【ヒーリングスポット御岳山(2)】御岳苑地駐車場〜大塚山〜御嶽神社
今年は天候不順でなかなか山に行けず、運動不足で体重も増加。ということで、一泊二日で近場の山に行くことにしました。
【山域】奥多摩
【山名】大塚山(920.3m)、御岳山(929m)、鍋割山(1084m)、大岳山(1266.5m)
【日程】2011年9月28日〜29日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】(9/28)曇り、(9/29)晴れ
【ルート】(9/28)御岳苑地駐車場13:00…大塚山15:18…御岳山16:16…宿
(9/29)宿9:31…奥社…鍋割山…大岳山11:51…上高岩山…ロックガーデン…七代の滝14:12…ロープウェイ御岳山駅15:32
(※大きい地図や3Dグラフはこちら)
【マイカー登山情報】御嶽駅から橋を渡り、少しロープウェイ方面に行った所から右下に降りていくと、50台ほど停められる無料の御岳苑地駐車場があります。ここから上は、すべて有料駐車場です。御岳山エリアの駐車場情報はこちら。
駐車場の猫に見送られて出発です。いってきま〜す。運動のためと、バス代節約のため、ロープウェイ駅まで舗装道路を登ります。
当然ロープウェイには乗らず、登山道をゆきます。昔の参道だそうで、両側は立派な杉並木です。冒頭の写真は「滝本の大杉」と呼ばれる樹木で、参道の杉並木のうち最大のものだそうです。道は舗装されていて、許可を受けた軽自動車が通行しておりますが、舗装されたのは最近のことだそうで、それ以前は「バタバタ」と呼ばれる八輪の不整地走行車で荷揚げしていたそうです。
参道を上まで登りましたが、時間も早いし、まだ歩き足りないので、大塚山まで往復しました。 戻ってきて、産安社に参拝。写真は子授檜(こさずけひのき)。ちょっとエッチです。
立派なケヤキの樹です。「御岳の神代ケヤキ」と呼ばれ、国指定の天然記念物で、日本武尊の東征の頃から生えているという言い伝えがあるそうです。
御岳神社の入り口に「疱瘡社」がありました。疱瘡(ほうそう)とは天然痘のことで、幕末以降に種痘が広まるにつれて勢力が弱まる以前は、数年おきに大流行を繰り返し、多くの人の命が奪われました。昭和21年(1946年)の流行では全国で約18,000人が感染し、約3,000人が死亡しました。有効な予防法がなかった時代には、このように信仰の力で感染を防ごうとしました。疱瘡社はあちこちにあるようですが、ぽん太が気に留めたのは初めてでした。
案内板には次のように書かれています。
「疱瘡社(ほうそうしゃ)(疫神社(えやみのかみしゃ))
御祭神 山末大主神(やますえのおおぬしのかみ)
山末が山裾、つまり山麓を表していることから、神域である御嶽山内に疫病や穢れが入らないように祀られ、江戸時代に製本された御岳菅笠(神社にて複製を販売)にも「疱瘡痘診勝男木(いもはしかぬるで)の棚に、赤き幣、薯を備えて、祭りなば、軽くしとりて、成長(ひととなり)を松尾山にあとたれし、大山咋(おおやまくい)の神とかや」と病気よけとしての信仰が詠われています」
「疱瘡社(疫神社)」ということから、「疱瘡社」といっても、疱瘡に代表される疫病(感染症)全体が祀られていることがわかります。
御祭神の「山末大主神」は、「大山咋神」(おおやまくいのかみ)の別名です。Wikipediaによれば、大年神とアメノチカルミヅヒメの子で、『古事記』では、「この神は近つ淡海国の日枝の山に坐し、また葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ」と書かれ、山や水、大地を支配する神様です。滋賀県大津市の日吉大社を総本社とする全国の日枝神社、京都市西京区の松尾大社を総大社とする全国の松尾神社で祀られているそうです。全国の痘瘡社の御祭神がなになのか、ちょっとググってみたけどよくわかりませんでした。
