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2012年12月の13件の記事

2012/12/30

【歌舞伎】初めて南座に行ったよ。2012年12月京都南座昼の部(追悼企画:ぽん太の思い出の勘三郎ベスト5)

Img_3863
Img_3859 外からは何度も見ている京都南座の内部に一度入ってみたかったので、切符を取ってみました。その後思いがけなく12月5日に勘九郎が死去。追悼と、残された息子たちを見届けるという意味が付け加わりました。公式サイトはこちら
 初めて入った南座は、ロビーというか、劇場周りの空間が狭いのにびっくり。しかし天井などをみると、装飾が細かく造り込まれています。劇場内に入ると、客席は平面図的には広くなく、天井が高くて縦長の印象です。舞台の上に造られた桃山風の屋根や、天井の装飾など、古都らしさをかもし出します。また3階席からも花道の七三が見えるのがうれしいです。
Img_3855 南座の歴史に関しては、こちらの松竹の公式サイトに書かれています。慶長8年(1603年)に出雲の阿国が四条河原でかぶき踊りをしたのが始まり(ちょっと遡りすぎか?)。元和年間(1615~1623年)に四条河原に7つの櫓が公に認められました。そのうち唯一現在まで残っているのが南座です。
 明治39年(1906年)に経営権が松竹に移りました。現在の建物の元になる建物が造られたのが昭和4年(1929年)。設計は、こちらのサイトによれば、白波瀬直次郎(しらなみせなおじろう)とのこと。南座以外にどんな作品があるのか、ぐぐってみたけどよくわかりません。大正2年(1913年)の改築を経て、平成3年(1991年)に大改修が行われ、外観は竣工当時に近い姿に戻す一方、内部は近代的な劇場として生まれ変わったそうです(今里隆/杉山隆建築設計事務所)。

 さて、感想に入りますが、「佐々木高綱」は初めて観る演目。佐々木高綱は、宇治川の戦いにおける梶原景季との先陣争いで有名ですが、そのときにやむを得ず馬子を殺害したことを悔い、償いとしてその息子を召し抱えています。息子は高綱の心根に感謝しておりますが、その姉は高綱を仇として憎んでいます。一方で高綱は、自分が身代わりとなって命を助けた頼朝が、戦に勝ったいますっかり心変わりしていることを怒っています。浮世に愛想をつかした高綱は、出家を決意します。
 最後に出家というと、「熊谷陣屋」を思い浮かべますが、主君のために我が子を手にかけた熊谷直実の苦悩に比べると、高綱の悩みは小さいというか、現代的な感じがします。あとてぐぐってみると原作は岡本綺堂で、大正3年(1914年)に新富座(現在の京橋税務署と東京都中央都税事務所の場所ですネ)で初演されました。脚本は青空文庫にアップされています。
 高綱を演じた我當の、手だれの武士らしい風格と、高貴さがすばらしかったです。馬飼子之介の愛之助が、真面目で誠実な若者を好演。佐々木小太郎定重の進之介は滑舌が悪く、芝居にもあらが目立ちました。
 続いて團十郎の「梶原平三誉石切」。團十郎はその後体調を崩して休演したとのことで、見れてよかったです。七之助が娘梢を熱演しておりました。
 「寿曽我対面」は、勘九郎は曽我五郎。声が大きく、セリフに迫力がありましたが、体からみなぎって来る勢いにはちと欠けました。工藤祐経は、先月休演した仁左衛門でしたが、まだ声が少し小さいようでした。
 最後は藤十郎の伊左衛門で「吉田屋」。たぶんぽん太が観るのは3回目ですが、完成された芸です。仁左衛門と比べると、ずいぶんこってりした印象がありますが、どこがどう違うのか、ぽん太にはよくわかりません。

 勘三郎追悼ということで、ぽん太の選んだ勘三郎の思い出の舞台ベスト5を書いておきたいと思います。あくまでもぽん太の個人的な選択ですのでご容赦を。
 まずは第5位。「沼津」の雲助平作!(平成23年11月平成中村座夜の部)。中村座の上手の桜席(幕の内側の席)を取ることができました。荷物を持って日銭を稼ごうとしますが、ちょっと重すぎて困っているのを、笑ってごまかそうとしている表情を、間近で正面から見ることができましたが、舌の動きまでコントロールしたその表情が、ぽん太の記憶に焼き付いています。病気からの順調な回復を感じました。
 第4位、「助六由縁江戸桜」の通人!(平成22年4月歌舞伎座第三部)。歌舞伎座さよなら公演の一つで、團十郎の助六、菊五郎の白酒売新兵衛。白塗りの顔で、パタパタと扇子を扇ぎながらで来てきた瞬間から劇場の雰囲気がパッと変わります。セリフはアドリブの連続。團十郎を見て、「なんだ〜この人は。どっかで見たぞ。なんか1月に押し戻された気がするな〜(勘三郎は1月に團十郎の押戻しで「娘道成寺」を踊りました)。おめでと〜ございます。たかとし(海老蔵の本名)が身を固めてよかったね〜……」。菊五郎を見て「おめでと〜ございます。しのぶれど、世界に出にけりしのぶちゃん(寺島しのぶが『キャタピラー』でベルリン国際映画祭の最優秀女優賞を取りましたね)、それに引き換えこの俺は、唐紅に股くぐるとは〜」。菊五郎が笑いっぱなし。花道の七三まで行って、「長かったね〜歌舞伎座さよらなら公演。さよなら、さよなら、さよなら、さよなら……」などとまたひとくさり。ようやく揚幕に消えたあとの團十郎の「へんなやつだ」とかいうセリフで、客席が大爆笑でした。
 第3位、法界坊!(平成24年4月平成中村座第1部)。ハイテンションでスピーディー。爆笑の連続。この演出で法界坊を演じられる役者は、当分(数十年間)出ないでしょう。真面目な勘九郎にも無理だし。
 第2位、俊寛!(平成22年2月歌舞伎座昼の部)。かっこつけて島に残ったはいいが、未練たらたらの俊寛が多いなか、穏やかに死を受け入れ、この世に別れを告げる俊寛。勘三郎自身の死と、ぽん太の頭のなかで結びつきます。勘三郎の父の十七代目の最後の舞台が「俊寛」。先が長くないことが分かっている父が「互いに未来でー」と叫ぶ声を聞いて、舞台の上で十八代目が泣いていたというエピソードも有名です。
 そして堂々の第1位、雪達磨!(「舞鶴雪月花」平成24年3月平成中村座昼の部)。雪だるまが楽しそうに生き生きと踊ってる。やがて日が昇って来ると、次第に体が融け始める。必死に雪をかき集めて融けるのを防ごうとする雪だるま。しかしやがては消え去ってしまいます。近づく死を知らずに元気一杯に踊る姿。青空のもと日の光を浴びながらの死。死を描きながら、どこまでも楽しく滑稽。こうして思い出していても涙が出てきます。この素晴らしい踊りを見て、ぽん太は勘三郎の完全復活を確信したのに……。心からご冥福をお祈りいたします。


吉例顔見世興行
東西合同大歌舞伎
六代目中村勘九郎襲名披露
京都四條南座
平成24年12月13日 昼の部

第一 佐々木高綱(ささきたかつな)
            佐々木高綱       我 當
          子之介姉おみの       孝太郎
            馬飼子之介       愛之助
            高綱娘薄衣       新 悟
         佐々木小太郎定重       進之介
           高野の僧智山       彌十郎

第二 梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)
   鶴ヶ岡八幡社頭の場
           梶原平三景時       團十郎
               娘梢       七之助
              奴菊平       家 橘
           囚人剣菱呑助       市 蔵
           俣野五郎景久       男女蔵
          青貝師六郎太夫       彌十郎
           大庭三郎景親       左團次

第三 寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)
           曽我五郎時致  勘太郎改め勘九郎
           曽我十郎祐成       時 蔵
            小林朝比奈       橋之助
            化粧坂少将       七之助
            喜瀬川亀鶴       壱太郎
           梶原平三景時       市 蔵
           梶原平次景高       薪 車
            近江小藤太       男女蔵
             八幡三郎       愛之助
           鬼王新左衛門       翫 雀
             大磯の虎       秀太郎
          工藤左衛門祐経       仁左衛門

