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2012/11/28

【歌舞伎】口上が長くて楽しい/2012年11月永楽座歌舞伎

 今年で5回目を迎えるという永楽館歌舞伎。ぽん太とにゃん子は初めて行ってきました。公式サイトはこちらです。観てからだいぶ時間がたって、かなり印象が薄れてしまっているのですが、自分の備忘録として書きますのでご了承を。
Img_3657 永楽館は兵庫県豊岡市の出石(いずし)という町にある、明治34年に造られたという芝居小屋です。歌舞伎が行われる古い芝居小屋としては、香川は金比羅宮の門前町にある金丸座が有名ですが、永楽館は金丸座よりもっとちっちゃくて狭いです。ぽん太とにゃん子の席は前から2番目立ったのですが、わずか数メートルのところで芝居が進行し、すごい臨場感・一体感があります。
 狭いスペースに上手の床などさまざまな舞台装置を組み込んだせいか、定式幕が上手から下手に向かって開くようになっていたのが、ちょっと違和感がありました。また花道も、舞台から客席にむかってやや下りの傾斜があり、途中から水平になってました。客席の上方にはレトロな看板もかかっていて、芝居小屋の雰囲気を盛り上げてました。
 出石の町に関しては、機会があったら稿を改めてアップしたいと思います。

Img_3663 さて、芝居の感想に移らさせていただきます。
 まずは「実録忠臣蔵」より「大石妻子別れの場」。「仮名手本忠臣蔵」や「元禄忠臣蔵」は観たことがありますが、「実録忠臣蔵」というのはぽん太は初めて。ググってみると、福地桜痴作、3世河竹新七補、明治23年(1890年)に東京の歌舞伎座で初演されたそうです。初代の歌舞伎座が開設されたが明治22年(1889年)ですから、開設の翌年に上演されたことになります。当時の建物の写真は例えばこちらで見れますが、外観は洋風ですが内部は日本風の檜造りだったそうです。歌舞伎座創設に尽力した福地源一郎の、劇作家としてのペンネームが福地桜痴ですね。
 あらすじですが、場面は山科。放埒に明け暮れ、一向に敵を討とうとしない内蔵助に、母親の千壽と妻のりくは不満を感じています。意見をしてもきかない内蔵助にあいそがつき、とうとうりくは離縁を申し出ます。内蔵助は大事のために本心を明かさずに去り状を書き、りくと千壽は家を出て行きます。
 話しの構造としては「元禄忠臣蔵」の「南部坂雪の別れ」に似ています。討ち入りを前にした大石内蔵助は、別れを告げるために瑶泉院(浅野内匠頭の未亡人)を訪ねますが、密偵の目を気にして本心を打ち明けることができず、さんざんに未亡人の怒りをかって、立ち去って行きます。しかし「南部坂雪の別れ」には、最後に瑶泉院が内蔵助の本心を知る、という救いがあるのですが、「大石妻子別れの場」にはそれがありません。
 山科を立ち去ったりくたちの行き先は、永楽館がある「豊岡」とのこと。永楽館での公演に合わせて、ご当地の地名を盛り込んだのかとも思いましたが、口上での愛之助の話しによると、もともと「豊岡」が出て来る芝居だったので、今回の演目に選んだんだそうです。ふ〜ん、そうだったのか。大石内蔵助の奥さんは豊岡出身だったのか。
 ということで、Wikipediaを見てみると、たしかに「但馬国豊岡藩京極家の家老石束毎公の長女として誕生」とのこと。へ〜え、身長が180センチもあったんですね。そして討ち入りの年元禄15年(1702年)の4月15日に、りくは豊岡に戻され、その後離縁となったそうです。
 で、舞台の方ですが、妻りくを演じた壱太郎がすばらしかったです。文楽人形のように様式的で抑制された演技のなかで、眼球や喉の筋肉などの微妙な動きが、秘められた深い情動を雄弁に語っておりました。ん〜なんかぽん太は、壱太郎のファンになってきたな〜。愛之助、座長として頑張っておりましたが、大石内蔵助の大きさ、貫禄、茫洋とした感じが出ておらず、また、内に秘めた重いや苦悩も十分には表現されていません。もう少し頑張りましょう。
 いい男の薪車の寺坂吉右衛門が、つやっぽく色気もあるヤッコで、舞台に明るさとテンポを与えておりました。母千壽の吉弥が、若い役者が多い舞台をしっかりと締めておりました。大石主税の種之助も若々しかったです。

