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2012年10月の17件の記事

2012/10/31

【拾い読み】梅原猛『地獄の思想 日本精神の一系譜』で地獄の勉強(付:立山信仰再考)

 地獄と極楽は対になっていると思っていたぽん太は、富山県にそびえる立山が、最初は地獄として信仰され、のちに極楽が付け加わったと知って驚きました。そこで地獄についてもう少し詳しくなるため、梅原猛の『地獄の思想 日本精神の一系譜』(中公文庫、1983年)を読んでみました。
 この本が書かれたは昭和42年で、梅原猛の最初の書き下ろしの本なんだそうです。確かに若々しさが感じられます。
 本書は「地獄」の民俗学でも歴史学でもなく、哲学の本なので、「地獄」の概念の歴史的変化が詳しく述べられているわけでもありません。後半は文学が論じられています。でも、本書のあちこちから、地獄についての知識を得ることができました。
 以下はいつものように、ぽん太が興味深かったところの抜き書きです。

 地獄と極楽といいますが、地獄と極楽は仏教的には別の思想だそうです。地獄思想は『発句経』などの初期の説法集に書かれていますが、極楽の思想が出てくるのは紀元1世紀頃だそうです。地獄思想は仏教のほとんどの宗派にありますが、極楽を説くのは浄土教の一派に限られます。
 釈迦自身は積極的に地獄を説くことはなかったそうです。しかし釈迦は、現実世界を苦の世界として捉えましたから、仏教は地獄思想と結びつきやすかったといえます。
 仏教の六道輪廻の考え方のなかに地獄が入っていますが、極楽は入っていません。
 地獄思想はシュメール文明に始まったという説があるそうです。そして紀元前10世紀頃にインドに伝わりました。
 地獄に鬼や閻魔が現れ、六道思想が生まれてくる経緯は、梅原は知らないといいます。
 日本に地獄の思想が広まったのは平安時代で、天台思想によるのだそうです。6世紀の中国の僧、天台智顗(てんだいちぎ)は、十界互具の思想において、誰の心の中にも地獄があると考えた。
 源信は『往生要集』において、地獄には等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄という8つの地獄があると説いたそうです(地の池地獄が後年に生まれたものであることは、以前に勉強しましたネ)。それぞれの地獄の詳細については省略。そして源信は、死後に極楽浄土に行くために念仏を勧めました。地獄と極楽を結びつけたのは源信であると、梅原は言います。
 浄土教は、キリスト教の影響を受けた思想が中国に入り、道教と結びついて生じたという説があるそうです。
 仏教の地獄と西洋の地獄はどのような関係にあるのか、という問いを発します。
 『平家物語』の最後の「平家灌頂巻」には「六道之沙汰」という章があり、ここで建礼門院は、自分の体験を六道に例えるそうです。これを聞いてぽん太は、歌舞伎の「義経千本桜」の碇知盛を思い出しました。自害の前に知盛は、自分の人生を六道に例えます。そのうち二つを比べてみたいと思います。

 う〜ん、六道思想に含まれていることからわかるように、地獄は古くから仏教に組み込まれていましたが、極楽は浄土思想以降ということですね。
 こんかい得た知識をもとに、もう一度立山信仰を整理してみましょう。立山信仰の歴史に関しては、たとえばこちらの立山信仰と立山曼荼羅の解説がわかりやすいです。このサイトによれば、立山は古くから霊性のある山とされて、修験道などの場となっていました。9世紀半ばから10世紀前半には「天台宗」系の宗教者の拠点となり、地獄の現実化として喧伝されたそうです。
 702年に佐伯有頼が阿弥陀如来のお告げにより立山を開山したという物語があります。しかしこの物語は、鎌倉時代以降の文書に見られるので、浄土思想が広まった後に、遡って作られたものかもしれません。上のサイトには、立山にいつ極楽思想が入ったかについて、資料に基づいた記述はありませんでした。
 でも、なぜ立山なのか、という疑問も涌いてきます。しかし、少し考えると、関東育ちのぽん太には、立山のような火山による景観は、箱根の大湧谷や那須の殺生石などあちこりにある気がしますが、西日本には、立山以外には九州の阿蘇山ぐらいしかないからかもしれません。京都周辺の人たちにとっては、阿蘇山よりも立山の方が身近だったのかもしれません。

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2012/10/30

【温泉】白山北麓の山の宿/中宮温泉にしやま旅館(★★★)

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 白山の北麓、白山スーパー林道の西側のゲート手前にある中宮温泉(ちゅうぐうおんせん)は、四軒の宿からなる秘湯ですが、そのうちの「にしやま旅館」に泊まってきました。公式サイトはこちらです。
 ところで、白山スーパー林道は、通行料金が片道3,150円とお高いです。そこでぽん太も、行きは白山市側からアプローチし、帰りだけ白山スーパー林道を利用することにしました。ところが、宿の人の話しでは、温泉に泊まると、白山スーパー林道の通行料金が片道無料になるというキャンペーンをやっているとのこと。ちっとも知りませんでした。キャンペーンの案内ページはこちらで、今年は11月11日までやってます。ぜひご利用下さい。もっと宣伝して欲しいです。
Img_3105 こちらが宿の外観ですが、テッコンキンクリート造りでちょっと味気ないです。
Img_3103 しかし中に入ると、囲炉裏があって熊の毛皮が置いてあったりして、山里風の雰囲気がただよいます。
Img_3094 内湯は木がふんだんに使われ、当時の雰囲気が漂います。
Img_3097 お湯は緑がかった茶褐色の濁り湯で、なめると鉄味がします。浴槽には結晶が析出しており、温泉力はなかなか強いです。もちろん加水・加温なしの源泉掛け流し。泉質は、ナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉です。
Img_3083 こちらは屋上にある露天風呂。露天とはいえ、立地上、周りが塀で囲まれているのが残念です。
Img_3089 部屋食でいただく夕食は、地元の素材を使った山里の料理で、品数が多かったです。
Img_3090 岩魚の塩焼きもおいしゅございました。
Img_3092 天ぷらもおいしゅうございました。
Img_3104 朝食は、温泉粥が美味しかったです。ここのお湯は胃腸によいとされています。炭酸水素イオンが多いからかもしれません。
Img_3106 帰りは白山スーパー林道を通りました。天気は下り坂でガスっていましたが、途中白山(?)が顔を出してくれました。
 温泉力、お食事、内湯の雰囲気は最高ですが、鉄筋コンクリートの建物が減点となり、ぽん太の評価は3点!(2012年8月宿泊)。

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2012/10/29

【寿司・寺・神社】磯正寿司@射水市、国宝瑞龍寺@高岡市、白山比咩神社@白山市

Img_3062 富山県の山の温泉を満喫したぽん太とにゃん子は、続いて海の幸を堪能すべく、お寿司屋さんを目指しました。お世話になったのは射水市の磯正寿司です。ホームページはなさそうなので、「富山湾寿司」の紹介ページにリンクしておきます(こちら)。格式ありそうな立派な店構えです。
Img_3061 東京から来たので地元の魚が食べたというと、こころよく応じてくれました。白えび、メギスなど、とても美味しかったです。しかも「ランチ」の値段で握ってくれました。ありがたや、ありがたや。板長いの話しでは、この時期(8月下旬)は魚が少ない時期で、もう少しするといろいろとネタが出てくるんだそうです。

Img_3064 お腹がいっぱいになったところで、今度は高岡市にある瑞龍寺を訪ねました。ホームページはこちらです。写真は参道の家並みですが、趣きがあります。
 瑞龍寺は禅宗の曹洞宗のお寺で、正保年間から20年をかけて造営され、寛文3年(1663年)に完成したそうです。
Img_3066 こちらの山門は、平成9年に国宝に指定されました。元々は正保2年(1645年)に造られましたが、火災により消失し、現在の建物は文政3年(1820年)に造られたそうです。
Img_3069 こちらの万治2年(1659年)に建立された仏殿も、国宝に指定されております。総欅造りで、鉛板で葺かれた屋根は珍しいそうです。
Img_3071 内部の梁は実に複雑な構造をしています。
Img_3073 明暦年間(1655〜1657年)に造られた法堂。これも国宝で、この三つの建物が国宝に指定されています。
Img_3077 禅宗のお寺なので禅堂があります。
Img_3075 こちらが禅堂の内部。それぞれの畳一枚で座禅をし、食事をとり、夜は眠るのですね。凛とした雰囲気が漂います。
Img_3079 広々とした伽藍配置です。

