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2010年5月の17件の記事

2010/05/31

【サーカス】アクロバットと「変面」がよかったな〜 『雑技王・中国雑技団』

 以前に シルク・ドゥ・ソレイユでサーカスに目覚め、次いで ボリショイ・サーカスを観たぽん太は、先日念願の中国雑技団を観て参りました。公式サイトはこちらです(動画もあり)。
 会場は、 雇用・能力開発機構が、建物と土地で約242億円の評価額のところを50億円で売り払ったことで有名な中野サンプラザです。
 当日会場にやってきたのは、ご高齢のなんにょばかり。若者や子供たちはどうした!平日の昼間だから仕方がないのか。それにしても、若者はサーカスには興味がないのでしょうか。日本は体操競技のレベルが高く層も厚いのだから、ぜひそこからバレエやサーカスに人材が流れて欲しいものです。
 で、なかなか面白かったです。ぽん太が子供のころ「万国びっくりショー」だか東京ぼん太司会の「世界ビックリアワー」だかで見たような古典的なネタもありましたが、柔軟・バランス系や、ジャンプ系のアクロバットはさすがにすごく、衣装や演出など、現代的なエンタテイメントに仕立てようという意欲が見て取れました。
 華やかなオープニングに続いて、まず『マジカル・ボックス』。箱に入った女性を串刺しにすると、あらいない、実は下の台に隠れているという有名なマジックですが、ここは素直にイリュージョンを楽しみたいところ。最後には女性が3人も箱から出て来て、狭い台の中に女性が三人みっちりと、まるでオイルサーディンのようにじっと隠れていたのかと思うと、なかなか愉快です。
 びっくりしたのは掌上バレエ『月明かりのパ・ド・ドゥ』。男性が女性を持ち上げて、バレエのような動きをするというアクロバットです。そういえば以前、『アクロバティック・白鳥の湖』とかいう来日公演があったな……。行かなかったけど,ググったら、ありました、ありました、 こちらが公式サイトです。2007年8月だったようで、主役は広東雑技団に所属するウ・ジェンダンとウェイ・バォホァとのこと。今回のペアとは別人かしら、よくわからん。下でリフトしている男性の筋力とバランス感覚も見事ですが、上に乗っている女性が手の上にトゥシューズのつま先で立ち、正確なバレエのポーズをとっていることのすごさは、普段バレエを見てない人はわからなかったかもしれません。
 ディアポロ(中国コマ)は見慣れた演目ですが、やはり目の当たりにするとすごいです。バイシクル・アート『七色のつばさ』は、自転車の上にあれよあれよと大勢の人が乗り込んでポーズをとるのが、華やかでした。これも昔テレビで見たけど、肉眼で見ると迫力があります。ステッキ・タワー『スカイ・ツリー』は、体操の吊り輪の技術を使った演目。ボール・ジャグリング『スプラッシュ』は、ちょっとイケメンの男の子が、フラメンコに乗せてジャグリング。その技は見事でした。リング・ダイビング『スワロー・セイリング』は、シルク・ドゥ・ソレイユでも中国人グループが似たような技を見せてくれましたが、タンブリングしながら小さな輪をくぐるというもの。これもすばらしかったです。
 マジック『三変』では、「変面」を応用したマジックを見れたのがよかったです。昔テレビで『變臉~この櫂に手をそえて~』(監督:呉天明、1996年、中国)を見て以来、一度生で見てみたかったのです。とても見事なイリュージョンでした。
 それからぽん太は、槍と人が戦ったりする武術(たとえばこちらのYoutbue動画)も中国雑技団だと思っていたのですが、違うみたいですね。これはどこで見れるのでしょう?


雑技王・中国雑技団
2010年5月19日 中野サンプラザホール

『オープニング』
マジック『マジカル・ボックス』
バランス・アクロバット『グラス・タワー』
掌上バレエ『月明かりのパ・ド・ドゥ』
コミカル・ショー『白鳥の湖』
スピニング・プレート(皿回し)『春の息吹』
マジック『フライング・カード』
ジャンピング・アクロバット『疾風迅雷』(しっぶうじんらい)
ディアボロ(中国コマ)『俏花旦』(しょうかたん)
バイシクル・アート『七色のつばさ』
ステッキ・タワー『スカイ・ツリー』
コミカル・ショー『ナイフ投げ』
ボール・ジャグリング『スプラッシュ』
リング・ダイビング(輪くぐり)『スワロー・セイリング』
マジック『三変』
十三人頂碗『騰・韻』
『フィナーレ』

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2010/05/30

【歌舞伎】菊之助の玉手御前、藤十郎の義経 2010年5月大阪松竹座昼の部

 昨夜は大阪の夜を満喫し、本日は昼の部。公式サイトの公演案内はこちらです。
 まずは「摂州合邦辻」。継母が継子に恋慕するという話しですが、「もどり」のオチがついていて、実は継母玉手御前が継子俊徳丸を守るため、我が身を犠牲にして演じていたはかりごとであった、という結末です。
 継母が継子を愛するという物語は、世の東西を問わず見かけるモチーフで、ぽん太も以前、エウリピデスの『ヒッポリュトス』・セネカの『パエドラ』・ラシーヌの『フェードル』についてはこちら、『今昔物語』については こちらに書いたことがあります。
 さらに日本では、能の『弱法師』、説教節の『しんとく丸』などの系譜があり、「摂州合邦辻」はこれらを踏まえております。そういう意味では、「オチ」の部分が「摂州合邦辻」の目新しさになるのでしょうけれど、ぽん太はこの「オチ」の部分は理屈っぽくて嫌いです。あくまでも前半の、継母の継子に対する狂わしいまでの恋慕、猟奇的な色気を堪能したいところです。
 そういうぽん太の好みからすると、菊之助の玉手御前はとてもよかったです。初め両親は世間への義理から玉手御前と決して会おうとしませんでしたが、子を思う情に堪えきれずについに家に入れます。ああそれなのに玉手御前は、俊徳丸への狂おしい恋心を語るばかりで、両親の言葉を尽くしての説得に耳を貸しません。ぞくっとするような美しさと、ある種の冷酷さを持つ菊之助の玉手御前は、女性の性が持つ一面を、まるで怨霊のような恐ろしさで描き出しました。
 時蔵の俊徳丸、三津五郎の合邦道心、東蔵の女房おとくもよかったです。
 ついで「勧進帳」。團十郎の弁慶、菊五郎の富樫は観たことありますが、義経の藤十郎は初めて。さすがご当地大阪、藤十郎の花道の出では、ひときわ大きな拍手が起りました。いつもながら文楽人形のカシラのように、情動を安易に表情に出さずに内面化した演技で、判官御手なども実に高貴で格調高かったです。
 最後は「河内山」。三津五郎の河内山宗俊でしたが、三津五郎の品の良さ、温厚さ、繊細さが出てしまって、宗春独特の大きさ、豪快さ、バカっぽさが見られず、ちと迫力不足でした。


大阪松竹座
團菊祭五月大歌舞伎
平成22年 5月 昼の部

一、摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)
  合邦庵室の場
            玉手御前  菊之助
             俊徳丸  時 蔵
             浅香姫  梅 枝
             奴入平  團 蔵
            母おとく  東 蔵
            合邦道心  三津五郎

