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2010年1月の14件の記事

2010/01/29

【バレエ】残念ザハロワ降板、でも最後は川村真樹に拍手! 新国立バレエ『白鳥の湖』

 なんとザハロワが体調不良で欠席!悲しい限りです。昨年5月にザハロワの『白鳥の湖』を観て心底感動したので(こちらがそのときの記事です)、もう一度観たいと思って切符を取ったのに……。代役は誰かしら。新国立劇場バレエ団の日本人ダンサーとのこと。なんだそりゃ。金返せ。ちなみにこちらが今回の公演の公式サイト、そしてこちらが特設サイトです。
 オデット/オディールを誰が踊るのか、めんどくさいから事前にチェックもしませんでした。バレエの当日になっても、観劇前のワクワク感がありません。新国立劇場についてから配役表を見ると、川村真樹とのこと。知らんがな。今回の公演のオデット/オディールの日本人キャストのなかにも入ってないし。新人か?
 第1幕は、オデット/オディールは出ないので、代役を気にせずに鑑賞。ウヴァーロフの王子は、いつもながら優雅で大きくて高貴でいいですね。道化は前回と同じ八幡顕光。回転とジャンプはすごい!もう少し柔軟性があって、飛んだときに足が開くといいんですけど。前回に気になった、衣装とコップがぶつかってカチカチいうのは、改善されてました。パ・ドゥ・トロワは、トレウバエフのソロのヴァリアシオン(言葉の使い方合ってるんでしょうか?)が、足の長さを生かして大きな踊りでよかったです。
 第2幕のオデットの登場シーンも、ぽん太は拍手せず。「拍手するのが礼儀でしょ」と、あとからにゃん子に叱られました。白鳥が王子を目にしたとき、なんだかびっくりしすぎです。そのあとの両手と片足を上げた例のポーズも、う〜ん、悪くはないけどもうひとつ。グラン・アダージョも、王子が白鳥をいたわりながら導いている感じでよかったです。急な代役でもちゃんと踊れるもんだな〜と、ぽん太は感心いたしました。でも「これがザハロワだったら……」という思いが頭から抜けません。以前にKバレエにいた長田佳代さん、新国立に移ったんですね。
 第3幕のオディールも、ようやく緊張が取れてきたみたいで、小悪魔的な魅力がなかなかよかったです。グラン・フェッテも、ちょっと軸がずれましたが、ダブルを取り混ぜて健闘。また寺島まゆみのルースカヤも清楚で愛らしく、詩情とはかなさが漂ってよかったです。前回の自分の記事を読むと、湯川麻美子のルースカヤがよかったと書いてある。そもそも振付けがいいのかもしれません。前回も気になった、苦しむ白鳥が一瞬現れる場面のあと、オディールが両手を羽のように動かして誘惑するのを、王子が見ていないというのは変わりなし。
 第4幕。前回は、意味がわからない上に振付けも単調な、王子とオデットのダンスが長々とあったのですが、今回はばっさりカット。これはこれで淡白すぎるような。でも、なんだかんだいって最後はやっぱり感動。ぽん太は、川村真樹に心から精一杯の拍手を送りました。家に帰ってから確認したら、新人どころか、新国立バレエ団のファースト・ソリストとのこと。なんだ、うまいわけだ。
 アレクセイ・バクラン指揮、東京交響楽団の演奏もなかなかよかったです。バレエにしては、細かいテンポの変化もあって表情豊かで、感情の劇的な高まりも見事でした。前回の白鳥もバクランが振ってたのに、そのときは何も思わなかったのですが……。

 
「白鳥の湖」Swan Lake
2010年 新国立劇場オペラ劇場

【振 付】マリウス・プティパ/レフ・イワーノフ
【作 曲】ピョートル・チャイコフスキー
【監修・振付】牧 阿佐美
【指 揮】アレクセイ・バクラン
【舞台装置・衣裳】ピーター・カザレット
【照 明】沢田祐二
【管弦楽】東京交響楽団
【芸術監督】牧 阿佐美
【主 催】新国立劇場

【オデット/オディール】川村真樹
【ジークフリード王子】アンドレイ・ウヴァーロフ
【ルースカヤ】寺島まゆみ
【ロートバルト】芳賀 望
【王妃】坂西麻美
【道化】八幡顕光
【王子の友人(パ・ド・トロワ)】寺島ひろみ/寺田亜沙子/マイレン・トレウバエフ
【小さい4羽の白鳥】遠藤睦子/西山裕子/寺島まゆみ/長田佳世
【大きい4羽の白鳥】寺島ひろみ/本島美和/丸尾孝子/堀口 純
【スペインの踊り】西川貴子/楠元郁子/江本 拓/福岡雄大
【ナポリの踊り】高橋有里/大和雅美/吉本泰久
【ハンガリーの踊り】長田佳世/古川和則
【2羽の白鳥】寺島ひろみ/寺田亜沙子
新国立劇場バレエ団

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2010/01/26

【歌舞伎】体力あるな〜海老蔵の『伊達の十役』 2010年1月新橋演舞場

 まずは昼の部。「対面」は、右近の工藤祐経を初めとし、全体に若めの配役。獅童の曽我五郎がどんな迫力をみせてくれるかと期待していたのですが、面長で体も細いので、なんかひょろっとした感じになってしまいました。動きもだだっ子みたいで、ちょっと笑いも起きていました。
 「黒塚」は、非常に雰囲気ある舞台だった気がしますが、昼食後のうえに照明も暗く、意識が薄れてしまいました。ロシア・バレエの影響を受けたという名場面を見たかったのですが……。ごめんなさい。
 海老蔵の「鏡獅子」は、見た目も美しく、踊りも柔らくしっかり踊っていて、いつもの海老蔵の破綻はなく、笑い声もおきませんでした。夜の部の女形は仁王立ちみたいなのがありましたが、しっかり腰も落としていました。人形のようなすまし顔が無表情に感じられてしまい、微妙で繊細な情は表現できてない気がしました。

 夜の部は鶴屋南北の作なる『伊達の十役』。『伽羅先代萩』と同じ「伊達騒動」を世界に、早変わりの一人十役で演じる演目で、文政12年(1815年)に七代目市川団十郎によって初演されたものだそうです。今回はもちろん海老蔵が十役に挑戦。昼の部の「鏡獅子」のうえに、夜の部をほとんど出ずっぱりで演ずる海老蔵の体力には驚くばかりです。早変わりも見事でした。ただ荒事系の役はいいけれど、女形ややさ男系はちょっとヘンテコでした。政岡もまだまだ。海老蔵も結婚して子供ができたら、もっと深みが出てくるでしょうか。
 歌舞伎の『伽羅先代萩』の初演は安永6年(1777年)ですから、『伊達の十役』が『先代萩』を踏まえているわけですね。ぽん太の好きな「竹之間」がなかったので、鶴千代の「それ程獄屋へやりたくば政岡が代わりにそち行け」や、八汐の「てもマア、よう仕込んだものじゃなあ」の下りが観れなくて残念でした。また、床下の仁木弾正のひっこみが宙乗りになるのですが、『伽羅先代萩』ではこの花道の引っ込みが見所で、海老蔵がどう演じるか楽しみにしてたので、宙乗りになってしまってちと残念でした。また四幕目は、ひとり十役にこだわるあまり、詮議のドラマチックな面白さが散漫になってしまったような気がします。
 最後に大喜利つき。役者たちが座布団を取ったり墨を塗ったりするのかと思っていたら、幕が開いたらいきなり道成寺。でも場面は長谷寺だそうです。最後は海老蔵の渾身の押戻しですが、歌舞伎座のお父さんとの、押戻し競演の趣向がおもしろかったです。