Img_3081 ぽん太とにゃん子が次に訪れたのは、石川県白山市の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)です。白山山頂に奥宮がありますが、その本宮がここです。ホームページはこちらです。写真は拝殿ですが、建物はあまり見るべきものがありませんでした。

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2012/10/28

【歩かないと行けない温泉(9)】黒部渓谷にある快適な宿/名剣温泉(歩行時間15分)(★★★★)

Img_3025 黒部渓谷鉄道沿線の温泉の旅。最後の宿は名剣温泉です。ホームページはこちら。日本の秘湯を守る会に所属しており、サービスやアメニティはいいです。ぽん太とにゃん子は祖母谷温泉から下って行きましたが、欅平から登ると約15分かかります。
Img_2982 こちらが宿の建物です。ずいぶん小さく見えますが……。
Img_2983 こちらから見ると、祖母谷川に臨む崖沿いにへばりつくように、道より下に建物があるのがわかります。
Img_3030 内部は、民芸調山小屋風になっております。
Img_3011 客室は落ち着く和室です。窓からは祖母谷川の渓谷が見えます。
Img_3031 ん?花瓶に生けてある花は……これはチョウジギクではないか!ぽん太が見たいと思っていて未だに見れない山野草のひとつです。先日歩いた読売新道の奥黒部ヒュッテから平ノ渡の間にも咲いていたらしいのですが、見落としてしまいました。ありがたや、ありがたや。
Img_3028 玄関の脇から、緑に囲まれた道を進むと、露天風呂があります。
Img_3016 冒頭の写真が露天風呂です。浴槽はあまり広くありませんが、眼下には祖母谷側が流れ、まさに絶景です。お湯は祖母谷温泉からの引湯ですが、透明で白い湯の花が舞い、硫黄の匂いがします。泉質は単純硫黄泉です。
Img_3013 内湯は岩風呂風ですが、ちょっと狭めです。浴室の中に巨大な岩がありますが、おそらく元々あった天然の岩を取り込むように、浴室が作られているのだと思います。
Img_3018 山の中の宿ですが、夕食は立派な会席料理です。
Img_3019 齢とともに胃袋が小さくなったぽん太とにゃん子は、料理少なめコースをお願いしました(たぶん岩魚の塩焼きがなし)。その分、岩魚の骨酒を追加注文いたしました。
Img_3020 山菜の天ぷらの揚げ方が絶妙でした。コロモが少なめで、形がくずれずパリッと揚がってました。
 山深い渓谷ではありますが、標高は600メートル程度と低いので、夜はけっこう暑かったです。扇風機をつけて寝ました。
Img_3032 こちらが朝食です。お魚はメギスだったかな?美味しゅうございました。
Img_3034 朝食後は囲炉裏端でコーヒーのサービス。
 黒部渓谷の奥に位置しながらアメニティのよい温泉宿。温泉は景色がいいですが、祖母谷温泉に入った後ではちょっと手狭に感じます。料理は非常においしく、ぽん太の評価は4点です(2012年8月宿泊)。

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2012/10/27

【歩かないと行けない温泉(8)】黒部渓谷の広々した露天と野趣あふれる河原の露天風呂/祖母谷温泉(★★★★)歩行時間40分

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 黒薙温泉旅館で至福の時を過ごしたぽん太とにゃん子、翌日は再びトロッコ電車に乗って終点の欅平まで行きました。まず、祖母谷温泉(ばばだにおんせん)の日帰り入浴が目的です。公式サイトはなさそうなので、黒部渓谷トロッコ電車の案内ページにリンクしておきます。
Img_2980 夏休みということで観光客で賑わう欅平から、奥鐘橋を渡って、祖母谷川を遡って行きます。今夜泊まる予定の名剣温泉を通り過ぎた所で道が封鎖されており、この先で道の崩落があるため、一般の観光客の通行を禁ずる、登山客は自己責任で通行を、とのことでした。タオル片手の家族連れなどはここで脱落。ぽん太とにゃん子は登山客なので先へ進みました。
Img_2985 途中にいくつかトンネルもあります。
Img_2986 歩行時間約40分、川の対岸に祖母谷温泉の建物が見えてきます。橋をわたりますが、入浴は後回しにして道をちょっと先に進むと右手に分岐があります。ここが「祖母谷地獄」と呼ばれ、河原の露天風呂があるのです。河原のあちこちからもうもうと湯気が上がり、硫黄の匂いが立ちこめます。100度近い熱湯が涌いていますから、間違っても手を入れないように。
P8280396 グロ写真注意!どんどん奥まで歩いて行くと、川沿いの岩に赤いペンキで温泉マークが書かれています。ここが入浴スポットです。石がとても熱くなっているので、靴のまま入浴スポットまで行きましょう。岸側から熱湯、川側から冷水が流れ込んでいますので、そのままでは「熱冷たくて」入れません。冷たい川の水側から手を入れ、徐々に熱湯に近づくように撹拌していきましょう。くれぐれも火傷に注意して下さい。
Img_3002 先ほど書いたように、今夜の宿は名剣温泉。あまりに時間があるので、白馬岳に続く登山道(清水尾根登山道)を行けるとこまで行ってみることにしました。祖母谷地獄出発が11時30分。14時まで歩いて、百貫ノ大下りの手前の標高1,200メートルあたりまで行きました。白馬岳(?)がちらっと見えました。天気は快晴で、暑くて閉口しました。というのも、欅平は深山幽谷のように思いますが、標高は600メートル程度。高尾山なみの標高なので暑いのです。しかし、そんな標高でこんな渓谷美があるなんて驚きですね。
Img_3004 下山してきて、今度は祖母谷温泉で日帰り入浴しました。男女別の露天風呂があります。浴槽はコンクリートで、けっこう広いです。川沿いにあって見晴らしがいいです。
Img_3008 お湯は透明で、白い湯の花が舞い、硫黄の匂いがします。実は名剣温泉のお湯は、ここから引いています。汗を流してとても気持ちがよかったです。宿泊もできるそうで、小屋番のおじさんは「楽しいですよ」と言ってました。
 山中の広々とした露天風呂。野趣あふれる祖母谷地獄の河原の露天風呂と合わせて、ぽん太の評価は4点!(2012年8月入浴)

