎    染五郎
            片岡八郎    松 緑
            駿河次郎    菊之助
           常陸坊海尊    段四郎
           富樫左衛門    菊五郎

三、三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)
    大川端庚申塚の場
            お嬢吉三    玉三郎
            和尚吉三    松 緑
           夜鷹おとせ    新 悟
            お坊吉三    染五郎

【参考文献】
[1] 『名作歌舞伎全集〈第4巻〉丸本時代物集 』東京創元新社、1970年。

|

« 【バレエ】ザハロワ目当てに『ライモンダ』新国立劇場バレエ | トップページ | 【バレエ】ノイマイヤーの豊かな才能に感服『人魚姫』ハンブルク・バレエ »

芸能・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/74997/44145964

この記事へのトラックバック一覧です: 【歌舞伎】「蘭平物狂」は精神科医ぽん太の領域じゃ(歌舞伎座2009年2月夜の部):

« 【バレエ】ザハロワ目当てに『ライモンダ』新国立劇場バレエ | トップページ | 【バレエ】ノイマイヤーの豊かな才能に感服『人魚姫』ハンブルク・バレエ »