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2012/12/05

【歌舞伎自由研究】やっぱり矛盾だらけ「双蝶々曲輪日記」(1)

 以前の記事に書いたように、2012年11月の新橋演舞場の歌舞伎公演で、「井筒屋」の場が入った「双蝶々曲輪日記」を観て、ぽん太はかえって人物関係がこんがらがってしまったのでした。そこでこんかい、脚本を読んでみることにしました。テキストは「双蝶々曲輪日記・本朝廿四孝 (歌舞伎オン・ステージ19)」(権藤芳一編著、白水社、2003年)です。
 ただこの本に載っている脚本は、昭和43年(1968年)9月に国立劇場で上演されたものが底本だそうで、原作の人形浄瑠璃の物語全体が含まれているわけではありません。
 ただこの本には、原作の全段のあらすじが載っているので参考になります。めんどくさいけど、話しを進める都合上、あらすじをさらに要約して掲載しておきます。読者は歌舞伎の「角力場」と「引窓」は知っているという前提で要約しました。与兵衛と与五郎など、似た名前が多いのでご注意を。また与兵衛は、侍に戻って南方十次兵衛を名乗りますが、与兵衛の父の名前も同じ南方十次兵衛という名前みたいですね。

第一段 浮瀬(うかむせ)奥庭の段・新清水舞台の段

 女郎の吾妻には、山崎与五郎と平岡郷左衛門が、そして都には南与兵衛と、与五郎の番頭権九郎がそれぞれご執心。与五郎と郷左衛門が吾妻の身請けを争うのを利用して、権九郎は与五郎の三百両を偽金にすり替えて、自分が都を身請けする資金にしようとします。与五郎は窮地に陥りますが、すんでのところを南与兵衛に救われます。与兵衛は清水観音で郷左衛門らに襲われますが、危うく何を逃れます。

第二段 高台橋(たかきやばし)南詰相撲場表の段
 (いわゆる「角力場」です。)与五郎の父・山崎与次兵衛は、それとなく与五郎の放埒をたしなめます。濡髪は放駒にわざと負け、与五郎が吾妻を身請けできるように放駒にとりなしを依頼しますが、放駒は断ります。

第三段 新町井筒屋の段
 (先日観た「井筒屋」。)与兵衛は、平岡らと通じているたいこ持ちの佐渡七を殺しますが、そのとき小指を食いちぎられます。吾妻は与兵衛をかくまい、権九郎をだまして小指を切らせて犯人に仕立て上げます。郷左衛門に責められた吾妻と与五郎を、濡髪が救います。都と与兵衛は駆け落ちします。

第四段 大宝寺町搗米屋(つきごめや)の段
 放駒のけんか好きを直そうと、姉のおせきは強くたしなめます。放駒は改心して切腹しようとしますが、濡髪が止めに入り、二人は義兄弟の契りを結びます。

第五段 難波芝居裏の段
 廓から逃げて来た吾妻と与五郎は、郷左衛門らにつかまります。駆けつけた濡髪は、二人を助けようとするあまり、郷左衛門ら4人を斬り殺してしまいます。濡髪は切腹しようとしますが、放駒の説得に従って逃げ延びます。

第六段 治部右衛門(じぶえもん)住家の段
 吾妻と与五郎は、橋本にある与五郎の本妻の実家にたどり着きます。山崎与次兵衛もやってきて大騒ぎになりますが、与次兵衛は出家します。廓から追われる与五郎を、放駒が救いますが、与五郎は気が狂います。

第七段 道行 菜種の乱咲
 菜種の花のなかを狂い歩く与五郎。放駒、吾妻、濡髪も登場。

第八段 南与兵衛住家の段
 (いわゆる「引窓」です。めんどくさいので省略)

第九段 幻竹右衛門住家の段
 濡髪は幻竹右衛門にかくまわれているが、その娘から好意を寄せられます。そこにも追手がやってきますが、放駒もかけつけて抵抗します。南与兵衛が現れ、濡髪は捕まります。