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2012/10/26

【歌舞伎】千穐楽なのになんか元気がなかった。2012年10月新橋演舞場昼の部

 千穐楽に行ってきました。
 「国性爺合戦」はぽん太は初めてでした。近松門左衛門の名作として名高く、題名は受験勉強の頃から耳にしておりましたが、ようやく舞台を観ることができました。
 「国性爺合戦」という名前から、どっかのオジさん二人が喧嘩する話しかと思ってましたが、全然違ってました。中国明代の実在の武将、鄭成功(ていせいこう)(1624年〜1662年)をモデルとした話しだそうです。詳しくはWikipediaを参照して下さい。元となる人形浄瑠璃は、正徳5年(1715年)に竹本座で初演されて人気を呼び、17ヶ月のロングランを記録したそうです。
 今回の上演は浄瑠璃の三段目だけでしたが、異国情緒ある舞台と衣装が美しく、老一官・渚と錦祥女の親子の情、妻を殺さねば見方は出来ぬという甘輝の武士道(?)精神、自らの命を犠牲にする錦祥女、川におしろいを流すが紅を流すかで答えを伝えるという趣向など、なかなか見応えがありました。
 なんといっても秀太郎の渚が印象に残りました。母親としての優しさや情はもとより、血気にはやる和藤内をいさめる冷静さ、錦祥女を守ろうとするときの毅然とした態度など、一つひとつの表現がすばらしかったです。和藤内の松緑は、こうした丸本ものの荒事は迫力があってよかったです。ちょっと顔がぷっくりしているのが気になる芝雀も、中国風の化粧をするととても綺麗でした。甘輝の梅玉は、美しく堂々たる武将ぶりでしたが、大将軍に見えてしまうのは致し方ないところ。染五郎がエネルギッシュに演じて、松緑と若者同士力をあわせて韃靼王に立ち向かっていく、というヴァージョンも見てみたかったです。
 「勧進帳」は、先日観た夜の部と配役を入れ替え、團十郎の弁慶と幸四郎の富樫。楽しみにしていたのですが、團十郎が声が出ないうえ、全体に元気がありませんでした。幸四郎の富樫は、松羽目物らしい様式感に欠け、『屋根の上のバイオリン弾き』という感じでした。義経一行の通行を許して立ち去る時に上を向く仕草も、表情で演技してしまっていて歌舞伎らしくなかったです。セリフも小節が利きすぎてる気がしました。藤十郎の義経はあいかわらず最高でしたが、全体として、ちょっと気迫や緊迫感に欠ける舞台になってしまいました。團十郎、昼夜「勧進帳」でお疲れなのでしょうか。染五郎丈とともに、早いご回復をお祈りしたいと思います。
 終演は2時30分と早い。疲れなくていいけど、その分料金を安くして欲しいです。また千穐楽というのに空席が目立ちました。演目の選択をもう少し考えた方がいいのではないでしょうか。


新橋演舞場
芸術祭十月大歌舞伎
七世 松本幸四郎 追遠
平成24年10月  昼の部

一、国性爺合戦(こくせんやかっせん)
  獅子ヶ城楼門
  獅子ヶ城内甘輝館
  同 紅流し
  同 元の甘輝館
                    和藤内  松 緑
                    錦祥女  芝 雀
                    老一官  歌 六
                      渚  秀太郎
                     甘輝  梅 玉

二、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
                  武蔵坊弁慶  團十郎
                  富樫左衛門  幸四郎
                   亀井六郎  友右衛門
                   片岡八郎  家 橘
                   駿河次郎  右之助
                  常陸坊海尊  市 蔵
                    源義経  藤十郎

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2012/10/25

【歩かないと行けない温泉(7)】雄大な自然のなかのレトロな建物/黒薙温泉旅館(★★★★★)歩行時間20分(付:黒部専用鉄道EB5)

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 今年の夏の話しですが、読売新道遠征(登山)を終えたぽん太とにゃん子は、余った予備日を利用して、前から行きたかった黒部峡谷トロッコ電車沿いにある温泉に行くことにしました。一泊目は黒薙温泉旅館。ホームページはこちらです。
Img_2930 宇奈月温泉に車を停め、温泉街を散策。黒部川電気記念館の前には、当時の黒部専用鉄道で使われていた電気機関車EB5が保存されていました。米国ジェフリー社製、大正15年3月製造だそうです。L型のスタイルと、ポールが可愛らしいですね。いつか模型を造ってみたいです。
Img_2937 こちらは現在の電気機関車。トロッコ電車に乗って出発進行!
Img_2939 関西電力の新柳河原発電所です。ドイツの古城みたいですね。
Img_3056Img_3057 寸詰まりでまるでおもちゃのような、可愛らしい貨車。
Img_2977 黒薙駅で降り、写真の急な階段を登って行きます。
Img_2945 階段を登り詰めるとしばらく平坦な道が続き、最後は少し下って宿に到着します。歩行時間は約20分。道は舗装されているので、歩きやすい靴なら問題はありません。レトロな雰囲気の建物に、思わず感動。
Img_2964 廊下も程よく鄙びていい感じです。
Img_2946 客室は広くはありませんが、新しくて清潔です。テレビはなく、布団の上げ下げは自分でやります。浴衣やタオルなどのアメニティは完備しております。
Img_2962 宿から川を5分ほど遡った所に、名物の川沿いの混浴大露天風呂「源泉(いずみ)」があります。
Img_2958 広々として、野趣あふれるお風呂です。日帰り入浴のお客さんも多いので、最終電車が出発してから、ゆっくりとつかりたいもの。ただ、時間帯によってアブが襲ってくるのでご注意を。アブ除けの、ネットのついた麦わら帽が脱衣所に置いてあります。泉質は弱アルカリ性単純温泉で、無色透明のお湯です。源泉温度は97度。湧出量は毎分2,000リットルと半端ではありません。もちろんそのお湯を全部使ったら、お風呂が川のようになってしまいます。実はここのお湯が引湯管で7km下の宇奈月温泉に送られ、温泉街全体のお湯をまかなっているのです。
Img_2971 こちらがもう一つの露天風呂、「天女の湯」。こちらは、宿から下流側に行った所にあります。普段は女性専用ですが、一定の時間だけ男性用となります。写真の左側の吊り橋に導管が写っていますが、これが源泉を宇奈月温泉に送る引湯管です。
Img_2948 こちらは内湯です。こじんまりとしております。
Img_2951 温泉のあとはビール。ここは宇奈月ビールで決めたいところ。
Img_2952 夕食は地元の食材をつかった山のお料理。とっても美味しかったです。山菜は、春に収穫したものを塩漬けにして保存し、それを時間をかけて塩抜きしたもの。お刺身は富山らしい昆布じめです。
Img_2953 天ぷらもみずみずしくてとても美味しかったです。
Img_2967 朝食はこちら。
Img_2974 帰りはまた20分歩いて黒薙駅へ。途中、眼下にトロッコ電車が見えました。
 黒部渓谷の雄大で美しい自然、レトロな雰囲気の建物、有り余る湯量がある広々した露天風呂、おいしいお料理。ぽん太の評価は満点です(2012年8月宿泊)。

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2012/10/24

【温泉】ふふふ星野リゾートの実力を見せてもらったぜ/信州大町温泉・仁科の宿 松延(★★★★)

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 だいぶ以前の話しになりますが、ぽん太とにゃん子が今年の夏の読売新道登山のあとお世話になったが、信州大町温泉・仁科の宿 松延(まつのぶ)さんです。公式サイトはこちらです。
 ぽん太とにゃん子にしてはちょっと高級な宿ですが、3泊4日の登山のあとだから、ちょっと贅沢もいいかと思って選びました。それに、近頃有名な星野リゾートの実力を見てみようという気持ちもありました。松延は2006年から星野リゾートが運営するようになったようです。星野リゾートの社長、星野佳路(よしはる)氏は、軽井沢の北にある星野温泉の息子さんだそうです。星野温泉は、ぽん太もむかし日帰り入浴をしたことがありますが、軽井沢とは思えない(失礼しました)古めかしい温泉でした。しかし1991年に佳路氏が代表取締役に就任後、徹底的な改革を行い、あれよあれよというまに全国に高級リゾートを展開する大企業に成長いたしました。一泊数万円の宿がほとんどですが、松延はかろうじてぽん太の手に届きました。
Img_2928 こちらが入り口です。普通のホテルの建物の手前に、木造の趣きある門を造ることで、付加価値を加える手法です。玄関の手前は、上の写真のような土間になっており、毎朝ここで薪を使って炊き上げたご飯が、朝食に供されます。夕食後は餅つき大会が開かれます。夏休み中だったので、子供達が大喜びしておりました。
Img_2898 こちらが客室。広々として立派な和室です。
Img_2901 ウェルカムお菓子は、その場で蒸かしてアツアツで頂くお饅頭。う〜ん、心憎い演出です。
Img_2923 温泉は、男女別の内湯と露天風呂があり、広々して清潔です。露天風呂の脇にはお酒が置いてあって(無料です)、お湯につかりながら地酒を楽しむことができます。ぽん太には嬉しいサービスです。ただ、泉質は無色透明の単純温泉で、ちと温泉力に欠けます。露天風呂は、昼はレモンを浮かべたレモン風呂、夜は輪切りの檜を浮かべた檜風呂となっております。せっかくの温泉に、外から香りをつけるのはちと疑問ですが、特色のない湯なので致し方ないのかも。加水・加温の有無、消毒をしてるかどうかなどの表示が見つかりませんでした。
P8260311 レストランでいただく夕食は、一品ずつ順番に出てきて、その都度説明をしてくれます。手のこんだお料理で、見た目も美しく、とても美味しかったです。
Img_2920 こちらは松延名物「雪鍋」。お砂糖が、鍋の上に綿飴のように盛られています。
Img_2924 こちらが朝食ですが、品数も多いです。薪のかまどで炊いたご飯は、炭の香りがして、とても美味しゅうございました。
 既存のホテルに付加価値を付けて見事に再生させた星野リゾートの手腕は見事!ただ、お値段もそれなりに高いです。温泉力がないのがちと減点になりますが、何よりも従業員の人たちがとても親切で、意欲をもって生き生きと働いていたのが加点になり、ぽん太の評価は4点です(2012年8月宿泊)。

