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2010年2月の12件の記事

2010/02/28

【歴史ある街並と宿を訪ねて(5)】福井県の今庄宿と板取関所跡

Pb260176 今回の旅もいよいよ終わり。ぽん太とにゃん子は多摩の巣穴に戻らねばなりません。帰る道すがら、福井県の今庄宿にたちよりました。今庄宿に関しては、こちらのわがふるさと北国街道今庄宿をご覧下さい。今庄は北国街道の宿場町として栄えたそうで、古いおもむきある街並が残っています。
Pb260161 う〜ん、うだつが上がってますね〜。しっくいの虫籠窓が、ちょっとシュールで面白いです。
Pb260170 北国街道にそって、雰囲気のある街並が続きます。
Pb260177 店先に魚が干してありました。ハタハタかしら?

Pb260179 次にぽん太とにゃん子は北国街道を南下し、板取宿跡を訪れました。地図はこちらでございます。
Pb260183 板取宿は北国街道の要所として栄え、江戸時代には関所も設けられましたが、昭和50年(1075年)に廃村となりました。
Pb260186 石畳などが整備され、また現在も数軒の茅葺き屋根の民家が残っています。いつ頃造られたものかはちとわかりません。
Pb260191 屋根の妻の部分が持ち上げられ、窓が設けられており、兜造りと呼ばれるそうです。
 さて、昨年の旅の報告もようやく終わりました。次は、年末年始のネパール・エベレスト・トレッキングのご報告です。乞うご期待。

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2010/02/27

【歴史ある街並と宿を訪ねて(4)】加賀橋立の民宿北前船

Pb260133 琵琶湖の竹生島を観光したぽん太とにゃん子は、一路車を北に走らせ、石川県は加賀橋立の民宿北前船に泊まりました。昨夜は京都府に泊まったのに、なんで今日は石川県なのか……。にゃん子の旅行計画は恐ろしいです。まさか天橋立(あまのはしだて)と間違えたんじゃないだろうな……。
 こちらが民宿北前船の公式サイトです。なんでも、築150年になるという、北前船の船主の屋敷をそのまま利用した民宿なんだそうです。き……北前船って何だっけ。
Pb260136 天井は高く、立派な太い梁が張られています。
 北前船(きたまえぶね)というのは、江戸時代から明治時代にかけて物流を担った船で、春に大阪を出航し、瀬戸内海を経て関門海峡を抜け、日本海側を北上します。初期は北陸・東北で折り返しましたが、後には北海道まで行くようになったそうです。再び逆コースをたどり、秋に大阪に戻りました。途中、東北の米を初めとし、さまざまな物資を輸送することによって、莫大な利益があがりましたが、ひとつ間違って遭難すると、大勢の人の命が失われ、大きな経済的打撃も受けるという面もありました。明治になって電信・電話が発達して価格の地域差が小さくなり、また鉄道網が整備されるに連れて、北前船はその役目を終えました。北前船に関しては、Wikipediaや、石川新情報書府のサイトが詳しいです。
Pb260140 部屋の造りもこのように立派です。
 橋立にはこの北前船の船主が大勢住んでおり、この民宿のような(あるいはそれ以上の)豪邸がたくさんありました。しかし明治5年に橋立は大火に見舞われ、歴史ある建物の多くが焼けてしまいました。しかしこの時期は、北前船の最盛期に当たっていたため、以前にも増して豪華な建物が建てられました。しかし明治末期になって北前船が衰退してくると、住人が次々と村を離れるようになり、空き家となった邸宅は荒れ果てて「幽霊屋敷」のようになりました。
Pb260129 二階の部屋を見せていただきました。細かいところまで美しく作り込まれています。
  昭和50年代の高度成長期になると、館の立て替えや廃屋化が進むとともに、歴史的な景観の保存の重要性が認識されるようになりました。昭和57年(1982年)に酒谷長兵衛家を加賀市が買い取って「北前船の里資料館」として公開したのを皮切りに保存と整備が進み、平成17年(2005年)には国の重要伝統的建造物群保存地に指定されました。このあたりの橋立の歴史に関しては、こちらの加賀市加賀橋立伝統的建造物群保存地区保存計画が詳しいです。
Pb260131 こちらは物置として使われている部屋ですが、をゝ、天井がカーブしています。偶然にも、数日前に泊まった長浜の宿「紗蔵」と同じ意匠です。
Pb260141 建物の外観です。真新しい杉板がとてもきれいです。補助金を使って改装したばかりだそうです。
Pb250238 こちらが夕食。この季節の北陸ということで、贅沢してカニ料理をお願いしました。橋立港で取れたズワイガニで、「加能ガニ」と呼ばれるものだそうですが、越前ガニのように名が知れていないので少し安く買えてお得だそうです。味は越前ガニに引けを取らずおいしかったです。
 ズワイガニの雌は越前では「セイコ」と呼びますが、ここでは「コウバコ」と言うそうです。小さな甲羅がまるで香箱(香合)みたいなので、そう呼ばれるそうです。ちなみにネコが腕を組んで座る姿も香箱と呼ばれます。かわいいですね。
Pb260248 こちらは朝食です。民宿のシンプルな朝ご飯です。
 宿のお母さんは、とても話し好きで、橋立にまつわるいろいろな話しをしてくれました。とても面白かったです。
Pb260146 翌日、橋立の街並をちょこっと散策。写真は福井別院橋立支部というお寺です。杉ですっかり覆われているのは、デザインなのか、雪がおおいせいなのか、ぽん太にはわかりません。
Pb260151 上で書いたように、家主が居なくなって幽霊屋敷のようになっている家です。
Pb260153 気持ちのよい小径です。右側の塀に囲まれた広大な屋敷も、住む人はいません。