第四 玩辞楼十二曲の内 廓文章(くるわぶんしょう)
   吉田屋
           藤屋伊左衛門       藤十郎
          吉田屋喜左衛門       彌十郎
            女房おきさ       吉 弥
             扇屋夕霧       扇 雀

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2012/12/29

【歌舞伎】三津五郎がはじけた!2012年12月新橋演舞場昼の部

 年末で体調が悪かったのと、観てから時間がたったことで、記憶が薄れてますが、備忘録として書いておきます。
 「御摂勧進帳」は初めて観る演目です。公式サイトはこちら
 人気演目の「暫」と「勧進帳」を綯い交ぜにして、「義経」の世界でまとめた演目。楽しければいい、という感じです。
 まずは「暫」。松緑の熊井太郎、こういう芝居はうまいです。ぽん太は最近、亀三郎、亀寿が気になってます。亀蔵、右之助、秀調などをそろえた公家衆が面白かったです。
 二幕目が楽しい踊りで、見応えがありました。
 「芋洗い勧進帳」は、刈り取った首を芋にみたてて桶で洗うという豪快かつ荒唐無稽な話し。三津五郎の弁慶は背が高くないのでちょっとちんちくりんな感じでしたが、勘三郎とともに新作歌舞伎で弾けていただけに、こういう芝居もうまいです。菊五郎の登場で、舞台がしまって大きくなりました。


新橋演舞場
十二月大歌舞伎
平成24年12月 昼の部

通し狂言 御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)
  一幕目 山城国石清水八幡宮の場
      ─ 暫 ─
  二幕目 越前国気比明神境内の場
      ─色手綱恋の関札─
  三幕目 加賀国安宅の関の場
      ─芋洗い勧進帳─        

      【暫】   
                 熊井太郎  松 緑
              下河辺庄司行平  権十郎
                 稲毛入道  亀三郎
                 鷲尾三郎  亀 寿
                 女鯰若菜  松 也
                  音羽丸  萬太郎
                  村雨姫  右 近
                  岩手姫  菊史郎
              信濃小路左中弁  菊市郎
                下松右中弁  亀 蔵
               正親町左少弁  右之助
                西宮右大弁  秀 調
                  是明君  彦三郎

      【色手綱恋の関札】
               お厩の喜三太  松 緑
                 稲毛入道  亀三郎
                  忍の前  梅 枝
                 鷲尾三郎  亀 寿
                  源義経  菊之助

      【芋洗い勧進帳】
                武蔵坊弁慶  三津五郎
                  源義経  菊之助
                 鷲尾三郎  亀 寿
                 駿河次郎  宗之助
                 山城四郎  萬太郎
                 三河五郎  右 近
                 源八兵衛  廣太郎
                常陸坊海尊  錦 吾
                斎藤次祐家  團 蔵
                富樫左衛門  菊五郎

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2012/12/28

【歌舞伎】こいつ、殺したる……菊五郎の「籠釣瓶花街酔醒」2012年12月新橋演舞場夜の部

 あゝ忙しや、忙しや。ブログを書くヒマも体力もないけれど、忘れちゃうんで書いておきます。公式サイトはこちらです。
 今回の目玉は、なんといっても菊五郎が佐野次郎左衛門を初役で務めるという「籠釣瓶花街酔醒」でした。歌舞伎人のインタビューを読むと、菊五郎は脚本を読み込んで独自の工夫を加え、次郎左衛門が縁切りの途中から八ツ橋を殺してやろうと思うという新演出で演じるとのこと。初役は工夫を加えず教わった通りにやらないといけないというしきたりがあるそうですが、菊五郎レベルでは初役といっても誰かに教わるわけではないですから、自由にやっていいのでしょうね。
 どんな風になるのかとっても楽しみでしたが、実際に観てみると想像以上に素晴らしく、これまで観た「籠釣瓶」とは全く違う芝居にみえました。縁切りの途中で怒り出すというだけで、芝居全体がこうも変わるものかと、感心するやら驚くやら。
 普通の演出では、縁切り場までの次郎左衛門は、人のいい田舎者として演じられます。もちろん本当は、大詰めでの殺人にいたる「悪」をうちに秘めているのですが、演出上それは表に出さず、あくまでも善人して演じます。その善人が、大詰めでは一転して猟奇的な殺人をするところが面白さになるのですが、そうなると次郎左衛門の心理的な連続性がないので、説明として「妖刀籠釣瓶の力」が持ち出されることになります。善人の次郎左衛門が籠釣瓶の魔力によって殺人鬼となった、というわけです。
 こんかいの菊五郎の演出では、八ツ橋との仲を皆におだてられて舞い上がっているといった、次郎左衛門の人の良さは控えめに演じられます。そして縁切りの途中で怒り出し、八ツ橋の殺害を決意します。次いで「花魁、そりゃあんまり袖なかろうぜ」に始まる有名なセリフは、普通は恨みつらみを訴えて哀れをさそいますが、今回の舞台では八ツ橋とタンカを切り合うかのようで、江戸の芝居らしいハリが心地よいです。
 その場はおとなしく引き下がるものの、故郷にもどって4ヶ月の間に、法事をすませ、身代を整理し、八ツ橋殺害の準備を着々とすすめていきます。この部分は舞台では描かれませんが、次郎左衛門がその間、怒りを胸に秘めつつ冷静かつ着実に殺害計画をすすめていく様子は、想像するだに恐ろしいです。大詰で立花屋に久々現れた次郎左衛門は、最初から目つきがするどく、殺害の意思が強く現れております。
 こうして次郎左衛門の性格が、現代のストーカーにも通じる冷酷で執念深い性格として描かれているので、劇に一貫性が生じました。心理的に筋が通ることによって、舞台の進行上「妖刀の力」は不要になり、籠釣瓶は次郎左衛門の怒り・冷酷さ・執念深さの「象徴」となります。
 以上のように、役者の「芸」を見せる古典的な狂言である「籠釣瓶花街酔醒」が、現代的な演劇として見事に生まれ変わりました。伝統的な演目に、新たな解釈を見いだした菊五郎の手腕に拍手、拍手です。
 歌舞伎の演目は、今日ではいくつかの場面を抜粋して上演するのが普通です。通しで上演することで、筋をわかりやすくしようという考え方があり、仁左衛門もこうした考えから、しばしば通しで演じているようです。ただ先月の「双蝶々曲輪日記」のように、通しでやることによって返って辻褄が合わなくなるということもあります。抜粋のままで、新解釈を加えるという菊五郎のやり方も「アリ」だとぽん太は思いました。
 同じく初役の菊之助の八ツ橋、花道での笑みはまるで博多人形のようで、ほうっとため息をつきたくなるほど美しかったですが、笑いの「意味」は感じられませんでした。その後も花魁としての妖艶さより、廓で生きていかねばならない女の必死さが伝わってきました。松緑の下男治六、世話物はだめ。團蔵の釣鐘権八は、ちょっと格好良すぎ。もっと下劣で嫌ったらしいのがぽん太の好みです。繁山栄之丞の三津五郎、芝居はうまいのですが色気に欠けるので、八ツ橋が栄之丞に操を立てるために次郎左衛門にあそこまでひどい仕打ちをするという説得力がありませんでした。

 恐ろしい芝居のあとは、三津五郎の「奴道成寺」でお口直し。踊りは絶品でした。


新橋演舞場
十二月大歌舞伎
平成24年12月 夜の部

一、 籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)

   序 幕 吉原仲之町見染の場
   二幕目 立花屋見世先の場
       大音寺前浪宅の場
   三幕目 兵庫屋二階遣手部屋の場
       同  廻し部屋の場
       同  八ツ橋部屋縁切りの場
   大 詰 立花屋二階の場
              佐野次郎左衛門  菊五郎
                  八ツ橋  菊之助
                 下男治六  松 緑
                   七越  松 也
                   九重  梅 枝
                   初菊  右 近
                 遣手お辰  歌女之丞
                絹商人丈助  亀 蔵
               絹商人丹兵衛  秀 調
               立花屋おきつ  萬次郎
                 釣鐘権八  團 蔵
                繁山栄之丞  三津五郎
               立花屋長兵衛  彦三郎

二、 奴道成寺(やっこどうじょうじ)
         白拍子花子実は狂言師左近  三津五郎
                   所化  亀三郎
                   所化  亀 寿
                   所化  宗之助
                   所化  萬太郎
                   所化  右 近

