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2012/09/29

【信仰】必見!立山博物館・芦峅寺(あしくらじ)・岩峅寺(いわくらじ)

Img_3343 立山の大日三山縦走のあと、ちょっと立ち寄った立山博物館ですが、とっても興味深かったです。この博物館のある芦峅寺(あしくらじ:寺の名前ではなく地名です)は、立山信仰と大変関係が深い場所だそうで、ぽん太がまったく知らなかった立山信仰について、たくさん勉強することができました。
Img_3326 こちらが立山博物館です。公式サイトはこちらです。建物は、なかなか頑張ってるけど、ちょっと洗練さがないな〜などと思って後で調べてみたら、磯崎新とのこと(http://www.icc-toyama.jp/map/maps/i008/)。たいへん失礼申し上げました。
 3階が立山の自然に関する展示になっており、2階は立山信仰が扱われていますが、これが非常に面白かったです。まず、映画『剣岳 点の記』(goo映画)にも出ていましたが、柴崎芳太郎率いる測量隊が明治40年(1907年)に剱岳に登頂した時、頂上には奈良時代後記から平安時代初期のものと推定される鉄剣と銅製の錫杖が見つかったのですが、その鉄剣と錫杖の実物を見ることができます。ぽん太はこれらがこの博物館にあることを知らず、まったくの偶然だったのですが、とても感激いたしました。
 立山信仰のおおよそは、立山博物館のページにも書かれています。平安中期に地獄・浄土思想が立山に入り込み、立山が現実世界にある地獄として信仰を集めたのだそうです。
Img_3252 写真は室堂のその名も地獄谷ですが、熱湯が涌き、有毒ガスがあちこちから吹き出し、植物が枯れ果てた姿は、まさに地獄です。でも関東に住むぽん太からすると、箱根の大湧谷や那須の殺生石付近、木曽の御嶽山など、こうした景観はあちこちにあるような気がします。しかし、京都に住むひとたちにとっては、立山が一番近かったのかもしれません。
Img_3251 こちらた室堂の池塘のひとつですが、鉄分のため水が赤い色をしているので、血の池地獄になぞらえられたそうです。「血の池地獄」というのは元々の地獄思想にはなく、後代になってから付け加えられたもので、経血の穢れのある女性が落ちる地獄とされ、救われるためのお札などが売られたのだそうです。
 立山の地獄に関しては、平安後期の『今昔物語』や室町時代の謡曲『善知鳥』(うとう)に描かれているそうです。そのうちみちくさしてみたいと思います。
 地獄の山とされた立山ですが、南北朝時代から新しく極楽浄土を表す阿弥陀の山という性格が与えられたそうです。
 江戸時代には、立山信仰は全国に広まり、多くの人が立山を訪れるようになりました。「立山曼荼羅」が作られるようになり、それを絵解きしながら民衆に説話をするということが、盛んに行われたようです。このなかで、ゴツゴツした剱岳は針の山に見立てられたそうですが、うなづけるような気がします。
 ぽん太には、二つの疑問がわいてきます。一つは、確かに立山には地獄谷がありますが、美しい景観は、ぽん太には極楽浄土のように思えます。なぜ昔のひとは、地獄だと思ったのでしょうか。ぽん太なりに考えてみると、高山植物が咲き乱れる美しい山はいくつもあったでしょうが、地獄谷のような景観はここにしかなかったため、恐ろしい地獄の側面が強調されたのかもしれません。
 もう一つの疑問は、地獄が高い山の上にあること。地獄というのは地面の下にあるものだとぽん太は思っていました。ぽん太は山岳信仰や宗教に関しては素人なのですが、東北の月山などでは、死者の魂が山の上に上がって行くという考えがあるので、地獄も山の上にあっていいのかもしれません。『古事記』ではイザナギが、死んだ妻イザナミを追って死者の国である黄泉國(よみのくに)に行きます。この黄泉國が、地下にあるのかどうかという議論があります(例えばWikipediaをご覧下さい)。ひょっとしたら日本の信仰では、死者の国は山の上なのかもしれません。ここいらはもう少しみちくさしてみたいところです。
Img_3327 さて、立山博物館のある芦峅寺(あしくらじ)は、立山信仰とたいへん関係の深い土地なんだそうです。写真は芦峅寺にある雄山神社です。立山の雄山山頂に雄山神社がありますが、その中宮祈願殿がこちらです。明治時代の廃仏毀釈によって神社となりましたが、江戸時代以前は芦峅寺という名前のお寺で、中宮寺とも呼ばれていたそうです。一般の神社では、麓にあるのが本社で、山奥や山頂にあるのは奥社とされていますが、雄山神社では、山頂にある立山頂上峰本社があくまで「本社」とされています。
Img_3325 こちらは教算坊と呼ばれる建物ですが、江戸時代には宿坊として栄えました。いくつもの宿坊を利用して、幕末には毎年6000人のが立山に登ったそうです(「教算坊」のしおり」富山県[立山博物館]による)。
Img_3354 こちらは善道坊と呼ばれる宿坊です。古い建築様式がよく保たれています。
Img_3337 芦峅寺では、「布橋灌頂会」(ぬのはしかんじょうえ)という行事が行われておりました。立山は女人禁制だったのですが、ここ岩峅寺までは入ることが許されました。女性達は死装束を着て閻魔堂に入ります。写真がその閻魔堂ですが、明治時代の廃仏毀釈で破戒されたものを、後に縮小して再建したものだそうです。
Img_3346 次に女性達は目隠しをされ、白い布の上を歩いて写真の布橋をわたります。この橋はあの世とこの世を結ぶものとされ、女性達は死の世界に足を踏み入れると考えられました。この布橋も再建されたものです。また冒頭の写真は、閻魔堂から布橋に向かう途中にある石仏群です。
Img_3350 橋を渡った女性達は、姥堂(おんばどう、一字目は女偏に田が三つ)に入り、極楽往生を願って読経念仏を勤めました。やがて正面の扉が開かれると、目映い光のなかに立山や大日岳の峰々が望まれ、女性たちは宗教的な恍惚を体験したそうです。姥堂には姥尊(おんばさま)と呼ばれる、醜悪な老婆の形をした像が祀られていたそうです。姥堂は現在残っておりません。
Img_3359 芦峅寺とともに立山信仰で重要な役割を担った村に、岩峅寺(いわくらじ)があります。ここにあった岩峅寺というお寺は、現在は雄山神社前立社壇(おやまじんじゃまえだてしゃだん)となっております。写真の本殿は北陸最大で、国の重要文化財に指定されているそうです。しかし神社全体はすっかり俗世間の雰囲気で、七五三パックの宣伝をしていたりして、芦峅寺のような山岳宗教的な雰囲気はありませんでした。
 それよりも、富山地方電鉄の岩峅寺駅には破風のあるレトロな駅舎があり、映画「剱岳 点の記」で富山駅のロケに使われたそうで(例えばこちら))、そちらを見ておけばよかったです。

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