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2011年2月の10件の記事

2011/02/28

【オペラ】愛は勝つ!コンヴィチュニー演出の「サロメ」二期会

 ペーター・コンヴィチュニーの演出ということで、観てきました。チケット案内に「一部にセクシャルかつ常軌を逸するアヴァンギャルドな表現を含んでおります。予めご了承のうえ、ご購入ください」と書かれており、期待が高まります。公式サイトはこちらの二期会のサイトかな?
 幕が開くと、舞台は殺風景で荒れ果てた近未来風の密室。白いクロスがかかった横長テーブルがあり、酔いつぶれた人々があちこちに横たわっています。テーブル中央には、グアンタナモの捕虜みたいに頭に白い袋をかぶされた男が座っています。その少し右手に座っている男は、携帯プレーヤーをイヤホンで聴きながら「イエイ、イエイ」と踊り続けています。これがヘロデであることは、オペラがだいぶ進行してからようやくわかりました。舞台上では、暴力、殺人、麻薬、性交、カニバリズム(人肉食)、ネクロフィリア(死体性愛)などなど、あらゆるおぞましいことが行われます。しかも時間が飛んだり、死んだ人が生き返ったりと、なんでもありの滅茶苦茶です。ちなみに月は、白い風船でした。
 白い袋をかぶされた男がヨカナーンで、長髪に髭をたくわえております。人々が彼を真ん中にして、テーブルに横一列に座って食事をするシーンは、まるでレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」。数えてみると、人数も13人です。そういえばあの絵の舞台も、四角い殺風景な部屋だったな〜。
 「7枚のヴェールの踊り」も、踊りらしい踊りはなありません。最初サロメが布を手にしたので、少しはヴェールっぽいのかと思いましたが、布をかぶせられた人々が、次々と変なポーズで固まっていきます。壁にドアを描いて開けようとしたりして、最後は突然女の子が出て来て終わり。『アイーダ』の凱旋シーンもそうでしたが、オペラの最大の見所を台無しにするのが、コンヴィチュニーのデフォか?
 いよいよヨカナーンの首が切られます。舞台の下から出て来た生首は、肩の下あたりで斜めにバッサリ。ところが死んだはずのヨカナーンが、首を並べてconfident横に居ます。生首がワイヤーで釣り上げられて舞台上方に掃けると、サロメは生きているヨカナーンに口づけし、彼に向かって歌います。しかしサロメ役の大隅智佳子の歌い方は、猟奇的・倒錯的なところはまったくなく、まるで純愛路線です。なんや、色気ないな〜。そして最後には、サロメとヨカナーンが恋人達のように手に手を取って、舞台から去っていきます。「あの女を殺せ!」という声(日本語です)を客席の男があげ、隣りの女性が一生懸命止めてましたhappy01。なんだこりゃcoldsweats02。首を斬っておきながらハッピーエンドかいな?よくわからん。

 しかし、なんとその日は、コンヴィチュニーのアフタートークがあったのでしたsmileこちらで全文を読むことができます。舞台写真もあるよ。
 それによればコンヴィチュニーはオペラを、「古典的な作品を鑑賞する」ものではなく、現代の観客に直接的に訴えかけるものと考えているようです。リヒャルト・シュトラウスの時代には、次々とヴェールを脱いでいくことや、生首に口づけすることは、極めてショッキングな表現でした。しかしいま同じことをやっても、現代の観客はおどろきません。そこで現代の観客に当時と同じような衝撃を与えるにはどうしたらいいかと、考えたのだそうです。う〜ん、それが前半の酒池肉林の大混乱だったのか……。
 コンヴィチュニーは、「この作品が伝えたい最も重要なことは、『人間のコミュニケーションにとって最も大切なのは“愛”である』ということです」と言います。なんでや。ぽん太は『サロメ』にそんなテーマを感じたことはないぞ。倒錯的な官能を楽しむものではないのか?また、「私にとって、最後の15分間がこの作品の最も重要な場面です」とも言ってます。ということは、大隅智佳子の恋人に語りかけるかのような歌い方は、下手なんじゃなくて、コンヴィチュニーの意図だったのか……。
 では、コンヴィチュニーが『サロメ』を「愛の讃歌」にしたのは、単なる奇をてらった思いつきだったのでしょうか?コンヴィチュニーは次のように語っております。
 「最後の場面、サロメとヨカナーンが『愛しあい、去る』というのは、シュトラウスが意図していたことだと思います。しかしながら、当時シュトラウスがそれを前面に出して書くことはできなかった、そうした上演はできなかったのかもしれません。なぜそう思うか?それはそのことが「音楽」に表れているからです」
 つまり、サロメとヨカナーンの愛によって閉塞状況から逃れていくというのは、コンヴィチュニーがリヒャルト・シュトラウスの音楽から感じ取ったものだったのです。なるほど、単なる思いつきじゃなくって、音楽から読み取っていたのですね。それで最後のサロメの歌は、純粋な愛の表現に聞こえたわけだ。
 カニバリズムのシーンも、ヨカナーンガ古井戸から上がってくるだけのシーンにしてはとても豊かな音楽が付けられているため、そこで何かをしようと思ったのだそうです。コンヴィチュニーは、実は音楽を大切にし、音楽からインスピレーションを得ていたんですね。確かにコンヴィチュニーは、謙遜もあるでしょうけど、「音楽」が最も重要で次が「歌詞」、そしてはるかに離れて最後に「ト書き」がある、と言ってました。

 ナルホド、なんとなく分かって来たけど。しかし、前半の退廃的で、ヨカナーンの首を切らせたサロメと、最後の純愛サロメは、ギャップがありすぎるよな〜。
 その日の夜中に目が覚めたので、ぼんやりと『サロメ』のことを思い返していました。最後のシーンは、やっぱりそれ以前とは断絶してるよな〜。幕を締めて手前で演じられるし。まあ、最後の15分は幻想の世界と考えてもいいわけだ。まてよ、現実と考えることもできる。斬られたヨカナーンの首は、ロープに吊られて天に昇っていった。で、「最後の晩餐」のシーン。ああ、そうか、ヨカナーンはキリストだったんだ。殺されたけど復活して、奇跡を起こしたんだな……。
 解釈は自由です。

 演出に気を取られて、歌や指揮、オケまで注意が行きませんでした。ヨカナーン役の友清崇が、風貌や雰囲気がとても合っていました。これが太った体型の歌手だったら、印象がだいぶ違っていたと思います。ナラボートの大川信之が、お尻を丸出しにして大奮闘。大隅智佳子の最後の歌、もう一度聴いたらどういう風に聞こえるでしょうか。
 それからここまでやるなら、字幕も少し工夫するとよかったかも。例えばサロメの「口づけする」は、「キスする」の方がいいのでは?
 また本日はブーイングはありませんでした。コンヴィチュニーさん、逆にがっかりしてたりして。


