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2010/04/28

【さよなら歌舞伎座】隈研吾の建て替え案に一抹の不安(付:初めての歌舞伎座の記憶)

Img_0378 現歌舞伎座での公演は今月をもってついに終了。三年後に向けて立て替えられることになりました。歌舞伎座君、これまでいろいろありがとう。三階席はちょっと狭かったけど……。さようなら、また会おう!
Img_0372 歌舞伎座の歴史に関しては、たとえばこちらの 歌舞伎座資料館|歌舞伎座の変遷などがあります。現在の歌舞伎座の原型となる建物が出来たのは大正13年(1924年)12月。設計は岡田信一郎とのこと。 Wikipediaを見てみると、なかなかいい建物を造っているようです。嘘つきの孫を持つことで有名な旧鳩山一郎邸(現 鳩山会館)の設計もしているようです。
 ただこの歌舞伎座は、空襲で昭和20年(1945年)5月に外郭を残して焼失してしまいす。昭和25年12月、吉田五十八の設計で現在の歌舞伎座が造られましたが、外観は戦前のものを再現し、近代的な設備を取り入れたものだそうです。
Img_0385 現在の歌舞伎座は、コンクリート造りというところがちと残念ですが、華やかで、「これから歌舞伎を観る」といううきうきした気分にさせてくれるところがぽん太は好きです。ただ舞台が見にくいのは確かで、一階の一等席でも、前の人の頭が邪魔で舞台が見えなかったりします。三階席は前後の間隔も左右の幅も狭く、一度座ると身動きができません。これで4時間以上も観劇するのは苦痛です。また、やはり前の人の頭が邪魔で舞台が見えません。それからトイレが少なくて特に女性はいつも大行列だし、エレベーターがなく、お年寄りも三階まで階段で登らないといけません。こうしたところはぜひ直して欲しいです。それから歌舞伎座の特徴の横長の舞台は、ぜひとも変えないで欲しいです。
Img_0373 歌舞伎座の建替えに関しては、歌舞伎座のサイトのなかの 歌舞伎座建替え計画についてにも書かれています。設計は隈研吾とのこと。サントリー美術館や根津美術館を手がけ、いまや飛ぶ鳥落とす勢いですが、銀山温泉藤屋の件を考えると、ちと不安になります。以前の記事( こちら こちら)でもちょっと触れましたが、大正ロマンの雰囲気漂う華やかな温泉街にある旅館藤屋は、もともとは こちらのサイトにあるような建物でしたが、隈研吾氏の設計でこちらの 公式サイトにあるような建物に改築されました。隈氏がどういう依頼を経営者から受けたのかぽん太は知りませんし、すべてが隈氏の責任ではないと思いますが、外観は銀山温泉の景観を破壊しており、内部も現代的でセンスはありますが、はたして山形の温泉旅館としてふさわしいかは疑問です。おまけに宿泊料金も3万円から5万円とアップ。藤屋は、日本人以上に日本を愛する金髪の女将ジニーさんでも有名でした。そのジニーさんも、2008年3月頃から姿を見せなくなり( 日本一有名な“金髪女将”家出騒動に温泉街“困惑”(ZAKZAK))、帰国してしまったという噂が飛び交っていました。建替えとの関連性は不明ですが、ぽん太が想像するに、古い素朴な温泉旅館を愛したジニーさんが、改築とそれに伴う高級化に嫌気がさしたのがひとつの原因のような気がします。先日藤屋が民事再生を申請して倒産したというニュース( ホテル藤屋:民事再生を申請、負債5億円 金髪の女将で話題/山形(毎日新聞))がありました。
 ひょっとして隈研吾氏は「空気が読めない」のではないだろうか、歌舞伎ファンの気持ちがわかっているのだろうか、劇場建築のノウハウはあるのだろうか。新しく出来た歌舞伎座がまた座席が窮屈だったり、舞台が見にくかったりしないだろうか……。なんだか、あれこれ心配になってきます。
Img_0383 新しく造られる歌舞伎座は、 こちらのページにある外観イメージ図のように、現在の歌舞伎座を踏襲した建物の背後に、29階建てのビルが建つ格好になるようです。ぽん太は、1987年に磯崎新の設計で造られた お茶の水スクエアを思い出します。お茶の水スクエアは、1925年に造られた主婦の友社ビルの外観を残し、高層ビルを加えたもので、日本のポストモダン建築の代表作のひとつです。なんだか20年以上前のアイデアの二番煎じのような気がしますが大丈夫でしょうか……。
Img_0384 もひとつ心配なのは、たしか最初に立て替えを発表したときは、現在の歌舞伎座の建物の外観を踏襲し、さらに戦前の建物にあった中央の大屋根を復元しようというものだったはずです。 こちらのサイトに、「歌舞伎座再生検討委員会報告書」(2005年)のイメージ図が載っております。これはこれでひとつの見識だと思うのですが、これに対して石原都知事が、「銭湯みたいで好きじゃない」「オペラ座みたいにした方がいい」といちゃもんをつけました。その結果、2009年1月に発表された建て替え予想図は、現歌舞伎座のイメージを保ちながら、壁をガラス張りにしたり立て格子にしたりという、なんとも中途半端で奇妙きてれつなものでした(「 歌舞伎座、装飾を抑え現代風に 建て替え計画案提出」2009年1月28日、朝日新聞)。な、なんか、銀山温泉藤屋を彷彿とさせます。保存あるいは復元するなら徹底的に保存・復元し、いっそのこと外部をコンクリートではなくて木造にしたりすればいいと思います。現代風にするのなら、なにも今の建物を真似しないで、平成に造られた名劇場建築と50年後に言われるような、オリジナルの建物にすればいいのに……。なんだかぽん太は不安です。

