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2009/04/02

【歌舞伎】見せ場満載・猿之助一座の『獨道中五十三驛』新橋演舞場2009年3月

 第1幕は宙乗り、第2幕は本水、第3幕は早変わりの舞踊と、見せ場満載の舞台でした。
 四世鶴屋南北の作で、1827年(文政10年)に江戸河原崎座で初演されたそうです。『獨道中五十三驛』という題名の通り、舞台が京都から江戸へと次々と移っていきます。一幕に何場も詰め込まれて次々と変わるので、ロードムービー的なさすらい感というよりは、場面の早変わりというか、鶴屋南北らしいキッチュな印象です。
 一幕目の最後には化け猫が登場。どっかで見たな〜これ。調べてみると、2007年1月に国立劇場で観た『梅初春五十三驛』(うめのはるごじゅうさんつぎ)で見たようです。こちらは「五世」鶴屋南北の作で、1835年(天保6年作)とのこと。ということは、こちらの方が後から書かれたのですね。『梅初春』のチラシの解説によれば、江戸後期から明治にかけて、このような「五十三次もの」が次々と作られたとのこと。「岡崎の猫」はこの五十三次ものにつきものの趣向だったそうです。ちなみに十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は、1802年(享和2年)から1814年(文化11年)にかけて初刷りされ、ま続編の『続膝栗毛』は1810年(文化7年)から1822年(文政5年)にかけて刊行されたそうです。
 歌舞伎のイヤホンガイドをやっている会社のイヤホン解説余話によれば、「岡崎の猫」の物語は、愛知県豊田市の大鷲院(だいしゅういん)に伝わる話がベースであると言われているそうです。こちらがじゃらんnetの大鷲院のページですが、怪猫の足跡がある八丈岩というものがあるそうです。
 で、歌舞伎の舞台となっている岡崎の無量寺というのはどこなのか?愛知県岡崎に無量寺というお寺がありますが(こちらがGoogleマップです)、化け猫と関係があるのかどうかは不明です。

 ところで、医者の端くれのぽん太が気になったのが、第二幕で与八郎が「破傷風」になったたという下り。歌舞伎で「破傷風」という病名を聞いたのは初めてです。破傷風と言えば、ぽん太の知る限り、北里柴三郎が1889年(明治22年)に破傷風菌の純粋培養法に成功し、翌年には破傷風菌抗毒素を発見したことは知っていますが、「破傷風」という言葉が日本でいつ頃から使われるようになって、どのように理解されていたのかは知りません。筋書きを見ると、二幕は鶴屋南北が書いたものではなく、1996年に石川耕士が『宇和島騒動』を書き換えて作ったものだそうです。では『宇和島騒動』に破傷風が出てくるのか?ぽん太には調べる気力がありません。

 猿之助一座のスピーディーで迫力ある演技はいつものとおり。右近はこの大舞台を演じきる実力はつけたようですが、さらに芸で観客を魅了するには、もう一段の精進が必要なようです。
 

新橋演舞場 弥生花形歌舞伎
猿之助十八番の内
獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)
市川右近十五役早替りならびに宙乗り相勤め申し候
平成21年3月、新橋演舞場

       お三実は猫の怪/江戸兵衛
    丁稚長吉/信濃屋お半/芸者雪野
  帯屋長右衛門/弁天小僧/土手の道哲  市川右 近
  女房お絹/鳶頭右之吉/雷/船頭澤七
鬼門の喜兵衛/土手のお六/由留木調之助

              丹波与八郎  市川段治郎
           重の井姫/荵の方  市川笑 也
         弥次郎兵衛女房おやえ  市川笑三郎
           喜多八女房おきち  市川春 猿
              石井半次郎  市川弘太郎
       赤羽屋次郎作/赤星十三郎  市川寿 猿
        赤堀水右衛門/雲助逸平  市川猿 弥
     由井民部之助/十文字屋おもん  市川門之助

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