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2010/02/26

【歴史ある街並と宿を訪ねて(3)】伊根の舟屋の宿「与謝荘」、琵琶湖の竹生島

Pb250098 京都府が日本海に面しているということを、知らないひとも多いのではないでしょうか。天橋立からさらに丹後半島を北に行ったところに、舟屋で有名な伊根という街があります。ぽん太は伊根は二回ほど立ち寄ったことがありますが、今回は舟屋を改装した旅館に泊まってみました。こちらが伊根町の公式サイトの観光案内のページです。
Pb250092 舟屋(ふなや)とは、海面すれすれに建てられており、1階が船着き場で、2階が住居となっています。また道を挟んだ反対側には、蔵があります。舟屋がずらりと並んだ景観は独特の美しさがあり、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。台風でも来たらたちまち波にのまれそうですが、複雑に入り組んだ湾のなかなので、大丈夫なのでしょう。伊根湾はすり鉢状に急激に深くなっているそうで、以前は湾内で漁が成り立つくらい、魚が豊富だったそうです。
Pb250191 こちらが今回お世話になった宿の「与謝荘」。舟屋を改築した宿です。公式サイトがなさそうなので、MAPPLE観光ガイドにリンクしておきます。与謝荘(よさそう)とは良さそうな名前ですが、住所が京都府与謝郡伊根町であることから来ているのでしょう。船着き場の部分が、まるでカフェバーのようなシックな内装のレストランになっており、夜は舟屋の夜景を眺めながら食事をいただけます。部屋はいたってシンプルで、テレビもありませんが、こちらも窓から見える伊根湾の夜景がごちそうです。
Pb240081 こちらが夕食です。地元で獲れた新鮮な海の幸満載で、とてもおいしゅうございました。魚の名前を聞いたのですが、忘れてしまいました。
Pb250094 朝食はシンプルですが、干物もご飯もおいしかったです。
 舟屋という特殊な構造の家に泊まり、おいしい魚を食べ、美しい景観を眺めることができ、ぽん太は大満足です。みなさんにもぜひお勧めしたい宿です。

 Pb250127 さて、すばらしい景色とおいしいお魚を満喫したぽん太とにゃん子は、琵琶湖の西岸の今津港に向かいました。ここから船で竹生島に渡るのです。こちらが琵琶湖汽船の公式サイトです。竹生島(ちくぶしま)は、琵琶湖の北の方にぽっかりと浮かんだ島です。
Pb250126 近づいてみると、切り立った崖に囲まれた急峻な岩山で、古来から神が住むといわれてきたのが納得できる雰囲気を持っています。崖にへばりつくように、宝厳寺(ほうごんじ)があります。こちらが宝厳寺の公式サイトです。ご本尊は大弁才天です。
Pb250118 唐門は国宝に指定されています。桃山風の豪華絢爛な建物で、屋根の苔の色も美しかったです。唐門に続く建物は、重要文化財の観音堂です。
Pb250105 こちらは都久夫須麻神社(竹生島神社)の本殿です。公式サイトはこちら。桃山城の一部を移築したものだそうで、国宝に指定されております。もともとこちらが宝厳寺の本堂でしたが、明治時代の神仏分離例によって二つに分かれたのだそうです。ところでぽん太は最近思うのですが、日本は古来より神仏習合だったのを、明治時代に神仏分離したわけですが、そろそろ「神仏再習合」を行ってはどうでしょうか。
Pb250110 重要文化財の舟廊下です。
 ところでみなさんは、上野の不忍池が琵琶湖を模していることをご存知ですか?それが証拠に不忍池には、竹生島に見立てて弁天島があり、弁財天が祀られております。この弁財天は、宝厳寺から勧請されたものだそうです。

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2010/02/25

【オペラ】6時間まったく飽きさせない新国立劇場の『ジークフリート』

 昨年春から観ている新国立「ニーベルングの指輪」、ついに3つめの『ジークフリート』です。公式サイトはこちらです。
 最初はびっくりしたキース・ウォーナーの演出も、だいぶ慣れてきたつもりでしたが、ジークフリートがスーパーマンのTシャツにスニーカーで出て来たのにはびっくり。これでは自由な若者というよりも、単なる利かん坊です。ノートゥングを鍛え直すのもキッチンで、大根おろしでノートゥングをすりおろし、ミキサーで撹拌します。森の場面では、かわいい着ぐるみの動物たちがいっぱい出てきました。「指輪」のなかでは地味な演目だそうですが、おかげでとっても面白く観ることができ、6時間の長丁場、まったく退屈しませんでした。
 今回は席が前の方(もちろん1階ではありませんが)だったので、歌手の声やオケの音にとても迫力があり、ワグナーの重厚な音楽に圧倒されました。東フィル、がんばってました。ラジライネンのさすらい人は、あいかわらず心がなくてよかったです。妻屋秀和のファフナーは、外人に混ざっても引けを取らない貫禄がありました。シモーネ・シュレーダーのエルダも、荘厳で神秘的でした。森の小鳥の安井陽子は、歌もさることながら、逆さ吊りにされたりして大活躍でした。イレーネ・テオリンのブリュンヒルデは元ワルキューレの風格があり、ラストの二重唱は心から感動いたしました。
 さて、あとは3月の『神々の黄昏』に期待が高まりますが、なんとうっかりパリ・オペラ座バレエ団とダブルブッキング!観れんがな。『ラインの黄金』からここまで観て来て、『神々の黄昏』だけ観れないとは!新国立さん、ぜひ早く再演をお願いします。


楽劇「ニーべルングの指環」第2日
『ジークフリート』
リヒャルト・ワーグナー/全3幕
Richard Wagner:"Der Ring des Nibelungen" Zweiter Tag Siegfried
2009年2月14日 新国立劇場オペラ劇場

【企 画】若杉 弘
【芸術監督代行】尾高忠明
【主 催】新国立劇場

<初演スタッフ>
 【演 出】キース・ウォーナー
 【装置・衣裳】デヴィッド・フィールディング
 【照 明】ヴォルフガング・ゲッベル
 【振 付】クレア・グラスキン

(指 揮)ダン・エッティンガー
(演 出)キース・ウォーナー

【ジークフリート】クリスティアン・フランツ
【ミーメ】ヴォルフガング・シュミット
【さすらい人】ユッカ・ラジライネン
【アルベリヒ】ユルゲン・リン
【ファフナー】妻屋秀和
【エルダ】シモーネ・シュレーダー
【ブリュンヒルデ】イレーネ・テオリン
【森の小鳥】安井陽子

【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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2010/02/24