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2012/12/27

【クラシック】オーチャードホールの音響が悪くて楽しめず。新日本フィルの「第九」

 年末恒例の「第九」は、日程の関係で今年も新日本フィル。せっかくなのでS席を取ってみたのですが、これが失敗でした。音響が悪すぎます。

 ステージ前方に座っている弦楽器の音は直接聴こえる一方、舞台奥の管楽器の音は、背後の壁あるいは天井版に反射してから耳に届くのか、音がずれて聴こえるのです。第二楽章のスケルツォなどでは、ほとんど半拍ずれて聴こえました。独唱や合唱も、なんか奥まって声が届かず。ということで、演奏の感想を述べる以前の問題でしたcrying
 指揮者のリュウ・シャオチャは日本初登場ですが、海外ではすでに高い評価を受けているとのこと。オペラの経験も深いとのことで、『エグモント』序曲では、これから何かが始まるような予兆に満ちたドラマチックな演奏でした。全体としては、奇をてらわず、オーソドックスで、堂々とした演奏だったように思います。
 音楽関係の友人に聞いたら、オーチャードは音響が悪いので有名で、3階席の1番前がよく聴こえるとか。こんどはその席にしよ〜っと。ちなみに今回の席は1階の13列でした。


2012年12月24日 会場:Bunkauraオーチャードホール 
新日本フィルハーモニー交響楽団
クリスマス・コンサート
『第九』特別演奏会2012

■プログラム
レーガー作曲 7つの宗教的民謡 より 『おおいとしきみどり児、やさしきイエス』  
ベートーヴェン作曲 劇音楽『エグモント』 序曲 op.84  
ベートーヴェン作曲 交響曲第9番ニ短調『合唱付き』 op.125  

■出演者
指揮:リュウ・シャオチャ(呂紹嘉) プロフィールを見る(PDF)>  インタビューを読む>
ソプラノ:天羽明惠
アルト:加納悦子
テノール:永田峰雄
バリトン:キュウ・ウォン・ハン

合唱:栗友会合唱団
合唱指揮:栗山文昭

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2012/12/09

【旅行】丹波篠山観光/一会庵の蕎麦/天空の城・竹田城

Img_3585 大阪で一泊したぽん太とにゃん子は、丹波篠山を観光しました。篠山は篠山城の城下町として発展しました。古い街並が現在も残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されております。篠山市観光情報の公式サイトはこちら。観光マップ(pdf)はこちらです。
 写真は篠山城です。篠山城は慶長14年(1609年)に築かれた近世城郭で、天守閣はもともとありませんでした。明治になって建物は大書院を除いて取り壊されましたが、唯一残っていた大書院も昭和19年(1944年)に失火で消失したそうです。平成12年(2000年)に復元されて公開されておりますが、当然ながら真新しい建物で、ちと観光のしがいがありません。
Img_3587 関東育ちのぽん太は、「丹波」と聞くと「黒豆」ぐらいしか思い浮かびませんが、イノシシの肉を使ったぼたん鍋も名物なんだそうです。巨大なイノシシのオブジェも、なんだかレトロに見えますね。
Img_3590 河原町妻入商家群の町並みです。古い町並みを見慣れた方は、この写真を見て違和感を感じるかもしれません。屋根の向きが普通と90度違います。普通は、屋根の三角形の部分は道側を向いておらず、側面(?)が道に面しています。切妻造りの建物の妻の方から出入りする形になっていて、「妻入り」と呼ばれる建築様式です(Wikipedia)。妻入りは、丹波地区に特有なんだそうです。
Img_3591 河原町妻入商家群のなかにある建物ですが、かなりキッチュです。明治以降のものと思われますが、旅館とか料亭の雰囲気ですが、ぐぐってみてもよくわかりません。

Img_3593 昼食は、ちかくの一会庵でお蕎麦をいただきました。築300年の古民家を移築した建物だそうです。ホームページはなさそうなので、食べログにリンクしておきます。場所はかなりわかりにくいです。大きな道に面していない上、そこからの曲がり角に案内表示はありません。地図をよく見ながら、茅葺き屋根を目指して進んで下さい。
Img_3601 広々した空間に、低〜いテーブルがぽつりぽつりと置かれています。
Img_3596 蕎麦茶とツキダシの蕎麦かりんとうです。メニューは「おろしそば・そば切り・そばがき・そばがきぜんざい」の4つしかなく、しかもおろしそばは、「初めてご来店の方は辛味大根でおそばの香りが分からないのでご遠慮下さい」と書いてるので、必然的にそば切りを注文。
Img_3598 いよいよお蕎麦が丹波焼の器に乗って登場。待ってましたんheart04。お蕎麦は香りが豊かでホントに美味しかったです。ツユは濃いめ。ただ、なんだか魚系の生臭さがあるのが、ぽん太はちと気になりました。

Img_3604 おいしいお蕎麦を堪能したぽん太とにゃん子が、次いで向かったのが竹田城。霧がかかると正に天空に浮かぶように見えるお城で、以前にテレビで見て、いつか訪れたいと思っていました。この日、午前中は低い雲がかかる天気で、ひょっとして天空の城を見れるかと思ったのですが、残念ながらだんだん晴れてきてしまいました。朝来市公式サイトの案内ページはこちら。城に行く山道は細いですが、一方通行の巡回路になるように交通制限されているので、カーナビに頼らず、現地の案内板に従いましょう。かなり広い無料駐車場があります。写真の入り口から歩いて竹田城を観光すると数十分かかるとのこと。残念ながらぽん太とにゃん子はあまり時間がなかったので、観光は省略しました。
Img_3608 というかこの城は、現地を訪れるよりも、と奥から眺めたいもの。テレビで放映されているのはどこから撮ったのか聞いてみたところ、312号線の反対側の立雲峡(りつうんきょう)だそうです。場所はこちら(Yahoo!地図)。道が狭いので対向車にお気をつけ下さい。あいにく雲海はありませんでしたが、心の中で想像しました。

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2012/12/08

【建築】大阪のレトロ建築。青山ビル・伏見ビルなど

 ぽん太とにゃん子は、11月上旬に永楽歌舞伎を観に行ってきました。歌舞伎の感想は既に書きましたので、今回は旅のご報告です。
 Img_3576 まずは大阪市内で一泊。大阪に泊まる時は、松竹座に歌舞伎を観に行く場合が殆どなので、これまでぽん太は難波近くにホテルをとっていました。今回は一泊して翌日も移動だったので、北浜近くのホテルに泊まりました。オフィス街にところどころ古い建物が残っている感じで、東京でいえば日本橋みたいな雰囲気でしょうか。難波とは違った雰囲気で面白かったです。夜はいつものように、近くの居酒屋をハシゴして酒と魚を味わいました。そのとき偶然に見つけた古めかしい建物にある喫茶店で、翌朝はモーニングをいただきました。
 写真のツタの絡まる趣きある建物が、青山ビルディングです。登録有形文化財に指定されているようです。公式サイトはこちらです。大正10年(1921年)竣工のスペイン風の洋館。設計・施行は大林組だそうです。こちらのサイト(思いつくまま・近代歴史遺産の旅 第458回・青山ビル(旧野田家住宅))によれば、当初はレストラン経営者の野田源次郎氏の住宅だったそうで、山口誓子や大村崑がこの建物の一室を借りていたこともあるそうです。
Img_3577 こちらが丸福珈琲の入り口。レトロな雰囲気が素敵です。
Img_3578 内装は新しく綺麗ですが、木を多く使ったり、天井の梁のレリーフなど、レトロな味わいを出しております。
Img_3580 こちらがモーニング。飲み物(写真はカフェオレ)の値段だけで、バタートーストとゆで卵がつきます。美味しゅうございました。
Img_3584 見ると、隣りのビルも登録有形文化財のようです。こちらはWikipediaに出てました。こちらは大正12年(1923年)竣工。当初は「澤野ビルヂング」という名前で、ホテルとして使われていたそうです。設計は長田岩次郎とのこと。
Img_3582 玄関は、アールデコ調に整えられておりました。
Img_3575 ホテルの窓からもレトロな建物が見えましたが、切りがないし、時間もなかったので、みちくさは省略しました。返ってからぐぐってみると、レンガの建物は「オペラ・ドメーヌ 高麗橋」(Wikipedia)で、設計は、近頃有名な東京駅などを設計した辰野金吾。その左の建物は日本基督教団浪花教会(Wikipedia)で、昭和5年(1930年)竣工、なんとヴォーリズの設計指導で、竹中工務店が設計・施行したものだそうです。う〜〜ん、見とけばよかった。また今度ね。