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2012/10/22

【温泉】まあキノコ料理が素晴らしすぎる:秋神温泉(★★★★)+蕎麦おぎのや@藪原

Img_3556 温泉紹介の記事には珍しく、夕食の写真からスタート。それほどこの秋神温泉は、食事がおいしい宿です。公式サイトはこちらです。春の山菜、秋のきのこ料理がおいしそうな宿として、以前から気になっていたのですが、こんかい泊まる機会を得ました。
 山→温泉→酒、というのがぽん太とにゃん子のロイヤルコース。10月上旬に涸沢の紅葉を楽しんだ後、安房トンネルを抜けて高山方面に向かい、途中から国道361号線に入ります。秋神ダムで右折して県道をしばらくいくと、秋神温泉があります。御嶽山の北麓になりますかね。
 この県道沿いには、「歴史ある道」みたいな感じで案内板が出ていたのですが、あとでググればわかるだろうと思って、よく見ないで通り過ぎてしまいました。ところが、帰宅後ググっても情報がみつかりません。御嶽山の高山側からの信仰登山道かなにかだったんでしょうか?
Img_3547 こちらが宿の外観です。御嶽山の美しい森林に囲まれた自然豊かな一軒宿。落ち着いた感じの和風建築です。けっこう部屋数はあるようです。赤いポストが可愛いですね。
Img_3549 内装は清潔で明るく、客室も落ち着いた雰囲気です。
Img_3552 温泉は男女別の内湯となっており、露天風呂はありません。タイル張りの浴槽は、あまり広くはありませんが、窓の外の樹林がすばらしいです。お湯は、やや緑がかった褐色のうす濁りで、茶色い成分が沈殿しており、なめると鉄味がします。成分などの表示が見つからなかったのですが、たぶん循環加熱していると思います。日によって色が変わるそうで、真っ赤になることもあるそうです。良いお湯なのですが、ちょっと湧出量が少ないような気がしました。
Img_3556_2 で、待ちに待った夕食。別室でいただきました。様々な山菜やキノコが、様々に調理されて出てきて、思わず顔がほころびます。
Img_3558 ニジマス(でしたっけ)のお刺身は、とっても肉厚。お吸い物は、ぽん太は今年初の松茸です。
Img_3559 定番のイワナの塩焼きもごっつぁんです。
Img_3560 やって来ましたキノコ鍋。それぞれのキノコの名前を忘れてしまったのが残念です。天然キノコの香りがとても美味しかったです。食べ終わったら雑炊に変身!
Img_3563 こちらも名前を忘れてしまいましたが、朴葉味噌のような味付けです。上はグツグツと煮えてますが、下に山の苔が盛られていて、野趣あふれる一品。
Img_3564 デザートのシャーベットもおいしゅうございました。
Img_3566 こちらが朝食です。炊き込みご飯やアマゴが美味しく、赤出しのお味噌汁もミネラル豊富です。
 温泉は、泉質はいいのですが湯量がちょっと少ないです。しかしキノコ料理は最高レベル。とても美味しかったです。ぽん太の評価は4点です。今度は山菜の時期にぜひ再訪したいです。


Img_3574 帰りは国道361号線を通って木曽福島に抜けました。お昼ご飯は、木曽路の藪原の宿にある、「おぎのや」でお蕎麦を頂きしました。ホームページはこちらです。場所は旧道沿いで、ちとわかりにくいです。車は駐車場&店の前で、5台くらい停められます。
Img_3568 築150年の古民家を改装した建物は、趣きと風格があります。
Img_3570 こちらがお蕎麦で〜す。細打ちですが、コシがあります。香りと味は言うまでもなし。ツユは鰹だしが利いて濃いめですが、甘くはありません。全体として、木曽路らしい格式と落ち着きと重さを感じるお蕎麦でした。美味しゅうございました。
 店主は、「翁」で名高い高橋邦弘氏に惚れ込み、広島まで出向いて教えを請うたんだそうです。
Pa110264 デザートのシャーベットもおいしゅございました。

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【歌舞伎】勘九郎の源九郎狐は親孝行で可愛いね。20120年10月御園座

 10月の名古屋御園座は、「中村勘九郎襲名披露」兼「顔見世」ということで、勘九郎の周りを豪華メンバーが固めるというプログラムとなりました。なかでも夜の部の最後の「四ノ切」が、勘九郎の実直さ可愛らしさが、親思いの子狐とマッチして、面白かったです。
 その前に「吉野山」。勘九郎の佐藤忠信は、見目麗しい若武者ぶりで、力強さと忠義深さが感じられました。その分、道行きっぽいアブナイ雰囲気にはちと欠けたかな。七之助の静御前は、美しいことこのうえなし。花道の七三のドブで見ていたのですが、くるりと回って目が合いそうになったとき、あまりの美しさにぽん太は気恥ずかしくなり、思わず目をそらしてしまいました。白拍子らしい強さはみじんも感じられず、柔らかく繊細で触れたら壊れそうなほどでした。
 で、「川連法眼館」ですが、最初の法眼と妻の会話や、最後の荒法師とのタテなどが省略された短縮版。最初の本物の佐藤忠信の方は、もうちょっと得体の知れない怪異な雰囲気があってもよかった気がします。源九郎狐になってからは、冒頭に述べたように、持って生まれた素直な性格が、源九郎狐とよく合ってました。狐言葉はなんだかぎこちなく、リズムが感じられませんでした。若いので身体能力もすばらしく、鼓で呼び戻されてスッポンから跳ね上がるときの高さ(2メートル近く飛んだように見えました)にびっくりしました。菊之助が義経をゆとりをもって演じてました。前半の義太夫さんが、ちと頼りなかった気がしました。
 「義経千本桜」に比べると「伊勢音頭恋寝刃」は、まだまだ研究の余地ありです。福岡貢の凛々しさはあますが、和事らしいやわらかさや色気は不十分でした。「奥庭」でのゾクゾクするような美しさも欲しいです。将来は仁左衛門のような色気がでてくるのか、それとも勘九郎独自の福岡貢を作り上げるのか、今後が楽しみです。左團次がお鹿、仁左衛門が料理人喜助、菊五郎が仲居万野という豪華な脇役。菊五郎は、大げさにならない押さえた演技ながら、菊五郎独特のとぼけた味わいがあり、意地悪くも怪しげな万野でした。仁左衛門はいつものように良いです。
 「嫗山姥」は時蔵が大活躍でした。
 「蝶の道行」は、菊之助と七之助という新旧色男による舞踊。恋の踊りはよかったですが、地獄の炎に焼かれてからの哀れさ、哀しさがちと欠けたような。
 「菊畑」は、歌舞伎らしい、美しいけど内容のない芝居ですが、この豪華メンバーで観るととても面白いです。これが芸の力なんですかね。
 「口上」で勘九郎が、「中村屋ゆかりの地である名古屋で」みたいなことを言っていて、そのときはわからなかったのですが、あとでぐぐってみると、初代中村(猿若)勘三郎の出生地が名古屋市中村区で、中村屋という屋号は地名に由来するという説があるそうですね(Wikipedia)。
 ところで、以前に御園座がつぶれそうだというニュースが流れていましたが、どうなんでしょうか。松竹と提携して建て替えを行うなどの話しも聞きますが、ぜひ頑張って欲しいものです。


