【大阪観光】歌舞伎にも由縁の竹本座跡・住吉大社
7月末、大阪の松竹座に歌舞伎を見に行ったついでの観光のご報告です。
まずは竹本座跡。道頓堀の松竹座のすぐ近くです(地図)。敷地は工事中で塀が巡らしてありますが、石碑の部分だけ逃げてあって、通りから見えるようになっています。 浄瑠璃の義太夫節の創始者である竹本義太夫(慶安4年(1651年)〜正徳4年(1714年))が、貞享元年 (1684年)に「竹本座」を開設したのがこの場所です。翌年からは近松門左衛門と組んで、数多くの人形浄瑠璃(文楽)を上演し、人気を博しました。元禄16年(1703年)に竹田出雲が経営を引き継いだ後も、数々の名作を生み出しましたが、人気が歌舞伎に移るにつれて衰退し、明和4年(1767年)に幕を閉じました。「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」「曽根崎心中」などの名作が、竹本座で初演されました。ちなみにぽん太が竹本義太夫の墓を訪れた時の記事はこちらです。
次に訪れたのは有名な住吉大社です。公式サイトはこちらです。住吉神社は海と縁が深いようです。御祭神は底筒男命(そこつつのをのみこと)、中筒男命(なかつつのをのみこと)、表筒男命(うはつつのをのみこと)、そして息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)= 神功皇后です。最初の三つの神様は、住吉三神あるいは墨江(すみのえ)三神と呼ばれています。『古事記』によれば、イザナギノミコトは、亡き妻のイザナミノミコト追いかけて黄泉の国を訪れますが、妻を連れ帰ることができずに地上に戻ります。黄泉の国の汚れを清めるため海に入って禊(みそぎ)を行ったときに生まれたのが、この住吉三神です。神功皇后は、三韓征伐のときに住吉三神を頼みとしましたが、その後自ら祭られるようになったそうです。
前の通りには、なつかしい路面電車が走っています。なんだかパンダっぽいです。江戸時代まではこのあたりまで海だったそうで、海の神様にふさわしい立地条件だったのですね。
住吉神社といえば、この反橋(そりばし)が有名ですね。真っ赤な欄干が緑に映えて、大阪らしい華やかな雰囲気がいたします。
橋を渡ったところにあるのが、この住吉鳥居です。柱が四角いのが特徴です。歌舞伎の『夏祭浪花鑑』で団七が放免される「鳥居前」は、この住吉鳥居の前ですね。
また、『摂州合邦辻』の序幕では、玉手御前が俊徳丸に蚫の貝殻で毒酒を飲ませたうえ、道ならぬ恋を打ち明けますが、これも「住吉神社境内の場」です。 こちらが本殿で、第一から第四まで、四つの本宮からなっています。国宝に指定されております。
こちらが拝殿です。本殿・拝殿(と幣殿)を知らない方は、Wikipediaをどうぞ。
境内に巨大なクジラがっ。しかも目つきが怪しい!なんでも今年の7月に57年ぶりに行われた堺の「鯨祭り」で奉納されたものだそうです。なんと全長27メートル。この鯨が町を練り歩く世にも奇妙な映像は、Youtubeでご覧いただけます(→こちら)。
夏祭りに使われる御神輿でしょうか。とても美しいです。
こんどは巨大なお椀がっ。Wikipediaによれば、『一寸法師』は、子供に恵まれなかった老夫婦が住吉大社にお参りしたところ一寸法師を授かりましたが、一寸法師が武士になりたいとお椀の舟に箸の櫂で京に赴き、そこで鬼退治をするという話しだそうです。『一寸法師』が住吉大社と関係があるとは、初めて知りました。
御田(おんだ)です。実際に苗を植えて収穫までしている御田は全国でも珍しいそうです。
住吉大社の境内にある御所御前(ごしょごぜん)は、神功皇后が杉の木にシラサギが3羽止るのを見て、ここで住吉大神をお祭りすることに決めた場所だそうです。玉垣のなかの砂利に、「五」「大」「力」と書かれた小石が混ざっているそうで、三つ集めるとご利益があるそうです。「五大力」というと、歌舞伎の『盟三五大切』を思い出しますね。
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