 以上が原作の文楽の脚本のあらすじです。これだけ読んでもよくわからないでしょうけれど、どうかご容赦下さい。
 本書に収録された歌舞伎の脚本では、序幕第二場の「清水観音舞台の場」(上のあらすじの第一段の後半の「新清水舞台の段」にあたる)のなかに、与兵衛が指を噛み切られる「井筒屋」のエピソードが組み込まれています。また、与兵衛をかくまうのは、原作では吾妻ですが、本書の脚本では都になっております。
 先日の舞台では、小指を噛み切られるのは、与兵衛ではなく与五郎になってました。また与五郎をかくまったのは……都と吾妻と二人だったような気がしますが、よく覚えてません。

 さて、ぽん太がこんがらがってしまった、登場人物たちの関係についてまとめてみましょう。
・お幸は、濡髪長五郎を5歳のときに養子に出し、以後音信不通。その後、南方十次兵衛(=与兵衛の父)の後妻に入り、与兵衛の義母となる(「引窓」)。
・与兵衛は父親が死んでから放埒をはじめ、武士の身分も取り上げられる。やがて遊女の都と恋仲となり、この劇の冒頭では笛売りにまで身を落としている(第一段)。
・お幸は、劇の前年に大阪で濡髪に会い、彼の特徴あるホクロから、養子に出した息子であることを知る。しかしそのことを与兵衛には黙っている(「引窓」)。
・劇の冒頭の時点で、与兵衛は与五郎のことを知っている。与兵衛という名は、与五郎の父の山崎与次兵衛から一字をもらって名づけられたもので、与兵衛は山崎家の家来筋にあたる。いっぽう与五郎は、与兵衛のことは聞き知っていたが、劇の第一段で助けられたときに初めて与兵衛と面識を得る。
・都と吾妻は仲が良く、二人とも与兵衛と与五郎を知っている。
・「角力場」の与五郎のセリフで、濡髪長五郎は山崎与次兵衛のお気に入りで、家来筋の者なので、身請けの件を頼んだとあります。従って与五郎と濡髪長五郎は古くからの知り合い。
・実は山崎与次兵衛には、放駒の父親もえらく世話になっていた。放駒はそのことを姉から聞かされて初めて知ります(「難波芝居裏」)。

 さて、以上を前提にして、「引窓」を見てみましょう。
 まず、先日歌舞伎を観ていて抱いた最初の疑問を考察します。人を斬って逃げ延びてきた濡髪が母親を訪ねたら、与兵衛と都がいつのまにか夫婦になっていますが、それって時間的に早すぎない?
 南方十次兵衛(=与兵衛)が同道した平岡丹平のセリフに、「当春大阪表にて両人の同苗どもを殺され」とあるので、「難波芝居裏」は春の出来事だったようです。一方「引窓」は放生会の前日。放生会といえば、旧暦八月十五日、いまの暦では9月頃の満月の夜となります。ですから、この間に半年ほどの月日が流れているわけで、それならその間に与兵衛と都が夫婦になっているのも納得できます。
 ちなみに旧暦では、月の満ち欠けに合わせて28日が一ヶ月で、各月の1日は新月、15日が満月と決まっていました。つまり放生会の日は必ず満月なわけで、「引窓」はその前夜の出来事ですから、月がこうこうと照っていたのです。ちなみに忠臣蔵の討ち入りも、旧暦の12月14日ですから、ほぼ満月だったことになります。このへんは、江戸時代の人には当たり前だったと思われます。
 ちなみに放生会(ほうじょうえ)とは、穫った動物を逃がすことによって殺生を戒めるという、仏教の儀式です。捕まえた濡髪長五郎を逃がすというのが、放生会に引っ掛けてあるわけです。先日テレビで、どこかのアジアの国の、籠のスズメを買って逃がすという商売を放映していました。また日本でも、亀を買って逃がしたりしました。歌川広重の「深川万年橋」は有名ですね(画像はこちら)。