Img_0364 ぽん太が初めて歌舞伎座を訪れたのは十五年くらい前だったでしょうか、日本の伝統芸能歌舞伎を一度観ておこうと思ったのです。ただそのときは、「ああ、こんなもんね」という感じで、それほど面白いとは思はなかったし、あまり記憶にも残っておりません。
 その時『白波五人男』をやっていたのは覚えていて、これは当時そういう芝居の存在を知っていたからだと思います。また、男が楽屋落ちを交えたギャグを飛ばしながら股をくぐらされる場面も覚えていて、これは後に『助六』だということがわかりました。男が「はいはい、くぐりますよ、わたしゃあなたのお父さんの股もくぐったんだから」と言っていて、確か助六は團十郎だったような。もうひとつ、屋根の上で立ち回りをしていて、イヤホンガイドで「斜めになった屋根の上での立ち回りは技術的にとても難しい」みたいなことを言っていた記憶があります。
 いったい、あのとき観た演目は何だったのか、誰がやっていたのかが気になって来て、この際なので調べてみることにしました。手がかりは、筋書きに載っている上演記録です。『白波五人男』と『助六』の過去の記録を照らし合わせ、同月に上演していたのを探してみると、どうやら平成9年1月のようです。では、その月のその他の演目や、出演者は?「歌舞伎美人」のサイトに歌舞伎座過去の公演一覧というページがあるのですが、残念ながらこちらは2006年10月以降。そこでいろいろぐぐってみたところ、「蘭鋳郎の日常」というブログの「 歌舞伎座の思い出 平成7年 上半期」という記事に出てました。それによると、

昼の部
「曽我対面」。十七世羽左衛門の工藤、團十郎の五郎、菊五郎の十郎、九世宗十郎の舞鶴、田之助の大磯の虎、沢村藤十郎の化粧坂の少将ほか。
「勧進帳」。吉右衛門の弁慶、梅玉の富樫、雀右衛門の義経。
「白浪五人男・浜松屋・勢揃い」。菊五郎の弁天小僧、團十郎の南郷力丸、羽左衛門の駄右衛門、左団次の忠信、時蔵の赤星、三世権十郎の幸兵衛ほか。
夜の部
「毛抜」。猿之助の粂寺弾正、三世権十郎の小野春道、九世宗十郎の巻絹、歌六の秦民部、彦三郎の玄蕃、段四郎の万兵衛、菊五郎の桜町中将ほか。
「連獅子」。幸四郎の親獅子、染五郎の子獅子、彦三郎と沢村藤十郎の宗論。
「助六」。団十郎の助六、雀右衛門の揚巻、左団次の意休、幸四郎のくわんぺら、染五郎の朝顔、勘三郎の白酒売、九代目宗十郎の満江、魁春の白玉、海老蔵の福山の担ぎほか。

