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2011/02/28

【オペラ】愛は勝つ!コンヴィチュニー演出の「サロメ」二期会

 ペーター・コンヴィチュニーの演出ということで、観てきました。チケット案内に「一部にセクシャルかつ常軌を逸するアヴァンギャルドな表現を含んでおります。予めご了承のうえ、ご購入ください」と書かれており、期待が高まります。公式サイトはこちらの二期会のサイトかな?
 幕が開くと、舞台は殺風景で荒れ果てた近未来風の密室。白いクロスがかかった横長テーブルがあり、酔いつぶれた人々があちこちに横たわっています。テーブル中央には、グアンタナモの捕虜みたいに頭に白い袋をかぶされた男が座っています。その少し右手に座っている男は、携帯プレーヤーをイヤホンで聴きながら「イエイ、イエイ」と踊り続けています。これがヘロデであることは、オペラがだいぶ進行してからようやくわかりました。舞台上では、暴力、殺人、麻薬、性交、カニバリズム(人肉食)、ネクロフィリア(死体性愛)などなど、あらゆるおぞましいことが行われます。しかも時間が飛んだり、死んだ人が生き返ったりと、なんでもありの滅茶苦茶です。ちなみに月は、白い風船でした。
 白い袋をかぶされた男がヨカナーンで、長髪に髭をたくわえております。人々が彼を真ん中にして、テーブルに横一列に座って食事をするシーンは、まるでレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」。数えてみると、人数も13人です。そういえばあの絵の舞台も、四角い殺風景な部屋だったな〜。
 「7枚のヴェールの踊り」も、踊りらしい踊りはなありません。最初サロメが布を手にしたので、少しはヴェールっぽいのかと思いましたが、布をかぶせられた人々が、次々と変なポーズで固まっていきます。壁にドアを描いて開けようとしたりして、最後は突然女の子が出て来て終わり。『アイーダ』の凱旋シーンもそうでしたが、オペラの最大の見所を台無しにするのが、コンヴィチュニーのデフォか?
 いよいよヨカナーンの首が切られます。舞台の下から出て来た生首は、肩の下あたりで斜めにバッサリ。ところが死んだはずのヨカナーンが、首を並べてconfident横に居ます。生首がワイヤーで釣り上げられて舞台上方に掃けると、サロメは生きているヨカナーンに口づけし、彼に向かって歌います。しかしサロメ役の大隅智佳子の歌い方は、猟奇的・倒錯的なところはまったくなく、まるで純愛路線です。なんや、色気ないな〜。そして最後には、サロメとヨカナーンが恋人達のように手に手を取って、舞台から去っていきます。「あの女を殺せ!」という声(日本語です)を客席の男があげ、隣りの女性が一生懸命止めてましたhappy01。なんだこりゃcoldsweats02。首を斬っておきながらハッピーエンドかいな?よくわからん。