御園座
中村勘太郎改め 六代目中村勘九郎襲名披露
第四十八回
吉例顔見世
平成24年10月

昼の部

一、八重桐廓噺(やえぎりくるわばなし)
  嫗山姥
              荻野屋八重桐       時 蔵
                太田十郎       彌十郎
                  白菊       梅 枝
                 沢瀉姫       新 悟
                腰元お歌       亀 蔵
       煙草屋源七実は坂田蔵人時行       扇 雀

  けいせい倭荘子
二、蝶の道行(ちょうのみちゆき)
                  助国       菊之助
                  小槇       七之助

三、伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)
  油 屋
  奥 庭
                 福岡貢  勘太郎改め勘九郎
               料理人喜助       仁左衛門
               今田万次郎       扇 雀
                油屋お紺       菊之助
                油屋お岸       梅 枝
            徳島岩次実は北六       男女蔵
           藍玉屋北六実は岩次       亀 蔵
                油屋お鹿       左團次
                仲居万野       菊五郎

夜の部

一、鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)
  菊 畑
             虎蔵実は牛若丸       菊五郎
                 皆鶴姫       時 蔵
                腰元白菊       右 近
                笠原湛海       彦三郎
              吉岡鬼一法眼       左團次
            智恵内実は鬼三太       仁左衛門

二、六代目中村勘九郎襲名披露 口上(こうじょう)
                      勘太郎改め勘九郎
                           幹部俳優出演

三、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
  道行初音旅
  川連法眼館
     佐藤忠信/佐藤忠信実は源九郎狐  勘太郎改め勘九郎
                 静御前       七之助
                亀井六郎       萬太郎
                駿河次郎       亀三郎
                 源義経       菊之助

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2012/10/21

【拾い読み】昔の人が地震や噴火をどう思ったかがわかりました。保立道久『歴史のなかの大地動乱ーー奈良・平安の地震と天皇』

 3.11のあと、平安時代に同じく東北を襲った貞観地震・津波について、何度も耳にしました。日本は古来何度も大きな地震に襲われたはずで、そうした地震は科学的な地震学の立場からはいろいろと分析されているそうです。しかし、当時の人々が地震をどのように理解し、どのような反応をしめし、どのように対処したかという歴史学的な研究はほとんどなかったのだそうです。奈良・平安に詳しい著者が、3.11以降に精力的に行った研究の成果をわかりやすくまとめたのが、本書です。地震だけでなく、噴火や飢饉などを、当時の人々がどのように捉えたかがよくわかります。後半の、それに基づいて、『古事記』や『日本書紀』の神話を分析するあたりは、無学なぽん太にはよくわかりませんでした。
 以下、いつものように、ぽん太が興味深く思ったところの拾い読みです。

 日本最古の地震の記録については、『日本書紀』の599年に地震の記録があるが、これを史実とみるのは難しいとのこと。朝鮮半島ではあるけれど、『三国史記』に記された、白村江の戦いの翌年である664年に新羅で起きた大地震が、記録上最古の地震となるようです。噴火に関しては、636年に成立した『隋書』に阿蘇山噴火のことが書かれているそうです。
 当時地震を表すのに、「地震る・地動る」(なゐふる)という言葉が使われていたそうです。
 昨今地球温暖化がいわれてますが、奈良時代から鎌倉時代にかけて、日本の気候は比較的温暖だったそうで、「中世温暖期」と呼ばれるそうです。反対に、飛鳥時代や江戸時代は、比較的寒冷だったそうです。
 奈良時代の日本では、自然の運行と人の善悪には特定の関係があり、天は王の不徳を譴責(けんせき)するために天変地異を引き起こすという、中国の天譴思想(てんけんしそう)が影響力を持っていたそうです。725年にたびたび起きた地震に対する聖武天皇の詔には、「責の深きことは、予(われ)にあり」(責任は自分にある)という文言が含まれているそうです。
 一方で、怨霊が地震を引き起こしているという考え方もあったらしい。たとえば729年に自殺に追い込まれた長屋王が、怨霊となって地震を起こしていると考えられていたのではないかと著者はいう。
 中国では古くから、雉(キジ)が地震を察知して鳴くという観念があったそうです。ぽん太は、地震を予知する動物といえばナマズを思い浮かべますし、江戸末期に「鯰絵」と呼ばれた浮世絵が大量に描かれたこともよく知られています。地震と鯰の関係は、いつごろ形成されたのでしょうか?Wikipediaによれば、豊臣秀吉の時代までは遡れるようですが。
 富士山の噴火に関しては、781年に小規模な噴火を起こしていたようですが、800年(延暦19年)の大噴火をして多くの火山灰を噴出し、また802年(延暦21年)の噴火では火砕流を引き起こし噴石を降らせたそうです。これによって、これまで火山といえば阿蘇だとおもっていた平安時代の人たちが、富士山も火山として認識するようになったそうです。
 855年(斉衡2年)に奈良を襲った地震で、大仏の首が落ちるという大事件が発生したとのこと。
 9世紀前半から御霊会(ごりょうえ)が全国各地で行われるようになりました。これは、地震や噴火などの自然災害や、疫病、飢饉などが怨霊によって引き起こされると考えられていたことを示しています。863年には、京都の神泉苑で初めて朝廷自らによる御霊会が行われたそうです。
 しかしその翌年の864年(延暦19年)、富士山が史上最大規模の噴火。このおりに、甲斐国に浅間明神を祀る神宮が作られたそうですが、現在の浅間神社(ホームページ)がそれでしょうか?この噴火のおり、富士山の山頂に壮麗な「社宮」が出来上がっていたというウワサが広まったそうです。
 9世紀に都良香(みやこのよしか)が記した『富士山日記』には、山頂に虎のような石があると書いてあるそうですが、これは現在もあるそうです。しまった、ぽん太が富士山に登った時は気にしなかった。ぐぐってみると、確かにあるようで、「虎岩」と呼ばれているそうです。ううう、もう一度登る気にはならないし……。残念!
 古代日本には、「王の跡継ぎは雷鳴時の性交によって宿る」という神話があったそうです。そういえば、歌舞伎の『鳴神』で、鳴神上人は、呪術によって天皇に皇子を誕生させ、龍神を閉じ込めて干ばつを引き起こしたりします。『鳴神』は、『雷神不動北山桜』という狂言の一部でもありますし、「鳴神=なるかみ=鳴雷」なのかもしれません。
 自然災害を引き起こすものとして「龍神」が想定されるようになったのは、824年に空海が神泉苑で「請雨経法」を行ったころだろうと著者は言います。

