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2009/04/26

【監獄】意外に身近な人でした・昭和の脱獄王白鳥由栄

P2190038 3月に博物館網走監獄を訪れたぽん太は、網走監獄を脱獄した白鳥由栄に興味を持ったのでした。というのも白鳥は何度も脱獄を繰り返したすえ、ぽん太が棲息する多摩地区にある府中刑務所に収監されましたが、そこでは模範囚としてすごし、ついに仮出所したことを知ったからです。なんだかぽん太と縁があるではないか。
 そこで今回、吉村昭の『破獄』と、斎藤充功の『脱獄王―白鳥由栄の証言』を読んでみました。『破獄』が書かれたのが1983年(昭和58年)、『脱獄王』は1985年(昭和60年)。後者は白鳥由栄自身に対するインタビューをもとに、主に白鳥の視点から書かれており、前者は小説ではありますが、白鳥に対する警察側の視点も含めて描かれており、また登場人物の本名は伏せられています。ちなみに白鳥が亡くなったのは1979年(昭和54年)です。
 ぽん太がまず驚いたのは、白鳥がつい最近まで生きていた人物だったということです。博物館網走監獄でマネキンを見て説明を聞いたときには、半分伝説のようなつもりで聞いていました。ところが『脱獄王』で著者が最初に白鳥に会うのは、現在もある三井記念病院ですし、その前に介護を受けていたという安立園は、おそらくここではないかと思われます。生涯に4回監獄をした男が、身近な人だとは知りませんでした。
 ひとたび白鳥をリアルに感じると、4回の脱獄というのが驚異的に思えてきます。最初の1935年(28歳)青森刑務所柳町支所、2回目は1942年(34歳)秋田刑務所、3回目が1944年(37歳)網走刑務所、最後が1947年(39歳)で札幌刑務所です。ノーマークだった最初の脱獄はいざ知らず、後半は脱獄を繰り返す凶悪犯という認識のもと、もし逃げられたら刑務所職員の処分は免れないということで、厳重な監視体制に置かれていたにもかかわらず脱獄を繰り返したことは、まことに驚異的です。
 犯した罪としては、1933年に土蔵破りを繰り返していたときに強盗殺人、1946年に網走刑務所を脱獄して逃走中に傷害致死、それに4回の逃走罪が加わっております。
 大ざっぱな脱獄の手口ですが、青森刑務所は、こっそり手に入れた針金を使って鍵を開けて難なく逃走。秋田刑務所では、脱獄を防ぐために、床はコンクリートで固め、三方の壁には銅板を張り、高さ3メートルのとのころに金網で覆った30センチ四方の明かり窓を付けた、特製の独房を用意しました。白鳥は、部屋の角のところを両手両足で突っ張ってヤモリのようによじ上る技を習得。手に入れたブリキ板を釘で交互に曲げてのこぎりを作り、10日ほどかけて天窓の木枠を切ったそうです。網走刑務所では、扉に取り付けられた鉄製の視察窓に、こっそりとみそ汁の塩汁を垂らすという作業を半年以上続けて、ボルトを浮かせて外れるようにし、逃げる際には両肩の関節を外して小さな穴をくぐり抜けたそうです。付けられていた手錠・足錠も、半年以上打ち付けたり歯で噛んだりしてボルトを緩めておいたそうです。札幌刑務所では、洗面用の桶の鉄のタガを加工して作ったノコギリで房の床板を切り、建物のコンクリート製の土台の下の土を金属製の食器で掘って逃げたそうです。これらを聞いただけで驚くかもしれませんが、さらに細かい手口などは、びっくりすることばかりです。
 4回の脱獄を可能にした白鳥由栄の能力のひとつは、まず器用さです。鍵をあける技術は土蔵破りの時代に習得していたようです。脱獄を防ぐために両手両足に錠を付けられていましたが、看守の見ていないすきに錠を外して休憩し、点呼のときはまた自分で錠を付けるなどしていたそうです。釘を使って金属の板をノコギリに加工したのもすごいです。
 白鳥の2番目の特徴は、驚異的な身体能力です。通常の手錠(もちろん金属製)は、なんなく引きちぎったそうです。府中刑務所で精米所の作業をしたときは、米俵を両手にひとつずつ持って、周囲を驚かしたそうです。床の釘などは、指を押し付けて回転させることを繰り返して抜いてしまったそうです。独房の角を手足で突っ張って登ったことは既に書きました(『脱獄王』では頭を上にして登る図が描かれていますが、『破獄』には、両手を一方の壁、両足をもうひとつの壁に押し付けて登ったと書いてあります)。高い塀も、斜めに駆け上がることによって、なんなく越えてしまったそうです。二三日寝なくても平気でした。網走脱走後2年間にわたって北海道の山中で生活したことも、彼のたぐいまれな体力を示しているといえるでしょう。
 そして何よりも脱獄を可能にしたのは、心理的な能力です。彼は見張りの看守たちを、巧みに心理的に支配しました。逃亡させたことによる懲戒処分を恐れる看守に「あなたの当直の日に逃げますよ」と言ったり、「そんなにひどい扱いをしていいんですか。いつでも私は脱獄できるんですよ。脱獄したあと、私が何をするか。家族が可愛くないんですか」などと脅すことによって、看守たちは次第に白鳥の規則違反を見逃すようになりました。札幌刑務所の床から逃げる前は、時おり天井付近の窓に視線を投げかけることで、看守たちの注意を房の上方に引きつけたそうです。脱獄方法はすべて、絶対に脱獄させまいとする刑務所側の、意表をつくものでした。
 白鳥由栄がどういう性格の人物だったのか、なぜ府中刑務所では一転して模範囚となったのかなどは、興味深いテーマですが、疲れて来たのでまたの機会にみちくさしたいと思います。

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