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2012/12/07

【オペラ】楽しかったけどちょっと雑多「セビリアの理髪師」新国立劇場

 「セビリアの理髪師」は、序曲は有名で昔から何度も聞いていましたが、オペラを観るのは初めて。しかもロッシーニは、以前に新国立で観た「チェネントラ」がとても素晴らしかったので、観に行くのを楽しみにしておりました。特設サイトはこちら。公式サイトはこちらです。
 「セビリアの理髪師」は、ロッシーニ(1792年〜1868年)の作曲で、1816年に初演されたオペラです。
 原作の戯曲はフランスの劇作家ボーマルシェ(1732年〜1799年)が書いた同名の戯曲(1775年)で、『フィガロの結婚』(1784年)、『罪ある母』(1792年)とともにフィガロ3部作をなしています。従って有名なモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」は、「セビリアの理髪師」の後日談となっております。「フィガロの結婚」の伯爵夫妻が、「セビリアの理髪師」のアルマヴィーヴァ伯爵とロジーナですし、フィガロは二人の仲を取り持った功績を認められて伯爵の家来に取り立てられているわkです。後見人バルトロや音楽教師バジリオも「フィガロ」に出てきますよね。
 ぽん太は「フィガロの結婚」ってイタリアの話しかと思ってましたが、スペインが舞台だったんですね。
 で、舞台の感想ですが、フィガロ役のダリボール・イェニスが、声量ある表情豊かな歌で会場を圧倒しました。ぽん太はこの歌手は、以前に小澤征爾が振った「エフゲニー・オネーギン」のオネーギン役で聴いたことがあります。ただ風貌も含め、なんとなくならず者っぽいフィガロでした。それから、「もし私の名を知りたければ」では、彼自身が本当にギターを弾いていたようですが(4階から双眼鏡で観てたので、違ってたらごめんなさい)、とっても上手でした。ロクサーナ・コンスタンティネスクは、なかなかキュートなロジーナでした。アルマヴィーヴァ伯爵のルシアノ・ボテリョは、甘いいい声をしてましたが、ちょっと声量に欠け、声に深みがありませんでした。バルトロ役のブルーノ・プラティコは、とにかくコミカルな演技が最高でした。カーテンコールでも、カーテンの隙間からお茶目に首だけ覗かしたりしてました。ドン・バジリオの妻屋秀和が堂々たるバスを鳴り響かしていました。
 カルロ・モンタナーロの指揮は、スマートでシャープな印象。序曲の最初の2音も、タターと殆ど間を空けずに演奏しておりました。その分、裏を返すとあっさりした感じも受けました。東フィルの演奏の良し悪しは、ぽん太には判断がつきません。
 セットは、3階建ての建物が回り舞台で回転すると、反対側から内部が見えるようになっております。これがグルグル回りながら舞台が進行します。カラフルでポップな舞台装置で、赤い花びらのような椅子など、小物にも神経が行き届いておりました。ただ演出はちょっと散漫だった気がします。広くて高さもあるセットのあちこちで同時に小芝居をしてたり、種々雑多なひとたちが何度も意味もなく舞台を横切ったりします。また序曲の途中でフィガロが何度も手を打ちますが、フィガロが登場人物全体を仕切っていることを示す目的かもしれませんが、有名な序曲に耳を澄ましているときに音が聞こえるのは、ちょっと不快でした。
 全体としては、イェニスの歌唱やプラティコのコミカルな演技などが印象に残り、楽しいオペラに仕上がっていたと思います。


セビリアの理髪師
ジョアキーノ・ロッシーニ/全2幕
2012年12月6日 新国立劇場オペラ劇場

【指揮】カルロ・モンタナーロ
【演出】ヨーゼフ・E ケップリンガー
【美術・衣裳】ハイドルン・シュメルツァー
【照明】八木麻紀

【アルマヴィーヴァ伯爵】ルシアノ・ボテリョ
【ロジーナ】ロクサーナ・コンスタンティネスク
【バルトロ】ブルーノ・プラティコ
【フィガロ】ダリボール・イェニス
【ドン・バジリオ】妻屋秀和
【ベルタ】与田朝子
【フィオレッロ】桝 貴志
【隊長】木幡雅志
【アンブロージオ】古川和彦

【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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2012/12/06

【歌舞伎自由研究】出てくる地名について「双蝶々曲輪日記」(2)

 さて、「双蝶々曲輪日記・本朝廿四孝 (歌舞伎オン・ステージ19)」(権藤芳一編著、白水社、2003年)の脚注を参考にしながら、細部のチェック!

より大きな地図で 双蝶々曲輪日記 を表示
 まず序幕は、第一場「清水浮無瀬の場」、第二場「清水観音舞台の場」となっております。清水の舞台と聞くと京都の清水寺を思い出しますが、この狂言の舞台は大阪。四天王寺の西にある有栖山清光院清水寺(ありすさん せいこういん きよみずでら)のことだそうで、崖に位置しており、京都の清水寺を模して作られたようです(地図の緑印)。ホームページはなさそうです。現在も「清水の舞台」があるようです。
 「浮無瀬」(うかむせ)というのは、清水寺の北側に実在した浮瀬(うかむせ)という名前の有名な料亭がモデルだそうです。現在は大阪星光学園の敷地内となるそうで、松尾芭蕉なども句を読んだそうです。
 女郎の都や吾妻は、「新町」の「藤屋」に所属していたようです。日本三廓のひとつ「新町」に関しては、以前に訪問して記事も書きました。「吉田屋」があったところですネ。藤屋も置屋(おきや)のひとつだったそうですが、ぐぐってみてもよくわかりません。置屋というのは、遊女を保有していて派遣する店のことで、一方派遣された遊女がお客と遊ぶ店が揚屋(あげや)です。つまり序幕は、新町の女郎が四天王寺近くの料亭(遊郭ではありません)に来ていたという舞台設定です。
 南与兵衛の家の八幡(やはた)は、現在の京都府八幡市(地図の赤印)です。一方、与五郎の実家は山崎(地図の緑印)。京都と大阪を結ぶ交通の要所ですが、歌舞伎のお軽勘平の「山崎街道」や、明智光秀の山崎の戦いでも有名ですね。
 「角力場」の角力小屋があったのは、今は埋め立てられた堀江川にに架かっていた高台橋の南詰めの空き地だったそうで、現在の「高台橋公園」(地図の水色印)のあたりだそうです。
 「角力場」で揚巻と与五郎が向かった「九軒」は、新町遊郭の北部にある町の名前だそうで、現在では新町北公園のあたりとのこと(地図の黄色印)。井筒屋もここにあったそうです。井筒屋は、「恋飛脚大和往来」の「封印切」の舞台としても有名ですね。設定からみると揚屋だと思うのですが、Yahoo!辞書には置屋と書いてあり、ぽん太の知識では判断がつきません。
 続いて濡髪が侍たちを斬ってしまう「難波芝居裏」。高島屋百貨店の西側あたりになるそうです(地図の紫印)。
 「引窓」の舞台は、先に書いた京都府八幡市。与兵衛がそれとなく濡髪に逃げ道を教えるセリフ「おおかた河内へ越える抜け道は、狐川を左へとり…」の狐川は、現在の小泉川だそうです。

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2012/12/05

【歌舞伎自由研究】やっぱり矛盾だらけ「双蝶々曲輪日記」(1)

 以前の記事に書いたように、2012年11月の新橋演舞場の歌舞伎公演で、「井筒屋」の場が入った「双蝶々曲輪日記」を観て、ぽん太はかえって人物関係がこんがらがってしまったのでした。そこでこんかい、脚本を読んでみることにしました。テキストは「双蝶々曲輪日記・本朝廿四孝 (歌舞伎オン・ステージ19)」(権藤芳一編著、白水社、2003年)です。
 ただこの本に載っている脚本は、昭和43年(1968年)9月に国立劇場で上演されたものが底本だそうで、原作の人形浄瑠璃の物語全体が含まれているわけではありません。
 ただこの本には、原作の全段のあらすじが載っているので参考になります。めんどくさいけど、話しを進める都合上、あらすじをさらに要約して掲載しておきます。読者は歌舞伎の「角力場」と「引窓」は知っているという前提で要約しました。与兵衛と与五郎など、似た名前が多いのでご注意を。また与兵衛は、侍に戻って南方十次兵衛を名乗りますが、与兵衛の父の名前も同じ南方十次兵衛という名前みたいですね。