「痘瘡痘診(いもはしか)」の「痘診」は「痘疹」(痘瘡による発疹のこと)のことか。痘瘡は古くは「いも」「いもがさ」「もがさ」などと呼ばれました。「はしか」は正確には麻疹のことですが、厳密に区別されずに使われているようですね。
「勝男木」は、一般には神社の屋根にある「鰹木」(かつおぎ)のことですが、ここでは「ぬるで」とルビがふってあります。ヌルデ(ヌルデ)はウルシ科の植物で、聖徳太子がヌルデの木で仏像を作って戦勝を祈願したことから、「勝の木」(カチノキ)とも呼ばれるとのこと。どうやら「ヌルデの木で作った棚」という意味でしょうか。
「赤き幣」。幣(ぬさ)は、神棚にある、ギザギザの紙を竹で挟んで立ててあるやつですね。もちろん普通は白い紙を使いますが、ここでは赤を指定しているのは、痘瘡の原因である痘瘡神が赤い色を嫌うという信仰です。
「薯」はお供え物でしょうが、上で書いたように痘瘡を「いも」ということと関係があるのでしょうか? 途中には、様々な「講」の碑があります。
甚大な被害をもたらした先日の台風15号の強風で倒れた樹で、参道が塞がれておりました。大型の重機が入れないので、撤去作業が大変とのことでした。
御嶽山神社の拝殿です。
畠山重忠の像です。御嶽神社には国宝の「赤糸威大鎧」(あかいとおどしのおおよろい)がありますが、畠山重忠が建久2年(1191年)に奉納したと伝えられています。
御嶽神社旧本殿です。明治10年(1877年)まで本殿として使われていたそうで、室町時代の様式だそうです。なかなかシックで壮麗ですね。
「神山霊土歌碑」(しんざんれいどかひ)です。案内板によりますと、御嶽神社の土を持ち帰って田畑に撒くと、虫害を防ぐことが出来るという信仰があるそうで、山岡鉄舟の書だそうです。
皇御孫命社(すめみまのみことしゃ)には、なぜか狛犬ならぬ狛豚が……!御由緒は不明です。
大口真神社(おおぐちまがみしゃ)。おいぬさま(大口真神)が御祭神です。案内板によると、日本武尊の東征のおり、難を救った狼が、神となって祀られているそうです。そのためか、ワンちゃんを連れた参拝客が多かったです。御岳山ロープウェイも、ワンちゃんが乗車できるようになってます。
太占祭場(ふとまにさいじょう)です。立ち入り禁止になっております。案内板によると、太占祭というのは、1月3日の早朝に、鹿の肩甲骨を斎火で焙り、その割れ具合から農作物の豊凶を占う神事で、非公開で行われるそうです。古事記にも書かれている神事ですが、現在は御嶽神社と、群馬県の貫前神社(ぬきさきじんじゃ)の、二カ所しか残っていないそうです。
確かに『古事記』を見てみると、イザナギとイザナミが子供を作ろうとしてうまく行かなかったため、高天原に登って天つ神のお言葉を請われたところ、「ここに天つ神の命をもちて、太占みト相ひて、詔りたまひしく」、と書かれています。また、天岩戸にこもってしまったアマテラスを誘い出そうとして、「天兒屋命、布刀玉命を召して、天の香山の眞男鹿の肩を内抜きに抜きて、天の香山の天の朱櫻を取りて、占合ひまかなはしめて」とあります。また下って垂仁天皇の御代に、御子のホムチワケが生まれつき言葉を話さないことに悩んでいたとき、夢に現れた神がいずれの神か知るために、「太占に占相ひて、何れの神の心ぞと求めしに」と書かれています。
その夜は、宿坊「山楽荘」に宿泊。前回の記事でご報告いたしました。
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