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2010/12/20

【拾い読み】いまや避けられない医療と巨大製薬会社の関係を詳細に分析 デイヴィッド・ヒーリー『抗うつ剤の功罪 SSRI論争と訴訟』

 先日、冨高辰一郎の『なぜうつ病の人が増えたのか』(幻冬舎ルネッサンス、2009年)を読んだ勢いで、デイヴィット・ヒーリーの『抗うつ剤の功罪 SSRI論争と訴訟』(田島治監修、谷垣暁美訳、みすず書房、2005年)を読んでみました。ところがこれが実にすばらしい本で、こんだけ読み応えがある本は久々に読みました。著者は自らも抗うつ剤の開発に関与してきた精神薬理学の専門家であり、幅広い知識と的確に問題点を見抜く力を持っており、そんじょそこらの「薬物療法批判」の本とは格が違います。
 ちなみに英語の原文はこちら(Googleブックス)で読むことができます。
 メイン・ストーリーは、プロザックという抗うつ剤に自殺を引き起こす副作用があるのではないかと疑った著者が、その薬を製造するイーライリリー社に戦いを挑むという話しなのですが、あの手この手の戦いの過程で、市場原理に従う巨大製薬会社の問題点が次々と明らかになっていきます。ついには製薬会社が著者の教授就任の妨害工作に出るなど、まるでサスペンス小説のような面白さがあります。また著者が、プロザックが自殺を増加させるという証拠はないという製薬会社の主張を切り崩すために、忘れ去られた論文を取り上げ、見逃された事実を見いだし、実験のデザインの問題点や統計処理の誤りやごまかし、主張の論理的矛盾を見いだして行くさまは、チェスの試合を見ているかのようです。
 ちょっとした気付きが、最初は誰も賛同しなかったのに、次第に明確な形をとるようになり、ついには大きな潮流となって行くプロセスは、ブラックホールに落ちる粒子の情報が失われるというホーキングの主張を、20年間にわたる論争の末に論破したレオナルド・サスキンドの『ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い』という本を思い出させます。
 著者は、単に製薬会社を悪として断罪するのではなく、市場原理に従う巨大資本が否応なく大きな位置を占めざるを得ない現代の医療において、どうすれば人々の役に立つ有効で安全な薬を提供していけるのか、という立場を取っておいます。例えば薬の効果や副作用を科学的に検証するには、多くの患者さんを対象にした疫学的な研究が不可欠です。しかしそうした研究は莫大な費用と手間がかかり、現在それが可能なのは巨大な製薬会社だけです。するとそのデータの透明性をいかに高めるかが必要になってくるわけです。また多数の症例を対象とした研究になることで、膨大な生データを集約する時に大切な情報が失われてしまう可能性もあります。実際プロザックでは、自殺につながるような焦燥が、さまざまな副作用項目に分散されることによって、集約された結果に反映されなかったのです。また、都合がいい研究に対する企業の資金援助や、論文そのもののゴーストライティングといった問題、また研究者や論文の審査員が製薬会社の資金援助を受けていたり、株主であったりするという問題も指摘されています。
 ぽん太としても、自分に与えられている情報が、製薬会社のプロモーションによって歪められていることを理解した上で、情報を取捨選択していかなければならないと感じました。