第一段 浮瀬(うかむせ)奥庭の段・新清水舞台の段

 女郎の吾妻には、山崎与五郎と平岡郷左衛門が、そして都には南与兵衛と、与五郎の番頭権九郎がそれぞれご執心。与五郎と郷左衛門が吾妻の身請けを争うのを利用して、権九郎は与五郎の三百両を偽金にすり替えて、自分が都を身請けする資金にしようとします。与五郎は窮地に陥りますが、すんでのところを南与兵衛に救われます。与兵衛は清水観音で郷左衛門らに襲われますが、危うく何を逃れます。

第二段 高台橋(たかきやばし)南詰相撲場表の段
 (いわゆる「角力場」です。)与五郎の父・山崎与次兵衛は、それとなく与五郎の放埒をたしなめます。濡髪は放駒にわざと負け、与五郎が吾妻を身請けできるように放駒にとりなしを依頼しますが、放駒は断ります。

第三段 新町井筒屋の段
 (先日観た「井筒屋」。)与兵衛は、平岡らと通じているたいこ持ちの佐渡七を殺しますが、そのとき小指を食いちぎられます。吾妻は与兵衛をかくまい、権九郎をだまして小指を切らせて犯人に仕立て上げます。郷左衛門に責められた吾妻と与五郎を、濡髪が救います。都と与兵衛は駆け落ちします。

第四段 大宝寺町搗米屋(つきごめや)の段
 放駒のけんか好きを直そうと、姉のおせきは強くたしなめます。放駒は改心して切腹しようとしますが、濡髪が止めに入り、二人は義兄弟の契りを結びます。

第五段 難波芝居裏の段
 廓から逃げて来た吾妻と与五郎は、郷左衛門らにつかまります。駆けつけた濡髪は、二人を助けようとするあまり、郷左衛門ら4人を斬り殺してしまいます。濡髪は切腹しようとしますが、放駒の説得に従って逃げ延びます。

第六段 治部右衛門(じぶえもん)住家の段
 吾妻と与五郎は、橋本にある与五郎の本妻の実家にたどり着きます。山崎与次兵衛もやってきて大騒ぎになりますが、与次兵衛は出家します。廓から追われる与五郎を、放駒が救いますが、与五郎は気が狂います。

第七段 道行 菜種の乱咲
 菜種の花のなかを狂い歩く与五郎。放駒、吾妻、濡髪も登場。

第八段 南与兵衛住家の段
 (いわゆる「引窓」です。めんどくさいので省略)

第九段 幻竹右衛門住家の段
 濡髪は幻竹右衛門にかくまわれているが、その娘から好意を寄せられます。そこにも追手がやってきますが、放駒もかけつけて抵抗します。南与兵衛が現れ、濡髪は捕まります。

 以上が原作の文楽の脚本のあらすじです。これだけ読んでもよくわからないでしょうけれど、どうかご容赦下さい。
 本書に収録された歌舞伎の脚本では、序幕第二場の「清水観音舞台の場」(上のあらすじの第一段の後半の「新清水舞台の段」にあたる)のなかに、与兵衛が指を噛み切られる「井筒屋」のエピソードが組み込まれています。また、与兵衛をかくまうのは、原作では吾妻ですが、本書の脚本では都になっております。
 先日の舞台では、小指を噛み切られるのは、与兵衛ではなく与五郎になってました。また与五郎をかくまったのは……都と吾妻と二人だったような気がしますが、よく覚えてません。

 さて、ぽん太がこんがらがってしまった、登場人物たちの関係についてまとめてみましょう。
・お幸は、濡髪長五郎を5歳のときに養子に出し、以後音信不通。その後、南方十次兵衛(=与兵衛の父)の後妻に入り、与兵衛の義母となる(「引窓」)。
・与兵衛は父親が死んでから放埒をはじめ、武士の身分も取り上げられる。やがて遊女の都と恋仲となり、この劇の冒頭では笛売りにまで身を落としている(第一段)。
・お幸は、劇の前年に大阪で濡髪に会い、彼の特徴あるホクロから、養子に出した息子であることを知る。しかしそのことを与兵衛には黙っている(「引窓」)。
・劇の冒頭の時点で、与兵衛は与五郎のことを知っている。与兵衛という名は、与五郎の父の山崎与次兵衛から一字をもらって名づけられたもので、与兵衛は山崎家の家来筋にあたる。いっぽう与五郎は、与兵衛のことは聞き知っていたが、劇の第一段で助けられたときに初めて与兵衛と面識を得る。
・都と吾妻は仲が良く、二人とも与兵衛と与五郎を知っている。
・「角力場」の与五郎のセリフで、濡髪長五郎は山崎与次兵衛のお気に入りで、家来筋の者なので、身請けの件を頼んだとあります。従って与五郎と濡髪長五郎は古くからの知り合い。
・実は山崎与次兵衛には、放駒の父親もえらく世話になっていた。放駒はそのことを姉から聞かされて初めて知ります(「難波芝居裏」)。

 さて、以上を前提にして、「引窓」を見てみましょう。
 まず、先日歌舞伎を観ていて抱いた最初の疑問を考察します。人を斬って逃げ延びてきた濡髪が母親を訪ねたら、与兵衛と都がいつのまにか夫婦になっていますが、それって時間的に早すぎない?
 南方十次兵衛(=与兵衛)が同道した平岡丹平のセリフに、「当春大阪表にて両人の同苗どもを殺され」とあるので、「難波芝居裏」は春の出来事だったようです。一方「引窓」は放生会の前日。放生会といえば、旧暦八月十五日、いまの暦では9月頃の満月の夜となります。ですから、この間に半年ほどの月日が流れているわけで、それならその間に与兵衛と都が夫婦になっているのも納得できます。
 ちなみに旧暦では、月の満ち欠けに合わせて28日が一ヶ月で、各月の1日は新月、15日が満月と決まっていました。つまり放生会の日は必ず満月なわけで、「引窓」はその前夜の出来事ですから、月がこうこうと照っていたのです。ちなみに忠臣蔵の討ち入りも、旧暦の12月14日ですから、ほぼ満月だったことになります。このへんは、江戸時代の人には当たり前だったと思われます。
 ちなみに放生会(ほうじょうえ)とは、穫った動物を逃がすことによって殺生を戒めるという、仏教の儀式です。捕まえた濡髪長五郎を逃がすというのが、放生会に引っ掛けてあるわけです。先日テレビで、どこかのアジアの国の、籠のスズメを買って逃がすという商売を放映していました。また日本でも、亀を買って逃がしたりしました。歌川広重の「深川万年橋」は有名ですね(画像はこちら)。