二、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
           武蔵坊弁慶  團十郎
           富樫左衛門  菊五郎
            亀井六郎  家 橘
            片岡八郎  権十郎
            駿河次郎  高麗蔵
           常陸坊海尊  秀 調
             源義経  藤十郎
三、天衣紛上野初花
  河内山(こうちやま)
           河内山宗俊  三津五郎
           松江出雲守  錦之助
            宮崎数馬  巳之助
            腰元浪路  右 近
            北村大膳  團 蔵
          高木小左衛門  東 蔵

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2010/05/29

【歌舞伎】時蔵の八重垣姫、一巴太夫の常磐津、菊五郎の髪結新三 2010年5月大阪松竹座夜の部

 歌舞伎座が立て替えのため閉鎖されて、放浪の旅が始まった歌舞伎一座。ぽん太とにゃん子も追っかけて、はるばる大阪まで行ってきました。公式サイトの公演案内はこちらです。
 まずは夜の部から。最初の演目は「十種香」、時蔵の八重垣姫です。八重垣姫は、許嫁の武田勝頼が死んだと思い込み、その絵姿を前に一心に念仏を唱えております。しかしそこに現れたのは、勝頼そっくりの美男子。ヤエガッキーは、「勝頼さまheart02」と駆け寄ろうとするのですが、「いけない、いけない、おばかなガッキーbleah。勝頼さまは死んだのよ」と、また念仏を唱えはじめます。しかし目の前のイケメンがどうしても気になるガッキー。腰元の濡衣を呼び寄せると、「ねぇねぇ、あんたたちってできてんのpout」と尋ねます。そして二人が無関係と聞くと、濡衣に仲立ちを頼みます。一途なガッキーのストレートな行動lovelyは、なんだかイマドキのギャルを見ているようで、とっても微笑ましいです。時蔵の八重垣姫は、とても可愛らしかったです。
 錦之助の勝頼は、美男子でおっとりしていて悪くないのですが、なにかプラスアルファのオーラというか、色気が欲しいです。菊之助の腰元濡衣はきっちりと演じておりましたが、時蔵が相手ではさすがに位負けか。
 八重垣姫のモデルが、武田信玄の娘にして、上杉景勝に嫁いだ菊姫であり、そのお墓が米沢の林泉寺にあることは、以前の記事に書きました。
 「京人形」は初めて観ました。左甚五郎の彫った京人形が動き出すのですが、初めはぎくしゃくした男の動きだけど、手鏡を懐に入れたとたんに、たちまち女らしくなるという設定の舞踊劇です。左甚五郎の三津五郎の踊りは、柔らかくて愛嬌もあり、いつもながらまことに見事。菊之助の京人形は見た目からしてとても美しく、箱のふたを取った瞬間、客席がどよめきがわきました。菊之助のどこか冷たい感じも、人形という設定とうまくマッチして、とてもよかったです。後半は、左甚五郎にちなんで、大工道具を使った立ち回りという趣向がおもしろかったです。また久々に聴いた人間国宝一巴太夫の常磐津も、色気といい柔らかさといい、高音の伸びといい、絶品でした。
 「髪結新三」は、菊五郎の新三。菊五郎はホントにこういう役はいいですね〜。これまで新三は、幸四郎で二回見たことがあるのですが、幸四郎だとなんか暗くて悪者っぽく見えてしまいますが、菊五郎だと、悪党でも華やかでカッコいいです。菊之助の勝奴も、ちょっと固いというか遊びがない感じもしましたが、菊五郎とよく息が合ってました。時蔵はこの演目では手代忠七と大活躍でしたが、「女形が演じている」っぽい感じがなくて、よかったです。三津五郎の家主長兵衛も上手でしたが、持ち味の品の良さが感じられてしましました。も少しアクがあるといいのですが。萬次郎の女房おかくの方が、こちらはちょっとオーバーでしたけど、ごうつくばりなやり手ばばあの感じが出てました。團十郎の弥太五郎源七は、大親分らしい風格と気っ風がありました。新三にあしらわれての悔しがりようもすごかったです。
 行きの新幹線の中で『清水次郎長――幕末維新と博徒の世界』(高橋敏著、岩波書店、2010年)を読んでいたおかげで、幕末から明治初期にかけて隆盛を築いた侠客の世界が、相手をつぶしては自分がのし上がるという力と力の世界であることがわかったので、新三と源七との関係もよく理解できました。この狂言の元となった白子屋の娘お熊と手代の事件が起きたのは享保12年(1727年)ですが、この黙阿弥の狂言の初演は明治6年(1873年)ですから、当時の侠客の世界が反映されていたと考えられます。この本はいろいろと面白かったですが、名うての悪ガキだった次郎長を持て余した両親が、次郎長を預けた先が、以前に桜えびを食べに訪れた静岡県の倉沢(そのときの記事はこちら)だったたことも、初めて知りました。


大阪松竹座
團菊祭五月大歌舞伎
平成22年5月 夜の部

一、本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)
  十種香
            八重垣姫  時 蔵
            武田勝頼  錦之助
            腰元濡衣  菊之助
           白須賀六郎  萬太郎
            原小文治  権十郎
            長尾謙信  團 蔵

二、銘作左小刀
  京人形(きょうにんぎょう)
            左甚五郎  三津五郎
           京人形の精  菊之助
             井筒姫  巳之助
             奴照平  秀 調
             おとく  萬次郎
三、梅雨小袖昔八丈
  髪結新三(かみゆいしんざ)

  白子屋見世先より
  閻魔堂橋まで
            髪結新三  菊五郎
            手代忠七  時 蔵
            下剃勝奴  菊之助
          白子屋娘お熊  梅 枝
          加賀屋藤兵衛  高麗蔵
            車力善八  秀 調
         白子屋後家お常  家 橘
         家主女房おかく  萬次郎
           家主長兵衛  三津五郎
          弥太五郎源七  團十郎

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2010/05/28

【歌舞伎】海老蔵の松王丸、染五郎の「お祭り」 2010年5月新橋演舞場昼の部

 公式サイトはこちらです。
 夜の部の「熊谷陣屋」に比べると、「寺子屋」の方が良かったです。海老蔵の松王丸は、やはり咳き込むところが大げさですが、綺麗で大きくてよかったです。桜丸にかこつけて、息子小次郎の死を嘆くところも、手放しの子供のような大泣きが、拙いと言えば拙いのかもしれませんが、悲しみがストレートに伝わってきました。対する染五郎の武部源蔵は、どうも線が細く小さく見えてしまって、松王丸と互角に渡り合えていませんでした。七之助の戸波も、菅秀才を命をかけて匿おうとする覚悟が感じられませんでした。勘太郎の千代はしっかりとしてました。
 「吉野山」は風邪気味のため、ぽん太は意識喪失。
 「魚屋宗五郎」は、江戸っ子らしく気っ風のいい松緑が、どう宗五郎を演じるのか楽しみにしていたのですが、ちと期待はずれでした。台詞が一本調子で、愛嬌やおかし味が感じられません。酔っぱらった状態も、目がすわって怒鳴り散らすばかりで、なんだかコワ〜イ感じでした。おなぎの七之助が、「こんなことだとわかっていたら、お酒は持ってこなかったのに」というところは、勘三郎の宗五郎では笑いが起きましたが、今回は特に受けませんでした。松緑は古典的な演目や踊りではいいですが、世話物は苦手なのかしらん。
 「お祭り」。「寺子屋」の武部源蔵と違って、鳶頭染吉の染五郎は、いなせな感じに色気も加わり、なかなかよかったと思います。