東京二期会オペラ劇場
『サロメ』
2011年2月23日 東京文化会館

原作:オスカー・ワイルド
ドイツ語台本: ヘドヴィッヒ・ラッハマン
作曲:リヒャルト・シュトラウス

指揮:シュテファン・ゾルテス
演出:ペーター・コンヴィチュニー

舞台美術・衣裳:ヨハネス・ライアカー
照明:マンフレット・フォス
演出助手:ロッテ・デ・ビール、澤田康子、太田麻衣子
舞台監督:幸泉浩司
公演監督:多田羅迪夫

サロメ:大隅智佳子
ヘロデ:片寄純也
ヘロディアス: 山下牧子
ヨカナーン:友清 崇
ナラボート:大川信之
ヘロディアスの小姓:田村由貴絵
ユダヤ人1:髙田正人
ユダヤ人2:菅野 敦
ユダヤ人3:新津耕平
ユダヤ人4:加茂下 稔
ユダヤ人5:畠山 茂
ナザレ人1:北川辰彦
ナザレ人2:櫻井 淳
兵士1:井上雅人
兵士2:倉本晋児
カッパドキア人:千葉裕一
管弦楽:東京都交響楽団

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2011/02/27

【オペラ】大迫力!マリインスキー・オペラ「トゥーランドット」(付:心理療法家としてのカラフ)

 NHKホールの3階後方のE席で観てきました。遠いですね〜。以前に邦楽を聴きに行ったとき、鼓を打つのが見えてから音が聞こえるまでタイムラグがあるのにびっくりしたことがあります。また老眼のぽん太は、字幕を読むのに双眼鏡が必要です。舞台奥のバルコニー上に登場した皇帝アルトゥムは足しか見えませんでした。ほかの人のブログを読むと、舞台奥でいろいろと演出があったようですが、全くわかりませんでした。ああそれなのに、それなのに、3階前方のD席は、日曜日だというのにガラガラ。空いてるんなら前に移動させてくれい。E、Fは完売しながらS〜D席は最後まで売れ残っていたようですが、ジャパン・アーツさん、次から値段設定を見直すか、もっと小さいホールにするか、ここはひとつよろしくお願いします。本公演の公式サイトはこちら
 ところがこんな遠い席でありながら、歌声やオーケストラの演奏がすごい迫力で聞こえたのにはびっくり。合唱団もパワーがあって、広いホール全体がハウリングのように鳴り響きました。いや〜マリインスキーは、前回の『イーゴリ公』もそうでしたが、やっぱり凄いですね〜。
 特筆すべきはカラフのウラディーミル・ガルージン。声量がありますね。2年前にボリショイ・オペラで観た『スペードの女王』のゲルマンの鬼気迫る演技もすばらしかったですが、今回はカラフの自信に満ちた朗々とした歌声に聞き惚れました。氷のように冷酷なトゥーランドットが恋に落ちるのも無理ありませんね。
 ツンデレ姫トゥーランドットのマリア・グレギーナも、声量が豊かでした。体調が悪くて2日前の公演では声が出てなかったそうですが、本日は第3幕でちょっと咳き込むみたいになって声が出にくくなったりしましたが、全体としてはすばらしかったと思います。
 リューのヒブラ・ゲルズマーワも、鈴の音のように清楚で透明な声が、役柄にあってました。
 ゲルギエフの指揮するオケも、パンチが効いていて大迫力でした。舞台美術も、1幕から3幕まで同じセットでしたが、照明などをうまく使って変化をつけていました。演出も気をてらったところがなく、それでいて凡庸にならず、なかなかよかったです。

 このオペラに関して、カラフは謎解き以外になにもせず、しかも自分で出した謎の答を教えてしまうたわけ者である、という見方があるようですが、精神科のぽん太から見るとそんなことはありません。カラフは優秀な精神療法家であり、トゥーランドットの恋愛恐怖症を見事に治療したのです。
 カラフはトゥーランドットに謎を出しましたが、「謎解き」という彼女が慣れ親しみ、固執していた枠組みを用いた点が見事です。そして、カラフが謎を出し、トゥーランドットが謎を解く立場になることで、二人の位置は入れ替わり、カラフが主導権を取ることができます。ただし、「死すべき者」はカラフであり続けることによって、この逆転が目立ちにくくなっており、トゥーランドットは主導権はあいかわらず自分にあると錯覚します。
 同時にトゥーランドットは、「謎を出す者に対して求婚する者」の位置を占めることになります。彼女はこの時点ですでに、カラフを愛する者の立場にあるのです。初めの謎の答えは出題者の名前「トゥーランドット」であり、それに答えられなかった求婚者たちは、自分たちの欲望の対象を知らなかったことを見せつけられます。二番目の問いの答えも出題者の名前「カラフ」ですが、トゥーランドットは答えを見つけるために、カラフのことを一晩中考えなければなりません。しかも、カラフとの結婚を拒否しようと思えば思うほど、カラフのことを深く考えなければならないわけで、ここにはミルトン・エリクソンのいう「治療的ダブルバインド」が設定されております。
 ところがカラフは謎の答を教えてしまいます。これは「不意打ち」であり、トゥーランドットを混乱させ、心的防衛機能を低下させ、心理的な変化を起こしやすくします。そして、出題者が答えを口にするという「やってはいけないこと」をし、自らの死を受け入れたことによって、トゥーランドットもまた、これまでの自分の死を受け入れ、「やってはいけないこと」つまり男に復讐するという誓いを破り、男性を愛することが可能となるのです。
 時間の設定も見事であり、トゥーランドットは月の出とともに求婚者の首を切りました。しかしカラフは、謎の期限を夜明けとしました。このためトゥーランドットは一晩中カラフのことを考え続けたのですが、それが恋人のみにふさわしい行為であることは明らかです。そして夜が終わり朝を迎えた瞬間に、トゥーランドットは氷のような冷酷さをすてて愛に身を委ねることになります。


マリインスキー・オペラ
「トゥーランドット」
2011年2月20日 NHKホール

作曲:ジャコモ・プッチーニ
台本:ジュゼッペ・アダーミ、レナート・シモーニ

指揮:ワレリー・ゲルギエフ
演出:シャルル・ルボー

【トゥーランドット】マリア・グレギーナ
【カラフ】ウラディーミル・ガルージン
【リュー】ヒブラ・ゲルズマーワ
【ティムール】ユーリー・ヴォロビエフ
【皇帝アルトゥム】ヴィクトル・ヴィフロフ
【ピン】アンドレイ・スペホフ
【ポン】オレグ・バラショフ
【パン】アレクサンダー・ティムチェンコ
【役人】エデム・ウメーロフ
【ペルシャの王子】アントン・ロシツキー
マリインスキー歌劇場合唱団
杉並児童合唱団
マリインスキー歌劇場管弦楽団