 次の「口上」が抱腹絶倒。しかも長い。愛之助をはじめ一人ひとりが、永楽歌舞伎への思いや、まつわるエピソード、裏話など、笑いを取りながらたっぷりと話してくれました。とくにこの日は昼の部の公演のみで夜の部はない日だったので、時間が押すのを気にせずに、いつもより長く話しているようでした。内容はだいぶ忘れてしまいましたが、愛之助は、第一回の永楽歌舞伎が真夏で暑くて大変だったこと、吉弥は、永楽館近くの蕎麦屋に入ったら愛之助と間違えられて(?)料金をただにしてもらった話、薪車は次回の永楽歌舞伎にも出さして下さいと愛之助に頼み、種之助は蕎麦を20杯食べて認定証をもらったが、愛之助が「鯉つかみ」を演じている最中でした、という話し、壱太郎は「永楽歌舞伎の口上は長い長いと聞いておりましたが、これほどとは思ってませんでした」と言ってました。

Img_3668 最後は「湧昇水鯉滝」の「鯉つかみ」。昼ご飯を食べて座席に戻って来ると、ビニールの風呂敷とレインコートが配布されております。幕が開くと、目の前2メートルのところに池が。これは危険です。
 「鯉つかみ」とは、主人公が水中で鯉の精と戦うという出し物で、解説によると「本水」を使った演出は長く上演されていなかったとのこどえすが、海老蔵で見たような記憶が……。ぐぐってみると、2008年8月の新橋演舞場の「石川五右衛門」のようですが、これは「滝」で「鯱」(しゃち)と戦うというものでした。
 新橋でも「滝」でしたが、本水では舞台に水槽をしつらえなければならないので、現代のコンクリート製の舞台では上演できないそうです。永楽館の舞台は木造で、豊岡市指定文化財ではありますが特別に許可を得た上で、舞台に穴を開けて池をしつらえたそうです。
 こんどはお姫様役の壱太郎は、ま〜可愛らしい。惚れちゃいそうです。愛之助も、こういった色っぽい稚児とか若衆役の方がいいですね。鯉つかみも大奮闘で、おかげで、レインコートとビニールシートでガードしていたにも関わらず、靴下がびっしょりになりました。最後の花道の飛び六方では、観客から手拍子がわき起こり、愛之助もそれに合わせて演技するという完全に田舎芝居のノリで、とても楽しかったです。
 歴史あるちっちゃな小屋で、臨場感あふれるアットホームな舞台を楽しめ、なかなかよかったです。ただちょっと遠いので、また来るのは難しいかも。


第五回 永楽館歌舞伎
平成24年11月7日

一、実録忠臣蔵(じつろくちゅうしんぐら)
  大石妻子別れの場
           大石内蔵助  愛之助
            妻 りく  壱太郎
            大石主税  種之助
           大石大三郎  吉太朗
          寺坂吉右衛門  薪 車
            母 千壽  吉 弥

二、お目見得 口上(こうじょう)
                  幹部俳優出演

三、湧昇水鯉滝
  鯉つかみ(こいつかみ)
     滝窓志賀之助実は鯉の精  
     滝窓志賀之助実は清若丸  愛之助
         釣家息女小桜姫  壱太郎
          篠村次郎公光  薪 車
          篠村妻 呉竹  吉 弥

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