五月花形歌舞伎
平成22年5月・新橋演舞場
昼の部

一、菅原伝授手習鑑
  寺子屋(てらこや)
             松王丸  海老蔵
              千代  勘太郎
              戸浪  七之助
            園生の前  松 也
            百姓吾作  寿 猿
          涎くり与太郎  猿 弥
            春藤玄蕃  市 蔵
            武部源蔵  染五郎

二、義経千本桜
  吉野山(よしのやま)
      佐藤忠信実は源九郎狐  勘太郎
            早見藤太  猿 弥
             静御前  福 助

三、新皿屋舗月雨暈
  魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)
           魚屋宗五郎  松 緑
           女房おはま  芝 雀
          磯部主計之助  海老蔵
           召使おなぎ  七之助
            小奴三吉  亀 寿
            岩上典蔵  亀 蔵
            父太兵衛  市 蔵
          浦戸十左衛門  左團次

四、お祭り(おまつり)
              鳶頭  染五郎

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2010/05/20

【歌舞伎】「助六」と「熊谷陣屋」で若さが明暗 2010年5月新橋演舞場夜の部

 5月の新橋演舞場花形歌舞伎は、「寺子屋」「熊谷陣屋」「助六」と、4月の歌舞伎座さよなら公演に掛けられた演目を若手が務めます。ベテランの世代から次の世代へという意味合いかと思いますが、夜の部の「熊谷陣屋」と「助六」は、明暗が分かれました。歌舞伎公式ウェブサイトの公演案内はこちらです。
 すばらしかったのは「助六」。主人公の助六は、女にはもてるし喧嘩にもめっぽう強い男伊達。4月の團十郎の円熟した芸もよかったですが、ここは海老蔵の若さと美形がプラスに作用してました。海老蔵の花道の出端は、ぽん太は男ながら惚れぼれいたしました。この狂言は、馬鹿っぽい若者たちが、吉原で女遊びをしたり喧嘩を売ったりとヤンチャしてるという話しですから、若い役者たちで違和感がありません。
 福助の揚巻も、貫禄といい、悪態をつくときの切符といい、華やかさといい、先月の玉三郎よりも良かった気がしました。揚巻は、玉三郎だと品が良すぎるし、線も細すぎます。秀太郎の満江がさすがの風格で舞台を引き締め、笠を取った瞬間、舞台がぱっと明るくなりました。染五郎の新兵衛もなよなよぶりがおかしく、七之助の白玉は綺麗。松緑と亀寿は台詞のリズムがよく、古風な面白さが感じられました。
 今回は「水入り」付き。初めて観ましたが、様式的な前半とうってかわって、大水のケレンを交えた立ち回りで、迫力がありました。また意休の正体がようやくわかりました。

 「助六」では大奮闘の若手陣でしたが、さすがに「熊谷陣屋」のような本格的義太夫狂言では、力不足が目立ちました。歌舞伎初心者のぽん太には、具体的にどこが悪いのか指摘するのは難しいのですが、できる範囲でいくつか挙げてみたいと思います。まず、台詞や表情・仕草が現代劇調でリアルすぎて、様式的な表現になっていないため、逆に深い情動が浮かび上がってきません。芝居の見せ所と見せ所の間のつなぎの動作が、気持ちが行き届かずに雑になっているところも気になりました。それからこの狂言は、武家の倫理に則った公式的な発言と、子を持つ親としての本音との、二重構造が眼目です。公式的な台詞を言いながら、それとは異なるハラを伝える必要がありますが、それが十分にできてなかった気がします。例えば前半で相模が藤の方に、立派に討ち死にした敦盛、喜びこそすれ哀しむべきではないと諭す場面。相模の七之助はマジな表情で意見しておりましたが、我が子小次郎の身を案じて国元から陣中にまでやってきた相模、藤の方の心情は痛いほどわかっているはず。わかっていながらも、そのことは口に出すことはできず、公式的な発言でなぐさめる場面だと思いますが、そうは見えませんでした。染五郎の幕外も、若々しくストレートに哀しみを表現しておりましたが、吉右衛門の複雑で重層的な感情表現するには及びませんでした。
 「うかれ坊主」。松緑の踊りは愛嬌があってうまい。二つの大きな狂言を、楽しくつないでくれました。


新橋演舞場
五月花形歌舞伎
平成22年5月・夜の部

一、一谷嫩軍記
  熊谷陣屋(くまがいじんや)
            熊谷直実  染五郎
             源義経  海老蔵
              相模  七之助
             藤の方  松 也
          梶原平次景高  錦 吾
             堤軍次  亀三郎
           白毫弥陀六  歌 六

二、うかれ坊主(うかれぼうず)
            願人坊主  松 緑

三、歌舞伎十八番の内
  助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)

  三浦屋格子先より
  水入りまで
           花川戸助六  海老蔵
           三浦屋揚巻  福 助
          白酒売新兵衛  染五郎
        くわんぺら門兵衛  松 緑
           三浦屋白玉  七之助
           福山かつぎ  亀三郎
            朝顔仙平  亀 寿
          番頭新造白菊  歌 江
            通人里暁  猿 弥
           国侍利金太  市 蔵
            遣手お辰  右之助
           三浦屋女房  友右衛門
            髭の意休  歌 六
            曽我満江  秀太郎
              口上  左團次

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2010/05/18

【ドイツ旅行(2)】ヘーゲルも歩いたというハイデルベルク

 成田からフランクフルト空港まで、JALの直行便でわずか12時間。JALには今年の1月、株でえろうお世話になりましたが、いや、ぐちは言うまい。ホントうらんでないですよ。恨むんなら前原……え、いや、ゴッホン。
 その夜はマンハイムで宿泊。翌朝バスでハイデルベルクに移動し、観光開始です。
Img_0392 まずはハイデルベルク城。ドイツで最初に受けた印象は、「緑がきれい」でした。樹が多い上に、ちょうど新緑が美しく、さまざまな鳥のさえずりが聞こえて来ます。まさに「森は生きている」という感じで、生命の息吹が伝わって来ます。ドイツ人が物語や芸術のなかで、森の中に妖精やらなんやらが住むと考えるのが、この森を見ると納得できます。
P5010041 こちらはライラックの花。きれいですね。バスの窓からは、白いリンゴの花や、まっ黄色の菜の花畑も見えました。
Img_0398 ハイデルベルク城は、次々と拡張が続けられたため、様々な様式が混在しています。このフリードリヒ館は、ルネッサンス様式の見事なファサードが特徴です。
Img_0401 テラスからみた旧市街の眺めは、とても美しいです。ネッカー川にそって、赤い屋根が並んでいます。
Img_0417 その旧市街にあるツム・リッター・サンクト・ゲオルク・ホテルは、ハイデルベルクで唯一中世の原型をとどめている建物です。建てられたのはなんと16世紀。ハイデルベルクは戦乱によって幾度となく破壊されました。先のハイデルベルク城すら、再建されたものです。
Img_0419 ハイデルベルク大学旧館で、現在は博物館として利用されているそうです。ヘーゲルやマックス・ヴェーバー、ハーバーマス、ヤスパースなどが教鞭をとった、歴史ある大学です。
Img_0422 こちらは聖霊教会。手前のマルクト広場では、メーデーの集会(?)が行われていました。
P5010069 ハーモニカ吹きのおじさんと犬です。