 さて話しをもとに戻し、次に濡髪長五郎が訪ねてきたときの母(お幸)との会話をみてみましょう。

お幸 オヽ、長五郎じゃないか。
長五郎 オヽ、母者人、内に居さんすか。
お幸 オヽ、ようおじゃったおじゃった。サアサア、まあ上りゃ上りゃ。
 これを見ると、濡髪の殺人事件から半年もたっているのに、母親はそのことを全く知らなかったことになり、ち不自然に感じられます。お幸はあとで与兵衛の話しを聞いて、ようやく濡髪の事件を知ります。またお早(=都)が濡髪と対面した時の会話は以下のとおりです。
お早 オヽ、濡髪さんか。
長五郎 オヽ、都様、久しゅう逢いませんな。
……
長五郎 …しかし、変わった都どののなり素振り、ハアさては願いのとおり与兵衛どのと、夫婦にならしゃったか。
 都もやけに冷静です。濡髪が殺人事件を起こしたことを知らなかったのでしょうか?そうだとしても、こんなところで濡髪に会ったら、都はもっとびっくりしそうなもの。また濡髪も、母親の家に都がいるのに驚かないのでしょうか。ひょっとしたら母お幸と与兵衛が親子となったことを聞知っていたのでしょうか。それに関しては直接脚本のなかには書かれていませんが、次のやりとりからわかるように、お早は、濡髪と与兵衛が知り合いであることを知らないし、また都も、濡髪とお幸が親子であることを知らないようなので、濡髪も、母お幸と与兵衛が親子であることは知らないと推定されます。
お幸 コレコレお早、しみじみとした話じゃが、そなた近付きかいの。
お早 アイ、曲輪でのお近付き。
お幸 アノ、与兵衛もかや。
お早 イヤこれはつい知る人じゃが、また長五郎様がお前をば母様とおっしゃる訳はえ
 さて、今度は与兵衛のセリフを見てみましょう。
丹平 その討たれたるは身共が弟郷左衛門と申しまする。
伝蔵 手前の兄有右衛門。
与兵衛 ナニ平岡郷左衛門、三原有右衛門どのとなア。
両人 いかにも。
与兵衛 ムヽ。
   (ト思い入れ)
両人 貴殿御存知か。
与兵衛 イヤ、承ったようにもあり。シテその殺したる相手は何者。
 与兵衛は、吾妻の身請けの争いの一件で、平岡郷左衛門と三原有右衛門のことは知っているはずです。しかし、濡髪がこの二人を殺したことは知らなかったようです。
 また与兵衛は、お幸に濡髪を見知っているか聞かれて、「されば、その長五郎といえる者、一度堀江の相撲場で見うけ、その後色里でもちょっとの出合い」と答えています。さいしょ与兵衛は濡髪を召し捕る気満々だったことを考え合わせると、与兵衛は濡髪を見知ってはいるものの、友人とは思っていなかったようです。
 う〜〜ん、なんかすっきりしません。やっぱり混乱しているような。本書の解説にあるように、「与五郎・吾妻の件と、長吉・長五郎の件を貫通するガッチリとした骨格がなく、緊密な構成を欠き」というのが当たっているのかもしれません。
 

 仁左衛門は近年、歌舞伎をなるべく「通し」で上演することによって、ストーリーをわかりやすくしようと考えているようです。しかし「引窓」に「井筒屋」を付け加えても、あんまり筋はわかりやすなってない気がします。しかも「井筒屋」を加えてしまうと、与兵衛(あるいは与五郎)は小指がないことになりますし、「引窓」の与兵衛は(相手が偽金使いだったためお咎めナシになったとはいえ)人殺しという設定です。
 また先日の上演では、濡髪長五郎が平岡の手下二人を斬り殺す場面で、怪力の相撲取りがあんなチンピラをわざわざ斬り殺さなくてもいいのではないかと、思ってしまいました。止むに止まれず斬るはめになる、という演出が必要が気がします。
 「双蝶々曲輪日記」を通しで演じで筋が通るようにするには、かなりの脚色を加える必要があると、ぽん太は思いました。

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