【歌舞伎】現代的な勘三郎の『籠釣瓶花街酔醒』2010年2月歌舞伎座夜の部

 勘三郎は、古典歌舞伎を演じていてもなんか現代演劇っぽくなるところがありますが、『籠釣瓶花街酔醒』では、それがかえって面白く感じられました。
 それもそのはず、この狂言は題材こそ江戸時代の享保年間に起きたという吉原百人斬り事件ですが、初演は明治21年(1888年)、明治も中期になって作られたものだからです。冒頭の豪華絢爛な花魁道中など、いかにも江戸らしい風景が繰り広げられるものの、それはリアルなものではなく、明治時代になってから、失われた江戸を懐かしんで再現されたフィクションなのです。その「絵空事」っぽさが、いい意味で勘三郎にぴったりでした。
 最初の見せ場は、振り返って微笑む八ッ橋に、次郎左衛門が心を奪われるシーン。玉三郎の笑顔は、客に媚をうるのでもなく、次郎左衛門の実直な姿に同情するのでもなく、無垢な赤ん坊が珍しいものを見て笑うような、まるで観音様のような笑顔でした。そしてそれを見た勘三郎演ずる次郎左衛門の表情がよかったです。鼻の下をのばして惚けるのではなくて、軽く開いた口元を引き締めて目を輝かせ、興味深いものに引きつけられて夢中になっている少年のような顔でした。
 仁左衛門が演ずる繁山栄之丞も、ニザ様だけあってもちろん色っぽくていい男なのですが、役として人間の深みはあまり感じられません。玉三郎演ずる八ツ橋の縁切りも、多少の後ろめたさはあるようですが、間夫のために情を抑えて心では泣きながら愛想尽かしをするというようなハラはありません。仁左衛門も玉三郎も現代的な感覚がある役者ですから、ここらへんはわざと抑えて、現代風に演じていたとぽん太は思います。
 大詰めの刃傷も、意外なほどあっけなく終了。次郎左衛門の恨みの深さや、猟奇的な恐ろしさは感じられません。印象に残ったのは、次郎左衛門が「籠釣瓶はよく斬れるな〜」という名台詞を言いいながら刀に見入るときの表情です。勘三郎はこのとき、序幕で八ッ橋を見つめるときを同じような表情を浮かべていました。
 精神分析的に言えば、次郎左衛門にとって、八ッ橋の微笑みと妖刀籠釣瓶はラカンのいう対象aであり、彼の行動はその二つの対象によって支配されます。八ツ橋の微笑みと妖刀籠釣瓶は、この狂言の真の主人公です。八ツ橋の微笑みを欲望することで、田舎者の素朴な商人であった次郎左衛門は、スマートな遊び人に変貌します。次いで妖刀籠釣瓶を欲望することで、百人斬り(舞台では二人だけですが)を引き起こします。筋立ては、八ツ橋に愛想尽かしをされたため、嫉妬と復讐心から八ツ橋を斬るというふうになっています。しかしそれは、意識的な解釈、合理的な説明であり、行為の真の動因は、籠釣瓶を欲望したことなのです。わたしたちは「こういう理由でこうした」と思っていますが、その行為の本当の理由は、別のところにあります。勘三郎の『籠釣瓶』が、対象aを欲望する人間存在の恐ろしさ・滑稽さを見事に表現している点に、ぽん太は胸を打たれました。

 「壺坂霊験記」は、三津五郎と福助の芸はすばらしかったですが、ストーリーがあまりに単純すぎて意識が薄れてしまいました。
 「高杯」は、一昨年の年末の染五郎を見逃したので、こんかいが初めてでした。とても愉快なうえに、下駄でタップダンスをするという「芸」も見事で、とっても楽しかったです。

 「籠釣瓶花街酔醒」の佐野次郎左衛門の顔にはあばたがありますが、これは疱瘡の痕です。また「壺坂霊験記」の座頭沢市の目が見えなくなった原因も、幼い頃に疱瘡にかかったせいだと説明されています。それから昼の部の『ぢいさんばあさん』でも、息子を疱瘡で亡くしたのでした。みなさんは疱瘡という病気をご存知ですか?知らない人も多いかと思いますが、それもそのはず、この病気は現在は地球上から消滅してしまったのです。
 疱瘡とは、いわゆる痘瘡(天然痘)のことです。痘瘡についての詳しい説明は、例えばこちらをどうぞ(IDWR:感染症の話 天然痘)。特有な発疹の写真もあります。伝染力が強いうえに、致死率もきわめて高いウイルス疾患で、かつては恐れられた病気でした。しかしジェンナーが1796年に開始した種痘によって、流行は徐々に抑制されるようになり、さらに優れたワクチンも開発されて患者数は減少。1977年のソマリアにおける患者発生以降は地球上で感染者はなく、1980年5月、WHOは天然痘の世界根絶宣言を出しました。ちなみに日本国内での発生は、1956年(昭和31年)が最後です。研究用に保管されていた痘瘡ウイルスも次々と破棄されていきましたが、アメリカとロシアだけは「テロ対策研究用」という名目で保有し続けたまま、現在に至っております。旧ソ連が崩壊したときに、痘瘡ウイルスが持ち出されてテロリストの手に渡った可能性も否定できません。痘瘡の予防接種が行われなくなり、抗体を持つ人が減少しつつある現在、痘瘡ウイルスを生物兵器として利用したテロが万が一行われたら、大変なことになります。そのため日本でも2001年からワクチンの製造・備蓄が再開されております。そういえば数年前の年末、医師会から天然痘患者発生に対する注意を促す緊急ファックスが送られてきたことがありましたが、なんだったんでしょう?
 もともと日本には痘瘡はなく、奈良時代に大陸との交易によって持ち込まれたと考えられています。聖武天皇の時代の天平7年(735)年に「豌豆瘡」(わんずがさ)が大流行したことが『続日本紀』に記されており、これが日本における痘瘡の最古の記録とされております。その後は数十年間隔で大流行が起きましたが、だんだんと間隔が狭まり、江戸時代には毎年流行する常在の伝染病でした。
 また『籠釣瓶花街酔醒』の初演は、先に述べたように明治21年(1888年)ですが、こちらのサイト( 緒方春朔-わが国種痘の始祖- 天然痘関係歴史略年表)によれば、初演の直前の1885年から87年にかけて、明治になって初めての痘瘡の大流行があり、3万2千人が亡くなったそうです。その直後に初演された『籠釣瓶』に痘瘡が出てくることは、何か関連があるかもしれません。