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2010/05/17

【ドイツ旅行(1)】日程のご案内

Img_0478 ぽん太とにゃん子、今年のゴールデンウィークはドイツに行って参りました。
 ぽん太は20年ほど前にドイツに行ったことがあります。その時は、フランクフルトから入って、ライン下りをして、ロマンティック街道、ノイシュバインシュタイン城、そしてスイスを通ってパリへ抜けるという行程でした。確かベルリンの壁崩壊の翌年くらいで、アウトバーンを東ドイツ製のトラバントがのろのろと走っているのに出会うと、バスの運転手さんが嬉しそうにクラクションをならしたりしてました。
 ということでぽん太は、ベルリンやその他の街に行ってみたかったのですが、一方にゃん子はこれまでドイツに行ったことがないので、ドイツの名所は外せない。そこでドイツ全体を一通り巡り、かつベルリン観光ができるツアーを、以前から探していたのですが、今回日程的にもちょうどいいツアーに巡り会い、実現の運びとなりました。
 今回お世話になったのは、近畿日本ツーリストさん、ツアーは充実のドイツハイライト 8日間です。近ツリさんにお世話になったのは、たぶん初めてだと思うのですが、なかなかよかったです。どうよかったかは、ブログをご覧下さい。
 ゴールデンウィークの直前に、アイスランドの噴火で飛行機が止まり、もう行けないんじゃないかと一時はあきらめかけましたが、なんとか無事に行って来れてよかったです。

 まずは日程のご案内。

【1日目】 成田空港……airplane(JAL直行便)……フランクフルト……bus……マンハイム
nightマンハイム泊
【2日目】マンハイム……bus……camera ハイデルベルク市内観光 (ハイデルベルク城・アルテブリュッケ・マルクト広場)……bus(古城街道)……ローテンブルクcameraローテンブルク市内観光 (マルクト広場と市庁舎・ブルク公園)
restaurant昼食:シュニッツェル(カツレツ)
restaurant夕食:魚のグリル
nightローテンブルク泊(城壁内のホテル)
【3日目】ローテンブルク ……bus(ロマンチック街道)……ホーエンシュバンガウcameraノイシュバンシュタイン城観光・マリエン橋……bus……camera 【世界遺産】ヴィース教会観光……bus……cameraミュンヘンの簡単な市内観光(新市庁舎・マリエン広場)
restaurant昼食:ロールキャベツ
restaurant夕食:ビアレストラン『ホーフブロイハウス』にてビールとバイエルン料理
nightミュンヘン泊
【4日目】ミュンヘン ……bus……cameraニュルンベルク市内観光(カイザーブルク城・美しの泉・中央広場・聖母教会)……bus……camera【世界遺産】バンベルク市内散策……bus……ドレスデン
restaurant昼食:各自自由
restaurant夕食:ザウアーブラーテン(牛肉煮込)
nightドレスデン泊
【5日目】cameraドレスデン市内観光( フラウエン教会・ゼンパーオペラ・君主の行列壁画・ブリュールのテラス)……bus……cameraポツダム市内観光(【世界遺産】サンスーシ宮殿・オランジェリー・【世界遺産】ツェツィーリエンホフ宮殿)……bus……ベルリン
restaurant昼食:名物ミートボール
restaurant夕食:各自自由
nightベルリン泊
【6日目】cameraベルリン市内観光(ブランデンブルク門・ベルリンの壁跡・国会議事堂・【世界遺産】ベルリン大聖堂)
restaurant昼食:中華料理
camera午後は自由行動
restaurant夕食:各自自由
nightベルリン泊
【7日目】ベルリン……bus……camera【世界遺産】ワイマール市内散策(国民劇場・マルクト広場)
restaurant昼食:チューリンゲン風ソーセージ
……bus……フランクフルト空港……airplane(JAL直行便)……
【8日目】……airplane……成田空港

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2010/05/16

【旅行】苗代桜・金山巨石群(岩屋岩蔭遺跡)[下呂市]、弘法湯(水虫退治株式会社)[高山市]

Img_0346 4月上旬、下呂温泉湯之島館に泊まって世は満足じゃ状態となったぽん太とにゃん子は、近くの「苗代桜」(なわしろざくら)を見に行きました。場所はこの辺です(→Googleマップ)。1本に見えますが、実は2本の樹からなっていて、樹齢は400年以上なのだそうです。里人が、この桜の樹が満開になるのを合図に、苗代の準備を始めたことから、苗代桜と呼ばれるようになったそうです。水田に写る姿が見事で、大勢の写真愛好家が三脚を並べておりました。
 夜にはライトアップされて、さらに幻想的な光景となるそうです。下呂温泉から見学ツアーのバスも出るそうですが、ぽん太とにゃん子は、夕食後は酔っぱらって使い物にならないので、パスいたしました。
Img_0357 次に訪れたのは、金山巨石群(岩屋岩蔭遺跡)。場所はこの辺です(→Yahoo!地図)。山の斜面に巨石がゴロゴロと散在しており、妙見神社が祀られています。周辺では縄文早期の遺物が発掘されているそうです。
 この巨石群は、縄文時代晩期に天文観測のために使われていたのではないか、ということで脚光を浴びているそうです。こちらの金山巨石群調査資料室が詳しいですが、この団体は地元の天文愛好家からなるようなので、「信じるも信じないもあなた次第です」という感じがします。
Img_0360 その後、飛騨高山をよりみちしました。外国人ツアー客が多かったです。外人さん、お金を落としてくだせえまし。
 高山に、レトロな味わいの銭湯があったので、写真を載せておきます。場所はこちら(→Yahoo!地図)です。左側には「水虫退治株式会社」の看板があり、妖しさを増しております。

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2010/05/15

【温泉】昭和初期の木造三階建て 岐阜県下呂温泉湯之島館(★★★★★)

Img_0336 下呂温泉は十年くらい前に訪れたことがあるのですが、天下に名だたる温泉地ではあるけれど、観光化されていてなんだかな〜という印象でした。しかし今回、雑誌でこの旅館の存在を知り、4月上旬、下呂温泉を再訪することにしました。湯之島館の公式サイトはこちらです。
 カーナビに従って進んでいくと、温泉街を通り抜け、どんどん山の中に入って行きます。道を間違えたかな〜と思い始めた頃、木立のなかに、すばらしい木造三階建ての建物が見えて来ました。ををっ、いい感じです。
 こちらが玄関です。幾重にも重なった瓦屋根が見事で、直線的なラインで構成されているため、格式が感じられます。昭和6年に造られたものだそうで、前の写真の本館、渡り廊下とともに、今年登録有形文化財に指定されたそうです。
Img_0324 宿にはいくつかの棟があるのですが、古い建物好きのぽん太とにゃん子は、迷わず本館を選択。実はお値段も安くてお得です。落ち着きのある和室で、窓から広々した庭を眺めることができます。
Img_0294 お風呂ですが、4つの家族風呂があって、自由に無料で入浴できます。ドアを開けると写真のような和室が……。客室じゃないよ、なんと脱衣所です。
Img_0295 こちらが家族風呂の浴室。岩風呂風です。その他の三つもそれぞれ特徴があります。
Img_0306 大浴場です。こちらはちとレトロさに欠けるのが残念です。泉質はアルカリ性単純温泉。無色透明・無味無臭ですが、アルカリ性なのでお肌すべすべの柔らかい湯です。
Img_0304 温泉街を見下ろす高台にあるので、露天風呂からの眺めはすばらしく、開放感があります。
Img_0302 こちらは足湯。なんかレトロでいいですね。
Img_0312 お部屋でいただく夕食は、旬の食材を使った、温泉らしい豪華な会席料理です。食器などはシックで格調があります。飛騨牛味しゃぶやアマゴの塩焼きなど、地元ならではの料理もうれしです。
Img_0317 こちらは朝食です。品数がとても多く見えますが、実はとてもヘルシーです。
Img_0301 とにかく広い旅館なので、館内の探検が楽しいです。写真は洋館の廊下です。和洋折衷で大正ロマンの雰囲気です。
Img_0310 宿の建物は、山の斜面を利用して階段状に造られており、多くの渡り廊下でつながっていて、まるで迷宮のようです。写真は、建物や渡り廊下がおりなす屋根の重なりです。ごちゃごちゃした感じにならずに、造形として面白いものに仕上がっています。
Img_0321 こちらは春慶荘と呼ばれる離れです。茅葺き屋根が風流ですね。名前のとおり、梁や床柱、家具などが春慶塗になっているそうです。他にも昭和天皇がお泊まりになった「七重八重之間」、今上天皇がお泊まりになった「雲井之間」「山楽荘」などの離れがありますので、お金持ちの方はどうぞ。
Img_0300 民芸古物館には、素朴な仏像や古民具が並んでいます。
Img_0319 展望台からの眺め。益田川沿いに広がる下呂温泉街を一望できます。