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2011/02/25

【歌舞伎】若さで押していく染五郎の「女殺油地獄」 ルテアトル銀座2011年2月

 第二部の「女殺油地獄」の方がよかったです。河内屋与兵衛の染五郎は、「徳庵堤」や「河内屋内」ではなんか小芝居がバタバタしていて、どうしょもない人間である中のかわいらしさや色気が感じられませんでした。しかし「豊嶋屋油店」に入ってからは、若さでストレートに押して行く渾身の演技に徐々に引き込まれていき、壮絶な殺しのシーンは思わず息を飲みました。今回の公演の公式サイトはこちらです。
 染五郎が与兵衛を演じるのは10年ぶり3度目ですが、最初に教わったのは仁左衛門からだそうです。与兵衛はお吉に、まずは普通に金の工面を頼むが断られ、色仕掛けに出、最後は必死の思いで懇願するものの「またいつもの嘘だろう」と言われて、ついに殺害を決意します。そしてお吉を追い回すうちに、だんだん快楽を感じてきます。仁左衛門だと、こうした心理的な段階を、芸の力で細かく演じ分けていきます。例えばお吉が「なるほど金は奥の戸棚に上銀か五百匁あまり」と箪笥を指し示したとき、与兵衛はつられて視線を箪笥に移すだけであり、まだお金を奪おうなどとは露ほども思っていないことがわかります。染五郎は「芸の力」よりも、与兵衛に対する共感をよりどころにして演じているようで、とにかく金を手に入れたい一心から、ギラギラした目で箪笥を見つめておりました。
 「北の新地の場」と「豊嶋屋逮夜の場」は初めて見ました。そういえば、最初の「野崎参り屋形船の場」があって、舞台を回して「徳庵堤」になるというのも、初めての気がします。「北の新地の場」は奪った金で放蕩にふける与兵衛を描いており、染五郎と高麗蔵(小菊)が客席に現れてお客をいじるというサービス付き。しかし、ここでの与兵衛はまるで「つっころばし」で、なよなよとした遊び人風です。歌舞伎ですから人物の性格的な一貫性はなくてもかまわないですが、粗暴な人間が金を手にして粋がっている風や、人を殺して手に入れた金であることを忘れて放埒にふける人間性のなさを、表現して欲しかったです。最後の場は、与兵衛がとうとうお縄にかかる場面。悪人がついに捕まることでカタルシスにはなりますが、確かに蛇足のような感じもし、殺害の場面で終わるやり方も一理あります。「豊嶋屋逮夜」までやるのなら、その前の与兵衛を憎々しげで嫌なやつに演じておく必要があるのかもしれません。
 お縄にかかって花道を引き上げて行く染五郎、なかなか複雑な表情の動きを見せましたが、それだけではぽん太は納得しません。後悔がよぎったのか、捕まったということを単純に悲しんだのか、捕まえてもらってほっとしたのか、強がってみせたのか、与兵衛の心情をふまえてもらいたいです。そしてそれにあわせて、芝居全体の与兵衛の人物像を組み立てて欲しいと思いました。
 亀治郎のお吉は安心して観れました。お吉の世話やきでシャキシャキした感じが、亀治郎に合ってました。与兵衛が全てを打ち明けてお金の工面を頼む場面で、思わず同情して貸しちゃいそうになるあたりが、いまいち表現不足だった気がします。彦三郎と秀太郎の両親の芝居は、さすがに別格。見ていて「お前らが甘やかすからいけないんだろ!」という気にならず、子を思う親御心に深く共感できました。高麗蔵の小菊、とっても可愛いらしかったです。
 第一部の「於染久松色読販」は、亀治郎が七役をつとめました。早変わりなどのケレン味ある楽しいお芝居で、亀治郎の芸達者ぶりが遺憾なく発揮されました。ストーリーはお染久松の物語と御家騒動を組み合わせたもので、鶴屋南北の作なのだそうですが、なんか歌舞伎でよく見るシーンの寄せ集めみたいでした。そういえばお染久松といえば野崎参り。1部と2部は関係してのかしらん。亀治郎の七役のなかでは、気っ風のよいお六が似合ってる感じがしました。お光狂乱の舞踊は哀れさが漂って秀逸、1月に愛之助の代役で奮闘した亀鶴もやわらかく涼やかな踊りでした。


ル テアトル銀座
二月花形歌舞伎
平成23年2月

第一部

猿之助四十八撰の内
於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)
お染の七役

  お染/久松/竹川/小糸/土手のお六/貞昌/お光  市川 亀治郎
                   鬼門の喜兵衛  市川 染五郎
                     髪結亀吉  坂東 亀三郎
                     船頭長吉  中村 亀 鶴
                    油屋多三郎  澤村 宗之助
                   女猿廻しお作  市川 笑 也
                     庵崎久作  市川 門之助
                    油屋太郎七  坂東 秀 調
                   山家屋清兵衛  大谷 友右衛門

第二部

女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)
                   河内屋与兵衛  市川 染五郎
                       お吉  市川 亀治郎
                     芸者小菊  市川 高麗蔵
                     小栗八弥  坂東 亀三郎
                    兄 太兵衛  中村 亀 鶴
                    妹 おかち  澤村 宗之助
                  叔父 森右衛門  松本 錦 吾
                  豊嶋屋七左衛門  市川 門之助
                    父 徳兵衛  坂東 彦三郎
                    母 おさわ  片岡 秀太郎