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2012/10/16

【オペラ】シェイクスピアの国ならではの演劇性「ピーター・グライムス」新国立劇場

 新国立劇場オペラ「ピーター・グライムズ」を観てきました。劇的で、重いテーマを扱いながら、芸術的な美しさがあり、とても感動いたしました。!こちらが公式サイト特設サイトです。
 このオペラを観るのはぽん太は初めてでしたが、ここのところ忙しかったこともあって下調べも全くしておらず、当日の朝になってようやくブリテンの作曲であることや、あらすじを知りました。
 ブリテンといえば、無学なぽん太は長らく、中学校で習った「青少年のための管弦楽入門」しか知りませんでしたが、昨年11月に新国立バレエの「パゴダの王子」を観て、ガムランを取り入れた新鮮な音色に心を奪われました。
 なんでも児童虐待の漁師ピーター・グライムズが、村人から排斥される話しとのこと。しかし実際に観てみるとピーターは、たしかに徒弟の子供を多少乱暴に扱ってはいますが、「虐待」というほどではなく、ましてやわざと殺したわけでもありませんでした(無学なぽん太には、それが原作どおりなのか、今回の演出だけなのか、判断がつきません…)。キレやすくて暴力的なところもありますが、エレンとの安からな家庭を夢見るなど、単純素朴で不器用な人間に見えました。しかしそれでも、二人の幼い徒弟を続けて死なせてしまうという事実を引き起こしてしまうと、もはや言い逃れはできません。二人目の徒弟が「偶然」崖から落ちることがなければ、彼の人生は変わっていたかもしれません。実際にサイコロの目が出てしまうと、その目をもとに現実は動き出し、彼は自分の「不運」を引き受けなければなりません。このあたりに、シェークスピアのような「悲劇性」を感じます。
 村人たちも、決して良識を代表するものではなく、むしろ偏狭な共同体意識に基づいて異質なものを排除しようとする、「世間」として描かれています。ピーター・グライムズも、村人たちも、ともに正当性と有罪性を備えており、単純な善悪の対立になっていないところが、このオペラの魅力であるとぽん太は思います。
 ブリテンは同性愛者であり、彼の生きた時代には強い偏見がありました。そのことが、このオペラに強い影響を与えているそうです。そういえば、「パゴダの王子」でも主人公は、サラマンダーという醜い姿に変えられ、人々から忌み嫌われていました。また、この作品が初演されたのは1945年とのことですから、第二次世界大戦の影響もあるのかもしれません。
 正も邪もすべてを包み込んでいく海。このような自然観は日本独特のもので、西洋とは相容れないと思っていたぽん太には、とっても驚きでした。また、村人たちの島国根性など、なんだか日本とイギリスが似ているような気がしてきました。
 最後にピーターは錯乱するようなのですが、精神科医のぽん太には錯乱している様子がよくわかりませんでした。また、「諦めずに彼を助けよう」と言っていた船長が、ピーターが錯乱したからといって、一転して「沖に出て船を沈めろ」と言うのも納得がいきませんでした。
 ブリテンの音楽は、ドイツ現代音楽のような晦渋さがなく、かといって通俗的になりすぎず、とてもすばらしかったです。ガムランを取り入れた音楽は、時にヤナーチェクのような透明な音色となり、また反復がミニマル・ミュージックのように聞こえたりしました。打ち寄せる波のような表現も印象的でした。
 タイトル・ロールのスチュアート・スケルトン、純情で素朴で不器用な人物を見事に歌い上げました。崖から落ちて死んだ2番目の徒弟をベッドに横たえ、思わず天を仰いで泣き出す演技が目に焼き付いています。エレン・オーフォードが歌った未亡人の女教師スーザン・グリットンは、ピーターを救おうとする別の意味で「世間から外れた人」を巧みに表現しておりました。ジョナサン・サマーズのバルストロード船長も貫禄あり。日本人歌手は、4階から観ていたので、誰がだれやらよくわかりませんでした。
 リチャード・アームストロング指揮の東京フィルも、迫力ある演奏でした。字幕が言葉が固く、誤訳ではないかと思う意味不明の部分も多く、わかりにくかったです。演出も悪くありませんでしたが、最後にエレンが村人たちと同じ行動をとろうとするオチは、取って付けた感がありました。シンプルな美術も、イギリスの海岸沿いの村を象徴的によく描いていました。今回のプロダクションは王立モネ劇場のレンタルとのことですが、この劇場は、かつてモーリス・ベジャールの「20世紀バレエ団」が所属し、「春の祭典」を初演したところですね。


「ピーター・グライムズ」
ベンジャミン・ブリテン
新国立劇場オペラ劇場
2012年10月14日

【指揮】リチャード・アームストロング
【演出】ウィリー・デッカー
【美術・衣裳】ジョン・マクファーレン

【ピータ・グライムズ】スチュアート・スケルトン
【エレン・オーフォード】スーザン・グリットン
【バルストロード船長】ジョナサン・サマーズ
【アーンティ】キャサリン・ウィン=ロジャース
【姪1】鵜木絵里
【姪2】平井香織
【ボブ・ボウルズ】糸賀修平
【スワロー】久保和範
【セドリー夫人】加納悦子
【ホレース・アダムス】望月哲也
【ネッド・キーン】吉川健一
【ホブソン】大澤 建

【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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2012/10/14

【錦繍の涸沢から奥穂(2)】涸沢から奥穂ピストン

Img_3449 昨晩は松本駅前の居酒屋友垣ですっかりいい気分になりましたが、今日は早起きして車で沢渡に向かいます。天気は快晴。沢渡の駐車場に車を停め、バスで上高地に入ります。観光客がとても多かったです。横尾から吊り橋を渡って登山道に入ります。連休最終日ということで、続々と人が下山してきて、すれ違いと挨拶が大変でした。テントを背負っているのでザックが重いですが、道がなだらかだし、時間も十分あってゆっくり登れるので、それほどきつくはありませんでした。
Img_3393 吊尾根〜前穂が見えてきました。紅葉はいかがでしょう?ようやくたどり着いた涸沢は、すばらしい紅葉でしたが、夕方は日陰になってしまいますので、写真は省略いたします。テントを張り、夕食を食べると、もうやることがありません。日がくれて6時に就寝。浅く長い眠りに入ります。
Img_3421 朝です。涸沢に刺し始めた朝日に、紅葉が光り輝きます。
Img_3433 涸沢カールの大雪渓。
Img_3446 朝食を食べて出発。涸沢小屋にかかる錦のカーテン。上は北穂です。
Img_3453 ナナカマドの錦の回廊。
Img_3464 涸沢槍の下の斜面の植物のライン。
Img_3466 振り返ると、涸沢の東側に、常念から蝶にかけての稜線が見えます。
Img_3468 穂高岳山荘から奥穂へ。振り返ると涸沢岳の右に槍ヶ岳が顔を見せてくれました。
Img_3471 さらに登っていくと、奥穂〜西穂の稜線が見えてきます。ジャンダルムまで往復しようかと思いましたが、怖いのでやめました。
 奥穂山頂についたころには、残念ながら東側からガスが上がってきて、槍ヶ岳は見えませんでした。ぽん太は奥穂に登るのは2回目です。前回は槍から縦走してきたので、今回は、奥穂ってこんなに簡単に登れていいの?という感じでした。
Img_3484 ザイテングラートへ向かう登山者。秋の日はつるべ落とし。涸沢カールを下る間にどんどん日が陰ってきます。
Img_3500 涸沢に咲くテントの花。
Img_3505 白出のコル残照。
Img_3511 テント場も日が暮れる。
Img_3531 翌朝も快晴。後ろ髪を引かれながらの下山です。下山途中、登山者のマナーが悪いのが気になりました。すれ違いにおける登り優先のルールも知ってか知らずか、登りの登山者を平気で待たせて降りて行きます。また、後ろに十人以上も渋滞しているのに、先を譲ろうとしない登山者…。紅葉の時季には、涸沢にもいろいろな人が入ってくるものです。
Img_3546 恒例の嘉門次小屋の岩魚塩焼きをいただいて帰りました。

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2012/10/13

【錦繍の涸沢から奥穂(1)】日程のご案内と、松本前夜泊でお世話になった「居酒屋友垣」

Img_3440
 今年の夏は例年にない暑さでしたが、そのあと急激に冷え込んで来たため、紅葉の期待が高まっておりました。案の定、涸沢の紅葉が例年にない美しさだという情報が…。ぽん太とにゃん子は涸沢遠征を決意しました。大混雑が予想される体育の日の三連休を微妙に外して日程を設定。それでも涸沢ヒュッテのホームページによれば、布団1枚に2~3人寝るという混雑が予想されるとのこと。寝苦しい夜を過ごすよりはと、テントを背負って行くことにしました。
 まずは日程のご案内。

【山名】奥穂高岳(3190m)
【山域】北アルプス
【日程】2012年10月8日〜10日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】すべて晴れ
【ルート】(10/8)上高地バスターミナル8:11…横尾…涸沢14:42(テント泊)
(10/9)涸沢6:56…奥穂高岳10:51…涸沢14:25(テント泊)
(10/10)涸沢7:00…横尾…嘉門次小屋…上高地バスターミナル12:43