歌舞伎座さよなら公演
二月大歌舞伎
十七代目中村勘三郎二十三回忌追善

平成22年2月 歌舞伎座夜の部

一、壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)
            座頭沢市  三津五郎
             観世音  玉太郎
            女房お里  福 助

二、高坏(たかつき)
            次郎冠者  勘三郎
             大名某  彌十郎
            太郎冠者  亀 蔵
             高足売  橋之助

三、籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)

  序幕 吉原仲之町見染の場より
  大詰 立花屋二階の場まで
         佐野次郎左衛門  勘三郎
             八ツ橋  玉三郎
              九重  魁 春
              治六  勘太郎
              七越  七之助
              初菊  鶴 松
           絹商人丈助  亀 蔵
          絹商人丹兵衛  市 蔵
           白倉屋万八  家 橘
            釣鐘権八  彌十郎
             おきつ  秀太郎
          立花屋長兵衛  我 當
           繁山栄之丞  仁左衛門

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2010/02/18

【歌舞伎】穏やかに死を受け入れる勘三郎の『俊寛』 2010年2月歌舞伎座昼の部

 『俊寛』は有名な演目ですが、実はぽん太はあまり好きではありませんでした。一度は自己犠牲を決意しながら、独り孤島に残される寂しさに耐えかねて、鼻水たらしながら大げさに泣き叫ぶという話しがなんだか大げさで、未練たらしく思われるからです。
 しかし、勘三郎の『俊寛』はまったく違っていました。遠ざかる船を見ようと崖の上の松にすがった時、一瞬険しい顔を見せるものの、最後は実に安らかな表情を浮かべて幕となりました。勘三郎の俊寛には、孤島に独り残される苦しみ、都に戻りたいという未練がありません。
 もうひとつ、船が出港する場面です。普通の演出では、ほどいた船のもやい綱が砂浜に置かれ、船の出港とともに綱がスルスルと動いていくのを、俊寛が思わずつかもうとします。船に乗りたい、という気持ちを表して涙をさそう演出ですが、今回の勘三郎の演出ではこの場面がありませんでした。
 さらにもうひとつ、勘三郎の俊寛は、遠ざかる船に何度も「お〜い」と呼びかけます。船からの「お〜い」という返事は、船が遠ざかるに従ってだんだんと小さくなっていきます。勘三郎は、耳に手を当てて、その声を聞き取ろうとします。俊寛は、遠ざかる人々、つまりこの世に別れを告げます。それは自分の人生、そして妻との思い出への別れでもあります。
 ではなぜ俊寛は、落ち着いた気持ちで鬼界ヶ島に残ることができたのでしょうか。俊寛は、成経と千鳥が夫婦になったことを喜んで、衰弱した身体でふらつきながら舞いまで披露します。このことから、いかに俊寛が夫婦の情を大切にしていたかがわかります。ところが俊寛は、瀬尾の口から、妻の東屋が清盛の命によって打ち首になったことを聞かされます。「三世のちぎりの女房しなせ、何のたのしみに我独京の月花見たふもなし」と俊寛は言います。俊寛にとって妻のいない都は、もはや鬼界ヶ島よりましなところとは思えなかったのでしょう。苦しみに満ちた現世に留まるより、死んで極楽浄土に往生することを、俊寛は選びました。ですから、独り島に残って死ぬことは、俊寛にとっては苦痛ではなかったのです。
 俊寛が自分の代わりに千鳥を船に乗せようとしたのは、現代人の我々が考えるような「自己犠牲」ではありません。現世の望みを捨て、極楽浄土に往くことを願った俊寛は、ひとつでも善行を積もうと思ったのです。「この鬼界ヶ島では五穀をたべることすらできない餓鬼道にあり、今の苦しみは修羅道、そしてこの島の火山はまさに地獄、この世で三悪道を体験すれば、来世では極楽浄土に生まれ変わることができるだろう、自分が乗りたいのは極楽浄土に渡る船であって、現世のこの船ではない」と俊寛は言います。
 勘三郎のラストシーンでの穏やかな哀しみの顔は、この世に生を受け、さまざまな大切な人と別れて行くという、人間の普遍的な孤独を表していると感じました。
 勘三郎は、どうやってこのような俊寛像を見いだしたのでしょうか。今月の公演は「十七代目中村勘三郎二十三回忌追善」と銘打ってますが、十七代目の写しなのか。それとも『俊寛』を最後の舞台ととしてこの世を去った十七代目の心境を表しているのでしょうか。

 『ぢいさんばあさん』は、シンプルな筋立ての小品ですが、玉三郎、仁左衛門の老い姿が味があってすばらしかったです。おとがめによって有馬藩お預かりとなり、37年ぶりの再会。『俊寛』からのつながりで、俊寛が望んでいたのはこのような夫婦の情愛だったのだなあ、と思い涙が誘われました。森鴎外の原作は こちらの青空文庫で読むことができます。ごく短いので、一読をおすすめします。
 『爪王』は、子供の頃読んだ動物作家の戸川幸夫の原作。七之助と勘太郎が若々しく綺麗でしたが、踊りとしてはあまり面白く感じませんでした。


歌舞伎座さよなら公演
二月大歌舞伎
十七代目中村勘三郎二十三回忌追善

平成22年2月/昼の部

一、爪王(つめおう)
               狐  勘太郎
               鷹  七之助
              庄屋  錦之助
              鷹匠  彌十郎

二、平家女護島
  俊寛(しゅんかん)
            俊寛僧都  勘三郎
          丹波少将成経  勘太郎
              千鳥  七之助
           平判官康頼  扇 雀
            瀬尾兼康  左團次
            丹左衛門  梅 玉

三、十七代目中村勘三郎二十三回忌追善 口上(こうじょう)
                  芝 翫
                  勘三郎
                  幹部俳優出演

四、ぢいさんばあさん
           美濃部伊織  仁左衛門
          下嶋甚右衛門  勘三郎
            宮重久弥  橋之助
             妻きく  孝太郎
           石井民之進  市 蔵
            戸谷主税  桂 三
            山田恵助  右之助
           柳原小兵衛  秀 調
          宮重久右衛門  翫 雀
           伊織妻るん  玉三郎