 ところで「黒塚」に登場する「阿闍梨祐慶」(あじゃりゆうけい)は熊野(那智?)の東光坊の山伏とのこと。昨年秋に熊野を旅したぽん太は、興味が湧いてきます。
 まず「阿闍梨祐慶」でググってみると、「黒塚」に関するもの以外には、『平家物語』の巻第二「一行阿闍梨之沙汰」(いちぎょうあじゃりのさた)に出て来るようです。朝廷は、天台座主明雲大僧正を流罪に処しますが、怒った大衆は、明雲を力づくで取り戻します。しかし人々は、ひとたび流罪ととなった人物を座主とすることをためらいます。ここで荒法師の祐慶が演説をし、人々を納得させるのです……が、これは「黒塚」の阿闍梨祐慶とは違います。
 そもそも「阿闍梨」というのは、 Wikipediaにも書いてあるように、もともとは弟子たちを指導する立場の僧のことであり、のちには僧一般の呼び名として使われました。もとはサンスクリット語の「アーチャリー」で、 あるひとの三女のホーリーネームとしても有名ですね。
 もととなる謡曲「黒塚」では「これは那智の東光坊の阿闍梨、祐慶とはわが事なり」となっていて(『新編日本古典文学全集 (59) 謡曲集 (2)』小学館、1998年)、解説によると、「那智」は熊野那智大社、「東光坊」は僧坊の名、「祐慶」が誰だかは不詳だそうです。 熊野那智大社のホームページには、「東光坊」や「祐慶」については書かれていません。
 埼玉県大宮市には「東光寺」なるお寺があって( 公式サイト)、由緒沿革に「寺伝によると、もと大宮黒塚にあり、平安末期(約八百年前)武蔵坊弁慶の師匠、山城国京都鞍馬寺の東光坊阿闍梨宥慶法印が黒塚の鬼婆々を法力をもって退散させ、鬼婆々に殺された人々を葬る為に、この地に庵を結び天台宗寺院として開創されたのに始まる」と書いてありますが、真偽のほどは不明です。
 安達ヶ原は福島県の二本松にあるようで、一角にある 観世寺には、鬼婆の住家であった岩屋や、出刃包丁を洗った血の池、鬼婆の墓「黒塚」などがあるそうです。あれれ、ここは以前に二度もお蕎麦をいただいた 安達ヶ原ふるさと村の近くじゃないか。見過ごしてました。こんど行ってみようっと。ちなみに安達ヶ原ふるさと村のレストランのお蕎麦は、観光地の食堂風の建物ですが、とてもおいしいです。


初春花形歌舞伎
平成22年1月 新橋演舞場

昼の部
一、寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)
            曽我五郎  獅 童
            曽我十郎  笑 也
           小林朝比奈  猿 弥
          鬼王新左衛門  寿 猿
           化粧坂少将  春 猿
            大磯の虎  笑三郎
            工藤祐経  右 近

二、猿翁十種の内 黒塚(くろづか)
     老女岩手実は安達原鬼女  右 近
           強力太郎吾  猿 弥
           山伏大和坊  猿三郎
           山伏讃岐坊  弘太郎
           阿闍梨祐慶  門之助

三、新歌舞伎十八番の内 春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)
      小姓弥生後に獅子の精  海老蔵
           老女飛鳥井  右之助
             局吉野  歌 江
         用人関口十太夫  市 蔵
        家老渋井五左衛門  家 橘

夜の部
  慙紅葉汗顔見勢(はじもみじあせのかおみせ)
  猿之助十八番の内 伊達の十役(だてのじゅうやく)
  市川海老蔵十役早替り宙乗り相勤め申し候

  発 端     稲村ヶ崎の場
  序 幕 第一場 鎌倉花水橋の場
      第二場 大磯廓三浦屋の場
      第三場 三浦屋奥座敷の場
  二幕目     滑川宝蔵寺土橋堤の場
  三幕目 第一場 足利家奥殿の場
      第二場 同床下の場
  四幕目 第一場 山名館奥書院の場
      第二場 問註所門前の場
      第三場 問註所白洲の場
  大喜利 「垂帽子不器用娘(ひらりぼうしざいしょのふつつか)」

              口上  
     仁木弾正/絹川与右衛門
       赤松満祐/足利頼兼
      土手の道哲/高尾太夫  海老蔵
        腰元累/乳人政岡
     荒獅子男之助/細川勝元

          渡辺民部之助  獅 童
         八汐/祐念上人  右 近
             京潟姫  笑 也
     三浦屋女房松代/栄御前  笑三郎
      山中鹿之助/むてき坊  弘太郎
            山名持豊  寿 猿
              松島  春 猿
       大江鬼貫/ひっち坊  猿 弥
         渡辺外記左衛門  市 蔵
             沖の井  門之助

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2010/01/25

【紅葉の和歌山旅行(5)】龍神温泉「上御殿」・牛馬童子・熊野本宮大社・熊野古道中辺路(水呑王子〜熊野本宮大社)

Pb030138 梵恩舎のランチで癒されたぽん太とにゃん子は、高野龍神スカイラインを南下し、龍神温泉の「上御殿」に宿を取りました。こちらが上御殿の公式サイトです。
Pb030136 明暦3年(1657年)に創建された歴史ある老舗旅館で、国の有形登録文化財に指定された旅籠風の木造建築が見事です。龍神温泉には、ぽん太とにゃん子がよくお世話になる日本秘湯を守る会の会員の下御殿という宿もあるのですが、残念ながらこちらは建物を新しく建て替えてしまったようで、古い建物に泊まるのが好きなぽん太とにゃん子は、今回は上御殿を選びました。
Pb030140 さらに奮発して、江戸時代に徳川頼宣公が湯治の際に利用したという「御成りの間」を指定。徳川頼宣(慶長7年(1602年)〜寛文11年(1671年))は、八代将軍徳川吉宗の祖父にあたり、紀州徳川家の祖として有名です。とはいえぽん太とにゃん子が泊まった部屋は、頼宣公が泊まった部屋そのものではありません。火事で焼失した建物を明治18年に再建したとき、御成りの間を以前そのままに復元したのだそうです。またここは、有吉佐和子の『日高川』に出てくる大黒屋という旅館のモデルなんだそうです。
Pb030142 貸し切りの露天風呂です。川に面していて開放感があります。紅葉が見事でした。龍神温泉は、日本三美人の湯のひとつとされ、お肌がすべすべになります。日本三美人の湯のあとの二つは、群馬の川中温泉と島根の湯の川温泉だそうです。川中温泉には以前に泊まったことがあるので、そのうち湯の川温泉も制覇したいところです。
Pb030148 こちらは男女別の内湯です。真新しい木造の浴室です。
Pb030151 夕食も豪華でおいしいです。がはは、お殿様になった気分じゃ。昨日の精進料理もよかったですが、これもまたよし。余は満足じゃぞ。
Pb040153 朝食です。品数は多いですが、とてもヘルシーです。