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2011/02/21

【クラシック】ピリオド奏法初体験 フランス・ブリュッヘン×新日フィルの『田園』『のだめ』

 フランス・ブリュッヘンの指揮でベートーヴェンの交響曲を聴けるというので、錦糸町まで行ってきました。曲目は第6番『田園』と第7番『のだめ』happy01、オケは新日本フィルです。公式サイトはこちら
 フランス・ブリュッヘンといえば、元はリコーダー(小中学校で習ったあの笛ですね)奏者でしたが、1981年に古楽器を使用する「18世紀オーケストラ」を結成し、指揮者としても活躍しているそうです。初めてブリュッヘンのベートーヴェンをCDで聴いたときには、フルトヴェングラーのLPで育ったぽん太はびっくり仰天で、まったく違った曲に聞こえました。しかし何度か聴いているうちに、柔らかな音色と室内楽的な響きがとても心地よく感じられるようになりました。そのブリュッヘンの指揮したベートーヴェンを、生で聴けるというチャンスを逃す手はありません。ただ、まさか新日フィルが古楽器を使うとは思えないので、現代の楽器を使ってどんな演奏をするのか、ちと不安もありました。
 すみだトリフォニーホールは、ぽん太は初めて。外観は普通のビルディングですが、内部のデザインはなかなか面白かったです。ホワイエには四角い穴がいくつもあいたピンク色の壁があって、狭いスペースをよけい狭くしてますが、なんとなくイタリア、スペインっぽいです。ホール内も、焦げ茶色の木材を多用した落ち着いた雰囲気の中に、二階席・三階席の床にあたる部分が棒状に斜めに走って舞台上まで伸びているのが大胆で、ちょっとケレンっぽいけど、小さなホールだし、俗悪になる一歩手前のところで留まっております。ぽん太の耳ではよくわかりませんが、音響もすばらしいそうです。こちらのデータベースを見ると設計は日建設計となっておりますが、こちらの日建設計のサイトには出てないのは何でだろ。
 舞台袖から現れたブリュッヘンは、ひょろっと背が高く、背中が曲がっていて、とぼとぼとステージ中央に向かいます。指揮台に登るのもよっこらしょという感じ。痩せて頬がこけており、頭髪だけでなく眉毛まで真っ白。指揮台の上の椅子に前屈みで腰掛けて、長い手を振って指揮している姿は、『千と千尋の神隠し』の釜爺を思わせます。
 最初の曲は『田園』でしたが、初めて聴く音色にびっくりしている間に終了。コントラバス3台とこじんまりした編成。楽器や奏法に関しては、ヴァイオリンがビブラートをかけないことと、ティンパニのスティックの先に団子が付いてなくてペケペケと音がすることはぽん太にもわかったのですが、細かいところはよくわかりません。印象としては、全体に軽くて、アタックが常にやわらかく、弦楽合奏の音色が美しく、木管や金管のバランスが大きく、普段聞こえてこない内声部がよくわかりました。ピアニッシモは、消え入りそうなくらい繊細でした。ピリオド奏法がまったく初めてのにゃん子は、「なんか覇気がない。初め新日本フィルがすごく下手なのかと思った」とのこと。
 パワフルな7番の方はどうなるのかと思いましたが、躍動感あふれる迫力ある演奏でした。最初の和音も、チェンバロで和音をアルペジオで弾いたみたいに聞こえて、面白かったです。
 足下のおぼつかないブリュッヘンさんを何度も呼び出したら悪いかな、と思いつつ、めいっぱい拍手しました。


フランス・ブリュッヘン・プロデュース
《ベートーヴェン・プロジェクト》第3回
2011年2月16日 すみだトリフォニーホール

ベートーヴェン作曲:交響曲第6番 ヘ長調『田園』 op.68
ベートーヴェン作曲:交響曲第7番 イ長調 op.92

指揮:フランス・ブリュッヘン
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団

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2011/02/18

【歌舞伎】孝太郎のお園がよかった「彦山権現誓助剱」 松竹座2011年2月昼の部

 歌舞伎が跳ねた後は大阪の夜を堪能し、翌日は昼の部を観劇。「彦山権現誓助剱」(ひこさんごんげんちかいのすけだち)は、「毛谷村」は何度か観たことがありますが、通しは初めてでした。関西では67年振りの通し上演とのこと。
 歌舞伎では、有名な場面だけをいくつか組み合わせたプログラムも多いですが、今回は昼も夜も通し。まあ、バレエで言えば、有名な踊りを集めたガラ公演と、全幕ものみたいなもんですね。そう考えると、両方あったほうがいい気がします。
 仁左衛門の六助は何と初役とのこと。4幕目からの登場ですが、出てくると舞台にぱっと花が咲いたように明るくなります。夜の部とは違って昼の部は、明るくって正直で人が良くって腕も良くて、とってもいい役です。仁左衛門の優しい人柄が感じられました。昨日の夜の部ですっかり暗くなった気分が、明るくなりました。偶然ですが、夜・昼という順序で見れてよかったです。
 それから、お園の孝太郎がなかなかよかった気がします。いつものながら様式的な所作が身に付いていて心地よく、安心して見ていられます。「しの字尽くし」も上手だったし、女武道が六助をそれと知って急に女らしくなるところも、下品にならずに可愛らしかったです。
 京極内匠はとにかく卑怯な手ばっかり使うイヤなやつですが、愛之助が演じると憎々しくならずに、風格もあってちとカッコいいです。もうちょっと得たいのしれない恐ろしさが出てくるといいのですが。

 筋書きによると、この狂言は、九州は英彦山周辺に伝わる巨人伝説と、江戸時代の「豊臣鎮西軍記」に描かれた吉岡一味齋に関わる毛谷村六助の仇討譚を題材としているとのこと。
 英彦山(ひこさん)は、福岡県と大分県の県境にある山ですが、巨人伝説というのは何のことでしょう。ぐぐってみると、英彦山には豊前坊(ぶぜんぼう)という天狗(?)がいたようですが、詳しいことはよくわかりません。高住神社(ブログはあるけど公式サイトがみつかりません。地図はこちら)は、神仏分離以前は「豊前坊」と呼ばれていたそうです。
 「豊臣鎮西軍記」は、こちらの国立国会図書館デジタルアーカイブで読めますが、ちと元気が出ません。Wikipediaによると、この本には、毛谷村六助が女の仇討ちを手助けしたこと、後に貴田孫兵衛と名を変えて加藤清正の家臣となったことが書かれているそうです。英彦山の東側には、毛谷村六助の墓(地図)があるそうです。


片岡仁左衛門 昼夜の仇討
二月大歌舞伎
大阪松竹座 平成23年2月

昼の部

通し狂言
  彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)

  序 幕 第一場 長門国住吉鳥居前の場
      第二場 同 社前の場
      第三場 同 郡城下馬場先の場
  二幕目     長門国吉岡一味斎屋敷の場
  三幕目 第一場 山城国眞葛ヶ原浪宅の場
      第二場 同 釜ヶ淵の場
  四幕目 第一場 豊前国彦山杉坂墓所の場
      第二場 同 毛谷村六助住家の場
  大 詰     豊前国小倉立浪主膳正本陣の場

                 毛谷村六助  仁左衛門
               一味斎姉娘お園  孝太郎
                  京極内匠  愛之助
                一味斎妻お幸  竹三郎
               一味斎妹娘お菊  松 也
                 衣川弥三郎  薪 車
                 若党佐五平  猿 弥
           吉岡一味斎/杣斧右衛門  彌十郎
               衣川弥三左衛門  段四郎