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2010/02/16

【バレエ】ルグリとギエムの15年ぶりの競演に感動《マニュエル・ルグリの新しき世界》Bプロ

 Bプロは、ガラのように次々と有名なダンスが踊られるというものではなく、考え抜かれた上質なプログラムでした。
 なんといっても、ルグリとギエムの15年ぶりの競演が見所。まさしく至芸という感じで、ただただ感動して見とれるばかりです。「優しい嘘」は、幕開きの静止から、ルグリがいきなり動き出す時の一瞬のきらめきからして素敵です。「三人姉妹」でも、ルグリのジャンプは特に高いわけではないのに、すごくうれしそうな気持ちが伝わってくるから不思議です。ギエムも、これまでぽん太は力強さの印象ばかりありましたが、「三人姉妹」の柔らかくしっとりした踊りは新発見でした。カーテンコールのかわいらしい笑顔はいつも通り。「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」では、フォーゲルの怪我の功名で、初めて東京バレエ団の高岸直樹の踊りを見ることができました。大きさがあるし、回転も安定して、なかなかの技術でしたが、ルグリの表現力にはかないません。先日見た新国立の川村真樹の「白鳥」もそうでしたが、日本人ダンサーは技術的にはある程度のレベルに達しているけど、その一歩上の表現力には欠けるようです。その違いがいったい何なのかは、ぽん太にはさっぱりわかりません。
 今回のもうひとつのお目手はフォーゲル。「モペイ」はユーモラスなダンスで、ぽん太はなぜか「クレヨンしんちゃん」の「ケツだけ星人」を思い出しました。「フォーゲルも役者やのう」という感じですが、背中の筋肉の美しさがあらばこそ踊れる踊りです。自分で自分の頬をぴちぴちと平手打ちする振付けがありましたが、まさかこれで首を痛めたのではないでしょうね。Youtubeの動画をリンクしておきます。

 Aプロの主役だったド・バナも、ルテステュと踊ると大人の渋さが漂い、特に「マリー・アントワネット」は、ゴージャスでありながらも人形のような動きが悲哀を漂わせておりました。オグデンとコテのカナダ・ペアは、若々しく爽やかでよかったです。
 ヘレナ・マーティン「ハロ」はいわゆるスペイン舞踏で、今回のプログラムのなかではちょっと異質でした。おそらくはクラシック・バレエ・ファンと推測される観客には目新しく写ったのか、拍手喝采を浴びておりましたが、ぽん太からすると、なるほどショールの使い方などすばらしかったですが、ルグリが今回のプログラムにこの踊りを入れた意図がよく理解できませんでした。コテとホールバーグの「失われた時を求めて」も、肌色全身タイツがアブナくってよかったです。そのうち原作も読みたいです。


《マニュエル・ルグリの新しき世界》Bプロ
ルグリと輝ける世界のスターたち
2009年2月9日 ゆうぽうと

【第1部】
「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」
ヘザー・オグデン ギヨーム・コテ
振付:ジョージ・バランシン
音楽:ピョートル・I・チャイコフスキー

「モペイ」
フリーデマン・フォーゲル
振付:マルコ・ゲッケ
音楽:C.P.E.バッハ

「スリンガーランド」
アニエス・ルテステュ パトリック・ド・バナ
振付:ウィリアム・フォーサイス
音楽:ギャビン・プライアーズ

「アザー・ダンス」
オレリー・デュポン デヴィッド・ホールバーグ
振付:ジェローム・ロビンズ
音楽:フレデリック・ショパン

「優しい嘘」
シルヴィ・ギエム マニュエル・ルグリ
振付:イアン・キリアン
音楽:クラウディオ・モンテヴェルディ、カルロ・ジェズアルド、グレゴリオ聖歌

【第2部】
「マリー・アントワネット」
アニエス・ルテステュ パトリック・ド・バナ
振付:パトリック・ド・バナ
音楽:アントニオ・ヴィヴァルディ

「ハロ」
ヘレナ・マーティン
振付:ヘレナ・マーティン
音楽:アラ・マリキアン、ホセ・ルイス・モントン

「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」
上野水香 高岸直樹
振付:マニュエル・ルグリ
音楽:ガエターノ・ドニゼッティ