 最後に付け加えておきますが、仲居さん二人による布団の敷き方が、無駄なく手際良く完成された技というか、様式的な美しさまで感じられて見事でした。ぽん太とにゃん子はこれまであちこちの旅館に泊まりましたが、こんな技は初めて見ました。
 お値段もそこそこいいのですが、下呂温泉にこのような建物が残っていたというのがうれしいです。老舗旅館なのにおもてなしも肩肘張らずアットホームで、料理もおいしかったです。ぽん太の評価は満点です。

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2010/05/14

【桜】男のロマン 屋形船で隅田川花見クルーズ

 屋形船で宴会というのは、男のロマンのひとつです。ぽん太も以前から一度は屋形船で宴会をしてみたいものだと思っておりましたが、高いんじゃないかとか、船を借り切るほどの人数が揃わないんじゃないかとか思って、縁なきものとあきらめておりました。ところが今回ウシ先生が「相乗り」の屋形船があることを教えてくれました。少人数でも大丈夫だし、お酒飲み放題で値段もリーゾナブル。そこで、今年の動物会の恒例の花見は、屋形船で隅田川クルーズと洒落込むことにしました。お世話になったのは中金(なかきん)さん。公式サイトはこちらです。
Img_0276 隅田川クルーズというので、乗り場はてっきり隅田川沿いかと思ったら、なんと品川とのこと。JR品川駅で降りて、高輪プリンスなどのハイソなビルを眺めながら第一京浜を歩いていると、ホントにこんなところに屋形船の乗り場があるのかと、不安になってきます。ところが少し歩くと、写真のようなレトロな風景に行き当たります。品川のオシャレなビル群と、屋形船乗り場、なんともアンバランス、いや、絶妙なバランスです。もっともgoo地図を使って現在の品川と明治時代の地図を比べてみるとわかるように、現在のJRの線路あたりが、昔の海岸線だったのです。
 ついでに言えば、品川駅の南西の「御殿山」と呼ばれる地域には、江戸時代にはその名の通り山がありました。寛文年間には数百本の桜が植えられ、桜の名所として江戸庶民に親しまれていました。この山が掘り崩されたのは、皆さんご存知の黒船来襲の時で、嘉永六年(1853年)に大砲を設置する台場を造るためでした。
 もひとつついでに言えば、東海道の最初の宿場であった品川宿には岡場所(吉原とは違って公的に認められていない遊郭)があって、明治以降も遊郭として存続しましたが、その場所が品川1丁目付近で、まさに屋形船乗り場の周辺です。
Img_0279 今回は久々に動物仲間が集まったので、お酒と話しに熱中して、あんまり写真を撮れませんでした。
Img_2503_1_1 また屋形船の内部の写真も、他のお客さんが写り込むのでナシです(屋形船内部の写真のご希望があったため、ぼかしを入れて掲載します2010.5.17)。窓から見える隅田川の両岸は、桜が満開でした。
P4040005 浅草名物ウンコビル(通称アサヒビール吾妻橋ビル)も見えます。
Img_0293 窓から突然おじさんが現れたのでびっくり仰天。小舟で屋形船をまわって、佃煮を売っているおじさんでした。ご賞味しましたが、やわらかくてとてもおいしかったです。
Img_0288 ぽん太はスカイツリーを初めて見ました。屋形船は、東武伊勢崎線の鉄橋を越えたあたりまで行き、そこでしばらく係留して桜を楽しんでから、来た道を戻りました。
 男のロマン、念願の屋形船の宴会を楽しむことができました。料理もおいしく、揚げたての天ぷらまでついて、お酒も飲み放題。乗り合い船というものがあって、リーゾナブルな値段で少人数でも屋形船を楽しめるとは知りませんでした。みなさんもぜひ、宴会やデートに利用されるといいですよ。ただし横で、タヌキやキツネが宴会を開いているかも……。

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2010/05/13

【温泉】山中とは思えぬ料理に舌鼓 群馬県鹿沢温泉紅葉館(★★★★)

Img_0248 樹々の奏でる神秘の調べに恍惚としたぽん太とにゃん子は、県道94号線(東御嬬恋線)を北上し、鹿沢温泉紅葉館に泊まりました。公式サイトはこちらです。山小屋風の素朴な建物です。実はぽん太は、20年ほど前にこの宿に泊まったことがあり、なかなかいい印象が残っております。20年のあいだにどのように変わったのか、あるいは変わらなかったのか、期待と不安が入り交じります。
Img_0246 20年前にはありませんでしたが、道の向かい側にこのようなきれいな新館ができてました。ただ、古い建物が好きなぽん太とにゃん子は、迷わず本館を選択。昔ながらの古い建物です。
 鹿沢温泉は以前は数件の旅館が建ち並んでいましたが、大正7年の大火を機に北側の麓に移転して新鹿沢温泉を形成し、いま残っているのは紅葉館だけです。
 また、この宿は「雪山讃歌発祥の地」としても知られております。たとえばこちらのサイトに詳しいです。京大山岳部がスキー合宿を行った際に、後に第1回南極越冬隊長になった西堀栄三郎らが、退屈紛れに詞を作ったのだそうです。その時期は、大正15年とも昭和2年とも言われているようですが、深入りは止めておきましょう。
Img_0259 こちらが温泉の入り口。内装が新しくなっていて、いい雰囲気です。
Img_0270 しかし浴室は20年前のまま。木製の浴槽と床は、歴史を感じさせます。なんといってもここの風呂の特色は、男女の浴室を仕切る壁に描かれた鏝絵(こてえ)です。なかなか見事ですね。
Img_0272 もちろん加水加温なしの源泉掛け流し、洗い場にはカランはありません。二筋の冷水が流れているのみ。湯殿のお湯をすくって身体を洗います。お湯は緑灰色の薄にごりで硫黄臭がします。湯口には茶色い結晶が析出しております。泉質はマグネシウム・ナトリウム-炭酸水素塩泉とのこと。
Img_0267 夕食は、山岳ロッヂ風の食堂でいただきます。山の定番山菜や鴨鍋、上州名物刺身こんにゃくなど、おいしい郷土料理です。
P3310037 その後、できたてのお料理がひとつひとつ運ばれてくるのですが……。こ、これは、見事にダシをとり、見た目も美しい料亭風のお料理です。「蓮根のすりおろし団子」とのこと。聞いてみると、宿を継いだご兄弟は、二人とも大阪の料亭で修行をなさったのだそうです。
P3310041 こちらも単なるコロッケにあらず。「ギンヒカリ」のコロッケとのこと。ギンヒカリというのはぽん太も初耳でしたが、こちらの群馬県の公式サイトにあるように、通常は2年で成熟するニジマスの中から,
3年かけて成熟する系統を選抜育種・固定化したもので、「群馬最高級のニジマス」としてブランド化したものだそうです。
 ちょっと失礼な言い方ですが、こんな山奥の秘湯で、料亭風の手のこんだ料理をいただけるとは思いもよらず、新鮮な驚きでした。昼食には、予約をすれば、大阪の蕎麦処からのれん分けした手打ち蕎麦もいただけるそうです。
Img_0269 こちらは朝食。地元の食材がおいしゅうございました。
P4010047 朝食後のコーヒーのサービスです。カップに描かれている髭面のおじさんは、確か昔の館主と聞きましたが、誰だか忘れてしまいました。ググってみてもでてきません。2代目館主小林亀蔵氏でしょうか?仕留めたキツネをぶら下げて、「だからスキーは止められネー」とのたまわってます。なんか今のスキーの楽しみと違う感じが……。ポンチ絵みたいな洒脱な絵です。ちなみにぽん太は、「ポンチ絵」とはこういう意味こういう絵だと思っていたのですが、最近はこのように、ラフスケッチや概念図などという意味で使われるようですね。
 またググっていたら、こんなサイトを見つけました。高田知一郎著『鹿沢温泉案内記』(小林亀蔵発行、明治41年)のデジタル・ライブラリーです。湯治の様子が伺われて面白いです。
 とにかく温泉がすばらしい。ぜひ改装せずに守っていって欲しいです。山小屋風の鄙びた感じもいいです。さらに若主人兄弟の料理もおいしいです。ただ、ちょっと雑然とした感じがあるのが気になって、ぽん太の評価は4点。