(※大きい地図や3Dグラフはこちら

 10月9日(日)、松本駅前のビジネスホテルで前夜泊。夜はおいしい酒と肴を求めて街に繰り出しました。日曜日の夜は閉まっている店が多いのですが、三連休の真ん中のせいか、いつもやっていない店が営業しておりました。
Pa070033 こんかいぽん太とにゃん子が選んだのは居酒屋友垣さんです。初めて入りました。う〜ん、ググってみたけど、ホームページもなければ食べログにも載ってない。場所や電話番号は自分で探しとくれ。店の表には、お酒の名前が書かれた札が下げられています。のれんをくぐると、ひとなつっこそうなマスターが笑顔で迎えてくれます。
Pa070028 松本といえば馬刺!まるで薔薇の花びらのような見事な盛りつけです。新鮮で臭みがなくとても美味しいです。メニューを見て日本酒を注文したところ、なんと客の注文を店主が却下。「ひとつ俺が奨めるのを飲んでみて」とのことなので、ありがたくいただいたところ、これまたとっても美味しゅうございました(銘柄は忘れました)。お酒は、キンキンに冷やした竹筒で出てきます。
Pa070031 天然のキノコの出初めとのことで、いろいろといただきました。写真は「うしびて」の焼き物です。独特の苦みがあります。
Pa070029 「山芋はどれが美味しいですか」と聞いたら作ってくれた「山芋のあんかけ」。メニューにはありません。すり下ろした山芋をバターで焼き、あんをかけた逸品。和風のあんとバターのバランスが素晴らしいです。いつもは2〜3軒はしごするぽん太とにゃん子ですが、この夜は「友垣」さんに骨を埋めました。おいしゅうございました。さあ、明日はいよいよ涸沢だ!

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2012/10/12

【歌舞伎】染五郎じゃないので観に行ったけど染五郎で観たくなった/2012年10月新橋演舞場夜の部

 当初の発表では、染五郎が「御所五郎蔵」と「勧進帳」の義経を演ずるとのことでした。染五郎の御所五郎蔵はなんとなく想像がつくし、「勧進帳」も名作だけど見飽きた感があるので、夜の部はパスするつもりでした。ところがそこに染五郎の事故。御所五郎蔵の代役が梅玉と聞いて、梅玉が演ずるといったいどのようになるのかと、がぜん関心が涌いてきました。また義経も藤十郎が代役となり、團十郎、幸四郎、藤十郎ががっぷりよつに組んでの名演が期待されます。ということで、染五郎には悪いけど、あわてて切符を取って観てきました。
 ただ、やっぱり梅玉の五郎蔵は、おっとりしすぎているというか、威勢の良さが感じられませんでした。五郎蔵は、皐月の深い思いもわからなければ、止むに止まれぬ嘘も見抜けず、怒りに任せて殺してしまうという、どちからというと単純で短絡的な人物。老練な梅玉が演ずるには無理がありました。また、染五郎を想定していたため、他の役者が全般に若手なので、よけいに梅玉の「齢」が目立ってしまいました。冒頭の松緑との掛け合いも、初日だったせいかもしれませんが、黙阿弥独特の酔いしれるようなリズム感と華やかさがありませんでした。松緑は星影土右衛門のような役は悪くない。声も大きいので張りがあります。芝雀の皐月は可愛らしいけど、ちょっとちまちまして花魁らしい風格がありませんでした。胡弓はなかなか頑張ってました。やがて芝雀の「阿古屋」が観れるのでしょうか。高麗蔵の逢州も華やかさに欠けました。
 「五郎蔵内腹切」の場は初めて見ました。このような結末がついているのですね。でも、腹を切った二人が尺八と胡弓を合奏するというのは無理が感じられました。黙阿弥のこの芝居は、深い悲しみを誘うというものではなく、どこか戯画的・パロディ的な気がします。
 「勧進帳」は、このメンバーならば、悪いはずがありません。幸四郎の弁慶、以前に観た時は、呪文みたいにごにょごにょと早口でセリフを言っていた印象があったのですが、今回はゆったり堂々としておりました。團十郎の富樫も風格があり、義経一行を通して上手に去る時の顔を上げる動作もゆっくりめで、深い決意とともに、命を捨てることへの悲しみが伝わってきました。藤十郎の義経、抑制された動きのなかに、まるで観音菩薩のような慈愛が感じられました。
 染五郎が欠場になったせいで観に行ったのですが、御所五郎蔵が染五郎だったら、若さのパワーあふれる体当たりの演技を見せてくれただろうなと思ったり、また義経でも、幸四郎と團十郎の超ベテランに挟まれて、一皮むけた新たな芸の境地を見せてくれたかもしれないなどと考えたりし、染五郎で観たかったな、という気持ちになりました。あわてずにゆっくり療養して、元気な姿を舞台で見せてほしいものです。


芸術祭十月大歌舞伎
七世 松本幸四郎 追遠

新橋演舞場
平成24年10月 夜の部 

一、曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)
  御所五郎蔵

  五條坂仲之町
  甲屋奥座敷
  廓内夜更
  五郎蔵内腹切
                  御所五郎蔵  梅 玉
                 星影土右衛門  松 緑
                     逢州  高麗蔵
                   梶原平平  亀 寿
                   新貝荒蔵  廣太郎
                   秩父重介  米 吉
                  二宮太郎次  廣 松
                     皐月  芝 雀
                  甲屋与五郎  幸四郎

二、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
                  武蔵坊弁慶  幸四郎
                  富樫左衛門  團十郎
                   亀井六郎  友右衛門
                   片岡八郎  翫 雀
                   駿河次郎  高麗蔵
                  常陸坊海尊  錦 吾
                  太刀持音若  金太郎
                    源義経  藤十郎

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2012/10/05

【読売新道あ〜しんど(2)】水晶小屋〜奥黒部ヒュッテ〜黒部ダム

Img_2816 水晶小屋の夜明け。今日も朝から快晴です。槍ヶ岳の左側に、遠く富士山や南アルプスが見えます。
Img_2817 遠く浅間山の左、高峰山や水ノ塔・篭ノ塔、湯の丸山の山塊のあたりから日が昇ってきました。

