« 【歌舞伎】穏やかに死を受け入れる勘三郎の『俊寛』 2010年2月歌舞伎座昼の部 | トップページ | 【オペラ】6時間まったく飽きさせない新国立劇場の『ジークフリート』 »

2010/02/24

【歌舞伎】現代的な勘三郎の『籠釣瓶花街酔醒』2010年2月歌舞伎座夜の部

 勘三郎は、古典歌舞伎を演じていてもなんか現代演劇っぽくなるところがありますが、『籠釣瓶花街酔醒』では、それがかえって面白く感じられました。
 それもそのはず、この狂言は題材こそ江戸時代の享保年間に起きたという吉原百人斬り事件ですが、初演は明治21年(1888年)、明治も中期になって作られたものだからです。冒頭の豪華絢爛な花魁道中など、いかにも江戸らしい風景が繰り広げられるものの、それはリアルなものではなく、明治時代になってから、失われた江戸を懐かしんで再現されたフィクションなのです。その「絵空事」っぽさが、いい意味で勘三郎にぴったりでした。
 最初の見せ場は、振り返って微笑む八ッ橋に、次郎左衛門が心を奪われるシーン。玉三郎の笑顔は、客に媚をうるのでもなく、次郎左衛門の実直な姿に同情するのでもなく、無垢な赤ん坊が珍しいものを見て笑うような、まるで観音様のような笑顔でした。そしてそれを見た勘三郎演ずる次郎左衛門の表情がよかったです。鼻の下をのばして惚けるのではなくて、軽く開いた口元を引き締めて目を輝かせ、興味深いものに引きつけられて夢中になっている少年のような顔でした。
 仁左衛門が演ずる繁山栄之丞も、ニザ様だけあってもちろん色っぽくていい男なのですが、役として人間の深みはあまり感じられません。玉三郎演ずる八ツ橋の縁切りも、多少の後ろめたさはあるようですが、間夫のために情を抑えて心では泣きながら愛想尽かしをするというようなハラはありません。仁左衛門も玉三郎も現代的な感覚がある役者ですから、ここらへんはわざと抑えて、現代風に演じていたとぽん太は思います。
 大詰めの刃傷も、意外なほどあっけなく終了。次郎左衛門の恨みの深さや、猟奇的な恐ろしさは感じられません。印象に残ったのは、次郎左衛門が「籠釣瓶はよく斬れるな〜」という名台詞を言いいながら刀に見入るときの表情です。勘三郎はこのとき、序幕で八ッ橋を見つめるときを同じような表情を浮かべていました。
 精神分析的に言えば、次郎左衛門にとって、八ッ橋の微笑みと妖刀籠釣瓶はラカンのいう対象aであり、彼の行動はその二つの対象によって支配されます。八ツ橋の微笑みと妖刀籠釣瓶は、この狂言の真の主人公です。八ツ橋の微笑みを欲望することで、田舎者の素朴な商人であった次郎左衛門は、スマートな遊び人に変貌します。次いで妖刀籠釣瓶を欲望することで、百人斬り(舞台では二人だけですが)を引き起こします。筋立ては、八ツ橋に愛想尽かしをされたため、嫉妬と復讐心から八ツ橋を斬るというふうになっています。しかしそれは、意識的な解釈、合理的な説明であり、行為の真の動因は、籠釣瓶を欲望したことなのです。わたしたちは「こういう理由でこうした」と思っていますが、その行為の本当の理由は、別のところにあります。勘三郎の『籠釣瓶』が、対象aを欲望する人間存在の恐ろしさ・滑稽さを見事に表現している点に、ぽん太は胸を打たれました。

 「壺坂霊験記」は、三津五郎と福助の芸はすばらしかったですが、ストーリーがあまりに単純すぎて意識が薄れてしまいました。
 「高杯」は、一昨年の年末の染五郎を見逃したので、こんかいが初めてでした。とても愉快なうえに、下駄でタップダンスをするという「芸」も見事で、とっても楽しかったです。