「失われた時を求めて」 "モレルとサン・ルー"
ギヨーム・コテ デヴィッド・ホールバーグ
振付:ローラン・プティ
音楽:ガブリエル・フォーレ

「三人姉妹」
シルヴィ・ギエム マニュエル・ルグリ
振付:ケネス・マクミラン
音楽:ピュートル・I・チャイコフスキー

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2010/02/09

【バレエ】思わず引き込まれるルグリの「ザ・ピクチャー・オブ」《マニュエル・ルグリの新しき世界》Aプロ

 ルグリ先生が来るというので、観に行って来ました♪こちらがNBSの公式サイトです。
 今宵はAプロ。パトリック・ド・バナ振付けの作品からなるプログラムです。パトリック・ド・バナ……知りません!NBS公式サイトによれば、モーリス・ベジャール・バレエ団で活躍したこともあるダンサーで、振付けも定評がある様子です。
 まずは「クリアチュア」。売り出し中のフォーゲルとベテランのデュポンの取り合わせでしたが、二人の体の動きは、完璧で美しいのはもちろんのこと、表情豊かでまるで会話を交わしているかのようでした。フォーゲルは首をいためているとのことでしたが、それを感じさせない踊りでした。東京バレエ団も健闘しておりましたが、黒人ダンス風の部分はちょっと切れがなかったです。ド・バナの振付けは、斬新すぎず穏当すぎず、古典的な動きを基本にして新しいアイディアもあり、おもしろかったです。
 次はルグリのソロで「ザ・ピクチャー・オブ・・・」。2008年に東京の新高輪プリンスで行われたクリスマス・ガラで初演され(チケットが高くて当然見てない)、昨年の世界バレエフェスティバルのガラでも再演されたそうですが(切符取れませんでした)、ぽん太は初めて観ました。まさにルグリ・ワールド全開。冒頭のクジラの鳴き声に合わせての息づくような体の動き、そしてパーセルのオペラに乗せた踊りは詩情と哀愁が漂いました。ダンスへ没入する集中力、内面的なエネルギーがすごい。ひとつひとつの動きがすべてすばらしかったです。あゝ感動……。
 最後は「ホワイト・シャドウ」 。これは、ぽん太ごときには「いい」作品かどうかはわかりませんが、「好み」ではありませんでした。ドラマチックな要素がいっぱいありながらも、全体としてのプロットはなく、どうも「思わせぶり」な印象を受けてしまいました。狂言回しのように登場する吉岡美佳も、壊れちゃってるというかいっちゃってる感じで、気持ちの込め過ぎというか、バレエなんだから踊るべきところはしっかり踊った方がいいのではないかと思いました。「世界初演」ということで、動きがこなれてなかったり、そろってない部分も多かったです。この演目はルグリよりもド・バナのダンスの方が、自分で振り付けただけあって、おもしろく感じられました。西村真由美は悪くはなかったけど、さすがにルグリの相手は荷が重かったか。上野水香はもともと体の動きが黒人っぽいところがあり、ド・バナとのコンビがよく合ってました。男5人組の踊りも、迫力があってなかなかよかったです。
 衣装もちょっと変でした。特に三人の女性の、安物のドレスのような衣装。彼女たちが踊る周りで、袖長族が袖をひらひらさせて踊っているのを見ていると、温泉ホテルかなんかの安っぽいショーを見ている気分になりました。
 とはいえ、全体としては満足。次はBプロじゃ!


《マニュエル・ルグリの新しき世界》Aプロ
ルグリ×ド・バナ×東京バレエ団 スーパーコラボレーション
2010年2月4日、ゆうぽうと
振付:パトリック・ド・バナ

■「クリアチュア」 (日本初演)
音楽:デム・トリオ(トルコの伝統音楽)、マジード・ハラジ、ダファー・ヨーゼフ

オレリー・デュポン、フリーデマン・フォーゲル
奈良春夏、矢島まい、渡辺理恵、川島麻実子、河谷まりあ
長瀬直義、井上良太、柄本弾、杉山優一、森川茉央

■「ザ・ピクチャー・オブ・・・」
音楽:ヘンリー・パーセル

マニュエル・ルグリ

■「ホワイト・シャドウ」 (世界初演)
音楽:アルマン・アマー
照明:高沢立生
装置:野村真紀
衣裳:髙井秀樹(stödja)

マニュエル・ルグリ、パトリック・ド・バナ
吉岡美佳、上野水香、西村真由美
松下裕次、氷室友、小笠原亮、宮本祐宜、岡崎隼也
高木綾、奈良春夏、川島麻実子
梅澤紘貴、青木淳一、井上良太、杉山優一、中村祐司
吉川留衣、河合眞里、矢島まい、渡辺理恵、河谷まりあ

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2010/02/05

【歴史ある街並と宿を訪ねて(2)】金剛輪寺の紅葉、瀬戸の唐橋、三井寺

Pb240049 長浜を立ったぽん太とにゃん子は、今日は琵琶湖の南を回り、京都の日本海側にある伊根に向かいます。ちょうど紅葉の季節だったので、紅葉の名所湖東三山をみちくさすることにしました。といっても全部は無理なので、「国宝」の本堂があるというのに引かれて、金剛輪寺を選びました。こちらが公式サイトです。
 金剛輪寺は、奈良時代の天平13年(741年)に、聖武天皇の勅願によって行基菩薩が開山したそうです。平安時代からは天台宗の寺院となりました。写真の大悲閣本堂は鎌倉時代に造られたもので、織田信長による焼き討ちを免れ、いまに伝えられています。その他にもいくつかの仏像や建物が、重要文化財に指定されています。
Pb240054駐車場には、乗用車や観光バスが次々と到着し、大変なにぎわいです。入り口から本堂までは長い参道となっており、途中から石段が続きます。宿のお料理を完食したぽん太とにゃん子には、ほどよい運動です。
Pb240044 金剛輪寺の紅葉は、深紅の色が美しく、「血染めの紅葉」として知られています。

Pb240057 さて、お次ぎは瀬田の唐橋です。琵琶湖の南に架かるこの橋は、古くから軍事・交通の要所に位置し、日本書紀にも出てくるのだそうです。観光案内をみると「日本三名橋のひとつ」と書かれていますが、残りの二つがどの橋なのかよくわかりません。ググってみると、「日本三名橋」は諸説があるようで、この場合はおそらくは宇治川の宇治橋、淀川の山崎橋だと思うのですが、定かではありません。
 またこの橋は、「瀬田夕照」(せたのせきしょう)として近江八景のひとつにも挙げられています。

Pb240058 さて、近江八景の「粟津晴嵐」(あわづのせいらん)と呼ばれる、湖畔の松並木をみながら、ぽん太とにゃん子は次に三井寺に向かいました。超有名な三井寺ですが、ぽん太とにゃん子が訪れたのは初めてでした。写真は三井寺の大門(仁王門)です。重要文化財に指定されています。
Pb240067 こちらは国宝の金堂。豊臣秀吉の正室である北政所が再建したものだそうで、桃山時代の建物です。大きな建物であありながら、曲線を描きながら跳ね出した屋根が、軽やかで優美な印象を与えます。
Pb240063 こちらは鐘楼(重要文化財)です。夕暮れに響き渡る鐘の音は、三井晩鐘(みいのばんしょう)として近江八景のひとつに数えられています。
Pb240070 金堂の裏手には「閼伽井屋」という小さな建物があり、内部には泉が湧き出ています(三井の霊泉)。三井寺はもともと園城寺と呼ばれていましたが、この泉の水が、天智・天武・持統天皇が生まれたときの産湯として使われたため、「御井の寺」と呼ばれたのが、三井寺の名前の起こりだそうです。写真は閼伽井屋の丈夫に掲げられた彫刻の龍ですが、左甚五郎の作だそうです。目に釘が打ち込まれているのがわかるでしょうか?なんでもあまりに右とな彫刻であったため、夜な夜な抜け出して琵琶湖で暴れるようになったため、甚五郎自ら彫刻の目に釘を打って、封じ込めたのだそうです。
Pb240130 霊鐘堂の内部には、鐘と、「弁慶の汁鍋」と呼ばれる大きな鉄鍋が置かれています。鐘は奈良時代に造られて重要文化財にも指定されているそうですが、武蔵坊弁慶に引きずられた傷が残っていると言われ、「弁慶引摺鐘」とも呼ばれるそうです。この鐘にはその他にもいろいろと伝説があるそうで、三井寺の公式サイトのこちらのページに書かれています。
Pb240078 写真の観音堂では、秘仏如意輪観世音菩薩が御開帳されていたので、拝んで参りました。平安時代に造られたもので、重要文化財に指定されているそうです。なんかぷっくらしてやわらかで、優美でお優しい仏さまでした。今年の3月から4月にも御開帳するそうです。

