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2010/12/17

【遷都1300年の奈良・近江の旅(4)】江戸時代にタイムスリップ!今井町の嘉雲亭に泊まる(★★★★)

Img_2431 奈良旅行の2日目の宿は、今井町に宿を取りました。今井町って、知らないでしょ。実はぽん太も全く知らなかったのですが、とってもすごいところなんですよ!奈良県は橿原市、国道からちょっと入ったところに、突如江戸時代の街並が現れます。しかも良くある街道に沿って一筋だけというのではなく、何筋にもわたって古い街並が広がっており、飛騨高山にも匹敵します。
Img_2371 到着したのは夕方5時頃でしたが、真っ暗で人気がありません。今井町は、飛騨高山のように観光化されておらず、ほとんどの家に今も人が住んで生活しているのです。
 お世話になった宿は、嘉雲亭(かうんてい)さんです。外観は冒頭の写真をご覧下さい。江戸時代の古民家を改築した、B&B形式の民宿です。公式サイトはこちらです。
Img_2391 こちらが玄関です。鄙びた雰囲気が漂います。
Img_2389 一階は、日中はギャラリーなどとして貸し出しているそうです。
Img_2386 年代物の階段箪笥ですが、単なる飾りではなく、この階段を使って2階の客室に上がります。
Img_2385 こちらが泊まった部屋です。内部はきれいに改装されております。クーラーはわざと入れてないそうで、夏は蚊帳を吊って、窓を開け放って寝るのだそうです。
Img_2378 こちら側の窓は虫籠窓になっております。
Img_2374 もともとは竃などがあった土間の上に当たる、屋根の木組みです。非常に天井が高く、長いあいだ煤で燻されて、独特の光沢があります。
Pb230245 夕食は付いていないので、お弁当を買っておいて持ち込むか、外に食べに行かなければなりません。今井町のなかにお蕎麦屋さんもありますが、ぽん太とにゃん子は、歩いて15分ほどの近鉄大和八木駅周辺の飲屋街に繰り出しました。歩き回った末に入ったお店は「魚菜笑 ごちそう屋 まる」。大正解でした。こちらが公式ブログのようですが、ちと見にくいので、ぐるなびにもリンクしておきます。奈良の地酒を飲みながら、新鮮な魚をいただけます。
Pb230250 が、メニューを見てもどんな魚かわかりません。地域によって魚も変わるし、同じ魚でも呼び方が変わりますからね。帰宅してからぐぐってみたところ、「よこわ」はクロマグロの若魚の近畿・四国での呼び名だそうで、関東で言う「メジマグロ」ですね。「セルがき」というのは殻付きの牡蠣のことだそうで、セルはシェルがなまったものだそうです。
Pb230251 続いて裏面。「クチ」は関東の「イシモチ」。「サゴシ」はサワラの若魚で、関東でも「サゴチ」と呼ぶのだそうですが、知りませんでした。「とびあら海老」は、正式名称は「サルエビ」。西日本、特に四国・瀬戸内で見かけるものだそうで、関東のぽん太は知らないわけです。
Img_2395 こちらは河合家です。清酒「出世男」の造り酒屋さんです。18世紀中頃の建物だそうです。
Img_2398 中町筋の家並みです。電線が地下に埋め込まれているので空が広々として、江戸時代にタイムスリップしたような感じがします。
Img_2399 重要文化財の旧米谷家は、内部を無料で見学することができます。写真はかまどですが、扇状の配置は、調理をしやすくするための工夫だそうです。
Img_2402 普通の茶室に見えますが、背後(向かって左側)に土蔵があるのに注目。土蔵の扉の部分に座敷が造られており、「蔵前座敷」と呼ばれるものだそうです。ぽん太は初めて見ました。何の目的でこういう造りになっているのでしょう。ご隠居さんが、蔵の見張りもかねてここで生活するのでしょうか?帰ってからググってみましたが、あまりよくわかりませんでした。群馬県の桐生・太田あたりにも、蔵前座敷があるみたいですね。
Img_2413 復元された環濠です。今井町の歴史をひもとくと、称念寺という一向宗のお寺を中心に造られた町なのだそうです。お寺を中心に造られた町というと、お坊さんたちや参拝客を相手にする商工業者が寄り集まった「門前町」を思い出しますが、今井町は称念寺の信者さんたちによってできた町で、「寺内町」と言うのだそうです。一向宗は時の支配者と対立する傾向があったため、周囲を環濠や土塁で固めるなど防衛的な色彩を持ち、また自治の力も強かったそうです。さらに信長の時代には、環濠を深くしたり、道を筋違いにして見通しを悪くするなど、要塞化をすすめたそうです。ぽん太はスペインのトレドをふと思い出しました。明智光秀による兵糧攻めにも耐え抜き、最後は降伏したものの、堺と並ぶ自治都市として承認され、おおいに発展したのだそうです。
 古い街並が残っているのも、こうした住民の結束力によるのかもしれません。
Img_2419 こちらがその称念寺。現在の建物は、江戸時代初期の建立と考えられているそうです。明治10年1877年の天皇行幸の際には宿舎として使われたそうで、明治天皇はまさにこのお寺で、西南戦争勃発の一報を受け取ったのだそうです。

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