 しかし、なんとその日は、コンヴィチュニーのアフタートークがあったのでしたsmileこちらで全文を読むことができます。舞台写真もあるよ。
 それによればコンヴィチュニーはオペラを、「古典的な作品を鑑賞する」ものではなく、現代の観客に直接的に訴えかけるものと考えているようです。リヒャルト・シュトラウスの時代には、次々とヴェールを脱いでいくことや、生首に口づけすることは、極めてショッキングな表現でした。しかしいま同じことをやっても、現代の観客はおどろきません。そこで現代の観客に当時と同じような衝撃を与えるにはどうしたらいいかと、考えたのだそうです。う〜ん、それが前半の酒池肉林の大混乱だったのか……。
 コンヴィチュニーは、「この作品が伝えたい最も重要なことは、『人間のコミュニケーションにとって最も大切なのは“愛”である』ということです」と言います。なんでや。ぽん太は『サロメ』にそんなテーマを感じたことはないぞ。倒錯的な官能を楽しむものではないのか?また、「私にとって、最後の15分間がこの作品の最も重要な場面です」とも言ってます。ということは、大隅智佳子の恋人に語りかけるかのような歌い方は、下手なんじゃなくて、コンヴィチュニーの意図だったのか……。
 では、コンヴィチュニーが『サロメ』を「愛の讃歌」にしたのは、単なる奇をてらった思いつきだったのでしょうか?コンヴィチュニーは次のように語っております。
 「最後の場面、サロメとヨカナーンが『愛しあい、去る』というのは、シュトラウスが意図していたことだと思います。しかしながら、当時シュトラウスがそれを前面に出して書くことはできなかった、そうした上演はできなかったのかもしれません。なぜそう思うか?それはそのことが「音楽」に表れているからです」
 つまり、サロメとヨカナーンの愛によって閉塞状況から逃れていくというのは、コンヴィチュニーがリヒャルト・シュトラウスの音楽から感じ取ったものだったのです。なるほど、単なる思いつきじゃなくって、音楽から読み取っていたのですね。それで最後のサロメの歌は、純粋な愛の表現に聞こえたわけだ。
 カニバリズムのシーンも、ヨカナーンガ古井戸から上がってくるだけのシーンにしてはとても豊かな音楽が付けられているため、そこで何かをしようと思ったのだそうです。コンヴィチュニーは、実は音楽を大切にし、音楽からインスピレーションを得ていたんですね。確かにコンヴィチュニーは、謙遜もあるでしょうけど、「音楽」が最も重要で次が「歌詞」、そしてはるかに離れて最後に「ト書き」がある、と言ってました。

 ナルホド、なんとなく分かって来たけど。しかし、前半の退廃的で、ヨカナーンの首を切らせたサロメと、最後の純愛サロメは、ギャップがありすぎるよな〜。
 その日の夜中に目が覚めたので、ぼんやりと『サロメ』のことを思い返していました。最後のシーンは、やっぱりそれ以前とは断絶してるよな〜。幕を締めて手前で演じられるし。まあ、最後の15分は幻想の世界と考えてもいいわけだ。まてよ、現実と考えることもできる。斬られたヨカナーンの首は、ロープに吊られて天に昇っていった。で、「最後の晩餐」のシーン。ああ、そうか、ヨカナーンはキリストだったんだ。殺されたけど復活して、奇跡を起こしたんだな……。
 解釈は自由です。

 演出に気を取られて、歌や指揮、オケまで注意が行きませんでした。ヨカナーン役の友清崇が、風貌や雰囲気がとても合っていました。これが太った体型の歌手だったら、印象がだいぶ違っていたと思います。ナラボートの大川信之が、お尻を丸出しにして大奮闘。大隅智佳子の最後の歌、もう一度聴いたらどういう風に聞こえるでしょうか。
 それからここまでやるなら、字幕も少し工夫するとよかったかも。例えばサロメの「口づけする」は、「キスする」の方がいいのでは?
 また本日はブーイングはありませんでした。コンヴィチュニーさん、逆にがっかりしてたりして。


東京二期会オペラ劇場
『サロメ』
2011年2月23日 東京文化会館

原作:オスカー・ワイルド
ドイツ語台本: ヘドヴィッヒ・ラッハマン
作曲:リヒャルト・シュトラウス

指揮:シュテファン・ゾルテス
演出:ペーター・コンヴィチュニー

舞台美術・衣裳:ヨハネス・ライアカー
照明:マンフレット・フォス
演出助手:ロッテ・デ・ビール、澤田康子、太田麻衣子
舞台監督:幸泉浩司
公演監督:多田羅迪夫

サロメ:大隅智佳子
ヘロデ:片寄純也
ヘロディアス: 山下牧子
ヨカナーン:友清 崇
ナラボート:大川信之
ヘロディアスの小姓:田村由貴絵
ユダヤ人1:髙田正人
ユダヤ人2:菅野 敦
ユダヤ人3:新津耕平
ユダヤ人4:加茂下 稔
ユダヤ人5:畠山 茂
ナザレ人1:北川辰彦
ナザレ人2:櫻井 淳
兵士1:井上雅人
兵士2:倉本晋児
カッパドキア人:千葉裕一
管弦楽:東京都交響楽団

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