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2010/02/04

【歴史ある街並と宿を訪ねて(1)】長浜の旅館「紗蔵」・大通寺

Pb240018 さて、そろそろ年末年始のネパール・トレッキングのご報告をしたいところですが、その前にもひとつ昨年の旅が残っております。ぽん太とにゃん子は昨年(2009年)の11月末、関西・北陸の歴史ある街並と宿を訪ねて旅をしてきました。「温泉」という縛りを外したため、いつもとは違った旅を楽しむことができました。
 さて、ぽん太とにゃん子が今回泊まったのは、滋賀県は琵琶湖畔にある長浜市の旅館「紗蔵」(さくら)です。こちらが紗蔵の公式サイトです。長浜といえば、豊臣秀吉が長浜城の城下町として整備した歴史ある街で、北国街道を中心と下黒壁スクエア周囲の街並は、観光客に人気です。
Pb240024 旅館「紗蔵」は、黒壁スクエアから北国街道を南に辿ったところにあり、観光の中心地からは外れていますが、その分落ち着いた静かな雰囲気が楽しめます。
 「北国街道」と聞くと、関東は東京のぽん太が思い出すのは、信濃の追分で中山道から別れて、善光寺を通って直江津に向かう道です(Wikipediaはこちら、長野県内の部分に関しては、こちらの信州の街道探訪 北国街道が見やすいです)。高速道路でいえば、上信越自動車道の軽井沢から先あたりと思えばいいかと思います。長浜を通る北国街道は、中山道を鳥居本あたりで分岐して北上し、日本海側を越後に至る道で、旧北陸道とも呼ばれるそうです。こちらは北陸自動車道を思い浮かべるといいですね。
Pb240022 紗蔵の建物は、古民家を再生したものだそうです。もともとは江戸時代後期から続く縮緬(ちりめん)商でしたが、長く空き家となっていたそうです。このあたりに関しては、施行を行ったノブワークス材信工務店のブログが詳しいです。
Pb240008 内装は和風モダンとなっております。格子から漏れる明かりが繊細で美しいです。
Pb240012 二階廊下部分です。高い天井、そして柱と梁の組み合わせがリズムを感じさせます。
Pb240020 泊まった部屋は、北国街道沿いの「紅梅の間」。ピンク色の壁にはちとびっくりしますが、障子・格子・簾の組み合わせが絶妙な窓は、虫籠窓と呼ばれるものだそうです。冒頭の写真のようにアールがついた天井など、江戸時代のデザイン感覚には驚かされます。その他の客室も、どれも個性的なようです。
Pb240025 土蔵の窓です、まるで現代彫刻を見るようですね。
Pb240005 こちらがお食事処。窓から見渡せる庭には、笠のように広がった松が生えております。多行松(タギョウショウ)というものだそうで、多くは園芸品種だそうですが、ここ滋賀県では「ウツクシマツ」という品種が自生しており、平松のウツクシマツ自生地は天然記念物に指定されているそうです。
Pb230041 こちらが夕食です。素朴で家庭的ながらもおいしいお食事でした。
Pb240004 朝食もヘルシーな和食でおいしゅうございました。

Pb240030 翌日、大通寺に寄りました。細い参道の正面に立ちはだかる、アンバランスなほど立派な山門が見事です。浄土真宗大谷派の古刹だそうで、公式サイトはこちらです。
Pb240037 伏見城の遺構と伝えられる本堂などの建物が、国の重要文化財に指定されており、また円山応挙や狩野山楽・山雪の障壁画を見ることができます。

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2010/02/02

原因不明の微熱が続く……薬剤熱について

 ときどき、原因不明の微熱が継続する患者さんがおります。ぽん太なりに血液検査をしてみたり、内科で診察を依頼したりするのですが、原因がはっきりしない場合も少なくありません。
 自律神経の乱れから来る微熱もあり、高くても37度台、解熱剤が効かず、検査所見が全くなく、他の自律神経失調症状を伴う場合は、それが疑われます。
 もうひとつ考えなくてはいけないものに「薬剤熱」があります。ネット上でわかりやすい記事を見つけたのでご紹介いたします。
 大野博司「 レジデントのための日々の疑問に答える感染症入門セミナー〔 第5回 〕原因不明の発熱が持続するとき:特に薬剤熱の考えかた」医学書院、週刊医学界新聞、第2792号、2008年08月04日。
 医者歴の長いぽん太には、「レジデントのための」というところが気になりますが、まあ、いいでしょう。これを読んでいただければいいだけなのですが、そのうちリンク切れになるかもしれないし、メモ代わりに、精神科と関わりがある部分の要点をまとめておきましょう。