Pb040158 一夜明けて本日は、熊野本宮大社を目指します。まずは箸折峠の牛馬童子をみちくさです。牛と馬の上にちょこんと腰掛けた姿は、雅やかな雰囲気があります。
 この像は、花山法皇の熊野御幸のときの旅姿を刻んだものと言われています。神坂次郎の『藤原定家の熊野御幸』(角川ソフィア文庫、角川書店、2006年)によれば、 花山法皇は、わずか17歳(永観2年、984年)で即位して花山天皇となりますが、わずか1年10ヶ月後に退位して上皇となります。一説によると右大臣藤原兼家が陰謀を巡らし、愛する女御の死を悲しむ花山天皇の悲しみに付け入って、出家をそそのかしたといいます。まんまと天皇を退位させた兼家は、すかさず孫の懐仁(やすひと)親王を天皇に即位させました(一条天皇)。悲劇のひと花山法皇の熊野御幸(992年)はわびしい旅だったそうです。そういえば牛馬童子は、どことなく悲しげな顔をしてますね。
 2008年6月にどこかの罰当たりが牛馬童子の頭を壊したのですが、同年10月に無事修復されたそうです。
Pb040166 熊野本宮大社に車を停め、バスかタクシーで発心門王子までゆき、熊野古道を歩いて熊野本宮大社まで戻る予定だったのですが、バスは適当な便がなく、タクシーも見当たらず。仕方なく、まず本宮大社に参拝し、その後熊野古道を時間の許す範囲で行って来いしてくることにしました。本宮から熊野古道を逆行する人は少ないらしく、途中あちこちの茶屋でどうしたのか声をかけられました。こちらが 熊野本宮大社の公式サイトです。
 さて熊野本宮ですが、神社にはよくあることですが、超有名な神社でありながら、とても質素で小規模であっけないです。もっとも元来は、熊野川の中州に社殿があったそうで、1889年(明治22年)の洪水で流されてしまったため、現在の山の上の場所に移ったのだそうです。
Pb040178 本宮の裏手から熊野古道を行くと、すぐにあるのがこの祓殿王子跡(はらいどおうじあと)です。案内板によると、「建仁元年(1201年)に、和歌の講師として熊野御幸に供奉した貴族・藤原定家(1162〜1241)は、この王子近くの地蔵堂で後鳥羽上皇の一行を待ち、本宮の神前に向かった」のだそうです。歌人と上皇がここで待ち合わせをしたとは。う〜ん、なんともスケールの大きい歴史ロマンですね。
 しかし、帰宅してから調べてみると、そんな優雅な話しではなかったような。この話しは、藤原定家の日記『明月記』が出典ですが、『明月記』のうち、後鳥羽上皇の熊野御幸に同伴した部分は、『熊野御幸記』などと呼ばれています。『明月記』は漢文で書かれているそうで、ちょっと原文にあたる元気はでませんが、上にも引用した神坂次郎の『藤原定家の熊野御幸』が読みやすくておもしろいです。それによれば、歌人として有名な藤原定家は、実は官位の低い二流貴族で(ぽん太はちっとも知りませんでした!)、上皇の先回りをして、先々での儀式や食事や宿舎の手配をするのが主な役目だったのだそうです。疲れきって寝ようとしても、与えられる宿舎は、にわか造りの小さな小屋で、床板もありません。熊野御幸が行われたのは旧暦の10月ですから、定家は寒さに震えながら夜を明かすことがたびたびでした。この仮屋すらも公卿の家人に占拠されて追い出されたこともありました。40歳近い定家はすっかり体調を崩し、咳が止まらず腹痛に苦しみながら、職務を続けました。それでも夜には上皇の開く歌会に何度も呼び出され、歌を詠まなくてはなりませんでした。疲れから思わず寝過ごしてしまったり、正装すべきところにうっかり普段着で行ってしまうなどという失態もあったそうです。
Pb040171 こちらは伏拝王子跡(ふしおがみおうじあと)です。ここの案内板には、「熊野本宮を目前にしてにわかに月の障りとなり、参拝を断念しようとした女流歌人・和泉式部を、熊野権現が快く受け入れたという伝説がある」と書いてありました。ググってみると、『風雅和歌集』にこの伝説に関する和歌が収められているようですが、ちょっと簡単にはぽん太の手に入りません。こちらの 和泉式部:熊野の歌というサイトを見てみると、

もとよりも塵にまじはる神なれば月の障も何かくるしき

是は和泉式部熊野へまうでたりけるにさはりにて奉幣かなはざりけるに「晴やらぬ身のうき雲のたなびきて月の障りとなるがかなしき」とよみてねたりける夜の夢につげさせ給ひけるとなむ
(巻第十九 神祇歌 2109・新2099)
と書かれているようです。つまり、『風雅和歌集』に採用されたのは、和泉式部の歌の方ではなく、熊野の神様が夢のなかで告げた歌の方なわけです。『風雅和歌集』は貞和二年(1346年)頃に編纂されたものであり、また和泉式部は天元元年(978年)頃に生まれて死んだ年は不明ですから、300年以上前の歌を取り上げたことになります。14世紀には、この伝説はすでに有名になっていたと考えていいのでしょうか?

 ところで王子とは、もともとは本社の子供の神で、熊野権現の末社の意味があるのですが、熊野詣でをするひとの遥拝所や宿泊所として機能しておりました。東京の北区に王子という地名がありますが、中世に紀州熊野三所若一王子(現在の王子神社)を勧請したことから、王子という地名がついたのだそうです。ちなみに八王子の方は牛頭天王(ごずてんのう)の8人の王子に由来し(「八王子市の名前の由来」八王子市の公式サイト)、熊野信仰とは関係ありません。

