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2010/10/25

【歌舞伎・文楽】「仮名手本忠臣蔵」六段目の勘平は成仏したのか?

 「仮名手本忠臣蔵」の五段目・六段目は、いわゆるお軽・勘平の物語で、切腹した勘平がこと切れるところでラストとなります。先日のブログで書いたように、歌舞伎を見慣れたぽん太は、腹を切った勘平が、「ヤア仏果とは穢らわしや。死なぬ死なぬ、魂魄この土に止まって、敵討ちの御供なさで措くべきか」と、成仏を拒否して怨霊となることを宣言したため、勘平を義士の一人に加え、連判状に血判を押させることで、勘平を成仏させる、という話しだと理解しておりました。ところが文楽で五段目・六段目を観たところ、連判状に血判を押した後に、勘平が「魂魄この土に……」という台詞を言っており、これでは勘平は成仏せずに怨霊となってしまうことになるので、ぽん太はわけがわからなくなってきたのです。
 では、いったいオリジナルの台本はどうだったんだろう、ということになるのですが、現在歌舞伎で演じてる脚本にほぼ近いものがを『仮名手本忠臣蔵 (歌舞伎オン・ステージ (8))』[1]で読むことができ、その底本は「早稲田大学演劇博物館所蔵本」で、そこには「明治廿四年六月大吉日」という年記があるそうです。この脚本では現行の歌舞伎どおり、「怨霊この土に……」の台詞のあとに血判という順序になっております。
 次に岩波文庫の『仮名手本忠臣蔵』[2]を見てみると、定本は「七行九十八丁本」の再版本と書いてあります。「七行九十八丁本」が書かれたのは、ぐぐってみると寛延元年(1748年)のようで、「仮名手本忠臣蔵」が大阪の竹本座で人形浄瑠璃として初演されたのが寛延元年8月14日からですから、オリジナルの脚本とみていいのでしょう。ちなみに歌舞伎での初演は同じ寛永元年の12月1日だそうで、人形浄瑠璃の初演からわずか4ヶ月で、歌舞伎に移し替えられたことになります。
 で、岩波文庫版によれば、勘平は先に義士の連判状に血判を押します。そしてその後、「アヽ佛果とは穢はし死ぬ死ぬ。魂魄此土にとゞまつて。敵討の御供すると」の台詞という順序になっておりました。
 そうか、やっぱり勘平は、成仏せずに怨霊になるのが正しいようです。ぽん太は完全に間違っておりました。ああ、恥ずかしや。

 よく指摘されているように、この勘平の台詞は、塩冶判官が切腹の前に言った「生き変わり死に変わり、鬱憤晴らさで措くべきか」という台詞と関連しております。塩冶判官は切腹に当たって、成仏せずに怨霊となって恨みを晴らすことを宣言したわけで、勘平もまた怨霊となってそれに加わったわけです。塩冶判官の怨霊は、義士たちが仇討ちを成し遂げることで成仏したと考えられます。では勘平の怨霊はどうなったのでしょうか。
 現行の歌舞伎の十一段目は、討ち入りで小林平八郎が池の上で派手はでしく立ち回ったのち、両国橋の場面で終わりとなります。これまでの重厚な舞台から一変して、活劇調のチャンバラになるこの討ち入りシーンは、ぽん太は好きではありません。前に書いた『仮名手本忠臣蔵 (歌舞伎オン・ステージ (8))』では、この台本は「付録③」として掲載されており、明治十年五月に東京春木座で上演した『忠臣蔵年中行事』(三代目河竹新七作)が元になっているという注釈があります。しかし底本の台本は全く別の結末となっており、高師直を討ち取ったあと、その場で由良之助が懐から塩冶判官の位牌を取り出し、順に焼香を始めます。岩波文庫版も同じような結末となっているので、この結末がオリジナルだったと考えられます。
 この台本によれば、義士たちは、どういう順番で焼香をするか、お互いに譲り合いを始めます。結局、高師直を最初に見つけた矢間重太郎が最初に焼香をします。次は由良之助ということになるのですが、由良之助は自分より先に焼香すべき者がいると言い出します。ここは『仮名手本忠臣蔵 (歌舞伎オン・ステージ (8))』から引用しましょう。

皆々 誰れ人。

 〽と問えば、大星懐中より、碁盤縞の財布取り出し、

 (ト由良之助、六段目に用いし財布を出して)
由良 これぞ忠臣二番目の焼香、早野勘平がなれの果て。その身は不義の誤りから、一味同心も叶わず、せめては石碑の連中にと女房売って金調え、その金ゆえに舅は討たれ、金は戻され、詮方なく腹切って相果てし、その時の勘平が心、唯無念にあろう、口惜しかろう。金戻したは、由良之助が一生の誤り。不便な最後を遂げさせたと片時忘れず、肌放さず、今宵夜討ちも財布と同道。平右衛門、そちがためには妹聟、焼香させよ。

 〽とさし出せば、ハヽヽ、はっと押し戴き戴き、

平右 草葉の陰より、唯有難う存じましょ。冥加にあまる仕合わせにござりまする。(ト思い入れ)

 〽財布を香炉の上に載せ、

 二番の焼香早野勘平重氏。

 〽高らかに呼ばわりし、声も涙に震わすれば、列座の人も残念の、胸も張り裂くばかりなり。

 (ト皆々、じっと思い入れ)
 由良之助は懐に、勘平ゆかりの縞の財布を入れたまま討ち入ったのであり、また師直を発見した功労者矢間重太郎の次、由良之助よりも先に、勘平に焼香をさせたのです。これによって勘平の怨霊も鎮められ、成仏したことでしょう。
 ところが現行の十一段目の台本ではこの部分がないので、勘平は怨霊のまま迷い続けることになります。また近年では、五段目・六段目が独立して上演されることも多く、この場合も勘平は成仏しないことになって、芝居の後味が悪くなります。そこで場合によって、ぽん太が仁左衛門の不破数右衛門で見たように、義士に加わることを許され、連判状に血判をしたことで、勘平は成仏したという演出も行われるのかもしりません。

【参考文献】
[1] 『仮名手本忠臣蔵 (歌舞伎オン・ステージ (8))』服部幸雄編著、白水社、1994年
[2] 『仮名手本忠臣蔵』守随憲治校訂、岩波書店、1937年。

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