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2010/05/12

【歩くテレマーク】樹々が奏でる神秘の調べ・湯の丸スキー場から池の平湿原

 ようやく3月下旬のご報告です。ハアハア。
 ぽん太とにゃん子は、歩くテレマーク&温泉を楽しむため、鹿沢・湯の丸にでかけてきました。高峰温泉から池の平湿原まで歩いたことは何度かあるのですが(そのひとつの記事はこちら)、ほぼ水平の林道歩きが長いので、今回は湯の丸スキー場側から池の平湿原を目指そうという目論みです。

【山域】上信国境
【日程】2010年3月31日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れ
【コース】湯の丸スキー場最上部(12:21)<<池の平湿原駐車場(13:29)<<雷の丘(14:12)〜湯の丸スキー場(?)
【マイカー登山情報】第六ゲレンデ下の第6駐車場に車を停めると便利。
【参考リンク】
湯の丸スキー場のゲレンデ案内
信州・東御市観光協会/池の平湿原トレッキングマップ


 第六ゲレンデ下の第6駐車場に車を停め、湯の丸高速カプセルリフトでゲレンデ最上部まで登ります。連絡コースを少し下ったところから、右の林の中に入って行きます。池の平湿原の駐車場までは基本的には林道を辿ればいいのですが、まだらっこしいので所々ショートカットして登って行きます。前日雪が降っていたので、3月下旬にもかかわらず、美しい新雪の上を歩くことができました。天気も快晴で、スキーやスノーシューを履いたハイカーが何組も入山したようで、トレースがいろいろとついていました。途中でラーメンを食べ、のんびりと登ります。
Img_0230 池の平湿原駐車場から尾根を登り始めると、突然コロコロ、カラカラという風鈴のような音が、周囲から響いてきました。な、なんだろう。
Img_0223 融けかけた雪が今日の寒さで再び凍って、樹々の枝に細い円柱状の氷がついています。その氷が風にゆられてぶつかり合い、まるで風鈴のような音を立てているのです。こんな現象はぽん太は生まれて初めてです。おそらく数十分したら氷も溶け、音もしなくなってしまうでしょう。人気のない雪原で、樹々が陽の光にキラキラ輝きながら、妙なる音色を奏でるさまは、この世のものとは思えない神秘的な光景でした。
Img_0237 見晴し台より北西を眺めました。四阿山と根子岳が見えます。
Img_0239 東側を見ると、黒斑山の向こうに浅間山のてっぺんが見えています。
Img_0240 北側には、西篭ノ塔山、東篭ノ塔山が見えました。
 下りは例によってあっという間。
 湯の丸スキー場から池の平湿原のコースは、適度な斜度があって、テレマークスキーに適しているようでした。

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2010/05/11

【東北秘湯紀行(5)】美しい茅葺きの客室と湯治のにぎわい 岩手県大沢温泉菊水館(★★★★★)

Img_0177 夏油高原スキー場で春スキーを楽しんだぽん太とにゃん子は、今回の旅最後の宿、岩手県は花巻温泉郷の大沢温泉菊水館に向かいました。宿の公式サイトはこちらです。ぽん太とにゃん子は、花巻温泉郷には何回か来たことがありますが(鉛温泉藤三旅館の記事はこちら)、こんなすばらしい宿があるとは知りませんでした。木造の古風な玄関も雰囲気がありますが……。
Img_0196 その裏手には、茅葺き平屋建ての長屋のような宿泊棟があります。う〜ん、美しいです。鄙びてます。素朴です。いい味を出してます。こんな旅館はぽん太は初めてです。大正時代に造られたものだそうです。
Img_0190 こちらが菊水館の全景。奥に写っている2階建ての建物の部屋(松の間、竹の間)の方が広くて値段も高いのですが、茅葺きの梅の間に泊まることをお勧めします。
Img_0181 部屋のなかも素朴でレトロっぽい雰囲気。もちろんアルミサッシュなどは使っておりません。窓の外に見えるいい感じの建物は、川を挟んで反対側にある自炊部。お年寄りが湯治に使うだけでなく、値段が安いので若い人の利用も多いそうで、活気があります。湯治部門がこんなに賑わっている宿は、ぽん太は初めてです。左奥は山水閣で、こちらはコンクリート造りの立派な旅館ですが、ぽん太は興味無し。
Img_0193 自炊部の玄関。湯治場のムード満点です。
 お風呂ですが、菊水館に男女別の木造の風呂、自炊部には丸見えの大きな混浴露天風呂、女性用露天風呂、レトロな感じのタイルばりの男女別内湯があります。さらに山水閣には男女別の半露天風呂があり、どれにでも自由に入ることができます。どのお湯にもお客さんがいたので、写真はありません。
Img_0191 こちらは自炊部の帳場。大正〜昭和にタイムスリップしたみたいです。
 お湯は無色透明で無味無臭ですが、アルカリ性で肌に柔らかく、とても暖まります。
P3240014 こちらが夕食です。地元の素材を生かしながらも、温泉らしい華やかさが備わっているのが見事です。ホームページで見たら食事が少なめな気がして、「当社名物」という白金豚味噌すき焼きを追加してみたのですが、おいしかったですが食べきれませんでした。追加を頼む必要はありません。
Img_0200 夜中雪が降り積もり、一夜明けたらすっかり雪化粧。墨絵のような美しい情景でした。
Img_0207 朝食もおいしゅうございました。
 古めかしいお風呂がない点はマイナスなのですが、茅葺きの長屋風の建物のすばらしさ、湯治の華やいだ雰囲気の心地良さが、マイナスを補ってなお余りがあって、ぽん太の評価は満点です。今回の湯巡りの旅を締めくくるにふさわしい、感動的な宿でした。