 で、以下はいつものように、ぽん太が興味深く思ったことの覚え書きです。
 序章のプロザック以前の歴史の部分が、知らないことばかりで面白かったです。現在の医療で用いられている概念が、どのような経緯でいつ頃生じ、どう変遷して来たかということは、とても大切なことだと思うのですが、自分にそういう知識が欠けていることがよくわかりました。
 19世紀にはアヘンとアルコールが鎮静薬の定番でしたが、20世紀前半にブロム化合物とバルビツール剤にとってかわり、1930年代にはデキストロアンフェタミンなどの中枢刺激薬が売り出され、1950年代にはデキストロアンフェタミンとアモバルビタールを組み合わせたデキサミル®が売り出され、大いに売れたそうです。1955年にはメプロバメート(ミルタウン®)が「トランキライザー」として売り出され、さかんにもてはやされたそうです。どんな薬だったのか興味がわきますが、ぽん太にはわかりません。そして1960年代前半、リブリウム®(一般名クロルジアゼポキシド、日本の商品名はコントール®、バランス®)、ヴァリウム®(一般名ジアゼパム、日本の商品名セルシン®)といったベンゾジアゼピン系の薬が登場します。これらを製造したロシュ社は非常にうまく売り込み、高血圧や喘息の背後に不安が隠れているかもしれないという考え方を医者に与え、1970年代には多くの人がヴァリウムを服用するようになりました。しかし1970年代からベンゾジアゼピンの依存性の問題が持ち上がってきて、1980年代には新聞やテレビなどのマスコミで盛んに取り上げられるようになりました。臨床医たちは、ヘロインやコカインなどのような濫用傾向がみられないこと、高値で闇取引されるようなことがないこと、治療薬として有効であること、多くの患者が問題にならず服用を中止していることなどを指摘して擁護しましたが、マルコム・レーダーの常用量依存の概念によって、とどめを刺されたそうです。
 ぽん太がヴァリウムと聞くと思い出すのは『スター・ウォーズ』をパロったメル・ブルックスの映画の『スペースボール』(goo映画)です。ジム・J・ブロックの演ずる王子は「アクビ王子」と訳されておりましたが、もともとの役名はPrince Valium(ヴァリウム王子)で、何かあるとヴァリウムを飲んで居眠りばかりしている人を当てこすっているわけです。この映画の制作は1987年ですから、ベンゾジアゼピン批判の風潮の中で作られたわけですね。
 ここで著者が指摘している面白い点は、依存性がないというセロトニン作動性の薬を臨床試験中だったスクイブ社が、キャンペーンの一環として、シンポジウムや論文でベンゾジアゼピンの危険性を強調するという戦略をとったのだそうです。
 アカシジア(akathisia)という語は、1955年にハンス・シュテック(H. Steck)やハンス・ハーゼ(H-J. Haase)らによって命名されたそうです。
 1952年に使われるようになったレセルピンは、自殺を誘発するという問題が認識されるようになりました。なぜプロザックではそういう認識が作られなかったかというと、1960年代に行われた特許法の改正が関係していると著者はいいます。それまでは製造法や用途に関して特許が与えられていたので、多くの企業がレセルピンを含む化合物の特許を持っていました。特許法の改正によって化学物質そのものに特許が与えられることになったので、プロザックを製造しているのはリリー社だけであり、プロザックが問題点を認めることは、リリー社の死活問題となったのです。
 初のSSRIはプロザックではなく、スウェーデンのアストラ社から1971年に売り出され、1972年に特許が承認されたジメリジン(zimelidine)(ツェルミドzelmid®)だそうです。この薬はギランバレ症候群を引き起こす副作用が明らかになって、市場から消えたそうです。
 1970年代から、エコロジストやサイエントロジー教会(トム・クルーズの抗うつ剤批判で有名ですね)などの、精神医学の身体療法に反対するファーマコビジランス(薬剤監視)グループが力を持つようになったそうです。彼らはインダルピン、ノミフェンシンを市場から排除し、さらにミアンセリンに打撃を与えたそうです。
 フルボキサミン(ルボックス®、デプロメール®)の歴史も面白かったです。自殺の誘発や吐き気の問題で、抗うつ剤市場での評価は低かったそうです。ところがラポポート(J.L.Rapoport)が1980年代に強迫性障害をの概念を広め、セロトニン系に作用するクロミプラミン(アナフラニール®)の有効性を指摘したことから、強迫性障害の治療薬としてアメリカ市場に参入しました。ところが1999年に起きたコロンバイン高校銃乱射事件の犯人の一人がフルボキサミンを服用していたことから、アメリカでは2002年に販売中止に到りました。ちなみに被害者遺族がソルベイ社を相手に起こした裁判の結果は、因果関係証明されないとされました。日本ではフルボキサミンは今でも使われております。
 サートラリン(ゾロフト®、日本ではジェイゾロフト®)は、半減期が短く、代謝経路が単純で、相互作用が少ないという特徴を持っていたため、ファイザー社はプロザックやパキシルよりもクリーンで副作用が少ないというイメージを与えるような論文を後押ししたそうです。CRAM(Central Research Assists Marketting)というプログラムを用い、プライマリケアでみられるうつ病の研究によって、プライマリケア医にサートラリンの使用を促したり、患者の教育と服薬コンプライアンスの研究によって、抗うつ剤のコンプライアンスを高めようとしたそうです。
 パロキセチン(パキシル®)を開発したグラクソスミスクライン社は、初めてSSRIという用語を作りましたが、この言葉の浸透力が強かったため、逆にプロザックやゾロフトなどがSSRIと呼ばれるようになったそうです。パキシルは、パニック障害・全般性不安障害、さらに社会恐怖などの「不安」に焦点をあてることによって大いに売れました。ただ社会恐怖(social phobia)という名は聞こえがよくなかったので、社会不安障害(social anxiety disorder)という名前に変わったそうです。パキシルに関しては、1990年代から、依存性・習慣性の問題が指摘されるようになりました。プロザックを販売していたリリー社にとっても、SSRIの依存性は認められないものでしたから(そもそも依存性のあるベンゾジアゼピンに取って代わるものとしてSSRIが開発されたのでしたね)、リリー社は「抗うつ剤中断症候群」という問題を提起し、半減期が短いために中断症候群が起きやすいと考えられるパキシルやゾロフトと、プロザックの差異化を図ったのだそうです。
 う〜ん、序章だけの覚え書きで、こんなになってしまった。疲れたのでこのへんで止めておきます。それにしてもこの本を読むと、製薬会社のMRさんたちがぽん太に言ってたことが、一つひとつ思いあたって、身につまされます。

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