 さて話しをもとに戻し、次に濡髪長五郎が訪ねてきたときの母(お幸)との会話をみてみましょう。

お幸 オヽ、長五郎じゃないか。
長五郎 オヽ、母者人、内に居さんすか。
お幸 オヽ、ようおじゃったおじゃった。サアサア、まあ上りゃ上りゃ。
 これを見ると、濡髪の殺人事件から半年もたっているのに、母親はそのことを全く知らなかったことになり、ち不自然に感じられます。お幸はあとで与兵衛の話しを聞いて、ようやく濡髪の事件を知ります。またお早(=都)が濡髪と対面した時の会話は以下のとおりです。
お早 オヽ、濡髪さんか。
長五郎 オヽ、都様、久しゅう逢いませんな。
……
長五郎 …しかし、変わった都どののなり素振り、ハアさては願いのとおり与兵衛どのと、夫婦にならしゃったか。
 都もやけに冷静です。濡髪が殺人事件を起こしたことを知らなかったのでしょうか?そうだとしても、こんなところで濡髪に会ったら、都はもっとびっくりしそうなもの。また濡髪も、母親の家に都がいるのに驚かないのでしょうか。ひょっとしたら母お幸と与兵衛が親子となったことを聞知っていたのでしょうか。それに関しては直接脚本のなかには書かれていませんが、次のやりとりからわかるように、お早は、濡髪と与兵衛が知り合いであることを知らないし、また都も、濡髪とお幸が親子であることを知らないようなので、濡髪も、母お幸と与兵衛が親子であることは知らないと推定されます。
お幸 コレコレお早、しみじみとした話じゃが、そなた近付きかいの。
お早 アイ、曲輪でのお近付き。
お幸 アノ、与兵衛もかや。
お早 イヤこれはつい知る人じゃが、また長五郎様がお前をば母様とおっしゃる訳はえ
 さて、今度は与兵衛のセリフを見てみましょう。
丹平 その討たれたるは身共が弟郷左衛門と申しまする。
伝蔵 手前の兄有右衛門。
与兵衛 ナニ平岡郷左衛門、三原有右衛門どのとなア。
両人 いかにも。
与兵衛 ムヽ。
   (ト思い入れ)
両人 貴殿御存知か。
与兵衛 イヤ、承ったようにもあり。シテその殺したる相手は何者。
 与兵衛は、吾妻の身請けの争いの一件で、平岡郷左衛門と三原有右衛門のことは知っているはずです。しかし、濡髪がこの二人を殺したことは知らなかったようです。
 また与兵衛は、お幸に濡髪を見知っているか聞かれて、「されば、その長五郎といえる者、一度堀江の相撲場で見うけ、その後色里でもちょっとの出合い」と答えています。さいしょ与兵衛は濡髪を召し捕る気満々だったことを考え合わせると、与兵衛は濡髪を見知ってはいるものの、友人とは思っていなかったようです。
 う〜〜ん、なんかすっきりしません。やっぱり混乱しているような。本書の解説にあるように、「与五郎・吾妻の件と、長吉・長五郎の件を貫通するガッチリとした骨格がなく、緊密な構成を欠き」というのが当たっているのかもしれません。
 

 仁左衛門は近年、歌舞伎をなるべく「通し」で上演することによって、ストーリーをわかりやすくしようと考えているようです。しかし「引窓」に「井筒屋」を付け加えても、あんまり筋はわかりやすなってない気がします。しかも「井筒屋」を加えてしまうと、与兵衛(あるいは与五郎)は小指がないことになりますし、「引窓」の与兵衛は(相手が偽金使いだったためお咎めナシになったとはいえ)人殺しという設定です。
 また先日の上演では、濡髪長五郎が平岡の手下二人を斬り殺す場面で、怪力の相撲取りがあんなチンピラをわざわざ斬り殺さなくてもいいのではないかと、思ってしまいました。止むに止まれず斬るはめになる、という演出が必要が気がします。
 「双蝶々曲輪日記」を通しで演じで筋が通るようにするには、かなりの脚色を加える必要があると、ぽん太は思いました。

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2012/12/04

【バレエ】「レニングラード・シンフォニー」ってコリャおもろいの〜「オールスター・ガラ」マリインスキー・バレエ団

 公演の前にキャスト表を見て、「なんだ、『オールスター・ガラ』とか言って、ヴィシニョーワもコンダウーロワも出てないじゃん」と、ちとなめてかかっていたのですが、さにあらず。素晴らしいガラ公演に、ぽん太はとっても幸せな気分になりました。テクニック的にも高水準で、マリインスキーの層の厚さを見せつけられましたし、また見たことない演目には、歴史と伝統を感じました。公式サイトはこちらです。 
 最初の演目は「レニングラード・シンフォニー」。ぽん太は初めて観る演目ですが、バレエとして純粋に面白かっただけでなく、歴史的なこともいろいろと考えさせてくれました。
 音楽は、ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」の第1楽章でした。この交響曲はぽん太は好きで、特に第3楽章が気に入ってます。第1楽章はちょっと俗っぽい印象を持ってましたが、マリインスキー劇場管弦楽団の生演奏で聞くと、家でステレオで聞くのとは違って胸に迫るものがありました。時は第二次世界大戦、ヒトラー率いるナチス・ドイツ軍は、ソビエト連邦(現在のロシア)の第二の都市レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲しました。包囲は900日近く続きましたが、食料不足による飢餓や冬の燃料不足による凍死、爆撃などによって、一説によると100万人におよぶ市民が死亡したといいます。ショスタコーヴィチは、この包囲されたレニングラード市内に居合わせ、そこでこの交響曲を作曲しました。初演は1942年3月5日に臨時首都が置かれたクイビシェフで行われましたが、8月9日に包囲下のレニングラードで行われた演奏会は、今日にいたるまで人々の語りぐさとなっております。
 この交響曲は、初演当時は反ナチスの象徴としてもてはやされましたが、そのあからさまなプロパガンダ的性格から、冷戦時代には西側での評価は下がったこともあります。しかし1970年代に出版された有名な『ショスタコーヴィチの証言』等をきっかけに、「この曲はナチス・ドイツだけでなく、ソビエトの全体主義も批判している」ということになって、再び評価されるようになりました。何を批判しているかによって音楽の評価が変わるというのは狸のぽん太には理解しがたいところですが、攻め寄せる敵に対する英雄的抵抗と犠牲者の鎮魂を表現した、素晴らしい音楽だとぽん太は思っています。
 さて、今回のバレエでは、最初は恋人たちが仲睦まじく戯れる平和な風景が描かれますが、そこに敵の軍隊が襲ってきます。この敵は、ハイル・ヒトラーよろしく片手を斜め前に挙げるポーズを取ったりします。女たちは嘆き苦しみ、男は捕虜として捉えられます。やがて反撃が開始され、侵略軍は撃退されます。
 このバレエが初演されたのは、レニングラード包囲戦から約20年たった後の1961年のことです。当時は東西冷戦下でしたから、このバレエは、社会主義的なイデオロギーに沿って作られたと考えられます。一方で復刻版初演は2001年ですが、1991年に社会主義のソビエト連邦は崩壊して、市場経済が導入されています。この復刻版初演は、どのような意図で行われたのでしょうか。ソビエト時代の伝統的な演目を復活しようとしたのか、それとも社会主義をも批判する作品と捉えたのか、無知なるぽん太にはさっぽりわかりません。ちなみにこのバレエの一部が右(→)のDVDに収録されているようです。
 今年はソビエト連邦が崩壊してから21年。今回踊ったダンサーたちのなかには、ソビエトの社会主義時代を記憶していない人も多いはずです。ダンサーやオケのメンバーがどのような気持ちで上演していたのか大変興味がありますが、ぽん太にはまったくわかりません。
 また今回の振付は、1961年の初演当時の振付をどこまで踏襲しているのでしょうか。衣装も「労働者」っぽいですし、振付もなんか「モダン・ダンス」っぽくてレトロな味わいがありました。また、ダンサーが並んでポーズを取ったりと、「牧神」っぽいところもありました。美術は、1920年代のロシア・アヴァンギャルド的な雰囲気がありました。ロシア・アヴァンギャルドはソビエト時代は否定されてましたから、おそらく初演時は社会主義リアリズムに沿った舞台装置や衣装が使われたと思われます。今回の美術は、復刻版初演時の制作でしょうか?
 最初の場面に描かれていた楽譜、楽譜が読めないぽん太には何なのかわかりませんでした。また途中の籠が吊り下げられているような背景画も、ぽん太には意味不明でした。
 「アルレキナーダ」も初めて観ました。覆面の目隠しをした男性と、恋人と思われる女性との可愛らしいダンス。踊ったのは、ぽん太が観た『ラ・バヤデール』の、壷の踊りと仏像のペア。ティモフェーエフはこれがあの仏像だったのかと思うような、ちょこまかとした動きで、バトーエワはグラン・フェッテでドゥーブルを交えて頑張ってました。
 「グラン・パ・クラシック」は、ぽん太が観た「白鳥の湖」で2羽の白鳥を踊っていたニキーチナが、ハツラツとした踊り。アスケロフは顔はごついですが、大きくノーブルな踊りでした。
 「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」は、シクリャローフのパフォーマンスに驚きました。とにかくジャンプの高さがすごかったです。昨年のボリショイ&マリインスキー合同ガラで観た「ロミジュリ」では荒さが目立ちましたが、今回も「力一杯踊っていいます」という感じで、よく言えば若々しくてダイナミックですが、もうちょっと優雅に踊って欲しい気もします。2羽の白鳥で観たシリンキナは、とても柔らかい踊りでした。
 「海賊」は、ぽん太が観た「白鳥の湖」の、白鳥/黒鳥とロットバルトのペア。スコーリクは「白鳥」では固さが目立ちましたが、今日は堂々たる踊りで、とても輝いていて、風格が感じられました。今後が楽しみです。エルマコフはちょっと体の固く、ウルウル感がないのは気になりました、滞空時間の長い大きなジャンプがすばらしく、「主従」の感じが出てました。
 「ビギニング」はぽん太は初見です。サティのピアノ曲にのせて、コールプがコミカルかつペーソスたっぷりに踊る、洒落た演目。最初リンゴを加えて出てきた時は、タラコくちびるかと思いました。また帽子をかぶると、TRFのSAMに顔が似ています。なんかコールプって、マリインスキーとは思えない個性派ですよね。ぽん太は大好きです。
 「ディアナとアクテオン」は、筋骨隆々のカレーラスのアクテオンでしか観たことがないのですが、今回のキム・キミンはスレンダー。一方でディアナのエフセーエワ(ぽん太は初見)は、ちょっと肉感的です。グラン・フェッテでは、両手を上げてのドゥーブルで、ぶるんぶるんと回ってました。一方のキミン(こちらも初見)は、最初は「なんか華奢やな〜」と思ったのですが、驚異的なジャンプ力で、回転も速くて安定しています。連続回転回し蹴りも高かったです。また、フィギュアスケートの4回転・3回転・3回転みたいな連続ジャンプも見せてくれました。
 〆の「パキータ」も、ぽん太は初めて。ロパートキナとコルスンツェフの「ラ・バヤデール」ペア。「バレエ界の美空ひばり」という感じのロパートキナの風格ある踊りを見せていただきました。コールドやヴァリエーションもついての30分の演目で、とても楽しかったです。