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2011/02/17

【歌舞伎】「こりゃこうのうては叶うまい」の台詞がない!?仁左衛門の「盟三五大切」・松竹座2011年2月夜の部

 昼夜ともに仁左衛門の通しということで、先月に続いて大阪遠征してきましたhappy01
 午前中の新幹線で大阪に向い、まず夜の部から観劇。「盟三五大切」(かみかけてさんごたいせつ)は、2008年11月の歌舞伎座で同じ仁左衛門で観ていたく感動した演目で、これをもう一度観たいというのが今回の大阪遠征の大きな理由となっております。前回はただただ感動して見とれるばかりでしたが、今回は2回目ということで、少し冷静に鑑賞することができました。
 仁左衛門の薩摩源五兵衛は今回も絶品でした。すでに「深川大和町の場」で、単なる小万にぞっこんの色男ではなく、どことなく欲望の制御の弱さ、衝動性、人格の浅薄さがあり、キレたら怖い感じが漂っています。「五人切の場」は正に殺しの美学。障子に源五兵衛の影が映るシーンから、ゾクゾクします。「四谷鬼横町の場」は、何度見ても恐ろしい。どうやって知ったのか、三五郎の引っ越し先に訪ねてくる源五兵衛。「身は武士じゃわ。いつまでそのように、小万が事を恨んでいようぞ」と言いながら、持参の酒にはしっかり毒が入れてある。また八右衛門が身替わりとなって捕り手に引き立てられていったことで、源五兵衛は心を入れ替え恨みを捨てたはず。ところが再び戻って来たときには、この間にあったことがすべて消し飛んでいて、最初の二人への恨みに立ち戻ってしまっております。そして小万の手を添えて赤子を殺すシーン。刃が赤ん坊の肉や骨を断つ感触が、手に伝わってくるようで嫌です。切り落とした小万の生首を、いとおしそうに懐に抱いて帰って行く姿は猟奇的です。
 ところで、大詰めの「愛染門院の場」で、腹に出刃包丁を突き立てた三五郎が樽の中から現れるシーン。あれれ、「こりゃこうのうてはかのうまい」というセリフがない!前回はあったような気がしましたが。ぽん太は芝居を観た後で台本を読み直したので、この台詞があったと思い込んでいただけかもしれません。
 「こりゃこうのうてはかなうまい」という言葉は、文字通りには「こうでなくちゃ」、「こうあるべきだ」といった意味ですが、なんでここで源五兵衛がそう言うのかよくわからない、謎の台詞です。「自分を騙した三五郎が自害するのが当然だ」という意味なのでしょうか。それとも、芝居に対する注釈としての「メタ台詞」であって、「仮名手本忠臣蔵」の「お軽勘平」の引用として、ここで勘平と同じように腹を切らねば芝居にならない、という意味なのか。今回の仁左衛門の演出は、ストーリーのわかりやすさを重視しているらしいので、このセリフを省いたのかもしれません。しかし芸術作品には、どうもよく理解できない異質な部分があった方がいい、というのがぽん太の考えて、ぜひこのインパクトあるセリフは残して欲しかったです。
 ちなみに、「盟三五大切」と関連している「仮名手本忠臣蔵」の「大序」で、顔世を口説いていた師直が、若狭之助に見とがめられて言い訳する台詞に「この度の御役目、首尾よう勤めさせてくれよと塩冶が頼み、そう無うては叶わぬはず」というのがありますが、特に関係はないですよね。
 それから愛染院で源五兵衛が、小万の生首を相手に食事をする場面。前回は、食事をしているうちに憎しみがこみ上げて来て、小万の首に茶をぶっかけたような気がするのですが、今回は、生首が口を開けたのに驚いて茶をかける感じでした。これも前の方がよかったのに。段取りの間違いでしょうか。
 そして最後に義士たちが現れるシーン。仁左衛門は「なんだなんだ」という感じでキョロキョロとあたりを見回してました。実はぽん太は、最後の仁左衛門の表情を見落としてしまったのですが、どうだったのでしょうか。これまで自分がしでかしたことを棚に上げて、義士としてがんばるぞ〜みたいな、猟奇的な悦びに満ちた表情を期待しておりました。
 芝雀の芸者小万、深川芸者らしい意気と色気がありましたが、どことなく子供っぽくなってしまうのが残念。愛之助の笹野屋三五郎は、イナセさを強調しようとするあまりか声を張りすぎた感じで、もう少し地声を使ってよかった気がします。今回の小万と三五郎は、悪人さが強調されず、主のためにお金を手に入れようと思うあまり源五兵衛を騙してしまった風に描かれておりました。これも芝居全体のストーリーの一貫性を重視することの現れかもしれません。松也の芸者菊野はきれい。六七八右衛門の薪車は、まっすぐななところがよく出ていて、源五兵衛のなんとも複雑に込み入った心理を引き立てていました。彌十郎の弥助はそつがありませんでした。芸達者な猿弥の船頭お先の伊之、段四郎が富森助右衛門をきっちりと。
 あと、今回の芝居で意味のよくわからない台詞がありました。四谷鬼横町に越してきた三五郎と小万が食事にしようとするが、引っ越しの途中で茶碗をひとつ割ってしまって、茶碗がひとつしかないという場面での三五郎の冗談。「そうか。そんなら茶をかけて食い回しにしよう。茶漬け茶碗は回しを取ったな。」なな?相撲の話しか?
 帰ってgoo辞書をみると、「回しを取る」は「女がかけもちで二人以上の客の相手をする」という意味だとのこと。すると茶碗を遊女にたとえたという冗談かしら……。

片岡仁左衛門 昼夜の仇討
二月大歌舞伎
大阪松竹座 平成23年2月

夜の部

通し狂言
  盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)

  序 幕 第一場 佃沖新地鼻の場
      第二場 深川大和町の場
  二幕目 第一場 二軒茶屋の場
      第二場 五人切の場
  大 詰 第一場 四谷鬼横町の場
      第二場 愛染院門前の場

                薩摩源五兵衛  仁左衛門
                  芸者小万  芝 雀
                笹野屋三五郎  愛之助
                  芸者菊野  松 也
              若党六七八右衛門  薪 車
              船頭お先の伊之助  猿 弥
             家主くり廻しの弥助  彌十郎
                富森助右衛門  段四郎