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2010/01/22

【歌舞伎】芝翫・富十郎が初役の「車引」 2010年1月歌舞伎座夜の部

 今月の歌舞伎座夜の部はなかなか充実しており、今回は体調もよく、大満足でした。
 まずは『春の寿』。なんといっても雀右衛門が休演となったのが残念でした。初めてみる演目ですが、雀右衛門のために創られたもののようです。初春らしい雅やかな舞で、梅玉が適役なのはもちろんのこと、福助もきれいで美しかったです。
 続く「車引」は、なんと芝翫の桜丸と富十郎の時平が初役とのこと。芝翫なんか若い頃何度もやってそうですが、こんなこともあるんですね〜。なんか恐ろしいことになるのではないかと不安でしたが、小さくてきれいで可愛らしく見えたのは、3階から見てたせいでしょうか?吉右衛門の梅王丸は、大きくて力強かったです。荒事もいいですね。藤原時平は、普通は妖怪みたいな姿で、口を開けてまっかな舌を見せたりするのですが、富十郎は隈取りもなく、あくまでも時平の威厳でもって威圧するという設定。始めてみたパターンですが、富十郎の貫禄あらばこその演出で、富十郎の曇りのない朗々としたキャラに合っている気がしました。
 「道成寺」は、道行きから押戻しまで付いたノーカット完全版。ぽん太は 先日道成寺を訪れたばかりなので、新たな気持ちで観ることができました。勘三郎の白拍子花子は、鐘を狙う恐ろしさと気魄には少し欠けましたが、やわからで可愛らしくて美人ですばらしかったです。最後は團十郎の押戻しで、豪快に終わります。同時に息子の海老蔵が、新橋演舞場の花形歌舞伎で同じ押戻しをやってますが、面白い趣向ですね。
 最後は染五郎の「切られ与三」。染五郎、色気とやわらかさが出て、いい二枚目になってきました。かっこよかったです。福助のお富も、また変な地声を入れないかとびくびくして見てましたが、錦吾の番頭藤八におしろいを塗る場面で、小声で「洗顔が大切よ」とか言った程度で、芸者としての色っぽさとともに、身投げをする一途な雰囲気もあり、よかったです。


歌舞伎座さよなら公演
壽初春大歌舞伎
平成22年1月 歌舞伎座 夜の部

一、春の寿(はるのことぶき)
                  梅 玉
                  福 助
                  雀右衛門

二、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
  車引
              桜丸  芝 翫
             梅王丸  吉右衛門
             杉王丸  錦之助
           金棒引藤内  錦 吾
             松王丸  幸四郎
            藤原時平  富十郎

三、京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)
  道行より押戻しまで

           白拍子花子  勘三郎
              所化  高麗蔵
               同  松 江
               同  種太郎
               同  新 悟
               同  種之助
               同  宗之助
          大館左馬五郎  團十郎

四、与話情浮名横櫛(よわなさけうきなよこぐし)
  木更津海岸見染の場
  源氏店妾宅の場
          切られ与三郎  染五郎
              お富  福 助
           鳶頭金五郎  錦之助
            番頭藤八  錦 吾
             蝙蝠安  彌十郎
         和泉屋多左衛門  歌 六

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2010/01/21

【歌舞伎】團十郎の弁慶を初めてみる 2010年1月歌舞伎座昼の部

 体調が悪かったのと、年が明けてからあったちょっとした事件の心労で、睡魔に襲われ続けてあまり集中できませんでした。席が3階東袖で、舞台上手側が見えなかったせいもあったかも。
 初めてみる『春調娘七種』は、曽我兄弟と静御前という異色の組み合わせの舞踊でした。曽我兄弟の宿敵である工藤祐経は源頼朝の家臣、静御前は源義経の最愛の人ですから、ともに頼朝の敵ということで、敵の敵は味方なのでしょうか?橋之助の曽我五郎は若々しくてりりしかったです。福助の静御前も不気味にならずにきれいでした。染五郎は上手で踊っていたのであまり見えませんでしたが、色気が出て来てすばらしい二枚目になってきた気がします。
 『梶原平三誉石切』は、幸四郎が熱演、東蔵の六郎太夫がよかった気がしますが、あまり意識がありませんでした。
 ぽん太は、團十郎の『勧進帳』を見るのは初めてでした。團十郎といえば荒事の代表選手ですから、力強くパワフルに演じるのかと思っていたら、以外と一つひとつの台詞や動きを、丁寧に演じている印象がありました。例えば問答のところも、幸四郎のように何を言ってるのかわからないけど、とにかく対決の緊迫感が盛り上がるというものでもなく、また仁左衛門のようにやりとりを心理的に表現していくというものでもなく、きっちり丁寧に台詞を言い、迫力で押し通すことはしませんでした。関所をなんとか突破して、判官御手あたりの虚脱感、寂寥感はすばらしかったです。
 梅玉の富樫も悪くなかったです。勘三郎の判官御手は、席が遠すぎてよく見えず。
 ちょっと前にNHKで團十郎が『勧進帳』の解説をする番組をやっていて、ぽん太はちょっとだけ見たのですが、面白かったです。斬り掛かろうとする四天王を棒で押しとどめるシーンで、棒を両手とも下からつかんでいる場合はじっと我慢をする気持ちで、片手を上からつかんでいる場合は、場合によっては攻撃に転じようとしている気持ちなのだそうです。團十郎は、ここはとにかく我慢するところなので、両手とも下から持つと言っておりましたが、実際そのとおりに演じておりました。
 また『勧進帳』では、「富樫はどの時点で、義経一行であることを見抜いたか」というのが大きな問題なのですが、團十郎は、富樫ほどの武士なら、最初に会った瞬間に、単なる山伏の一向でないことは見抜いていたはずだと言っておりました。見抜いた上で、しっぽを出させようとするけれどもうまくいかず、結局は自分の命を犠牲にして関を通すことにする。ところが手下が「義経に似た人がいます」というので、関を通させたい気持ちではあるけれど、立場上手下の注進を無視するわけにもいかず、もう一度詮議するという気持ちだそうです。でも、ぽん太はこの部分に関しては、実際の舞台からは、あまり感じ取れませんでした。
 『松浦の太鼓』も初めてでした。吉右衛門が、わがままで子供っぽいけど、ひとが良くてかわいらしく、おおらかな松浦鎮信を好演しておりました。吉右衛門はこのタイプの人物はうまいですね。

 今回の観劇をきっかけに『勧進帳』を読み返して、気づいた点を二つほど。皆様にとっては常識なのかもしれませんが。
 一つ目は、季節の設定が春だということ。歌舞伎の『勧進帳』は、能を模して、松の木の描かれた羽目板の前で演じられるので、これまで季節を考えたことはありませんでした。「時しも頃は如月の、如月の十日の夜、月の都を立ち出でて」とか、「知るも知らぬも、逢坂の山隠す霞ぞ春はゆかしける」といった言葉が見受けられます。
 もうひとつは、安宅の関が、義経一行を召し捕るために新しく作られた関であるということ。富樫の名乗りで、「判官どの主従、作り山伏となって、陸奥へ下向のよし、鎌倉殿聞し召し及ばれ、国々に斯くの如く新関を立て、山伏を堅く詮議せよとの厳命によって、それがし、此の関を守る」と言っております。ぽん太は 以前の記事に書いたように、安宅の関を訪れたことがあります。てっきりここには、交通の要所として古くから関があったのかと思っていました。ところがこの関は、義経取締のために新たに作った検問所であるというのが、『勧進帳』の設定のようです。歴史的には、 Wikipediaによれば、安宅に本当に関があったかどうかも疑問視されているようですね。