とのこと。むむ、ネットの力はすばらしい。蘭鋳郎さん、ありがとうございます。ずいぶん豪華な演目ですね。なんでも平成7年は、松竹創立百年を祝う記念興行が年間を通して行われたのだそうで、1月はその最初の月だったそうです。
Img_0366 しかし、ひとつ疑問が。ぽん太の記憶にある『白波五人男』は昼の部。そして『助六』は夜の部。昼夜通しで観たのかいな?『勧進帳』は観た記憶がないし……。
 記憶をたどってみると、当時はインターネットもなかった時代で情報も手に入りにくかったから、歌舞伎座に直接行って、『白波五人男』を幕見で観て、そのあと夜の部を観たのでしょう。ということは、この時みた演目は、『白波五人男』、『毛抜』、『連獅子』、『助六』か……。
 『白波五人男』は、菊五郎の弁天小僧に團十郎の南郷力丸だったのか。『毛抜』を観ていたとは知らなかった。猿之助は、一度舞台を生で観ておきたかったと思っていたのですが、このとき観ていたとは……。幸四郎親子の『連獅子』。う〜ん、記憶にない。『助六』は揚巻が雀右衛門。福山の担ぎが当時17歳のの海老蔵。ちなみに通人里暁は東蔵で、これは後に歌舞伎座で東蔵を見たとき、そうだったような気がしました。
 しかし、待てよ、屋根の上の立ち回りがないぞ!他の記憶と混ざっているのかな。それとも猿之助の『毛抜』は立ち回りがあるのかしら?DVDを観てみればわかるけど……。まあ、今回はこれくらいにしておきましょう。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

keikoさん、コメントありがとうございます。
古い記事なので、コメントを見落としてしまい、お礼が遅くなりました。
隈さんの建築、ぽん太は嫌いというわけではないのですがcoldsweats01、どこもかしこも隈さんで、しかも縦格子となると、ちょっと辟易してくるのは確かです。
これからもぽん太のブログをよろしくお願いします。

投稿: ぽん太 | 2016/10/24 15:51

はじめまして。
通りすがりものです。2010年の記事に対し、2016年にコメントを書かせていただいております。
私も隈氏のデザインが嫌いなのです。
世の中、なぜにこんなに隈研吾マンセーなのでしょうか?
発注の決定権を持つ人にセンスがないからなのでしょうか?
歌舞伎座は、一等席はグリーン車並みですが、3階の窮屈な座席が改善されていません。身長165センチ以上の人には無理です。
歌舞伎は4時間くらい過ごす場所なのに、安い席だからで済まされるものではないと思うのです。松竹の要望があったにしても、そこを改善させられるのが一流の建築士だと思います。
国立競技場、三越日本橋店・・・
予想図を見ると全部気持ち悪いデザインで
私の好きな場所が、全部隈氏の作品になっていくのが残念でなりません・・・
愚痴のようなことを書いてしまって申し訳ありません。
理解していただけそうだったので、書いてしまいました。

投稿: keiko | 2016/10/08 20:36

餅屋さん、長文のコメントありがとうございます。きっと、いろいろな思いが鬱積しているんでしょうねgawk
歌舞伎座が徐々に出来上がって行くのを眺めながら、こけら落としを楽しみにしていたぽん太にとっても、悲しいコメントでした。
ぽん太も建築家さんにお願いして自宅を新築したことがあるので、建築家さんと、大工さんや職人さんたちとのぶつかりあいは経験があります。しかしそれは、ぶつかりあいのなかから一致点を見いだし、建築家さんのアイディアを、大工さんや職人さんたちの経験を生かして、家という「物」に具現化していくという、極めて建設的で前向きな作業でした。
歌舞伎座の建設現場で、そういった協力関係が築けていないというのは、とっても残念な気がします。
しかもそれが「強度」の問題にまで及んでいるとしたら、残念ではすまされません。建築家からすれば、構造設計における強度計算上で安全ならばいい、ということかもしれませんが、劇場として実際に運用して行けば、当然さまざまな想定外のことが起きてくるわけで、そこを補うのが現場の職人さんたちの経験だと思うのです。それを無視してどうするんでしょう。
歌舞伎ファンのぽん太にとって、歌舞伎座は夢を与えてくれる魔法の建物なんです。観客も、工事に携わった人も、そして建築家も、一生愛せる建物になってほしいです。
もう遅いかしら……。

