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2011/03/25

【フランス大周遊(2)】ニースからアルルへ

 震災の影響で舞台公演の中止が相次ぎ、旅行に行くこともできないので、ブログ書きばかりしておりました。延びのびになっていた、正月のフランス旅行のご報告の続きです。
Img_2539 飛行機の遅延によってパリで一泊することになったぽん太とにゃん子は、早朝の便でようやくニースに入ることができました。左の写真が高級リゾートとして有名なコート・ダジュールの海岸ですが、真冬ということで、空はどんよりと曇っております。ご覧のように砂浜ではなく砂利で、かつ水深が急に深くなっているので、実は海水浴には向いていないそうです。
Pc300048 サレヤ広場には市が立っていて、花や野菜が売られていました。色彩豊かでとても美しかったです。写真は、雨細工だか砂糖菓子だかを売っている店の商品です。かわいいですね。
Img_2552 シャガール美術館です。旧約聖書を題材にした大きな作品が展示されておりました。
Img_2560 この美術館があるあたりは、シミエ地区と呼ばれる高台になっており、高級住宅街となっております。ベル・エポック(19世紀末〜20世紀初頭)の時代には、上流階級の人々が明るい日差しをもとめてニースを訪れたたため、高台に高級ホテルが作られました。最近は海沿いに人気が移ったため、かつての高級ホテルは高級住宅として使われるようになったのだそうです。写真のホテル・レジーナも、かつてはイギリスのヴィクトリア女王も滞在したホテルでしたが、現在は住宅になっているそうです。
Img_2555 車窓からの写真でちょっと見づらいですが、ローマ時代の闘技場の跡です。え〜、フランスにローマ時代の遺跡!?考えてみればニースは、地中海に面しているし、イタリアにも近いので、ローマ時代の遺跡があって当然なのですが、ぽん太はちょっと不意打ちをくらいました。
Img_2559 フランシスコ修道院の庭園から見たニースの街です。美しい街並の向こうに、ブルーの地中海、抜けるような青空が、天気がよければ見えるはずです。
Img_2566 さて、ニースからバスでアルルを目指します。セザンヌの故郷エクス・アン・プロヴァンス付近の高速道路から、サント・ヴィクトワール山が見えました。セザンヌの絵は、もっと左から眺めているので、少し形が違います。
Img_2570 アルビーユ山地です。1888年2月、アルルの地を訪れたゴッホはこの山の印象を、弟のテオドール宛の手紙にこうつづりました。「雪とおなじように明るい空へ聳える白い峰の雪景色は、まるで日本人が描く冬景色のようだった」(テオドール宛の手紙第464信、『ゴッホの手紙 中 テオドル宛』(岩波書店、1961年)に収録)。
Img_2575 さて、ゴッホの絵で有名なアルルの跳ね橋です。後ろの雰囲気ある家は、現在は空き家になっておりますが、ガイドさんの話しでは、数年前までおじいさんが住んでていて、観光客とみると家から出てきて、「おれが小さかった頃、ゴッホが毎日ここに来て、絵を描いてたんじゃ〜」などと話しかけてきたそうです。もちろんこれは大嘘で、ゴッホが描いた跳ね橋は別のところにありましたが戦災で破壊され、写真の跳ね橋は復元されたものです。それにゴッホが「アルルの跳ね橋」を書いたのは1888年頃ですから、おじいさんがいくら長生きでも、出会ったはずはありませんね。
Img_2579 公園にあるゴッホの像です。こ、これは……、怖すぎます。ゴッホ(1853年 - 1890年)は1888年2月にアルルに移り住み、「黄色い家」(これも戦火で失われました)で10月からゴーギャンとの共同生活を始めます。しかしわずか2ヶ月後の12月23日に自分の耳を切り取り、精神病院に運ばれます。
Img_2604 その精神病院がこちら。すでに真っ暗ですが、現在はエスパス・ヴァン・ゴッホと呼ばれる文化施設になっております。ゴッホは一度退院したものの、病状の悪化やアルル市民の要請で、再び病院内の鍵付きの個室に収容されました。そして1889年5月にサン・レミの療養所に移りました。「アルルの病院の中庭」という有名な絵は、この病院で書かれたもので、現在その庭が復元されております。
Img_2589 こちらはカフェ・ヴァン・ゴッホ。ゴッホの「夜のカフェテラス」(1888年)のモデルとされております、というか、このお店はそう主張しているそうです。なんかゴッホの絵に、店の方を似せている感じです。料金は非常に高いので、店には入らず眺めるだけにしたほうがよいそうです。
Img_2580 紀元前1世紀に建設されたという古代劇場です。ローマ時代、カエサルがポンペイウスと戦ったとき(前49年?)、マルセイユ(当時はマッシリア)がポンペイウスに付いたのに対し、アルル(当時はアレラーテ)はカエサルの側についたため、それ以後重要な都市として繁栄したそうです。
Img_2586 こちらは円形闘技場です。正面のアーチの上に四角い塔のようなものがありますが、後の時代に物見の塔として付け加えてしまったものだそうです。
Img_2595 ローマ時代の遺跡が、建物の壁の一部となっております。

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