歌舞伎座さよなら公演
壽初春大歌舞伎
平成22年1月 歌舞伎座 昼の部

一、春調娘七種(はるのしらべむすめななくさ)
            曽我五郎  橋之助
            曽我十郎  染五郎
             静御前  福 助

二、梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)
  鶴ヶ岡八幡社頭の場
          梶原平三景時  幸四郎
               梢  魁 春
          俣野五郎景久  歌 昇
          大名山口政信  由次郎
          大名川島近重  種太郎
          大名森村宗連  宗之助
            剣菱呑助  秀 調
            六郎太夫  東 蔵
          大庭三郎景親  左團次

三、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
           武蔵坊弁慶  團十郎
             源義経  勘三郎
            亀井六郎  友右衛門
            片岡八郎  高麗蔵
            駿河次郎  松 江
           常陸坊海尊  桂 三
           太刀持音若  玉太郎
           富樫左衛門  梅 玉

四、秀山十種の内 松浦の太鼓 (まつうらのたいこ)
            松浦鎮信  吉右衛門
              其角  歌 六
           鵜飼左司馬  由次郎
          渕部市右衛門  松 江
            早瀬近吾  吉之助
           里見幾之亟  種太郎
           江川文太夫  桂 三
              お縫  芝 雀
            大高源吾  梅 玉

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2010/01/20

【歌舞伎】勘太郎と歌女之丞が涙を誘う「袖萩祭文」 2010年1月浅草公会堂

 新春恒例の浅草歌舞伎。ぽん太とにゃん子は2,000円とお得な3階席で見物。まずは男女蔵のお年玉ご挨拶。3階最前列のおばさ、いや、おくさま方が思いっきり身を乗り出して御観劇。指導に入った職員に「全然見えないわよ。見えなくていいって言うの」などと食って掛かり、まわりから「し〜っ」と注意されるという、新春らしい華やいだ雰囲気で幕開けです。観客一同声を揃えて「おめちゃん、おめちゃん」コール。
 最初の演目は『正札附根元草摺』。正月らしく曽我物の舞踊で、亀治郎、勘太郎とも若々しくてよかったです。この舞踊は昨年の6月に歌舞伎座で観ましたが、その時は曽我五郎と舞鶴の踊りでした。いろいろなバージョンがあるのでしょうか?
 おつぎは、理屈っぽくてぽん太は嫌いな『元禄忠臣蔵』の「御浜御殿」。愛之助の綱豊卿は仁左衛門そっくりですが、まだまだ大きさと、ちょっとした仕草に宿る表現力は足りません。亀治郎の富森助右衛門はきびきびした感じはいいですが、目の周りの縁取りがくっきりしすぎて変。亀治郎の芝居が強すぎるのか、愛之助が柔らかすぎるのか、ちょっとバランスを欠く感じがしました。やはり綱豊卿が一回り大きくないと、芝居全体が生きて来ません。それから愛之助ファンのおばさ、いや奥様、女だてらに大向こうは止めてほしいです。しかも間が悪い。綱豊卿が「わりゃ俺に、憎い口をききおったぞ」と助右衛門を睨みつけておいて、次に「わははは」と大らかに笑う間の、緊迫した瞬間での大向こうはないでしょう。また、吉良上野介が能装束で現れたと皆が思っているところでいきなり「松嶋屋!」では、ネタバレでしょう(ホントはみんな知ってるけどね)。
 『将門』は、七之助が後半おどろおどろしくなるのかと思ったら、それほどでもありませんでした。巨大なガマがかわいかったです。

 続けて第二部に突入。お年玉ご挨拶は亀治郎でしたが、次に演じられる『奥州安達原』の複雑な筋の解説がメインでした。
 その「袖萩祭文」は初めて観る演目でしたが、老夫婦が、瞽女となった娘や孫をかわいやと思いながらも、武家の面目から気持ちをストレートに出せずに冷たく接したりするという、歌舞伎の本道をいく名作でした。勘太郎の袖萩が哀れで、涙を誘いました。孫娘(筋書きを買わなかったので誰だか不明)がとても可愛らしく、演技も上手でした。その他の登場人物もみなよかったですが、若手中心のため、ともすればお稽古のおさらいのような雰囲気になりそうなところ、母親はまゆう役の歌女之丞が、芝居に風格と歌舞伎らしさを与えて好演でした。
 『悪太郎』は狂言を歌舞伎化して膨らました演目。歌舞伎では初めてでしたが、狂言では野村萬斎の悪太郎役で観たことがあります。亀治郎の酔っぱらいぶりが、身につまされてよかったです。
 

新春浅草歌舞伎
平成22年1月・浅草公会堂

第1部

お年玉〈年始ご挨拶〉
                  市川男女蔵

一、正札附根元草摺(しょうふだつきこんげんくさずり)
            曽我五郎  市川亀治郎
           小林朝比奈  中村勘太郎

二、元禄忠臣蔵(げんろくちゅうしんぐら)
  御浜御殿綱豊卿
           徳川綱豊卿  片岡愛之助
           中臈お喜世  中村七之助
            祐筆江島  中村亀 鶴
           新井勘解由  市川男女蔵
          富森助右衛門  市川亀治郎

三、忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの)
  将 門

      傾城如月実は滝夜叉姫  中村七之助
          大宅太郎光圀  中村勘太郎

第2部

お年玉〈年始ご挨拶〉
                  市川亀治郎

一、奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)
  袖萩祭文
         袖萩/安倍貞任  中村勘太郎
          八幡太郎義家  中村七之助
           平傔仗直方  市川男女蔵
            安倍宗任  片岡愛之助

二、猿翁十種の内 悪太郎(あくたろう)
             悪太郎  市川亀治郎
             智蓮坊  中村亀 鶴
            太郎冠者  市川男女蔵
           安木松之丞  片岡愛之助