Img_2815 水晶岳へと続く稜線が、オレンジに染上げられます。
Img_2832 水晶岳山頂から槍を振り返る。あとはどんどん槍から遠ざかって行くので、これが見納めです。
Img_2834 視線を少し右に転じると、三俣蓮華岳〜双六岳の向こうに笠ケ岳。写真左奥には、焼岳、乗鞍岳、木曽御岳が見えます。
Img_2842 そして真西には薬師岳が巨大な屏風のように立ちはだかっています。こちらから見ると、実に大きくて堂々としており、圧倒されるような存在感があります。
Img_2840 北側は、これから進んで行く赤牛岳に続く稜線。はるか彼方に立山が見え、剱岳がちょこっと顔を出しています。
Img_2845 やや拡大。まさに牛の背中のような赤牛岳の向こうに、立山と剱岳。
Img_2849 赤牛岳が近づいてきます。ずっと以前から登りたかった山です。ホントに牛の背中みたいですね。
Img_2850 赤牛岳からは真横に薬師岳が見えます。稜線に三つのカールを持つ大きな大きな固まりは、まるでブルックナーの交響曲のようです。
Img_2856 北側には黒部湖が見えます。今日中にあの高度まで降りて行かなければなりません。
 さて、赤牛岳から奥黒部ヒュッテまでの下りは、とにかく長かったです。なんか必死に歩いていたので、写真を撮るのをすっかり忘れていましたが、前半は岩場の稜線が続いて歩きにくく、樹林帯に入ってからは巨木の根をまるでフィールドアスレチックみたいに何度も乗り越えるのに難渋しました。
 読売新道という名前を聞くと、「まさか読売新聞とは関係ないよね」と思いますが、実はその読売新聞なのです。1961年、正力松太郎が富山県出身ということから、読売新聞北陸支社が開設されました。その記念事業の一つとして新たに整備されたのが、この読売新道なのです。この事業に携わった読売新聞記者、山本栄一氏のインタビュー「読売新道ができるまで」が雑誌『PEAKS』2011年3月号に掲載されております。記者といっても山本氏は、学生時代に山岳部に所属し、記者になってからもプロスキーヤー三浦雄一郎のエベレスト滑降に同行するなど、山との関わりは深かったそうです。祖父岳から当時は壊れていた水晶小屋跡までのルートは既にあり、また、平ノ渡から現在の奥黒部ヒュッテまでは、黒部第五ダムを計画していた北陸電力が担当したため、水晶小屋から現奥黒部ヒュッテまでの区間に道を作ったそうです。開削にあたっては、地元芦峅寺出身の名ガイド、志鷹光次郎が大きな役割を果たしたそうです。さまざまなエピソードは大変興味深く、ぜひ一読をお勧めします。ちなみに奥黒部ヒュッテ付近に大きな岩があり、その丈夫にある穴に、読売新道開削に使われた道具が納められているそうです。いったいどこでしょう?
Img_2862 水晶小屋のお弁当です。おにぎり三個でボリューム満点。
Img_2865 ん?なんか見たことがないランが…。あとで調べてみるとコイチヨウランで、以前に塩見岳で見たことがあったようです。
Img_2871 ヨレヨレの状態で奥黒部ヒュッテに到着。樹々に囲まれて落ち着いた雰囲気のロッジです。おいしい水が好きなだけ飲めるだけで嬉しいのに、お風呂まで入ることができます。
Img_2870 こちらが夕食です。ハンバーグがおいしく、下界に降りてきたな〜という感慨があります。
P8260274 こちらが朝食です。
Img_2881 ここから後は楽勝だと思ったら大間違い。奥黒部ヒュッテから平ノ渡しまでの2時間の道は、沢を越えるたびにアップダウンが多く、意外と疲れます。
Img_2886 平ノ渡しも一度乗りたいと前から思っていました。ついに夢がかないました。無料で乗ることができます。
Img_2889 奥黒部ヒュッテのお弁当は、美しき日の丸弁当でした。
Img_2893 ようやく黒部ダムに到着。アルペンルートの観光客に混ざって、トロリーバスで扇沢へ。扇沢からはタクシーで七倉まで車を回収しに行きました。料金は6〜7千円ですが、山行の途中で同じルートの人を見つけたので、相乗りで半額で済みました。

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2012/10/04

【読売新道あ〜しんど(1)】日程と、高瀬ダム〜烏帽子小屋〜水晶小屋

Img_2848 ちと前の話しですが、8月下旬、ぽん太とにゃん子は読売新道を歩いてきました。今年の山歩きのメイン・イベントです。上の写真は、読売新道の入り口に立ちはだかる赤牛岳。赤い色、のっそりした牛の背中のような稜線が魅力的です。
 読売新道は歩行時間が長く、かつ途中に水場やエスケープルートがありません。ひとたび歩き始めたら、とにかく前に進むしかないというハードなルート。ぽん太とにゃん子は数年前から読売新道を狙っていたのですが、事前のトレーニングが不十分だったり、せっかく取った休みに台風が来たりで、のびのびになってました。今年はトレーニングも十分、天気も万全ということで、ついに夢を果たすことができました。乗りたかった平ノ渡しにも乗れたし、大満足でしたが、とにかく長くて疲れた。読売新道は「あゝしんど」でした。

【山名】烏帽子岳(2628m)、野口五郎岳(2924.3m)、水晶岳(2977.7m)、赤牛岳(2864.2m)
【山域】北アルプス
【日程】2012年8月23日〜26日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】すべて晴れ
【ルート】(8/23)高瀬ダム7:35…(ブナ立て尾根)…烏帽子岳13:44…烏帽子小屋14:33(泊)
(8/24)烏帽子小屋5:48…野口五郎小屋9:48…水晶小屋13:20(泊)
(8/25)水晶小屋5:26…水晶岳6:07…赤牛岳9:25…(読売新道)…奥黒部ヒュッテ14:01
(8/26)奥黒部ヒュッテ6:48…平ノ渡し8:51…黒部ダム14:08

(※大きい地図や3Dグラフはこちら
【マイカー登山情報】七倉に広い無料駐車場あり。ここから高瀬ダムまで、タクシー2000円。
 扇沢から七倉まではタクシーで6~7000円。

前夜は松本市内のビジネスホテルに泊まり、酒三昧。早朝に車で七倉まで入り、タクシーで高倉ダムまで行き、ブナ立て尾根を登ります。北アルプス三大急登のひとつですが、今日は足慣らし。時間もたっぷりあるので、ゆっくりと登りました。
P8230066 途中、オコジョ君に遭遇。ぽん太もにゃん子も初めて見ました。じっと立ち止まって眺めていたら、向こうもこっちに興味があるのか、出たり入ったり、近くまで来てUターンしたり、きりがありませんでした。近づいてきて、わざわざでんぐり返ししして引き返して行ったり。コイツはいったい何のためにこんなことをしているんでしょうか?なんか……こういうことが好きなんでしょうか。それとも、近くに巣でもあって、注意をそらそうとしているんでしょうか?どなたか教えて下さい。
Img_2697 烏帽子小屋に1時過ぎに着いてしまいました。以前に登ったことのある烏帽子岳山頂は割愛する予定だったのですが、あまりに時間を持て余しそうだったので、山頂までピストンすることにしました。途中、ちょっと時期が遅いかと思ってたのですが、コマクサがあちこち咲き残っておりました。
Img_2724 烏帽子小屋の夕食。天ぷら美味しゅうございました。
Img_2728 烏帽子小屋の朝食。目玉焼き美味しゅうございました。
Img_2734 朝日に頬を染める赤牛岳。そして読売新道の稜線が、雲海へと消えて行きます。明日はあそこを下るのです。
Img_2738 東に目を転ずると、唐沢岳の左手に、朝日が雲海を照らしています。
Img_2748 烏帽子小屋から水晶小屋にいたるルートは裏銀座コースと呼ばれる、槍ヶ岳に迫っていくルート。野口五郎岳の肩に槍ヶ岳が見えます。
Img_2762 東沢谷の向こうに水晶岳。以前に雲ノ平から水晶岳に登った時は雨でしたし、また湯俣温泉から登ってこの稜線を下った時も、ガスがかかっていて水晶岳は見えませんでした。こんかい初めてぽん太とにゃん子の前に姿を現してくれました。
Img_2774 野口五郎岳から、真砂岳の向こうに、笠ケ岳を望む。こっちからみると、笠ケ岳ってホントに笠みたいですね。
Img_2782 烏帽子小屋のお弁当。おにぎり二ヶです。
Img_2789 東沢谷の源頭をまわりこんでいきます。はるか先に黒部湖があります。明日は写真左の尾根を下り、黒部湖まで。
Img_2798 ミヤマクワガタを発見。かわいいですね。見つけるとついつい写真を撮ってしまいます。
Img_2807 水晶小屋に到着。2007年に建て替えられたばかりの新しく綺麗な山小屋ですが、建て替え調査中に起きた死者まで出たヘリコプター墜落事故(航空事故調査報告書、最後の方に現場写真もあり)は記憶に新しいところです。以前にぽん太とにゃん子が、水晶岳に登る途中で水晶小屋に立ち寄って暖をとらせていただいたのは2002年のことで、まだ古い建物でした。当時は水晶小屋といえば、布団1枚で3人寝るという大混雑で有名でしたが、登山人口の減少により混雑も以前ほどではないようです。
 それでも最初は混むかもしれないので…と布団1枚に2人ずつ割り当てられたのですが、夕食前に確定人数により寝床の再分配が行われ、布団3枚で4人ぐらいで寝ることができました。これなら余裕です。
P8240202 夕食はカレーでした。おいしゅうございました。
Img_2810 朝食は魚の甘露煮もついてました。さあ、今日はいよいよ読売新道。ご飯を食べられるだけ食べて、長丁場に備えます。(続く)

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