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2010/05/10

【東北秘湯紀行(4)】白い噴煙の上がる黒い木造旅館 秋田県泥湯温泉奥山旅館(★★★★)

Img_0156 雪の山道を走ってようやくたどり着いた泥湯温泉は、温泉街というよりも集落といった趣き。数軒しかない旅館はどれも黒い木造で、あちこちから硫黄臭い白い噴煙が上がっております。灰色の雪空とあいまって、なんとも荒涼とした独特の雰囲気で、別世界に迷い込んだように思えて来ます。
Img_0155 こちらが奥山旅館。全22室のこじんまりした宿です。公式サイトはこちら。建物は以外と新しくてきれいです。日本秘湯を守る会に所属しているようです。
Img_0167 温泉がとても充実しており、まず本館に岩風呂風の混浴の内湯があります。そして写真の別棟の湯小屋には、男女別の内湯と、二つの浴槽からなる混浴の露天風呂があります。どれも秘湯ムード満点です。さらにもうひとつ男女別の広い露天風呂があるのですが、残念ながら雪で温泉の配管が壊れていて、入浴できませんでした。お湯は「泥湯」という名の通り灰白色に濁っており、底には泥がたまっております。強い硫黄臭があり、なめるととても酸っぱくて、温泉力はすごいです。混浴のため撮影禁止となっており、残念ながら温泉の写真はございません。
Img_0168 こちらが夕食で、広間でいただきます。鯉の甘露煮やイワナの塩焼き、山菜、地鶏など、正しい山里のお料理で、おいしゅうございました。馬刺は新鮮でまったく臭みがありませんでした。
Img_0171 朝食も、キノコや山菜が素朴な味わいでおいしかったです。
 秘湯の雰囲気ただよう温泉街、温泉力も十分で、食事もおいしかったです。「秘湯」として売り出している感じがあって「鄙び度」や「素朴さ」にやや欠けるため、ぽん太の個人的な評価は4点となりますが、皆さんにもぜひお勧めしたい秘湯ですhappy01

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2010/05/09

【東北秘湯紀行(3)】北鹿ハリストス正教会、安藤昌益の墓、忠犬ハチ公生家、小林多喜二生誕の地碑(秋田県大館市)

Img_0140 大正時代にタイムスリップしたかのような温湯温泉を堪能したぽん太とにゃん子は、本日は秋田を南下します。最初に立ち寄ったのは、大館市にある北鹿ハリストス正教会です。地図はこちら。木造の、ちっちゃなかわいらしい教会です。ぽん太は、信者でもないのになぜか東方正教会に関心があり、教会の近くを通った時は立ち寄ることにしております。ぽん太んが北海道の上武佐ハリストス正教会を訪れた時の記事はこちらです。また、北鹿ハリストス正教会の公式サイトはこちら、日本正教会の公式サイトはこちらです。
Img_0144_2 明治25年(1892年)に豪農の畠山市之助が私財を投じて造ったものだそうで、東京神田のニコライ堂の工事関係者が設計したと言われているそうです。山下りんのイコンがあるそうで(→写真はこちら)、事前に連絡すれば見学もできるようですが、今回はいきあたりばったりの旅だったので見ることはできませんでした。

Img_0147 ガイドブックに「安藤昌益の墓」というのがあったので、みちくさです。こちらの曹洞宗温泉寺にあるそうです。地図はこちらをどうぞ(→Yahoo!地図)。何でこんな田んぼのなかに「温泉」寺があるのかと思ったら、こちらのマピオン電話帳でもわかるように、大館市周辺には温泉がいっぱいあるんですね。
Img_0145 ところで安藤昌益って誰?名前は聞き覚えがありますが、どんなひとなのかタヌキのぽん太にはさっぱりわかりません。境内には写真のような案内板がありました。18世紀の江戸中期に封建制を否定したひとなのか……。ついでにWikipediaを見てみると、身分・階級を否定し、すべての者が田畑で汗水たらして働け、という過激な主張をしたそうです。著書『自然真営道』は1899年に狩野亨吉によって「発見」されたそうですが、彼はこの本を「狂人の書」と言ったそうです。なんだか興味がわいてきたな。ちなみに電子版自然真営道というサイトで一部を見ることができますが、ぽん太には読めません。
Img_0146 案内板はすぐ見つかったのですが、肝心のお墓が境内のどこにあるのか見つかりません。墓参りに来ていた人に聞いても、わからないとのこと??ようやく見つけました。

Img_0149 お次ぎは「ハチ公の生家」。地図はこちらです。渋谷でおなじみのハチ公が、こんなところで生まれたとは知りませんでした。ハチ公は大正12年(1923年)に斉藤義一さん宅で生まれました。Wikipediaによると、このお家は元国連事務総長の明石康さんのお母さんの実家だそうです。生後2ヶ月で、秋田犬を飼いたがっていた東京帝国大学農学部の上野英三郎先生に引き取られたそうです。

Img_0153 最後に紹介するのは、小林多喜二生誕の地碑です。場所はJR下川沿駅前、地図は こちらです。最近ふたたび『蟹工船』が読まれているそうですが、小林多喜二が大館で生まれたとは知りませんでした。
Img_0152 こちらは、碑の後ろ側にある案内板です。生誕地の住所は秋田県北秋田郡下川沿村川口字長里236-1と書かれています。ということは現在の住所では秋田県大館市川口字長里236-1で、地図でいうと こちらになるのでしょうか?

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2010/05/02

【東北秘湯紀行(2)】レトロな温泉街が魅力 温湯温泉飯塚旅館(★★★★)