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2010/01/19

【バレエの原作を読む(6)】シチェドリン「イワンと仔馬」←エルショーフ『せむしの小馬』

 昨年末にマリインスキー・バレエで観たシチェドリンの「イワンと仔馬」の原作、エルショーフの『せむしの小馬』を読んでみました。ぽん太の手に入ったのは、『せむしの小馬』(網野菊訳、岩波少年文庫、昭和32年)です。原作と同様に、詩のような形式になっているところが魅力です。あらすじはだいたいバレエと変わらないので、めんどくさいから改めて書くことはいたしません。
 エルショーフ(Pyotr Pavlovich Yershov , Пётр Павлович Ершов)については、英語のWikipediaの自動翻訳を参照してください。1815年3月6日(ユリウス暦2月22日)に生まれ、1869年8月30日(ユリウス暦8月18日)に死去したロシアの詩人。1834年、サンクトベテルブルク大学在学中に発表した『せむしの仔馬』は瞬く間に評判となりプーシキンも絶賛したとのこと。ホントはプーシキンの作ではないかという噂が飛び交ったというエピソードは、以前にも書きました。
 『せむしの仔馬』は、皇帝や官僚をおちょくっているということで、19世紀中頃に20年間以上検閲の対象となり、1856年まで全編が公開されなかったそうです。しかし実際に読んでみると、普通の童話に出てくる滑稽な王様といった感じで、「えっ、この程度で検閲?」という気がします。邦訳が岩波「少年」文庫なので、毒がある部分を省略しているのでしょうか?同じ時期の1849年にドストエフスキーは、空想科学主義者ペトラシュフスキーが主宰するサークルで、反政府的な内容の手紙を朗読したかどで逮捕され、死刑判決を受けます。光文社古典新訳文庫の『カラマーゾフの兄弟3』(2007年)巻末の亀山郁夫の「読書ガイド」によれば、ロシアでは1753年に既に死刑が原則廃止され、死刑が適用されたのは皇帝一族に対する殺害ないし殺人未遂だったそうですから、反政府的な手紙を朗読しただけで死刑というのは法外に重い判決でした(のちにシベリア流刑に減刑されたわけですが)。亀山は「巨大な独裁国家を築き上げていた帝政ロシアで皇帝に背くという行為は、それだけの重さを持っていたと考えていい」と書いています。反政府的な手紙を朗読しただけで死刑だとしたら、『せむしの仔馬』程度でも十分検閲に値したのかもしれません。
 無料の雑誌「Danza第25号」(2009年12月、2010年1月)(東京MDE)(こちらで読むことができます)に、昨年のマリインスキー・バレエ日本公演でイワンを踊ったレオニード・サラファーノフのインタビューが出てますが、そこでサラファーノフは『イワンと仔馬』について、「トルストイの『イワンのばか』を元にしているこの作品」と述べています。まちごーとるやん。トルストイが「イワンのばか」として有名な『イワンのばかとそのふたりの兄弟』を書き上げたのは1885年であり、内容も、イワンを悪魔が苦しめようとあれこれ手を尽くすが結局は王様になる、というもので、「イワンと仔馬」とは全然違います。ロシア人が、しかもその役を踊っている人が、間違えていいんかい。インタビューの訳が違うのかもしれませんが。
 愚かな人が得をするというこのイワンの物語は、ロシア人にとっては単なるおとぎ話ではなく、ロシア的人間の典型、あるいは理想でさえあるのだそうです。それはロシア人の大きさ、正直さ、素朴さの象徴であり、時の権力者に迎合して小賢しく立ち回り目先の利益を求める人々に対する批判でもありましょう。
 ところで、アメリカ映画『フォレスト・ガンプ 一期一会』(ロバート・ゼメキス監督、1994年)も、「イワンのばか」と同じ系統の物語と考えていいのでしょうか?IQの低い主人公が大成功を納めるという点では似ているようにも思えますが、イワンが世俗的な利益や名誉を顧みず、黙々と自然を相手に労働をするのに対し、ガンプは社会の要請に無条件に従い、社会的な名声を高めます。イワンの結末は、王様になるということですが、これは現実に王位を得るということではなく、法外な幸福を得ることの比喩的表現だと思われます。一方ガンプは最終的には、子供を育てるという小市民的な幸せに人生の価値を見いだします。してみると『フォレスト・ガンプ』と「イワンのばか」は、一見似ているものの、根本的に異なる物語だと言えましょう。ジジェクは『仮想化しきれない残余』(松浦俊輔訳、青土社、1997年)(をゝ、アマゾンの古書で33,600円!ぽん太が持っているJALの株より高いがな!売って生活費の足しにしようかしら)で、この映画に言及しています。ジジェクは『フォレスト・ガンプ』を冷笑的イデオロギーと結びつけています。イデオロギーがうまく機能するためには、人々が白痴であるということが必要である。この「イデオロギーの秘密」は以前は隠されていたが、今日の冷笑的時代にはその秘密は明らかであり、しかも明らかとなりながらイデオロギーは今まで通り十全に機能している、とジジェクは言います。この高邁な思想はぽん太の狸脳で理解できるところではありませんが、例えていえば、「民主党が社会を変えてくれてるとは誰も思っていない。しかしわれわれは白痴のようにそれを信じてる振りをして、民主党を支持する。その結果、民主党政権が機能する」といったところでしょうか。

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2010/01/13

【ダンス】他分野がコラボしきれずちと残念・首藤康之×中村恩恵「時の庭」

 首藤が踊るというので、横浜まで出かけて来ました。まずは中華街で腹ごしらえをしたのち、神奈川県民ホールへ。今回の会場はギャラリーです。なんでも、同時期に開催されている「日常/場違い」展に出品されている佐藤恵子の美術作品『変容』のなかで(公式サイトはこちら。作品の動画もあります)、首藤らがダンスを踊るという企画だそうな。
 佐藤恵子の作品は、三つの部分からなるインスタレーションで、主に踊りの舞台となったのは、いくつもの切り株から天井に向かって筒状に糸が張られたものが立ち並ぶ空間でした。木の幹のようでもあり、また木漏れ日のようでもあり、森のなかのような詩情が感じられます。切り株の周りの枯葉あるいはキノコと見えるものは、近づいてみるとトランジスタなどの素子です。すると交錯する糸は情報回線のようにも見えて来て、それぞれが遥か彼方へと結ばれながら、互いにつながることがない切株たちが、現代人の情報社会のなかの孤独を表しているようにも思えてきます。
 で、肝心のダンスの方ですが、ぽん太はちと不満でした。せっかくアート作品のなかで踊っているのに、踊りと作品が関係し合っているように見えませんでした。確かに切株のあいだを歩き回ったりはしたのですが、ダンスとアートが芸術というレベルで相互作用を行っているように思えません。ちょっとおもしろかったのは、切株から貼られた糸の間に、首藤が首を突っ込むシーン。でもそれもひとつの思いつきで終わってしまい、ダンス全体のなかに位置づけられてない気がします。鋭く力の入った動きが多く、柔らかで静かな部分がみられませんでした。踊り手同士がもごもごと絡みあう振付けが多かったのですが、ダイナミックなジャ〜ンプとかも見たかったです。複数のダンサーが入れ替わりながら支え合う振付けも、以前に見たラッセル・マリファントや、マイムの小野寺修二の方がおもしろかったです。中村恩恵がお盆に水差しと洗面器を載せて出て来て、青木尚哉の上半身を裸にし、水で拭うという部分がありました。これは母性を感じさせるエロティックな場面でしたが、それを小道具ではなくてダンスで表現してほしかったです。
 音楽のディルク・ハウブリッヒ(Dirk Haublich)は、キリアンを初めとして多くのダンス音楽を提供しているようですが、今回のは抽象的に音(おん)を配置したような一昔前のドイツ現代音楽みたいな曲で、これまた振付けと相互作用している感じがなく、背景の環境音楽みたいに聴こえてしまいました。音楽が、会場のいろいろな方向から聴こえてくるのはおもしろかったです。途中で朗読される詩は、エミリー・ディキンソン(Emily Dickinson)だそうです。無学なぽん太は初めて聞いた名前です。残念ながら、朗読の言葉がはっきり聞き取れず、詩とダンスがどのように関連しているかもよくわかりませんでした。
 全体として、美術、音楽、詩、ダンスのインタラクションがいまひとつ感じられず、また「運動」はあっても「情動」に欠ける気がしました。首藤らが「時」をどう理解し、バレエでどう表現しようとしたのかがわかりませんでした(ぽん太の理解力不足のためか?)。首藤の踊りを間近で観れたのはよかったですが……。ということで、ちと不満。でも、試みとしてはおもしろいと思うので、今後も回を重ねていって欲しい気がします。