 まず、以下の場合に薬剤熱を疑う必要があるようです。

(1)薬剤熱を起こす薬剤が投与されている。
(2)発熱しているが、全身状態は良好であることが多い(フェニトイン、カルバマゼピンなどの抗けいれん薬の場合は重症感がある)。
(3)薬剤中止後48-72時間で軽快する(皮疹を伴う場合は、さらに数日発熱が持続する)。
(4)比較的徐脈や好酸球増多、肝機能障害がみられるばあいは薬剤熱の可能性が高いが、これらの所見がなくても否定できない。
(5)薬剤熱でもCRP上昇、白血球数上昇(左方転移を伴う)はよくみられる。
(6)血液培養陰性。
 精神科と関わりのある薬で薬剤熱の原因となるものは以下の通りです。
(1)筋活動亢進により高体温を起こす薬剤
アンフェタミン、リチウム、抗精神病薬(ブチロフェノン系、フェノチアジン系)、三環系・四環系抗うつ剤、交感神経賦活薬
(2)代謝亢進により高体温を引き起こす薬剤
甲状腺ホルモン、交感神経賦活薬、アルコール離脱、鎮静剤離脱、睡眠剤離脱
(3)体温中枢障害により高体温を引き起こす薬剤
アルコール、抗精神病薬(フェノチアジン系)
(4)熱放散障害により高体温を引き起こす薬剤
抗コリン剤、抗精神病薬、交感神経賦活薬
 う〜ん、なんか、これまで「自律神経の乱れでしょう」で済ませていたなかに、薬剤熱が混ざっているような……。皮疹や検査値の異常がある場合は、タヌキのぽん太でも気がつきますが。そうでない場合は、薬の変更をしてみたりする必要がありそうですね。
 引用させていただいたお礼に、おもしろそうな医学書院の本をリンクしておきます。
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2010/02/01

【紅葉の和歌山旅行(6)】湯の峰温泉あづまや(★★★★)・つぼ湯・小栗判官の車塚・力石・まかずの稲/神倉神社

Pb050023 ぽん太は久々にすばらしい「温泉街」に出会いました。それは湯の峰温泉です。こちらが熊野本宮観光協会のサイトのなかの湯の峰温泉のホームページです。
 ぽん太は以前に和歌山で精神神経学会があったときに、クマ君と一緒に熊野に来たことがあります。そのときは川湯温泉に泊まり、「見たけりゃみろ〜、がはは」とばかりに、丸見えの川湯に昼から入っていた記憶があります。そこで今回は場所を変えて、湯の峰温泉にしてみたのですが、こんなにいいところだとは知りませんでした。
Pb050025 赤茶けた源泉塔、コンクリートの川岸に張り巡らされたパイプ。鄙びた雰囲気がいいですね〜。つげ義春なら大喜び間違いなし。ちょっと調べた範囲では、つげ義春がここを訪れたという記録は見つかりませんでした。
Pb050035写真は「湯筒」(ゆづづ)と呼ばれ、わき出している熱湯で、卵や野菜をゆでることができます。湯の峰温泉の歴史は古く、1800年前まで遡ると目されており、日本最古の温泉とも言われています。また、「熊野本宮大社近くにある湯垢離の場」として 世界文化遺産に指定されている珍しい温泉です。
Pb050024_2 こちらが湯の峰温泉の象徴である「つぼ湯」です。共同浴場でお金を払い、順番に入ります。連休明けの平日だったので、幸運にも待たずに入れました。
Pb050019 湯船はとても小さく、二人はいるといっぱいになります。岩風呂風で、底には砂利がひいてあります。底の奥の方から熱いお湯が湧き出て来ます。
 小山靖憲の『熊野古道 』(岩波新書、岩波書店、2000年)によれば、 藤原宗忠(康平5年/1062年〜永治元年/1141年)の日記『右中記』の天仁2年(1109年)の部分に、熊野を訪れた宗忠が湯の峰温泉を訪れた記事があるそうです。川の底から温湯と寒水が湧いていて、ちょうどいい湯加減になっているのを見て感嘆し、「この湯を浴する人、万病消除す」という効能を人から聞いたそうです。
 つぼ湯は、小栗判官の伝説でも有名です。毒殺された小栗判官は、閻魔大王の慈悲で生き返りますが、目も見えなければ話すこともできず、手足もきかない変わり果てた姿となってしまいます。土車(土を運ぶ車)に乗せられた小栗判官は、多くの人の手を借りて、熊野にたどり着きます。そして湯の峰温泉のつぼ湯で49日湯治をして、見事に蘇るのです。小栗判官の伝説については(あらすじも)、例えばこちらのWikipediaをどうぞ。また原典を読んでみたい方は、『説経集』( 新潮日本古典集成 第8回、新潮社、1977年)に収録されています。
 そういえばぽん太は、2006年3月に国立劇場で猿之助十八番の『當世流小栗判官』を見ました(こちらが公演記録です)。馬が碁盤の上に立ったのは覚えているけど、湯の峰温泉での復活は覚えてない。ううう。
Pb040184 ということで湯の峰温泉には、ほかにも小栗判官ゆかりの史跡があります。まずは「車塚」。小栗判官が乗せてこられた土車を、判官復活ののち、この場所に埋めたのだそうです。
Pb050038 「力石」です。ちょっと見にくいですが、画面右側に積み上げてある丸い石がそれで、小栗判官が湯治のあいだ、体力の回復を試すために持ち上げたのだそうです。
Pb050036 こちらは「まかずの稲」。案内板によると、小栗判官が髪を結んでいたワラを捨てたところに稲が生え、毎年実り続けるのだそうです。

Pb040186 さて、ぽん太とにゃん子が宿泊したのは、湯の峰温泉の「あづまや」さんです。こちらが公式サイトです。この写真のあたりは木造二階建てで風情がありますが、新築部分がコンクリート造りなのが残念です。
Pb040192 しかし温泉はすばらしいです。大正時代に造られたという、歴史を感じさせる雰囲気のある浴室です。槙でできた湯船はぬくもりを感じさせます。
Pb040190 こちらは露天風呂です。
Pb040364Pb040003 夕食は、手の込んだ和食で、とてもおいしゅうございました。
Pb050007 こちらが朝食です。温泉粥がおいしゅうございました。
 建物が一部コンクリートなのは減点ですが、お風呂がすばらしく、料理や雰囲気も満足。さらに温泉街のすばらしさが加味され、ぽん太の評価は★★★★です。
 湯の峰温泉には、磨崖名号碑(伝一遍上人名号碑)もあります。一遍上人が岩に爪で刻んだと言われているものです。一遍上人は熊野と深い関係があり、上記の小栗判官の伝説も、一遍上人の時宗の普及と関係あるようですが、このあたりのみちくさはまたの機会といたしましょう。

Pb050045 ということで和歌山の旅もついに終わりです。帰りがけに新宮の神倉神社に寄りました。急な石段を延々と上って行くと、山頂にゴトビキ岩と呼ばれる巨岩があり、その横に小さな社が祀られています。古い熊野信仰を今に伝える神社だそうです。

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