Img_0100 塩原温泉元湯ゑびすやで感動にうち震えたぽん太とにゃん子は、再び高速に乗り、一路青森県に向かいました。目指すは黒石温泉飯塚旅館です。公式サイトはなさそうなので、とりあえず じゃらんnetにリンクしておきます。黒石温泉郷は、ランプの宿で有名な青荷温泉に、温湯温泉、落合温泉、板留温泉の4つの温泉からなっていますが、飯塚旅館は温湯温泉のなかにあります。車で温湯温泉のなかに入っていくと、レトロな建物が目につき、タイムスリップしたような錯覚を覚えます。ぽん太は以前に、「江戸時代のアーケード」、黒石市の中町こみせ通りをおとずれたことがありますが(→その時の記事)、近くにこんなすばらしい温泉街があったなんて、全く知りませんでした。
Img_0124 建物は木造2階建て。堂々としていて立派です。大正3年に建てられたものだそうです。一階部分の焦げ茶のタイルは、後に一階部分を少し張り出す改築をした際に貼ったものだそうですが、かえって和洋折衷のレトロな味わいが生じています。
Img_0102 二階部分に付けられた看板です。いい味出してます。「こうじや」の文字が見えますが、以前は味噌を造っていたのだそうです。手作りの天然味噌でしたが、大量生産品が出回るようになって売れ行きが落ち、近年のような手作り自然食ブームもありませんでしたから、蔵を閉じてしまったそうです。
Img_0113 玄関の外側には、こけしをかたどった灯りが置かれています。ここ温湯温泉はこけし作りがさかんで、 温湯こけしと呼ばれ、津軽系のこけしの発祥の地なんだそうです。
Img_0114 こちらが客室です。シンプルな和室で、温泉宿風な浮ついた装飾はありません。この温泉は遊興施設や歓楽街にはならずに、湯治場のスタイルを守り続けて来たのかもしれません。
Img_0132 温湯温泉の宿の多くに、「○○客舎」という名前が付いています。「客舎」という言葉は、ぽん太は生まれて初めて聞きました。辞書を引いても、「宿屋、旅館」とあるだけです。ぐぐってみると、内湯を持たず、外湯に入る湯治客を泊める宿を客舎というと書いてありますが、どの地域で使われている言葉なのかわかりませんし、典拠も不明です。「客舎」という言葉は、中国語や韓国語でも使われるようです。
Img_0109 こちらが宿の内湯です。床は石貼り、浴室は木製です。無色透明ですが、わずかに油臭があります。肌触りの柔らかいお湯で、とてもよく暖まります。「ぬるゆ」というと温度が低いように思いますが、源泉温度は60度で熱いです。新しくて小さいのがちと気になりますが、「客舎」に泊まって外湯に入りにいくというのが伝統なので、仕方ないのでしょう。
Img_0130 で、こちらが外湯の「鶴の名湯」です。2001年にリニューアルされたそうで、真新しくてピカピカですが、秘湯好きのぽん太の評価はマイナスとなります。以前の建物は昭和34年に改築(?)されたものだそうで、探してみたところこちらこちらに不鮮明ながらも写真があります。う〜ん、かなりレトロな雰囲気です。こちらに入ってみたかった。温泉遺産も、どんどん失われていきます。
Img_0118 夕食は、ナマコや身欠きニシンは土地柄を思わせます。ウドの酢みそ煮やキンキカマ煮もおいしく、鮎塩焼きもふっくらとしていい焼き加減でした。
Img_0119 朝食はオーソドックスでしたがおいしゅございました。
Img_0125 最初に書いたように、温湯温泉には趣きあるレトロな建物がいっぱい残っています。建物上部に、看板スペースのような部分があるのが特有ですが、どういう理由で、何というものなのか、ぽん太にはわかりません。
Img_0126 右は後藤温泉客舎。正面の商店もいい感じです。
Img_0131 その商店の建物は、カーブが美しい大正チックな建物となっております。先ほど写真を挙げた土岐客舎です。
Img_0133 こちらは商店ですが、いい味を出してます。
Img_0135 日めくりの暦に包まれて、なにやら干してあります。干し餅かしら?わかりません。
 木造二階建ての建物、温泉街全体のレトロな雰囲気、客舎などどくとくの風習、おいしい食事、コストパフォーマンス。どれをとってもすばらしいですが、共同浴場が新しく建て替えられてしまったのがマイナス1点で、ぽん太の評価は4点です。

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2010/05/01

【東北秘湯紀行(1)】温泉街の裏手に隠れた秘湯/塩原温泉元湯ゑびすや(★★★★★)

Img_0098 3月下旬、ぽん太とにゃん子は、東北の秘湯を訪ねて旅に出ました。初日に泊まったのは、栃木県は塩原温泉の「元湯ゑびすや」です。こちらが公式サイトです。秘湯好きのぽん太とにゃん子、関東地方の秘湯はだいたい行き尽くしたんじゃないかと思っていたのですが、こんなすばらしい秘湯が残っておりました。う〜ん、温泉の世界はまだまだ奥深い。
 走り慣れた塩原の温泉街を通り過ぎ、日塩もみじラインに入らずにさらに国道400号を直進します。左に折れてうねうねした山道を登って行くと、やがて小さな温泉街が見えて来ます。えびすやの建物はひなびた雰囲気で、やけに多い看板が妖しげな雰囲気を醸し出しています。
 開湯は平安初期。江戸時代にはたくさんの宿が軒を連ねてにぎわっていたそうですが、万治2年(1659年)の地震で埋まってしまったそうです。
Img_0077 温泉は、混浴と、女性専用の二つの浴室があります。写真は混浴風呂。秘湯ムード満点です。二つの浴槽には別々の泉質のお湯がそそがれています。向かって左は「梶原の湯」。泉温39.7度とややぬるめで、白濁して白い湯の花が舞い、硫黄臭があって、炭酸味がします。泉質は含硫黄-ナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩・塩化物温泉。なんでも塩原温泉最古の源泉なのだそうです。「梶原の湯」という名前の由来ですが、宿の公式サイトによれば、文治2年(1186年)に梶原景時・影季が那須与一の兄たちを討とうとしたおり、受けた傷を癒すために入浴したのだそうです。
 ただこの戦い、ググッてみたのですが見つかりません。那須与一が平家の掲げた扇を矢で射抜き、義経が平家を滅亡させた 壇ノ浦の戦いが元暦2年/寿永4年(1185年)で、その後頼朝に追われた義経が奥州平泉に潜伏。義経をかくまった奥州藤原氏を、頼朝が成敗に乗り出した 奥州合戦は文治5年(1189年)で、この戦に梶原景時・景季は加わったようですが、その間に何があったかよくわかりません。それに那須与一って、源氏方ではなかったっけ?
 もちっとググッてみたらありました。 こちらの「高館城 埋もれた古城」をご覧下さい。塩原温泉の西の大田原市に、かつて高館城(たかだてじょう)というお城がありました。この城は、那須与一のお父さんの資隆が築いたと言われているそうです。源平合戦では、那須与一は源氏方に付きましたが、兄弟11人のうち9人は平氏の味方をしたそうです。そこで文治2年(1186年)2月、頼朝の命を受けて梶原景時らが高館城に攻め寄せ、5月に落城したのだそうです。ただし、この話しの出所は定かではありません。地元に伝わる伝承のひとつかもしれません。
Img_0081 ゴホン、話しが脇道にそれました。さて、こちらは向かって右の浴槽の「弘法の湯」。こちらは源泉温度52度とちょっと熱め。白濁していて硫黄臭があり、苦いです。泉質は含硫黄-ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩温泉。注ぎ口の下の温泉成分の結晶が見事です。そんなことより、この源泉は間欠泉になっており、数分おきにお湯が噴き出します。間欠泉については以前にちとみちくさしたことがあり( 【読書】田山花袋の『温泉めぐり』を読む(2007/08/08))、また 宮城県鬼首の吹上温泉の間欠泉や、 諏訪湖間欠泉を訪れたことはあります。しかし、こんなところに間欠泉があったとは知りませんでした。いいものが見れてよかった。
P3220016 こちらはにゃん子撮影の女性専用風呂。こちらも古風で趣きがあります。
Img_0089 浴室の前には、真新しい飲泉所があります。梶原の湯は胃腸にいいそうです。
Img_0091 こちらは夕食。正しい山里のお料理で、豪華さはありませんが、品数も多く、地元の素材が生かされ、まごころがこもっています。山菜もおいしく、猪鍋もくさみがありません。湯葉料理が多いのは、日光が近いせいか。栃木産コシヒカリの御飯も、ふっくらしてとてもおいしかったです。
P3220014 朝食です。温泉粥が疲れた胃袋にうれしいです。朝食も品数が多く、ひとつひとつ味わい深いです。
 大温泉街塩原の裏手に、こんなすばらしい宿が隠れていたなんて!秘湯の味わいがすばらしく、ぽん太の評価は文句なしの5点満点です。

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