オールスター・ガラ
2012年12月2日 東京文化会館

≪レニングラード・シンフォニー≫ [30分]
音楽:ドミトリー・ショスタコーヴィチ(交響曲第7番)/振付:イーゴリ・ベリスキー/デザイン:ミハイル・ゴルドン
世界初演:1961年4月14日 レニングラード・キーロフ劇場
復刻版初演:2001年5月30日 サンクトペテルブルグ・マリインスキー劇場
娘:スヴェトラーナ・イワーノワ
青年:イーゴリ・コールプ
侵略者:ミハイル・ベルディチェフスキー

≪アルレキナーダ≫よりパ・ド・ドゥ [12分]
音楽:リッカルド・ドリゴ/振付:マリウス・プティパ
ナデジダ・バトーエワ
アレクセイ・ティモフェーエフ

≪グラン・パ・クラシック≫ [11分]
音楽:ダニエル=フランソワ=エスプリ・オーベール/振付:ヴィクトル・グゾフスキー
アナスタシア・ニキーチナ
ティムール・アスケロフ

≪チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ≫ [10分]
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(≪白鳥の湖≫より)/振付:ジョージ・バランシン
舞台指導:フランシア・ラッセル/衣装デザイン:カリンスカ
マリーヤ・シリンキナ
ウラジーミル・シクリャローフ

≪海賊≫ [10分]
音楽:アドルフ・アダン(リッカルド・ドリゴ)/振付:マリウス・プティパ
オクサーナ・スコーリク
アンドレイ・エルマコフ

≪ビギニング≫ [5分]
音楽:エリック・サティ(グノシエンヌ第1番)/振付:ウラジーミル・ワルナワ
初演:2012年6月12日 サンクトペテルブルグ・ミハイロフスキー劇場
イーゴリ・コールプ

≪ディアナとアクテオン≫ [12分]
音楽:チェーザレ・プーニ/振付:アグレッピナ・ワガノワ
エレーナ・エフセーエワ
キム・キミン

≪パキータ≫よりグラン・パ [30分]
音楽:ルードヴィヒ・ミンクス/振付:マリウス・プティパ
復刻制作協力:ピョートル・グーセフ、リディア・ティウンティナ、ゲオルギー・コニシチェフ
装置デザイン:ゲンナジー・ソトニコフ/衣装デザイン:イリーナ・プレス
世界初演(≪パキータ≫より第3幕):1881年1月27日 ペテルブルグ帝室ボリショイ劇場
復刻版初演:1978年6月29日 レニングラード・キーロフ劇場
[ソリスト]ウリヤーナ・ロパートキナ、ダニーラ・コルスンツェフ
[ヴァリエーション]
ダリア・ヴァスネツォーワ
スヴェトラーナ・イワーノワ
マリーヤ・シリンキナ
アナスタシア・ニキーチナ

指揮:アレクセイ・レプニコフ
管弦楽:マリインスキー劇場管弦楽団

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2012/12/03

【温泉】岡本太郎ゆかりの宿・吉奈温泉さか屋(★★★★)&沼津「ふみ野」の海鮮丼

Img_3775
 歴史ある旧天城峠を訪ね、秋のハイキングを楽しんだぽん太とにゃん子は、近くにある吉奈温泉さか屋さんに泊まりました。公式サイトはこちらです。
 こちらの宿の一番の売りは、岡本太郎の定宿だったということでしょう。上の写真の風呂も岡本太郎がデザインしたそうで、女性が座った跡をイメージしているそうです。左手前には「座ることを拒否する椅子」も写ってます。
Img_3769 こちらが玄関です。コンクリート造りですが、旅籠のような雰囲気を出しております。なかに入ると、まず女将が自ら抹茶をたててくれます。この女将がこの宿のもう一つの名物。夕食時や、チェックアウトのときなど、要所ようしょで応対し、生わさびの正しい擦り方を教えてくれたり、様々な話しをしてくれます。
Img_3785 こちらのコーナーには、岡本太郎のリトグラフなどが飾ってあります。ぽん太とにゃん子が泊まったのはコンクリート製の建物で、内装は新しく綺麗な和室でした。木造の離れもあるようです。客室数はけっこう多いです。けっこうシブい宿を選んだつもりだったのですが、宿泊客が意外と多かったです。
Img_3778 こちらは白藤の湯。つげで作られた浴槽の露天風呂です。この他に露天風呂つきの内湯があり、一日交替で男女入れ替わります。さらに無料で使える二つの貸し切り露天風呂もあって、さまざまなお風呂が楽しめます。無色透明のお湯の泉質は弱アルカリ単純泉。もちろん源泉掛け流し。ややぬるめに設定されており、ゆっくりと入れます。
 吉奈温泉は古くから子宝の湯として有名だったそうで、家康の側室のお万の方(養珠院)も当時に訪れ、子を授かったんだそうです。それを聞くと、女性のお尻の形をした浴槽に、さらに深い意味が感じられますね。
Img_3787 夕食は、別室の個室でいただきます。ぽん太とにゃん子は、創作会席「天城越え十八品」を選びました。一品ひとしな運ばれてくるので、全体写真がないのはご勘弁を。写真は赤座手長えび。生まれて初めていただきましたが、美味しゅうございました。
Img_3791 一つひとつ手が込んでいてとても美味しかったのですが、残念だったのはお料理の説明がなかったこと。素材や調理法などきっとうんちくがあると思うので、簡単に説明していただけると、もっとお料理が楽しめたかと思います。説明の余裕がなければ、お品書きがあるだけでもいいのですが。
 ほかに岡本太郎が命名した「大名焼き」というメニューもあるのですが、イノシシなどの肉を焼いて食べるものらしく、にゃん子が肉が苦手なので今回は選択しませんでした。
Img_3796 朝食も美味しゅうございました。
 いわゆる鉄筋コンクリート造りの温泉旅館ですが、なかなか頑張ってサービスしています。でも、所々に粗が目につくので3点と4点の中間ぐらいかな…とも思いますが、、なんと言っても岡本太郎ゆかりというところが加点になり、ぽん太の評価は4点です。

Img_3805 翌日は、由比で桜えびでも食べて帰ろうかな、と思いつつ、とりあえず沼津の魚市場へ。連休の初日ですごい人出で、各飲食店の前は長蛇の列が。ちょっと奥まったところにあるせいか、すぐに座れた「ふみ野」さんで「生」桜えびと「生」しらすとネギトロの三食丼をいただきましたが、新鮮でとってもおいしかったです。十分満足できて、由比まで行くのはやめにしました。食べログにリンクしておきます。