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2011/02/14

【舞踏】テーマがいまいち感じ取れず 山海塾「から・み」

 昨年4月にパリ市立劇場で初演された新作「二つの流れ-から・み」を見てきました。公式サイトは……こちらの山海塾のサイトかな?
 題名の「から」は「殻」であって外形的な身体を指し、また「み」は「身」や「実」であって生命を宿す身体を意味し、両者の交換・交流が今回のテーマなんだそうです。ただぽん太は、そのテーマを十分に感じ取ることができませんでした。
 一番最初の「立てること 立つこと」では、ばったりと倒れて硬直した人を木造のように起こして立てる動きがとても面白く、身体に生命が宿ったり失われたりする様子が感じられました。また最後の「二つのリズム」は、題名の通り、手をひらひらさせる踊り手と、それ以外の踊り手との、交換・交流が読み取れました。しかしこの二つ以外では、「から」と「み」の対比や相互作用が感じ取れませんでした。
 「ステージ通信Q Vol.30 2010秋号」に天児牛大のインタビューが載っております。これを読むと、天児の2つのソロの「遠のいていた記憶」と「遠のいていく記憶」は、同じ曲を異なる楽器で演奏した音楽が使われており(最初はグラスハープ、次は二胡と琴)、同じ曲でも楽器が異なると踊りがどう変わるかを味わうものなんだそうです。う〜ん、ちっとも気付かんかった。「から」「み」が感じ取れないのは、ぽん太の感性がにぶいせいかも。
 ぽん太には、セットもいまいちな感じがしました。赤と青の樹木状の図形が描かれた半透明のプレートが、天井から何枚か下がっているのですが、プラスチック系の素材感が、なんか安っぽくて美しくありませんでした。どうせならガラスがビシッと吊り下げられている方が、鋭い素材感があり、落ちたら割れるという緊迫感もあっていいと思うんですが。
 とはいえ、山海塾独特の動きと雰囲気は、十分に楽しむことができました。蟬丸ほかコール・ド・山海塾もよかった。プレートを挟んでの鏡像のような動きも面白かったです。踊り手の中でたった一人だけ、感情や意思といった「心」を表出する権利を持つ天児の踊りもすばらしく、特に二番目のソロが気迫がこもっていました。両手をひらひら動かし続けて踊る「二つのリズム」は、女性的・中国的でかわいかったですが、ちょっとケレンっぽい演目なので、全体の〆に持ってくるのはいかがなものか。
 でも、踊り手たちが年取ったなぁ。体つきがじっちゃんぽくなってきました。それはそれで悪くないですが、若い人も入れてください。


二つの流れ-から・み
KARA・MI - Two Flows

2011年1月30日 世田谷パブリックシアター

演出・振付・デザイン 天児牛大
音楽 加古隆・YAS-KAZ・吉川洋一郎
舞踏手 天児牛大・蝉丸・岩下徹・竹内晶・市原昭仁・長谷川一郎・松岡大・浅井信好
共同プロデュース パリ市立劇場 / 北九州芸術劇場 / 山海塾
初演 2010年4月 パリ市立劇場

1 立てること 立つこと
2 遠のいていた記憶
3 内側の内側は外
4 見えぬ手 立ち現れる想像
5 想像をやぶるものごと
6 遠のいていく記憶
7 二つのリズム

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2011/02/13

【バレエ】気迫のこもったマラーホフの踊り 「チャイコフスキー」ベルリン国立バレエ団

 にゃ〜、ブログを書く暇がなくて、観てからだいぶ時間がたったので、すっかり忘れてもうた。
 ベルリン国立バレエ団、先に観た「シンデレラ」はちょっと地味な印象でしたが、「チャイコフスキー」はドラマチックで迫力があって、とてもよかったです。ちょっと暗くて重い作品でしたが、観客の反応もよくて、拍手喝采でした。こちらが公式サイトです。
 ストーリーは、死の床でもだえ苦しむチャイコフスキーに、人生のさまざまな場面が蘇ってくるというもの。パトロンとして彼を支えたフォン・メック夫人や、短期間の不幸な結婚に終わった妻アントニーナ・イヴァーノヴァといった実在の人物だけでなく、『白鳥の湖』などの彼が創造した作品や、その登場人物が入り混じります。
 すばらしい芸術作品を残したチャイコフスキーだが、彼自身は様々な問題や悩みを抱え、自己の分裂に苦しんでいた、というのはけっこうベタな話しではありますが、それなりに面白かったです。
 ちなみにチャイコフスキーは、てんかん持ちだったとか、同性愛だったとか、死因は実は自殺だったとか、いろいろな話しがあります。アントニーナ・イヴァーノヴァとの電撃的結婚と離婚、チャイコフスキーのモスクワ川入水、イヴァーノヴァが後に精神病院に入れられたことなどは、以前の記事で書いたことがあります。とはいえ、ぽん太はチャイコフスキーがどんな人で、どんな生涯を送ったのか、あまりよく知りません。手近にある伝記をぱらぱらめくってみたら、1981年から1982年頃、チャイコフスキーはスピノザに傾倒し、『エチカ』や『往復書簡集』を熟読していたらしい。今回の公演に使われた曲の中にも、『聖ヨハネ・クリュソストムの典礼』という宗教曲がありますが、チャイコフスキーと宗教の関係はどうなのか。
 チャイコフスキーを踊ったマラーホフは、いつもながらの造形的な身体美はもとより、演劇的な表現力がすばらしく、迫真の演技というか、鬼気迫る感じさえ漂う魂のこもった踊りを見せてくれました。バレエというと普通は楽しくて可愛らしいものですが、今回の舞台は、重厚で思索的、崇高で哲学的でした。これがマラーホフの特徴なのか、ドイツ人の観客の好みなのか、ぽん太にはわかりません。
 エイフマンの振付けは、以前に「マラーホフの贈り物」で「ハムレット」を観たことがあるようですが、例によってよく覚えておりません。今回のは、適度に斬新で、アクロバティックな動きもあり、悪くなかったです。ぽん太は、交響曲第5番の第3楽章の中間部に振り付けた、女性たちの踊りが気に入りました。音楽について言えば、バレエの「白鳥の湖」とか「眠れる森の美女」とかを引用しながら、それらの曲を一切使わないのもいさぎよいです。
 それにしても、今回使われていたチャイコフスキーの交響曲などが、バレエ音楽として全く違和感がないのには驚きました。しかし、家に帰ってからCDを聞き直してみると、どうみてもこれに合わせて踊れそうには聞こえないので、指揮のヴェロ・ペーンがバレエ音楽っぽく演奏していたのかもしれません。東京シティフィルの演奏もよかったです。
 舞台美術も豪華で美しかったです。ユーゲント・シュティールだかベルリン分離派だかわかりませんが、19世紀末風な流麗さとエロティシズムがありました。また、光と影の配置や、射影幾何学的に歪んだ形態は、「カリガリ博士」などのドイツ表現主義映画が思い浮かびました。


