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2013/03/24

【フロイト「不気味なもの」を読む(5)】『砂男』の不気味さの源泉は去勢不安である(p22〜26)

 ホフマンの『砂男』の要約を終えたフロイトは、「不気味なものの感情が直接結びついているのは、砂男の姿に、すなわち眼球を奪われるという表象にであって、イェンチュの言う知的不確かさはこの効果とは何の関係もない」ということが「いかなる疑問の余地も残るまい」と述べます(21〜22ページ)。こんなことをいきなり言われても困るのであって、フロイトはそのように確信しているかもしれませんが、ぽん太は同意できません。自動人形オリンピアは確かに特に不気味でないし、目玉をくりぬかれるというのはちょっと不気味ですが、それはこの小説の様々な不気味さ(奇妙な反復、人物の交錯と圧縮、些細な出来事の突然の乱入、主体性のゆらぎ、何かの予兆など……)のうちの一つに過ぎないと思います。
 「なにしろこの物語の結末は、眼鏡商コッポラが実は弁護しコッペリウスであり、つまりは、砂男でもあることを明らかにしているのだから」(22ページ)というのもホントかな?とぽん太は思います。確かに最後にコッペリウスが現れますが、ホフマンはそれがコッポラであるとは書いていません。またコッペリウスが現れたということも、この部分の叙述が完全に客観的なものなのか、それともなんらかの主観によって歪められている可能性があるのか、はっきりしません。だからフロイトが、「小説の最後に正解が書かれている」みたいに捉えているのは違っている気がします。
 フロイトは、「精神分析の経験によれば」と銘打って、「眼球を失う」というのが子供が抱く不安であり、それは大人になっても残り、それは「去勢不安」の代替物だと言います(23ページ)。精神分析の信者でないぽん太にはまったく理解も納得もできませんが、フロイト先生に「精神分析の経験から言えるのじゃ!」と言われたら、ひとまずハイハイと有り難く御説を敬聴するしかありません。
 さらにフロイトは、『砂男』において眼球不安が父親の死に密接に関係づけられていることを、眼球不安が去勢不安と関連していることの根拠として挙げます(24ページ)。確かにこの物語では、砂男は常に愛を邪魔するものではありますけど、この段落に付けられた長い脚注も含め、ぽん太には「それで……?」という感じです。
 眼球不安を子供のころの不安に帰着させた(と信じる)フロイトは、ついでに「生きているかもしれない人形」というイェンチュが挙げた不安を、子供の不安に帰着できるか考察します。しかしイェンチュも指摘しているように、子供は人形が動くのを怖がらず、さらに望んでいたりします。悔し紛れに(?)フロイトは、「不気味な感情の源泉は、ここでは子供の不安ではなく、子供の欲望であり、あるいは単に子供の確信にすぎないのだろう」と書いていますが、ぽん太にはよく理解できません。

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