アート・コンプレックス2009
首藤康之×中村恩恵「時の庭」<世界初演>
2010年1月10日・神奈川県民ホールギャラリー

振付:中村恩恵 美術:佐藤恵子
出演:中村恩恵 首藤康之 青木尚哉
美術:佐藤恵子
音楽:ディルク・ハウブリッヒ

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2010/01/09

【紅葉の和歌山旅行(4)】高野山の紅葉・宿坊恵光院・梵恩舎(ぼんおんしゃ)

Pb030090 たま駅長の表敬訪問を終えたぽん太とにゃん子は、高野山の宿坊に宿を取りました。お世話になったのは恵光院(えこういん)です。朝には本堂でのお務めのあと、護摩堂での護摩供養も見学できます。希望者は写経や阿字観(座禅)も体験できるそうですが、今回は時間がなかったので割愛いたしました。
Pb020082Pb030096 こちらがいわゆる「精進料理」です。日頃温泉旅館で飽食しているぽん太には、ちと物足りない気もしますが、味付けはとてもおいしく、かえって食べることのありがたさを痛感できました。もちろん「般若湯」の注文もできます。
Pb030097 写真が恵光院の建物です。もちろん純和風で、広々としております。当日はドイツ人の団体さんが泊まっており、浴衣やお膳での食事など、興味津々のようでした。風呂に入っていたら、何人もの人が偵察にやって来ました。場所は奥の院の入り口近くです。
Pb030104 高野山はちょうど紅葉の見頃でした。
Pb030108 壇上伽藍の藁葺き屋根の苔が日の光に輝いてきれいでした。
Pb030115 金剛峰寺の山門です。もっとも空海の時代には、「金剛峰寺」は高野山全体を意味していました。現在「金剛峰寺」と呼ばれているのは、文禄2年(1593年)に豊臣秀吉が亡母を弔うために建立したもので、文久3年(1863年)に再建された建物が現在まで残っております(金剛峰寺の公式サイトより)。
Pb030123 徳川家霊台から道に戻って来たところの向かい側に、真言宗の高野山には珍しい、南無妙法蓮華経の文字を発見。場所は寂静院の入り口あたり(地図はこちら)だと思います。「日蓮上人遊學之遺跡」と書かれています。Wikipediaには、「1240年(仁治元年)に比叡山へ遊学。また高野山でも勉学に勤しむ」と書いてあります。次の項目は1253年(建長5年)の清澄寺における立教開宗となっており、この間13年ありますが、この遊学時代に一時期高野山で学んだと思われます。
Pb030236Pb030237 探し方が悪かったのかもしれませんが、高野山には昼食向きの感じのいい店が見当たりませんでした。そんななかでこの梵恩舎(ぼんおんしゃ)は、日本人のご主人とフランス人の奥さんが営む癒し系のカフェで、おいしいベジタリアンのランチがいただけます。古民家を改造したというインテリアも落ち着きます。

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2010/01/08

【紅葉の和歌山旅行(3)】道成寺・猫のたま駅長

Pb020063 白浜のアドベンチャーワールドで動物たちに癒されたぽん太とにゃん子は、再び車で北上。途中「道成寺」に立ち寄りました。写真は重要文化財の本堂です。そしてこちらが道成寺の公式サイト
 道成寺といえば、歌舞伎や能でおなじみですね。例えば歌舞伎の『京鹿子娘道成寺』についてはこちらをどうぞ(動画もあります)。その元になっているのが安珍清姫の物語ですが、あらすじを知りたい方はたとえばこちらをどうぞ。比べてわかるように、『京鹿子娘道成寺』は安珍清姫の物語そのものではなく、その後日談にあたり、清姫が焼き落とした鐘を再建した際に、清姫の霊が再び鐘を狙って現れるという設定です。
Pb020067 写真は道成寺の「安珍塚」。安珍と釣鐘を葬った場所だそうです。
 安珍清姫の物語の原型は、11世紀の『法華験記』に見られ、また『今昔物語』にもこの話しが書かれているそうです。このあたりの事情はWikipediaが詳しい。それによれば、「安珍」という名が初めて使われるようになったのは鎌倉時代の『元亨釈書』で、清姫という名は寛保2年(1742年)に初演された操浄瑠璃「道成寺現在蛇鱗」で初めて使われたそうです。
 ちなみに清姫の出身地と言われる和歌山県田辺市の真砂(まなご)には、清姫の墓などの史跡があるそうです。また京都の妙満寺には、道成寺の釣鐘が現在も安置されているそうです。清姫が焼き落とした方ではなく、『京鹿子娘道成寺』で清姫の霊が取り憑いた方ですね。

Pb020078 さて、道成寺を観たあとはさらに北上し、和歌山電鐵貴志駅を訪れました。そう、言わずと知れた「たま駅長」に会うためです。ちなみにぽん太が会津鉄道のネコ駅長「ばす」に面会した時の記事はこちらです。
Pb020070 残念ながら勤務時間は終了しており、駅長室で休息中でした。何と今年になって和歌山電鐵の執行役員に就任されたようです。
 なお、貴志駅には駐車場がないのでご注意を。

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2010/01/07

【紅葉の和歌山旅行(2)】白浜アドベンチャワールドのホッキョクマとペンギンの赤ちゃん・寿司「福重」・円月島・千畳敷・三段壁

 翌日は、一路南紀白浜へ。お目当ては、アドベンチャーワルドで公開されているという、シロクマとベンギンの赤ちゃんです。こちらがアドベンチャーワールドの公式サイトです。Pb020013 入場すると、まっすぐに赤ちゃんの展示館へ。長い列ができています。
Pb020004 こちらがシロクマ(ホッキョクグマ)の赤ちゃんです。ううう、これはちっちゃすぎます。まだ保育器に入ってぐったりしており、ときどきぴくぴくけいれんしています。でもかわいいです。
Pb020009 そしてこちらがエンペラーペンギンの赤ちゃんです。こちらもなんかぐったりしています。産毛にタオル地みたいな目があります。
Pb020021 こちらはパンダです。パンダという動物は、なんで人間からみてかわいらしい行動をとるのでしょうか?
Pb020043 次にイルカのショーを見学。とてもダイナミックで迫力がありました。
Pb020048 お土産売場に並んでいた、パンダの人形です。ちょっと恐いです。