ベルリン国立バレエ団
「チャイコフスキー」~生と死のミステリー
2011年1月23日 東京文化会館

台本・振付・演出: ボリス・エイフマン
音楽: ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
装置・衣裳: ヴァチェスラフ・オクネフ

チャイコフスキー:ウラジーミル・マラーホフ
分身/ドロッセルマイヤー:ヴィスラウ・デュデク
フォン・メック夫人:ベアトリス・クノップ
チャイコフスキーの妻:ナディア・サイダコワ
王子(若者/ジョーカー):ディヌ・タマズラカル
少女:ヤーナ・サレンコ

ヤーナ・バローヴァ、アニッサ・ブリュレ、エロディー・エステーヴ、ヴェロニカ・フロディマ、マリア・ジャンボナ、ステファニー・グリーンワルド、針山愛美、ヨアンナ・ヤブロンスカ、エリナー・ヤゴドニク、菅野茉里奈、アナスタシア・クルコワ、ワレリア・マナコワ、ニコレッタ・マンニ、サラ・メストロヴィック、ナターリア・ミュノス、クラジィーナ・パヴロワ、クリスティアーネ・ペガド、巣山 葵、寺井七海、ヴェレーナ・サーム

マルチン・アロヨス、ゲヴォルク・アソヤン、ミハエル・ファトゥラ、アルシャク・ガルミヤン、ドミニク・ホダル、アレクサンドル・コルン、クリスティアン・クレール、マリアン・ラザール、アルトゥール・リル、ウラジスラフ・マリノフ、エイメリック・モッセルマンズ、アレクセイ・オルレンコ、ハビエ・ペーニャ・バスケス、ケヴィン・プゾー、スフェン・ザイデルマン、アレクサンドル・シュパク、デイヴィッド・シミック、フェデリコ・スパリッタ、マルチン・シィマンスキー、ウリアン・タポル、メフメト・ユマク

指揮: ヴェロ・ペーン
演奏: 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

使用楽曲(すべてチャイコフスキー作曲)
第1幕:
 交響曲第5番 ホ短調 op.64 第1楽章、第2楽章、第3楽章
 聖ヨハネ・クリュソストムの典礼 op.41 第6楽章
 交響曲第5番 ホ短調 op.64 第4楽章
第2幕:
 弦楽セレナード ハ op.48 第2楽章、第3楽章
 イタリア奇想曲 イ長調 op.45
 交響曲第6番「悲愴」 ロ短調 op.74 第4楽章

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2011/02/02

【歌舞伎】意外によかった幸四郎の「江戸宵闇妖鉤爪」 松竹座2011年1月

 大阪遠征して参りました。こんかいは夜の部のみ。
 最初の『八陣守護城』から「湖水御座船の場」は、加藤清正の毒殺という伝説から取った一幕。ぽん太は初めて観ました。
 秀吉の家臣であった加藤清正は、秀吉の死後は徳川家康に接近し、関ヶ原の合戦では家康の東軍に加わりました。徳川家康は征夷大将軍となって江戸幕府を開きましたが、秀吉の息子の秀頼は、いまだ一定の権力を持っていました。家康は秀頼を追い落とそうと機会をうかがい、最終的には大阪夏の陣(慶長20年(1615年))で殺害に成功するのですが、その前の慶長16年(1611年)、秀頼は上洛して京都の二条城で家康と会見しました。このとき加藤清正は、秀頼の上洛に付き添いましたが、帰国途中の船内で体調を崩し、熊本で死去しました。その死因が、二条城における家康方による毒殺であったという説があるのだそうです。
 もちろんこの狂言では、状況や名前が移し替えられており、主人公の佐藤正清は、北畠春雄の館を訪問した際に、北畠家の跡目争いに巻き込まれ、毒を盛られたという設定になっております。湖面に浮かんだ御座舟の上で、正清はゆうゆうとくつろいでおります。そこに北畠の使者が小舟で何度も様子をうかがいに来ます。最後に御座舟のセットが90度回転して正面を向くと、嫁の雛衣をいたわりつつ立っていた正清の体調に、異変が起り始めます。
 たったそれだけのストーリーで、ほとんど役者の芸の力で魅せる舞台ですが、我當演じる正清は、大きさと風格があり、雛衣をいたわる心情もにじみ出て、緊張感が持続してまったく飽きさせませんでした。我當さすがですね。秀太郎の雛衣も、我當のパワーをしっかりと受け止めておりました。進之介と薪車の若侍も小気味よかったです。
 続いて藤十郎の「吉田屋」。以前に一回観たことがありますが、今回は扇雀が夕霧。以前の記事で書きましたが、夕霧を抱えていた置屋である「扇屋」の娘が、初代中村鴈治郎の母親なんですってね。藤十郎の伊左衛門は、まるで大きな子供みたいなボンボン。扇雀の夕霧は情感はあるのですが、なんか哀れっぽくなってしまうのが気になります。後半は義太夫節と常磐津の掛け合いとなりますが、人間国宝一巴太夫の常磐津が、高い音でも柔らかく深みのある声で、夕霧の艶やかさを引き立てていました。
 最後の「江戸宵闇妖鉤爪」は、江戸川乱歩の「人間豹」を歌舞伎化したもの。幸四郎演出ということで、実はあんまり期待していなかったのですが、けっこう面白かったです。ストーリーの持ってき方もうまいし、場面ばめんの変化もあり、江戸川乱歩的なおどろおどろしさも、行き過ぎずにほどよく取り入れてました。七五調の台詞などは歌舞伎らしくよくできてるし、火薬や宙乗りなどのケレンもあってサービス満点でした。人間豹が、一般の人々の非人間性を告発するというテーマはベダではありますが、歌舞伎らしく結末をつけずに終わるので説教くさくなりませんでした。けっこう引き込まれて観てしまいましたし、感動もしました。菊五郎の復活狂言シリーズは、面白くて楽しいけど、テーマがなくて感動しないという面がありますが、幸四郎演出は悪くないですね。
 幸四郎の演技はいつもの感じですが、恩田乱学と神谷芳之助の二役の染五郎がなかなかよかったです。っていうか、普通の歌舞伎よりいいんじゃない?劇団☆新感線で鍛えた成果でしょうか。ただ、スタイルのいい二枚目の歌舞伎役者として仁左衛門を継ぐのは染五郎しかいない、というのがぽん太とにゃん子の願いなので、普通の歌舞伎にも精進して下さい。扇雀は野田歌舞伎のみならず、新作系には強い。吉弥がろくろ首とかの見せ物の場面で、とってもうれしそうに前の方の観客に向かって「いかがですか?いかがですか?」と言ってる表情は、明石家さんまみたいでした。真面目な人かと思ったら、吉弥も芸域広いですね。


