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2010/07/19

【ドイツ旅行(7)】旧東ドイツの芸術の都ドレスデン、そしてポツダムへ

Img_0600 写真はドレスデン・ゼンパーオーパーDresden Semperoperaです。建築家ゴットフリート・ゼンパーにちなんでそう呼ばれていますが、いわゆるザクセン州立歌劇場で、中高年のぽん太にはドレスデン国立歌劇場という東ドイツ時代の呼び名の方がしっくりきます。歴代の指揮者にはウェーバーやワグナーなどの大作曲家がおり、ワグナーの「タンホイザー」や、リヒャルト・シュトラウスの「サロメ」、「ばらの騎士」などがここで初演されました。第二次世界大戦の空襲で、ドレスデンは一夜にして瓦礫の山となりましたが、この歌劇場も例外ではありませんでした。1985年のようやく再建されました。
Img_0597 写真はカトリック旧宮廷教会です。内部にある巨匠ジルバーマン製のパイプオルガン(もちろん戦後に復元したもの)は、新設したときにバッハが演奏したことがあるのだそうで、ぜひ見たかったのですが、時間がなくてかないませんでした。
Img_0603 ツヴィンガー宮殿内の彫刻です。
 ぽん太とにゃん子は、すでに旧東ドイツに足を踏み入れています。ぽん太が20年前にドイツを訪れた時も、旧西ドイツ地域だけでしたから、旧東ドイツはぽん太も初体験です。旧東西ドイツ国境がどこなのか、なかなかいい地図が見当たらず、ようやく見つかった地図もすぐリンク切れになりそうです。大変申し訳ないですが、コピーさせていただきました(旧東西ドイツ国境の地図)。
Img_0610 ザクセン王の居城だったドレスデン城(もちろん復元)です。手前の路面電車とのコントラストがいいですね。
 旧西ドイツから旧東ドイツに入ったら、突然道が悪くなったり、建物がボロくなったりするんじゃないかと思っていましたが、まったくそんなことはありませんでした。統一後わずか20年で、東西の格差は急速に埋められているようです。みなさんは、旧東西ドイツのうち、古い建物が残っているのはどちらだと思いますか?ぽん太は旧東ドイツかと思ってたのですが、正解は旧西ドイツです。ちょっと考えてみれば当たり前なのですが、第二次大戦でドイツの街はほとんど破壊されました。旧西ドイツの人々は、古い街並を復元しようと考え、またそのための資金もありました。しかし社会主義の東ドイツでは、資金も十分ではなかったし、古い物を再現するよりも新しい建物を建てようと考えたのです。旧東ドイツ領内では、ところどころに、社会主義時代の無機質な集合住宅が見られました。
Img_0619 ブリュールのテラスと呼ばれる、エルベ川沿いの遊歩道です。川の向こう側は新市街で、首相府や大蔵省の建物が見えます。
Img_0624 ドームが美しいフラウエン教会(聖母教会)は、ドイツ最大のプロテスタント教会でした。これも第二次大戦の空襲で破壊され、「造るのに6118日かかったが、破壊するのにはわずか1日しかかからなかった」と言われ、戦争の虚しさを見る人に伝えます。東西統一後に再建が始められ、2005年にようやく修復が完了しました。戦争の悲惨さを伝えるため瓦礫のままにされていたそうですが、一説によると復元する資金がなかったとか……?
Img_0626 「君主の行列」と呼ばれる壁画の前では、昔の衣装を着たガイドさんが、外人さんを案内していました。

Img_0630 ドレスデン観光後、さらに北上してポツダムに向かいます。道路沿いで見かけた風力発電の風車です。ドイツは環境への配慮を重視している国です。2002年に「改正原子力法」が施行され、新たに原子力発電所を建設することが禁じられるとともに、運転中の原発も運転開始から32年を限度に、逐次閉鎖されることになりました。法律の可決にあたって緑の党が大きな役割を果たしたことは、記憶に新しいです。もっとも現政権下で、原発の稼働期間の延長が画策されています(関連ニュースは例えばこちら「ドイツ政府の原子力発電所稼動期間延長、判断は初秋の見込み」ICH Japan Inc. 2010年6月16日)。

Img_0635 ポツダムのサンスーシ公園内にあるオランジュリーと呼ばれる大温室です。ポツダムというと、長野の田中康夫知事の脱ダム宣言……じゃなくて、第二次世界大戦における日本の無条件降伏を求めたポツダム宣言で有名ですが、ベルリン近郊のこの街は、緑が豊かな美しい街です。サンスーシ宮殿は、フリードリヒ大王の夏の居城だったところです。
Img_0645 こちらのロッジ風の美しい建物は、新庭園内にあるツェツィーリエンホーフ宮殿です。ここがなんとポツダム会談が行われたところで、ここでアメリカのトルーマン、イギリスのチャーチル(途中からアトリーに交代)、ソビエトのスターリンが丁々発止の駆け引きを繰り返し、第二次世界大戦の戦後処理を決定したのです。内部の写真撮影は有料なのでございません。写真で有名な丸テーブル(例えばこちらにあります)も見ることが出来ました。
 これまでこの旅行で、第二次世界大戦の爪痕を何度を見てきましたが(もちろんドイツもナチスがひどいことをしていたわけですが……)、どこか他人事のように思っていました。しかしポツダムを見て、日本とドイツが同盟国として戦い、そして負けたということが改めて実感できました。同じツアーのなかには、大戦を体験しているご高齢の方がおおぜいいらしたのですが、彼らはどんな思いで会議場を見つめていたのでしょうか……。
Img_0637 サンスーシ公園の美しい新緑が心に染み渡ります。

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