Pb020051 昼食は、白浜の「福重」(ふくじゅう)でお寿司をいただきました。こちらが福重の公式ホームページです。地元の新鮮なネタがとてもおいしかったです。
Pb020052 白浜のシンボル的存在の円月島です。以前に訪れた沖縄の古宇利島のポットホールは、ダリ風の奇妙な印象がありましたが、円月島の方は純日本的な風情があります。
Pb020057 白浜のもうひとつの観光スポットの「千畳敷」です。突然天候が崩れて来て、まるでロマン主義絵画のような風景となりました。
Pb020060 そしてこちらが三段壁。荒々しい絶壁です。
 白浜の観光スポットとしては、他にも南方熊楠記念館などがありますが、20年ほど前に行ったことがあるので、今回は省略いたしました。

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2010/01/06

【紅葉の和歌山旅行(1)】1000円で和歌山市へ。「ろっこん」で天然クエをいただく。

 昨年の11月上旬の和歌山旅行の報告です。
 多摩の巣穴から車を走らせ、一路和歌山市内へ。高速料金はなんと1000円。うれしい限りです。いつものように、和歌山市内のビジネスホテルに宿を取り、夜の街に繰り出し、おいしそうな店を物色します。
 こんかいお邪魔したのは、和歌山駅のほど近くにある「ろっこん」というお店。こちらが公式サイトです。落ち着いた和風の内装はセンスがよく、とってもくつろげます。Pb010039 和歌山と言えばクエです。クエをご存じない方は、たとえばこちらの和歌山県日高町のサイトをご覧下さい。新鮮なクエが入っているとのことなので、お造りでいただきました。写真の向かって右がクエ。もちろん「天然」です。脂がのっておいしかったです。写真左は太刀魚。焼き魚ではよくいただきますが、お造りは珍しいですね。これもおいしかったです。
Pb010042 「ぐれ」という聞いたことがない魚があったので、焼き魚でいただきました。白身でちょっと体高の高いお魚でした。帰宅してから調べてみると、メジナでした。メジナなら知ってます。
Pa090036 こちらが、以前に伊豆でダイビングしたときに撮影したメジナの群れです。非常によく見かける魚ですが、その割にはあまり食べたことがない気がします。どうしてでしょう?
 他にもいろいろいただきましたが、大変おいしゅうございました。こんかいの和歌山旅行、初日からまず大満足でした。

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2010/01/05

【クラシック音楽】年末に聴く『第九』はやっぱりこういうドラマチックな演奏がいいな。フルシャ指揮・新日本フィル『第九』

 年末恒例の第九。日程の都合で、昨年末は新日本フィルでした。こちらが新日本フィル公式サイトの公演情報です。
 指揮者のヤクブ・フルシャは、ぽん太は初めてでしたが、いまだ20代の期待の新星とのこと。ぽん太は演奏を客観的に評価する能力はないのですが、個人的な印象としては、彼の『第九』は奇をてらうところがなく、堂々とした演奏だったような気がします。細かいニュアンスやタメがありながらも、けっして突出して目立つことがなく、音楽全体のなかにしっかり収まっていました。弦楽器の厚みがあって音のバランスもよかったです。全体としては、まるでオペラのようなドラマチックな演奏で、昨今の純音楽的な淡々とした演奏を聞き慣れたぽん太の耳には、目新しく感じられました。ある意味では古風な演奏スタイルなのかもしれませんが、ロマンティックな感情に押し流されるようなところはなく、現代的でスマートな印象でした。石野繁生の歌もすばらしく、レシタティーボではオペラのようにメッセージが伝わって来ました。
 ドヴォルジャークの『テ・デウム』は、アメリカに渡る時にお土産に持って行った曲だそうで、初めて聴きました。なんだかきれいで気持ちがいい曲で、聴いてて昇天しそうになりました。


新日本フィル『第九』特別演奏会2009
2009年12月23日、Bunkamuraオーチャードホール

ドヴォルジャーク作曲/テ・デウム op.103
ベートーヴェン作曲/交響曲第9番ニ短調『合唱付き』op.125

指揮:ヤクブ・フルシャ
ソプラノ:天羽明惠
アルト:小山由美
テノール:永田峰雄
バス&バリトン:石野繁生
合唱:栗友会合唱団
合唱指揮:栗山文昭

主催:財団法人 新日本フィルハーモニー交響楽団

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2010/01/04

【コンテンポラリー・ダンス】神秘的でエロティックなセッション シルヴィ・ギエム&アクラム・カーン・カンパニー「聖なる怪物たち」

 みなさま、あけましておめでとうございます。
 ぽん太は今年の正月は、ネパールにエベレストを見に行って来ました。そのご報告の前に、昨年あわただしくて書き残したことがいくつかあるので、ご報告してしまいます。

 まずはギエム姐さんから。彼女がクラシックバレエを踊るのは以前に観たことがあるのですが、定評あるコンテンポラリー・ダンスの方は初めてだったので、とても楽しみでした。こちらがNBSの公式サイトは(動画もあるよ)です。何の予備知識もなく行ったのですが、大変おもしろかったです。
 舞台装置はまるで純白の石灰岩のよう。ぽん太はトルコのパムッカレの石灰棚の色を思い出しました。
 舞台上で奏でられる音楽は、ヴァイオリンやチェロなどの西洋楽器を交えながらも、オリエンタル風の響き。二人の踊りは、鋭い回転をみせたり、絡ませた腕を波のように共振させたりします。インドのミトゥナ(男女交合)像を思わせる、下半身を絡ませたエロティックで神秘的な踊りもありました。コミカルな会話もあって、うちとけたセッションを観るような雰囲気もありました。
 アクラム・カーンは、インドの古典舞踊であるカタックからダンスのキャリアを始めたとのこと。なんだ?カタックって。知らんぞ。日本語のWikipediaには出てませんが、英語版にはありました(こちらが英語版Wikipediaの自動翻訳です)。インド北部に始まった舞踏で、鋭い回転を特徴とするようです。直立した姿勢とともに、スペインのフラメンコの起源であるとも言われているようです。足に鈴の鎖のようなものを巻いていたのも、カタックから来ているのですね。Youtubeをみるといろいろな動画があるようですが、一例を埋め込んでおきます。


シルヴィ・ギエム&アクラム・カーン・カンパニー
「聖なる怪物たち」

芸術監督・振付:アクラム・カーン
ダンサー:アクラム・カーン、シルヴィ・ギエム
振付(ギエムのソロ):林懐民
振付(カーンのソロ):ガウリ・シャルマ・トリパティ
音楽:フィリップ・シェパード
照明:ミッキ・クントゥ
装置:針生康
衣裳:伊藤景
構成:ガイ・クールズ
演奏:アリーズ・スルイター(ヴァイオリン)、コールド・リンケ(パーカッション)、ファヘーム・マザール(ヴォーカル)、ジュリエット・ダエプセッテ(ヴォーカル)、ラウラ・アンスティ(チェロ)

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