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2012/12/02

【登山】ホントの旧天城峠を知ってますか?天城峠ハイキング

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 バブル崩壊から復興しつつある熱海を堪能したぽん太とにゃん子は、翌日、天城峠のハイキングをしました。「天城峠」と聞くと、現在の国道414号線の新天城トンネル(昭和45年(1970年)開通)や、その近くの旧天城トンネル(明治37年(1904年)開通)の上にある天城峠を思い浮かべるかと思います。しかしこの峠は、明治37年(1904年)に開通した旧天城トンネル開通後に作られたものであり、歴史ある峠ではまったくありません。古くからある「天城峠」は、現代の天城峠から西に2キロほどの場所にある「二本松峠」なのです。
 ちなみに川端康成の『伊豆の踊り子』は大正15年(1926年)頃ですから、旧天城トンネルの時代の話しです。石川さゆりの「天城越え」は……よくわかりません。

【山名】なし
【山域】伊豆
【日程】2012年11月22日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れ
【ルート】水生地下駐車場12:13…天城ゆうゆうの森12:33…二本杉峠(旧天城峠)13:16…天城峠14:34…水生地下駐車場15:12

(※大きい地図や3Dグラフはこちら
【マイカー登山情報】水生地下駐車場は20台ほど停められます。この周回コースを行く場合、水生地や旧天城トンネルの北側入り口などにも車を停められます。
【関連リンク】・天城路ハイキングコースの地図
  http://www.amagigoe.jp/090824/hiking.pdf

Img_3750 水生地下駐車場の一角から谷へと降りてゆき、本谷川沿いの道を下って行きます。きちんと整備されておりますが、人影はありません。途中、ワサビ田を見ながら、明るく気持ちのいい林のなかを進んで行きます。
Img_3751 やがてゆうゆうの森に到着です。以前は大川端キャンプ場と呼ばれていたようです。ここに鉄道の車両が保存されておりました。ぽん太はこれを見て、木曽森林鉄道の車両を思い浮かべ、伊豆にも森林鉄道があったのかな〜と思ったのですが、帰ってググってみたところ、このサイトに「木曽森林鉄道の車両」で「DL128号+C形客車3+木材を積んだ運材台車2組の編成」と書いてありました。なぜ伊豆に木曽森林鉄道が保存されているのか、ぽん太にはわかりません。
 ここからキャンプ場の方に川に沿って登っていきますが、シーズンオフのせいなのか枯れ枝が積もって道ははっきりしていません。やがて林道に出て、少し歩いてから右側の登山道に入って行きます。
Img_3760 ひと登りで二本杉峠(旧天城峠)に到着。案内板には、二本の杉の大木があるので「二本杉峠」と呼ばれたと書いてありましたが、おそらく写真の杉のことでしょうか。アメリカへの密航に失敗した吉田松陰も、唐丸篭に乗せられてこの峠を越え、アメリカの初代総領事タウンゼント・ハリス一行が徳川幕府との交渉のために江戸に向かった際にも、この峠を通ったそうです。
 お弁当を食べて一服した後、(現在の)天城峠に向かいました。ほぼ水平の道が続きます。途中の樹々はほとんど葉を落としていましたが、所々で紅葉がきれいでした。冒頭の写真は、この道の写真です。
 Img_3765 やがて天城峠に到着。このあたりは立派なブナ林があります。
Img_3766 少し下ると旧天城トンネル(天城隧道)の入り口に降りてきます。そこからはハイキングコースを下って、水生地下駐車場に戻りました。

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2012/12/01

【バレエ】スコーリク&セルゲーエフの若々しい「白鳥の湖」マリインスキー・バレエ

 ソワレだと帰りが遅くなって翌日の仕事にこたえるのでマチネにしてみたのですが、なんか客席がガラガラ。なんか学生の団体も観に来てるし。やっぱりソワレにしたほうが良かったかな…と思いつつも、いつぞやのボリショイのオシポワ、ワシーリエフのこともあると、気合いを入れ直して観てきました。公式サイトはこちらです。
 オデット/オディールのオクサーナ・スコーリクは、3年前の来日公演の「白鳥の湖」では2羽の白鳥を踊ってました。またジークフリート王子のアレクサンドル・セルゲーエフは、2010年のボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラで観ているはずですが、どちらもまったく記憶に残っておりません。
 若いペアは、第一幕第二場(オデットのシーン)では悪くないと思ったのですが、第二幕のオディールではちょっと粗が目立ちました。スコーリクは動きにキレがなく、黒鳥らしくピチピチしてないし、表情も硬くて妖艶さがありませんでした。だいぶ緊張してたのかな?また細かい動きに気が行き届いてない感じがしました。32回転も全部シングルだったのがちと不満。最後もちょとふらつきました。セルゲーエフは、見た目ノーブルで、一人で踊っている時はジャンプも回転も悪くないのですが、スコーリクが回転する時のサポートがぎこちなかったり、リフトの時は目一杯腰を落としてウンショとばかりに上げてました。
 むしろコールドの素晴らしさが目を引きました。みなスタイルもいいし、動きもすばらしく、ぴったりとそろっています。特にぽん太が好きな第一幕で、次々と踊られる群舞は、チャイコフスキーの曲のよさも相まって、観ているだけで幸せな気分になって顔がほころんできました。
 道化は、3年前と同じポポフが手慣れた踊り。王子の友人たちのパ・ド・トロワは「健闘」という感じでうっとり見とれるまではいかず。指揮は「バヤデール」と同じアレクセイ・レプニコフ。シャイなのか、最初の挨拶も観客にちらっと手を振る感じで、最後にステージ上に呼ばれてからも、舞台袖で拍手を送っていました。マリインスキー管弦楽団の演奏は、ところどころ音を外している時もありましたが、知り尽くした曲という感じで、ダンサーとの息もぴったりあってました。
 う〜〜〜ん、やっぱりソワレにすればよかったかな?


チャイコフスキー ≪白 鳥 の 湖≫
2012年11月29日 マチネ
東京文化会館

音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
振付:マリウス・プティパ,レフ・イワノフ
改訂振付:コンスタンチン・セルゲーエフ
台本:ウラジーミル・ベーギチェフ,ワシーリー・ゲーリツェル
装置:イーゴリ・イワノフ
衣裳:ガリーナ・ソロヴィヨワ
指揮:アレクセイ・レプニコフ
管弦楽:マリインスキー劇場管弦楽団

< 出 演>
オデット/オディール:オクサーナ・スコーリク
ジークフリート王子:アレクサンドル・セルゲーエフ
王妃 (王子の母):エレーナ・バジェーノワ
王子の家庭教師:アンドレイ・ヤコヴレフ
道化:グリゴーリー・ポポフ
悪魔ロットバルト:アンドレイ・エルマコフ
王子の友人たち:エカテリーナ・イワンニコワ、アナスタシア・ニキーチナ、アンドレイ・ソロヴィヨフ
小さな白鳥:エレーナ・チミリ、スヴェトラーナ・イワーノワ、アンナ・ラヴリネンコ、エレーナ・フィルソーワ
大きな白鳥:アレクサンドラ・イオシフィディ、ヴィクトリア・ブリリョーワ、ダリア・ヴァスネツォーワ、アナスタシア・ペトゥシコーワ
2羽の白鳥:マリーヤ・シリンキナ、アナスタシア・ニキーチナ
スペインの踊り:アレクサンドラ・イオシフィディ、アナスタシア・ペトゥシコーワ、イスロム・バイムラードフ、カミル・ヤングラゾフ
ナポリの踊り:アンナ・ラヴリネンコ、ワシーリー・トカチェンコ
ハンガリーの踊り:オリガ・ベリク、カレン・イオアンニシアン
マズルカ:リリア・リシュク,ユーリヤ・ステパノワ、マリーヤ・シェヴィアコーワ,イリーナ・プロコフィエワ、ドミトリー・シャラポフ,セルゲイ・コノネンコ、ソスラン・クラーエフ,イワン・シートニコフ
花嫁たち:ヴィクトリア・ブリリョーワ,ダリア・ヴァスネツォーワ,アリサ・ソドレワ,エカテリーナ・ボンダレンコ,ヴィクトリア・クラスノクツカヤ,ユリアナ・チェレシケヴィチ

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