投稿: ぽん太 | 2012/11/27 14:26

はじめまして。検索して辿り着きました。

と言いますのも、当方建具(重量)を製造している仕事をしておりまして、今般歌舞伎座の建て替え工事に伴う建具を作っており、その業務の中で大きな疑問を「先生」に対して抱いたからです。一体どんな先生だったらこんな非常識な指示をふんぞり返って出せるのだろうか…。

ぽん太さんの「一抹の不安」は的中してしまいそうです。
工事に入っている業者のほとんどが、彼ただ一人が叩きつけるNGのおかげで変更を余儀なくされ、承認が遅れに遅れ、製造・取付が恐ろしく遅れています。2月竣工なんて馬鹿げてるといった、未聞のレベルです。清水さん、地所さんも相当頭が痛いでしょう。
劇場内の細部に至るまでイレギュラーです。
先生の意匠を考えながら各分野の専門家が設計・提案したものに対して、適当にダメ出ししてるとしか思えません。
なぜならば、必要な強度をも無視するからです。
重量建具屋から言わせてもらえば、安心して観劇できる場所としてはふさわしくないと思います。

工場から現場へ運ぶこともままならず、まして取付の際に発生するリスクは多大なもの、意匠に拘るあまり本来あるべき強度の大半を削がざるを得ないもの、工程が押しすぎたために、搬入するには分解して中で組み立てなければいけないものなど、本当にこの方は歌舞伎座を愛しているのか?といった疑問。

昨年はスカイツリーで仕事をした多くの業者が今年、歌舞伎座の工事に携わっていると考えられますし、私と同様の気持ちを抱いている方も多かろうと思います。
もちろん当方もやりました。
全ての建築物には施主の気持ちがこもっており、作る者たちはその想いを叶えようと努力します。
ですが悲しいことに、歌舞伎座にはそれが感じられない。
心血注いで提案し続けても、届かない。

残り3か月余りで竣工するには昼夜突貫(現在)だけでは無茶でありますが、すでにこけら落としの発表までされているわけで、どうにか間に合わせるのでしょう。
そんなに急いで最高の仕事ができるのでしょうか。
けが人を出さずに済むでしょうか。

一番肝心なのは、自然災害から観客を守れる建物なのでしょうか。

具体的な表現ができなくて申し訳ありません。
ただ個人的な意見として、作るときもその後も、多くの人に不安を与えてそれで讃えられるのが「先生」って?
出来の悪い生徒の間違いでしょ、と言いたかったです。

私の目からでは、不本意ながら、実用に堪えるかは疑問符がついてしまいます。

長文失礼しました。

投稿: 餅屋 | 2012/11/21 16:23

らりんさん、コメントありがとうございます。happy01
日本橋の三井タワーもそうですが、日本は腰巻きビルばかりですね。
歌舞伎座も腰巻きビルになるのは仕方ないにしても、
せめて、建築家のオリジナリティが感じられるものにしてほしいです。
それもだめだったら、
せめてせめて、劇場としての実用に堪えるようにお願いいたします。

投稿: ぽん太 | 2011/05/04 19:30

みなさん、パリのオペラ座がもし
高層ビルの腰巻みたいに建て替えられて
「再現しました」って言われたら
どう思いますか?

今回の歌舞伎座の建て替えは、外から見れば
そういうことです。

自国の伝統文化を演じる劇場ひとつ
維持できない国(市民)・・・

貧しい国ですね。
日本人のひとりとして恥ずかしいです。

投稿: らりん | 2011/05/03 02:35

通りすがりの建築士さん、コメントありがとうございます。
環八沿いのマツダのM2、実際に見たことあります。むちゃくちゃな建物ですよね。昔「ばかけんちく探偵団」というサイトでもとりあげておりました。探してみたらいまもあるようです。
http://bktd.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_25a8.html
そうですか。これが隈研吾の設計だったんですか。知りませんでした。なんと今は東京メモリードホールという葬儀場として使われているようですね。
http://www.tokyo-memolead.co.jp/hall_tokyo.html
う〜ん、新歌舞伎座、ますます不安になってきてしまいました。もうデザインはどうでもいいから、せめて実用にたえる劇場にしてほしいと祈るばかりです。

投稿: ぽん太 | 2010/12/26 17:17

ぽん太さん。はじめまして。たまたま検索していてこのブログを拝見しました。

私はフリーランスの建築家の一人です。隈健吾氏の歌舞伎座の件を拝見して、私も完成予想図を見て暗澹とした気持ちになり一言申し上げたく。。。新しい歌舞伎座には今後100年の未来の評価に耐えられる強度をもち得るのかという点で非常に不安を覚えます。