壽初春大歌舞伎
大阪松竹座 平成23年1月・夜の部

一、八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)
  湖水御座船の場
                  佐藤正清  我 當
                  斑鳩平次  進之介
                  正木大介  薪 車
                  鞠川玄蕃  錦 吾
                    雛衣  秀太郎

二、玩辞楼十二曲の内 廓文章(くるわぶんしょう)
  吉田屋
                藤屋伊左衛門  藤十郎
                  扇屋夕霧  扇 雀
                 女房おきさ  吉 弥
               吉田屋喜左衛門  我 當

三、江戸川乱歩「人間豹」より
  江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)
  ─明智小五郎と人間豹─

  第一幕第一場 不忍池、弁天島の茶屋の前
     第二場 江戸橋広小路の支度小屋
     第三場 ウズメ舞の場
     第四場 隅田河畔の茶屋
     第五場 浅茅ヶ原
  第二幕第一場 団子坂、明智小五郎の家
     第二場 笠森稲荷
     第三場 団子坂近くの一本道
     第四場 洞穴、恩田の隠れ家
     第五場 浅草奥山の見世物小屋
     エピローグ 同 見世物小屋裏手

  市川染五郎大凧にて宙乗り相勤め申し候

                 明智小五郎  幸四郎
  商家の娘お甲/女役者お蘭/明智の女房お文  扇 雀
                 目明し恒吉  錦 吾
                 老婆百御前  吉 弥
            同心小林新八/娘お玉  高麗蔵
            恩田乱学/神谷芳之助  染五郎

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2011/02/01

【バレエ】意外と地味 マラーホフの「シンデレラ」ベルリン国立バレエ団

 今年のバレエ初めは、マラーホフ率いるベルリン国立バレエでした。まずは「シンデレラ」。マラーホフの振付けで、ポリーナちゃんが踊るということで、ワクワクしながら観に行ったのですが、意外と地味でした。昨年のパリ・オペラ座のヌレエフ版「シンデレラ」の華やかな舞台が目に焼き付いているせいか、通好みなのかもしれませんが、ちょっと物足りなかったです。ゲルマン人とラテン人の違いでしょうか。公式サイトはこちらです。
 物語としては、新人ダンサーが主役をつかむというシンデレラ・ストーリー。舞踏会の場面は、練習場で思わず寝てしまった新人ダンサーが見た「夢」という設定です。「新人ダンサーは、誰の力も借りず、自分の力で主役を勝ち取ったのだ」とどこかの解説に書いてありましたが、やはりシンデレラが舞踏会あるいは「夢」を通して何らかの成長をするということでないと、プロットとして破綻しているような気がします。「3つのオレンジへの恋」の音楽は使われてなかったのですが、その導入みたいな部分の曲はあって、シンデレラがみんなにオレンジを配っておりましたが、ストーリーの中での意味がわかりませんでした。
 セットも、練習場は四角い部屋の天井に複数のペンダント・ライトが下がっているだけで、夢の舞踏会のシーンも数段の階段と手すり、地味なクリスマスイルミネーションのような単色のライトの装飾があるだけです。シックで洗練されているとも言えますが、これもまた地味。
 マラーホフの振付けも、ゆっくりとした踊りが多く、舞台を大きく使うような動きが少なかったです。確かにゆっくりとした動作のなかで、身体のラインや動きの美しさを見せてくれましたが。身体の美しさを見せるといっても、ベジャール・バレエ団のようなエロティシズムはなくて、まるで彫刻を見ているような印象でした。群舞の振付けもちょっと地味でした。シンデレラのお姉さん役にあたる二人のバレリーナのコミカルな演技も、一生懸命やってるけど何か笑えなかったです。
 それでもポリーナちゃん、まるで10頭身のようなすばらしいスタイル、踊りの正確さ、美しさ、あいかわらずすばらしかったです。ゲスト・ダンサー(王子)はマラーホフじゃなかったのは残念ですが、ミハイル・カニスキンも気品があり、身体の線が造形的で美しかったです。
 指揮者のヴェロ・ペーンはぽん太は初めてだと思いますが、東京シティ・フィルとの演奏もよかったです。
 チケットはS席でしたが、1階の後ろから3番目くらい。S席ひろっ!
 マラーホフが客席で舞台を見てましたが、「いかん、地味すぎた」と思ったかどうか。もうちょっと小さいホールで観たらもっと感動したかもしれません。とはいえ、媚をうらない格調高い舞台で、ポリーニちゃんも見れたのでよかったです。


ベルリン国立バレエ団
「シンデレラ」全2幕
2011年1月16日 東京文化会館

振付・演出:ウラジーミル・マラーホフ
音楽:セルゲイ・プロコフィエフ
装置・衣裳:ヨルディ・ロイク

シンデレラ:ポリーナ・セミオノワ
ゲスト・ダンサー/王子:ミハイル・カニスキン
甘いモノ好きのバレリーナ:ライナー・クレンシュテッター
アル中のバレリーナ:フェデリコ・スパリッタ
元プリマ/仙女:ベアトリス・クノップ
芸術監督:バーバラ・シュローダー
バレエ・マスター:トマス・カールボルグ
衣裳デザイナー:エルフィ・グンプレヒト
そのアシスタント:マルツェナ・ソバンスカ
春の妖精:マリア・ジャンボナ
お付きの騎士:アレクサンドル・コルン
夏の妖精:エリサ・カリッロ・カブレラ
お付きの騎士:アルシャク・ガルミヤン
秋の妖精:ステファニー・グリーンワルド
お付きの騎士:ウラジスラフ・マリノフ
冬の妖精:セブネム・ギュルゼッカー
お付きの騎士:アルトゥール・リル

舞踏会の人々:
ヤーナ・バローヴァ、マリア・ボムポウリ、アニッサ・ブリュレ、ソラヤ・ブルノ、エロディー・エステーヴ、ヴェロニカ・フロディマ、針山愛美、ヨアンナ・ヤブロンスカ、エリナー・ヤゴドニク、アナスタシア・クルコワ、ワレリア・マナコワ、ニコレッタ・マンニ、ナターリア・ミュノス、クリスティアーネ・ペガド、巣山 葵、ヴェレーナ・サーム、クセニア・ウィースト
マルチン・アロヨス、ゲヴォルク・アソヤン、タラス・ビレンコ、ミハエル・ファトゥラ、クリスティアン・クレール、マリアン・ラザール、エイメリック・モッセルマンズ、アレクセイ・オルレンコ、ハビエ・ペーニャ・バスケス、アレクサンドル・シュパク、デイヴィッド・シミック、ウリアン・タポル、メフメト・ユマク

指揮:ヴェロ・ペーン
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

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