 「籠釣瓶花街酔醒」の佐野次郎左衛門の顔にはあばたがありますが、これは疱瘡の痕です。また「壺坂霊験記」の座頭沢市の目が見えなくなった原因も、幼い頃に疱瘡にかかったせいだと説明されています。それから昼の部の『ぢいさんばあさん』でも、息子を疱瘡で亡くしたのでした。みなさんは疱瘡という病気をご存知ですか?知らない人も多いかと思いますが、それもそのはず、この病気は現在は地球上から消滅してしまったのです。
 疱瘡とは、いわゆる痘瘡(天然痘)のことです。痘瘡についての詳しい説明は、例えばこちらをどうぞ(IDWR:感染症の話 天然痘)。特有な発疹の写真もあります。伝染力が強いうえに、致死率もきわめて高いウイルス疾患で、かつては恐れられた病気でした。しかしジェンナーが1796年に開始した種痘によって、流行は徐々に抑制されるようになり、さらに優れたワクチンも開発されて患者数は減少。1977年のソマリアにおける患者発生以降は地球上で感染者はなく、1980年5月、WHOは天然痘の世界根絶宣言を出しました。ちなみに日本国内での発生は、1956年(昭和31年)が最後です。研究用に保管されていた痘瘡ウイルスも次々と破棄されていきましたが、アメリカとロシアだけは「テロ対策研究用」という名目で保有し続けたまま、現在に至っております。旧ソ連が崩壊したときに、痘瘡ウイルスが持ち出されてテロリストの手に渡った可能性も否定できません。痘瘡の予防接種が行われなくなり、抗体を持つ人が減少しつつある現在、痘瘡ウイルスを生物兵器として利用したテロが万が一行われたら、大変なことになります。そのため日本でも2001年からワクチンの製造・備蓄が再開されております。そういえば数年前の年末、医師会から天然痘患者発生に対する注意を促す緊急ファックスが送られてきたことがありましたが、なんだったんでしょう?
 もともと日本には痘瘡はなく、奈良時代に大陸との交易によって持ち込まれたと考えられています。聖武天皇の時代の天平7年(735)年に「豌豆瘡」(わんずがさ)が大流行したことが『続日本紀』に記されており、これが日本における痘瘡の最古の記録とされております。その後は数十年間隔で大流行が起きましたが、だんだんと間隔が狭まり、江戸時代には毎年流行する常在の伝染病でした。
 また『籠釣瓶花街酔醒』の初演は、先に述べたように明治21年(1888年)ですが、こちらのサイト( 緒方春朔-わが国種痘の始祖- 天然痘関係歴史略年表)によれば、初演の直前の1885年から87年にかけて、明治になって初めての痘瘡の大流行があり、3万2千人が亡くなったそうです。その直後に初演された『籠釣瓶』に痘瘡が出てくることは、何か関連があるかもしれません。


歌舞伎座さよなら公演
二月大歌舞伎
十七代目中村勘三郎二十三回忌追善

平成22年2月 歌舞伎座夜の部

一、壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)
            座頭沢市  三津五郎
             観世音  玉太郎
            女房お里  福 助

二、高坏(たかつき)
            次郎冠者  勘三郎
             大名某  彌十郎
            太郎冠者  亀 蔵
             高足売  橋之助

三、籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)

  序幕 吉原仲之町見染の場より
  大詰 立花屋二階の場まで
         佐野次郎左衛門  勘三郎
             八ツ橋  玉三郎
              九重  魁 春
              治六  勘太郎
              七越  七之助
              初菊  鶴 松
           絹商人丈助  亀 蔵
          絹商人丹兵衛  市 蔵
           白倉屋万八  家 橘
            釣鐘権八  彌十郎
             おきつ  秀太郎
          立花屋長兵衛  我 當
           繁山栄之丞  仁左衛門

|

« 【歌舞伎】穏やかに死を受け入れる勘三郎の『俊寛』 2010年2月歌舞伎座昼の部 | トップページ | 【オペラ】6時間まったく飽きさせない新国立劇場の『ジークフリート』 »

芸能・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/74997/47515178

この記事へのトラックバック一覧です: 【歌舞伎】現代的な勘三郎の『籠釣瓶花街酔醒』2010年2月歌舞伎座夜の部:

« 【歌舞伎】穏やかに死を受け入れる勘三郎の『俊寛』 2010年2月歌舞伎座昼の部 | トップページ | 【オペラ】6時間まったく飽きさせない新国立劇場の『ジークフリート』 »