あまり知られてませんが、隈健吾氏は、実は建築関係者の間では極めて評判の悪い人なんですよ。

以前、東大の建築関係の方々と話す機会があったのですが、彼に対して誰一人、尊敬しているとか作品を評価しているという意見がありませんでした。

彼が成功しているやっかみのせいかというと決してそうではなく、例えば、妹島和世さんとかは皆評価しています。それは、作る姿勢や建物にクリエィティビィティがあるかどうか。その一点につきます。彼には建築関係者をうならせるような実績や、安藤忠雄氏のように何十年もひとつのアイデアをあたためる構想力や忍耐力もありません。
あるのは、時代の空気を読んで(オリジナルではない)そこそこなものを作る、そういう処世術です(そういう意味での空気は読めまくる人なんですよ:笑)

NHKのプロフェッショナルにも出てましたが、海老蔵の回と同じくらい噴飯モノの内容でした。。。曰く『隈健吾はシャイである』。。。これはある建築雑誌の編集長から聞いた言葉です。隈健吾さんが『僕って最近ちょっとメディアに露出しすぎかなぁ?』と。。。

昔、ポストモダンという建築デザイン全盛の頃、マツダのM2という建物を設計して、あまりの醜悪さに話題になり一度は建築界を追放された人物なんですよ。(今は葬祭場になってるそうです)

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/M2ビル_(世田谷区)?wasRedirected=true

余談ですが、以前、小山薫堂さんが企画したニューデザインパラダイスという番組で、小山さんが隈健吾さんに出てもらうのがひとつの目標だったみたいなことを云っていて、デザイン通みたいなコト云ってても、全然わかってないんだなぁ。。。と思った覚えがあります。

投稿: 通りすがりの建築士 | 2010/12/20 01:21

「舞台研究会の者より」さん、コメントありがとうございました。
「てぬぐいぶくろ」さんのサイト、検索して見てみました。
また、解体中の写真は、「となりのメトロ」さんのサイトですね。
写真から1ヶ月、だいぶ解体は進んでいるのでしょうか……。

投稿: ぽん太 | 2010/09/08 16:51

私は九州人でただ1名歌舞伎座様の隅々まで見学出来たラッキー人ですが寂しく思い中です
インターネットてぬぐいぶろさんが歌舞伎座様の解体風景写真で出して下さるので大感げきちゅうです
努力して雑居ビルより写真とって下さった方にもお礼申し上げます
松竹の馬鹿こちらが駄々こねてやったらやっと工事風景公開して来たようです
仕事は丁寧なので許しとりますが
これからも良い写真期待して参りたいと思います

投稿: 舞台研究会の者より | 2010/09/07 10:41

コメントありがとうございます。
リンクのインタビュー、拝読させていただきました。
最善は尽くしてくれると思うのですが、どしてもぽん太は、期待の裏の不安を拭いきれません。

投稿: ぽん太 | 2010/06/12 14:27

はじめまして。
通りすがりの者ですが、他ホームページにて隈さんの新・歌舞伎座についてのインタビューが載っていたので、ぜひ読んで頂きたくリンクを貼らせていただきます。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/tradition/CK2010030602000203.html

これを読むと、かつての歌舞伎座が変容するのは寂しいことではありますが、きっと最善を尽くしてくれるのではないかと嬉しい期待でいっぱいになります。

投稿: | 2010/06/07 09:54

ありがとうございます。
「歌舞伎座の音響6」の記事で紹介させていただきました。
今後もよろしくお願いたします。

投稿: 岡田ファン | 2010/05/29 09:10

岡田ファンさん、コメントありがとうございます。
今日「岡田ファン」といったら、サッカーの話しかと思いましたhappy01
このような過疎ブログでよろしければ、遠慮なくリンクをどうぞ。
こちらからお願いしたいくらいです。
岡田ファンさんのブログも時々のぞきに行きます。

投稿: ぽん太 | 2010/05/26 08:49

はじめまして。
岡田信一郎ファンの者です。
拙ブログからリンクを張らせていただきたいのですが、
よろしくお願いたします。

投稿: 岡田ファン | 2010/05/26 02:50

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